昨日の記事を書いたら、山田晶先生のことを思い出した。
『アウグスティヌスの根本問題』『トマス・アクィナスの《エッセ》研究』などの浩瀚な学術書で小生のようなチンピラ研究者の心胆を寒からしめる、アウグスティヌス、トマス・アクィナス研究の世界的な権威である。
が、京大構内をいくつもの空になった本のケースを抱えてひょこひょこ歩かれるそのお姿は、そんな気配を微塵も感じさせない、掃除のおっちゃんという風情であった。
研究室には、そのブックケースに数万のカードが整理されていたと言われる。
朝はは6時半に研究室に来られて、フリチンで体操されてからひなが研究に没頭されているという伝説すらがあった。面白いけどなんでフリチンなのか、よくわからない「伝説」である。
また、学生時代は、小生の師・上田閑照先生とどちらが夜遅くまで勉強しているか、競い合っていたという伝説もある。こちらの伝説は、小生が大学院の頃上田先生から「一日に12時間は勉強せねばなりませんよ」とお叱りをうけたことから考えると、あながち「伝説」とは言えまい。
その山田先生を相手に「団交」したことがある。1977年ごろだったと思う。
国立大学の授業料が値上げされるというので、文学部教授会も反対声明を出せ、という趣旨の団交であった。当時の団交は、全共闘時代の罵声を浴びせるというものではなく、わりと穏やかに話をすすめるものであった(と思う)。
われわれが、文学部教授会を説得しようとして採用したロジックは以下のようなものであった。
授業料が上るということは、学問をするのには金がかかるということを意味する。そうなれば、そのかかった資金を回収しようという意識が促進され、高等教育が一種の「投資」ということになってしまう。つまり、授業料値上げを見過ごすことは、このような「教育投資論」の定着を認めることになりはしないか。文学部教授会はこれを認めるのか?
このようなロジックで、田中君は山田先生を説得しようとしていた。小生は後ろのほうで「どうするんだ!」とガラ悪く叫んでいた(叫ぶことがラディカルだと勘違いしている頭の悪い学生がいつの時代にもいるのですね)。
これに対して、山田先生はしばし絶句された。
そして、不思議そうな表情でわれわれに聞き返してこられた。
「どうして、学問をするとお金が儲かるのですか?」
田中君はシドロモドロでもう一度説明していたが、その後どうなったかは覚えていない。
小生が覚えているのは「大学で学ぶことがお金儲けにつながる」という考え方を、想像すら出来ない山田先生の表情であった。
とぼけておられたのかもしれない(山田先生の名著『アウグスティヌス講話』講談社学術文庫を読めば、この先生がどれほど人間のどろどろした欲望を見据えて中世哲学の研究をされていたのかが分かる)。
しかし、われわれは先生の絶句するそのお姿に感動した。
かってに誤解しただけかも知れぬが、学問をするというのがどういうことなのかを教えていただいたと思ったのである。
そして、そのような学者が目の前におられることをうれしく思い、そんな先生と団交の席とは言え、言葉を交わすことが出来たことに感動したのである。
田中君は、その後吉本新喜劇の台本を書くことになる。確かに吉本新喜劇って何の役に立つんですか、である。
「これを勉強して何の役に立つんですか」と問われたとき、絶句するというのは、少なくとも小生や田中君には絶大な教育効果があった(わりには、いつまでも馬鹿ですみません)。
「これを勉強して何の役に立つんですか」と問われたとき、絶句できるようにちゃんと勉強しようと思う。
こういう決意ばっかり書いているような気がする。
2007年02月16日
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エレイソン・キリエ、キリエ・エレイソン
主よ、あわれみたまえ、あわれみたまえ、主よ
フォーレの『レクイエム』を想い出しました。LPで持っていたが、CDでは持っていない。In Paradisum,....
合掌