我輩はメダカである。名前はまだない。
仲間と広い川で気持ちよく泳いでいたとき、ザーという轟音とともに水から引き上げられ、目を回した。気がついたら、ある家の玄関先の睡蓮鉢にタニシ君と一緒に入れられていた。
時折、間の抜けた面相の50男が、恍惚の表情で我輩の遊泳を眺めている。それを我輩は下から眺めることになるので、間の抜けた面がいっそう間抜けに見える。冷笑するには余りに気の毒な顔立ちで、はからずも同情してしまう程である。
これが我輩の飼い主のCKPという妙な名前の人間である。
この主人、家にいるときは、まるで手柄でもたてたかのように「疲れた、疲れた」を連発している
人間の世界では疲れると尊敬でもされるらしい。不可思議な習性である。
それで、このCKP、家では我輩を眺めているか、テレビを見ているか、あるいはよだれをたらしてうたた寝しているかのいずれかで、仕事をしているのを見たことがない。
仕事は、大学というところで十分にしていると家人に主張しているが、聞くところによると、その大学というところでも、研究室のインターネットで遊んでいるか、タバコとかいうものをふかして煙を吐き出しているか、ガラクタたぬきとかPANDA あるいはキノコみみずくなどと自称する狐狸妖怪の類と飯を食い、愚にもつかぬことをしゃべり散らしているだけらしい。
大学とは、人のすまぬ森のようだ。
それでいて「今の世の中で、大学教師ほどきつい仕事はない」とこぼすことにかけては一人前である。あれで大学教師が務まるならば、我輩やタニシ君にも勤まるであろう。
今日は隣家のネコ君が遊びに来たので少しく談笑する。
このネコ君のご先祖は、何でも夏目漱石という文豪の家に飼われていたとかで、少々気位の高いのが剣呑である。
件のネコ君に、うちの主人が、ブログというところに、「犬になって考える」などということを書き付けたようだ、と報告したら、いかにも片腹痛いと言わんばかりに吐き棄てる。
「どうして、人間のうちでも学者だの作家だのという人種は、ああして動物になりたがるのだろう。うちのご先祖のご主人も、ご先祖の名をかたって『我輩は猫である』などという小説を書いたそうな。
そして、『山路を登りながら』ろくでないことを考えて、温泉場で遊んできただけを、非人情の実験、俳諧的人間観察と称して『草枕』などと言う愚にもつかぬ小説を発表したらしい。
この類の人種は、どうも、人間界に住む場所がなくなってしまった『人でなし』の役立たずの輩じゃないのか。」
ご先祖がご先祖だけに、言うことがなかなか辛らつである。
「漱石先生の同時代人の柳田という御仁は何でも『明神山のミミズク』になったというじゃないか。そう言えば、君のご主人の研究しているヘーゲルとかいう哲学者も『ミネルヴァのふくろう』になったそうじゃないか。
鳥なんぞになりたがるのは、高いところに飛び上がりたい馬鹿者だけだろう。
その点、うちの漱石先生は、『ネコ』だから目の付け所がいい。」
やはり、ご先祖のご主人の事は自慢の種と見える。
「しかし、哲学というのは、そもそも生きてる人間のやるものじゃないんだろう?何でもギリシアのソクラテスという爺さんは、熊に襲われたときの用意に死んだ真似の練習ばかりしていたそうじゃないか。死ぬ練習が哲学の始まりというんだから、ありゃ、幽霊がやるもんだろ。
まあ、非人情といえば非人情だがね。人間じゃないんだから。
そういえば、うちのご先祖も、小説の最後には死んでしまうのだから、あの小説は幽霊の語り、円朝の落語みたいなもんだね。ってことは、うちのご先祖も立派に哲学とやらをやっていたわけだ。」
なんだか話がよくわからなくなって来た。
ギリシアというのはそんなに熊が出たのだろうか。ソクラテスの話が何でいきなり円朝の話しに飛ぶのかもよく分からない。
それに幽霊とは人間か猫の死に損ないである。このネコ君もいずれ立派な化け猫になるに相違ない。
時々このネコ君は分からん話をする。
しかし、哲学だのギリシアなどを持ち出されては、我輩はどう応対してよいか、皆目見当がつかぬ。こういうのを人間では「手も足も出ない」と言うらしいが、あいにくこちらはメダカだから、最初から、出る手も足もない。
さすが、鉢の中のメダカとは違ってネコ君は物知りだね、とおだてると、ネコ君は少々鼻の穴を膨らませて、
「君には少し難しくてすまなかったね。いろいろ世間を見回すと考えることがあってね。世に苦悩の種は尽きまじさ」と、どうゆうわけか石川五右衛門のせりふを引っ張り出して、眉間にしわを寄せて学者のような顔つきを試みた。
しかし、悲しいかな、ネコの額にはしわのよる場所がない。
長く人間界を徘徊していると、どうも人間の悪いところばかりが感染するようである。そんなものに感染するくらいなら、少々狭いが、睡蓮鉢の中を悠々と回遊しているほうが、幸福な一生をおくれそうな気がする。
ともかくネコ君はその知識の披瀝に満足を覚えたらしく、大きく欠伸をすると、「失敬」などと大時代的な挨拶をして、どこかへ立ち去った。
2006年06月26日
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なるほど。
なんだか、よくわからないけど、面白そうですね。