アウグスティヌスの『告白』の第11巻は天地創造をめぐる時間論を扱ったことで有名であるが、その第10章の冒頭を山田晶先生は次のように訳しておられる。
《私たちにむかって、「天地を創造する以前、神は何をしていたのか」と反問する人々は、じっさい、古い肉的な誤謬に満ちているのではないでしょうか。》(中公バックス版410ページ)
この文章中の「古い肉的な誤謬」について先生は次のような注を付けておられる。
《アウグスティヌスは、新しい酒と古い皮袋のたとえを解釈して、「古さ」とはキリストの助けをこばみ、すべてのことを物質的なしかたでしか解することができず、聖書の霊的な意味を悟りえない「肉的な人間」をさすという(『説教』267)。ここでとりあげられる創造に関する異議も、そのような肉的人間の立場から提起されている。》(同前、411ページ)
神の天地創造の瞬間をまるで劇のように外から眺め創造以前の神を問う質問者を、山田先生はアウグスティヌスとともに「聖書の霊的な意味を悟りえない『肉的な人間』」と激しく指弾している――ように見える。
「――ように見える」というのは、実はアウグスティヌスの原文には「古さ」のみが記されていて、「肉的な誤謬」に対応するラテン語はないからである。
「古い肉的な誤謬」というのはずいぶん激しい言葉だなと思い、これについて大学院の演習で発表したN君に質問したら、「ラテン語原文には『肉的な誤謬』というのはないんです」と少し困りながら答えてくれたのである。
山田先生の翻訳にはところどころ過剰な訳が見られるということは聞いてはいたが、なるほどこういう箇所のことかと納得した。誤訳ではないにしても、学術的には「訳し過ぎ」であるし、また、「注」にもその「訳し過ぎ」に触れていないのは不親切ではある。
そうではあるが、『告白』という神の賛美の書は、先生にしてみれば、そのようにしか近付けないということであろう。学術論文を学術的に理解するというのとは違うのである、ということであろう。
この過剰な訳に接して、思い出したのが小林秀雄の『本居宣長』の次の一節である。宣長の『古今集遠鏡』についての文章である。
《この「古学」「古道学」の大家に、「古今集」の現代語訳があると言えば、意外に思う人も、あるかも知れないが、実際、「遠鏡」とは現代語訳の意味であり、宣長に言わせれば、「古今集の歌どもを、ことごとく、いまの世の俗言(サトビゴト)に訳(ウツ)せる」ものである。宣長は、「古今」に限らず、昔の家集の在来の註解書に不満を感じていた。なるほど註釈は進歩したが、それは歌の情趣の知的理解の進歩に見合っているに過ぎない。歌の鑑賞者等は、「物のあぢわひを、甘しからしと、人のかたるを聞」き、それで歌が解ったと言っているようなものだ。この、人のあまり気附かぬ弊風を破る為には、思い切った処置を取らねばならぬ。歌の説明を精しくする道を捨てて、歌をよく見る道を教えねばならぬ。而も、どうしたらよく見る事が出来るかなどという説明も、有害無益ならば、直かに「遠めがね」を、読者に与えて、歌を見て貰うことにする。歌を説(ト)かず、歌を訳(ウツ)すのである。》(小林秀雄『本居宣長』二十一、新潮文庫版、上、252ページ)
この文章の「歌」を「『告白』」あるいは「古典」とすれば、山田先生の方法になるのではないか。
《なるほど註釈は進歩したが、それは古典の情趣の知的理解の進歩に見合っているに過ぎない。古典の鑑賞者等は、「物のあぢわひを、甘しからしと、人のかたるを聞」き、それで古典が解ったと言っているようなものだ。この、人のあまり気附かぬ弊風を破る為には、思い切った処置を取らねばならぬ。古典の説明を精しくする道を捨てて、古典をよく見る道を教えねばならぬ。而も、どうしたらよく見る事が出来るかなどという説明も、有害無益ならば、直かに「遠めがね」を、読者に与えて、古典を見て貰うことにする。古典を説(ト)かず、古典を訳(ウツ)すのである。》
「この」でいったん読点で切り、「人のあまり気附かぬ弊風」というふうに続けるところの文体がすごい。研究者は、この「弊風」にやすやすと陥るのである。
そして、小林秀雄は、宣長の考えをまとめ、その具体例を挙げる。
《・・・使いなれた京わたりの言葉に、訳されたものが目に見えれば、「詞のいきほひ、てにをはのはたらきなど、こまかなる趣」が、「物の味を、みづからなめて、しれるがごとく」であろう、というのが宣長の考えである。
「遠めがね」の徹底したやり方は、原本について味わうほかはないが、ここでは、一例をあげて置く。――「巻十九、旋頭歌、かへし、――春されば 野べにまづさく 見れどあかぬ花 まひなしに たゞなのるべき 花の名なれや――コレハ春ニナレバ 野ヘンニマヅ一番ガケニサク花デ 見テモ見テモ見アカヌ花デゴザルガ 其名ハ タヾデ申スヤウナ ヤスイ花ヂヤゴザラヌ ヘヘヘヘヘヘヘヘ」。このような仕事に、「うひ学び」の為、「ものよみしらぬわらはべ」の為に、大学者が円熟した学才を傾けたのは、まことに面白い事だ。》(同前、253ページ)
「ヘヘヘヘヘヘヘヘ」(原文は繰り返し記号を使っているが私のワープロ技術ではそれが出ない)の異様な繰り返しに、20年ほど前にこれを読んだとき、ぎょっとしたのを鮮明に覚えている。
なんだぁ?この「へへへへへへへへ」はぁ?
うちわたす 遠方(おちかた)人に もの申すわれ
そのそこに 白く咲けるは 何の花ぞも
と、貴人が遠くの里人に花の名を尋ねた歌に対する返しの歌が、例として出された歌である。
春されば 野べにまづさく 見れどあかぬ花
まひなしに たゞ名のるべき 花の名なれや
(春になると、野辺に真っ先に咲く、見飽きることのない花とでも言いましょう。お礼もなしに(まひなしに)、気安くお教えできる名前でありません。新潮日本古典集成の訳)
小林が「徹底したやり方」の見本としてあげたこの歌の宣長の現代語訳は、
コレハ春ニナレバ 野ヘンニマヅ一番ガケニサク花デ 見テモ見テモ見アカヌ花デゴザルガ 其名ハ タヾデ申スヤウナ ヤスイ花ヂヤゴザラヌ ヘヘヘヘヘヘヘヘ
という「へへへへへへへへ」が異様に響く現代語訳である。
山田先生がアウグスティヌスの中に入り込み「古さ」を過剰に「古い肉的な誤謬」と訳すの同じような「過剰」を感じるのである。
このような宣長の過剰に反応する小林に反応したのが橋本治であった。というわけで、山田先生の話は、橋本治へと広がるのである。
橋本治はこの「へへへへへへへへ」について述べる。
《宣長の《ヘヘヘヘヘヘヘヘ》は、ある意味で余分である。しかし、宣長の訳が《春されば――》の歌の中にある牧歌的雰囲気をよく伝えているのも確かであり、彼の訳は、「意味を教える」を超えて、「歌であることを承知せよ」というところまで届いているのである。宣長の《ヘヘヘヘヘヘヘヘ》は、《いまの世の俗言を訳せる》を過剰に実現させるための、大衆への媚びとも取られかねないものだが、宣長にとっては《ヘヘヘヘヘヘヘヘ》こそが「歌であることの核心」でもあったはずなのである。
もちろん《ヘヘヘヘヘヘヘヘ》などというものは、なくてもよい。ないままでも「尋常にして正確な俗語訳」になる。《ヘヘヘヘヘヘヘヘ》などという余分をくっつけてしまえば、「ただでさえ下らない俗語訳を更に下品にした」と言われかねない。だから私は、《ヘヘヘヘヘヘヘヘ》をくっつけてしまった宣長を、公然たる確信犯だと思うのである。「いやがれ、いやがれ。でも、これが本当なんだぞ」と言わんがために、宣長は「過剰に近い正解」を提出したのだろう。そして、小林秀雄も、敢えてこれを提出したのである。この二人のやったことは、《徹底したやり方》を通り越した、「容赦ないやり方」である。》(橋本治『小林秀雄の恵み』182ページ)
誰が「いやがる」のであろう。それは、歌や古典を註解によって外から鑑賞する者である。歌や古典の内部に入り込み自分の知のあり方を解体するという経験をせずに、ただ外側からの理解で足れりとする「上品」な鑑賞者たちである。小林秀雄の言い方を借りれば「確信は持たぬが、意見だけは持っている人々」(『本居宣長』四、文庫版、上、40ページ)である。
しかし、橋本治のこの宣長と小林との共感は意外なところへ展開していく。上の文章にそのまま続けて橋本治は述べる。
《そういうものを三十七歳の私が読むのである。その時の私は、「『桃尻語訳枕草子』を始めなきゃな」と思っている私なのである。「めんどくさい仕事だし、やったってどうせまた、こんなろくでもないことしやがってと言われるのがオチだよな」と思っているのである。『本居宣長』のこの部分は、そんな私に、「やれ!やれ!お前の信じる通りにやれ!」と言っているようなものなのである。それを言うのが誰かと言えば、本居宣長と小林秀雄という、とんでもない二人なのである。
それを言う小林秀雄を、私が「いい人」と思うのは当然だろう。》(同前、182~3ページ)
あの「過剰な逐語訳『桃尻語訳枕草子』」を応援していたのは、本居宣長と小林秀雄であったのである。その「応援」を橋本治は「学問のすすめ」として受け取った。一行あけて続く文章の引用を続ける。
《たとえて言えば、小林秀雄は、私の親しい「じいちゃん」である。「また学校で、先生に怒られた!友達に笑われた!」と言って帰って来る孫の私に、「なんだ、そんなこと気にするでねェ。昔のひとはな、こういうことしてたんだぞ」と言って、とんでもなく難解な例を持ち出して慰めてくれる――こんなへんてこりんな小林秀雄の読み方をした人間は、そうそういるまいと思うが、私にとっての小林秀雄は、「慰め励ましてくれるじいちゃん」だったのである。愚かな孫は、小林秀雄の『本居宣長』を読んで、「そうか、ちゃんと学問すれば、じいちゃんが言うみたいに、自信をもってなんでもやることが出来るのか。学問というのはそういう自信を与えてくれるのか」と思ったのである。だから、「もう一度ちゃんと学問をしてみようかな」と思った。これがそもそも、私=橋本治にとっての、「小林秀雄の恵み」だったのである。1902年生まれの小林秀雄は、私の現実の祖父母の年齢に近い人だから、「じいちゃん」という比喩は、そう間違いではない。私にとって小林秀雄は、「青春の師」なんかではなくて「永遠のじいちゃん」なのである。》(同前)
宣長と小林秀雄の「学問」は、橋本治に「学問」を勧め、「自信」を与えるのである。宣長と小林の「自信」が橋本治の「自信」を導き出すのである。「自信教人信」の優れた例であろう。
しかし、だからと言って、橋本治が小林秀雄のエピゴーネンになるわけではない。本居宣長が賀茂真淵のエピゴーネンでなかったように、小林は宣長のそれでなかったように。引用をさらに続ける。
《私が「幼な子」のままなら、小林秀雄は永遠に、「やたらと難しいことばかりを言うけど、すごく優しいじいちゃん」である。しかし、2003年の私は、もう「幼な子」ではなかった。「じいちゃんの言うこと」を、ひたすら自分に引きつけて読んでいた37歳の私は、更に年を取った2003年になって「じいちゃんの言うこと」を「じいちゃんの言うこと」として直視したのである。そうしたら、「なに言ってんだよ、じいちゃん。じいちゃんの言うこと違ってんじゃねェかよ」と思うようになってしまったのである。「じいちゃんの言うこと、間違ってはいねェけど、なんでじいちゃん、こんな考え方してた?」と思うようになって、そんな考え方をせざるをえなかったじいちゃんの孤独を見てしまったのである。その「孤独」をそのままにしてじいちゃんの言うことを聞くと、「じいちゃん、違ってんじゃねェかよ」になる。だからこうして、「じいちゃん、なに考えていたんだ?」と、『本居宣長』の再点検をしているのである。》(同、183〜4ページ)
源氏も平家も古事記も現代語訳した橋本治から見れば、小林の宣長の読みの無理が見える。しかし、無理をしても難しく読もうとしている「じいちゃん」のうちに橋本治は「孤独」を見る。それは、橋本治自身の「孤独」でもあり、宣長の孤独でもあり、そして山田先生の孤独でもある。
しかし、その孤独が共鳴するように、たとえ間違いを見つけても、橋本治にとって「小林秀雄の恵み」は「恵み」のままなのである。古典のそれぞれの味読が、孤独を媒介にして共鳴する。だから、そこには否定の応酬はなく、いよいよ古典の姿が明らかになるということが起こる。おそらくそれが橋本治の言う学問というものであろうが、それは、このあと橋本自身が小林の西行の読みなどを通じて確かめていくことである。
が、本居宣長の孤独について小林秀雄がその『本居宣長』の「二」でその遺言をめぐる事件を述べてその最後に書いているかっこいい文章を引用しておく。
《彼は、最初の著述を「葦別小船」(あしわけをぶね)と呼んだが、彼の学問なり思想なりは、以来、「万葉」に、「障り多み」と詠まれた川に乗り出した小舟の、いつも漕ぎ手は一人という姿を変えはしなかった。幕開きで、もう己れの天稟に直面した人の演技が、明らかに感受できるのだが、それが幕切れで、その思想を一番よく判読したと信じた人々の誤解を代償として、演じられる有様を、先ず書いて了ったわけである。》(文庫版、上、24ページ)
もう一度、小林秀雄の殺し文句を借りれば「確信は持たぬが、意見だけは持っている人々」の世界を尻目に、自分の確信のみを頼りに学問の世界に漕ぎ出していく宣長の姿に小林は同化しているのである。
山田晶先生の『中公世界の名著・アウグスティヌス』の「教父アウグスティヌスと『告白』」と題された解説文の最初の「アウグスティヌスと私」という山田先生自身の「告白」にも同じような姿勢を読み取ることが出来るように思う。
また、そのようにして形成され伝統される学問世界が、ヘーゲルの言うガイストがリアルなものとして君臨する「学」の世界なのであろうと思う。と、ここへきていきなりのヘーゲルで、長くてどーもスミマセンデシタ。
2008年05月16日
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