2007年07月05日

やっぱりつよい田口ランディ!――「恥を晒す」という学びの基本

 昨日は、学内のある会で田口ランディ氏の講演をお聴きした。

 田口氏は鶯色の和服で登場。
 へーぇ、着物なんだ・・・とちょっとビックリ。
 後ろの席にいたO田さんは「へーぇ、女のひとなんだ!」とえらくビックリ。ランディって名前は、男だと思ってたんだと。 オイオイ・・・。

 しかし、三砂ちずる、内田樹という「身体知」人脈に連なる人だから、ボディコンシャスな着物を着ての登場も納得。
 着物を身に着けると、自然と身体運用に気をつけることになるのです。

 話は、アウシュビッツ、キュブラー・ロス、水俣に、「わからない」自分を全開にしてぶつかっていく彼女らしい内容。

 去年の7月にこのブログに書いた彼女の『できればムカつかずに生きたい』の文章を思い出しながら聴いた。
 ふたたび引用する。
 
 私は違う。私は「わからない」を生きてやる。永遠の「わからなさ」を抱えて生きてやる。
 もし「わかって」しまったら、私は閉じてしまうから。
 「わからなさ」を生きている時、私は人と対立しない。開かれている。
 矛盾を抱えているとき、私は他人を排除しない、攻撃しない。
 「わからなさ」は苦しい。
 でも「わからない」限り、私は知ろうとする。知るということは自分の思考に異物を取り込むことだ。それは苦しい。でもたとえ苦しくとも「わからなさ」は私の怒りや憎しみを少し緩和してくれる。
 「わからない」とき、私は求めている、他者を。
 「わかった」と何かを強く確信した時、私は「わかっていない」他者をたたきつぶすかもしれない。
 そういう自分がとても怖い。(「わからない」を生きる、より)

 それば、口ごもる、ためらう自分を晒すことでもある。
 わからない恥ずかしい自分を晒すことである。

 あれ、最近どこかで同じようなタイトルの文章がありましたね。
 たぬき先生の『不可思議な日常』でした。
 たぬき先生の冷静さと田口氏のしぶとさ。面白いな―と思って聴いていました。

 また、内田先生が、「感情を割る」ということについて、田口さんとの会話を引いておられる文章も思い出しました。
 以下引用。

 作家の田口ランディさんとこのあいだおしゃべりしていたとき、ランディさんが「感情が割れてることって、たいせつだよね」と言ったの聞いて、深くうなずいてしまった。
 「感情が割れる」ということばは耳新しいけれど、本来感情というのはそういうもののはずである。ピュアな怒りとか純度100%の愛などというものはこの世にはない。
 (中略)
 けれども最近の風潮は、そのようなアモルファスな感情の渦動をていねいに腑分けしてゆく、根気の要る仕事には興味を示さず、むしろできるだけ単純な感情のうちに集約して、ややこしいことは止めたがっているように見える。そんなふうにして、「ややこしいこと」を止めてきたことのつけが多重人格、つまり「シンプルな別人格の時間差的出現」という仕方で症候化しているのではないだろうか。
 ランディさんが言った「感情を割る」というのは、おそらくさまざまな感情の断片を、そんなふうにきぜわしく一本化しないで、むしろその破片のひとつひとつの輪郭を手探りし、その肌目(きめ)を感じ取り、それを進んで味わうような構えのことではないかと思う。ほんらい、感情生活というのは、そのような微細な断片がモザイクのように散らばった、複雑で繊細な運動のはずである。そのひとつひとつの断片を同時に表情や声に載せることのできる人を私たちは「感情豊な人」とか「融通無碍な人」というふうに呼んでいたはずである。(内田樹『態度が悪くてすいません』角川ONEテーマ21新書、73ページ以下)

 人を差別するこころ、同情するこころ、羨むこころ、人と接するときのそんな感情の混乱、自分のわからなさを、晒しながら、体当たり的に考える田口ランディはやっぱり強いな、と思った講演会でした。

 そう言えば「肌目(きめ)」って、鷲田先生がよくつかわれることばですね。というわけで、鷲田先生の引用・・・というのは止めときますが・・・。
 たぬき先生、鷲田先生、内田先生という人脈もここにできました。

 というわけで、ジャズも「苦さ」だけで聴いちゃいけませんね。そこに、さまざまな感情、味わいの「割れ」も聴かなくちゃ・・・・

 というわけで、来週の水曜日は、いよいよビッグ・ウェンズデイ、内田先生の講演会となりました。
 内田的大波に上手く乗れるか?

 しかし、岩井克人、田口ランディ、内田樹と講演にお招きしているわが大谷大学というのは、ミーハーな大学ですね。
 大谷ミーハー大学。
 
 ミーハーな大学ですみません。
posted by CKP at 13:14| Comment(2) | TrackBack(1) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
着物を着ていると、腰痛が治ります(笑)。

田口ランディの本を先日たまたま読んでいたのですが、多くの人が考えることすらためらっているようなところにまで考えのメスを入れているように感じました。結局答えの出ない問いであろうが何だろうが、問いがある限りは問い続ける、そんな印象をもちました。
Posted by リヴァプール at 2007年07月05日 14:38
田口ランディの「わからなさに体当たりする様」には、とても魅力を感じました。
ミーハーな谷大に感謝です!!
Posted by いわし at 2007年07月05日 22:47
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傲りと衒い
Excerpt:  先週末、こんな記事を目にした。最大のアピールポイントに疑問符浄土思想への理解 
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