2012年09月09日

「向き・不向きより前向き」――マサチカ先生の言葉

 知人のお嬢さんが、ある企業の面接で、印象に残る先生の印象に残る言葉を尋ねられて思い出した言葉。

「向き・不向きより前向き」

 その先生は、そのお嬢さんが中学時代少し荒れ気味だったのをやさしく指導してくださったマサチカ先生。
「印象に残る先生は?」と面接官に問われて、すぐに思い出したという。
思い出を語るうちに、懐かしさと有り難さで泣きながら、どれほどお世話になったかを話したという。
そしたら別の面接官が「印象に残る言葉は?」と尋ねたそうな。
とっさに「向き・不向きより前向き」というマサチカ先生の言葉を思い出したという。

 現代は、就職でも結婚でも「向き・不向き」とか「適性」「相性」を検討する時代である。
そして、そこでの「私の実現」を目指す。
しかし、人間のアタマで測れる「向き・不向き」「適性」「相性」などはたかがしれている。
ましてや、そこから実現される「私」などはたかが知れている。

 人間の目から見た「向き・不向き」など関係なく「前向き」に取り組むところに、想定外の「私」が出現してくる。
だから人生って面白いぞ!
――マサチカ先生ご自身が、生徒たちといろんなことに取り組むことによって、面白い教師生活を見いだされたのではないだろうか。
それだからこそ、生徒の心にもその言葉が印象深く刻み込まれたのではなかったか。

「向き・不向きより前向き」
よい言葉ですね。

 私なんぞも「いつも元気で大きな声」という客観的評価から考えると、哲学に「向いている」というタイプではない。
ふつう、哲学に向いていると考えられるのは、どちらかというと、元気ではないとは言わないが内省的で静かなたたずまいというタイプである。
私の場合、「内省的」を「顔」で表現しようと「眉間に縦皺」ということを試みて、ヘーゲル読むとき、鏡を前において「眉間に縦皺」になったか確認しながら読んだことがある。
こーゆー事をする時点で、哲学に「不向き」であるのは明らかであるが、じっさい、結局、涙ぐましい努力に関わらず、眉間に縦の皺はよらなかった。

 しかし、「元気で声の大きい」哲学徒でも、眉間に縦皺よらなくても、それなりになかなか愉快にやっているわけである。

 さてさて、くだんのマサチカ先生の「マサチカ」はファースト・ネーム。
そうやってファースト・ネームで呼ばれるほど、、マサチカ先生は生徒たちに慕われていたのであろう。
姓は朝倉という、大谷大学出身のお坊さん先生なのでした。
「何事もご縁と思って取り組め」と抹香臭く言うのでなく、「向き・不向きより前向き」というしゃれを使った印象深いフレーズで生徒の心に打ち込んだのがミソ。
今は別の中学に異動になって、そこでも剣道部の顧問をしておられます。
posted by CKP at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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