2011年03月30日

人知の傲慢を断罪する傲慢――あるいは、なぜ哲学者はエラソーなのか

 みるみるうちに水位が下がってゆくのであった。
福島原発のトレンチの水が減ってゆくのである。
よかった!と思ったらマクラもとでケータイがブーブー鳴っておりました。
夢の中でも原発が出てくるのでした。

 ほんとに毎日気鬱である。
原発をなんとかして抑え込んでくれ!と祈るしかない。
今、原発政策や東京電力を批判しても、事態の好転にはなんら貢献しない。
原発に対するどんな意見を読んでも、今は気持ちが晴れない。

 なかには「原発事故は人間の傲慢が招いた人災である」と科学や人間知を断罪して、何がしかのことを言った気でスマしている宗教者もいる。
都知事の「津波は人間の我欲への天罰」と大同小異であろう。
というのは、「人間の傲慢」を言った人も、「天罰」を言う人も、どうも自分は勘定の外に置いているようだからだ。
人間の傲慢に気づいている私は、原発事故には責任がない。
我欲に気づいている私には、天罰はくだらない。

 このような発言形式、事態とのスタンスの取り方自体が「傲慢」なのだろうと思う。
自分は、人間の側にいるのではなく、天とか神とか仏の側にいる。
そこから人間の傲慢や我欲を批判して、何がしかのことを人間世界にむけて言ったような顔ですましている。
人間を批判し、同時に人間としてその批判を甘受し、そこから事態に向き合うというのが、ある事態のなかにいる人間のありかたであろう。

 確かに原子力を人間の力で制御できると考えるのは人間の傲慢である。
しかし、それを言ったら、空飛ぶ飛行機だって、急に止まれない自動車だって人間の傲慢である。
自動車で毎年どれだけの人が亡くなっているのか?
飛行機や自動車やそして原発の電気の恩恵を享受するだけ享受しておいて、それらを発展させた人間知の傲慢を言うのは勘定が合わない。
今は人知を結集して、原発を抑え込まねば一歩も進めない。
その後、人間の知を結集して今後のエネルギーのことを考えねばならないのだろう。

 おそらく「傲慢」は、知恵の木の実を食べた、あるいは言葉という不自然な音声を操る人間の基本的な属性なのである。
言葉を発する私は、常に既に言葉で表現された世界の外にいるのだから。
「私は傲慢です」と発言する私は、その「傲慢」を免れているように見える。
が、そういうポジショニングが傲慢だったりするのである。

 が、よく考えたら、人間をなんだかんだと批判するのは、哲学者の常である。
まるで、神のポジションに立ったように、人間の在り方を論じたりする。
だから、傲慢でエラソぶっていながら「人間の傲慢」を断罪していたりする哲学者がいたりするのである。

 鷲田清一先生が、ご自身の哲学においても「愛嬌」と「気配り」と言われるのは、ひょっとすると、哲学というのはチョット油断すると「傲慢」と「独りよがり」に陥りやすいという実例をたくさん見てこられたからかもしれない。
気をつけねばね。
posted by CKP at 18:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
高速増殖炉もんじゅの現状

原子炉に鉄クズ(交換装置)3.3トンが落下し、回収が不能であることがわかった
燃料棒の交換方法断たれる
燃料が高濃度のプルトニウムで福島よりずっと臨界しやすい
プルトニウムの量は長崎原爆の100倍以上
本州のど真ん中福井県にあるが、地震プレートの真上にあることが建設後にわかった
高速増殖炉の構造上配管が複雑でクネクネしててペラペラ、地震に構造的に弱い
中を見るカメラが故障し、修理不能であることがわかった
冷却系が液化ナトリウムで、水や空気に触れると大爆発を起こす
担当者自殺
燃料の質と量から、チェリノブイリや広島長崎なんか目じゃない人類史上最強の事になる
半径300kmは…


廃炉を目指せばまだ打つ手はあります
投票行動を含め教団の組織力が市民のために正しく使われることを望みます

Posted by 一市民 at 2011年04月01日 17:48
哲学者に限らず学者や研究者のような仕事は傲慢、世間知らず、高飛車になりやすいので、一般の人よりも傲慢不遜な態度や言動に気をつけなきゃと思うんです
Posted by 森香菜子 at 2016年11月29日 06:30
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック