2016年05月30日

The Riot of Spring――recommended by わっしー

 先週の大谷大学哲学会の前、わっしーが少し興奮気味に
「クルレンツィスというギリシア人の指揮者のriot of springというヴィデオ知ってる?」と訊いて来られた。
クルレンツィスは知っていたけど、そのヴィデオは知らなかった。
これです。

https://www.youtube.com/watch?v=ZIFmzP-b9Pw

オーケストラの音合わせを劇場全体つまりオーディエンスも巻き込んで、みんなで「盛り上って大騒ぎする」ライオットするという趣向である。
その大騒動の最後は、まるでThe Who的なのであるが、わたしにはちょっと????。
が、「レコード芸術」3月号のクルレンツィスのインタビューを読み返して納得。

「私には、華麗なオペラのディーバが人を泣かせることができると思いません。
農村の老人が一本弦の楽器で弾いたほうが、ずっと心を打つのです。
この純粋なサウンドこそが、われわれの本来の血です。
音大でピカピカに磨き上げられた、アカデミックなサウンドは、ジュースにすぎません」
アカデミックなサウンドがぶっ壊されたのですね。

(この同じ号の伊東信宏氏のクルレンツィス×ムジカエテルナのケルンでのコンサートの報告が抜群に面白い。
そのステージと同一かどうかは分からないけど、おそらくこんな感じ。
https://www.youtube.com/watch?v=t_YBqqMXvtU
ケルンのコンサートではアンコールがなかったので、それこそ会場は暴動寸前だったそうな )

 とにかく、いま、クラシックのCDで聴きたいと思うのは、クルレンツィスのものだけ。
私は、彼が彼の仲間たちムジカエテルナと作った『フィガロの結婚』があまりに面白くて、今年はじめに出た『rite of spring』やラモーのオムニバス盤(これはヘーゲルの言う「ラモー的音楽の混乱」をイメージするのにありがたかった)、そしてチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を次々に買って聞いている。
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲は、じゃじゃ馬バイオリン弾きのコパチンスカヤとの共演で、まるで民族音楽のような展開が圧倒的に面白い。
今年中にいよいよダ・ポンテ三部作の最後『ドン・ジョヴァンニ』が出るらしい。
わくわくどきどきです!

 というわけで、クルレンツィスについてはけっこうファンだったりしたので、わっしーは「なんで知ってるのぉ」となんだかご不満のようでした。
けっこう負けず嫌いなのですね。
しかし、riot of springのヴィデオのことは知りませんでしたよ。
(これは、ラストが違う別のヴィでもあるようです)

posted by CKP at 15:25| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

もう一つ別のスター・ウォーズ――ジェダイはつらいよ

 水曜日2限目の哲学科3回生ゼミ(宗教学・死生学)では小此木圭吾著『対象喪失 悲しむということ』を読んでいるのであります。
本日は、失ってしまった対象に対するアンビバレントな愛憎ということを、あれこれと考えました。
当然、ルーク・スカイウォーカーとダーズ・ベイダーの愛憎劇も議論されます。
まだ失ってないけど・・・
その時に、「おお、これは新発見だ!」と、私は叫んだのであります。

 何を発見したのかというと・・・
 ルーク青年が、両親を失い叔父夫婦に育てられるという設定は、『男はつらいよ』の寅さんとおんなじ設定である、という発見であります。
よって、ルークの叔父夫婦が帝国軍に殺されることなく健在であれば次のような展開が考えられるのでした。

 ルークがぐれて家出をしてフーテンのルークとして、つまりハン・ソロのように流れ者になって、時々、叔父夫婦と妹レイアの待つ星に帰ってきてはひと騒動・・・・という連続活劇が考えられるんであります。
裏のタコ社長は、本物のタコ星人。
「おいちゃん、それを言っちゃおしまいよ」と星を出ていこうとすると、そこに銀河系で出会った謎の美女・・・今度こその期待が盛り上がりますが・・・
(正確には父方の親戚の、ルークとは血のつながりはない夫婦ということらしいですが・・・)

 ちなみに、ヴィム・ヴェンダースの『パリ・テキサス』のハンター少年も、叔父夫婦に育てられ・・・という設定でした。

 というわけで、このゼミでは突拍子もないことを思いつく能力を鍛えます。
鍛えられているのは教師だけ?
posted by CKP at 13:17| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月18日

しらけですけどなにか――世代で俺をくくるな!

 クドカン脚本の『ゆとりですがなにか』が面白い。
最初の二回を見逃し、3回目から見たので、最初いつもより速いセリフ回し、複雑な人間関係について行けなかったが、この前の日曜日の放送はバッチリであった。
今どき、「バッチリ」という評価もいかがなものかと思うが、要するに面白い。

 で、考えたのであるが、1954年生まれ、1973年高校卒業の私らは、どのような世代と呼ばれたか?
私らの上は「団塊の世代」というより、この呼び方から「××の世代」という言い方が始まった。
私らのすぐあとが、シラケ世代あるいは共通一次世代、そのあとバブル、氷河期ときて、ゆとりということでしょうか?

 1973年連合赤軍事件の次の年に大学に入学した私らは、しいて言えば「シラケ世代」のハシリだったと言えるかもしれない。
学生運動もアングラもトレンディではなかった(もちろんトレンディなんて言葉もなかった)。
トレンディでなかったかもしれなかったが、ガラパゴスのごとく、学生運動もアングラも続いている場所はあった。
だから、私らを「シラケ世代」と一言でくくられるのは迷惑なのである(って、今頃だれもそんなこと言ってないって・・・)・

 だから、「ゆとり」にせよ、「団塊」にせよ、一言で語るのは暴力的言論なのである・・・というようなこととは関係なく、『ゆとりですけどなにか』は、なんだか切ない話に突入していて目が離せません。
もちろんお仏壇、出てます。
posted by CKP at 12:47| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月11日

辞書は両手で引かなきゃダメだよーータン・タン・タヌキの金言葉、風に吹かれてゆ〜らゆら

 今年も原書講読の時間に、ハイデガーの「Sein und Zeit」を読んでいる。
ドイツの細かなニュアンスを確認するために紙の辞書をもって授業に参加することを学生諸君に義務付けている。

 授業中にある言葉を引くように指示するのだが、引きなれていないのか、なかなか目当てのドイツ語を見つけられない。
見れば、その学生は片手にテキスト、もう一方の手で辞書をペラペラめくっている。
そこで思い出した池上タヌキ之介のお言葉。

「辞書は両手で引かなきゃだめだよ」
もっとつよく
「辞書は両手で引かなきゃダメじゃないか!」
だったかもしれない。

 それは私に向けた注意ではなかったが、リンゴが木から落ちるのが自明な如くの確信に満ちた断言であった。
私は、そのお言葉を拝聴してからは、辞書を引くときは片手で引くなどという横着をしないように気を付けている。

 たしかに両手でひいたほうが、スペル・発音も頭に入るし、速いし、辞書も傷まない。
タン・タン・タヌキの風に吹かれる金コトバであった。

posted by CKP at 18:14| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月05日

僕のおじさん――金沢でグループ展

 金沢まで出かけました。
おじさんが金沢の東山でグループ展をやっているというので見てきました。
桃組というしゃれたカフェの二階。
http://www.geocities.jp/syumihaba/eat/02-01momogumi01.html
一階の入り口には、苔やアザミ(?)が生えている、おじさんの焼いた物体がおいてありました。
自然回帰してゆく焼き物がおじさんのテーマなのでしょうか。

 カフェでフレッシュ・ジュースを飲んでいたら、おじさんのことを感じのよいお嬢さん方が「モンさん」と呼んでいました。
門脇のモンなのか、文雄のモンなのか・・・
いずれにせよ、あのひょうひょうとしたおじさんらしい呼ばれ方でした。

 「おじさん」とは言いながら、実は、父の従兄。
それほど、密な付き合いがあったわけではないけど、ときどき、妙なオブジェをもって我が家に現れていたその生き方は、微妙に私の人生に影響を与えているような気がします。
あんまり、いい影響ではないと思いますが・・・

「なかぬき5人衆」というグループ名で5月15日までやってます。
金沢近辺の方、ちょっと覗いてみてください。

posted by CKP at 19:55| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする