2013年01月28日

「四苦八苦」と「集」――生活の中の仏教用語と非・仏教用語

 先月号の『文藝春秋』に掲載された門脇担当の「生活の中の仏教用語」が、大谷大学のホームページにオープンになったので、どうぞ。
今回は「四苦八苦」でした。

http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/index.html

次回は、3月中旬発売の四月号です。

 この回は、いちど書いたものをボツにしたりして、文字通り「四苦八苦」して書きました。
ボツにしたのは、「やっぱり『集』は、仏教用語とはちがうわなぁ」ということと「いきなり親鸞からロラン・バルトへ話が飛んでしまうのはまずいわなぁ」という判断からでした。

仏教用語でなくてもオッケー。
親鸞からバルトへの飛躍、大いに結構という方は、以下のボツ原稿もどうぞ!

生活の中の非・仏教用語「集」

 「集」が特別な仏教用語というわけではない。
『往生要集』という場合の「集」は、「往生」の「要」となる文を経典などから抜き出し「集めた」ということであり、『大学入試英語長文問題集』などの「集」と変わるところはない。
ところが、「愚禿釈親鸞集」の「集」となると話が違ってくる。

 「愚禿釈親鸞集」は一見、親鸞のいくつかの著述を集めた作品集のタイトルのように見える。
じっさい、一九七〇年前後にいくつか出版された日本の思想家シリーズのうちには必ず『親鸞集』という巻があった。
しかし、「愚禿釈親鸞集」とは、親鸞が撰述した『顕浄土真実教行証文類』(いわゆる『教行信証』)の各分冊のタイトルの次に書かれているいわば編集責任者を明示するものなのである。
「この『文類』は愚禿なる仏弟子(=釈)である親鸞が集めました」と宣言しているのである。
釈迦以来さまざまな形で伝承されたお経などの中の文章を「顕浄土真実」というテーマにそって「教・行・信・証・・・・」という順に「編集」していっただけと言っているのである。
したがって、『教行信証』は親鸞のオリジナルな「作品」ではない。
この作品の「作家」としての著作権を主張して印税を受け取ろうなどとは、親鸞は思っていない。
親鸞自身に過去から贈与された浄土の真実を顕す文をまとまったテクストに編んで、「後に生まれん者」へ贈っていこうとしているだけなのである。

 つまり、『教行信証』は、構造主義の記号学者ロラン・バルトが言う「引用の織物」なのである。
バルトはそこに「作者の死」を言い当てたが、親鸞の時代ではオリジナルを主張する「作者」はまだ生まれていない。
「作者」とは、書物がオリジナルな商品として流通し出した近代が要請したものなのである。
大乗仏典は釈迦の直説ではない、という大乗非仏説はオリジナルを至上のものとする近代出版の作者観に由来するのであろう。
むしろ、大乗仏典は釈迦の言葉に始まる引用の奔流のような織物なのである。
その引用の大河の中から、親鸞は「浄土の真実を顕す」文を『教行信証』のうちに「集めた」のである。

posted by CKP at 18:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月24日

銭湯物語――いざ、懐かしの銭湯へ!

 というわけで、電気温水器の故障でお風呂が使えない日々が続いております。
ヤカンでお湯を沸かし、ごしごし身体を拭いたり、髪を洗ったりしております。
しかし、やっぱり、お風呂に入りたいということで、ついに銭湯に行くことを決心したのでありました。
「決心」というのは、やはりこの冬空のもと、1キロメートルも離れた銭湯に出かけるのは、ちょっと勇気が要るのです。

 しかし、銭湯へ行くのはおそらく20年ぶりぐらい。
というか、最後に銭湯に行ったのがいつだったか、まったく思い出せない。
いったい、今、銭湯料金って、いくらぐらいするのだろう。
それに、銭湯って、何をもっていくんだっけ?
温泉の大浴場とはちがうよな・・・石鹸もシャンプーも持っていかねば・・・
と、荷物をつくって、普段は乗らないほこりだらけの自転車を引っ張り出し、ジャンパー着こんで、いざ銭湯へ!
自転車だと手がちべたいっす。

 えーっと、たしかこのあたり、と自転車をこぐが、なかなか見つからない。
ネットで見た時は、わりと立派な建物にみえたが・・・
おお、あそこに見えるのがそれではないか!
しかし、妙に暗い。
営業している感じがない。
うそー、もう廃業?
と、どきどきしながら近づいてみると・・・

「勝手ながら本日、臨時休業いたします」

思わず天を仰いで、あの『八甲田山』の北大路欣也の如く絶叫こそいたしませんでしたが、つぶやいてしまいました。
「天は我を見放したかぁ!」

 ひどいと思いません?
ちゃんと定休日も確認して行ったんですよ(定休日は日曜日のはずです)。
ああ、それなのに、それなのに、この日に限って「臨時休業」。

 寒空の下、しばし、「臨時休業」の張り紙をじーっと睨みました。
じぃーーーーーーーーって。
せめてもの抗議であります。
が、睨んだとて、「臨時休業」がいきなり取りやめになるはずもなく、また、いまさら、銭湯を探して夜の西賀茂を彷徨するわけにもいかず、おとなしく下宿に帰りました。

 ま、常日頃、銭湯などほったらかしていたバチでもあったのでありましょう。
おとなしく、ヤカンでお湯を沸かして身体を拭きました。

 どうです?
ご期待通りの展開でしたね。
誰か、わたしのこと、呪ってません?
やはり、ゼウスのお怒りか?
posted by CKP at 16:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月23日

ゼウスの怒り?――おとぎ話の王女でも昔は・・・

 同僚であらせられるギリシア哲学の泰斗の朴先生に悪さをした覚えはない。
ああ、それなのに、それなのに、このところ、ゼウスの雷撃に打たれたかの如くに、私のまわりの電気器具にまつわるトラブルが続いている。

 まずは、実家のオーディオがビチバチとノイズを発するようになった。
アンプの故障かCDプレイヤーの不具合か不明で、製造元に入院。
しかし、音のない生活は耐えられないので、20年前に使っていたミニ・コンポのアンプを引っ張りでしてLPを聴いている。
その頃のミニ・コンポはLPも聴けるようになっていたんですね。

 しかし、このLP生活、なかなか快適であります。
やはりCDの音に比べてやさしくみずみずしいのであります。
が、よく考えて見れば、私のこぎたない部屋でいろんなジャンルの一流の演奏が聴けるというのは、昔の王侯貴族でも叶わなかったことであったのだなぁ、と改めて思う。

 次は電気器具は正常だったのだが、その機能がアダになったという話。

 先々週あんまり寒かったので下宿を出るとき、エアコンを帰る時間より少し前から動かそうとタイマーをセット。
実はわたくし、タイマーをあまり信じていない。
電気器具が勝手に起動したり止まったりするのが許せないのかも知れない。
だから、今までエアコンのタイマーは使ったことがなかったのだが、あまりに寒いので、勇気を出してタイマーをセットして出かけたのであった。
ところが、長い会議を終え、温まった下宿に帰ろうとしたら、家から檀家さんの爺さんが亡くなったという電話。
ソッコーで枕経に福井に帰らねばならない。
すぐさま地下鉄で京都駅に直行したいところ。
だが、このまま福井に帰ったら、下宿のエアコンがつけっぱなしになる。
まして、はじめてのタイマーである。
どうなっているか分からない・・・というわけで、いったんタクシーで反対方向の西賀茂の下宿に戻ってエアコンを消して・・・という面倒なことになってしまった。
生意気にエアコンは起動しており、お部屋はぬくぬくと温まっておりました・・・
「タイマーでエアコンをつけると、檀家さんが亡くなる」という因果律が刷り込まれてしまったので、もう、エアコンをタイマーでは起動しないことにしている。

 そして今週、月曜の夜、下宿でお風呂に入ろうとしたが、蛇口をひねっていくら待ってもお湯が出てこない。
いつまで待っても冷たい水。

 下宿のお湯は、あの夜中にお湯を沸かしておく「原発仕様」。
あれ?と思って湯沸かし装置をみてみると、ブレーカーが落ちている。
えいっと入れると、バチッと落ちる。
嘘だろうと思って、何度か試みるも同じ。
どうも漏電しているらしい。
ということでヤカンでお湯を沸かし、風呂の代わりに熱いタオルで体をふく。
火曜日の朝、電気屋さんに連絡。
夜は、沸かしたお湯を魔法瓶にためておいて、頭も洗う。
今朝(水曜日)、電気屋さんが来て、「やれやれ、今夜は風呂に入れる」と思ったら、「これ、漏電ですね。メーカーから来てもらいましょう」。
というわけで、今夜もヤカン生活、決定!

 しかし、ふ、ふ、ふろに入りたい・・
インターネットで下宿近くの銭湯を検索。
1キロぐらい離れた所に発見。
仕方ない、今夜は着込んで銭湯に行こう!

 が、思うのである。
蛇口をひねって、ハイ、お風呂。
お家に帰ればぬっくぬく。
お部屋でいつでも音楽を。
こんな18世紀の王侯貴族も出来なかったような生活をしてれば、バチも当たるし資源も枯渇するわなぁ・・・と。
かといって、水汲み、薪割り、風呂焚きの生活に戻るのも今さら無理だろうし・・・
ちなみに、今年5月で59歳の私は、水汲みこそしていませんが、薪割り、風呂焚きが子どものころのメインのお手伝いでした。
posted by CKP at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月18日

福岡伸一と西田幾多郎――20日午後10時Eテレ「日本人は何を考えてきたのか」

 先週の日曜日、NHKのEテレで午後の10時からの「日本人は何を考えてきたのか」という番組。
北一輝と大川周明というアブナイふたりの思想家について、田原総一郎が松本健一にツッコミを入れながら考えるという番組があったので、寝転びながら観ていたのでありました。
北一輝の今風に言えば「格差撤廃」の革命思想、大川周明の大アジア主義という理念が分かりやすく解説されていた。
が、どこか頭でっかちで現実の政治過程ではやはり「アブナイ思想家であった」と思いを強くしたのであります。

 で、次週の予告編があって、あの生物学者の福岡伸一さんが西田幾多郎と京都学派についていろいろと尋ねてまわるヴィデオが流れたのでありました。
「へぇー、福岡さんが西田幾多郎・・・どういう話になるんだろ・・・」
と思っていたら、終わりかけのところで、どこかで見たことのある風景とお爺ちゃんが出てきました。
「げっ!上田先生!」
思わず起き上がって、正座してしまったのは、わたしです。
福岡先生、比叡平に上田閑照先生を訪ねたのですね。

 というわけで、この日曜日は、修士論文を読むのはしばし中断して、正座して午後10時からEテレを拝見いたすのであります。

 福岡さんと上田先生がどんな対話をされるのでしょうか。
また、大谷大学でも講義をしていただいている藤田正勝・京大教授も、おそらく番組全体の解説者として出演されるようです。
大谷大学哲学科西洋哲学・日本哲学コースの学生は必見です。

posted by CKP at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月14日

ビンボーダナオは貧乏だったか?――Bobby Hackett and his jazz band “ COAST CONCERT”を聴きながら

 年が明けてこの10日間ほど、このブログに奇怪な現象が起こっているのです。
「ビンボーダナオ」をキーワードにして、はるか以前に書いた「ビンボーダナオ」についての記事(2007年6・15)へのアクセスがほぼ毎日、鷲田先生の講演会の記事と同じくらいあるのです。
いったい、皆さん、ビンボーダナオについて何をそんなに知りたいのでしょう。

 ビンボーダナオというのは1960年代に活躍したフィリピン出身の俳優さんで、かつて淡路恵子のダンナさんでした。
当時、日本中が貧乏だったので、ビンボーダナオという名前は、瞬く間に親しみを持って日本中に広がったのでした。

 ということでよろしいでしょうか?
ついでに、スマイリー小原とかトニー谷についても知りたいですか?
もし、知りたい場合は個別にメールください。

 しかし、ひょっとして、皆さん、貧乏について考えたくてアクセスしてこられているのかも知れません。
新しい政府の経済政策を見て「いまさら右肩上がりを目ざしてどうするんだ?!」って。
もう一回、貧乏の味を味わってみるのも良いのではないか――ということで、ビンボーダナオ・リバイバルということではないか・・・

 そんなとき、999円の、コルネットのボビー・ハケットとトロンボーンのジャック・ティーガーデンのディキシー・ランド・ジャズのアルバムを手に入れました。
村上春樹が『ポートレート・イン・ジャズ』で「ジャック・ティーガーデン」の項で推薦しているアルバムです(「ジャズ名盤ベスト&モア」シリーズで発売中)。

村上春樹はこう書いています。

「時代を画するというようなたいしたものでは決してないけれど、ハケットのメロディアスで品が良くて滑らかなスイング感にあふれたプレイと、ティーガーデンののほほんとした人柄のにじみ出たプレイがしっくりと混じりあって、なにものにも代えがたい独特の美質がそこに生まれている。
これぞ音楽の醍醐味のひとつではないか、と僕は思うのだけれど、昨今はこういう種類のジャズに熱心に耳を傾ける人はほとんどいなくなってしまったようで、ほとんど世間の話題にもならない。・・・」

 この文章がなければ、決してわたしなんぞが手に取らなかったアルバムです。
しかし、やっと手に入れて、聴いてみると、いいですなぁ。
職人気質のミュージシャンたちが集まって、ちゃちゃと一枚のアルバムをしかし楽しみながら造っているのがよく分かる。
お金儲けとかそんなじゃなく、ホントにジャズをプレイすることを楽しんでいる、という感じが伝わってきます。

 アルバム・ジャケットのハケットが西海岸から(おそらく)ニュー・ヨークへ飛び立つ時の写真もとてもいい。
ああ、みんなと楽しい良い仕事をした――そんな感じが伝わってくる1955年の作品です。

 そんな、みんなが「楽しくてよい仕事をした」と思えるような時代になってゆくといいのにな・・・ビンボーダナオが活躍していた日本の1960年代もそんな時代でした。
posted by CKP at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月07日

とっくに明けましておめでとうございます――本年も「哲学科教員ブログ」をごひいきに

 一月も七日になってしまいました。
遅ればせながら、新年、明けましておめでとうございます。
本年も、当「哲学科教員ブログ」およびCKPカドワキをよろしくお願いいたします。

以上、お年始回り疲れでアタマが動かないCKPからの新年のごあいさつでした。
posted by CKP at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする