2014年01月22日

オジサンの前にはプリンター的世界は開示されない――ハイデガーinヨドバシカメラ

 プリンターが壊れてしまったので、京都駅前のヨドバシカメラに出向く。
しかし、そこに展開されるプリンター的世界は、還暦前のおじさんには、一つの世界としてまったく明らかになってこない。
ハイデガー的に言えば、プリンターに世界の側から出会うということが起こらないのである。
ファックスができるとか、スマホとなんかできるとか、無線ランがどうとか、という事がらは、私のプリンター概念にはないのである。
要するに、プリンターとはワードで作った文章を印刷する、それだけである。
プリンターとはそういうものであろう。
それだけを求めて、ヨドバシカメラくんだりまで出向いたのに、そのようなプリンターは、わたしに開示されないのである。

 で、若者の店員に尋ねようと思ったのである。
が、しかし店員の若者はこれまた若いお姉ちゃんにかまけて、このオジサンには目もくれない。
くそっと思い、「分からん」オーラを出しまくるが気がつかない。
で、パンフレットをとって、いったん退散。
6階で麦飯×とろろというのを食べながら、パンフレットを読み込む。
が、やっぱりよう分からんから、明日、ナベちゃんに教えてもらうことにする。

 で、お腹も膨れて、少し気持ちが落ち着いたところで、もう一度値段だけでも確かめようと、パンフレット片手にプリンター・コーナーに立ち寄る。
すると、今度は若者店員が近付いてきた。
少しは予習した。
怖れることはない。
「ワードで書いた文書をプリントするだけなんだが、そうゆープリンターはないのかね」
偉そうに尋ねる。
その昔、クルべという学長が「コピー機というのがよう分からん。カドワキ君、これコピーしといて」とやたらと威張っていたのを思い出す。

 くだんの若者店員は何やらペラペラと説明してくれる。
まだらにしか理解できない話ではあるが、その店員は悪い奴ではなさそうである。
んで、わりと安いプリンターで十分ということが納得できたので、
「これください」
と、ちょっと下手に言ったら、
「オーエスはなんですか」
と訊き返してくる。
「オーエスは、綱引きの応援にきまっとる」とは言わなかった。
ただ、アタマの中で「オーエス、オーエス・・・OS」と変換するのに少し時間を要したようだ。
「うん、XP」
我ながら、よくぞ返答したと思う。
偉い!
ところが、その悪い奴じゃない店員の若者はさらに、
「ヴァージョン・アップしてますぅ?」
と訊いてくるのである。
おそらく、わが目は宙を泳いで(@(藤))いたのであろう。
店員は気の毒そうな顔をしている。
少しは開示されかけたプリンター的世界は、一挙に、わが視界から消えてしまった。
もう「それは、分からん」と答えるしかなかった。
あくまで「偉そう」は貫くことができた。

 その悪い奴じゃない若い店員はすまなさそうに「それを一度調べてきて来てくださいね」と言っていた。
店員は悪い奴じゃないのだが、プリンター的道具連関が、スマホだのタブレットだのウウィンドウズ8だののオジサンには全く出会われない世界となっていることが問題なのである。

 ハイデガーを一度、ヨドバシカメラのパソコンやプリンター売り場につれていって、「さあ、ここで「人間は世界内存在だ」と言ってみろ」と言ってみたい。
なんか、ハイデガーに怨みでもあるんでしょうか?
posted by CKP at 19:33| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

修士論文口頭試問終わる――贅沢な最後のゼミ

 修士論文の口頭試問、二つが終わりました(カントとハイデガー)。
われわれ教員は、論文を読み、そこに取り上げられているテキストを読み、引用箇所の翻訳を点検し、試問に臨みます。
学生一人に教員三人。
試問を受ける方は、針の筵かも知れませんが、よく考えれば、自分の論文を三人の教員が読み、それについて批評をしてくれるわけですから、贅沢なゼミナールです。
教員の方も、学生諸君の提出した問題をクリアにしてゆくつもりで試問に臨みます。
ですから、終わってみれば、けっこう楽しかった・・・と学生諸君も思っているのではないか、と思っているのですが・・・

 そう言えば、私自身の修論試問の時は、私の論文そっちのけで、H教授がS教授と「ヘーゲルのここがダメ」「いや君はヘーゲルが分かっていない」と論争を始めた・・・なんてことを思い出しました。
それはそれで面白かったですが。

 が、とにかく、学生諸君も先生方もお疲れ様でした!
さ、次は卒業論文口頭試問に向けて、頑張るぞ!
posted by CKP at 17:18| Comment(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月15日

いよいよ明日!――池上哲司先生最終講義

 遠い先のことだと思っていましたが、気がつけば、もう明日1月16日が、哲学科倫理学・人間関係学コースの池上哲司先生の大谷大学での最終講義の日となりました。
3コマ目1時からの開催です。
教室は普段通り。
別ににぎにぎしく「公開」というわけではないけれど、来るものは拒まずということだそうです。

 30数年間の教員生活最後の講義は、いったいどうのような内容になるのでしょうか。
「ふだん通りにクール」がトレードマークの池上先生ですが、昨日は、わしばっぱ御用達の床屋さんに散髪に行っておられました。
最近の私のブログの記事を読んで「あれを読むと、池上は邪悪なだけの人間みたいじゃないか」と、けっこう傷ついておられるみたいだから「私はそれほど邪悪ではない」という話になるかも知れません。

はい、それほど邪悪ではないと思います。
posted by CKP at 11:52| Comment(1) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月10日

どこまで続くトラブルぞーーCKPのPCにおける

 本日は、大谷大学文学部の卒業論文の提出締切日。
提出にあたってのトラブルに対処すべく研究室で待機している。
先ほど、青い顔をした学生が「提出用紙、もう一枚ありませんか」と飛び込んできた。
「はい、余分があるよ」
 
 しかし、「プリンターが壊れました。先生の研究室のプリンターで印刷してもいいですか」というトラブルには対処できない。
本日、わが研究室のプリンターの黒が頓死してしまったようなのである。
そういう学生が飛び込んで来ないことを祈るのみである。

 他方、自宅のパソコンのトラブルは、パソコン自体のトラブルではなかった。
専門家に診てもらったら
「最近、回線、変えました?なんかフィルターがかかって、有害サイトなんかに入れないようになってるようですよ」
ということであった。

 確かに12月の中頃、自宅の回線をKDDIからNTTのナントカ光というのに変更した。
そのさい、なんかフィルターが掛けられ、「哲学科教員ブログ」に入れなくなってしまったのであった。

 そのフィルターは、どうゆうわけか「哲学科教員ブログ」を有害サイトと認識するらしい。
生意気なフィルターである。
ま、「哲学科教員ブログって、百害あって一利なしじゃないすか」と言われれば、反論しようがないのであるが。
痔ろうがどうした、タヌキがこうした・・・などを書いていては、百害はないかも知れないが、一利もないのは確かである。

 そのフィルターを外すのは、もうすこし待たねばならぬようであります。
というわけで、わたくしCKPがこのブログにエントリーしているときは、大学に出てきているということであります。
posted by CKP at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月09日

それからのトチニシキ――ゴメンネぢろう

 よく考えてみると、私自身、昨年の夏の終わりごろから「排泄」問題に悩んでいたのであった。
昨年の夏の終わりごろ、「お尻がとってもトチニシキ」という記事で、我がお尻にニキビのようなものが出来て痛い、ということをご報告申し上げた。
その後、このニキビは肛門付近にむけてどんどん腫れあがり、排泄に支障を来すようになった。
それで、私は高校以来、40年ぶりぐらいに痔の専門医院を訪ねたのであった。

 以下は、その病院での我が肛門付近の診察のドキュメントである。
そんなもの読みたくない!よね、ふつう。
ま、興味のある方は、どうぞ。

 久しぶりに訪ねたその病院の昭和モダンな建物の内部は薄暗く、朝の9時半というのに患者は誰もいない。
私より年上とおぼしき看護師さんが、近所のおじさんと談笑している。
私が診察をお願いすると、「え?」という感じで対応する。
いったい、どうゆう意味の「え?」なんでしょう?
輪ゴムで結わえた、新聞広告を短冊に切ったような紙の束に名前と電話番号を書くように言われる。
薄ぐらい待合室で2,3分待つ。

 腰の曲がった鼻眼鏡の白衣を着たお爺さんが、いくつかのファイルを抱えて診察室はいってゆく。
ほどなく我が名前を呼ばれる。
この鼻眼鏡のお爺さんに、尻に出来ものが出来て排泄に困難をきたしている現状を訴える。
ふん、ふんと聴いていたお爺さんは、「じゃ、診てみましょう。あそこに寝て」と指示する。

 診察ベッドに仰向けに寝る。
知らない人のために言っておくと、痔の診察は、うつぶせにお尻を出して寝るのではない。
仰向けに寝て、パンツを下げ、えいやっと両足を上げて抱え込むのである。
高校時代に「切れ痔」で、この病院を訪ねて、そのことは知っていたから、私はあわてることなく、適切にお爺ちゃん先生の前に我が肛門をさらすことができたのである。
「ああ、人生、もう何にもたのしいことなんかありゃあせん」という感じの看護師さんが「もっと足を抱えて」と叱咤してくださる。

 高校時代のように尻毛をジョリジョリと剃られるのかなと構えていると、いきなり肛門に指が挿入される。
「アッ」
と思わず声が出る。
すると、お爺ちゃん先生が
「これ、痛いでしょう」
と攻めてくる。
「ハヒ〜」
次には、ぐりぐりと指を回してくる。
「ここも痛いでしょう」
「はひ、はひ〜」

 そのあと、「つまらん尻だねぇ」という目で見ていた看護師さんにオデキの処置をしていただいて終わり。

 「痔ろう」
と先生はつぶやかれた。
肛門の模型で説明して
「ま、切るばかりがノウではないから、薬で散らして様子を見ましょう」

 そのあいだ、先生はほとんど私の顔を見ない。
肛門だけ見れば十分という様子。
また、ナントカ検査などもいっさいない。
すべては、先生の人さし指で診断なさる。

 そして、指示通り薬で散らして、我が肛門付近の困難は消去されたのでした。
ああ、楽に排便できるということの幸せを今さらながら感謝したのでした。
ホント、あの鼻眼鏡の爺ちゃん先生の人さし指はゴッド・フィンガーでありました。
posted by CKP at 13:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月07日

あけましておめでとうございますfrom CKP――今年の漢字は「排」

 自宅のパソコンのトラブルなどで年末・年始のエントリーが滞ってしまいました。
チョッと遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
今年も、哲学科教員ブログをよろしくお願いします。
 
 が、いきなりですけど、今年は私にとって、「排泄」ということと向き合う一年になるだろうなと思っています。

 ここ近年、社会的に「排」ということが問題になっています。
二酸化炭素や核廃(排)棄物などが、人間の生活を脅かすものとなっています。
つまり、人間にエネルギーを供給したその後の残り滓が、マイナスのパワーを発揮して、人間の生活を脅かしているのです。

 そして、個人的にも、この年末、文字どおり「排泄」という問題にぶち当たりました。
もうすぐ89歳になるおばあちゃんの体調が急激に悪くなり、いわゆる「下の世話」でてんてこ舞い。
また「上の世話」では、呼吸がうまくできなくなり、ついには、救急車までお願いすることになりました。

 その時、最初に現れた症状は便秘です。
幾種類も服用しているお薬の副作用なのか、極端に便通が悪くなり、食欲がなくなって体力が落ち、一人でトイレに行けなくなりました。
薬のせいで口が渇き水をたくさん飲むので、夜中に何度もトイレに通います。
ポータブルトイレを購入しましたが、それすら一人では座れません。
寺の年始の準備とあいまって、ヘロヘロになりました。

 大でも小でも、一人で排泄行為が可能であるというのは、実に有り難いことなのだなあ、とつくづく感じました。
しかし、同時にこの「下の世話」というのをマイナスの行為というふうに感じる視点というのは、いったいどこから来ているのか、ということも考えてしまいました。

 正直に言って、浣腸して「それ!もう少し、頑張って!」と掛け声をかけて、うまくウンコが出たときなど、「出た!出た!」とカタルシスを共有します。
私が冬休み中だったので、奥さんと協力しながら「下の世話」ができたのでそう感じたのかも知れません。
一人で長期間、あのようなことをやっていたら相当にへばるでしょう。
学期が始まるとどうなるか分りません。
奥さんがたくましくテキパキやってくれ、私は後ろでオロオロしているだけですが、自分の母親の「下の世話」をするというのは、なんだかいろいろと感慨深いものがあるものです。
文句の多い赤ちゃんみたいなところもあって、時々、むっと来るのですけどね。

 いったい、人間は排泄というのをマイナスと行為といつごろから考えるようになったのでしょう。
水洗トイレの普及した現在の日本では、自分たちの排泄物と向き合うことは稀なことになりました。
つい、このあいだまでは、肥やしを「田舎の香水」などと言っていたものです。
しかし、今の子供たちは、そんな臭いを知りません。
「野糞」が当たり前だったインドでも、トイレの普及を政府が推し進めているようです。

 それに、口から体内に入った食物は、口から肛門にいたる管の、いったいどのあたりからウンコになって忌み嫌われるようになるんでしょう?
もう少しウンコに敬意を払ってもバチはあたりますまい。
岩合光昭さんの『世界ネコ歩き』を見ていて思い出しましたけど、ネコって、穴を掘ってウンコして、そのあと土をかぶせるんですね。
あれは過去の自分を埋葬しているんでしょうか?まさかね。

 人類学で排泄の研究があるかと少し調べてみましたが、あまり見当たりません。
レヴィ=ストロースなどの食べ物の研究はあるのですけどね。

 今年は「排泄の哲学」とか「ウンコの現象学」を目指すことになりそうです。
このブログなんかも、一種の「排泄行為」かも知れません。

 という訳で、この年末・年始は盆と正月が一緒に来たようなてんやわんやで、とても2013年を回顧する余裕がありませんでした。
おばあちゃんも「三途の橋を渡ろうとしたら、アミダさんに、もう少しそちらで苦労しろ、と言われた」ということで、少しずつ回復のきざしが見えてきました(どうゆうわけか、「三途の川」でなく「橋」なんだそうです)。
一時は、正月と葬式が重なったらどうやって年始回りをしたらいいんだべ、とつまらんことを考えておったのですが・・・そのうちにCDや本の2013年のベスト3をまとめます(も、いいか?)。
posted by CKP at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月01日

今年もよろしくお願いいたします。

sugaura.jpg
CKP先生がご多忙とのことですので、
代わって(代わって、と言うこともないのだけど‥)
私がごあいさついたします。

昨年度のご愛顧を御礼申し上げますとともに、
今年もよろしくお願いいたします。

私はふだんここにはほとんど書きませんが、
別のところに書いておりますので、
よろしければご覧ください。
(写真は奥琵琶湖、管浦より湖西を臨む。)
posted by pilz at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする