2007年02月16日

「これを勉強すると何の役に立つんですか」に絶句する山田晶先生

 昨日の記事を書いたら、山田晶先生のことを思い出した。

 『アウグスティヌスの根本問題』『トマス・アクィナスの《エッセ》研究』などの浩瀚な学術書で小生のようなチンピラ研究者の心胆を寒からしめる、アウグスティヌス、トマス・アクィナス研究の世界的な権威である。
 が、京大構内をいくつもの空になった本のケースを抱えてひょこひょこ歩かれるそのお姿は、そんな気配を微塵も感じさせない、掃除のおっちゃんという風情であった。
 研究室には、そのブックケースに数万のカードが整理されていたと言われる。
 朝はは6時半に研究室に来られて、フリチンで体操されてからひなが研究に没頭されているという伝説すらがあった。面白いけどなんでフリチンなのか、よくわからない「伝説」である。
 また、学生時代は、小生の師・上田閑照先生とどちらが夜遅くまで勉強しているか、競い合っていたという伝説もある。こちらの伝説は、小生が大学院の頃上田先生から「一日に12時間は勉強せねばなりませんよ」とお叱りをうけたことから考えると、あながち「伝説」とは言えまい。

 その山田先生を相手に「団交」したことがある。1977年ごろだったと思う。
 国立大学の授業料が値上げされるというので、文学部教授会も反対声明を出せ、という趣旨の団交であった。当時の団交は、全共闘時代の罵声を浴びせるというものではなく、わりと穏やかに話をすすめるものであった(と思う)。
 われわれが、文学部教授会を説得しようとして採用したロジックは以下のようなものであった。

 授業料が上るということは、学問をするのには金がかかるということを意味する。そうなれば、そのかかった資金を回収しようという意識が促進され、高等教育が一種の「投資」ということになってしまう。つまり、授業料値上げを見過ごすことは、このような「教育投資論」の定着を認めることになりはしないか。文学部教授会はこれを認めるのか?

 このようなロジックで、田中君は山田先生を説得しようとしていた。小生は後ろのほうで「どうするんだ!」とガラ悪く叫んでいた(叫ぶことがラディカルだと勘違いしている頭の悪い学生がいつの時代にもいるのですね)。

 これに対して、山田先生はしばし絶句された。
 そして、不思議そうな表情でわれわれに聞き返してこられた。
 「どうして、学問をするとお金が儲かるのですか?」
 田中君はシドロモドロでもう一度説明していたが、その後どうなったかは覚えていない。

 小生が覚えているのは「大学で学ぶことがお金儲けにつながる」という考え方を、想像すら出来ない山田先生の表情であった。
 とぼけておられたのかもしれない(山田先生の名著『アウグスティヌス講話』講談社学術文庫を読めば、この先生がどれほど人間のどろどろした欲望を見据えて中世哲学の研究をされていたのかが分かる)。

 しかし、われわれは先生の絶句するそのお姿に感動した。
 かってに誤解しただけかも知れぬが、学問をするというのがどういうことなのかを教えていただいたと思ったのである。
 そして、そのような学者が目の前におられることをうれしく思い、そんな先生と団交の席とは言え、言葉を交わすことが出来たことに感動したのである。
 田中君は、その後吉本新喜劇の台本を書くことになる。確かに吉本新喜劇って何の役に立つんですか、である。

 「これを勉強して何の役に立つんですか」と問われたとき、絶句するというのは、少なくとも小生や田中君には絶大な教育効果があった(わりには、いつまでも馬鹿ですみません)。

 「これを勉強して何の役に立つんですか」と問われたとき、絶句できるようにちゃんと勉強しようと思う。
 こういう決意ばっかり書いているような気がする。
posted by CKP at 16:36| Comment(9) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんなブログ書いて、こんなブログ読んで、何の役に立つんですか?
Posted by 小僧 at 2007年02月20日 10:23
絶句・・・・・・!
Posted by CKP at 2007年02月20日 10:24
山田先生は逝去なされました。生前、死後は献体するようにとの遺言を造っておられたと聞きましたが(誰に聞いたのだろうか)。人の身体もレースですか(無論、当然のことですが)。人は死すべき存在であるというのは、そういうことなのですか(どういうことか、まったく分からないですが)。『詩集』のなかに、パウロスの言葉を引いて、最後に「エレイソン・キリエ、キリエ・エレイソン」という言葉で終わるものがありました。

エレイソン・キリエ、キリエ・エレイソン
主よ、あわれみたまえ、あわれみたまえ、主よ

フォーレの『レクイエム』を想い出しました。LPで持っていたが、CDでは持っていない。In Paradisum,....
Posted by 海の星 at 2008年03月03日 04:17
かねて入院中とお聞きしていましたが、ついにお亡くなりになりましたか。
合掌
Posted by CKP at 2008年03月04日 16:08
イギリスの大学(哲学・修士)在籍のFujitaといいます。現在、山田先生の『在りて在る者』−アウグスティヌスとトマスの Exod 3,14 解釈−を読んでいまして、その論文のあまりの完成度に感動して、山田晶という方はどのような方か、インターネットを検索していました。
とても興味深いエピソードをありがとうございました。3年以上も前の記事ですが、書き込ませてもらいます。
Posted by Fujita at 2010年08月24日 00:25
コメントありがとうございます。
小生のようないい加減な研究者にならぬように、しっかり研究に励んでください。
研究の深化を祈念いたします。
Posted by CKPKadowaki at 2010年08月24日 09:41
アウグスティヌスの「幸福論」を学生に教えるのに、久しぶりにネットで漁っていて、山田先生が3年も前にお亡くなりになったていたことを知り愕然としました。年賀状のやり取りが途絶えたのを、ご病気とは知らず、同じ神奈川にいらしたということなのに…悔いが残ります。哲学者とはかくあれ、という風貌が思い出に残っています。
Posted by 山ア 幸子 at 2011年09月01日 13:42
山田ゼミに在籍すると云うことに酔っている人々、先生にくっついていれば何らかの推薦などもらえるのではと追従する人々の中、私はそうではないと思うあまりどうしても必要以上に近づくことができませんでした。それでも、私の問題意識を唯一理解し、支持して下さいました。詩集等、諸々の出版物を頂いておきながらもう一度お礼を申し上げることなく他界され、残念です。
「具のない焼きうどん」「二重ネクタイ」等々のエピソードをどこかに残しておかねばなりませんね。本当に謙虚な、大佛次郎賞授賞の報告すら、冗談を交えてなさる方でした。「トマス・アクィナスを学んで何の役にたったんですか」と尋ねられたら、「あらゆる物事の本質を見抜くことを学んだと」答えます。それもやはり、山田先生であったからなのですが。
Posted by Janne at 2012年03月06日 18:11
山田先生
のかつてのスペイン
留学先
ご存知の方はおしらせ
くださいませんか。
Posted by 横山 善裕 at 2013年09月16日 12:34
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