2015年06月17日

哲学の目的――「精神をできるだけすぐれたものにすること」

 『ソクラテスの弁明』のソクラテスの弁論のいい加減な引用をしていると、哲学の本流からおとがめがあるかもしれないので、きちんと引用します。
はい、この部分です。

 わたしは、アテナーイ人諸君よ、君たちに対して、切実な愛情を抱いている。しかし、君たちに服するよりは、むしろ神に服するだろう。すなわちわたしの息のつづく限り、わたしにそれができる限り、決して知を愛し求めることを止めないだろう。わたしは、いつ誰に会っても、諸君に勧告し、宣明することを止めないだろう。そしてそのときのわたしの言葉は、いつもの言葉と変りはしない。
世にもすぐれた人よ、君はアテナーイという、知力においても、武力においても、もっとも評判の高い、偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多くのものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、恥ずかしくはないのか。評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、精神をできるだけすぐれたものにするということには、気もつかわず、心配もしていないというのは。
    (田中美知太郎訳『ソークラテースの弁明』新潮文庫版、47~48ページ)

 今から2400年前の言葉であるが、今でも、同じことを繰り返さなければならない。
しかし、金銭や評判や地位を気づかう人々にとっては、「そんな成果の上がらないことはやめちまえ!交付金を止めろ」ということになってしまう。
しかし、それだからこそ、ソクラテスの爺さまにご登場願って、いま再び演説してもらわねばならないのである。
そして、知を愛し求める、つまり哲学する私たちの目指すところが、「精神をできるだけすぐれたものにするということ」だったことを、想い出すように、私たち自身に呼びかけてももらわねばならないのである。

posted by CKP at 16:13| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月16日

有識者って誰?ーー教員養成系や人文社会科学系の大学は要らないという人たち

 文科省の有識者会議が国立大学の交付金を、地域貢献、特定分野の成果、国際的水準、という三つの基準の達成度で配分するという方針を示した。
これだけでも、大学の学問を貧弱なものにしてしまうのに、そのうえ「教員養成系や人文社会科学系の学部や大学院は廃止か他の分野への転換に努めよ」という方向性がくっついている。
??????
最初、ラジオで聞いた時には、何かの間違いかと思った。
が、新聞でも同じように書いてある。
理解不能である。
何か、わたしは勘違いしているのだろうか?

 国立ではないけど、私立の文学部の教員のわたしに理解せよというのは無理である。
お前ら、いらない、と言われているのだから。

 確かに、「哲学」なんかやってると、「要らない」といわれることはある。
だから、納得するわけではないが、「要らない」という人がいるのは理解できる。
これは哲学の怠慢であって、そこんところをひたすらわしばっぱにフォローしていただいているのは申し訳ないと思う。

 しかし、「教員養成系や人文社会科学系」が要らない、というのは新機軸である。
ほとんど、文科省は要らない、と言っているようなものである。
文科省は、おのれの足を食うタコにいつから変身したのか?

 この間の憲法論議で、政府の方針にたてつくような人物を養成する学部はいらない、ということになったのだろうか?
政府の方針を「憲法違反」というような学者がいるような学部はいらない、ということだろうか?
日本は独裁国家を目指しているのだろうか?
いや、ほとんどそうなりつつある。

 国民は、ごちゃごちゃ考えないで、お金を手に入れるための成果を出すことだけを考えろ、ということなのでしょうか?
「有識者」というのは、そのようなことを考える人のことなのでしょうか?

「金や名誉のことばかり考えて恥ずかしくないのか」とアテナイ市民に呼びかけたソクラテス爺さん。
出番ですよ!
 
posted by CKP at 18:35| Comment(1) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月12日

日々、仕事して忘れてゆくのよ、人間っていうのは・・・・--マツコ・デラックスさん@『マツコの知らない世界』

 今週の火曜日の夜、『マツコの知らない世界』という番組を見た。
めちゃめちゃ面白かった。
あるものにヘンに詳しいヘンな人とマツコ・デラックスさんとの対談番組。

 6月9日の前半は扇風機に詳しいおじさん。
この人も十分にヘンで、まことに好ましい展開を堪能したのであるが、後半の写真集マニアの27歳の女子との対談が異様に面白かった。
若くしてフォトブック・カフェを切り盛りする「しっかり娘」のはずなのだが、どこかすごくヘン。
そのヘンな娘が、最後の3分間に問わず語りの恋愛相談に突入。
別れた彼のことが忘れられない彼女に向かって、マツコさんが放ったお言葉。

「日々、仕事しながら忘れてゆくのよ、人間っていうのは・・・」

 ホント、「忘れる」っていうのは青春の課題です。
英単語は簡単に忘れるのに、なぜ別れた人のことは忘れられないのでしょう?
なぜにどうして、ピンキーとキラーズなのでしょう。
わたしなんか「記憶とは何か」とかいうめんどくさい本を読んで考え込みました。

 しかし、それは日々、仕事しながら忘れるしかないです。
そのうち、自分が誰かも忘れてしまいます、心配しなくても。

 とにかく、ヘンな一般人にヘンなマツコ・デラックスさんが、きちんと対応するこの番組が好きです。
わたくし的にど真ん中のストライク!
普段は火曜日は下宿にいてテレビは見れないのですが、ネットでは一週間だけ無料で見られるのですね。
2回もみてしまいた
これです↓
http://www.tbs.co.jp/matsuko-sekai/

 この番組と、火野正平さんの『日本縦断こころ旅』と『あまちゃん』の再放送とラジオの「すっぴん」金曜日と近田春夫の「歌謡曲ってなんだ」を視聴していれば、おじさんは幸せです。

 昨日ゼミで『マツコの知らない世界』の面白さを力を込めて説明したのですが、学生諸君は、なぜか「困ったな」という表情をしていました。
なんで?
キミら、テレビ、見ないの?
posted by CKP at 20:11| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月10日

ウニ丼あら汁まめぶ汁おいしゅうございました――正宗(@『あまちゃん』)

 昨日の「折々のことば」(@わしばっぱ)は、円谷幸吉の遺書からでしたね。
あの遺書の最後の方は

「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。…幸吉は、父上母上様のそばで暮らしとうございました。」

というあまりにも悲しい文章です。

 東北は福島出身の、実直な青年の肩に日本の代表という重荷がかけられた悲劇、それも軍国主義的根性主義の重荷ゆえの悲劇でした。
「後ろを見るな」という帝国陸軍的前進主義なコーチの指導のため、東京オリンピックの大歓声のなか、すぐ後ろにヒートリーが近づいているのに気が付かず、抜かれた時にはもうギアチェンジの余裕はなく3位。
これをまじめな彼は「恥ずかしい」と感じてしまいました。
オリンピックマラソン3位が「恥ずかしい」となってしまったのでした。
そして、次のオリンピックのメキシコへ向けて、体の不調と闘っていたとき、根性主義的な指導は彼の恋愛すらも禁止してしまったのでした。

 この円谷幸吉の遺書のパロディが『あまちゃん』に登場した時には、ほんと、びっくりしました。
春子との離婚を決めて北三陸を離れるときに正宗は、春子の母親に
「ウニ丼あら汁まめぶ汁おいしゅうございました」
とあいさつしだしのです。

 一瞬、遺書をパロディにしちゃいかんだろう・・・という思いがよぎりました。
 たしかに正宗(主人公アキの父親)は、春子を「イラッ」させるくらい生真面目な男です。
円谷幸吉に代表される昭和の実直な青年の一人です。

 しかし、今、あの物語全体を思い出すと、そこには円谷幸吉を追い詰めていった根性主義や前進主義に対する怒り、生真面目さのみを評価する価値観への怒りのようなものが表現されていたように思うのです。
東北をそういう目で評価するな!
被災地に生真面目さや実直を押し付けるな!

 と、そんなムキになるのもなんですが、ま、個人に国家を背負わしちゃろくなことになりません。
みんな、顔の見える関係の中で、じたばたドタバタするのがよろしいのではないか、ということですね。
人生、後ろ見たり横見たり、きょろきょろもあり!
ひたすら前見て電車道なんてのはよくないっす!
posted by CKP at 19:36| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月07日

101歳の大叔母さんが亡くなりました――スミマセン、6月9日の火曜日は休講にします。

 101歳の大叔母さん(父の叔母)が亡くなりました。
広島に生まれ、私の祖父の弟と結婚し、満州にわたり、戦後、夫の故郷である福井に引き上げてきて、二人の子供を育て上げ、その夫と長男に先立たれるも、101歳の今日まで元気に生きて、静かに往生されました。

 なぜ、広島生まれの大叔母さんが私の大叔父さんと結婚したのかというと、大叔父さんはマルクス青年で特高に目を付けられ福井の田舎にいられなくなり、そのころ広島にいた兄を頼ってそちらに行き、そこで叔母さんと結婚したのでした。
そして、多くの共産主義青年がそうしたように満州に生きる場所を求めたのでした。
しかし、敗戦。
故郷に帰り、大学で学んだ土木工学を生かして、高校の工業科の教師をしながら家族を養ったのでした。

 この大叔父さん、ソ連が崩壊したとき、涙を浮かべて、
「レーニンが革命をしたとき、これで世界が新しくなると思うたんじゃがなぁ」
と語っていました。
それでいて、
「報恩講の時の『御伝鈔』(親鸞の伝記)を読み上げる調子が好きじゃった」
とも言っておられました。
わたしが小学一年生のとき、盲腸で入院したとき、お見舞いに『ホメロスものがたり』をいただいたのを思い出します。
トロイの木馬のシーンをドキドキしながら読みました。

 そんなどこか夢見ごごちな叔父さんとの一生は苦労の多い一生だっただろうと思います。
が、晩年は地区のコーラスなどに参加にして穏やかに暮らしておられました。
100歳を超えて、この叔母さんはもう死なないんじゃないか、という感じでした。

 最近は、母の妹の叔母が集中治療室に入ったり、5歳下のいとこに末期の癌が発見されたりで、そちらのほうに気を取られていたから、101歳の大叔母さんのことは全くノーマークでした。
そこに突然の訃報。
やっぱり、人間、一度は死ななきゃいけないんだなぁ、と当たり前のことに気が付きました。

 その死を安らかに引き受けようという、阿弥陀如来の浄土往生の本願というのは、ほんとにありがたいなぁ、と今更ながら、思います。
人間の心の奥の奥の奥にある欲望を取り出した、法蔵菩薩の五劫思惟の願とはこのことだったのか、と妙に感心しています。
無病息災でもなく立身出世でもなく商売繁盛でもなく、浄土往生という願を法蔵菩薩は本願としたんだなぁ・・・
ソクラテスが「君たちは名誉やお金のことばかり考えて、恥ずかしくないのか」というのとおんなじだなぁ・・・
だから、おれ、「死ぬのは僕らだ!」なんて、わけのわからないタイトルの本を書きたかったんだなぁ…と今更ながら気が付きました。

 というわけで、火曜日、お葬式で授業を休講にします。
申し訳ない。
あ、福井には珍しい苗字だからうちの母親と「ホトケちがい」をしないよーに。
posted by CKP at 21:18| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月06日

第17便震災復興支援ボランティアバス出発

 強い雨の降る中、教職員・学生のボランティアを乗せたバスが大谷大学正門を出発しました。今回は仙台での活動に加え、新たに宮城県沿岸の女川(おながわ)でも活動をすると聞いています。
 
 いままで続けて訪問している仙台市若林区の仮設住宅は、閉鎖の時期を迎えたとのこと。交流会にいつも来てくれるおじちゃん・おばちゃんの元気な姿を確かめつつも、これからの支援ボランティアのかたちを何かつかんできてくれればと思います。
 気をつけていってらっしゃい!

※活動の様子や学生の感想コメントなどは、ぜひFacebookでご覧ください。活動中も随時アップロードされます。2015-06-05 19.33.54.jpg
https://ja-jp.facebook.com/otani311
posted by (藤) at 05:15| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月03日

プラッターじゃなくてブラッター・・・誰か私に「Nobody is perfect}と言ってくれ!

 FIFAのブラッター会長が今朝とつぜん辞任を表明しましたね。
昨日のこのブログでの呪いが効いたのでしょうか?

 が、私は今朝までブラッターじゃなくプラッターと思っていましたので、昨日のブログではプラッターと書いています。
ホント、私の記憶や聴覚はポンコツです。
わたしはパーフェクトな人間ではありません。
そんなことわざわざ言わなくてもご存知でしょうが。

 しかし、そんな私が
「Nobody is perfect」
などと言ったら、どうでしょうか。

一斉に「自分の不完全さを一般化するな!」との非難が四方八方から飛んできます。

 というわけで、昨日は、自分の聞き間違い・書き間違いを皆様にさらして、ブラッターの傲慢な態度を指摘したのであります。
わたしは、ただ間違ったのではないのでした。
posted by CKP at 20:23| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月02日

Nobody is perfect!――おいおいプ(ぶ)ラッター君、自分でそれを言うか?

 FIFAのプ(ぶ)ラッター会長がこのたび再選された時の演説で、「Nobady is paerfect」とのたまわった時、思わずテレビに向かって「おいおい、それを自分で言うかぁ?」と突っ込んでしまいました。

 おそらくその前に「I am not perfect」と言っていたように思う。
それはいい。
自分はパーフェクトではない。
なるほど、FIFAをパーフェクトに運営することは難しい。
賄賂を完全になくすことは難しいかもしれない。
だからと言って、「パーフェクトな人間は誰もいない」と一般化し、自分で自分を許してしまうのはイカンのではありますまいか。

 Nobody is perfectというのは、許しとか許容の言葉であります。

 ビリー・ワイルダー監督、ジャック・レモン、マリリン・モンロー出演の『お熱いのがお好き』(Some Like It Hot)のラストのセリフがこのNobody is perfect!

 マフィアから逃げるのに女装していた男二人。
その一人は最後はマリリン・モンローとくっつく。
も一人は、大富豪の御曹司(といいってもええ年のおっさん)に惚れられ結婚を迫られる。
その時、女装したジャック・レモンが「結婚は出来ない」「自分は子供は産めない」と断り、それでも迫られるとカツラをかなぐり捨てて「俺は男だ」と居直るのに対して、その御曹司のおっさんが言い放ったのが、
Nobody is perfect!

ね、だから、これを自分を許す言葉として使うのは間違い。
FIFAもプラッターも許してはいけません!
posted by CKP at 13:29| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする