2017年03月28日

『騎士団長殺し』読み終わってしまいました――遅かりしショルティ殿!

 『紀信団長殺し』読み終わってしまいました。
ショルティ指揮の『薔薇の騎士』が、はるかスウェーデンから届くの待ちながらゆっくりゆっくり読んでいたのですが、結局、届く前に読み終わってしまいました。

 面白かった!です。
ただ、もう終わり?という感じが残りました。
もう一波乱、いや二波乱もありそうな感じが残っています。
ひょっとして、第三部、第四部があるのでは・・・と期待しています。

 ところで、『ドン・ジョヴァンニ』に関しては、誰の演奏をイメージしているのか、最後まで分かりませんでした。
『薔薇の騎士』に関しては、はっきりとショルティ指揮ウィーンフィル、元帥夫人フレスパンと指定しているのでよけいに気になります。

 村上春樹は、どうもショルティとかセルとか、すっきりとしたきびきびした演奏が好みなのかなと思います。それに、ショルティ盤は、デッカ録音。
そのデッカ盤のショルティ指揮の『薔薇の騎士』が、はるばるスウェーデンからようやく到着。
このレコードをかけながら、もう一度読むとどんな感じになるのか楽しみです。
posted by CKP at 12:31| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月22日

村上春樹『騎士団長殺し』途中経過報告――あるいは『薔薇の騎士』のどれをきくか?

 やっと、一息ついたので、『騎士団長殺し』を読み始めました。
このひと月ばかり、とんでもなく忙しく、授業のないこの時期にやろうと思っていた仕事はきっぱり諦めました。
とにかく、これを読み終わらねば、なにごとも始まらない・・・という感じで読んでいます。

 はっきり言って、大変面白い。
異様に面白いと言ってもいい。
村上春樹自身の訳によるチャンドラーの『ロング・グッド・バイ』の面白さ、そしてその面白さを確認したのちに再読した『羊をめぐる冒険』の面白さに匹敵する面白さだと思います。

 先回の『1Q84』は、私は途中で挫折してしまって、今回もあまり読む気はなかったのですが、タイトルの「騎士団長」というのは、『ドン・ジョヴァンニ』の、オペラが始まっていきなり殺されてしまうあの「騎士団長」と関係があると聞いて、これは読まねばなるまいと思ったのでした。
昨年、久しぶりにクルレンツィスと彼の仲間たちによる『ドン・ジョヴァンニ』をきいて、にわかに『ドン・ジョヴァンニ』熱が再燃していたからでした。

 さらに読み進めてゆくと、そこに登場するリヒァルト・シュトラウスの『薔薇の騎士』。
これも、最近、指揮はカラヤンかクライバーか、元帥夫人はシュヴァルツコップカ、デラ・カーザかと迷いだし、カラヤンが元帥夫人にデラ・カーザを起用したCDを手に入れたばかりだったので、「何たる偶然の一致!」と妖しい気持ちで読んでいます。

 ところが、この本に出てくるのはゲオルグ・ショルティがレジーヌ・クレスパンというソプラノと組んだ『薔薇の騎士』。
黒田恭一氏が、クレスパンのおっとりした感じが好ましいと書いておられたので興味を持ってはいたのですが、購入するまでもないとたかをくくっておりました。
ところが、こんなところに登場。

 日本の古レコード通販サイトでは1万円前後。ちょっとな・・・
ところがスウェーデンの古レコード屋で2,000円で売っている。
またショルティの『ラインの黄金』(@ワーグナー)も3,000円くらい(日本では15,000円は下らない)。
えいやっと注文したら「申し訳ない。『薔薇の騎士』がめちゃめちゃ豪華なブックレットが付属していて大変重いので郵送料が5,000円かかりますけど、よろしいか」と訊いてきた。
もちろんそれでもぐんと安いから注文。
ただいま、それが届くのを待っています。

 村上春樹は、なぜショルティ盤を挙げたのでしょう?
前回は、ジョージ・セル指揮の「シンフォニエッタ」でした。
両方ともハンガリー系ユダヤ人。
ショルティはGeorg、セルはGeorge名乗っているが、実は同じ名前の同郷人なのでした。

 とにかくそのバカ重い『薔薇の騎士』が届いたら、それをバックに流しながら、『騎士団長殺し』を読むのが楽しみです。

posted by CKP at 11:02| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月17日

空に星があるように――ご卒業おめでとうございます

 本日は、京都は北大路、大谷大学の卒業式です。
哲学科卒業生の皆さん、カドワキゼミ卒業生の皆さん、おめでとうございます。
とりわけ、最後までハラハラさせてくれた方々、しぶとく頑張りました。
その調子で、今後の人生の荒波を乗り越えていってください。

 が、時には座礁することもあります。
私の場合、20歳代は座礁の連続でした。
そんな時に、気が付くと口ずさんでいた歌をはなむけに贈ります。

荒木一郎作詞作曲そして歌唱の「空に星があるように」
これです。



春に小雨が降るように
秋に枯れ葉が散るように
それは誰にもあるような
ただの季節の変わり目の頃

う、う、う、う、・・・・

こんな歌とは無縁の人生だといいのですけれど・・・
posted by CKP at 12:42| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

さながらかすめる――60年目の真実

 ラジオから「朧月夜」が流れてきました。
「菜のは〜なばたけ〜に・・・」って、あの歌です。

 その二番目の歌詞
「かわず〜のなくね〜も かぁね〜のおとも〜
さなが〜ら かすめぇる おぼ〜ろづきよ〜」
を、きいていてはっと気が付きました。

「かすめる」は「霞める」なのだと。

 わたしは、この歌を耳して約六十年のあいだ、
「まるで月の端をかすって飛んでいるような」と思っていたのです。
ゆったりした曲なのに、ここだけ妙にスピード感がますなぁ、とは不審に思ってはいたのです。

 しかし、そうではなく、「蛙の鳴く声も、お寺の鐘の音も、まるで霞がかかっているように、ぼんやりしている」というような意味だったのですね。

 まずはよかった、よかった・・・
posted by CKP at 13:46| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

死にどき--難しいぞ、延命治療拒否

 母親を乗せた救急車に同乗しながら「無駄な延命治療は拒否しよう」と考えておりました。

 92歳の母親の嘔吐が続き、いつもの病院から市内の大きな病院に移って検査したら、腸閉塞らしいということで、10キロ以上離れた日赤へ救急車で移動することになりました。
夕方のラッシュ時に道の真ん中を救急車をぐいぐい走ります。
「つらいですか」と母親に問いかけてくれる看護師さん、「救急車がとおりま〜す。道を開けてください。ありがとうございま〜す」という救急隊員がやたらと頼もしい。

 それで日赤に着いたらさらに詳しい検査。
その結果、これは開腹手術をした方がよいとのこと。
92歳での手術は、よけい苦しいことになるのではと思い、もう静かに死なせてやって欲しい、と言おうと思ったのです。
すると、お医者さんのおっしゃるには、そのままにしておくと、腹膜炎を起こして大変リスクが大きくなるとのこと。
高齢で手術もリスクを伴うが、腹膜炎のリスクのほうが高いとのこと。

 そのお医者さんも、母親の92歳という年齢をよく考えていてくれているようだったので、手術の同意しました。
おかげさまで、手術は1時間もかからない単純な手術で済み、本人も集中治療室で順調に回復しています。

 が、いざとなると、なかなか「その延命治療はもういいです。静かに穏やかに死なせてやってください」という判断は難しいですね。
いちおう、本人とも「胃ろうだけはやめようね」と約束しているのですが、なんだか自信なくなってきました。
posted by CKP at 17:39| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月08日

おぎゃー――オイオイの言葉

 しんらん交流館での日曜講演のとき、「おぎゃーという産声は、危険な声でもあります」というようなことをお話ししました。

 人間の赤ちゃんは、仰向けに寝たり、オッパイを吸うときお母さんの揺さぶりを待って吸うの休んだり、声を出すため喉を広げ気管支にものが詰まりやすくしたりして、死の危険を冒しながら言葉の世界に近づきます。
動物的生命よりも人間的生命を大切にする――というようなことを宗教学概論の講義で話したら、レポートに「産声も、天敵に居場所を知らせるようなもので、危険な行為ではないか」
という指摘がありました。

 なるほどその通りです。
というわけで、「学生諸君に教えてもらったのですが」と、前置きして、上の話しをしたのでした。

 人間というのは、そこに「死」を含んで存在している――という話をひろげて、その日曜講演では、フロイトの「快原理の彼岸」のラカンの解釈を、ヘーゲルのギリシア悲劇解釈を土台にわかりやすく話して、それで親鸞の神話観・浄土観を説明するというアクロバチック(悪路?)な展開となりました。

 お話ししていて、自分でも面白かったのですが、パラパラと参加していただいた方々を置いてきぼりにしてしまったのでは・・・
と心配していたら、正面に座っておられた70歳前後の爺さんが、終わったとたん「ええ話やった」とつぶやいてくださいました。

 これさえ聞けば、お礼なんかいらないくらいですが、ちゃんと用意していてくださったので、それはそれでありがたくいただきました。
posted by CKP at 10:31| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月03日

カドワキ一席うかがいます――3月5日 しんらん交流会館

 えー、今度の日曜日、3月5日午前9時半より、京都は駅前東本願寺の北にある「しんらん交流会館」(センター?)で、カドワキが一席うかがうことになりました。

タイトルは「阿弥陀の神話と〈私〉の物語」。

21世紀の今に、なんで法蔵菩薩が阿弥陀如来になられて十劫の時が流れました――なんて話を信じられるのか?
そんな神話を信じながら、死んで西方浄土に往生するという物語に、なんで抵抗するんだ?

 そんなことを考えるという、聴いていて思わず「ナンマンダブ」と手を合わすことのない、なんだかめんどくさい話になりそうです。
私としては、めんどくさいけど、大事なことだと思うのですが・・・
posted by CKP at 19:13| Comment(1) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする