2016年12月19日

カドワキ坊の煩悩日記――気持ちはお金で計れない?

 昨日は、このたび新たなご縁をいただいたご門徒さんのお宅で法要。
はじめての場所なのでカーナビをたよりに50分ほどクルマを走らせ無事到着。
つつがなく法要を終え、故人が好物だったという大福餅とお布施とうやうやしく頂戴しました。
あら、「お車料」まで。
こちらもうやうやしく頂戴する。

 ご丁寧なおうちだなぁ、と思いながら家路につきますが、信号待ちの時、「『お車料』ってどれくらいいただいたのかな」とお包みをのぞいてしまうのは、煩悩のかたまりであるわたくしです。
したら、中身はカラッポ。
え?うそーっと、「お布施」のほうものぞいてみると、こちらもカラッポ。
立派な字で「お布施」と書いてあるんですけどね。

 はて、どうしたものか?
引き返そうか?
いや、それははしたない・・・いや、お布施は仏さまにいただいたものだから・・・
いや、はじめての坊さんを試しているのじゃなかろうか・・・
いや、気持ちはお金では計れないということだろうか・・・
我が煩悩の心は千々に乱れます。

 寺に帰っても、別に「お金を入れ忘れました」という連絡はない。
ま、「お気持ち」をいただいたということで・・・とあきらめかけたとき、
「買い物から帰って、お布施の中身を入れ忘れたのに気が付きました!」
という電話がありました。
それに「あー、そうでしたか。まだ見ていませんでしたの気が付きませんでした」
と嘘をついて、さらに業を積んでしまいました。

「いったいいくら入れようと思っておれれたのか」
我が煩悩のタネは尽きることはありません。
posted by CKP at 10:31| Comment(2) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「あー、そうですか。まだ見ていませんので気が付きませんでした」との嘘は暖かい配慮の言葉だと思います。きっと、お家では「しっかりせぇんかい!お前はそそっかしいな!家の恥になる!」とか、夫婦同士で、あるいは家庭内で一悶着あったやもしれません。それを御住職、まだ見て無かったんだって、良かった!ということで目出度し目出度し、、になります。知っていても知らないと答えるのが、大人の分別。私のお世話になった先生は、はぐれ雲の主人公のようと自分で言うだけあって、雲助、つまり地元のタクシーの運転手が沢山集まってくる場にいつもおられました。そこでは世間の日々の動き、人々の息づかいが絶えず入ってきます。法師を乗せたら、ほぼ10人中10人、煩悩の為せる業か、家路に着くまでに中味を確認されるとのことでした。壁に耳あり、ルームミラーに目アリ。御用心!!
Posted by ツジオカキヌコ at 2016年12月19日 21:27
 カドワキ坊の千々に乱れた煩悩からくる疑問は、いくら入っていたのかという真実を「知る」こと求めています。そして、その真実を「知りたい」という煩悩をカドワキ坊に、何度も言葉させ、その存在を「知る」ことができるものにさせている点をもって私は、カドワキ坊はその檀家さんから貨幣、それも真正のものを受け取っているように思います。
 というのは 「真正の貨幣は知恵だけだ」からです。
 だから、その貨幣で煙草は買えませんが、落ち込まないで煩悩いっぱいのニヤけ面を浮かべてほしいです。
Posted by akanekirihara at 2016年12月20日 06:57
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。