2017年03月03日

カドワキ一席うかがいます――3月5日 しんらん交流会館

 えー、今度の日曜日、3月5日午前9時半より、京都は駅前東本願寺の北にある「しんらん交流会館」(センター?)で、カドワキが一席うかがうことになりました。

タイトルは「阿弥陀の神話と〈私〉の物語」。

21世紀の今に、なんで法蔵菩薩が阿弥陀如来になられて十劫の時が流れました――なんて話を信じられるのか?
そんな神話を信じながら、死んで西方浄土に往生するという物語に、なんで抵抗するんだ?

 そんなことを考えるという、聴いていて思わず「ナンマンダブ」と手を合わすことのない、なんだかめんどくさい話になりそうです。
私としては、めんどくさいけど、大事なことだと思うのですが・・・
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2017年02月28日

「死と乙女」のほうへ――西田幾多郎、オルカーニャ、コパチンスカヤ

 西田幾多郎は「『国文学史講話』の序」(『思索と体験』所収)というエッセイで、その『国文学史講話』の著者・藤岡作太郎と西田自身の子どもを亡くした経験について書いています。
ちょうど『善の研究』を書いていたころの文章です。

 そこに「オルカニヤの作といい伝えている画に、死の神が老若男女、あらゆる種々の人を捕え来りて、帝王も乞食もみな一堆の中に積み重ねているのがある、栄辱得失もここに至っては一場の夢に過ぎない。」という文章があります。
今年の講義でこの文章をとりあげたとき、「このオルカニヤの画というのはどんなんでしょうかねぇ。誰か調べてくれませんか」とつぶやいたら、それを調べてきてくれたレポートが3篇ありました。
3人とも、図書館では「オルカニヤ」では調べられず、ネットで調べて「オルカーニャ」なる人物に行きついていました。
オルカーニャことアンデレア・ディ・チョーネ・ディ・アルカンジェロという人物で、1308年ごろ生まれ、1344年から68年までフィレンツェで活躍した画家にして彫刻及び建築家。
例の画は「死の勝利」というフレスコ画であろうというのが、3人の共通した結論でした。

 なるほど、ネットとはこうゆうふうにして利用するのか・・・ネットにうとい怠け者の教師は感心してそのレポートに「S」を付けてしまいました。

 このオルカーニャの活躍した時期は、ヨーロッパで黒死病つまりペストが流行り、ヨーロッパの人口が半減したといわれる時期に重なります。
その「死の勝利」という絵も、おそらくペストの大流行と関係があるのでしょう・・・

 なんてことを考えていたら、タワーレコードで、パトリツィア・コパチンスカヤの『「死と乙女」のほうへ』という奇妙なタイトのCDが目に止まりました。
英語のタイトルは「DEATH AND THE MAIDEN  SCHUBERT」つまり「シューベルトの死と乙女」なのですが、邦題では『「死と乙女」のほうへ』と妙な言葉がくっついています。
なんじゃろ?と曲目を見ると、シューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」の4つの楽章のあいだに、「死の舞踏」と呼ばれた中世の曲や現代の死を扱った曲がはさまっているのでした。

 何たる偶然と即座に購入を決定。

 冒頭の妙に明るい「死の舞踏」という曲が、なんだか人間の無力さ、そして「一場の夢」という感じで妙に納得させられます。
しかもシューベルトは弦楽四重奏ではなく、もう少し規模の大きな弦楽合奏。

 今まで、「死と乙女」という曲はシューベルトにしては激しい曲であまり得意ではなかったのですが、こうして「死」のヨーロッパ的伝統の中で聴くと、たいへん説得力があります。
死に対するシューベルトの怒りともやけくそ的な諦めともつかぬ激しい感情が、コパチンスカヤの率いる弦楽合奏でストレートに伝わってきます。

わたしは大変に気に入っています。
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2017年02月23日

まだ書いてます――『同朋』3月号ぼちぼち発売

 東本願寺出版部から毎月発行されている同朋3月号がぼちぼち京都市内の書店に並びます。

 わたくしカドワキの「人生ロードショー」も昨年の7月号から打ち切りを申し渡されることなく、細々と続いておりますよ。
3月号では『マッド・マックス 怒りのデスロード』をとりあげました。
ネタが少ないから何でも書いてます。

 ちなみに今まで書いたのは
『パリ・テキサス』
『男はつらいよ ハイビスカスの花』
『ローマの休日』
『道』
『魔女の宅急便』
『日本暗殺秘録』
『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』
『冬冬の夏休み』
そして『マッド・マックス』

 どういう基準で選んでいるのか自分のでもわかりません。
東本願寺の境内の書籍部に行くとバックナンバーが立ち読みできます。
ぜひ!
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2017年02月21日

目頭が熱くなる声――『ハリー・ベラフォンテ カーネーギー・ホール・コンサート』

 ついに『ハリー・ベラフォンテ カーネギー・ホール・コンサート』を購入いたしました!
1959年のコンサートの実況録音ですが、名録音と言われ、現在でも、アメリカはもちろんドイツでも高音質の復刻LP(2枚組)が出ています。
いずれも1万円近くするのですが、今度はイタリアのゴールドノートという会社がドイツでプレスして発売しました。
9000円!
しかし、音溝に余裕ある3枚組で9,000円ということで、思い切ってアマゾン経由で購入。

 たいへん良かった。
2時間のコンサートがあっという間。
ベラフォンテの何とも言えない声がストレートに届けられる。
ビロードというより麻の布のちょっとざらついた声。

 最初はアメリカの労働歌。
そしてカリプソに移り、ついに「デ〜オ、デ〜〜〜オ〜」のバナナ・ボート。
その次に「さらば、ジャマイカ」。
それを聴いていたら、なんだか目頭が熱くなってしまいました。
ジャマイカのキングストンに可愛い女の子を残して旅を続ける歌。
ほんと、いい歌です。
ベラフォンテの声もいい声です。

 そして、世界旅行。
アイルランドの歌もあれば、ユダヤの歌も。
メキシコの歌もあって、最後はオーディエンスを巻き込んで「マチルダ」。

 その昔の「労音」のコンサートのような感じ(ったって若い方は全然わかりませんね)。

 こちらも、60年代のヨコワケの若者、「若者たち」を唄うような若者のような気分になってきます。

 ベラフォンテを聴くと、このひねくれた自分が、ちょっとまっすぐな人間になったような気がします。
馬齢を重ね人間がすっかりひねくれてしまった皆さんにお勧めです。
(CDもあるはずです)
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2017年02月16日

胸の熱くなるモーツァルト――ファジル・サイのピアノソナタ全集

 さてさて、来年度の準備にぼちぼち・・・
その前に去年聴いた音盤について。

 新譜では、以前にも書いた、テオドール・クルレンツィスの『ドン・ジョヴァンニ』、そしてパトリシア・コパチンスカヤと組んだチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。

 それに、イリーナ・メジューエワワさんのモーツァルトのピアノ・ソナタ集。
ピアノという鋼鉄のバケモノに立ち向かう凛々しいロシア女性という感じの弾き方が気持ちの良い曲集でした。
サインももらったし・・・(というわけで「さん付け」です)

 と思ってたら、年末にファジル・サイのピアノソナタ全集が出ました。
以前のサイのモーツァルトは、ちょっと奇を衒った感じであまりなじめなかったのです。
で、ちょっと躊躇したのですが、いろいろと調べてみると、今回はそれほどスットンキョなことをやっているわけではなさそう。
しかし、それなりに刺激的な弾き方をしているようなのでエイッ!と購入。

 一番最初がそのトルコ行進曲付きのソナタ。
左手を強調した力強い演奏。
第三楽章のトルコ行進曲、なんだか胸が熱くなるような激しい演奏。
なぜ「トルコ行進曲」と呼ばれたのかがよく分かる演奏でした。
あのドラマ「阿修羅のごとく」のテーマ音楽のトルコ軍楽隊の音楽と通じる弾き方で、トルコ人サイの面目躍如といったところでした。

というわけで、昨年は、モーツァルトのピアノソナタのあたり年でした。

 また、クレイジーケンバンドの『香港的士』もヘビーローテンションでしたよ。
男女の愛。いけない愛。友達同士の愛。親子の愛。
いろんな愛がちょっとテレを含みながら歌われていてなかなかご機嫌なアルバムでした。

 そして、これも年末に出たルーマーという女性歌手の『This girl's in love』というバートバカラックの作品集がよかったです。
カレン・カーペンターをちょっと思い出させるような感じですが、カレンほどの凄みはない。
でも、自然な感じで、バカラック御大もお気に入りらしく、一曲参加されておられました。
このアルバム、CDで聴きましたが、レコードでも出たようで、どうしようかなぁ、と迷っています。
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2017年02月13日

ふたりでお茶を--『漱石と煎茶』☆☆☆☆☆

 卒論試問も終わり、レポート採点も終わって、そして追いコンも終わりほっとして大垣書店に行ったら、新書棚で、「読んでみんかね」と声をかけられました。
見ると、「漱石と煎茶」というタイトルの新書。
漱石と煎茶?
煎茶って、急須でいれるアレ?

 パラパラと見てみると、『草枕』で「余」にふるまわれるお茶が「煎茶」で、それが「抹茶」でないのには訳があるという内容。
面白そうなので、購入し拝読。

 煎茶の中国での由来が書かれていて、漢詩が多く、どれだけ理解したか心もとないが、とにかく読了。

 とっても面白かった。
小川後楽著『漱石と煎茶』(平凡社新書)

 権威に近づく「茶の湯」に対して、反権力的な「煎茶」。
そんなこと考えたこともなかったので、大変面白い。

も一度、漢文の引用なども味わいながら、ゆっくり読んでみます。

 が、おそらくうじゃうじゃピロリ菌が生息していた胃の持ち主の漱石にとって、煎茶でも抹茶でも、きつかったのではないか・・・と同情しました。
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2017年02月06日

卒論試問、無事終了――ところで私はバカかもしれない(疑念)

 先週、卒論試問、19篇、無事終了いたしました。
まずはめでたい。

「無事」というのは、一人も欠席者が出なかったこと。
ま、当たり前と言えば当たり前なのですが、最後の授業の時、2名がインフルエンザで休んでいたのでちょっと心配していたのでした。
また、同僚でもインフルに罹っていた人がいたりして、私自身がインフルエンザにならないかとおびえながら卒論を読んでいたのでした。

 しかし、学生諸君もインフルを克服して全員時間通りに出席、私自身もインフルエンザに罹ることなく卒論試問を終えることができたのでした。
また、檀家さんにもインフルなどで亡くなる方もなく、無事、卒論試問を終えたのでした。

 それに、どの論文も、学術的には高レベルというわけにはいきませんが、真剣に取り組んだ跡が見えて、気持ちの良い論文でした。
どうして哲学科なんてところに来てしまったのか、そのことを真摯に問う論文でした。
このような卒論試問も、あと三回となりました。

 ところで、入院中の母親がインフルエンザに罹ってしまいました。
病院内でインフルに罹ったのはうちの母親だけ。
そして、発病の数日前に外部から母親に接触したのは私だけ。
つまり、どうも私が母親にインフルエンザのウィルスを運んだらしいです。
ところが、私自身はインフルの兆候は一切なし。
インフルエンザのウィルスは私の体を素通りしていったのでした。

 というわけで、ここにきてにわかに、私はバカではないかという疑念が沸き上がっていたのでした。
以前からその自覚はないでもなかったのですが、このような事実として突き付けられ、ちょっとショックです。
何をいまさら、と思われる方もおられるでしょうが、インフルも寄り付かないバカ、というのは想定外でした。

 ま、健康でよかったね、ということですわ。
なお、母親は快方に向かっておるようです。
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2017年02月01日

今こそペルシアンラブ――ホルガー・シューカイ

 今こそ、いろんな民族の音楽のごった煮である音楽を聴きたい。
ロックって、アメリカやイギリスの民族のごった煮からできた音楽だなぁ、と改めて思います。

と思っていたら、、ホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラブ」が記憶の底から浮かび上がってきました。
ホルガーおじさんは、ポーランド出身でドイツのバンド、カンで活躍した人ですが・・・

これです!

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2017年01月31日

プロレス政治?――トランプはヒールか?

 トランプが暴れていますね。
まるで、プロレスのリングに上がったヒール(悪役)みたいに次から次への反則技。
どこかの国の議員が、中東7か国の入国拒否を「非人道的で馬鹿げている」と言っていましたが、ホント、馬鹿げていて、トランプの支持者もドッチラケになって引いているのではないですか?

 しかし、プロレスのヒールというのは、実は冷静な判断を行える緻密な頭の持ち主で、意外と紳士というのがふつうです。
が、トランプの場合はどうなんでしょう?
この馬鹿げた大統領令の連発の裏に何か緻密な計算があるのでしょうか?
わたしのようなボンクラには分からない、少なくともトランプ自身に利する何かがあるのでしょうか?

 それとも副大統領あたりが、トランプを暴走させてその後釜に座る、というシナリオを書いているのでしょうか?
得するものがいないように見えます。
いや、反対運動がやけに盛り上がっている。
反対運動を盛り上げるためにやっているのでしょうか?

 卒論を読む合間にチラチラとテレビを見ていると、文脈が追えなくなり、アタマが壊れそうです。
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2017年01月29日

こうなるまで、よく我慢しましたね。――オイオイの言葉

 卒論の口頭試問の11/19が無事終了。
卒論を読むこと自体は、それほどしんどくはない。
むしろ、「へぇ、この学生はこんなことを考えていたのか」というような発見があって、それなりに楽しい。
が、いっときに11本の論文を読むというのはやはりつらい。
そして、11人の学生の口頭試問を次々とこなすのは、老化したアタマにはけっこうきつい。
ふらふらになって、第一週11人の試問を終えた。
背中がパンパンである。

 しかし、今まで頼りにしていた整体院がとつぜん閉鎖ということになり途方にくれました。
しかし、首から背中がもうガチガチで首が回らない。
で、苦し紛れにネットで大学近くの整体院を探し、評判のよさそうなところに行ってみました。

 わりと若い整体師さんでしたが、開口一番「よく、こうなるまで我慢しましたね」。
もう、この言葉だけで「オイオイ」と泣きそうになります。
営業的リップサーヴィスかもしれませんが、「どこが悪いんですか」と不思議がられるよりはよほどいい。
そして、ゴリゴリ指圧というのではなく、ちょいちょいと身体のゆがみをとっていくだけで、上がらなかった腕が上がったり、曲がらなかった首が楽に曲がったりするようになりました。
ひどく、感激!

 というわけで、この整体院に通ってみることにしました。
ホントにいい!と確信が持てたら、ちゃんと名前も公表します。

 ホント、こんなんなるまで、頑張って卒論読んでるんですよ!
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2017年01月19日

今こそトランボ――2016年の映像ベスト5

 例によって、年末年始のバタバタで、昨年の映像ベスト5の記事を今ごろ書きます。
ベスト1は、『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』。
今のアメリカを見ていて、この映画こそ今もう一度みられるべきと強く思いました。

 「赤狩り」という共産主義者弾圧の嵐が吹き荒れた暗黒の50年代に、投獄されながらも出所して偽名で映画を作り続けた男トランボ。
あの『ローマの休日』を友人名義で書いていたトランボ。
そのトランボが、その暗黒時代が過ぎて『ジョニーは戦争へ行った』という反戦映画をつくろうとしていた1970年、全米脚本家組合から功労賞をもらった。
そのときのスピーチが映画の最後に、ブルース・クックの原作からほぼそのまま引用されていた。

「おそらく、組合員の半数以上は、ブラックリストの時代が始まった当時、まだ子供だったか、生まれていなかったため、そのことを記憶していないのではないかと思います。そうした人たちのために、話しておきたいことがあります。ブラックリストの時代は悪の時代であり、どちらの側についても、あの時代を生き抜いた人たちはみな、悪の影響を被ったのです。個人の力ではどうにもならない状況で、みなそれぞれ、自分の人間性、必要性、信念、個々の事情に従って対応せざるを得ませんでした。どちらの側にも、誠実と不誠実、正直と不正直、勇気と臆病、利己主義と日和見主義、知恵と愚かさ、そして善と悪があったのです。巻き込まれた人々のほとんどは、どんな立場にあっても、自分自身や行いの中にこのような正反対の要素を併せ持っていたのです。
 私は常々、40代やそれより若い世代の君たちは、あの暗黒の時代を振り返るべきだと思っているのですが、そうした場合、悪漢やヒーロー、成人や悪魔を探しても、何の役にも立ちません。そんなものはいないからです。いるのは犠牲者だけです。味わった苦しみの大きさは人それぞれ違います。得をした人も損をした人もいるでしょう。しかし、最終的には、私たちはみんな犠牲者なのです。ほとんどの人が例外なく、言いたくないことを言い、やりたくないことをやり、意に反して傷を追わせたり負わされたりせざるを得なかったわけですから。だから、右派だろうと左派だろうと中立だろうと、長い悪夢から目覚めた私たちの誰もが、罪の意識にさいなまれているのです。」(ブルース・クック『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』、手嶋由美子訳、世界文化社、432頁)

 「いるのは犠牲者だけです」というスピーチに反対する人もあったという。
弾圧者や裏切者に対して寛大すぎるというのである。
そう言いたくなるのも分かる、がそれだけだと前に進めない。
トランボは、「右派だろうと左派だろうと中立であろうと」、様々な人と一緒に仕事をしていこうとする本物のコミュニストなのでした。
もうぼちぼちヴィデオになる頃でしょう。

 さて、そのほかでは、昨年公開の『続深夜食堂』を見損なったので、それではと購入した『深夜食堂』のDVD。
これがよかった。
それでテレビ版の1・2・3も順々に、結局全部買ってしまった。
もう小林薫が前掛け締めて、カウンターに立つだけで、幸せになれるシリーズでした。
最近は、もうこればっかり。
 
 これで、ベスト5になってしまいましたが、ミュージックヴィデオとして、ローリング・ストーンズのハバナ公演の『ハバナ・ムーン』。
これを見て、彼らが自分たちの音楽を人々に届けることにホントに喜びを感じる連中なんだなぁ、とうれしくなりました。


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2017年01月17日

卒論試問に向けて――頭の整理より部屋の整理

 先週、本年度の卒論が締め切られました。
 アメリカ留学中の(藤)先生のゼミの学生さんも含めて、なんと19名!
副査の先生のスケジュールや学生諸君のスケジュールを勘案しながら、なんと試問の時間割を黒板に作り上げました。
で、来週の最後のゼミまでに卒論で何が言いたかったのか、何がうまく表現できなかったかを、1000字以内にまとめておくよーに、と解散し、黒板を消しました。

 学生のいなくなったゼミ室でワーッと思わず叫んでしまったのはこの私です。
黒板にせっかく作った試問の時間割を消してしまったのでした。
薄く残った消し跡と記憶とそして問い合わせでなんとか復元。

 その時間割を教務に出して、論文のコピーを副査の先生方にお渡しして、やっと一息です。

 が、卒論試問を無事すすめるために、わが研究室を何とか試問のできる状態にせねばならないことに気が付いた。

 昨年までは、わが宗教学・死生学コースの卒論試問はぜんぶ(藤)先生のお部屋でやっとりました。
が、今年は、おられない。
アメリカで研修されておられる。

 というわけで、わが研究室の整理を始めたのですが、すぐ嫌になったのでこうしてブログってるわけです。
こんなことで、試問を進めることはできるのでしょうか?
整理しながら試問する・・・というのはあり得ませんね。
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2017年01月05日

今年もよろしく――カドワキ坊の煩悩日記

 みなさま、明けましておめでとうございます。
本年も、この「哲学科教員ブログ」並びにCKPカドワキをよろしくお願いいたします。
(今年は(藤)先生もご帰朝なさるので、ブログも賑やかになると思います。)

 さてさて、除夜の鐘からお正月三が日の行事が終わり、やっとこさの寝正月です。
そこで、煩悩日記・・・というより、これはアナログ日記かな?

 それは、年の暮れのことでございました。
暮れの忙しいのにテレビを見ようとリモコンのボタンを押すも反応がありません。
どうも、チャンネルボタンの一部が効かない、死んでしまったようなのです。
リモコンのチャンネルボタン、こう並んでますよね。

  123
  456
  789
  101112

この一列目の1,2,3がいくら押しても反応しないのであります。
で、炬燵に入りながら、しょうがないので1,2のチャンネル、つまりNHKおよび教育テレビを見るのをあきらめて、民放の年末スチャラカ番組をみとったわけです。
炬燵からはいずり出て、画面の横のチャンネルをいじるなどという大遠征は死んでもしない、という体制で炬燵にかじりついておったのですね。

 すると、そのリモコンの不調を聞いたわが息子は、やれやれという風情でこうアドヴァイスしてくれたのでした。

「リモコンのチャンネルを上下したら」

25歳の息子のこのアドヴァイスに、62歳父は即座に反応したのであります。
おもむろにリモコンを手に取り、それを上下にふったのでありました。
リモコンを上下に振ったとて、チャンネルは変わらんだろうな、とは思っていました。
思ってはいましたが、ま、ことデジタル機器に関しては若いもんの言うことは聞くべし、と思っておりますので、25歳息子のアドヴァイスに62歳父は素直に従ったのでした。
とうぜんのごとく、リモコンをいくら上下に揺らしても、チャンネルは微動だにいたしません。

 皆さんにはすでにお分かりのことと思います。
そうです。
息子はリモコン上にあるチャンネルの上下スイッチを操作したらと提案したのです。

「あ、そういうことか・・・」とこの時点で気が付いたひと、好きです!

ま、アナログ以前という気もしますが、ホント、昔、くるべという哲学科教員のボスがコピー機をうまく操作できなかったのをあざ笑ったバチが今ごろ当たってますな・・・

というわけで、今年もよろしく。
posted by CKP at 15:35| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

あたしこの本好きかも!――曽我量深述『未来に就いて』

 寒い中、本堂のそうじやらなんやかやに飽きてきましたので・・・。

 先日、今年読んだ本ということで
佐藤康邦『教養のヘーゲル『法の哲学』』
荒木一郎談『まわり舞台の上で
の2冊を挙げましたが、もう一冊思い出しました。

 越前市内のさる寺院の御遠忌の記念品としていただきました。
曽我量深述『未来に就いて』(樹心社)。
1971年6月に亡くなった曽我師の最後の法話、1970年11月10・11日のその「さる寺院」浄秀寺でのご法話を収録したもの。
曽我量深の文章や講演記録は、面白いけれどもよくわかないないのでたまにしか読まないのですが、これは素直にわかりやすかったです。
最後の法話という、そんな大事な法話が今までなぜ出版されなかったのか・・・というようなことも含めて興味深い本です。

 というわけで、今年の本ベスト3は
佐藤康邦『教養のヘーゲル『法の哲学』』
荒木一郎『まわり舞台の上で』
曽我量深『未来に就いて』
と見事なまでにバラバラです。
ついでに、佐藤康邦先生の『哲学史における生命概念』という放送大学のテキストが、『判断力批判』を中心に目的論のことが極めて分かりやすくまとめてあって大変にためになります。

 が、よく考えてみれば一番読んだのは、わっしぃの『折々のことば』でしょう。
その中では「あたしこれ好きかも!」つーのが、いちばん好きかも!
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2016年12月21日

雨のアムステルダム――オイオイの言葉

 今年になってTVドラマで映画化もされた『深夜食堂』にはまってしまいました。
もうどっぷりズブズブにはまっています。
オイオイ今ごろかよ〜ですね。

 小林薫が演じる食堂「めしや」のマスター。
新宿ゴールデン街のどこかにある夜中12時から朝7時ごろまで開いてる、メニューは豚汁定食と酒類(3本まで)の食堂。
でも、できるものなら何でも作ってくて、「お待ち!」とマスターが出してくれる。
いろんな料理にいろんな人生。
しみじみとした味わいがあって、また一話が25分ほどで見やすい。
何度も何度も見てしまいます。

 そして、気が付いた。
これが『あまちゃん』のすし屋のマスター・梅さんのモデルだったんだ。
まさに、じぇじぇじぇじぇじぇであります。
今までは、小林薫が30年ほど前に演じていた『イキのいい奴』というTVドラマのすし屋のマスターがモデルだと思っていたけど、『深夜食堂』の方がおそらく正解でしょう。
  
 というわけで、『あまちゃん』も見直さねばならない。
俳優さんもだいぶかぶってますもんね。

 で、その深夜食堂「めしや」の近くに「雨のアムステルダム」という店があって、その看板がときどき映る。
どんな店なんだろう。
気になってしょうがない。
「霧のロンドン」でも「花のパリ」でもなく「雨のアムステルダム」。
一度だけでも行ってみたいと思うのでした。
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2016年12月19日

カドワキ坊の煩悩日記――気持ちはお金で計れない?

 昨日は、このたび新たなご縁をいただいたご門徒さんのお宅で法要。
はじめての場所なのでカーナビをたよりに50分ほどクルマを走らせ無事到着。
つつがなく法要を終え、故人が好物だったという大福餅とお布施とうやうやしく頂戴しました。
あら、「お車料」まで。
こちらもうやうやしく頂戴する。

 ご丁寧なおうちだなぁ、と思いながら家路につきますが、信号待ちの時、「『お車料』ってどれくらいいただいたのかな」とお包みをのぞいてしまうのは、煩悩のかたまりであるわたくしです。
したら、中身はカラッポ。
え?うそーっと、「お布施」のほうものぞいてみると、こちらもカラッポ。
立派な字で「お布施」と書いてあるんですけどね。

 はて、どうしたものか?
引き返そうか?
いや、それははしたない・・・いや、お布施は仏さまにいただいたものだから・・・
いや、はじめての坊さんを試しているのじゃなかろうか・・・
いや、気持ちはお金では計れないということだろうか・・・
我が煩悩の心は千々に乱れます。

 寺に帰っても、別に「お金を入れ忘れました」という連絡はない。
ま、「お気持ち」をいただいたということで・・・とあきらめかけたとき、
「買い物から帰って、お布施の中身を入れ忘れたのに気が付きました!」
という電話がありました。
それに「あー、そうでしたか。まだ見ていませんでしたの気が付きませんでした」
と嘘をついて、さらに業を積んでしまいました。

「いったいいくら入れようと思っておれれたのか」
我が煩悩のタネは尽きることはありません。
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2016年12月13日

佐藤康邦著『教養のヘーゲル『法の哲学』』――それに荒木一郎

 いよいよ明日は討ち入りです。
「12月14日」と聞くと、反射的に興奮する私は異常体質なのでしょうか?
いえいえ、あの浅草のタヌキ之介なども、同じ穴のムジナであります。

 というわけで2016年もおしまいということで、恒例の「今年のベスト3(読書篇)」を書かねば・・・と思うのですが、よく考えてみたら、今年は、ヘーゲルをちびちび読むだけで、いわゆる「読書」的に読んだ本が全然ないことに気が付きました。
スミマセン。

 が、ヘーゲル関係で読んだ佐藤康邦先生の『教養のヘーゲル『法の哲学』 国家を哲学するとは何か』が大変面白かったので、今年のオンリーワンとして、ここに大推薦するものであります。

 といっても、ヘーゲルの『法の哲学』を読んで、「この本はいったい何を言ってるんだ?」と頭を抱えた人でないと興味がわかないかもしれません。
わたしはその「頭を抱えている」人間ですので、あの佐藤先生が140頁ほどの小さな本で『法の哲学』を論じておられるというだけで「おっ」という感じで読みました。
大変に読みやすい。
購入して一週間で二度読み通しました。
あのややこしいヘーゲルの概念がスラスラと理解できる。
さすがにヘーゲルからの引用はちょっとつかえるけれど、それを大変わかりやすくかみ砕いておられる。

 しかし、ヘーゲルが論じている問題は現代の問題と地続きであるというスタンスで書かれているので、ヘーゲルの『法の哲学』で頭を抱えたことのない人が読んでも、面白いのではないかと思います(たぶん)。
三元社というところから1500円+税で出ています。

 と書いてきて思い出しました。
今、寝る前にちびちびと読んでいる本。
荒木一郎『まわり舞台の上で』(文遊社)。
これがめっぽう面白い・・・が、こちらの方がヘーゲルより読者層を選ぶかもしれません。
「空に星があるように」「いとしのマックス」のあの荒木一郎です。
「バス通り裏」に出ていたあの荒木一郎。
この人、人気絶頂のときに、今年の高畑某のような事件を起こし(結局、不起訴)それ以後干されてしまってテレビなどでは見ることはなかったのですが、いろいろと裏方として活躍していたんですね。
例えば頭脳警察や桃井かおりのプロデュースなど。
そんな裏話が、淡々と語られて、なかなか本を閉じられない。
3000円余りする本ですが、それだけの読みごたえはある・・・が、荒木一郎って誰?というお若い方にはお呼びでない本ですね。
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2016年12月05日

じぇじぇじぇ!――先週金曜日の日刊ゲンダイ

 先週は金曜日にサンダーバードで越前に帰ったのでした。
で、「日刊ゲンダイ」を買って、列車の到着を待っておったのです。
「カジノ法案」についての記事に、ホントにこの国の政治家たちは何を考えているのだろうと暗澹なる気分になって読み進めてゆくと・・・・
「ギャンブル依存症に詳しい大谷大の滝口直子教授はこう言う。」
という文章が飛び込んできた。
同じ研究室棟の住人がこういう場所に登場なさっていると、「じぇじぇじぇじぇじぇ」と驚いてしまいます。

 おそらく、記者にとって滝口先生の言葉に説得力があったのでしょう。
けっこう長く先生の言葉が紹介されていました。
あまりに長いので、私が興味を持ったところだけ引用すると

「カジノの国際会議では、日本の個人金融資産をグラフにして、日本人はカジノで落とす単価が高く収益が見込めるからと言って、投資を呼び掛けています。・・・日本人を狙っているのです。」
恐いですね。

 ギャンブル依存症の研究というより、そのような苦しみを生きている人たちと共に考えるという滝口先生の姿勢に記者が共感して長い紹介ということになったのだと思います。
posted by CKP at 12:24| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月02日

『墓穴』をみる――いよいよ明日・明後日公演!!

「syubiro thater始動。
 福山俊朗が同世代の大人たちへ贈る、
 珠玉のエンターテイメント。
 初回を飾るは、
 関西ラジオ界の女王キヨピーこと
 谷口キヨコが満を持して舞台に挑戦!
 ヒロインを囲むのは 
 木内義一、坂口修一、福山俊朗と手練れの俳優たち。
 豪華なラインアップでお贈りします」

というわけで、ロームシアター京都ノースホールで、
 12月3日土曜日 19時
 12月4日日曜日 13時、16時
の3回の舞台があるそうです。
「墓穴」をどうするのか、興味のある方はどんぞ!

 と、いきなりなんでこんな案内を大谷大学の哲学科教員ブログでやっているかというと、
この劇のヒロイン役のキヨピーこと谷口キヨコさんが、現在、うちの大学院で学んでおられるからです。
あるときは京都芸大学長、あるときは折々おじさん、そしてあるときは大谷大学客員教授の鷲田清一先生や朴先生にみっちり指導を受けています。
そんなわけで、わたしの研究室にもポスターが配られたのでこうしてご案内する次第。
 
 しかし、谷口さん、「関西ラジオ界の女王」だったんですね。
いつもため口きいて,すみませんでした。
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2016年11月29日

言語の矛盾――音楽の嫉妬

 先ごろ、わっしぃの「折々のことば」に取りあげられたジョン・ケージのことばが、我がアタマに引っかかってはなれませぬ。

I have nothing to say and I am saying it.

これが、butで連結された文ならば、「言うことは何もないって、それを言っているじゃないか!」という揚げ足取りの突っ込みなのだろうが、andで結ばれた場合は、そうはなっていないように読める。
わっしぃによれば、ケージはこのことばをよく口にしたという。
 
 思うに、ケージは音楽の立場から、言語に嫉妬していたのではないでしょうか?
「何も言うことはない」と言うことができる言語に、音楽は憧れた。
矛盾を平気で抱え込む言語に、音楽は嫉妬した。
しかし、音楽は「何も言うことはない」を、「演奏しない」ということでしか表せない。
言語のように、発話主体と文の主語が平気で矛盾するということができない。
「何も言うことはない」は、4分33秒、ピアノを弾かないということでしか表現できない。

 と、ここまで考えて、待てよ、とケージの曲をフッソングというアコーディオン弾きが引いているCDを取り出してみる。
すると、そこでは常に音がなっている。
アコーディオンのふいごから空気が送られている間、ずーっと音が鳴っていて、その上にメロディが流れる。
となると、ずーっと流れている音はメロディという図に対する地として、背後に退き、沈黙と同じ役割を持つ。
そこでは、確かに音が沈黙を表現するということになる。
が、それはあくまでもメロディに対しての地としての沈黙。
(この音のある地と音のない地をヘーゲルの論理学の最初の存在=無⇒生成の説明に使うとよく分かる!)

 が、もういっこ、高橋悠治が弾くプリペアド・ピアノはいったいこれと関係あるのか?
ピアノの弦にいろんなものを挟み込んで演奏するプリペアドピアノをケージは発案した。
どんな音になるかは弾いてみなければ解らない。
久しぶりにLPを引っ張り出し聞きましたが、なかなか、ミニマル・ミュージックとして気色よろしい。

 これと先の言語への嫉妬を合わせて考えた。
この間、ずーっと考えていたのです。
もらえなかった「お礼」のことばかり考えていたのではないのです。

 で、まったくの思いつきですけど、ケージは水墨画の世界を音楽で表現したかったのではないか?
描き残しというか、まったく塗られない広大な空間が平気で広がる水墨画。
しかし、その「何も描かれていない空間」が何かを伝えてくる。
しかも、その線は、かすれていたり、墨のしずくが垂れていたりすることもある。
作品を偶然に平気でゆだねている。
そんな音楽を創りたい・・・・

 それがどうした、と言われると困るのですが、雪舟あたりの水墨画を想いながら、ケージを聴くとなるほどとけっこう納得して気持ちよく聴けるのでした。




posted by CKP at 17:58| Comment(1) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする