2016年09月28日

自分自身で考え、理解し、全て言葉にできるぐらいの能力――井上康生

昨日に引き続き、昨日の毎日新聞のインタビューから、柔道の井上康生監督の言葉があまりにかっこいいのでご紹介します。
リオ・オリンピックへ向けて今までの稽古とは違う合理的なトレイニングを取り入れて、日本柔道を復活させたことを述べた後、金メダルの二人に共通することは?という問いに対する答え。

「一言で言えば、自立心だと思う。
スタイルはまったく違う2人だが、何をやるべきか、自らの戦いに何が必要か、考えがよくまとまっていたような気がする。
外発的に詰め込まれるのではなく、自分自身で考え、理解し、全て言葉にできるぐらいの能力がないと五輪では勝てない。
そうした能力の根源にあるのは知識だと思う。
読書し、人の話に耳を傾け、自ら経験を積む。
知識が豊富であればあるほど、いろいろな考え方を持てる。
自らをコントロールし、マネジメントする能力がある選手だけが、数々のドラマが起きうる4年に1度のその日を勝ち抜いていける。」

「考えがよくまとまっている」とか「全て言葉にできる能力」が、具体的にどのようなことなのかはわからないけれど、とにかく柔道という格闘技においても考える力、言葉にする力が大切なのだろう。
いや、おそらく命をやり取りしかねない格闘技だからこそ、「考える」が大切なのだろう。
そしてそれを「自立心」と言ってのけるカッコよさ。

 オリンピックの金メダルとは縁のない世界に生息するわたくしではありますが、このことは「よりよく生きる」ために基本的なことではなかろうかと強く思った次第であります。
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2016年09月27日

愛のことはもう仕方がない――オイオイの言葉を枡野浩一の書名からとった

 今朝の毎日新聞の「読書日記」で松尾スズキが枡野浩一という歌人にして芸人の『愛のことはもう仕方がない』という本を紹介していた。
わたしは、その読書日記の本文を読む前に、「愛のことはもう仕方がない」という書名にもうやられていました。
そ、そうなんだ、愛のことは、もう仕方ないんだ!

 読んでみると、松尾氏は
「枡野さんという人の場合、やはり、この本を読んでも、どの本を読んでも、愛がこんがらがってやっかいになっているとしか思えない」
と愛のやっかいさ、仕方なさに共感を示している。

 しかし、私の場合は、それもそうなのだろうけど、それに加えられた、「もう」というなんだか吐き捨てるような、怒りのような、はたまた諦めのような言葉に惹かれる。
「愛のことは仕方がない」
と「愛のことはもう仕方がない」
ではだいぶ違う。
いや、もう全然違う。
ひょっとしたら私のアタマのどこかで、にしきのあきらの「もう恋なのか」(浜口庫之助作)のメロディが共鳴しているのかもしれない。

 とにかく「愛のことはもう仕方がない」という言葉の感覚にグッときましたよ。
きっと購入すると思います。

松尾氏は
「この本には同じぼやきを続けることで「仕方ない」という逆説的な愛のロマンがある意味溢れかえっているのである」
と結んでいます。

 んとに、もう仕方ないですね。
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2016年09月21日

それは言わない約束でしょ?――オイオイの言葉(というより『昭和語広辞苑』かな?)

 世の中には「それは言わない約束」がいっぱいあるようで・・・

 この前の前の記事に書いたボケモンg〇の契約事項「某政府機関が閲覧・・・」について、それから気を付けてさがしてみるが、そんなことを問題視するマスコミはいない。
かろうじて朝日が、オリバー・ストーン監督が「これは監視資本主義の新たな段階」と発言したことを述べているぐらい(ほかにもあるかもしれませんが、私が見つけたのはこれくらい)
https://dot.asahi.com/afp/2016072200158.html
どうもこの問題に関しては「それは言わない約束」が成立しているように見える。
そういう目で見ると、あのボケモンg〇の配信の官民あげてのキャンペーンって、なんだか不気味でした。
ホント、いいのかね。

 あるいは富山市議会の政治資金不正についてはマスコミの皆さんは思いっきりたたいておられます。
が、某大臣稲◎朋見氏の白紙領収証問題はまったく話題にならない。
あれ、問題ないのかねぇ?
ひと昔まえだったら、大騒ぎしたと思うのですが。
うちの県から選出された議員ですけど、ホント、すみません。
でもね、言っとくけど、選挙区は違います!
うちの選挙区はパンツ大臣として有名な高木某氏。
いずれにせよ、トホホな県ですみません。

 しかし、
「おとっつぁん、おかゆができたわよ」
「いつももすまないねぇ。こんなとき、おっかさんが生きていてくれたらなぁ」
「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」
というシャボン玉ホリデーの定番ギャク、いろんな意味で現在ではむずかしくなりましたね。
まずは、おそらく、半身不随で寝たきりの老人をバカにしているという問題が指摘されるだろうということ。
しかし、当時はそのような老人が身近にいたので、それほど「バカにしている」という感じはなかったのではないか?
もちろん、闘病している人の中には、不快に思っていた人はいただろうが、そのころは半身不随で寝たきりというのは普通の老人の「一形態」とみなされていたような気がする。
あの貧乏の描き方も、ついこのあいだまではみんなこうだったよなぁ、という合意があった。
だがら、、そのような家庭での「介護」が一般的でなくなっている現在、あのようなギャグを展開されても親近感がなくなっているだろうということ。
今の子どもにはきっと何のことかわかりません。

 というわけで、ギャグ自体が「お呼びでない」という21世紀の日本なのでした。

【とここに「お呼びでない」が出てきても、これ自体がギャグになっているのが分かりにくいのではというご心配もあるようなので、このギャグコントの一般的なパターンを示しておきます・・・

まず、ザ・ピーナッツが、寝たきりのハナ肇演ずる爺さんに、
「おとっつぁん、おかゆができたわよ」
「いつもすまないねぇ。おめぇたちには苦労ばかりかけて・・・。こんな時、ヒロシがいてくれたらなぁ・・・」
「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」
すると、そこにおどおどキョロキョロした犬塚弘演ずる「ヒロシ」が返ってくる。
「お兄ちゃん!」
「ちょっと、かくまってくれ」
と久しぶり帰ってきたヒロシは警察か何かに追われている様子。
そこへ、植木等が話の筋とは全く関係なく登場。
ボルガの舟歌なんかを唄う。
皆も一緒に歌うが、そのうち植木を睨みつけ、咳ばらいをする。
気持ちよく歌っていた植木もそれに気が付き
「お呼びでない。お呼びじゃないね。こりゃまた失礼いたしました!」
で、みんなズッコケル。

上の文の「お呼びでない」を理解するには以上のようなコントの流れを理解せねばならない。
よろしいでしょうか。】

posted by CKP at 14:16| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月20日

本日9月20日台風のため休講――新校舎での講義はおあずけ

 本日2016年9月20日は台風接近のため、2限目から休講となりました。

 サンダーバードが運休になるかも知れん、と前日から京都に移動して後期の最初の講義に備えておったのである。
が、ひそかに台風休講を願ってもいたのであろう、京都に「暴風雨警報」が発令される夢を見た。
なんであれ、「休講」はうれしい。
受講する方はもっとうれしいであろうね。
が、目覚めてみれば、京都はまだ穏やか。
で、しょうがないなぁ、と大学に来たら、台風接近のため休講。
ちょっとうれしいが、ちょっと残念。
というのは、このほど完成した新校舎で講義する予定だったのである。

 別に旧校舎でもよかったのであるが、こやつに新校舎での授業をあてがっておかないとブーブー文句垂れるのではないか、という教務の的確なご配慮により新校舎での講義が今日から始まる予定だったのである。
明るい開放的な校舎で講義すれば、あたしの陰気な講義も少しはそれなりに明るいものになりましょう。
が、台風休講ということで来週にお預けとなりました。

 てなことを書いているうちに、外はひどいことになってきております。
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2016年09月19日

What's going on?ふたたび――このブログを読むと何か役に立つのですか?

 この金土日あたりに妙にアクセスが増えている。
どうもこの記事にアクセスが殺到しているのである。
http://tetsugakuka.seesaa.net/article/33816064.html
いったい何が起こっているのでしょうね?

 そういえば以前にもそんなことがありました。
その時にはビンボーダナオのことを書いた記事にアクセスがどっと増えました。
今回は、山田晶先生のこと?
よくわかりません。
ちょっと不気味です。
posted by CKP at 12:25| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月14日

「ゲームのデータはアメリカ政府機関が…」――オイオイの言葉

 勉強さぼって、『紙の爆弾』という『噂の真相』のような雑誌を読んでいた。
「コイツらのゼニ儲け」という記事に西田健という人が怖いことを書いていた。
ポ◎モ◎ゴーのことである。

 私もあれはどうやって「儲け」ているのだろうと不思議に思っていた。
西田氏はそのゲームの本質は利用者の行動を含めたデータが「自動的にデータ化」されるところにあるのであって、最初から赤字覚悟のゲーム。
そして、契約書には「ゲームのデータはアメリカの政府機関が閲覧、利用できる」とはっきり書いてある、という。
これがホントなら怖いゲームですね。
いまだにガラケーの私なぞは、どうやってその契約書にたどり着けるのか皆目分からない。

 中国・ロシアはこのゲームを「アメリカのスパイソフト」として禁止しているという。
日本のテレビは、交通事故などがあっても「注意しましょうね」で済ましていました。
恐いですね。
これが本当なら、ホント、恐いゲームですね。

 ということを書いていても、どこかで監視されてんでしょうか?
律儀に伏字にしてるのは、それが怖いからなんですね。
けっこうビビリです。
posted by CKP at 19:37| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月10日

詩集『アオキ』――神尾和寿君から届く

神尾和寿君から、詩集が届いた。
詩集『アオキ』編集工房ノア。
詩集を送ってよこすくらいだから、神尾君は詩人だ。
詩人だけれども、それだけでは食べてゆけないので神戸方面で大学の教師もしている。
パチンコも好きだし、京一会館も好きだった。
なんだかんだで神尾君の詩集も、「現代詩人文庫」もいれれば7冊目だ。
ラッキー7の詩集である。
いやウルトラ7か?

神尾君の詩は短くて、ややこしい表現がなくて、どこかとぼけていておかしい。
おかしいけど、ときどき悲しくもあるが、そこにおさまりはしない。
邪悪であったり、猥褻であったりもする。
ひとつ紹介する。
「スィート」という詩。

人生は甘くない

ぼくに
ぼくよりも年上の人は いつもそう言う
(であるならば
どのような味がするのでしょうか)
味はない
色も形もない
喩えようがないからこその 人生
もしも
喩えることができるなら ソイツは魚や豚になっちゃうよ!

にこにこしながら いつもそう言う

という調子の詩がいっぱい。
もういっこ。「アレキサンダー君へ」

アレキサンダー君
怪獣が
もう近所のタバコ屋の
店先までやって来ている
ただちに起きてくれまいか
部屋から出てきてくれまいか 君の
渾身のキックで
息の根を止めてくれないか 想像が追いつかないほどの
凶悪な怪獣なのだからと
ぼくは
玄関の前で
直立不動で
大声で アレキサンダー君に伝えました

アレキサンダー君は起きてくれただろうか?
ところで、神尾君は私の長年の友人だと思うのだが、
今回、
じーっと詩集の奥付けを見ていて驚いた。
私はこの40年ほどのあいだ、
「和寿」を「かずひさ」とよんでいた
のだが
それは「かずひさ」ではなく
「かずとし」が正しい。
友だちとはこれくらいのものであるのだな、
アレキサンダー君。
posted by CKP at 23:08| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月07日

ねじ回しはねじ回し!――てめぇ、さしずめヤングだな

 京都駅前のヨ○バ○カメラでねじ回しを買おうと思って、受付のお姉さんに「ねじ回しはどこですか?」と尋ねる。
そのお姉さん、一瞬、「?」という表情をして「あ、ドライバーなら三階の照明器具売り場付近の工具売り場にあります」と答えてくれた。
あたしは「ねじ回し」を探しているのであって、ドライバーを探しているわけではない!と言おうと思ったが、ま、確かにねじ回しのことをドライバーとは言う。
しかし、あたしの語彙では、ドライバーとは運転手のことである。
運転手をねじ回しとは言わない。
客がねじ回しと言っているのだから、ねじ回しでいいではないか!

 で三階で、「ねじ回し、あ、ドライバーはどこですか」とお兄さんに尋ねると「工具ですね、こちらです」と教えてくれたのだが、なんで客の発言をそのままオウム返しできんか!
ついに電器屋までも、客を年寄りだとバカにし出したのか?

 というのは洋服屋は客が年寄りだとバカにする傾向が顕著なのである。
「コールテンのズボンありますか」
と尋ねると
「あ、コーデュロイのパンツですね」
そんなもさもさしたサルマタがはけるか!

「とっくりのセーターありますか」
に対して
「あ、ハイネックのセーターですね」
日本人は「とっくりのセーター」でいいの!

そのうち
「ジーパンありますか」
に「デニムのパンツですか」となるであろう。
そんなごわごわしたパンツでは、わがチ○コがすりむけるわい!

 ときどき街で妙にガミガミ怒っている年寄りを見かけるが、きっとそうゆうことなのであろう。
そういうことにならないように、ここでガミガミいうカドワキ62歳でした。
posted by CKP at 18:27| Comment(1) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月06日

さしずめインテリだな――オイオイの言葉というより寅さんのせりふ

 「てめえ、さしずめインテリだな」
とは、寅さんの名ぜりふですね。
新劇出身の俳優さんが演じる大学教授とか医者とか、時には前田吟演じるひろしに向かって、放たれるセリフ。
このセリフの「さしずめ」は渥美清のアドリブなんだそうな。
独特のニュアンスがありますね。

「てめえ、インテリだな」
では単なる推測だけど、「さしずめ」が挟まるとそこに微妙な距離感が出てくる。

「さしずめ」には辞書的には「つまるところ」「結局は」とか「さしあたって」「いまのとこ」など矛盾するような意味がある。
寅さんの場合、どうなのでしょう?

「てめえ、善人面して、俺みたいなフーテンのバカとつきあっちゃいるが、結局は、腹の底でせせら笑ってるんだろう。
ああ、上等だよ、けっこう毛だらけ猫灰だらけだよ。
だがな、そうやっててめえみていに、理屈だけこねて、自分だけ汚れないですましている奴はな、百年たっても、人の情ってもんが分からねえんだ。
見損なったよ、もう、二度とてめえの面なんか見たかねえや」
というようなニュアンスでしょうか?

 こう書いて思い出したのは、さる高名な思想家。
その人の講演の時、楽屋で最近の宗教の衰退について嘆きを共有したのでしたが、いざ講演が始まると開口一番、
「私は信仰をもちません」
と、まるで信仰を持つとはインテリの名折れというような口調で話し出した。
なんか百年の恋もいっぺんに醒めた感じ。
それ以来、その思想家の本は読めなくなってしまった。
「てめえの面なんか二度と見たかねえや」
という感じ。

 信仰、それも素朴な信仰を持つのがどうしてそんなに怖いのでしょう?
でも、私も若いころはそうだったからなぁ・・・
そのころは寅さん、バカにしていたからなぁ・・・
でも、テレビでは観てましたけど。
posted by CKP at 13:02| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月04日

ほんにタヌキは働き者――来週、池上哲司先生集中講義

 来週のたぶん、おそらく、きっと火曜日から池上タヌキノ介哲司先生の集中講義が始まります。
残暑厳しき京都は洛北・大谷大学で、みっちり金曜日まで。
ホント、このタヌキは働き者じゃて・・・

 という記事を書かねば…と思っておったら、タヌキの夢を見ました。
タヌキ一家が、それも亡くなったはずのご母堂様(お会いしたことはないけど)まで引き連れて、池上タヌキノ介がわが寺の境内に、な、なんとシトロエンで乗り付けてきたのである。
それも真っ白なシトロエン。

 あまりに不気味な夢なので、これはとにかく何かアクションを起こさねば悪いことが起こる・・・
というわけでここにタヌキノ介集中講義の記事をあわててエントリーするのでありました。

 くわばらくわばら・・・タヌキの呪いはげにおとろしか・・・
posted by CKP at 17:48| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする