2013年10月29日

ジュース・クーラー(?)――久しぶりの『昭和語広辞苑』

 阪神・阪急ホテル系列のリッツ・ナントカというホテルのン千円もするジュースが、冷凍ジュースだったというニュースを聞きながらへんなものを思い出した。

 今でもあるんでしょうか?
金魚鉢のでっかいのを逆さにしたようなガラス容器のなかで、ジュースが噴水のように噴き出して循環しているマシーン。
あれは、ああやってジュースを冷やしていたのでしょうか?

 小学生のころ、ということはかれこれ50年ぐらい前、街に出るとときどき見かけました。
ジュースと言えば、「渡辺のジュースの素」しか知らなかった私は、あの近未来を思わせる容器の中のジュースを、西洋文明への憧れの目で眺めておりました。
飲み物といえば、庭のお茶の木を葉っぱを刈り取って干して、お湯を沸かして飲むお茶しか知らなかった田舎の子には、ジュースというのは大変ハイカラな飲み物だったのです(江戸時代ではありませんよ、昭和中期の話です)。
しかし、ついに、あの容器からジュースを購入することなく、来年は還暦を迎えることになりました。

 いったい、あの不思議なマシーンは何だったんでしょう?
いや、オチもない、そんだけの話です。
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2013年10月25日

言葉を届けるのにギャグは必要か?――マルティン先生と檀家さん

 マルティン先生の講演会があったり、近所のおじいさんが亡くなってお悔やみに行ったり、となり村のお寺の報恩講に参勤したり、院入試があったり、、報恩講の案内状を発送したり、檀家のおばあちゃんがなくなったり、もちろん授業をしたり、ちょっとハードな一週間でした。
というわけで久しぶりブログです。

 先週の金曜日は、マールブルク大学のマルティン先生の講演会。
先生の講演へのレスポンスをおおせつかって、しこしこ英作文していたら、コーンウェイ君が、英訳を申し出てくれた。
トホホなジャパニーズ・イングリッシュを直すよりも、最初から日本語を訳すほうが楽なんでしょうね。
しかし、英訳されることを意識して文章を書くと、よけいなギャグを入れられないから、私としてはえらくすっきりした文になる。
英語にしていただいたのを、「訛り」が出ないようにアクセントに注意して、サンダーバードでの移動中に練習。
べつに「クイントリックス」なんて単語は使わなかったですけどね(←ここ、分らない人は悩まないよーに。分らないのがふつーです。分らなくても人生に支障はありません)。

 会場は意外にも満杯。
ガイジンいっぱい。
汗もいっぱい。
ゆっくり読もうと思ってはじめたが、やはり最後は早口になったようです。
が、みなさんが期待していた、途中で絶句してしまうような「発表事故」もなく、無事終了。
「イースタン・ブディスト」編集長のマイケル・パイ先生(元国際宗教史学会会長というすっごくえらい先生)から、「よかったですね〜」と褒められたかな・・・と思っていると・・・。
すぐさま「これでカドワキもplayとprayを学生の前で発音できますねぇ」と、ビミョーでブリティッシュな突っ込み。
ほんとにめんどくさいジェントルマンである。
が、パイ先生、『あまちゃん』ファンだから、許す。
それに、『哲学入門 死ぬのは僕らだ!』をお渡しすると、このタイトルが、すぐに「007 live and let die」のパロディであることを了解してマルティン先生に説明してくださった(そういえば、あの映画の主題歌はポール・マッカートニーでしたね)。

 が、肝心のマルティン先生は・・・。
おそらく、私のレスポンスを喜んでくださったと思う。
英語とドイツ語のちゃんぽんの会話で、もひとつはっきりしなかったけど。

 私としては、先生からお教えいただいた、ビブリオ・ドラマのワークショップに参加できたことの感謝を伝えたかったのです。
ビブリオ・ドラマとは、聖書の一場面を実際に演ずる一種のセラピー。
聖書を仏典に置き換えたスートラ・ドラマのワークショップを、以前に、大谷大学でやっていただいた、それに対する感謝をお伝えしたかったのである。
いきなり、ハムレットが復讐者の役をどう引き受けるかという話をして、最初はびっくりされていたようだけど、そのような問題として私が受け取ったことは充分にお伝えできたともう。
会場にこられた方には、ちょっと伝わりにくかったとは思うけど。
すみません。
しかし、今回は、マルティン先生に伝えることが大事だからご容赦。

 それで、ほっと一息。
翌日、院入試の間の空き時間に、檀家さん向けにお寺の内陣の改装に関する文章をしたためる。
マルティン先生へのレスポンスが終わるまで書けなかったのです。
レスポンスとはまったく違う文章だけど、緊張感は同じかそれ以上。

「内陣の改装に多額なお金がかかるけど、今までお葬式のときにお納めいただいた「永代経懇志金」の積み立てでまかなえるから、わざわざ寄付を募ることはないから安心してくださいね。でも、少しでも寄付してくださると、あとの御遠忌をお迎えするとき余裕が出来るから、寄付できる人はヨロシク」という趣旨の文章を書く。
これがきちんと伝わらないと、後でメンドクサイことが起こったりするから、慎重のうえにも慎重に書いて、ワタナベ先生に点検してもらい、総代さんにも検討してもらい、報恩講の案内と一緒に発送。

 しかし、「きちんと伝える」というのが文章の基本であるなぁ、といまさらながら気が付いた。
いったい誰に何を伝えるか。
これがはっきりしないと、文章は文章にならない。
自戒を込めて、大書します。
が、そのような文章が常にまじめである必要はない。
もちろん、檀家さんに住職が書く文章にギャグは必要ない。
それに、ボーズギャグってつまんないし。
しかし、話をいきいきと伝えるために、ギャグも時として必要である。
というわけで、英語のレスポンスでちょっとアドリブこいてギャグってみたんですけど、ちょっとさぶかったでしょうか。
後ろで(藤)先生が「余計なことを言うな」と念を送っていたよーな気がします。
posted by CKP at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月17日

「違う」から楽しい――明日はマルティン先生(マールブルク大学)講演会

 本日は、もうすぐ木越康先生と中岡成文先生の講演会。
 明日は、マールブルク大学のマルティン先生の講演会。
その講演会では宗教間対話の可能性がテーマ。

 それで、昨日は「同じはうれしい」ということを書いた。
しかし、何でもかんでも「同じ」というのはつまらない。
退屈ということになる。
違いの中に「同じだ!」を見つけるから、うれしいのである。
かといって、すべてが違っているというのも辛い。
60年代のフリー・ジャズは、エネルギーはすごかったけれど、「同じ」というパターンを拒否することをフリーととらえてプレイしていたから、音楽としては定着しなかった。
やはり、「同じ」がないと聴く方は辛かったということであろう。

 赤ちゃんでも、毎日、違う環境に置かれ、毎日違う名前で呼ばれるということになると、大変、不安定になると予想される。
ある程度、「同じ」が小さな差異を伴って繰り返されることで、安定した「私」が形成される。
退屈なくらい「同じ」が繰り返されるということも、大切なことのでしょう。
カント先生の散歩のように。

 そういう点では、19世紀に確立された西洋クラシック音楽の、歌詞はないけど、いくつかのメロディが少しずつ違って繰り返されるという形式は、安定した感情をもたらすよくできた形式と言えるでしょう。
ラヴェルの「ボレロ」は、それを極端にまで推し進めた実験でした。

 と、なんで「同じ」と「違う」をいきなり語り出したかというと、違う宗教で対話する場合、やはり、どこかで「同じ」が確認されないと対話にならないだろう、と思ったからです。
かといって、ミソもクソも「同じ」では、対話にならない。
そこは、やはり違うことを踏まえながら、宗教って何なんだろうと考えるから、対話が成立する・・・というような話を明日、マルティン先生へのレスポンスでお話します。

 ところで、はじめ「同じ」をidentityで英作文していたら、コンウェイ君に「そこはsimilarityです」と直されました。
そうですね。
similarityが確認される所に、identityが成立するのですから。
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2013年10月16日

「同じ」はうれしい!――マールブルク大学マルティン先生講演会

 来たる10月18日、午後4時半より大谷大学メディア演習室でマールブルク大学のゲルハルト・マルセル・マルティン先生の公開講演会が開催されます(聴講無料・一般来聴大歓迎)
主催は鈴木大拙が創設した東方仏教徒協会。

 マルティン先生の講演は「宗教間対話の焦点を再びあわせる」という英語での講演。
もちろん、先生としてはドイツ語の方がやりやすいはずだけど、それだと言葉の壁がぐっと高くなるから、英語でお話していただきます。
(日本語の訳が配られます。)
真宗学の木越先生と不肖カドワキがレスポンスの役を務めます。
このレスポンス、英語でやるんでしょうか?
昨日、一生懸命、和英辞典を引きながら英作文していたら、協会のコンウェイ君から「英訳しますから、日本語で書いてもらっていいですよ」と救いの電話。
やれ、うれしや。
でも、それ、英訳してもらったのを読み上げるのかしら?
私の英語は、大学一年のとき「キミ、どこ出身?キミの英語、なまってるね」と言われた英語。
はてさて、どうなりますか。

 で、宗教間対話の焦点ですけど、やはり、対話していてうれしいのは「同じだね、やっぱり」ということでしょう。
人間は、そうとうちがったものにも、「同じ」を見つける能力がある。
なぜ、そんな能力が発達したかと言えば、やはり、「同じ」だとうれしいから。

 赤ちゃんが言葉を覚えるときの基本は、「あ、同じだ」という感覚。
ボクの発音を、お母さんがおうむ返ししてくれた。
「あ、同じだ!」というので、赤ちゃんはそのお母さんのおうむ返しをおうむ返しする。
真似を真似するんですね。
そして、長じて、昨日の私と今日の私、どこか違っているかも知れないけど、全体として「同じ」で安心する。

 他人との対話でも、何から何までまったく違っていたら、対話にならない。
どこかが「同じ」だから、違いも楽しめる。
その違いを面白がりながら、その「同じ」を共に喜ぶ。
それが、宗教間の対話でも基本ですよね、というようなレスポンスをする予定です。

 ウディ・アレンとどこか「同じ」雰囲気を漂わせるマルティン先生から、英語でダダダと突っ込まれ、ボー然とする私はみたい方はどうぞ!
posted by CKP at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月15日

臨床哲学はハードボイルド哲学?――中岡成文先生講演会

 大阪大学で鷲田清一先生とともに「臨床哲学」運動(?)を進めてこられた中岡成文先生が、大谷大学真宗学会でご講演なさいます(一般来聴歓迎無料)。

真宗学会大会
10月17日午後3時より大谷大学尋源講堂
臨床仏教としての親鸞思想
      大谷大学教授 木越康先生
臨床哲学の〈引き込まれ〉――自己変容論として――
      大阪大学大学院教授 中岡成文先生
中岡先生の講演は4時20分ごろから

 臨床の現場に立つと、その事件に〈引き込まれ〉自己の変容を来す、ということでしょうか。
となると、ハードボイルド探偵が事件に巻き込まれ、自己の変容を来すというのに似ています。
ただし、探偵の場合は、事件を「かき混ぜる」という要素が重要であると、ある「ハメット論」にありましたが、そのあたりはどうなのでしょうか…などという予断は排して、お聞きしたいと思います。

 木越先生は、親鸞がどんな臨床の現場に「引き込まれ」た、とお話しになるのでしょうか。
そう言えば、デカルトが大学を卒業して、「世界という書物」を見て、そこで真理を検証するために旅をした、というのも「臨床哲学」に入るのでしょうか。
この問題を考えるのも面白そうです。
デカルトの自己は変容したのか?

 ところでこの「引き込まれ」という言葉が面白いです。
何か現場の磁場にずるずると引き込まれる感じ。
この感じ、古澤平作(土居健郎の先生)の「とろかし」などという言葉を思い出しました。
阿闍世コンプレックスの克服の場面で出てくる言葉です。
その説明は、こちらでどうぞ。
http://tetsugakuka.seesaa.net/article/125879964.html

 
posted by CKP at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月11日

お金が好き、お金が嫌い――大谷大学開学記念日に寄せて

あす、12日は大谷大学開学記念の式典と午後1時半より初代学長・清澤満之をめぐるシンポジウムが開催されます。

「清澤満之誕生150周年記念シンポジウム 清澤満之―その精神(にんげん)にせまる―」
パネリスト 藤田正勝京都大学教授・安富信哉大谷大学名誉教授
コーディネーター・村山保史大谷大学入学センター長
午後1時半より大谷大学講堂にて

 大谷大学は、明治34年(1901年)、東京は巣鴨に「他の学校と異なりまして宗教学校」つまりミッションスクールの「真宗大学」として開学しました。
日清戦争開戦から5年後、日露戦争開戦の3年前。
おなじ1901年に官営の八幡製鉄所が出来ています。
一方では、この年、田中正造が足尾鉱毒を天皇に直訴しています。
つまり、日本がグローバルに外へと広がり、金儲けのためにはなんでもあり世の中になっていたそのときに、おらたちの大谷大学はミッションスクールとして東京に出ていったのです。
つまり日本中が「お金が大好きです」と言っていたときに、「人間が大好きです」と東京に出ていったのです。
今も昔も、見事に世の中の中の流れから浮いていたんですね、おらたちの大谷大学。

 その頃が、どれほど「お金大好き!」だったかを示す小説として『金色夜叉』があります。
以下、以前に書いた「『金色夜叉』のあらすじ」の改訂版(実はこの記事、時々、どっとアクセスが増えるのです。不思議です)。

 尾崎紅葉作『金色夜叉』は、明治30年から35年(1897〜1902)まで断続的に読売新聞に連載された、明治を代表する大衆小説。
日本に金本位制が確立されたのが、この明治30年(ちなみにその前年明治29年に三陸大津波で2万7千人が死亡しています)。
横山源之助が『日本之下層社会』を発刊したのが明治32年。
『金色夜叉』は、産業的格差、地域的格差など知らないよ、とひたすら昇りつめようとする金の鬼たちを描いていきます。

 わたしら昭和生まれも、その小説を読んだわけではないが、漫才やコントで「ダイヤモンドに眼がくらんだお宮を貫一が足蹴にする熱海海岸の場」というのに親しんでいる。

 間貫一君は、天涯孤独の身の上ながら、彼の父に恩を受けたという鴫沢に何不自由なく育てられ第一高等中学校へ通う学生である。
もうすぐ東京帝大に入り学士さまの身分も見えてきて、将来を嘱望された貫一は鴫沢家の娘のお宮の許婚となる。
ところが、そこに銀行家・富山(とみやま)が、「未だかつて彼等の見ざりし大きさの金剛石(ダイヤモンド)を飾れる黄金の指輪」をはめて登場。

 許婚と言ってもお宮は「恐らくは貫一の思える半ばには過ぎざらん」という状態。
つまり、のぼせているのは貫一君のみ。
その上「宮は己が美しさのいかばかり値するかを当然に知れるなり。彼の美しさを以ってしてわずかにかほどの資産を嗣ぎ、類多き学士風情を夫にもたんは、決して彼が望みの絶頂にはあらざりき」(仮名遣い・漢字は適当に改めてある。新潮文庫版25ページ。なお「彼」とは宮のこと)。

 お宮さんは、絶世の美女で、「許婚の貫一君にこれといった不足はないけれど、この美貌だったら、もっとすごい資産家の奥様になれるわ」、などと考えていたのである。
自分の美しさが、どれだけ「値するか」を知っていたのである。

 そこにダイヤモンド男・富山が正月のカルタ会に登場するのである。
そのカルタ会で宮を見初めた富山は、さっそく鴫沢家に宮との結婚を申し出る。
そのとき、許婚の貫一君にあきらめてもらうべく、「留学」が用意される。
明治もやっぱりマネーとグローバルはきっちり結びついていたのでありました。
そして、悪役は銀行家・冨山!
半沢直樹の世界です。

 このことを宮の父親から告げられた貫一君は「妻を売りて博士を買う!これはあに穢れたるの最も大なるものにあらずや」( 51ページ)といきり立ち、熱海で静養している宮に会いに行くのである。

 「妻を売りて博士を買う」とか「己が美しさのいかばかり値するか」とか、なんだかえげつない表現がポンポン出てきます。
明治30年、文明開化もだいぶ進んだ世の中は、何でも金で換算する、そのような人物が活躍する時代を迎えていたのであり、小説はそれを「穢れたる」と断言することで拍手喝采を受けるのでありました。
うまくすれば、貫一君は明治の「半沢直樹」になったのかもしれません。

 そのわれらが間貫一君は、そのような金の穢れと育ての親の鴫沢の恩のあいだで激しく揺れ動くのであります。

 熱海の海岸で貫一君はお宮さんに涙ながらに訴えるのであります。

「大恩を受けているおじさんおばさんのことだから、頼むといわれた日には、僕の体は火水の中へでも飛び込まなければならないのだ。おじさんおばさんの頼みなら、無論僕は火水の中へでも飛び込む精神だ。火水の中へなら飛び込むがこの頼みばかりは僕も聴くことはできないと思った。火水の中へ飛び込めというよりは、もっと無理な、あまり無理な頼みではないかと、僕はすまないけれどおじさんを恨んでいる。
 そうして、言うこともあろうに、この頼みを聴いてくれれば洋行さしてやるとお言いなのだ。い……い……いかに貫一は乞食士族の孤児でも、女房を売った銭で洋行しようとは思わん!」(65ページ)

 貫一君は、宮と富山の結婚をあくまでも「おじさん」と富山、そして自分を含めた取引として考えたいと思っている。
つまり、宮の心は、依然、自分のほうを向いていると考えたいのでありますが、しかし、宮の心そのものがすでに富山に方に傾きつつあるのであります。

 そこで例の「今月今夜のこの月を・・・」であります(つまり、ここがよくコントで使われたのです)。

「ああ、宮さんこうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前にこうして物を言うのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、よく覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一はどこでこの月を見るのだか!再来年の今月今夜……十年後の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!いいか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らしてみせるから、月が……月が……月が……曇ったらば、宮さん、貫一はどこかでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ」

 と貫一君、けっこう未練がましく同情をひこうとするのであります。
下手をするとストーカーにでもなりそうな貫一君なのであります。
そして、お宮が
「ああ、私はどうしたらよかろう。もし私があっちへ( お嫁に)いったら、
貫一さんどうするの、それを聞かして下さいな」
などというと・・・・・

「木を裂く如く貫一は宮を突き放して、
「それじゃ、断然お前は行く気だね!これまでに僕が言っても聴いてくれんのだね。ちええ、はらわたの腐った女!姦婦!!」
その声とともに貫一は脚を挙げて宮の弱腰をはたと蹴たり。地響きして横様に転びしが、なかなか声も立てず苦痛をしのびて、彼はそのまま砂の上に泣き伏したり。貫一は猛獣などを撃ちたるように、彼の身動きもえせず弱々と倒れたるを、なお憎さげに見やりつつ、
「宮、おのれ、おのれ姦婦、やい!貴様のな、心変わりをしたばかりに間貫一の男一匹はな、失望の極発狂して、大事の一生を誤ってしまうのだ。学問も何ももうやめだ。この恨みの為に貫一は行きながら悪魔になって、貴様のような畜生の肉をくらってやる覚悟だ。富山の令……令夫……令夫人!もう一生お目にはかからんから、その顔を挙げて、真人間でいる内の貫一の面をよく見ておかないかい!長々の御恩に預かったおじさんおばさんには一目会って段々の御礼をもうしあげなければ済まんのでありますけれど、仔細あって貫一はこのまま長のお暇をいたしますから、随分お達者でご機嫌よろしゅう……宮さん、お前からよくそう言っておくれ、よ、もし貫一はどうしたとお訊ねなすったら、あの大馬鹿者は一月十七日の晩に気が違って、熱海の浜辺から行方知れずになってしまったと……」」(76ページ以下)

 というわけで、貫一君はお宮さんを「ちええ」とブルース・リーのような奇声をあげて足蹴にし、あまつさえ「はらわたの腐った女!姦婦!!」と罵声を浴びせ、彼女の前から消えるのであります。
ま、ストーカーにならずによかったね、というもんであります。
しかし、その後、貫一は高利貸しとなり金銭の鬼、つまり「金色夜叉」となって、「この恨み、倍返し」ということになるのであります。
が、一方、夫を愛し得ない宮から詫びが入るも、貫一はこれをはねつける・・・と、この貫一君、半沢直樹ほど大きな心をもっていないない、つまり「他人を信ずる」ことができないゆえ、「金色夜叉」からは抜けきれぬまま、この小説は未完のままで、途切れているのでありました。

 という訳で、明治30年代、つまり大谷大学が東京に真宗大学として開校したころ、巷では、恩と愛と金をめぐっての人間の生き方が問われていたのでした。

 それにしても、みんな、何でこんなにお金が好きで、それでもって、お金で苦しまなければならないのでしょう。
それは、また日を改めて考えてみます。
とにかく、おらたちの大谷大学は、そうゆう金がすべての世の中から、完全に浮いて、自己とは何ぞや、という人間の生き方を見つめる大学として発足したのでした。

 なんだか「とぼけた」というか「のんびりした」というか、ある意味では世間知らずの大学かもしれませんが、そうゆう「浮世離れした」雰囲気というのは、今の時代、貴重なのではありますまいか。



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2013年10月06日

孤立を恐れず連帯を求めて――犀の角のようにただ独り歩め

 晶文社の「犀の教室」シリーズのトップとして内田樹先生の『街場の憂国論』と鷲田清一先生の『パラレルな知性』が発売されました。
この「犀の教室」には次のような言葉が掲げられてあります。

最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。―「スッタニパータ」

「スッタニパータ」とは、仏陀の言葉として伝えられたもの(たて糸=スッタ)を集成したもの(ニパータ)。
岩波文庫で『ブッダのことば』として中村元博士によって訳されています。
上の言葉は、「第一 蛇の章」の「三、犀の角」に見える言葉。

 いきなり「蛇」が出てきて、旧約聖書のように誘惑されるのではないかと心配してしまいますが、そうではありません。
「蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである」というフレーズが最初の「一、蛇」という節で、17の詩句で17回リフレインされて、このスッタニパータが始まるのです。
蛇が皮を脱ぎ捨てるようなブレイクスルーを目ざすということが、ブッダの教えの中心にあることが確認されているわけです。

 そして、「三、犀の角」では「犀の角のようにただ独り歩め」というフレーズが40回近くリフレインされています。
なんだか、ロックの歌詞みたいで、カッコいいっす。
つまり、ブレイクスルーへどのように歩むか、ということを「犀の角」のように「独り」で歩めと歌っているわけです。

 しかし、まったく孤独に閉じこもれと言っているわけではなく、リフレインがただ一箇所、崩れる詩句では
「もしも汝が、〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め」
と歌っています。
むかしむかしの「孤立を恐れず連帯を求めて」というオジサンたちの合言葉を思い出します。

 内田樹先生が『街場の憂国論』の「まえがき」で、「他の人が言いそうもない事」を書こうとすると、条理を尽くして書くことになるから結局リーダーフレンドリーな文章を書くことになってしまう、と述べておられる「歩み方」に通ずるものがあるように思います。

 この孤立を恐れず、しかし同志を拒絶しない「犀の角」の歩みは、専門領域への閉じこもる専門家とその専門家に解決を委ねてしまう市民のあり方に対して、知性の肺活量を鍛えそれを公的に使用するという鷲田清一先生の主張にも通ずるものがあるように思います。

 大衆性に埋没して専門家から知識を注入されてそれに安んじたり、それを鵜呑みにして他を攻撃するのではなく、あくまでも自分自身の手触りを離さずしかし私利にとらわれることなく事に向き合う、それが「犀の角のようにただ独り歩む」ということではないでしょうか。
そのような歩みは、どこかで「何で今までこんなことにこだわっていたんだろう」というブレイクスルーにいたるのだろうと思います。
この「犀の教室」シリーズがこのお二人の『パラレルな知性』『街場の憂国論』でスタートしたというのは、まことにふさわしいことであった――そのようにこの読み応えのある二冊を読んでいます。
posted by CKP at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月02日

正解じゃないから深く潜れる――思考の肺活量をいきなり二倍にする方法

 鷲田清一先生の『おとなの背中』のいくつかのエッセイを読んでから、自分の書いた文章を読むと、自分の知的肺活量のなさを思い知らされることになる。
ほんと、やんなっちゃうくらい鷲田先生の文章は懐が深い。
むかし、貴ノ浪という懐が深い力士がいたが、勝負がつきそうでなかなかつかないしぶといお相撲さんだった。
つまり、鷲田先生の文章は、これで決まりと思うとその先があって、しぶといのである。

 もちろん私だって、その昔、今は亡きタケマロ先生から「大谷の貴ノ浪」と言われたフトコロの持ち主である(意味はよう分からんかったけど)。
今回の『死ぬのは僕らだ』でも相当深く潜って思いもよらぬ所に「プハーッ」と再浮上しているのではあるが、わしばっぱと比べるとまだまだ深く潜れていないのは歴然である。
しかし、そう簡単に知的肺活量は増えない。

 で、考えたのである。
いきなり肺活量を二倍にする方法。
それは、私の書いた文章を読む読者の皆さんの肺活量と私の肺活量を足すという方法である。

 まず、読者の方は、私の文章を読むわけです。
フムフム、そんな読み筋があるのか?
ナニナニ、カミュは井上陽水の「傘がない」だと・・・そう来るなら、同じ陽水でも「禍福はあざなえる縄のごとし」と発言する陽水(@『おとなの背中』96ページ)という読み筋もあるのでは・・・

 このとき、この私の読み筋を「なるほど、そういうふうに読むか!」といったん引き取って、「それならば、こんな読み筋もあるかも」と新しい解釈を出していただく。
ここがミソである。
ねっ!
いきなり読みが二倍になるでしょ?

 このとき「こんな読みはあるはずがない!」と頭から否定してしまうと、肺活量は増えない。
テキストという現実に遭遇したことさえ消滅してしまう。

 あの本で、私はいろんな古典から気になる文章をひっぱて来て、自分なりの解釈を試みた。
その解釈にご不満の方もおありかとは思う。
が、それでよいのである。
 そもそも古典という現実は、いろんな読みを許容する。
故に、今までてああだ、こうだと読まれてきたのである。
そこに「これが正解」というものが出てきたら、誰も古典を読む必要がなくなる。
正解じゃないから、みんなでテキストを覗き込んで、ああだこうだと読み込むのである。

 現実というテキストだって同じである。
ああだ、こうだと読みこまれながら現実は形成されてゆく。
もし、最終回答が出てしまったら、現実は停止するだろう。

 と思っていたら、今度は鷲田清一先生の『パラレルな知性』と内田樹先生の『街場の憂国論』が、晶文社から「犀の教室」シリーズの最初の2冊として10月5日同時発売。
そう言えば、内田樹先生の書斎の机の棚には鷲田先生とのスナップがアクリルのケースに入れて飾ってありましたっけ。
「犀の教室」シリーズ開始記念を兼ねたお二人の対談は10月11日、中之島朝日カルチャーセンター・・・どえらい肺活量対談になるでしょう。
会場の酸欠に気をつけねば。
posted by CKP at 16:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする