2009年06月29日

平穏な日々(『同朋』1996年6月号)

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 やむをえぬ事情で、四月に滋賀県から千葉県柏市に引っ越しました。と言うと、大谷大学をやめて関東の大学に勤めることになったと早合点して、君の後任に僕をと言い出す厚かましい輩が多いのには驚いた。そんな連中には、授業時間が週の真ん中に固まっているので、そのときだけ京都に出てくるのさ、お生憎さまと言ってやることにしている。
 東京・京都間の往復が、いくら新幹線を用いるにせよ、大変ではないか、疲れるのではないかと心配してくれる心やさしい人々もいる。確かに疲れるとは思うが、多くても一週間に一度のことであり、そのうちそういった生活のリズムにも慣れるはずである。今回の転居にあたって問題となったのは、もっと別のことである。
 第一は、子供たちの学校の問題。上の娘がこの四月から高校三年生、下の娘が高校一年生。次女に関しては、私立の高校への推薦入学で早目に見通しが立った。それに比べて長女の場合は、三月中旬まで四月以降の身の振り方が決まらず往生した。高校三年への転入ということになるのだが、そもそも転入生を受け入れてくれる高校がなくては話にならない。受入れ可能な高校のリストが発表されたのが三月初旬、試験が三月一五日。このときばかりは、なんとか合格してくれと祈るような気持ちで結果を知らせる電話を待ったものである。
 第二は、犬をどうやって運ぶかという問題。体重一三キロまでの犬であれば手荷物扱いで鉄道に乗せられるが、我が家の犬は一五キロ。二キロぐらい分りはすまい、ごまかしてしまえ、ごまかしてしまえ。ということで、犬を入れて運ぶ容器を思案する。これが最大の難関。手頃な段ボール箱に押込もうとしても、入らない。餌でつっても、食べ終わると箱から飛び出してしまう。日頃ちゃんと躾をしておけばよかったと悔やまれた。
 また、ペットショップで犬の運搬容器を発見したものの、あんな大きな容器を手で提げて駅の階段を上り下りすることなど到底不可能である。その問題を解決したとしても、新幹線の中でどこに犬を置いたらよいのだろう。他の人の迷惑にならないように、グリーン個室にしなくてはいけないのではないか。さらに、東京駅から柏駅まで、あの混雑した中をどうやって運ぶというのか。
 結局、鉄道を利用することは諦め、知人に頼んで自動車で犬を運ぶことにした。引っ越しの朝、新幹線を利用する子供たちを送り出してから、犬と犬が一番懐いている妻と私、一匹と二人は知人の運転してくれる車で柏へと出発した。そして、およそ八時間後われわれは無事新居に到着した。かくして今回の引っ越し騒動も一件落着かと思えたが、それは甘い判断であった。いざ生活するとなると問題が続出した。
 台所と風呂、便所、それに四畳半と六畳の部屋。半年ほどの仮の住居ということで家財の大半は元の家に置いてきたとはいえ、手狭であることは否めない。たとえば、風呂に入るとき台所で脱衣しなくてはならない。それから、部屋についているコンセントの数が足りない。台所に冷蔵庫と電子レンジを置くと、電気炊飯器や電気ポットのための電源が確保できない。また、水漏れのする蛇口を直そうと思っても、そのための工具がないし、パッキングのゴムがない。
 子供の学校のことにしろ、犬のことにしろ、コンセントや水道の蛇口のことにしろ、平穏な日々というものは、小さな事柄をも含めて、なんと多くのものによって支えられていることだろう。それらが失われたとき、初めてその重要さにわれわれは気づくのである。
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2009年05月29日

個性と伝統(『同朋』1996年5月号)

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 五月は祭りの季節であった。勉強よりも遊ぶことの好きな子供にとって、いや大人になっても、日常の勉強や仕事をしなくていいというだけで、心が浮き浮きした。だが、祭りにもそれなりのしきたりがある。たとえば端午の節句、つまり子供の日には鯉幟を立て、粽を食べ、背を計り、菖蒲湯に入ったものだ。日常から抜け出るのも、他の人々と同じ仕方で行われていた。祭りは共同の行為であった。
 今日、子供の日に右にあげたことをすべて行っている家庭がどれだけあるだろうか。アパートに住んでいたのでは、鯉幟を立てる場所がない。背比べをして柱に傷をつけては、出ていくときに修繕費を要求されかねない。自分の家をもっていても、鯉幟を立てるには敷地が狭すぎる。粽を買ってきても、大して旨くもないと子供たちは喜ばない。こうして、共同の行為としての祭りは死んでいく。
 現在、五月は大型連休の月である。人々は仕事から解放されて遊びにでかける。皆が同じように東京ディズニーランドにいき、香港やハワイにいく。ここでは、同じことがなされてはいるが、共同の行為がなされているわけではない。各個人が、各家族がばらばらに、それぞれのしたいことをしているにすぎない。
 各人が各自の欲するところを追求する、これは悪いことではない。いやむしろ、それこそが個人の自立であると戦後教育の中で推し進められてきた。個性を大事にという言葉も、そのような意味合いで使われてきた。けれども、われわれは個性的な人間になりえたのだろうか。
 テレビや雑誌で今年は黒が流行ると言われれば、黒い服を買う。どこそこのレストランが旨いと聞けば、わざわざそこまで出かけていく。一体どこに個性なるものがあるのか。他人の意見に従うだけのまったく非個性的な在り方でしかない。自分では自立的個性的に振る舞っているつもりで、実は操作され踊らされているにすぎない。これがわれわれの現実の姿である。
 個性などない、大切なのは共同的な伝統である。こういう意見が出てきても不思議ではない。実際、ひたすら好き勝手なことを追い求めるわれわれの姿は浅ましくさえある。それに対して、秩序をもった在り方はなんと美しいことだろう。しかし、ちょっと待ってほしい。どこにその秩序あるいは伝統なるものがあるのか。
 最初に述べたように、共同の行為としての祭りは死滅し、現在行われているのは観光としての、イベントとしての祭りでしかない。そのように伝統や秩序自体も危機に瀕しているのである。このことから目を背け、言葉だけで「伝統」や「秩序」をいくら唱えたところで、それは無意味であり、無効である。
 個性にせよ、伝統あるいは秩序にせよ、それらが欠けているときに、声高に主張されるものである。したがって、個性であるとか、伝統であるとか言われるものを、徹底的に吟味してみることが必要である。他人に言われてそう信じているだけではないのか。
 個性と伝統、これらを対立するものと考える発想自体が間違っている。伝えられてきたものをそのまま引き継ぐだけでは、伝統は死滅する。つまり、その時代の現実から遊離してしまう。逆に伝統をまったく無視すれば、そこには無秩序しか残らない。それまでの伝統を変形し、越えることで個性は輝くのである。
 自らの個性がどれほど伝統から影響を受けているのか、伝統はどの部分が力を失っているのか。真に個性的で美しい人間となりうるとしたら、なりたいのなら、この問題を考え抜くしかないだろう。
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2009年03月29日

街を楽しむ(『同朋』1996年3月号)

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 初めての土地に着いたときの、あの不安でいて同時に期待に満ちた気分はなかなかよいものだ。見るもの、聞くものすべてが新鮮で、驚かされることばかりである。もっとも、日本全国どんなところに出かけても、似たような店がならび、同じような商品が売られている。したがって、最初に感じた一種の高揚した気分はすぐに萎え、幻滅に襲われることになる。
 それではというので外国に出かけても、よい結果はあまり望めない。たしかに、言葉や風俗、習慣は違っていても、それらのことはすでに外国旅行に出発する以前に旅行ガイドブックで確認ずみのことにすぎない。前もって知っていることを再確認しながら、これは一見に値すると書かれていたから、「美しい、素晴らしい」と言うだけである。
 要するに、案内書を通してものを見ていて、自分の目を全然使っていないのである。自分の目でものを見る。言うのは簡単だが、いざ実際に行うとなると、これがきわめて難しい。たとえば印象派美術展を見にいっても、絵そのものを見るより先に、つい作者名の書かれたカードに目がいく。そして作者がモネであることを確認してから、ウウムと感動する。なんとも情けない俗物根性である。
 自分の目でものを見るということがこれほど難しいのには理由がある。というのは、ものを見るということには、見たことについての判断が同時に要求されるからである。つまり、見たことについての自分なりの判断が下されてはじめて、自分の目で見たと言いうるのである。自分の目で見るとは、自分の頭で考えるということでもある。
 自分で考えるためには、自分の目の前にあるものを徹底的に知る必要がある。それが絵であれば、遠くから近くから見て見て見抜く。また、それが都市であり、街であるなら、その土地の隅から隅まで歩き回る。いわば、自分と対象(絵や都市、街)との距離を可能な限りゼロに近づける。極端なことを言えば、絵ならば模写をし、都市ならばそこで生活してしまう。
 初めての土地での高揚感が幻滅に終るのは、実は、その土地がつまらない月並な都市だからではない。その土地をありふれた都市と見る、こちら側の見る目にこそ問題がある。商店や商品にしか注意を向けず、そこで営まれている生活の表面だけを見るような、そんなわれわれの見方からは、その土地の面白さを捉らえることができるはずがない。
 学会などで初めての土地を訪れるとき、その土地の食べ物も楽しみだが、それ以上にわくわくするのは街の散策である。ホテルに荷物を預けてから身軽ないでたちで街に飛び出す。東京とか大阪といった馬鹿でかい都市は別にして、ほとんどのところは一時間も歩けば街の端から端まで行くことができる。
 ホテルの受付けでもらった簡単な地図をたよりに、足のむくまま気のむくまま歩き続ける。疲れたら休み、喉が乾いたら自動販売機か喫茶店を捜したらよい。そんなことをして三時間ほど歩き回っているうちに、街全体の配置が頭に入る。そうしたら今度は、古本屋なら古本屋だけを、あるいは和菓子屋なら和菓子屋だけを目当てに歩く。こうしてその街を自分の足で知っていく。
 二日ほどの滞在で知ることのできるのは、その街のほんの一部分にしかすぎない。だが、そのとき知りえたものは、確実に自分の目を通して獲得したものである。この小さな獲得物が将来なにかの役にたつかどうかは問題ではない。すくなくともこの方が、初めての土地を真に知る可能性をもっているし、なによりも、不安と期待に満ちたあの気分を楽しむことができるではないか。
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2009年03月01日

大変貌(『同朋』1996年2月号)

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 風邪の季節である。いくら注意していても、日頃の不摂生もあってか、どこからか風邪を頂戴してしまう。そんなときは栄養をとって、暖かくして寝ているのが一番である。とはいえ、仕事や事情があってそうもいかないことがある。
 高校生の頃は、現在と違ってまじめ人間だったので、学校を休むとか遅刻するなどもってのほかと考えて、無遅刻・無欠席を目指していた。したがって、三九度の熱があっても這うようにして学校へいった。今にして思えば、馬鹿げたこと、無茶なことをしたものだ。そうやって苦労して成し遂げた三年間の皆勤賞として卒業式のときに手にしたものは、一枚の表彰状だけだった。それでも満足であった。自分が自分に課したことを実現した、そのことこそに意味があるのだから。
 このように皆勤賞を狙う人間がいる反面、毎日毎日遅刻をする者もクラスにはいた。どんな遠くから通ってくる学生かというと、それが学校から歩いて一〇分ほどの所に住んでいるのである。その気になれば、遅刻など到底するはずのない距離である。毎日遅れてくる彼の考えが、自分には全く理解できなかった。いや内心、駄目なやつだと軽蔑さえしていた。
 ところが、あるとき本を読んでいて、彼がなぜ遅刻をしたかが分った。内田百閧セったと思うが、こう書いていた。家が学校から近ければ近いほど遅刻をしやすいものだ。家から学校まで距離があれば、いつもはバスでいくところをタクシーでいくことで時間を短縮でき、遅刻を回避できる。しかし、家と学校との距離が近いと、そのような策はとれない。遅くなったと感じたとき、すでに遅刻は決定してしまっているという訳である。
 ああこんな考え方もあるんだな、自分のものの見方は狭く、偏っていたな。これが、内田百閧フ文章に出会ったとき最初に感じたことである。それまでの自分は、遅刻ということをすぐに道徳に結びつけて判断していた。それに対して百閧ヘ、遅刻ということをもっと自由に、道徳にとらわれることなく考察しているではないか。
 人間にとって道徳や倫理はゆるがせにできない重要なことではある。だが、すべてを道徳や倫理に還元してしまうのは、つまり道徳や倫理に結びつけて判断するのは一面的である。道徳や倫理は人間のある側面に関わるものでしかなく、人間というものは、もっと不思議な、もっと複雑なものであり、その不思議さにこそ目を注ぐべきである。
 倫理学を専攻し、人間の善悪ということをひたすら考えているうちに、いつのまにか倫理主義という狭い視点に縛られてしまう。そんな傾向のあった自分から、心のこわばりとでもいうものを内田百閧ヘ拭い去ってくれた。そのおかげで、どんなに気が楽になったことだろうか。
 百閧フおかげで気が楽になったことがもう一つある。それは、読んだ本の内容は忘れてもよいという彼の文章に出会ったことである。読んだ内容を忘れてしまったとしても、その内容が一度はわれわれの頭を通過しているのだから、読まないのと読んだのでは決定的な差がある。したがって、内容を忘れることを恐れる必要はないというのが、百閧フ主張である。それまでは、読んだことはすべて覚えていようと、肩肘張って本に向っていた。にもかかわらず、読んだ内容をけろりと忘れて、自己嫌悪に苦しむのがおちだった。だから、この言葉のおかげで、読書を楽しむことができるようになった。
 以上のような経過で、かつての四角四面なまじめ人間の自分は、現在の怠け者のふまじめ人間へと大変貌をとげたのである。
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2009年02月03日

時間の壁(『同朋』1995年4月号)

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 予備校時代の友人が電話を掛けてきた。異なった大学に進んだものの、ときどきは喫茶店で話をしたり、一緒に遊びにでかけたりしていた。ところが、いつのまにか会うこともなくなり、大学を出てからは手紙のやりとりもなくなってしまった。そして、かれこれ一五年ぶりの今日の電話である。
 お互いの近況報告から始まって、共通の友人についてまで、話すべきことは沢山ある。ただ、ただ、懐かしくて友人の声に耳を傾ける。それが、一つの言葉で断ち切られた。こちらを呼ぶのに、君はでなく、先生は、と言う。おそらく彼は、医者の世界で日常お互いを先生と呼んでいるのだろう。また、こちらが大学に勤めていることも一つの要因となっているかもしれない。
 それにしても水臭い。たった一年とはいえ、机を並べて勉強した仲ではないか。毎日、放課後夕方まで自習室で数学の問題を競争で解いていたのに。どうして、当時のように呼んでくれないのだろう。
 こんな経験は前にもある。現在は銀行に勤めている高校時代の友人に二〇年ぶりに会ったとき、彼の至極丁寧な言葉遣いに、どう対応したらよいものかどぎまぎさせられた。そして、彼にとって自分は友人というよりも、むしろ銀行の顧客として見られているのかと、つい考えてしまう。
 逆に、もしかすると彼のほうでは、何年も会っていないのにいやに馴れ馴れしいやつだなと、こちらのことを思っていた可能性もある。各人の判断の基準は、それぞれの日常に置かれている。したがって、友人の丁寧な言葉遣いも、銀行員である彼には当然のことで、こちらの親しげな態度のほうが訝しいものに感じられたにちがいない。
 たしかに、医者の世界や学校関係では、お互いを先生と呼ぶのが日常のことだ。だからこそ、電話を掛けてきた医学部の友人も先生という言葉を使ったのだろう。けれども、その日常なるものは、ある特定の日常でしかない。つまり、医者の、大学の、銀行関係の世界の日常でしかないのである。
 その特定の日常、つまり限られた自分の世界にしか通用しない言葉ないし態度を、それ以外の世界の人間に対しても用いるから、面倒なことになる。さらに困ったことには、そのことを当人は全然気づいていないのである。学校関係でしか通用しない言葉を、町会の寄合いで使っていないともかぎらない。用心しなくては。
 しかし、このような擦れ違いが生まれるのも、当然といえば当然である。われわれはなんらかの仕事について、なんらかの特定の世界を日常として生きるしかないからである。ある世界に長く生きることで、われわれは自らの地位を築き、信用を獲得する。現在はこれまでの過去の上に成立しており、その過去の刻印が現在の物腰として現れる。
 考えてみれば、彼等と一緒に過ごしたのはたかだか数年であるのに、会うことが途絶えてからすでに一五年以上が経過している。かつては共通の世界に生きていたとしても、時間の壁に隔てられて、現在の生きる世界が異なっていてもおかしくはない。とすると、昔のような物腰を要求するのが、そもそも間違っているのだろうか。
 そんなことはない。どんなに自分の仕事に専念し、自分の日常世界に深くかかわって生きていようと、そこから身を引き離すことができる。すくなくとも、そう努力することはできる。それが人間の自由というものである。時間の壁は堅固であり、乗り越えがたい。だが、われわれにはその壁を壊し、共通の世界を取り戻すことができるはずだし、できねばならない。
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2008年12月31日

言うだけはただ(『同朋』1995年3月号)

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 学生時代、友達の紹介で面白いアルバイトをした。夜、女性たちばかりの部屋に遊びに行き、話をしたりゲームをしたりするだけで、帰りになにがしかのお小遣いが貰える。なんとも不思議な、有難くも楽しい仕事ではあった。行ってみて分ったことだが、そこはデートガールの事務所で、客からの電話を待つ数人の女性がいた。
 こういった職業ではめずらしく、暴力団とは関係なしに五〇すぎの女性が、ほそぼそと自宅のアパートの一室で営業しているのであった。そのため、若い男たちが何人か出入りしている方が心強いというのである。今考えてみると、あまり説得的な理由ではないが、当時はこちらも若かったから、そんなことは気にせず喜び勇んで出かけたものである。
 そのとき、紹介してくれた友人から忠告されたことがひとつある。ただより高いものはない、と。チャンスは十分にあるけれど、そこで働くデートガールたちに決して手を出してはいけない。つまり、変な関係になると大変だよと友人は警告してくれたのである。
 ところが、当時、倫理的完全主義者であった自分は、彼の言葉をひとつの職業倫理として理解しようとした。仕事の場とプライベートの場との区別というかたちで。大学に勤めてからも、女子学生と教員が結婚するという話を耳にするたびに、このことが思いだされた。
 もっとも最近は、すこし違った解釈をしている。ただより高いものはないという言葉を、もっと素直に理解したらどうだろう。ただし、高いものにつくという結果にではなく、むしろ原因としての「ただ」ということに目を向けるべきである。
 ただ、と思うところに、すでにわれわれの発想の誤りがあり、そこから数々の困った問題が生ずる。空気や水について明らかになったように、ただのものなどない。ただであるかのごとく見えてきたか、見てきたにすぎない。長い間、家庭での主婦の労働はただと看做され、稼ぐのは男という偏見が支配してきた。
 見えるものはまだいい。見えないものがただでないことを理解するのは難しい。さらに言えば、見えないがゆえに、見えないことをいいことに、ただであるとわれわれは都合よく考える。たとえば、親切や正直、それをわれわれは心の問題であると言う。そして、情操教育の重要性を説く。だが結局のところ、心を見ることはできない。したがって、心の問題はただで済まされる。実質的にはなにもなされない。
 二〇年以上前から、物の時代は終わってこれからは心の時代だと言われてきた。多くの人々がそう主張した。それなのに、依然として物の時代であり、心は軽んじられている。さまざまな事件を切っ掛けとして、心の大切さが言われる。しかし、それは言われるだけである。言うだけはただなのだから。
 物がただでないのと同様、心もただではない。こう考えない限り、必要以上に物を重んじて心を軽んじる、あるいは逆に、必要以上に物を軽んじて心を重んじるという誤りが繰り返されるにちがいない。
 心がただでないとは、むやみに金を注ぎこんで、文化ホールを建設したり、名画を購入したり、道徳教育の手引を作ることではない。各人が身銭を切って、つまり、心の問題を自分の生きていく場で自らの行為を通して考えるということである。
 心が見えないからといって、口先だけで心、心と唱えるのはもうよそう。心とは一体何なのか、一度真剣に考えてみる必要がある。このことを怠ってきたからこそ、心のあるべき姿を見失い、われわれは途方にくれているのだから。言うだけはただと言われないためにも。
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2008年11月29日

当たり前(『同朋』1995年1月号)

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 学生時代の友人が京都に来るというので、晩飯でも一緒に食べようかということになった。かつてともに通った学生食堂のようなところともいかないし、高級料亭というのもわれわれの懐具合にそぐわない。ゆっくりと話ができる落ち着いた店で、なおかつそこそこの値段でとなると、なかなか難しい。
 君は二十年以上も京都に暮しているのだから、適当な店を思いつくだろうと友人は言う。ところが、そうでもないのである。たしかに学生時代はほとんど外食をしていたため、安くて旨い店についての情報には敏感であった。しかし結婚後は、もともとアルコールに弱い体質もあって、酒を呑むために夜の街にくりだすこともほとんどなく、手頃な店を知る機会もあまりなかった。
 腹をすかした男が二人いつまでもうろうろしているわけにもいかず、なんとか思いついた店に行ってみることにする。細い路地を入って右手のところに、あった、あった。けれども定休日。仕方ない蕎麦屋へ行こう。ほら、あそこの角の店。でも、なんだか様子が変だよ。なんと、改築中のためお休み。
 悪い夢をみているようだ。最近、こういうことがよくある。卒業生が大学に訪ねてきて、コーヒーでも飲みながら話そうかと、彼が学生の頃入り浸っていた店に行くと、すでに店はやめていた。ひさしぶりに古本屋へ足を向けると、店はなく小さな土地に真新しいビルが建っている。この話をしても友人はすこしも驚かなかった。
 考えてもみろよ、われわれの学生時代にはどこにでもあった名曲喫茶なるものは、今ではほとんど姿を消してしまったじゃないか。店内は全体に薄暗く、凝った椅子や卓とクラシックが売り物で、こちらでは学生が独りで何時間も黙って音楽に耳を傾け、あちらでは恋人たちが頭を寄せ合いなにごとかを語っていた。当時、あの情景が学生生活から失われるとはまさか思わなかったろう。
 もっと分りやすい例を出そうか。俺たちが大学に入った頃、学生にとって中華料理と言えば「aa」だったろ。ところが、それから数年もしないうちに「王将」の進出によって「aa」は撤退を余儀なくされてしまった。それが時間の力さ。善い悪いは別として、時代につれてすべては変わらざるをえないんだよ。
 そうか変わらざるをえないのか。自分はこれまでずっと同じ自分であったから、つい、なにごとも昔のままであるかのように考えてしまう。そんなところから、いつのまにか自分と時代とのずれが生じ、広がっていくのだろう。ということは、昔はこうではなかったと感じたとき、そのときこそが自分と時代との関係を考えるべきときなのかもしれない。
 頑に自分の意見を固守するのは見苦しい。逆に、無批判に時代に追従するのは情けない。そもそも、時代の動きは見定めがたいし、進むべき方向を指し示すことも容易ではない。とすると、重要なのはつねに時代というものに注意を払い続けることである。つまり、なにか問題を考えるさい、その問題を時間の流れの中に置いてみることである。
 五十年前にはカラーテレビなど夢の話でしかなかったし、その開発研究に取り組むといったら笑われたにちがいない。かつての非常識が現在では当たり前になっている。反対に、かつての当たり前が現在では非常識になっているものもある。したがって、現在の視点からだけで、あるものを非常識であるとか当たり前であるとか判断してはならないのだ。
 とは言うものの、さしあたっては夕食の場所を捜さなくてはならない。勇を鼓して、もう一軒心当たりの店を覗いてみることにする。跡形もなく駐車場にでもなっていたらどうしよう。
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2008年10月26日

最後の宿題(『同朋』1994年12月号)

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 押入を整理していたら、高等学校時代の数学の答案がでてきた。懐かしさも手伝って眺めていると、面白いことに気づいた。どの答案にも、すぐに分るような計算間違いが見られるのである。符号の間違いや、掛けるべきところを割っていたりする。どうしてこんな簡単な間違いを犯したのだろう。
 できなくてもいいやなどとは思っていなかった。満点をとろうと一生懸命に問題に取り組んでいたはずだ。それなのに、後から見ると考えられないようなところで間違っている。試験中の自分には、正常な判断力が欠けていたとしか思えない。なにかに熱中することと、冷静な注意力を維持することとは両立しないのだろうか。
 答案を提出したとたん間違いに気づくとか、どうしても解けなかった問題が解けたとかいうことがある。明らかにこれらは、問題から一定の距離がとれたために可能となったことである。しかし、これでは遅すぎる。我々に必要なのは、求められているそのときに正しい答えを出すことだからである。
 他方、直面した問題に全力で取り組むことからこそ、解決の糸口を掴むことができるのである。中途半端な気持ちで臨んだのでは、なにが問題かすら分らないだろう。
 どうも、二つのことが必要らしい。熱心さと冷静さとが。ところが、これらを同時に備えることが極めて難しい。熱心になれば冷静でいられなくなるし、冷静でいようとすれば熱中できない。そこで我々は、どちらかと言えば容易な、熱心さを選ぶ。たとえ失敗しても、一生懸命やったからいいじゃないかと。
 これでは駄目だ。いつまでたっても、しなくてもよい間違いから逃れることはできない。大切なのは、冷静さを習慣化することであり、それによって熱心さと冷静さとを両立させることである。数学の場合であれば、計算とその検算とを同時に実行する。あるいは、なにかについての意見を求められた場合、まず自分の意見とは正反対の意見の可能性から吟味を開始する。
 要するに、冷静さ、客観性を顧慮せざるをえないような手順・思考方法を身につけることである。そして、その手順・思考方法にしたがって熱心に問題に取り組む。そうなれば、我々の信じられないような間違いもずっと減るにちがいない。
 だが、これだけではまだ不十分なのだ。校正をしたことのある人ならよく知っているように、いくら注意深く、熱心に校正をしても、どうしても見落しは避けられない。これは、熱心さ、冷静さといった、ひとりの人間の能力を越えた問題である。人間にとって完璧ということは不可能である。だからこそ、校正は複数の人間によってなされねばならない。
 熱心さと冷静さとを備え、なお起こりうる間違いを避けるため、我々は他の人々の力を借りることになる。それでもきっと間違いを完全に無くすことはできないと思う。人間に間違いは避けられない。だからといって、間違いを仕方ないものとして開き直るのも嫌だ。むしろ、間違いを避けられないものと認めた上で、ひとつでも間違いを減らそうと努力すべきである。
 かつて、恩師の著書の校正をしたとき、友人と二人で慎重にも慎重を期したにもかかわらず、多数の誤植を出してしまった。先生はそのことについてなにも言われず、ただただ本が出たことを喜んでおられた。それがかえって我々には辛かった。その先生も昨年亡くなられた。人間に間違いは付き物とはいっても、他人の間違いに対してあのように寛大になりうるか、今の自分には自信がない。これが先生からの最後の宿題かもしれない。
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2008年09月01日

ブランド考(『同朋』1994年11月号)

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 飛行機が着陸体勢にはいったとき、我々と向い合って座っているスチュワーデスが左手にもった懐中電燈を一瞬点灯させ、故障していないのを確認した。細身のいかにも使いやすそうなそれは、隣の席に座る山岳部の友人が愛用しているのと同じものであった。
 山岳用品を買うさい、命にかかわるからこそ信頼できるものをと、普通より高めと思われる品を彼はいつも奨める。高価だから良いというのではない。良いものとは信頼できるものであり、その信頼性は高品質に裏うちされている。したがって、良いものは高くならざるをえない。三〇年近い山登りの経験を通して、これは良いと思えたものだけを彼は奨めているのである。
 良いものかどうかは使ってみなければ分らない。しかし、それでは困る。使用する前に、その品のよしあしを我々は知りたい。そこで、これまで使った経験から信頼できるメーカーの品を買うことになる。こうしてブランドが成立する。
 高価であるから、ブランドものであるから、それをもつことに価値があるからというのではない。安心して使うことができるからこそ、我々は一定のブランド品を購入する。飛行機事故が起こったとき、あるいは山で遭難しかかったとき、懐中電燈が確実に動作するかどうかが運命の分岐点になるかもしれない。
 昭和三八年、父が商用でイタリアに旅行したとき、土産として皮製の小銭入れを買ってきてくれた。楕円を縦に半分にしたような形で、つやを帯びた茶色をしている。栗まんじゅうの表面の光沢を思い浮べてもらえればよい。掌にちょうど入るほどの大きさで、蓋を開けるとそこが小銭の受け皿となる。大きさといい形といい、きわめて使いやすく、また無駄な装飾は一切なく、非常に洗練されている。
 皮革を商いとする父は、このような小銭入れを日本でもできないかとメーカーと協力して試作品を作った。それを私も使ってみたが、仕上げは野暮ったいし、それよりなにより、一年もたたないうちに表面の皮が剥がれてしまって、見るも無残であった。毎日の使用に耐えるだけの丈夫さを保証する技術と簡潔な形を生みだす技量とが欠けていたのである。父はその商品化を諦めた。
 その後ときどきこの類の小銭入れを店頭で見かけ手に取ってみるが、丈夫さも洗練さもまだまだのようである。父からもらった小銭入れは使い始めてすでに三〇年たち、表面には無数の傷がついて皮に押された百合の模様もほとんど消えてしまっている。しかし、皮が剥がれたり、開閉部分が切れたりなどまったくしていない。
 なにかのきっかけで父にこの話をすると、そりゃそうだあれはフィレンツェの有名な店の品なのだからと、よく耳にするブランド名あげた。そんなこととは露知らず、無雑作に使ってきたものだ。だが、そのほうが自然である。これまでいわゆるブランドものに、いや、ブランドものを用いることに対してなんとなく嫌だなと感じ、拒否してきたが、これは一種の偏見であった。ブランドにいたずらに反感を抱き、その背後の信頼性という品質の良さを見ない点で、ブランド信者とどこもかわらないからである。
 良いものはどんどん使わなくては。それが良いものであれば、使うにつれて一層その良さが発揮されるはずである。ちょっと使っただけで壊れたり故障したりするのは、所詮信頼に値しない品物である。どんな有名なブランド名がついていようと、それは贋物である。また逆に、信頼に値するものであれば、ブランド品であろうとなかろうと、素直にその良さを認めて用いるべきだろう。
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2008年07月28日

知ることのこわさ(『同朋』1994年9月号)

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 子供たちが一輪車を器用に乗りこなしている。あんなことがどうして可能なのだろう。自転車なら輪がふたつあるのだからまだ安定もしていようが、ひとつの輪の上に乗って動き回るとは驚異でしかない。われわれの世代の感覚からすると、一輪車乗りといえばサーカスの世界でのことであり、日常からかけ離れた至難の業であった。
 それを子供たちはいとも容易くあたりまえのように実現している。自転車の場合でもそうだ。われわれが子供の頃は、小学校低学年で自転車に乗れるようになるのはめずらしかったのに、今では幼稚園ぐらいから自転車を乗り回している。これは、以前に比べて子供たちの運動能力が飛躍的に発達したからと考えるべきだろうか。
 たしかに栄養にも恵まれ、体格は立派になったが、運動能力の点で決定的な違いが生じているとは思えない。むしろ決定的なのは、一輪車乗りにたいする態度の違いである。われわれは最初から到底できないと諦めていた。ところが、現代の子供たちにとっては、少し努力すればできる事柄として受け取られている。
 この差が大きい。人間にとって、実現できると分っていることは実現できるのである。この反対に、実現できないと思っている限り、それは実現できない。体操のウルトラCといった超難度技を例に考えてみよう。空中で三回も四回も回転してから着地するなど、できるはずがないと皆思っている。それを誰かが努力に努力を重ねて可能にし、晴の舞台で演技し、高得点を獲得する。しかしこの超難度技も、数年を経ずして誰もができる普通の技になってしまう。つまり、実現可能な技であると知れれば、その実現に向けて皆努力し始めるからである。
 『中谷宇吉郎随筆集』(岩波文庫)所収の「立春の卵」という文章では、卵を立てることなど不可能だと思われていたのに、慎重にやれば卵を立てることができるという事実をめぐって、次のように書かれている。「何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである。」ここから、中谷宇吉郎は人類の盲点というものに言及するが、われわれは知ることの意味について考えてみたい。
 人間にとって知るということは、まさに力である。だが、知らなくてよいことまで知ってしまったのではないか、知ろうとしているのではないか。原子爆弾を作ることができると知れば、それを作ろうとするだろう。人間の遺伝子に手を加えることができると知れば、それをやってみようとするだろう。人間の知はそのような働き方をするものだ。たとえ悪いことだと分っていても、できると知ったからにはその実現に向けて人間は努力してしまう。
 知るべきものと知ってはいけないもの、その判断、区別があらかじめできたら話は簡単である。ところが、その判断はわれわれが何かを知ってから後にはじめて明らかになる。そして、それは決定的に手遅れなのである。
 これからも人間の知はたゆむことなくその探究領域を拡大し、さまざまなことを実現可能にするだろう。そこには、善いことと同時に、悪いことを行う可能性も含まれているはずである。したがって必要なのは、悪を実現してしまう可能性を恐れて探究を放棄することではなくて、生み出した悪をも無化しうるような善き知を求め続けることである。
 もしかすると、そのような善き知などないのかもしれない。しかし、もしあるとしたら、それを手に入れられると信じて努力しない限り、永遠に獲得することはできない。できないと諦めていないで、こわがらずに一輪車に乗ってみよう。
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2008年06月30日

らしくと言うまえに(『同朋』1994年7月号)

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 教育実習から帰ってきた学生が相談に来た。実習校で、ひとの話を聴くさいの態度がなっていないと注意されたという。話を聴くときには話し手の目を見、重要と思われる事柄を書きとめる。これが正しい話の聴き方であるとかれは考えていた。ところが、ひたすらにメモを取り続けることが要求され、話し手の目を見ているかれの態度は、ぼけーとしていると批判されたそうだ。
 熱心であることを示すために、重要でもないことをノートしなくてはいけないのでしょうか、これがかれの質問である。答えは簡単。重要なことだけを書きとめたらよいのである。ただ、そうしていると、話を真剣に聴いていないと、また言われるにちがいない。実習校側と問題を起こしてもしょうがないので、そこのところは適当にやるしかないよ、と言っておいた。
 かれは釈然としない様子である。要するに、外見だけで判断して、中身を見てくれないことが不満であり、理解できないのである。外見と中身とは一致するのか、あるいは無関係なのか。これは、それこそ大論文に値する問題であり、簡単に結論は出そうにない。しかし、若いかれが鋭敏に感じとっているのは、世間では、とりわけ教育業界では、「らしさ」が必要以上に要求されるというその堅苦しさである。
 実習生は実習生らしく、学生は学生らしく、教員は教員らしく、はては、〇〇校生らしくまでが要求される。われわれは幾度となく「らしくあれ」と言われ、また言ってきたことか。だが、立ち止まって、学生らしさとは、教員らしさとはなんだろうと考えたことがあるだろうか。ほとんどの場合、その言葉の中身は言うまでもないこととして、あたりまえのこととして、問われることはなかったはずである。
 言葉の中身はたえず変化している。美しさ、幸せといった言葉の中身が時代や地域によって大きく異なることはよく知られている。比較的変化が少ないと思われる机とか本とかいう言葉の中身も、少しずつ変っている。したがって、言葉とその中身につねに注意を払っていないと、われわれの使う言葉は、中身とはかけ離れた、上面だけのものになってしまう。
 この典型的な例が、らしくである。学生らしくと言えば、それで一切が済んだごとく、反論や疑問は認めない。そんな使い方がなされてきた。学生らしくとは一体どんなことか、その中身はと問われることがなかったために、この言葉は形骸化し、今や学生の反発を、いや失笑を買うだけである。学生らしくと言うならば、まず学生らしさの中身を明らかにすべきである。
 学生らしさとか、教員らしさというものが初めからあるわけではない。これらが固定したものとしてあると考え、その探究の努力を怠ることから、形骸化した言葉にひとを従わせるという、不自然な堅苦しさが生まれる。
 もし、らしさというものがあるとすれば、学生らしさとは、教員らしさとはと問い続ける、その姿勢以外に求めることはできない。この意味で、教育実習に行き、外見と中身の問題に苦しんでいるあの学生こそが、もっとも実習生らしいと言えよう。
 むかし、サントリーの宣伝で、人間らしくやりたいねというのがあった。あの文句を耳にするたびに、なにかひっかかるものを感じた。人間らしく、それはたしかに善いことだ。けれども、人間らしくとはどんなことだろう。そもそも人間とはなんだ。分らないことを分ったように言うまい。分らなければ、問い続けよう。らしくと言うまえに、なすべきことは残っている。
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2008年06月01日

痩せ我慢(『同朋』1994年6月号)

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 文章を書くとき、できるだけカタカナを使わないようにしている。これは趣味の問題かもしれないが、服飾関係の文章のように、始めから終わりまでほとんどをカタカナ言葉で書かれたのでは、字づらを見ているだけで疲れてしまう。それらの言葉の意味を知らない人間には読み手たる資格がないとでも、その文章の書き手は考えているのだろうか。
 たしかに、われわれの生活には外来の物が沢山入ってきており、カタカナを用いざるをえない場合も多い。窓ガラス、テレビ、フェア・プレイといった言葉を、カタカナを使わずに表わすことも可能ではあろうが、今日においては不自然である。しかし、普通の言葉で言えることを、なにもカタカナや難しい専門用語で言う必要はない。
 ここまで他人事のように書いてきたけれども、実はそうではない。普通の人には理解できないような難解な術語を駆使して、理屈をこねまわすのを得意とするのが哲学者たちなのだから。今書いているこの文章も、漢字や接続詞が多くて、きっと読みにくいにちがいない。
 カタカナ言葉や聞き慣れない用語を使わずに、自分の言葉で自分の考えを表現しようとする。この努力は、他人にはどうでもよいことのように見えるだろう。最終的には、自分の内部の基本的姿勢とも言うべきものに関わることでしかないだろうから。そして、次から次へと外来語が導入される今日、できるだけ外来語を使わないようにしようというのは、所詮無理なことであり、痩せ我慢にすぎないのかもしれない。
 だが、人間にとって、痩せ我慢が必要なときもあるのではないか。いくら努力しても実現できないからといって、その望みが無意味なわけではない。実現不可能と知りつつ、その希望に向けて努力する、あるいは、その希望に照して現在の在り方を批判的に捉らえる、それが痩せ我慢の効用である。
 流行に従うのは簡単である。流行に逆らうのも簡単である。大切なのは、流行と自分との関係を見定めることである。つまり、流行を是とするか、非とするか、自分なりの考えをもたねばならない。そうでないと、大勢に付和雷同するか、頑迷な保守主義者になるのがおちだ。流行に対する一定の距離、それを可能にしてくれるのが痩せ我慢である。
 流行とは、言葉や服装に限ったことではない。たとえば、ファシズムや大東亜共栄圏思想も流行である。当時、人々はその流行に乗った。だからといって、その結果は、皆がそう言っていたから、そう信じていたからで、済むことではない。流行に接して痩せ我慢を貫く強さが、決定的に欠けていたのである。
 流行がすべて悪ではない。しかし、吟味せずにその流行に乗るのは間違いである。もともと流行を作ろう、人々を流行に乗せようとする側は、そういった吟味を人々にさせないように、させないようにと仕向ける。したがって、そのような誘導に抗して、自分の頭で考え吟味することは大変なことである。だからこそ、流行に対して距離を取ることを可能にしてくれる、癖・習慣としての痩せ我慢が重要となる。
 流行はどこにでもある。多くの人々が従うものがあれば、それが流行である。この意味で、テレビを見ること、自動車をもつこと、新聞を購読すること、大学へ行くこと、すべて流行である。われわれは自分の頭で、これらを吟味しただろうか。
 そんなことにまで吟味が必要なの、と言うなかれ。ほいほいと流行に乗って生きている限り、歴史が示しているように、われわれは操られ、自分たちの望みもしない地点にまで連れていかれてしまうだろう。流行りものには痩せ我慢、痩せ我慢。
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2008年05月05日

負けるということ(『同朋』1994年5月号)

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 研修旅行に出かけて、夕食後などに学生たちが将棋をしているのを見ていて、彼らのこれまで表に出ずに隠されていた性格が分って驚かされる。授業中はおとなしい学生でも、勝負となると強気になって、攻めて攻めて攻めまくる。こんな元気がどこにあったのかというほどである。その反対に、いつもは元気に発言する学生が、守り中心のきわめて堅い将棋を指す。
 勝負事の際には、その人の人柄が出るものだと言われる。学生の頃、トランプでポーカーをしていて、負けるとすぐにかっかとなって、カードをひったくるように取る友人がいた。たかがゲームのことで、そこまでしなくてもとは思ったものの、なにか言うと喧嘩になりそうで、黙っていた。彼のような人が勝負事に向かないタイプであろうし、勝負ということを誤解しているのである。
 また、ゲームというゲームには一切参加しない人がいる。出来ないのではなくて、負けるのが嫌でやらないということらしい。負けず嫌いもそこまでいくと徹底していて、かえって微笑ましい。最も質の悪いのが、出来るくせに負けるのが嫌で参加はしないが、そばで見ていて批評を加えるという輩である。他人のことはぼろくそに言っておいて、それじゃあとなると、僕は出来ませんからと逃げをうつ。
 誰でも負けるよりは勝ちたいに決まっている。それでなくては、勝負をする意味がなくなってしまう。ゲームをする、そのこと自体が楽しいと言う人もいるかもしれない。その心境にまで達した人は幸いなるかな、われわれのように、いや私のように、勝負に恬淡になれない者としては、やはりなんとか勝ちを収めたいと懸命にならざるをえない。
 けれども、負けたからといって、以後ゲームはやらないということにはならない。負けるというのは自分が弱いからで、自分より強い人との勝負を通して、自分に欠けているものを学ぶことができるのだから。負けるには負けるだけの原因がある。それを運が悪かったからと、運のせ
いにしている限り、それこそ偶然勝つことを除けば、負け続けるにちがいない。
 負けるのは、たしかに辛い。だが、力に限りのある人間にとって、負けるということは避けえない事柄である。したがって、大切なのはその敗戦をどのように受け止めるかである。負けたことをいつまでも悔やんでいても始まらない。それこそ、覆水盆に返らずである。どうしたら勝てるか、なにが悪かったのか、これを明らかにするのが先である。
 こうは書いたものの、二〇代の頃は負けるのが悔しくて悔しくてならなかった。それが、ある時から、勝ちたいことは勝ちたいが、負けることがそれほど苦にならなくなった。というよりも、自分より強い人、上手い人、優れた人のすることを見るのが楽しくなった。自分には到底考えられなかった、はっとするような手が指される、あるいは打たれる、それが新鮮な衝撃であった。
 負けるよりは勝つに越したことはない。勝つことは楽しい。しかし、勝った場合われわれは勝利に酔いしれ、つい、なぜ相手が負けたのかという反省を怠る。実は、その原因が分らない限り、次の機会に負けるのは自分たちかもしれないのである。勝つことからではなく、われわれは、負けて初めて前進の努力をする。
 将棋で負けた学生が、中盤までは自分のほうが優勢だったのにと悔しがっている。そう、そう、今こそが大事なところである。その敗戦をどのような形で活かすか、それは彼のチャンスでもあり、課題でもある。一刻も早く、負けるということの意味を理解して、飛躍の可能性を掴んで欲しいものである。
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2008年03月31日

方向感覚(『同朋』1994年4月号)

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 見知らぬ土地で道に迷ったとき、なんとなく自分の行くべき道が分る人と、皆目見当がつかず間違った方向へ間違った方向へと進んでしまう人がいる。これは、生れつきのものもあるかもしれないが、原因はもっと別のところにあるに違いない。
 一般に車を運転する人の方が、しない人よりも、今自分が何処にいるのかよく分るようである。運転者は常に注意を払っていなければならない。前の車の踏むブレーキ、後の車からの追い越し。さらに、目的地に行くには何処で右折し、何処で高速道路に入ればよいか。こういったことを考えているからこそ、ぼんやりとではあっても自分の位置がつかめるのである。
 反対に、車に乗せてもらっている人は、ただ座っているだけでなにも考えない。自分が何処にいるかは、運転者に教えられるか、道路脇の地名プレートで知るにすぎない。運転者が自分の位置を動く線として捉らえているとすれば、同乗者は点としてしか捉らえることができない。この差が実は大きい。
 歩いているときでも、自らがどのように動いているかに気を配っているかどうかが、方向感覚を左右する。全体の中で自分の位置をひとつの動く線として確認する、こういった手順がそれこそ自然に行われていれば、道に迷うこともずっと少なくなるはずである。
 道に迷う人には二つのタイプがある。自ら判断することをせず、ただただ他人の判断に従う人。こういった人が、いざ独りで何処かへ行こうとするとすぐに道に迷ってしまう。また別のタイプは、いわば猪突猛進型で、自分で判断はするものの、その判断は場当り的で十分な根拠に乏しい。いずれの場合も、自分というものをひとつの動きとして理解するということができていない。
 自分をひとつの動き、ないし運動として捉らえる、これが大切である。話は道に迷う、迷わないということに限らない。たとえば人に接するときでも、方向感覚は重要な役割を果す。自分の行為が他人にどのような影響を及ぼすかを、ある程度予測できるのも、この感覚による。自分の行為がある人を傷つけることになるか、助けることになるか、それは自分と相手とのそれぞれの運動方向を見比べれば分るからである。
 具体的、かつ日常的な例で言えば、女房の作った料理に対する批評でも、批判のための批判という方向でなされるのと、次回のための提案という方向でなされるのとでは、作り手たる女房に与える影響には雲泥の差がある。一方では、緊迫した冷やかな空気が流れるか、茶碗が飛ぶことになるかもしれない。それにひきかえ、他方では和やかに食事が続けられることになるだろう。
 自分が動きであれば、他人も動きである。そのような多くの動きが一緒になって生きて行くのだから、当然衝突が発生する。それを避けることはできない。しかし、不必要な衝突は避けられるべきであるし、たとえ避けられない衝突であっても速やかに解決されるべきである。
 自分の向っている方向がいつも正しいとは限らず、間違っていることもあるだろう。となると、一刻も早くその間違いに気づくことが重要となる。これまでの自分の動きを点検し、他人の運動方向と比較することが、誤りを発見する近道である。そのためにも、自分の運動の方向を自分自身ではっきりと了解していなければならない。
 迷子になりたくなければ、見知らぬ土地へ行かなければいい。だが、われわれは自分とは決定的に違う他人と一緒に生きていかねばならない。この意味で、自分の家庭すらもが、方向感覚が試される見知らぬ土地なのである。
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2008年03月01日

卒論の迷宮(『同朋』1994年2月号)

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 毎年二月の始めは卒業論文を読むことに追われる。文章を読むことは嫌いでないので、読むことそれ自体は苦にならない。けれども最近は、そうとばかりは言えないような状態になってしまった。文章を読もうとしても、読めない。こちらの視力が衰えてきたとかいうことではない。論文として書かれている文章が理解できないのである。
 ひとつの文章がやたらに長い。何度も接続助詞の「が」が使用され、延々と話が続いていく。ひどいときには、一文の内に主語がふたつもでてくる。「私は」で始まり、その述語がきて文章として完結しないうちに、別の主語がたてられてしまう。たとえば、「私は、この論文をドイツの哲学者カントの思想を中心に展開するにあたって、ある思想は、あくまでもその思想を考察する人間にとって意味をもつのである。」といった具合である。
 こういう文章に遭遇すると、頭が捩れるというか、目眩のようなものを感じさせられる。そんなこんなで、四〇〇字詰原稿用紙で五〇枚ほどの卒論を読むのに、二時間以上かかってしまう。それで理解できたかというと、そんなことはなく、こちらの頭のなかは混沌としたままである。
 書き手にははっきり分っているのかもしれないが、読み手にはまったくちんぷんかんぷんである。仕方がないので、口述試問のときに説明を求めると、それに対する返答がまた要領を得ず、事態は悪化するばかりである。いったいどこに問題があるのであろう。
 自分では分っていても、ひとにはなかなか分ってもらえない。これは、日常においてもよくある経験である。昨夜見た、はらはらどきどきするような、いや実際にはらはらどきどきした夢を他人に語っても、ふーんと言うだけで、すこしも面白がってくれない。どうして分ってもらえないのだろう、自分にはこんなにまざまざと感じられるのに。
 あるいは、ヨーロッパ旅行をしてきた友人が、そのとき撮った沢山の写真を、こちらの興味いかんにかかわらず、飽くことなく説明してくれる。友人には忘れがたい情景かもしれないが、自分には面白くもなんともない。これは、さっきの逆の場合である。
 いずれの場合にも、鍵となっているのは経験の有無による断絶である。経験した者は、その経験が誰にでも、たとえそれを経験していない者であっても、理解可能であると考えてしまう。ところが、経験していない者にとって、その経験は単なるお話にすぎない。ここから悲劇、ないし喜劇が生じる。
 ひとと待ち合わせをするとき、自分には分っていても、「あそこで三時に」と言ったのでは、相手にその場所が分るはずがない。自分の頭の中の「あそこ」は、相手にも分る言葉、たとえば「渋谷ハチ公前」と翻訳されねばならない。
 自分の経験を他人に理解してもらうためには、自分の経験を他人に分る言葉へと翻訳しなければならない。つまり、他人に分るとは、他人にも意味をもつということであり、他人にも意味をもつがゆえに、こちらの話に耳を傾けてもらえるのである。このようにして初めて、経験の有無という断絶を埋めることができる。
 大切なのは、自分と他人との断絶を一度はっきりと意識するということである。こうして、その断絶に架橋するために、自分の思い、ないし経験を他人に分る言葉へと翻訳するという努力が開始されることになる。そうでない限り、われわれの相互理解も、個としての自立も言葉だけのものに終わるだろう。いや、それよりも、なによりも、毎年この時期、迷宮のような卒論に頭を悩ませ続けねばならないだろう。
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2008年02月01日

