2015年11月25日

パリの休日――ライシテの限界

 パリつまりフランスでは日曜日が休日である。
何をいまさらというなかれ、イスラム教徒にとっての休日は金曜日なのである。
もちろんフランスの労働習慣はそれを保証しない。

 そのうえ、フランスの祝日は革命記念日などのほかに、マリア昇天の日とか諸聖人の日とかそしてクリスマスなど、カトリック関係の聖なる日が祝日になっている。
ムハンマドが啓示を受けた日とかはもちろん祝日にはなっていない。

 フランスはカトリックの国だからしょうがないと言えばしょうがないのであるが、しかし、その一方でフランスは「我々はライシテという国家と宗教の分離を実現した」とえばるからめんどくさい。
たしかに、公教育の教室から十字架は消えた。
これだけでも大変な事業であった、と思う(このあたりのことは谷川稔『十字架と三色旗』(岩波現代文庫)に詳しい)。

 だから、学校にスカーフをかぶってくるムスリムの女性に「学校に宗教を持ち込むな」と言うのだが、その学校はマリア様の昇天された記念日には休むのである。
イエスが誕生した日はお休みなのである。
それでいて「自由・平等・友愛」とか言われても・・・とイスラム教徒をはじめとする異教徒は片づかない気持ちでいるのではないでしょうか。

 少なくともそのような矛盾があることを、三色旗にベッタリと張り付けておく必要があるのでないでしょうか。
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2015年11月20日

ジャッカルよ、目覚めるな――シェルブールは今日も雨だった

 1963年8月25日、ド・ゴールを暗殺しようとしたジャッカルは、ド・ゴールの狙撃に失敗し、彼を追跡してきた刑事に殺された。
『ジャッカルの日』の結末ですね。

 この間のパリでのテロのニュースに接して、「はて、ジャッカルは誰にやとわれた殺し屋だったけ」と思い、フォーサイスの『ジャッカルの日』をパラパラと読み直したのでした。

 アルジェリアは、その前年1962年7月5日にフランスからの独立を果たしています。
ド・ゴール大統領は、その独立を容認した大統領でしたから、アルジェリアの独立派から命を狙われたわけではありません。
とすると、誰に命を狙われたのか。

 ジャッカルという殺し屋を雇ったのは、OASと略称されるフランスのとりわけ軍の中の右派勢力なのでした(Organisation Armee Secrete)。
この秘密軍事組織は、62年の8月22日にもド・ゴール暗殺を企てて失敗して、そのリーダーが63年の3月11日に銃殺刑に処せられています。
そして、その5か月後に「ジャッカルの日」。

 日本が、「東京五輪音頭」を唄って浮かれているころ、パリでは、アルジェリア独立をめぐって、大統領に向かって銃弾が飛び交っていたんですね。
この右派秘密組織がその後どうなったのかは、『ジャッカルの日』は書いていません。
現在の右派政党と関係はあるのでしょうか?
現在のフランス大統領の妙に「毅然」とした態度は、一方ではそのような右派の動向も気にしているということでしょうか?

 ところで、1963年8月25日という「ジャッカルの日」の日付が気になったのは、『シェルブールの雨傘』のラスト・シーンが1963年12月の再会、別れてそれぞれ家庭を持った二人の束の間の再会シーンだったからです。

 1964年に公開されたこのミュージカル映画『シェルブールの雨傘』は、わりと細かく日付が提示されていて、1957年11月に始まり、1963年12月で終わるということになっています。
フランスで64年2月に公開されているこの映画の63年12月のシーンはほぼ現在形で撮影された、ということなのでしょうか?

愛し合う若い二人は、青年がアルジェリア独立戦争を鎮圧する戦いの二年間の兵役に就くことで引き裂かれ、その不在の間に娘は他の男と結婚し、帰還した青年も結局別の娘と結婚してするという、「愛と戦争」(@監督ジャック・ドゥミ)の映画なのでした。

 若者がアルジェリアで兵役についていた1957年から59年というのは、ベトナムで名をはせた第10空挺師団が投入され、最も激烈な戦いが展開された時期でした。
軟弱政府を批判する軍の右派がパリを占拠しようとする事件もあった時期です。
それを収めたのがド・ゴールだったのでした。
そして、青年が帰還して、待つと約束した娘の裏切りを知って絶望し、そしてそこから立ち直って新しい家庭をきづくのは、フランスがド・ゴール大統領の下、アルジェリアを放棄することを認めるようになっていく期間と重なっているのでした。

 第二次世界大戦のときノルマンディ上陸作戦の舞台となったシェルブールに降る雨は、そのようなフランスの複雑で微妙な気持ちを表現しているのかもしれません。
そして、ラスト・シーンは、雪。
この雪は、何を表現しているのでしょうか?
いずれにしても、からりとした晴天ではなかった、ということです。
そして、その雨は今に至っても止むことがない、ということなのでしょうか。
 
posted by CKP at 11:42| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

講演会その1:納富信留「西田幾多郎とギリシア哲学」――その2:池上哲司「心のわからなさ」

 先日、大谷大学で「愛と死」についてシンプルだけどプラトンの根本をぐっと取り出すような講演をしてくださった納富信留先生が、12月12日に再び京都に登場なさってご講演をしてくださいます。
今度のタイトルは、「西田幾多郎とギリシア哲学――「場所」論文を中心に」。
京都大学文学部新館の第4講義室で開催される「日本哲学史フォーラム」にて。
まず、1時半から藤田正勝先生の「表現と身体――「表現的存在」としての人間」というご講演。
そして、その次に納富先生。
 
 さて、その翌日13日には、京都駅前の東本願寺横の大谷ホールで池上哲司先生のご講演。
タイトルは、「心のわからなさ」に決定。
こちらは、朝の9時半より。

 というわけで、討ち入り前の京都では、哲学関係の講演が目白押し。
討ち入り前だからといって、一力茶屋なんかに行かないよーに。
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2015年11月16日

こじれた風邪にはバナナ――はい、これホント!

 夏の終わりにひいた風邪が、こじれてしまってなかなか治りませんでした。
微熱が続いて、でかい声で講義をするとのどが痛くなる。
授業はなんとかできるのですが、本が読めない。
読むという受動的作業は、けっこうエネルギーが必要ということでしょう。
ただでさえ続かない集中力が、まったく機能しません。
しかし、医者に行くほどの熱が出るわけでもない。
こんな微熱で医者に行ったらバカにされそうで医者にも行けない。

 というわけで困っておったのですが、テレビの健康番組で「治りかけの風邪にはバナナ」と聞いて、さっそく一日二本のバナナを食べました。
そしたら、あら不思議、あれほどしつこかった微熱がぴたりとおさまりました。
バナナ様様です。
バナナに含まれているカリウム(だったと思う)が、体にたまった毒素を排出するのですと。
よっぽどえげつない毒素がたまっていたのでしょう。
微熱がおさまったわたくしは、まことにさわやかな人間に見えることでしょう。
posted by CKP at 12:23| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月11日

「プー横丁」からの贈りもの――エリック・カズ:41年目の再会

 この夏休みから、ずーっと聴き続けているCD「エリック・カズ:41年目の再会」。
CDアルバムなのに7曲8トラックしかない。
ほとんどがピアノの弾き語り。
地味といえば地味。
なのに、ひと夏過ぎてもぜんぜん聴き飽きない。

 エリック・カズは、1947年生まれのアメリカのシンガー&ソングライター。
といっても、ソロアルバムは41年ぶり。
わたしは、リンダ・ロンシュタットが彼の作った「ラヴ・ハズ・ノー・プライド」などを唄っていたので、少し興味をもって、彼が友人と作った1978年のLPレコードを1枚持っているだけ。

 が、京都は「プー横丁」から発売された41年ぶりのソロアルバムのジャケットがあんまりヘンテコだったので買ってみた。
これが、実によいアルバム。

 どこかおずおずとした少年のような面影を感じさせるエリック・カズの歌声とそのピアノの音が、心にまっすぐ届いてくる。
ホントにそれぞれの曲に歌の力があって、それがこちらにまっすぐに届けられるという感じ。
7曲8トラックという「短さ」もよい。
posted by CKP at 15:34| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月09日

西洋哲学倫理学会公開講演会のご案内

下記の通り、西洋哲学倫理学会2015年度公開講演会を
開催いたしますので、ご案内申し上げます。

講題:愛と死の哲学 ― プラトンにおける超越 ―
講師: 納 富  信 留 氏  (慶應義塾大学文学部教授)
日時 11月12日(木)午後4時20分より
場所 尋 源 講 堂(尋源館二階)
posted by pada at 16:48| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月06日

心のわらかなさ――池上タヌキノ介哲司先生、京都に参上!

 え〜っと、まずはしたのURLの東本願寺日曜講演の「11月・12月の予定」をクリックしてみてください。
そこには、あの池上哲司先生が、12月13日、なんと討ち入りの前日に京都は東本願寺の大谷ホールで公演をなさると記されています。
http://www.higashihonganji.or.jp/worship/kohryu-kan/event.html
そして、そのタイトルが
「心のわらかなさ」

 ついに、池上タヌキノ介先生は、シュールの世界に入って行かれたのでしょうか?
それとも、このようなシュールな言葉で我々に謎をかけておられるのでしょうか?
「飛んでイスタンブール、人の心はシュール」と庄野真代もびっくりの、シュールな世界?
晩年のソシュールの如く、シュールなアナグラムの世界に突入し、タヌキからアナグマに進化されたのでしょうか?
「わらかなさ」とは、その池上アナグマノ介哲司先生の新たな心境の表現でありましょうか?
それとも単なる誤植。
「心のわらさかな」
「心のさわらかな」
「心のかわらなさ」
「心のわからなさ」

この12月6日現在の状態が一日も長く続くことを願って止まないのは、いつも誤植・誤記の山を築いているCKPキワドカでした。
posted by CKP at 10:42| Comment(1) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする