2017年04月04日

タヌキは山のもの――空に星があるように、山にタヌキが住むように

 卒業式の日に卒業生の皆さんに贈った荒木一郎の「空に星があるように」という歌は、馬齢を重ね人間がすっかりひねくれてしまったタヌキから、そのレコードが送られてきたことによって、想い出した楽曲なのでした。
卒業生諸君の、おそらく誰一人知らない曲を贈って、すまん事をしたと反省しております。
スミマセンでした。

 それにしてもこのような暴挙をワタクシに為させた「馬齢を重ね人間がすっかりひねくれてしまったタヌキ」とはいったい何者でありましょうや。
そもそもいかなる生物でありましょうや。
もちろん、それは馬でもなくタヌキでもないレッキとした人間、池上哲司という倫理学者のことでありますよ。

そうです、3月の末、わっしいこと鷲田清一先生が朝日新聞に連載されている「折々のことば」にある文章が引用された、アノ池上哲司先生なのであります。
このようなことばが引用されておりましたね。

「海のものとも山のものとも知れないのは、君にとっての彼女であり、彼女にとっての君なのだよ」(『不可思議な日常』より)

 その昔、今の奥さんを「ください」と相手方のお宅に伺ったとき「海のものとも山のものとも知れない奴にやるのだから」と言われたことを、今度はその相対性を取り出して、息子さんに伝えたいという言葉らしい。

 が、ワタクシはその言葉を読んで、「タヌキは山のものであって、海のものではなかろう」と思ってしまったのでした。
(狸と書くくらいだから、里ちかくの山でしょうが)
海豚はいるが、海狸ってはいないだろう、と。

 しかし、このタヌキも1966年ころは、荒木一郎のレコードなどを買う、まだ馬齢も重ねぬ、人間もまっすぐなさわやかなヨコワケ青年だったんだなぁ、とそのレコードジャケットを見ながら思ったのでした。
1966年というと、あのタヌキは高校3年生、それとも一浪中?

 この年、荒木一郎は『ある若者の歌』というアルバム、そのころには珍しいコンセプト・アルバムも発表していて、これもタヌキから送られてきたのでした。
池田弥三郎氏が「健康な若者の歌」とライナーノーツで絶賛しているのですが、しかし、よく聴くとメロディや歌い方はさわやかなのですが、歌詞はけっこう屈折しているのです。
その屈折を、湿り気なしにさらっと歌うのが、当時の日本では珍しく、ゆえにタヌキ青年が「空に星がるように」のシングル盤のみならず、アルバムLPまで買っていたというのも分かる気がするのでした。

 さらにびっくりしたのは、この同じ年に荒木一郎は『893愚連隊』というチンピラ映画に出演していたのでした。
893を「ヤクザ」とよむトホホなモノクロ映画の18禁映画。
主演は松方弘樹。

 ですから、荒木一郎がなかなか一筋縄ではいかぬように、タヌキはそのころから一筋縄ではいかぬ二筋縄、三筋縄のタヌキだったではないか・・・という話でした。
posted by CKP at 17:38| Comment(1) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする