2016年11月18日

ついに登場――クルレンツィス『ドンジョヴァンニ』

予約しておいたテオドール・クルレンツィス×ムジカ・エテルナの『ドン・ジョヴァンニ』が届きました。
これで、彼らのモーツァルト×ダ・ポンテ三部作、つまり『コジ・ファン・トゥッテ』、『フィガロの結婚』そして『ドン・ジョヴァンニ』が完成したわけであります。

 全曲聴き通すと3時間近くかかるオペラです。
しかし、先週とどいてから、私はもう二回も聴きとおしてしまいました。
全曲きちんと聴きとおすのはおそらく40年ぶりくらい。
軽快でしかもメリハリが利いていて、とても面白い。
往年の大歌手の迫力は聴かれないけれども、全体のバランスがよく、とても見通しがよい。
このオペラにつけられる形容詞「デモーニッシュ」というのとは違う不思議な魅力が迫ってきます。

 先の二つは完全な喜劇ですが、この『ドン・ジョヴァンニ』は、冒頭にいきなりドン・ジョヴァンニが、引っ掛けそこなった女性の父親を殺し、最後にはその父親の亡霊によって地獄に道連れにされるという暗いドラマ。
そこを強調してデモーニッシュな演奏があるわけです。
しかし、その二つの事件の間は、女たらしドン・ジョヴァンニとその従者レポレッロの喜劇。
昔から悲劇か喜劇が判別がつかないオペラとして有名で、これという決定盤が見当たらないとされるオペラです。

 少なくとも私にとっては、この演奏が決定盤になりそうなレコードです。
軽快であり、しかしずしんと来る――どうも褒める言葉が見つかりません。
それでブックレットをめくっていたら、このドラマについてクルレンツィスがカミュの『シーシュポスの神話』の「ドン・ファン論」から次の部分を引用していました。

「ドン・ファンのなかに、生のむなしさを説く『伝道之書』で養われた人間を眺めようと試みるのは、一見いかにももっともらしいが、大きな欺瞞である。なぜならばもはやかれにとっては、死後の生への希望意外は、なにものもむなしくはないからだ。かれみずからその証拠を示している。自分の死後の生を、天国とは反対側のほうに賭けているからだ。享楽のなかに失われていった欲望を愛惜する、――不能を語るそんな常套句はかれには属さない。そんなものは、自分を悪魔に売りわたすほど神を信じていたファウストにこそ似つかわしい。」(清水徹訳、新潮文庫版改版、126ページ)

 クルレンツィスの『ドン・ジョヴァンニ』の面白さは、このようなドン・ジョヴァンニ観に秘密がありそうです。
が、あんまりそこから論ずるより、まずは聴いて楽しみます。
とっても面白いです。
輸入盤だとLPでも4千円台、CDだと2000円台(円安が進むと値上がりするかも・・・)
posted by CKP at 21:32| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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