年賀状の嘘(『同朋』1994年1月号)

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 元日の朝はゆっくり起きて、郵便受けに年賀状の束を取りにいく。ほんの数歩玄関から歩く、そのときの気分がなんとも言えない。毎年やりとりをしているのだから、誰からくるか大体予測はつくのだが、それでも落ち着かない気分になる。ひょっとすると、いつの間にか音信不通になってしまった友人から来ているかもしれない。
 恋人からの手紙を待つとき、こういう気持ちになったものだが、それも二〇年以上前の遠い思い出にすぎない。逆に、その頃は年賀状など出すのも、貰うのも面倒だし、嬉しくもなかった。どうして、こんなに変ってしまったのだろう。それとも、これが歳を取るということなのだろうか。
 まだ正月にもなっていないのに、新年明けましてお目でとうなどと書くことには、誰でも抵抗を感ずるはずである。とりわけ若い頃には、そういった嘘がどうしても我慢できない。そんなこともあって、学生時代には、あまり年賀状を熱心に書かなかった。ところが、現在は、この一月号の原稿を十一月に書いて平然としている。
 どうも、歳を取るとは嘘に慣れるということのようである。もし、嘘を知らない、幼子の無垢の魂なるものを仮定すれば、われわれは歳を取ることで、ただただ汚れ、邪悪さを増していくことになるのだろう。けれども、人間の現実は、無垢から悪へとひたすら転落しつづけるという、そんな単純なものとは思えない。
 つまり、問題は、すべて嘘は悪であると否定しなくてはならないのかということである。なぜなら、われわれ人間は、真実だけで生きているのではなく、嘘によっても生きているからである。
 印刷された長方形の紙を、われわれがお金と見なしていること自体、立派な嘘である。テレビという箱のなかに映った像を見て、われわれは笑い、泣き、怒る。だが、その像は嘘である。真実ということすら、われわれ人間の考えのなかにあるにすぎず、確実にここにあると示すことのできないものであり、その意味で嘘である。
 人を騙す嘘(これが悪いことは言うまでもない)ばかりでなく、人が生きるために必要な嘘もある。しかし、あらかじめ両者を区別することは非常に難しい。というのは、同じ嘘でも、それが言われる状況の違いによって、悪い嘘にも、必要な嘘にもなるからである。それなのに、われわれはつい、嘘であることだけにこだわって、そこに含まれている必要性を見落してしまう。
 大事なのは、その嘘によってなにを実現しようとしているかである。十二月下旬に謹賀新年と嘘を書くとしても、それは人を騙すためではなく、適切な時期にその人に挨拶をするためである。この場合、嘘を問題にするのなら、むしろそれは、挨拶を送る相手に対する自らのこころの在り方のはずである。本当に挨拶を送りたいのかどうか、と。
 年賀状を虚礼として拒否する人は、きっと自らのこころの嘘に我慢できないのだろう。しかし、もし迎春といったような年賀状特有の決まり文句から年賀状の虚礼を主張するのなら、それは説得的ではない。というのは、年賀状の意味は出すことにあるからである。文面の大切さは否定しないが、たとえなにも書かれていなくとも、差出人の名前さえあれば、年賀状はその意味を成就する。
 名前は名前にすぎないし、それはまた文字にすぎない。にもかかわらず、その名前はまざまざと当人の存在をわれわれに喚起する。嘘はあくまで嘘でありながら、われわれの前に真実を開いてくれる。実は、歳を取るとは、嘘と真実との錯綜した関係を知ることでもある。
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2007年12月29日

パーティーの心得(『同朋』1993年12月号)

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 十二月になると、忘年会を含めて宴会やパーティーの機会が増えてくる。沢山の人と一緒に食事をしたり、話をするというのが苦手な者にとっては、気の重い季節である。食事にせよ、酒にせよ、気心の知れた者でゆっくりと楽しめたら、どんなによいだろうか。
 そういう意味で、最悪なのは立食パーティーである。椅子も申し訳程度に用意してあるが、名称からして立って食べることが参加者に要求される。しかし、立って食べることに習熟している者などいないから、その姿は見られたものではない。
 椅子もなければ机もないという、きわめて不安定な状況で何かを食べようとすれば、どうしてもそのことに注意を集中せざるをえない。当人にとっては仕方のないことかもしれないが、どう見てもその姿には、貪り食うという感じを否定することができない。
 ある学会の懇親会で、ビールをついで乾杯とやったとたん、参加者たちが食べ物のある中央テーブルに群がり、そこから離れることなく、ひたすら食べていたのにはびっくりした。まさにそれは人の壁であり、遅れた人間は箸と皿をもったまま、まわりをうろうろするだけであった。
 三十分ほどして、やっと壁が崩れてきたので覗いてみると、すでに寿司桶には何もなく、刺身のつまとビニール製の葉蘭だけが残っていた。落胆して自分のテーブルに戻ってくると、そこに寿司を山盛りにした小皿が置いてある。誰のかなと思ったが、そばにいる誰も手をつけない。不思議なこともあるものだと、辛うじて残っていたサンドウイッチとローストビーフを食べていると、その持ち主が風のごとくやってきて、持ち去っていった。
 寿司がなくなることを見込んでストックしておいたのだろうが、その抜け目なさにはうんざりさせられた。と同時に、もし自分が好スタートを切って、壁を作る側になっていたらと考えると、他人のことをあげつらってばかりはいられないと気づき、途方に暮れてしまった。
 運悪くというか、運よくというか、食べ物に群がることはせずにすんだが、それは自分が高潔な人間だったからではない。他の人に遅れて、たまたまそうなっただけである。むしろ、寿司桶が空なのに落胆するくらいだから、その意地汚さは相当である。こういう人間が、なお醜くなく食べるためには一体どうしたらよいのだろう。
 どこで読んだのか忘れてしまったが、宴会やパーティーに出席するにあたっては、その前に蕎麦などを軽く食べておくとよいという。これも貪り食うことをしないための予防策であろうが、いざ食べ物を前にすると、ついつい元をとろうと食べ過ぎてしまうものである。
 発想を根本的に変える必要がある。会費分を食べようとか、呑もうとか考えては駄目。それこそオリンピックの精神で、参加すること、それだけを目的にする。どうせ大人数でわいわいがやがや、気分よく呑むことも、食べることもできるはずがないのだから、最初から出席することだけでよしとすべきである。
 あらかじめ食事をしておき、少し遅れて行く。会場では、ウィスキーの水割りを手に友人たちとおしゃべりをして、にこにこしていればよい。グラスは片手で十分だから、呑むということも自然にさりげなく行える。その反対に、食べることや、呑むことに必死になればなるほど、それは異様で、卑しい感じをひとに与えてしまうことになる。
 食べることは重要であり、そのためにわれわれは毎日働いている。だが、食べるためにのみ働いているわけではない。美しく生きることもまた大切である。
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2007年12月01日

異界としての地下(『同朋』1993年8月号)

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 地下鉄の車両はどこから入れたのだろうという漫才があった。答自体はたわいもないものだが、この問いにはなにかわれわれを不安にさせるものがある。
 マリリン・モンローのスカートを吹き上げる地下鉄の風。トンネル内を列車が走り抜け、その風圧から生じる風が換気孔から地上に吹き抜ける。ゴーという音がだんだん大きくなり、一瞬生暖かい空気が噴出し、次第に遠ざかっていく。あたかも地底を黒い大きな獣が走りさっていくようでもある。
 地下鉄の風、それは都会の風である。しかし、子供の頃のわれわれにとってその風は、暗い地底の息吹きのように感じられた。都市は地下にまで支配を広げようとしていたが、まだほんの一部でしかなかった。残された広大な地底が地下鉄のトンネルを包囲していた。地底がその不気味さを維持していた。
 近くの公園の土を掘ると、人骨が出ると言われていた。戦時中、防空壕があって、その中で沢山の人が死んだという。地下は死者の国であり、異界であった。実際、地下鉄の先頭車両に乗って、運転席の横から真っ暗な空間を見ていると、闇の中に吸い込まれそうになり、あわてて振り返って明るい車内にほっとしたものだ。
 地下に車両をどうやって入れるか、という問いがわれわれの注意を引くのは、その解答の意外な単純さにあるだけではない。純粋に技術的な問いの背後に、地下という異界を地上化するという、われわれの心の奥底に触れる要素が隠れているからなのである。
 学会などで東京にいき、地下鉄を利用しようとすると、さまざまな路線が複雑に絡み合い、あたかも迷路のようである。ホームに辿りつくために、何度もエスカレーターのお世話になり、地底深くまで連れていかれる。乗り換えのために、標示板の指示を頼りに五分も十分も歩かされる。これは、もう乗り換えなんていうものではない。
 地下の地上化が進んでいるのであり、都会に暮すものには、地下で地上のごとく生きることが要求される。地下街が広がり、地上よりもむしろ賑わっているところさえある。少しだけ地上を歩いて、残りの大部分は地下を利用しての通勤が可能になっている。すでに、地下は異界ではなく、日常の領域に変わりつつある。かつてのように地底が地下鉄を包囲しているのではなく、地下街が地底を包囲しているのである。
 地下街はどこまでも明るく、地底の暗さを思い出させるものはひとつとしてない。けれども、地下はわれわれにとって依然として異界である。炭坑事故は近年少なくなったが、時として都会のただなかで発生する地下工事現場でのさまざまな事故に、異界としての地下を垣間見ることができるはずである。
 そもそも地下とは地上を支える大地であり、底であった。その上でわれわれは生き、暮してきた。大地はわれわれの拠り所であり、そこから生れ、そこへと戻る場所であった。地下は異界であると同時に、母なる大地でもあった。
 都市は否応なしに地下へどんどん進出して行くだろう。それは、狭い土地の有効利用ということで、仕方のないことと思われる。問題は、地下を地上化していく過程で、地下に対する畏怖と信頼が忘れ去られていくことである。
 畏怖するものを忘却し、自らのみを頼みとすることで、われわれはいつのまにか慢心に陥いる。現在はわれわれのためにあり、われわれがすべてであると。だからこそ、地下の意味を思い出させる問いに出会うと、われわれは一瞬不安を覚えることになるのだ。
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2007年11月03日

知的無茶苦茶のすすめ(『同朋』1993年7月号)

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 高校二年生を対象とした大学説明会で話しをさせられた。京都の私立大学五校からの担当者が高校に出向いて、自分の大学を宣伝するという仕組である。与えられた一定の時間内になにをいうのかが難しい。自分の大学がいかに魅力的な大学かを、高校生に分りやすく話さなくてはいけない。
 色々な学部があって、沢山の人間が集ってきているからと、多彩な人間関係による楽しい学生生活を強調する大学もある。また、外国語特別コースやアメリカの大学への研修を準備して、語学修得に力点をおく大学もある。自分の大学の卒業生にどれだけ有名人が沢山いるかを、ひたすら自慢する大学もある。
 他の大学の説明を聞いているうちだんだん気分が滅入ってくる。大学とはそんなところなの、そんなところでいいの、という思いがどうしても湧き上がってきてしまうのだ。大学は学問をするところのはずである、それなら学問についてなにも触れない大学説明などありえないではないか、それなのに。
 大学を学問するところと考えるのは、現代においてはすでに古い考え方なのかもしれない。実際のところ、大学に学問をしようと入ってくる学生はそんなに多くないだろう。しかし、そのような学生に迎合して学問ということを放棄するなら、それはもう大学とは呼べない。
 学問というと大げさに聞こえるが、なにかを知りたいと思い、知ろうと努力する、その楽しさの経験を提供するのが大学である。学問にまったく関心なく入学してきた学生でも、卒業していくとき、学問というのも結構面白いものだなと思ってくれるようになったら、これ以上いうことはない。
 そこで、説明の番がきたとき、以下のような話しをした。
 大学というのは基本的に学問の場です。けれども、勉強という狭い意味での学問をいっているのではありません。関心もないのに、なにかを無理やり覚えることが学問ではないからです。自分が面白いと思うことを納得のいくまで追い求める、その楽しさ味わうために大学にきて下さい。あなたがたはまだ二年生ですから、いまのうちに自分の関心を、自分がなにを知りたいのかを見つけて下さい。それが明らかになってから大学案内のパンフレットを手にとっても遅くないでしょう。私の大学は、そのような知りたいという熱意をもった人々を求めています。
 こう話して戻ってきてから反省した。自分が高校二年生のとき、なにか具体的な関心事があっただろうか。ただただ、毎日の授業や、定期試験に追われていただけではなかったか。大人になったものが、大人の視点から高校生に無理なことを要求したにすぎないのではないか。
 たしかに、あの当時はこれといった具体的関心もなく、大学名につられて進学を考えていた。だが、自分の関心事が分らないまま大学に入学したからこそ、その後悩み、転学部するまでに至ったのである。そのようなことにならないためにも、自分がなにをしたいのかを高校生のうちに一度真剣に考えておくことはどうしても必要であると思う。
 もっともこの問題は、自分は如何に生きるべきかという問いとも結びついていて、おいそれと解答のでるものではないし、ひょっとするとそもそも答のないものかもしれない。そんな問題を高校生に突きつけるとは、明らかに無謀な行為である。だが、答の得られない問いにもあえて答を求めて挑戦していく、そんな無茶苦茶が許されるのが大学の学生時代であり、それがまさに学問の醍醐味である。したがって、知的無茶苦茶への誘いは、むしろ正統的な大学への招待なのである。
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2007年10月01日

感情と論理(『同朋』1993年4月号)

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 看護学校で論理学を教えることになって頭を悩ませている。この科目の狙いは、論理的に自分の意見を表現できる力をつけることにあるとのこと。したがって、論理学の教科書を用いて、演繹とか帰納とか七面倒くさいことを話しても駄目である。もっと具体的で、日常の看護活動で役にたつものでなくてはならない。といっても、論理性を無視することはできない。
 大学で哲学や倫理学の授業をするときにも同じような問題にぶつかる。カントやヘーゲルの文章を読んでもらっても、学生たちにはチンプンカンプンである(われわれ教員にもかなり難しい)し、なによりも書かれている事柄が、かれらの関心から非常にかけ離れている。それを分りやすく具体的に説明しなければならないのだから大変だ。
 学生たちの反応は、分らない、面白くない、だから嫌だということになる。テキストになにを選んでも、そうである。理路を辿って、なんとか理解しようという姿勢がきわめて希薄である。どうしてそうなのかと尋ねると、自分にとっては自分の感情のほうが大切で、理屈を持ちだすのは冷たい人間になるようで好ましくないという。こういう意見の学生が非常に多い。
 かれらは誤解しているのである。哲学や倫理学においては、論理か感情かという二者択一があるのではない。つまり、論理的なものだけが顧慮され、感情的なものは一切無視されると考えられているとすれば、それは間違いである。論理も感情も同時に満足させたいが、順番としてまず論理性から問題にしているにすぎない。
 学生に分ってもらうために、麻雀の話をしたことがある。ある牌をきるとき、なんとも嫌な感じはするが筋や相手のきり牌から判断すると安全と思われるので、きると、それが見事に敵の手に当ってしまう。このように、感情に逆らって論理に従うとき、悪い結果に出会うこともある。しかし、だからといって、つねに感情のままに牌をきっていたら必ず負けてしまうだろう。なぜなら、感情には理由がなく、当てにすることはできないからである。そこでわれわれは、危険をなんとか論理によって解明しようとする。その論理が明らかになれば、いついかなるときでも当り牌をふらないですむはずである。もって生れた勝負感覚に恵まれた人は別にして、われわれふつうの者は、どんな些細な相手の癖や牌のきる順序にも注意を向け、論理的に考え推理しようと努力しなければいけない。もし麻雀に勝ちたいのであれば。
 感情ですべてを正しく処理できたら一番である。しかし、それがきわめて困難であるがゆえに、仕方なくわれわれは論理の助けをかりるのである。論理に従っているかぎり、他人にも理解してもらえるし、他人から誤りを指摘してもらうこともできる。これに反して、感情に固執するかぎり、自分の判断は自分のなかでしか通用しえない。
 論理という共通の場に出ることで、自分を他者に開き、自分の狭さを克服することが可能となる。論理を追うのは冷たい人間であるというのは、正しさを求めない自分の怠惰のいいわけにすぎない。ふたたび麻雀で言えば、当り牌をふっておいて、当らないと思ったのになあとぼやいているのと同じである。当ったとき、その理由を真剣に考えぬく者が、次の勝者である。
 しかし、この例は看護学校で使えそうにない。なんといっても、女子学生で麻雀をする人は圧倒的に少ないので。となると、別の例で説明するか、それとも、まず最初に彼女等に麻雀を教えることから始めるほうが論理的なのか、じっくり考えてみる必要がありそうだ。
posted by ガラタたぬき at 14:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 「不可思議な日常」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする