2017年06月20日

うんこ哲学ドリル――やけくそになったわけではない

 先週末、テレビで国会中継をみていて、怒りのあまり憤死しそうになりました。
思わず、「アベのクソ野郎」と叫びそうになりましたが、その言葉をグイと飲み込みました。
それでは、あまりにも失礼。
もちろん、クソつまりうんこに失礼ですね。
うんこは、生きていく上にたいへん大切なものです。
きちんとウンコがあることで、明るい毎日が築かれるのです。
アベなどにはもったないことばです。ウンコ、ごめん。

というわけで、待望の「うんこ哲学ドリル」。

〇〇を埋めよ。

1.カドワキは「我、うんこす、ゆえにわれあり」と言うが、〇〇〇〇は「我思う、ゆえに我あり」と言った。

2.「人間とは、食物を口から摂取し肛門からうんことして排泄する一本の管である」とカドワキは言うが、パスカルは「人間は考えるひと茎の〇である」と言った。

3、ヘーゲルは「ミネルヴァの〇〇〇〇は夕暮れに飛びたつ」と言ったが、カドワキのうんこは夕暮れに飛び散る(ちょっと下痢気味なのね)。

4、カドワキは、「うんこは生きている」と主張するが、ニーチェは「〇は死んだ」と述べている。

 こういうのなら、スラスラ書けるのですね。
小4男子の感性ちゅうことやね、わし。
posted by CKP at 13:33| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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