2016年02月24日

嫌がるタヌキを無理やりに・・・――池上タヌキ之介哲司先生の集中講義予定

 今年度、CKPカドワキはガッカリ主任、じゃなかった学科主任というお仕事を拝命しており、これでもけっこう忙しいのでありました。
レポートの採点が終わっても、次から次へとお仕事が回ってくる。
わたしの仕事容量を超えているので、他の学科教員の皆様のお力添えを得てなんとかやっております。
シラバスチェックに関しても(藤)大人のお力添えを得てやりましたよ。

 昔の学生さんには信じられないことでしょうが、最近は、大学の授業の一コマごとの内容を年度初めに公表するのです。
半期15コマの内容の一覧表を教員は書き込むのでありました。
むかしのように「今年はヘーゲルの宗教思想について考察」などという一行授業案内で済ましていると文科省からおとがめが来るのであります(それで全然困らなかったですけどね)。
そのうえ各学科の主任は、その授業案内(シラバス)がちゃんと書けているのかチェックするのであります。
一番チェックされるべき人間がチェックしているという根本的矛盾を無視して進んでいると、池上タヌキ先生のシラバスが目に入ってきたのでありました。

 近頃は浅草での隠居生活がすっかり身についてしまって、京都まで講義に出てくるのを嫌がるのでありました、このタヌキは。
その嫌がるタヌキを「もう一年だけ・・・」とかなんとか言って引っ張り出した講義のテーマは・・・

「テーマ 傍らにあること 私と他者との関係をめぐって」

 とありまして、そして「概要」「到達目標」の欄には、

「日常における人間存在のあり方を、いくつかのテーマを軸に考察する
倫理的主体を個人として捉え、その視点から倫理的問題を考えていこうとすると、どうしても解決できない問題が生じてしまう。その難しさが具体的な問題を通して提示されるので、それを切っ掛けとして自らの思索を深め、考えることの厳しさと楽しさを知る。」

と、短いながらもなかなか味わい深い文章なのであります。
で、「形式」の欄には、

「講義形式で行う。しかし、授業中にこちらから質問もするので、漫然と聞いているのではなく、常に自分の頭で考えていること。」

と、「漫然」を戒めておられるのであります。
さらに、シラバスには「予習・復習」という欄まであるのですが、そこには

「授業中も授業後も、テーマについてひたすら考えること。但し、車にはねられたり、階段を踏み外さないように。」

と親切なアドバイスが書かれています。
が、ある意味では、それくらいでないと考えたことにならない、タヌキの思考は命がけということでありましょう。

 この講義、9月6日から9日までの集中講義です。
元ゼミ生の方々、同窓会は8日までにご計画を。
ホント、このタヌキを穴から引っ張り出すのに苦労してますので、ぜひともご聴講ください。
posted by CKP at 13:37| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月21日

うるさい今日の私――わからんことが多すぎる

 「どうぞお静かに」と言いながら、うるさいことを書きますが・・・

 年明けからこのかた、株式市況がうるさい。
株価の乱高下は、わたくしには何のかかわりもないものです。
その昔、NHKの第二放送で「○○社3円安、✖✖社変わらず・・・・」という不思議な抑揚のアナウンスを聞いて以来、株の世界はどこか遠い世界の出来事だと思っています。
しかし、このところの株価の乱高下のニュースはそんな私にもやかましく届いてきます。
そして、「円高株安」という言葉が乱れ飛んでいますが、これがわからない。
 
 円が高くなってと輸出が伸びなくて株安になる、と説明される。
これがわからない。
輸出不振になれば経済が落ち込んで円が安くなるのではと、ブンガクブ的頭は考えるのであります。
円が高くなるというのは、日本経済が信用されているということと考えるのであります。
こういうアタマを納得させる説明を誰もしてくれない。
なんだかんだと言っても、日本の経済は世界から見れば「まし」ということか?

 それに、「円高株安」となると「アベノミクス失敗」と鬼の首を取ったように喜ぶヤカラが、そういいながら「規制緩和が大事」と主張するのもわからないのです。
ワタシの目に映る規制緩和は、バス会社や介護施設の乱立で、生命が危険に冒されていることだけなのです。
規制緩和して新たに企業を!ということらしいが、規制のあるとことろで企業しようというのは「起業精神」とは言えないのではありますまいか?
規制も何もないところで「へー、そんなことが商売になるのか」と何かを始めるのが起業精神というのではないのでしょうか?

 それに金融をいろいろいじって景気をよくしようというのもわからない。
景気が良いというのは、みんなが安心てお金を回していける状態のことだと思うのです。
それには雇用の安定が必要。
今みたいに終身雇用、年功序列は古臭い!成果主義、派遣労働者で企業利益の確保とか言っていたんじゃ、おちおちお金を手放すことができない、と考えるのではないでしょうか、ふつう。

 と、いきなりの経済ネタで失礼しました。
さきほど、確定申告書を自宅パソコンで独力完成したので、ちょっと経済に対して強気に書いてみました。
posted by CKP at 15:33| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月18日

どうぞお静かに――「オイオイの言葉」

 ある檀家さんの家でご法事をお勤めして、その帰り際にその家のご主人からいただいた言葉。
わたしの帰り道の安全を祈願しての言葉で、ふつうなら「どうぞお気をつけて」というところを、その方は「どうぞお静かに」と声をかけてくださった。

 なんだか騒がしい世の中で、いま、その言葉がしきりに思い出されるのでした。

 今の世の中のうるささについて、いっぱい書きたいことがあったのだけれど、そういうお前の声がうるせーぞーと言われそうな気がしてきたので、ここは何も書かずにいるのがよいように思います。

 どうぞ、お静かに・・・・
posted by CKP at 13:56| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

お元気さまですーー今日の「折々」

 今日の「折々のことば」は「お疲れ様です」でしたね。
メールの冒頭のことばとして紹介されていましたが、わたしの場合は、メールというよりも日頃のあいさつ、それも学生から帰ってくる挨拶言葉としてよく聞く言葉。
そして、わっしーと同じようにちょっと違和感を持っていたのでした。
みんな、そんなに疲れているの?

 きっと学生諸君はアルバイト先で「お疲れ様です」という言葉を覚えてくるのでしょう。
「お疲れさまで〜す」という別れ際のあいさつが、どことなく「お先に〜」に聞こえます。
そのいっぽうで、「ご苦労様でした」というのはあまり使わない。
いや、このごろ世間で「ご苦労様でした」という言葉自体が聞かれない。

 どうもどこかで誰かが「『ご苦労様』は、目下の者のねぎらうことば」というようなことを言って、それが広まって「ご苦労様」は失礼な言葉というような合意形成がなされているのではありますまいか?

 たしかに「ご苦労」あるいは「ご苦労であった」というのは、殿様が家臣の労をねぎらう言葉でしょうが、「ご苦労様でした」と「様」がくっつけば、別に上下の関係はないのではありますまいか?

 全然関係ないけど、例えば葬式には塩がどうしたこうしたというような知ったかぶりの習慣なども、どこかで誰かがそのように言って、日本人の常識に登録されたのではありますまいか?
塩月弥栄子『冠婚葬祭入門』あたりがどう書いているか調べようと思うのですが、さすがにこの頃みませんね。
posted by CKP at 15:57| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月09日

たしなめる――『昭和語広辞苑』

 卒論口頭試問の2日目、朝7時前にケータイがブルブル鳴る。
実家から電話。
嫌な予感・・・的中して、ある檀家さんのご主人が亡くなったとのこと。
すぐに枕経に駆けつけねばならないが、口頭試問があるので夕方に駆けつけるということでご了解をいただく。
が、翌日のお通夜は都合がつかず、隣の寺の住職におねがいする・・・

 半年ぶりのお葬式がよりによって卒論試問で一番時間調整が難しいときに・・・と愚痴っていると、事務のK山さんから
「そんなこと言わんと、ちゃんと送ってあげてくださいね」
と注意されてしまった。

 いや「注意」というほど厳しい口調ではない。
ちょっと違う。
ああ、こういうのを「たしなめられる」というのだなと有難くそのお言葉をいただく。

 「たしなめる」という言葉は、本家『広辞苑』では「@苦しめる。悩ます。Aとがめる。叱る。いましめる。」と出ている。
漢字で書くと「厄める」となるらしい。
本来はそのような意味なのだろうけど、わたしの語感では「浮足立っている時に、落ち着いてあるべき姿に戻るように注意すること」という感じである。
ちなみに『日本国語大辞典』(精選版)では「(主に目上の人が目下の人に対して)それはいけないことだと穏やかに注意を与える」という語義を現代の用法としている(漢字は穴かんむりの下に君という字が紹介されている)。
K山さんとは目上・目下という関係ではないけど、「穏やかに注意を与える」という感じはあった。

 が、こういうの、ずいぶん久しぶり。
最近は、このような「穏やかな注意」というのはめったになく、そのような事態に対して、いきなり非難そして糾弾ということになってしまう。
そして、謝罪するか、居直るかということが多いように思いますが、なぜなんでしょうか?

 というわけで、わたしも本来のお坊さんのやるべきことをきちんとお勤めすることができたと思います。
たしなめていただいたおかげです!
posted by CKP at 15:53| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月03日

安心してください、ちゃんと読んでますよーー卒論試問、レポート採点終わりました!

 先週は卒論試問、今週はレポートの採点を息をつめてやっておりました。
おかげさまで、無事(?)終了。

 その前の週の土日は寒波襲来で、雪かきで卒論読むひまがないかと案じられましたが、越前地方はそれほどの雪ではなく、卒論を読むのに集中できました。
しかし、卒論試問の初日、雪のためのクルマの渋滞で遅れそうになり、500メートルほど雪の舗道を全力疾走、ぎりぎりでサンダーバードに飛び乗るという事態に至ったため、一日中、アタマに血液が流れないままの口頭試問となりました。
ひょっとしたら頓珍漢な質問をしていたかもしれません。ごめんなさい。
いや、その分だけまともな質問になっていたかも。

 しかし、卒業論文というのは、はじめての2万字という長文ですから、いきなりまとまっていません。
書いているうちに、自分でも何が言いたいのか分からなくなってくる。
むしろ、書きながら真剣に考えているうちに別の何かが生まれてくる。
ですから、口頭試問というのはその「言いたいかったこと」をはっきりさせる試みです。
意地悪な質問で学生を困らせるためにするものではありません(とはいっても、困って立ち往生してしまった人もいるでしょうけど)。
そのような口頭試問を経て、もう一度書き直すと、立派なものになるのですが・・・

はい、わたしの40年前の卒論も、もう一度書き直せば、それなりのものかもしれません(が、書き直さないままどこかに埋もれております。忘れたい過去です)。

 
posted by CKP at 17:33| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする