2013年11月29日

本屋さんと私――わっしぃ・オン・ミシマガジン

 ミシマ社のウェブ・マガジン「みんなのミシマガジン」に、わしばっぱ(本人非公認)わっしぃ(公認)こと鷲田清一先生のインタビューが掲載されています。
11月25、26、27日の記事です。
15、16、17と、ではありません。
では、どうぞ。

http://www.mishimaga.com/

ということは、今度はミシマ社で何かお仕事されるのでしょうか?
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2013年11月26日

シアワセは「もうあと5分だけ」寒い朝――無茶

 タヌキ風邪もようやく抜けてきて、安らかなる眠りをむさぼることができる状態になってまいりました。
となると、この季節、朝、蒲団から出るのが辛い。
もう一分でも長く惰眠を貪りたい欲望に負けて、起きるのを「もうあと5分だけ」と先延ばししながらグズグズするのは最高のシアワセであります。
ほんと、あの5分の延長ほどシアワセを感じる時間はない。

 死ぬ時も、「もうあと5分だけ寝かせて」と言って死んで行けたら、どんなにシアワセかと夢想します。
が、今朝は、その5分がはっと気付いたら15分も過ぎていて、慌てて玉子かけご飯をかき込んで出てまいりました。

 しかし、なぜ、人は目覚めるのでありましょうか。
やらねばならぬ、という現実からの呼び掛けに目を覚ますのでしょうか。
それとも、このまま寝ていては、永遠の眠りに陥って死んでしまうとでも、身体が反応しているのでしょうか。
フロイトは、夢を、眠りを少しでも長引かせるものと考えました。
目覚ましのベルにすぐ起きないで、夢の中で列車の発車ベルを聴くというように。
が、ラカンは、夢の彼方のリアルな欲望に直面するのを避けるために、現実に目覚めるという考え方を示しました。
夢を見続けていると、心の奥にある恐い自分の欲望に直面せざるを得なくなる――だから、そうならないために、現実世界に目覚めるというのです。
となると、現実世界は心のリアルを隠す世界ということになります。
いったい、ホントのリアルの世界とはどこにあるのやら・・・などと面倒くさいことを考えないで、明日の朝は「あともう5分だけ」のシアワセを堪能したいと思います。
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2013年11月19日

タヌキよりうつされし風邪のたち悪さーー哲学における体力

 池上タヌキ先生からうつされた風邪が治らない。
いったん治ったかなと油断するとぶり返す。
感染元の性質(たち)の悪さがそのまま風邪のたちの悪さになっておる。
喉から上が熱っぽくて、アタマがぼんやりしている。
感染元のタヌキに文句を言いに行ったが、その感染元もまだ治らないということなので、許す。

 が、このタヌキ先生、そのような状態でも思考力は衰えない。
むしろ邪悪さが増して、曖昧な論理をびしびしと批判される。
無駄なな体力を使わないで、論理だけをクールに追うから、論理の隙がよく見えるというようなのである。
そうゆう本の読み方もあるかと思って、本を読んだが、私の場合、2,3行読むとアタマがボーっとして眠たくなる。
どうも邪悪さがたりないようである。

 それにどうもふだんから無駄に体力を使って哲学してようなのである、私の場合。
だから風邪などひくと、とたんにアタマが回らなくなる。
そして、無理にアタマを回すとその疲れがいつまでも取れない。
一冊の新書を書きあげただけなのに、なんだか腑抜けにようになってしまっている。
もちろん『あまちゃん』が終わってしまい、あまロス症候群に罹っていることもあるが、それにしても体力が戻らない。

 鷲田先生など今年も数冊刊行されておられるが、休む暇なく全国を飛び回っておられる。
最新の『トリッパー』の連載などを拝読すると、若いアーティストたちのいろんな活動をきめ細やかにフォローされているのにびっくりする。
もともと頑丈なのか、あくなき探求心とか好奇心が頑健な体力をつくるのか。

 私の場合、やっぱり『あまちゃん』のDVDを買って、それを観て、元気を取り戻す道しかないのか。




 
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2013年11月12日

哲学科、つよし!――文芸奨励賞入賞おめでとうございます

 大谷大学の教育後援会主催の文芸奨励賞の入選者が発表になりました。
入選された皆さん、おめでとうございました。

 この賞は、あるテーマに従って50字で表現したものを審査するもの。
最優秀賞には「学習奨励金」として5万円が贈られる。
つまり、5万円を50で割って、一字で千円!
売れない新書を書くより、よっぽど効率が良い・・・などとわが哲学科の学生諸君をあおった成果かどうか分からないが、入選者13名のうちなんと哲学科の学生が6名!
すごいですね(最優秀賞や優秀賞ではなかったですが)。

考えるということは、言葉の感覚に鋭くなるということなのでしょう。

 というわけだから、今、哲学科を受験しようかどうか迷っている受験生諸君!哲学科に入って、文芸奨励賞をねらいませう!
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2013年11月10日

哲学科卒業すればなんだってやれる――昨日は大谷大学ホームカミングデー

 昨日は、大谷大学の学園祭とホームカミングデー。
昔風に言えば、同窓会。
べつに学年とかゼミではなく大学全体の同窓会。
今年は自著『死ぬのは僕らだ』を出版したから、「先生、サインしてください」とゼミの卒業生が門前、市を成すが如く押し寄せるのではないかと、危惧しながら、村山先生と池上タヌキ先生と待機。
が、来るのは村山先生のところのたくさんの卒業生とタヌキのところの卒業生ばかり。
ま、タヌキ先生は今年が停年だからね・・・と言い聞かすが、チョッと悔しい。
で、しょんぼりと研究室に引き上げる。

 で、ネットで「相変わらず、我が新書は売れ行きがここに来てピタリと止まった」ことを確認していると、トントンとノックの音。
タヌキかなと思って振り返ると、卒業生のNさんとYさん。
待ちかねた卒業生。
もう、こちらは泳ぐようにして出迎える。
が、よくきくと「鷲田清一先生の講演を聴きに来て、ちょっと研究室によってみたら先生がいた」ということらしい。
チョッとわしばっぱが恨めしいが、ま、そのご講演で、こうして卒業生が来てくれたのだから感謝せねば。
しかし、二人の卒業生はもう立派な大人だから、気をつかってくれて、わざわざ大垣書店に戻って、我が『死ぬのは僕らだ』を買って来て、サインを求めてくれました。
ううう、先生、とっても、うれしかったよ。

 この心優しき卒業生は二人とも女性で、一人はこのブログでも紹介したモデル兼ウォーキング・インストラクターのYさん。
もう一人はコンピュータのシステム・エンジニアのNさん。
私のゼミでは、モデルになるすべもシステム・エンジニアになるコツも教えませんでしたが、立派にこうして働いておられるます。
Nさんいわく「結局、コミュニケーション能力です」。
それなら、その能力の開発に少しは協力できたかなと思う。
なにせ、「死者とのコミュニケーション」がその頃のゼミのテーマだったからね。

 が、とにかく、今、大谷哲学科を受験すべきかどうか迷っている諸君。
哲学科では就職がおぼつかないのでは、などと言っている諸君。
そんなことを言っていては、なれるものにもなれません。
興味ある事柄にドンとぶち当たっていけば、ナントカなるものです。
posted by CKP at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月08日

今ごろライならどこかのボーダー・ライン――36年ぶりのライ・クーダーのライヴ・アルバムが大変よい

 アメリカの西海岸のギタリスト、ライ・クーダーの36年ぶりのライヴ・アルバムがよい。
CDで聴いてあんまりよかったのでアナログLPを購入。
これがまたまた音がゆったり広がっていて大変よい。

 ライ・クーダーといってもエリック・クラプトンほど有名ではないからご存じない方が多いかもしれない。
若い頃はスートンズと一緒にプレイしたこともあって、キース・リチャーズと喧嘩もしている。
「俺のフレーズを盗みやがって!」
これには天下の不良キースも「スミマセンデシタ」というほかなかったという伝説がある。
円熟してからは、ヴィム・ヴェンダースの『パリ・テキサス』や『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の音楽を担当したりしている。
このブログでも何度か取り上げているので、興味ある方は探してみてくだされ。

 で、このライヴ・アルバムである。
36年前のライヴと同じサンフランシスコのグレイトアメリカンホール。
何かこのホールに思い入れでもあるんだろうか。

 メキシカンなお姐さんが描かれたジャケットが示すとおり、音が割れんばかりのにぎやかなメキシカン・ブラスバンドを従えてのタバスコ・テイストが充溢するライヴ。
アコーディオンは、36年前と同じフラコ・ヒメネスというその世界では国宝級の爺さん。
しかし、コーラス隊はソウルフルな黒人のお兄さんたち。
それに、二曲目の「Why don't you try me」では沖縄音階の伴奏が聞こえてくる。
ライ・クーダーは、国境をあちらこちらとらくらくと越える。
ちなみに、上の『ブエナ・ビスタ・・・』では、カーネギー・ホールにキューバのバンドを引き連れて、会場にキューバ国旗をはためかせた。

 こんなグローバルならカッコいいな、と思う。
アメリカの価値基準に統一された、というよりもヨーロッパ貴族を真似するアメリカ成り上がり文化の価値観に統一されるグローバルではなく、ネイティヴな価値観がそれぞれを主張しながら一つの音楽を作るグローバルというのは、どこか土の匂いがして懐かしい。
 
 ライ・クーダーは人々の生活の中の喜びや苦しみ、悲しみを歌った古い曲を取り上げる。
ヒットを狙う曲ではなく、人々の生活の中から湧き上がってくる歌を取り上げる。
キューバやハワイや沖縄やメキシコへと国境を軽々と越えてそんな歌を探し出してくる。
が、今回のアルバムで印象的なのは、初期のアルバムに取り上げられていたアメリカ・フォークソングの祖(ディランのアイドルだった)ウディ・ガスリーの曲が二曲取り上げられていること。

 まずは「Do Re Mi」(ドレミは「お金」を意味する言葉らしい。日本語で言えば「おあし」という感じか?)

「カリフォルニアはエデンの園、住むにも見るにも天国さ。
ただし、お金があればだけどね。
金がないのなら、お前ら、麗しのテキサスやオクラホマにかえりな」

 この曲が、原曲とはまったく違って、フラコ爺さんのアコーディオンが楽しく響くポルカで演奏される。
んだ、おらたちには金なんかねえ。
それでも何とかならあな――って感じ。

 もう一曲は「Vigilante Man」(自警団員)
ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』の世界。
異常気象で地元を追われカリフォルニアへ移動する貧しい農民を助ける牧師を殺した自警団員を唄う。
これをライは粘っこいスライド・ギターで唄う。
原曲とはまったく違う雰囲気なんだけども、貧乏人の悲しみや怒りがびしびしと伝わる。

 ライ・クーダーの歌やギターを聴いてると、これが一つのグローバルというかインターナショナルの形なんだなと思う。
決してナントカ主義を上から押し付けるのではなく、生活の中の喜怒哀楽を丁寧に歌っていくことが、生きることに救いをもたらすんだなと思う。

 ところで、ライ自身の新しい歌では、伝説の強盗ジェシー・ジェイムスが天国から舞い降りて銀行を襲う歌が歌われていました。
「おいらより、おめえら銀行屋の方が、よっぽど強欲じゃねえか」
ところで「銀行は反社会的団体にお金を貸してはいけません」という話、ジェシー・ジェイムスは理解できるでしょうか。
posted by CKP at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする