2010年03月20日

バークリより

 
 考える人はほとんどいないのです、それなのに、だれもが意見をもつでしょう。だから、人々の意見というものは、表面的で、混乱しているのです。
         (『ハイラスとフィロナスの三つの対話』1713年)

 バークリ(George Berkeley, 1685-1753)はアイルランドの哲学者であり、聖職者。私の見る家、山、川、木々、私の触れる机、ペン、かすかに響く音、かぐわしい香り・・・、これらすべては私によって知覚されたものであり、私の心の中の観念にほかならない、と彼は大胆にも主張する。

 外的な「物質」の存在を否定し、外的な「世界」の実在を否定する非物質主義の立場は、1710年に出版された『人知原理論』で表明され、その立場を彼は、その後さらに『三つの対話』で説く。

 ハイラス(Hylas)という名はギリシア語の「ヒューレー」(素材、質料、物質)に、フィロナス(Philonous)は「フィロ」(愛する)および「ヌース」(知性)にちなむ。上記の引用は、バークリがみずからの立場を託したフィロナスの、第二対話での言葉。


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2009年12月28日

ルクレティウスより

  それゆえ、心のこの恐怖と暗黒を追い払うものは、
  
  太陽の光明でもなく、白日のきらめく陽射しでもなくて、
  
  自然の形象と理法でなければならない。
        
           (『事物の本性について』第1巻146-148行)

 ルクレティウス(前94?-51?年頃)は、ローマの詩人哲学者。六巻からなる『事物の本性について』(De Rerum Natura)一作だけを残して世を去った。生没年をはじめ、その生涯について確かなことは何も知られていない。エピクロス(前341-270年)を師と仰ぎ、彼の哲学に救いを見出して、原子論に基づく世界観を展開した。
 人を、生の不安、死の恐怖から解放するものは、自然(事物の本性)の研究であるというエピクロスの立場(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第10巻142節)を受け継ぎ、彼の詩の鋭さは増す。不安や恐怖なき状態が、こう表現されるまでに。

  楽しいことだ、平原にくり広げられる大きな激戦を
  
  わが身の危険なくして眺めることは。

             (『事物の本性について』第2巻5-6行)
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2009年08月14日

門脇健「今、葬儀を考える」前・後編 (「人間といういのちの相」『同朋新聞』、2009年7/8月号)

下記をクリックすると、pdfファイルの記事が開きます(かなり重いので、気長にお待ちください)。記事はCKP臨床宗教学/死生学研究の一環です。それにしても、8月号の表紙写真、よい写真ですね。

7月号1面
7月号2.3面
8月号1面
写真/井上隆雄『おのずからしからしむ〜人間・親鸞のいのちとこころ、その生涯に歩く』(東本願寺出版部)より
8月号2.3面
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2009年02月21日

デカルトより

一生に一度は、すべてを根こそぎくつがえし、最初の土台から新たに始めなくてはならない。
 (『省察』、1641年)


 これは「第一省察」冒頭の一文。生まれてすぐに母を亡くしたデカルト(1596-1650)は、母から空咳と青白い顔色を受けつぎ、彼を診た医師たちはみな、彼の夭折を宣告したという(バイエ『デカルト伝』)。
 
 学業を終えたデカルトは入隊し、旅をし、哲学(学問全体)の基礎と統合について思いをめぐらす。人々との交わりを避け、フランスを離れ、後半生を隠棲の地オランダで研究に打ち込むが(1628-49)、晩年スウエーデン女王クリスチナに招かれ、ためらいの末、49年9月ストックホルムに赴く。年を越して一月、真冬の早朝午前5時の進講。肺病にかかり、2月11日午前4時、彼は息をひきとった。
 
 彼の人生最大の悲しみは、まだ5才の幼子であった娘フランシーヌが亡くなったこと(1640年9月)。翌年8月、パリで、不朽の著作『省察』が出版される。
 初版の正式なタイトルは、『神の存在と魂の不死とが証明される、第一哲学についての省察』。
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2008年11月14日

マルクス・アウレリウスより

もはや、さまような・・・さあ、目的へ向かって急ぐのだ。
もろもろのむなしい希望を捨てて、君自身を助けよ。
まだ間に合うかぎり、君が君自身のことを何ほどか気にかけているかぎり。
                  (『自省録』第3巻14節)

 マルクス・アウレリウス(後121-180)は、古代ローマの皇帝であり、ストア派の哲学者。帝国の状況が悪化しつつあった161年に即位し、180年に遠征の地において病死するまで在位した彼は、治世中、度重なる戦乱と反乱のために、戦いの日々を送らざるをえなかった。
 『自省録』は、マルクスが晩年の約10年間に、遠征の陣中などで、自分の人生を見つめ、自分を励ますために書き綴った哲学ノート。この書の原題は、「自分自身のために記された事柄」(タ・エイス・ヘアウトン)。
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2008年02月19日

マードックより

待ち望まれているのは、光明をもたらすような経験である。
        (『倫理への道標としての形而上学』、1992年)

 アイリス・マードック(Iris Murdoch,1919-1999)は、イギリスの傑出した女性作家であり、哲学者。アイルランド人の両親をもつ彼女は、ダブリンに生まれ、ロンドンで育ち、オックスフォードで哲学を含む古典学を学んだ。
 1942年に卒業した彼女は、大蔵省を経て(1942-44)、国連救済復興機関に勤め(1944-46)、ベルギーやオーストリアで難民救済事業にたずさわった。
 そこで目撃したのは「人間社会の全面的な崩壊」であり、1947年、彼女はケンブリッジで哲学の研究を再開する道を選ぶ。2年後オックスフォードに戻り、以来15年間にわたって哲学の教育・研究に従事し(1948-63)、その後は著述に専念する日々を送った。
 『善の至高性』(1970)などの哲学に関する諸著作のほかに、彼女は『網のなか』(1954)を皮切りに次々と小説を発表していった。晩年に記憶を失う病におかされた彼女は、1999年2月8日、ついに帰らぬ人となった。
 身悶えする苦境において「待つ」こと、「注意を傾けること」の大切さを知っていた彼女は、上記引用の著作のエピグラフに、ヴァレリーの次の言葉を選んだ。

       困難は、光である
      
       乗り越えがたい困難は、太陽である
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2007年12月05日

エピクロスより

哲学をするふりをするのではなく、本当に哲学をしなければならない。われわれが必要としているのは、健康の見せかけではなく、真に健康であることなのだから。
       (『ヴァチカン箴言集』54)

 エピクロス(前341-270年)は、地中海東部のサモス島で育ち、後にアテナイで学派を開いて、みずからの「庭園(ケーポス)」で多くの友人たち、弟子たちと、生活を共にしながら哲学に励んだ。
 デモクリトスの原子論を継承し、また快楽を人生の目的と見る「快楽主義」であまりにも有名な彼は、ワインを飲み、チーズも口にしたが、ふだんは「水とパンさえあれば十分」な哲学者であった(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第10巻11節)。
 多作であった庭園の哲学者エピクロスの著作は300巻にのぼるが(同26節)、今日ほとんど現存せず、3通の哲学書簡と『主要教説』40箇条が残るのみ。しかしながら、かなりの断片が伝えられており、1888年にヴァチカンの写本のなかに発見された81個の箴言は、『ヴァチカン箴言集』として集録され、書簡や『主要教説』とともにエピクロスの思想を知るための貴重な資料。
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2007年05月08日

ヘーゲルより

ミネルヴァのふくろうは、迫り来る黄昏とともに飛び立つ。
              (『法の哲学』序文、1820年)

 ヘーゲル(1770-1831)の言葉のなかでも、最も有名なもののひとつ。
 ミネルヴァは古代ローマにおける技芸、戦い、知恵の女神。ギリシアのアテナに相当する。ホメロスの時代(前8世紀)より、「輝く眼の(グラウコーピス、ふくろう眼の)」アテナと言われ、ふくろうはアテナを象徴する鳥。
 「ミネルヴァのふくろう」とは、ここでは知恵を愛する哲学をたとえたもの。
 文意は、哲学(ミネルヴァのふくろう)は、時代が衰退(黄昏)に向かってはじめて躍動する、ということ。さまざまな意味を汲み取ることのできる含蓄深い、華麗な言葉。
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2007年02月09日

ヘラクレイトスより

太陽は日ごとに新しい(断片6)

 ヘラクレイトス(前500年頃)は万物流転説で著名な哲学者。すべては流れ、すべては刻々と変化する。帰らぬ時を思い、流れゆく今を見つめ、かくして彼は、「人は同じ河に二度入ることはできない」(断片91)と記したのであろう。
 しかし、ふたたび灯る太陽の日々の新しさは、世界の、そして人間の生の回復を暗示する。
 およそ百年後プラトンは、哲学の学び方を誤り、哲学から離れ去る人々の多数について、このイメージを転用して語った。
 「彼らの内なる火は、すっかり消えてしまう。もう二度と点火されることがないだけ、ヘラクレイトスの太陽よりもずっと完全に」(『国家』第6巻498A-B)
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2006年11月15日

ジェイムズより

人生は生きるに値する、と信じるなら、あなたのその信念がその事実をつくり出す助けとなるだろう。
(「人生は生きるに値するか?」1895年)

 ジェイムズ(William James, 1842-1910)はアメリカを代表する哲学者の一人。医学から心理学、心理学から哲学、宗教へと向かった彼は、根本的経験論とプラグマティズムの哲学を展開した。
 世界は、一つの視点、一つの原理によっては説明し尽くされないさまざまな可能性をもつ。われわれの人生も同様。このことを彼は、今では顧みられないフランスの哲学者ルヌーヴィエ(Charles Renouvier, 1815-1903)から学んだ。 
 「定かでない結果を前もって信じることが、非常にしばしば、その結果を実現する唯一の要因である」とジェイムズは言う。

 
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2006年10月05日

ラッセルより

群衆はよろこび、私もよろこんだ。しかし、私は前と同じく孤独だった。
        (「第一次世界大戦における平和主義者の経験」1956)

 ラッセル(Bertrand Russell, 1872-1970)は、20世紀イギリス屈指の哲学者、数学者。
 第一次世界大戦中、彼は「平和主義宣伝」のかどで4カ月半投獄され、1918年9月に釈放された。それから2カ月後の11月11日午前11時、待望の休戦が発表されたとき、彼は、ロンドン中心部のトッテンハム・コート・ロードにいた。二分以内にあらゆる店、あらゆるオフィスのあらゆる人々が街にあらわれ、ドイツとの戦争終結をよろこんだ。
 が、晩年の『自伝』(1967-9)によれば、そのよろこびのさなか、まるで「他の惑星から偶然落ちてきた幽霊のように」不思議に孤独を感じ、かくして彼は、このような言葉を記した。
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2006年03月17日

エンペドクレスより

「わたしは嘆き、わたしは泣いた、見知らぬ土地を見て」(断片118,『カタルモイ(浄め)』所収)

 エンペドクレス(前495〜435頃)は南イタリア、シケリア(シシリー)島出身の哲学者。医者であり、弁論家でもある。
 「見知らぬ土地」とは、われわれの住むこの世界のこと。それは、彼によれば、

 「輝く太陽、大地、天空、そして海」からなる世界(断片22より,『自然について』所収)。

 だが、彼は自分の生まれ落ちたこの地上の世界に、そのままなじむことができなかった。こうして彼は、別の世界に激しく憧れた。
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2006年03月10日

プラトン『パイドン』より

 「明日になればきっと、パイドン、君はこの美しい髪を切るのだろうね」(プラトン『パイドン』89b)

 ソクラテスが刑死を迎える日、彼に親しい人たちは朝早くから牢獄に集まった。迫りくる死を前に、希望を語るソクラテス。彼に対して、魂が不死であることの論証を、彼らは求めた。論証は成功するかに見えたが、強力な反論によって頓挫する。そのときソクラテスは、そばに坐っていたパイドンの髪を握り、この言葉を口にした。髪を切るのは、悲しみのしるし。

 「そうなるでしょう」と答えたパイドンに、ソクラテスは言う、

 「今日にでも切らなくては、ぼくはぼくの髪を、君は君の髪を。もしぼくたちの議論が死にたえて、ぼくたちがそれを甦らせることができなければ」

 自他を励まし、ふたたびソクラテスは論証に乗り出した。
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2006年03月02日

ソクラテスから

「もう少しで、自分を忘れるところでした」(プラトン『ソクラテスの弁明』17a)

 これは、裁判で被告のソクラテスが、彼を訴えた人たちの雄弁な発言を聞いて、思わずもらした言葉。ソクラテスの人生と哲学の原点を垣間見ることができる。このような場面で忘れ去られなかった「自分」が、ソクラテスにとって、おそらく最も大切なものだったであろう。
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