2017年03月08日

おぎゃー――オイオイの言葉

 しんらん交流館での日曜講演のとき、「おぎゃーという産声は、危険な声でもあります」というようなことをお話ししました。

 人間の赤ちゃんは、仰向けに寝たり、オッパイを吸うときお母さんの揺さぶりを待って吸うの休んだり、声を出すため喉を広げ気管支にものが詰まりやすくしたりして、死の危険を冒しながら言葉の世界に近づきます。
動物的生命よりも人間的生命を大切にする――というようなことを宗教学概論の講義で話したら、レポートに「産声も、天敵に居場所を知らせるようなもので、危険な行為ではないか」
という指摘がありました。

 なるほどその通りです。
というわけで、「学生諸君に教えてもらったのですが」と、前置きして、上の話しをしたのでした。

 人間というのは、そこに「死」を含んで存在している――という話をひろげて、その日曜講演では、フロイトの「快原理の彼岸」のラカンの解釈を、ヘーゲルのギリシア悲劇解釈を土台にわかりやすく話して、それで親鸞の神話観・浄土観を説明するというアクロバチック(悪路?)な展開となりました。

 お話ししていて、自分でも面白かったのですが、パラパラと参加していただいた方々を置いてきぼりにしてしまったのでは・・・
と心配していたら、正面に座っておられた70歳前後の爺さんが、終わったとたん「ええ話やった」とつぶやいてくださいました。

 これさえ聞けば、お礼なんかいらないくらいですが、ちゃんと用意していてくださったので、それはそれでありがたくいただきました。
posted by CKP at 10:31| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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