2006年11月14日

文藝奨励賞、CKPのゼミより二人も入選の謎

 先の学園祭の後夜祭で表彰された「文藝奨励賞」の入選9人のうち、5人が哲学科、そのまた5人のうち2人が我がCKPのゼミの田島君と柚山さんであった。
 大変めでたい。

 それぞれ、生きることを厳しく見つめた短いけれどもよく届く言葉で書かれた作品でありました。
 
 しかし、何故我がゼミからこのように入賞者が二人も出たのか?
 基本的には、彼らの日ごろの研鑚の成果である。
 CKPが指導したのは「この文藝賞に応募しようね」とゼミで大いに宣伝したことだけである。
 おそらくそれが少し利いて、こういう結果になったのであろう。

 ただ、そのとき「5万円とか3万円とか1万円とかを、50字で割り算してみぃ。こんな割のいい賞はざらにないで」と、実もフタもない動機付けをしたのが功を奏したのかも知れぬ――してないか?
 しかし、この奇妙な動機付けは、彼らの印象に残ったに相違なく、とにかく出してみようかという気になるには何らかの効果はあったはずである。
 そんなくだらない動機ではなく、とにかくこの気持ちを誰かに届けようって――。

 その昔、CKPの友人に、修士論文の字数でドクター3年間でもらう奨学金の合計を割り算して、1字いくらになるかをを割り出して、鉢巻締めて論文を仕上げたヘンテコな学生がいた。今は、某国立国語研究所の教授さまになっておられる(そんな発想する奴だから、ヘンテコな研究してるんですけど)。
 何かを仕上げるときは、とにかく、あらゆる動機付けを総動員して仕上げる、ということである。
 萎える気持ちを、何とか奮い立たせることが最終段階では、大切なのである。
 これが仕上がったら・・・できる、とか(そう言えば、「学会発表を終えてパチンコに行くのがメチャメチャ快感なんです」というハイデガー研究者の友人がいた)。
 その日を夢見て、とにかく仕上げるのである。どんなばかばかしい動機でもよいのである。問題は作品そのものであるから。
 ほとんど、自分に向かって書いているな、これは。
posted by CKP at 17:27| Comment(6) | TrackBack(1) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いいなぁ、この文章♪

昨日の会合、すっかり忘れとりました。
許しておくれやす。
ヒィー o(><*)o o(*><)o
Posted by pilz at 2006年11月14日 18:04
このような「仮言命法」を、そのように「いいなぁ」などと言ってよろしいのでしょうか?
Posted by CKP at 2006年11月15日 08:36
去年、「哲学科演習4b」にいました誰かです。
金一封を貰えるという盟約の下に学校本の記事を書きましたが、ボールペンしかもらえませんでした…。

しかし今回の文芸賞では、ちゃんと五万円もらえました!ボールペンではなかった!
世界は上手く回ってますね。ありがとうございます。
Posted by mk at 2006年11月17日 11:17
「哲学科演習4b」の「誰か」さんが演習で発言した内容について、昨年の12月12日のブログに書かせていただいたような記憶が・・・・・。
ボールペンすらも出しませんでしたが・・・・。
Posted by CKP at 2006年11月17日 13:33
大衆蔑視については、『他人を見下す若者たち』という本を最近読みまして、わかった事が幾つかありました。

傾向として「プライドが高くて、失敗を恐れる。完全にやれることしかやらない」というのがあって、

引用(P6〜P7)
 今、人と人との親密なつながりが失われつつある現実の中で、誰もが対面を保ち、個を主張して生きていくことが求められている。だが、少子化の影響で小さい頃から大切に育てられ、苦労をせず、楽しいこと、面白いことに浸ってきた若者にとって、見知らぬ社会を一人だけで歩いていくことは恐怖でもある。欲しいものを何でも買い与えられ、有り余る時間を自分のためだけに使ってきた人たちが、激しい現実の競争社会の中でまともに生きていくことは難しい課題である。
 しかし、実は彼らはそれを乗り越える術をいつのまにか習得してきたようにも見える。それは、おそらく本人自身もあまり気づいていない無意識的なもので、個人主義文化を担った人たち、さらには、ITメディアの影響を受けた人たちがいつのまにか身につけた"仮想的有能感"とでも呼ぶべきものである。これは先ほど述べた他者軽視をする行動や認知に伴って、瞬時に本人が感じる「自分は他人に比べてエライ、有能だ」という習慣的な感覚である。
 現代人は自分の対面を保つために、周囲の見知らぬ他者の能力や実力を、いとも簡単に否定する。世間の連中はつまらない奴らだ、とるに足らない奴らだという感覚をいつのまにか自分の身に染み込ませているように思われる。そのような他者軽視をすることで、彼らは自分への肯定感を獲得することが可能になる。一時的にせよ、自分に対する誇りを味わうことができる。

引用(P60)
 千石保氏とロイズ・デビッツ氏は、「三〇歳になった時、どんな仕事についているか」という質問を、日本とアメリカの高校生に対して行った。その結果、アメリカの高校生で選択率が最も高かったのは、「医者や弁護士・大学教授などの自由業」で四七・八パーセント、その次が「大企業の従業員」で四七・〇パーセントであった。一方、日本の高校生が最も多く選んだのは、「中小企業の従業員」の四六・六パーセントであった。この結果は、アメリカの高校生が理想主義的で、日本の高校生は現実主義的である、という見方も可能であるし、なぜ中小企業の従業員であってはいけないのか、という反論もあろうが、現在の日本の若者が、立身出世的な夢をあまり抱いていないことだけは確かである。
 それは、現在では国民の生活水準が一様に高まり、大企業でなく中小企業の従業員だとしても十分に豊かな生活が可能で、わざわざ苦労して高い地位や責任ある地位を得る必要がない、と考えているためではなかろうか。一昔前までの有名な歌手やプロ野球選手の中には、親に豊かな生活をさせたいので、歯をくいしばってがんばった、というような、自分の栄光への道のりを語る人も少なくなったが、芸能界やスポーツ界でも、おそらく今後このような人たちはあまり見られなくなるだろう。

引用(P61)
「大志」という言葉は、世俗的な「金銭」とか「地位」と連動して使われている場合が多い。といって現代の若者がそれらを薄汚い物として否定しているわけではない。むしろ金銭や地位がないよりはある方がよい、と現実的に考えているだろう。ただ、それを追い求めて汗だくになって努力するよりも、日々をのんびり楽しく暮らした方がまし、と思っているだけである。


と、そういうわけらしいです。

今年の春から、読んだ本で気になった所をメモする習慣を付けたのですが、役に立ちました!
Posted by mk at 2006年11月17日 20:51
なるほど。
 
しかし、なんかCKPの長い長い引用癖がうつったみたいですね。
Posted by CKP at 2006年11月20日 17:22
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