2015年01月31日

ヴェイユの眼鏡――これで読めばヴェイユが読める!

 シモーヌ・ヴェイユという哲学者というか真理の殉教者というか、生きることの現場で思索した女性がいる。
1909年に生まれ、43年に死んじゃった。
あっという間の人生だけど、様々なジャンルの作品を残している。
ムーミン研究(?)者の冨原眞弓さんが最近あたらしい訳を次々と出していたり、津村記久子さんがファンだったりする。
わが大谷大学哲学科でも脇坂ワッキーまや先生がヴェイユについて論文を書いておられる。

 この人の写真で時々メガネをかけている写真があるが、その写真を参考に作ったメガネがこれ!
http://tuziokamegane.blog108.fc2.com/blog-entry-1556.html
これをかけると、ヴェイユの著作がぐいぐい読めるかもしれません。
なにごともカッコが大事。

 ところで、ヴェイユって太宰治と同い年生まれなんですね。
淀川長治先生も1909年生まれ。
このあいだ亡くなったまど・みちおも同じ年。
レヴィ=ストロースは2月生まれのヴェイユより3か月前の1908年11月生まれ。
ヴェイユは永遠に若い。
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2015年01月26日

卒論にラカン――「ラカン効果」あり!

 いよいよ卒論口頭試問。
その前に、ジャック・ラカンの『エクリ』を読みだしたら止まらなくなった。
「邪悪なまでに難解」と言われるラカンのあの『エクリ』である。
今年最後の講義の時、ふっと頭の中をラカンがカランカランと通り過ぎたような気がしたので、『エクリ』の日本語訳を、あの読みにくさを倍増したような翻訳を読み出したのであった。

 すると、止まらない。
相変わらず、ラカンの言いたいことはさっぱりわかりませんが、止まらない。
訳がヘンだな、と思うところを原書で調べると、確かに誤訳。
こんなわけのわからんフランス語を誤訳せずに訳すのは無理。
もちろん私とて、原書にあたったからと言って、正確な訳ができた!というわけでもない。
しかし、なんだかんだと主要論文を読んで『エクリT』の半分以上を、まったくわからないまま読んだ。

 で、卒論を読み始めた。
そしたら、ビックリ!
な、な、なんとわかりやすい!
言いたいことを一生懸命伝えようとしている学生諸君の努力のなんとけなげなこと!
少しくらい文脈がぐらついていても、ラカンの邪悪さに比べればかわいいものです。
お、お、よく頑張って、こんな長い論文に仕上げたね。
試問で、学生諸君の無意識が、なぜこのような問いを立てたのかを、何とか探ってみようね。
だから、あんまり緊張しないで口頭試問に臨んでくださいね。

 という思わぬ「ラカン効果」でした!
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2015年01月22日

親鸞と吉本隆明ーー顔が似てます!

 このところ、吉本隆明の『最後の親鸞』や「転向論」などを読んだりして、吉本の親鸞の見方をごちゃごちゃと考えている。
ごちゃごちゃと考えていると、わけがわからなくなるので、遠くからぼーっと眺めてみた。
そしたら気が付いた。

親鸞の坊主頭に吉本隆明独特の刈り上げの毛髪を乗せると、吉本隆明になる。
逆に言えば、吉本隆明のあの刈り上げ頭を丸坊主にすると親鸞になる!

 似てるんですね、親鸞と吉本。
とりわけ頬骨の出っぱっているところがそっくり。
鼻の感じ、目のあたりも似ている。
「週刊文春」で時々やるソックリシリーズに出したいくらい。
 
 お二人とも決して貴族顔というのではない。
どちらかというと農民顔。
こういうのを「大衆の原像」というのでしょうか・・・などとバチあたりなことを言っていると、吉本主義者からも真宗ご門徒からも、総スカンをくいそうです。

 けど、似てるなぁ。
吉本自身、そう思わなかっただろうか?
親鸞って、とても他人のような気がしない・・・どこかでそう思っていたのではあるまいか?
俺と似てる・・・だからこいつは絶対信頼できる・・・そんな信頼感が吉本の親鸞論の底を流れているような気がする。

 似てなくても、確かにこの思想家の「顔」が好き!なんとなく信頼できるってことはありますよね。
あ、そういえば、糸井重里氏も親鸞顔の系統ですね。
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2015年01月19日

言より行動――デカルトの描いた絵

 デカルトの『方法序説』をテキストにしている哲学科一回生の哲学演習の課題をまとめるにあたって、デカルトのどの言葉に注目するかと学生諸君に質問しました。
ふつうは「我思う、ゆえに、我あり」ですね。
ところが、次のデカルトの言葉を挙げた学生がいました。

「その人たちの意見がどのようなものか知るには、かれらの言うことよりもむしろ行うことに注意すべきだと思われた」(谷川多佳子訳、岩波文庫版、35ページ)

 これは、デカルトが真理の探究において学問体系を脱構築するときに、その建て直しのあいだの生活指針をまとめた「仮の道徳」の第一番目、「わたしの国の法律と習慣に従うこと」のところに出てくる言葉です。
「仮の道徳」とはいいながら、結局は、谷川氏によれば「デカルトは終生これ以上のものを見いだすことはない」最終的な道徳です。
ということは「生き方については、ひどく不確かだとわかっている意見でも、疑う余地のない場合とまったく同じように、時にはそれに従う必要がある」という「生き方」を棄てなかったということです。
ですから、「真理の探究」においては「これと正反対のこと」(57ページ)つまりすべてを疑いこれを廃棄していって見いだした「我思う、ゆえに我あり」の「哲学の第一原理」に基づく学問的真理と、「生き方」はうまく合体できなかったということになります。

 だからデカルトの哲学は中途半端なんだ、などと生意気なことを言うわけではありません。
むしろ、この『方法序説』では、「俺の言うことより行いを見てくれ」という文脈に注目することができるのではないか、と言えそうな気がするのです。

「この序説(話)の中で、自分がどういう道をたどってきたかを示し、一枚の絵に描くように自分の生涯を再現できれば、わたしにとってこのうえもない喜びとなろう」(10ページ)

 学校を卒業し旅に出て、そしてドイツの旅館の炉部屋に閉じこもり思索し、その後9年間、世間と言う芝居を見て回り、その後8年間、オランダで隠棲する――そんなデカルトの「行い」を、「方法」の一部として提示すること、これがデカルトにとって、ぜひとも理解してもらいたいことだったのではないでしょうか?

 このような「一枚の絵」に描かれたデカルトの行いの中で、デカルトは「やっぱ、人は言っていることよりも、行いやね」と確信した、ということになります。
となると、デカルトの言うことつまり著作というのはどのように読めばいいんでしょう?
まさか「話半分に読んでね」というわけでもないでしょう?
ホント、『方法序説』というのは岩波文庫で100ページちょっとの本ですけど、いろいろ読みどころがあって、何回読んでも飽きません。

 ところで、この「言より行動」という文を指摘した学生、これがなかなか授業に出てこない・・・その行動でキミはいったい何を表現しているのかな?
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2015年01月18日

一難去ってまた一難――パニック!パニック!!パニック!!!

 週末、湖西線の強風のため1時間遅れのサンダーバードでなんとか帰宅。
やれやれ。
何やらドイツからの封書が届いている。
ドイツの本屋とのお付き合いも去年ですべて終わったのに・・・
と思って開くと、
「昨年請求した本代500ユーロがいまだ未払いである。
1月○日まで払え」
と書いてある。

 もう、一気にパニックであります。
え、え、え、カードで払ったはずなのに・・・
え、引き落とせなかったの?
なんで今頃・・・
この期日が過ぎると、おれ、犯罪者?
国際的な犯罪者?
国際指名手配?
と、パニクっている頭はわけのわからない方向へ一直線。

 で、あわくってその本屋へメールする。
「ワタシ、ゴメンナサイ、ハラウツモリアリマス。
アナタ、カードノ番号シッテイルハズ。
新シイ日付、コレデス。
トテモ、ゴメンナサイ」

あとで読み返すと、綴りなど間違ったこんな感じのメールを送ったのでした。
「コノ日本人、代金ヲフミタオス悪人デハナイ」
と理解してもらえたでしょうか?
まさか、ドイツの本屋を騙ったオレオレ詐欺?
なわけはないですけど、ホント、お金の、それもドイツ語の手紙って、どんな場合でも憂鬱です。

ホントにこの新年、次から次へとトラブルがやってきます。
誰か止めて!
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2015年01月14日

孤独のネムリを眠るーー湯たんぽがあればへーっちゃら

 京都の冬の夜は冷えるのです。
いつも使っているわけではない下宿は冷え冷えとしています。
エアコンもなかなか温まりません。
布団もつべたい・・・
というわけで、湯たんぽを使うことにしました。
あ〜、ぬくい〜・・・という幸せな眠りを満喫することができました。

 しかし、このネムリ、ハイデガーが死は代替不可能といったように、ネムリだって他者に代わってもらうことはできない。
「孤独のグルメ」にしても、他者にグルメしてもらうことは出来ない。
ということは、排せつも他者に代わってもらうことは出来ない。
自分のウンコは自分で出さなきゃ意味がない。
ハイデガーは「死」に、孤独という特権的な意味を与えるけれども、ネムリだってグルメだって排せつだ〜てぇ…なのである。

 そのうえ、ネムリに関する時間の流れを考えると、死よりも複雑ではないかと思えてくる。
眠りに投げ入れられる時間はとても不思議な時間なのだ。
というわけで「ネムリと時間」というのも面白そうですね。
posted by CKP at 17:30| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月11日

「孤独のグルメ」でうまし――タヌキがいなくてもへいっちゃら

 この正月に「孤独のグルメ」とへんてこなドラマを見た。
 松重豊(『ちりとてちん』のお父さん役、若狭の塗りバシ職人を演じていた人)が演じるサラリーマン風の男が、街の食堂に入ってひとりで食事をする、それだけの連続ドラマである。

http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume/

店に入る。
ほかの客の様子をうかがう。
店主を観察する。
メニューを点検する。
注文する。
酒は飲めないからお茶。
供された料理を食べる。
食べるまえに食べ物を観察する。
たとえば芋ならばハシでもって上から下から横から観察する。
そしてほおばる。
歯ざわり、舌ざわりを確かめながら、ゆっくり味わう。
よく噛んで味わう。
中空を眺め、時には眼をつむって味わう。
姿勢がたいへんいい。

この間、これらの観察の感想が独白で流れる。

 これだけの「ドラマ」であるが、カルト的な人気があるらしい。
正月に帰省した、シン君に教えてもらった。

 というわけ、ワタクシも、いつも通っているGPで孤独のグルメを実践することにした。
その日はけんちん汁。
具の芋をハシでつまむ。
じっくりと芋を観察して後、おもむろにほおばる。
歯に当たる感触、舌にのせた重さ、噛み締めるときの硬さ・・・う、う、うまい!

 池上タヌキ之介が京都に棲息した頃は、タヌキも夕食の賑わいと言うことで、一緒に夕食を食べて、ろくでもないここにはとても書けない事柄をさかなに食べたものだ。
そのタヌキが東京へ去った後、ひとりの夕食は少々わびしさを感じないでもなかったが、この「孤独のグルメ」で夕食に向き合うと、その夕食が何倍もおいしくなるのである。
タヌキと食べていた時は、何も味わっていなかったのがよくわかる。
孤独こそがグルメを構築するのである。

よし!これからは「孤独のグルメ」でゆくぞ!
と、決意したら、GPは二週間ほどお休みなんですと。
今週、来週はどうやって夕食を食べようか?
東京のタヌキの家まで食べに行こうか?
いや、いや、これを奇禍として、冬の京の街をさまよい、はじめての食堂にふらりと入ってこそ、「孤独のグルメ」が実践できるのである。
やるぞ!孤独のグルメ!!

posted by CKP at 21:35| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月07日

ごめんね真宗!――松沢哲郎先生との対談掲載の『同朋』新年号、絶賛発売中!!

 昨日、列車の遅れで疲れ切って北大路までたどり着いて、大垣書店の店頭を見れば、
な、な、な、なんと、わたくしカドワキが松沢哲郎先生と対談している『同朋』新年号が山積みになっているではありませんか!
いつもながら、怖いもの知らずの大垣書店本店であります。
(表紙は巻頭インタヴューの檀ふみさんです)

 「動物に学ぶ」という特集(だったんですね)の最初の8ページにわたっての対談。
題して「チンパンジーは、私たちに何を呼びかけているのか」
A4版の雑誌の8ページというのは、けっこうな量です。
う〜ん、こんなことをお聞きしていたのか、と対談した本人が「読みがたえあるなぁ」と感動して読める対談です。
これで、350円は、安い!
あ、他の記事もいいっす。

 『同朋』というのは東本願寺が刊行している雑誌で、かつては池上タヌキ之介やわしばっぱが連載を持っていた雑誌であるから「妖しい雑誌ではございません」(と言おうとしましたが、あまり説得力のないことに今気が付いた)。
が、この対談と浄土真宗がうまくリンクしているかは、わからない。
別にリンクしなくてもいいんじゃない…というわけで「ごめんね真宗!」

京都市内の本屋さんでは手に入るはずですが、見当たらない場合は、東本願寺のホームページから出版部あるいは電子書籍のサイトにアクセス。
posted by CKP at 16:45| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月06日

CKPのごめんね新春!――これで凶事も打ち止めか?

 え〜、わが大谷大学は昨日の5日から授業が始まっておりまして、本日6日火曜日、わたくしも10時40分からの講義をしようと、8時のサンダーバードに乗ったわけだ。
雪も風もなく、サンダーバードは順調に湖西線に入って進むわけだ。
ところがぎっちょうん、安曇川付近で車内放送がわけのわからないことを言い出すわけだ。
「前のサンダーバードが停電で停止中。復旧には相当時間がかかります」
パンタグラフの故障で、かれこれ1時間半の足止め。

おかげで、新春第一回目の講義は休講。
学生諸君には申し訳ないことになりました(喜ばれたりして)。
来週はこの分をたっぷりとお話ししましょう(というのが迷惑だったりして)。

隣の中国人の女性が飛行機に乗れるかどうか焦っていたので、車掌さんとの交渉の仲立ちをさせていただき、日中友好を推し進めることができたのが、せめてもの幸いか・・・。

もう、今年は悪いことは起こりませんよね(って誰に訊いているのやら)

posted by CKP at 13:02| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月04日

あけましておめでとうございます――今年もたくさんいいことが、あなたにありますように・・・

 というわけで、わたしは今朝、境内の雪かきをしていてぎっくり腰になりました。
凶事その一です。

凶事その二。
2日に、檀家さんのお年始回りをしていたとき、前のパトカーがあまりにトロトロ走るから、「先に行け」ということかと思って追い抜いたら、停止の指示を受けました。
「ここは追い越し禁止ですよ」
警官諸君も、止めたクルマの中から坊さんが出てきたので、ちょっとびっくりしておられました。
注意だけで済んだのが、不幸中の幸いでした。

凶事その三。
元旦に来たメールの中に、もう使っていないウィルスソフトの課金が済んだというお知らせがありました。
パソコンをかえると自動的に延長がなくなると思っていたら、それには知らん顔できっちり7000円余り取られました。
ノートンにお年玉、いやこれがホントの「落とし玉」。
ぐや”じい”〜。

 というわけで、年のはじめから凶事を一手に引き受けております。
どうぞ、みなさまの2015年が良いことのたくさんある年でありますように・・・
posted by CKP at 15:30| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする