2013年05月29日

講演会のご案内


2013年度西洋哲学倫理学会春季公開講演会を
開催いたします。今回はカント倫理学について、
立命館大学の北尾宏之先生にお話し頂きます。
奮ってご参加下さい。

講題:カント倫理学と自由の問題
      ―カントが言いたかったこと―
講師: 北 尾  宏 之 氏
      (立命館大学文学部教授)

日時 六月六日(木)午後四時四〇分より
場所 尋 源 講 堂(尋源館二階)

posted by pada at 23:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月25日

高橋源一郎×平川克美×鷲田清一――6月9日親鸞フォーラム

 今朝の「あまちゃん」は、「天野アキちゃん、17歳のはじめての失恋」の巻でした。
自転車、飛びましたね。

 ところで、来る6月9日、東京は六本木で、親鸞フォーラムが、大谷大学の後援で開催されます。
「震災×経済×仏教」というテーマで、高橋源一郎、平川克美そして鷲田清一という涼しげなメンバーによるシンポジウムです。
なんだか楽しそうな会になりそうですね。
ここに内田樹先生がいないのが不思議な感じがする三人です。

 5月17日でチケット締め切りらしいですが、「締め切りました」の告知が無いのでひょっとしたら今からでも間に合うかもしれません。
こちらに問い合わせしてください。

http://shinshu-kaikan.jp/guidance/forum

 
posted by CKP at 20:45| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月21日

じぇじぇじぇ――大谷大学仏教学科出身の小野不由美さん『残穢』で山本周五郎賞!

 と、今さら驚くこともないかもしれんが、『十二国記』で有名な作家の小野不由美さん、大谷大学仏教学科出身のホラー作家の小野さんの最新作『残穢』が、第26回山本周五郎賞を受賞したそうな。
あら、まだ受賞していなかったっけ・・・という感じの貫録の小野さんではありますが。
おめでとうございます。

 というわけで、この間の津村記久子さん(こちらは大谷大学国際文化学科出身)の川端康成賞に続く「良いニュース」「嬉しいニュース」です。
posted by CKP at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ホントの名前で出てみます――大谷学会春季公開講演会のご案内

 来たる5月23日(木)午後1時から大谷大学の大谷学会春季公開講演会が開催されます。
そこでワタクシCKP58改めCKP59カドワキが、ホントの名前で講演申し上げますので、自主的にご案内申し上げます。
 まず、午後1時からつまり授業で言えば3コマ目にワタクシが「ドラマを始める――ヘーゲルの観たハムレット」というタイトルでお話しいたします。
ヘーゲルという哲学者の話ですが、いちおう「講演」なのであんまりややこしい話ではなくザックリしたところをお話しできればと思っています。

 そして、休憩の後、2時40分からつまり4コマ目に精神科医師の片田珠美さんという方が「『正義』の仮面に隠された怒りと羨望」という題でお話しされます。
こちらは、ネット上での匿名の「正義」という今日的な問題についてお話なさるようです。

 というわけで、わたしの方は200年前の哲学者がハムレットをどう観ていたかという話で、昼食あとの昼寝にピッタリ。
聴衆の方々が次々の深い眠りに陥っていかれる様子が今から目に浮かびます。
わたしの話で脳をリフレッシュされて、片田さんのお話に集中していただければ幸甚です。
いまの気分としては、「『あまちゃん』における『ゴーストバスターズ』の問題」というテーマでお話したいのですが、そんなことしたら主催者から石を投げられそうで・・・

 詳しいご案内はこちら
http://www.otani.ac.jp/news/nab3mq000002ar1x.html

それとも、やるか?ゴーストバスターズ!?
posted by CKP at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月20日

なんで「ゴーストバスターズ」?――『あまちゃん』の謎

 NHKの朝ドラ『あまちゃん』から目が離せません。
 キョンキョン演ずる春子の過去のアイドル志願も明らかになり、ドラマは新たな段階へ。

 それにしても、キョンキョンが唄う『潮騒のメモリー』の「三途の川のマーメイド」という歌詞にはずっこけました。
それにしても、夜毎、飲んで唄ってやさぐれる「スナック・リアス」って楽しそうです。
それにしても、その片隅で琥珀を磨いているベンさんって何者なんでしょう。
皆からさんざん馬鹿にされながらも、いつも静かに琥珀を磨いてる。
このひと、まだぜんぜん過去が明らかになっていません。
いったいどうゆうことがあって、琥珀磨きの人になったのだろう。
それにしても、蟻が琥珀に入る過程について解説していた鉄拳のアニメも良かったすっ。

 が、私が今いちばん気になっているのが、駅長の大吉君がときどきスナックのカラオケで絶叫する「ゴーストバスターズ!」。
なんでも、この番組用につくったカラオケだとか。
この『ゴーストバスターズ』という映画、80年代にたしかに話題にはなったけど、カラオケで絶叫するほどではなかったと記憶する。
なんでそんな映画のテーマが、北三陸の「スナック・リアス」で絶叫されるんだろう?

というわけで、この4月から、二回もこの映画『Ghostbusters』を観てしまいました。
それに、内田樹先生の『映画の構造分析』の第一章の4「『トラウマ』の物語」も読み直しました。

「トラウマという『穴』に漸近線的に接近し、穴の輪郭をそれとなくかたどり、その破壊的な効果を軽減する『阻止線』となるような種類の物語は、そのような意味において『よい物語』なのです。私たちが太古以来、物語を語って止まないのはおそらくそのためです。
 物語がどのようにして人を癒すか、この最後の主題をめぐって、私たちが選んだ映画は『ゴーストバスターズ』(Ghostbusters, by Ivan Reitman, 1984)です。」(文春文庫版、158ページ)

 大学から追い出された3人の科学者が、アメリカ的近代が抑圧したトラウマつまりゴーストを解放し、その破壊的効果を軽減するという物語です。
内田先生のドンぴしゃりの分析は直接当たっていただくとして、『あまちゃん』を見ていて思うのは、この3人の子どものような科学者と「スナック・アリス」に集う人々、とりわけ駅長と副駅長そして観光協会会長の3人がこの「ゴーストバスターズ」に重なることです。
この3人の幼児性が、あの3人の科学者の幼児性と重なるのです。
それがどうしたと言われると困るけれど、この3人や「スナック・リアス」に集う人々が、その胸の奥に抑圧したゴーストをどたばたしながら解放してゆくのをみていると、なんだかホロリとするなぁ。

 それにしても、「スナック・リアス」には、現代の勝つか負けるかというグローバルな競争社会には失われてしまった優しさが漂っていて、大好きです(最近はムナクソ悪いニュースばかりですもん)。
その優しさを、春キョンは「田舎の人のうわべだけの優しさ」とやさぐれていましたが・・・のわりには「スナック・アリス」のママにきちんおさまっています。
posted by CKP at 21:35| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月13日

めんどくさくて愛――愛がもえるとき

 製造元に入院していたアンプとCDプレイヤーがご帰還された。
が、CDプレイヤーには申し訳ないのだけれども、このところLPばかり聴いている。
CDプレイヤーが留守中にLPレコードを引っ張り出して聴いていたら、LPレコードへの愛がにわかに萌え出したのであります。

 長いあいだ聴かなかったレコード。
音溝が刻まれている直径30センチくらいの塩化ビニールの円盤です。
(レコードをプレイヤーにそおっと乗せていたのを見とがめた高2の娘が「それ、何?」と訊きました。平成生まれの人たちはアナログレコードを知らないのですね)

 カビが生えていたり、40年前のフケがこびついていたりするのを、クリーニング液をつけてきれいにする。
昔使っていたカートリッジがいかれてしまったので、新しいカートリッジに交換する。
レコードの溝に手の脂をつけないようにレコードを取り出す。
慎重にターンテーブルに乗せて、クリナーブラシで盤面をぬぐう。
針先もときどきブラシでぬぐう。
ターンテーブルを回し、そおっと針を落とす。
ときどきピチパチとノイズが出るけども、なんだか懐かしくしっとりとした音がする。
聴き終わるとまたクリナーでぬぐって、そおっと袋に入れてジャケットにしまう。

 レコードはめんどくさい。
ああ、とってもめんどくさい。
場所もとる。
買ってくるのも、大きくて荷物になる。
針を通せば、その分確実に磨耗している(はず)。
擦り切れるほど聴いたレコードは、いくら磨いても音が曇る。

 だがしかし、久しぶりにレコードを聴きだして、レコードはめんどくさいから愛しい、ということに気が付いた。
35年前は、CDなんかまだ無かったから、それほど「愛しい」とは思わなかったけれど、今回、レコードのお世話をいろいろしながら聴いてみると、面倒をいろいろと見ればみるほど愛しさがつのるということが明らかになったのでありました。

 CDはたしかにハッキリした音がして長時間聴けて便利だけれど、ほとんど世話のしようがない。
すると、どうも一枚一枚のCDに「愛」を感じることが難しいのであります。

 その点、レコードは子どものように手がかかる。
子どもをお風呂に入れて足の指の間を洗ってやるように、レコードの音溝の奥にたまった埃をぬぐってやらなければならない。
が、それだけ手をかければそれなりの音を出しくれるレコードは子どものように可愛い。
めんこいのであります。
逆に、手をかけるのをサボったりぞんざいに扱うと、たちまちノイズを発してご機嫌が悪くなる。
お〜、悪かった、悪かった、よしよしよしよし荒川よしよし。

 「愛」というのは、無前提に成立するのではなく、手間ひまかけて世話をすることで萌え出してくるのである、ということが、今回の再燃したレコード愛でよく分かりました。
「愛があるから、世話をする」のではない。
「世話をするから、愛が育つ」のである。
ここの因果関係を間違うと、いろんなところで不具合が生ずる。
話はいきなりジャンプするけど、愛国心なんかも、この国土、そこに住む人々への手間ひまかけた世話を通じてはじめて萌え〜るものでありましょう。

「恋は不思議ね、消えたはずの灰の中から・・・」と唄ったのは岸洋子さんでしたっけ?
確か元歌はエンリコ・マシアスでした(←こんな記憶、どこにあったんでしょう)。

posted by CKP at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月07日

CKP59歳の誓い――B♭を押さえる

 残酷な四月が終わって、CKPカドワキは59歳になりました。
この面さげて59歳になるなんて、ホント、申し訳ない。
来年は還暦です。
耳順です。
こんな人間が60歳になっていいのかなぁ、と思いますが、命があればなってしまうのですから仕方ありません。
昔の60歳なんて「こ〜とし六十のお爺さん」で、立派な老人でした。
私の場合、いつまでもこんなペラペラした薄い人間で、まことに申し訳ありません(と、誰に謝っているのやら?)。

 それではならじ、となんか今年こそ、と思うのですが、今更そんな大したこともできません。
う〜んと考えて、昨年からマイ・ブームになっているボブ・ディラン、ディランの「Like a rolling stone」をギター弾きながら歌えるようになる、というのを「59歳の誓い」といたしました。

 で、ギターを取り出したのです。
ところがギッチョン、30年ぶりぐらいにギターを弾こうとするのですが、やっぱりというか、当然というか、BやB♭のコードが押さえられない。
30年前に押さえられなかったものが、いきなり押さえられるはずはない。
むしろ3分も弦を抑えていると指が痛い。

 というわけで、「59歳の誓い」は、B♭のコードがきちんと押さえられるようになることに変更。
Fのコードもだいぶあやしい。
まずは人さし指を鍛えます。
posted by CKP at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする