2016年11月16日

いまさら言うのもなんですが――私は器の小さい人間ですぅ

 先日、あるお寺の報恩講で法話を一席うかがう機会をいただきました。
親鸞聖人のご恩をご門徒の方々と確認し、そのうえなにがしかのお鳥目までいただけるというような、まことに有難い機会、私などには勿体ないような機会であります。
わたしの場合、どういうわけか、このところそういう機会がさっぱりなくなったので、めったにない機会と、張り切って出かけました。
風邪で喉が痛く熱も少しありましたが、我が寺の親鸞聖人の原寸大の熊皮の御影を持ち出して、お話ししたのであります。
幸い、ご門徒方も身を乗り出して聞いていただいたように思います。

 そのあとご住職と歓談し、歓談し、歓談。
そしてご住職は何やらお取込みがあるらしくどこかへ行ってしまわれました。
はて、どうしたものでしょう?
こういう場合、話が終わると、ご住職から和紙に「御礼」と書かれた包みをいただくのです。
そして、「いやいや」とかわけの分からないことを言って、結局はいただく。

 が、いっこうにその気配がありません。
こちらから請求するわけにもいかない。
ご住職は消えたまま。

 いつまでも、もの欲しそうに座敷にポツンと居残っているわけにもいかず、腰を上げました。
奥様からお土産をありがたくいただきました。
そして、玄関で晴れやかに送っていただきました。
が、こちらはなんだかかたづかない気持ちのまま。

 ま、家に着くころには「あ、お礼をお渡しするのを忘れました」と連絡があるだろう、と家路につきます。
が、家についても、そのような連絡は無し。
一日たっても、二日たっても、三日たっても連絡なし。

 あの法話はボランティアだったのかなぁ。
いや、去年は「お礼」ってもらったぞ。
座敷を掃除をすれば、床の間に「お礼」の包みを発見して「忘れていた!」って大騒ぎになるのでは・・・
などといろんなことを考えます。

 いやいや、親鸞聖人のお話をさせていただいただけでもありがたい事じゃないか・・・
と思おうとするのですが、やっぱ、なんだか片づかない。
そんなに気になるなら直接電話で確かめたら・・・と家人に言われるが、そんなあさましい真似はできない。
と、考える自分が浅ましい。

 ひょっとして、いただいたのを私自身が忘れたかな、と不安になって鞄などを探すがやはりない。
「いただいたお礼を持ち帰るを忘れてないでしょうか」という電話をしようかなどとも考える。
「お礼は振り込みになったのでしょうか?口座番号ご存知でしたでしょうか」と電話しようとも考える。
そこまで考える自分の浅ましさ、器の小ささにもううんざりする。

 というわけで、ここに一文したためてすっきりしてしまおうという魂胆なのでした。

 ああ、どうせ、おいらは小さい人間ですよ!

 そんなこと百も承知の皆様には、不必要な文章でしたね。

教訓
坊様がなかなか帰らないときは、お布施をお渡ししたかどうか確かめましょう。
お渡しすれば、すぐ帰ります。
posted by CKP at 18:59| Comment(1) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お話、大変興味深く拝読致しました。そういうことはやはりキチンとなさっておいたほうが良いかと思われます。。ボランテイアだったのか、それとも単なる渡し忘れか、、それが問題だ、はシェークスピアでしたっけ。

私は若い時分に聞いた、田舎のお葬式での帳場の人の口上が忘れられません。
京都より、高僧が来られて一服して奥の間で私たちと話をしていた時です。「失礼致します」との声。「何でしょうか?」と聞くと、ササーッと中に進み出て、「私、帳場を預かる〇〇と申す者ですが、ただ今お預かりしました御香典の中味を確認しましたところ、中身が入っていませんでした。何かの御間違いかと存じますので、今一度、おあらためいただけませんでしょうか?」一同、アラッ!しぃーーん。。「あらっ?そーお?」と照れ笑いのあと、すぐに申し訳なかった、、歳なもので、、と現金を渡していました。。別に当たり前のことかもしれませんが、日頃、おんさん!と言って、普通のお百姓の人だったんですが、この時ばかりは何故か妙にりりしく、かつ誠実で何かカッコイイ感じがして見直したことを今でもよく憶えています。ハッキリ、すぐに、、伝えるのが良いと思われます。その役、「私、寺の帳簿を預かる〇○と申す者ですが、、」とかってでましょうか?
Posted by ツジオカキヌコ at 2016年11月16日 21:03
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