2012年12月30日

ラップを唄うとオテモヤンになってしまうCKP58の今年のベスト3――CDも本も一挙にみんなまとめて面倒みよう!

 奥さんが娘に「この蒸し鶏、冷えたらラップしといて」と言っていたので、「いぇーい!蒸し鶏、冷えたら、ラップだよ」と横でラップを唄ったのですが、娘に無視されたCKP58です。
しかし、私がラップを唄うとオテモヤンみたいになってしまうのはナンでしょう?
と、悩んでいるうちに2012年もあと一日。
今年のベスト3を発表せねば。

 といっても、今年は3月にややこしい役職を終えて、その後なかなか調子が出ずボーっと過ごした一年でした。
CDもあんまり聴いていませんし、本もそれほど読んでいません。
DVDにいたっては、ほとんど観てませんので、今年はこれはなし。

 で、まずはCDのロケンロール部門。
一枚目はこの欄でもご紹介したニール・ヤングの『アメリカーナ』。
砂埃のなかのニールの爆音ギターが泣かせる一枚でした。
年末に出したもう一枚も評判がいいようですが、これは来年のお楽しみ。

 二枚目は秋に突然やってきたボブ・ディランのマイブームから、新譜の『テンペスト』。
落ち着いてさらっとした感じが気持ちよい一枚でしたが、結局めちゃめちゃ聞き込んだのは60年代のディランでした。

 3枚目は、偶然、ラジオで聞いたマムフォード&サンズというグループの『バベル』というアルバム。
たまたまラジオからこのグループが「ボクサー」、あのサイモンガーファンクルの「ボクサー」を唄うのが聞こえてきた。
ギターとドブロをバックにサラリと唄っているたたずまいがなんとも気持ちいい。
それで、最新アルバム『バベル』を購入。

 日本語版の解説を読むと、2009年に出したファースト・アルバム『SIGH NO MORE』が全世界で800万枚売れているイギリスのグループだとか。
カントリー・ロックというかフォーク・ロックというか、ギターとバンジョーが気持ちよくかき鳴らされるバンドなのだけれど、私が聞いてもどうゆうわけかイギリスのバンドというのが分かる。
何がどうイギリス的なのかは分からないが、アメリカ的なカントリーとは違う。

 それはともかく、何も新しい音楽ではないのだけれども、ともかく力強くてかっこいい。
別に新しいこと、奇抜なこと、インターネット的なことをやらなくても、何かを届けようという歌は確実に届くんんだなぁ、と感激して聴いております。
シングル・カットされたのは「I will wait」という曲。
とにかくカッコいい曲です。
いったいいまどき何を待つのでしょう。
日本版ではスタジオ・ヴァージョンとボーナストラックのライヴ・ヴァージョンの二つが聴けます。
「ボクサー」も日本盤のみのボーナス・トラック。

 以上がベスト3ですが、次点として案外よく聴いたのがクレイジー・ケン・バンドCKBの『イタリアン・ガーデン』。
堺正章とのコラボ「そんなこと言わないで」など、どことなくグループ・サウンズのころのテイストがいい味出してます。
これを聴きながら、斉藤環『世界が土曜の夜の夢なら』のヤンキー論を読むというのも一興です。
クレイジー・ケン・バンドって、系統的には完全なヤンキー系なのですけど、微妙なところでそこから外れている。
そのギリギリの外しがCKBの魅力であることを再確認したCDであり本でした。

 クラシック・ジャズ部門
一枚目はクラシックというのかどうか分からないけど、林光が指揮・編曲・ピアノで東京混声合唱団が唄う『日本抒情歌曲集』。
「からたちの花」「カチューシャの歌」「早春賦」「ペチカ」とおじさん、おばさんたちが涙なくしては聴けない歌が美しく歌われております。
岩城宏之氏の追悼的コンサートのライヴ二枚組み。
その林光氏も亡くなりました。
合掌。

 二枚目は、オランダのヴァイオリニスト、ジャーニヌ・ヤンセンと彼女のお友達によるシェーンベルクの「浄夜」とシューベルトの「弦楽五重奏曲ハ長調」のライヴ盤。
シェーンベルクとシューベルトが何の違和感もなく連続して聴ける。
死の年のシューベルトと若いシューンベルクとの共通する何かが伝わる演奏でした。

 三枚目は同じシューベルトの弦楽五重奏曲をアルカン・カルテットとお友達で演奏したもの。
こちらはヤンセンたちの演奏に比べるとどちらかといえばクール。
が、そうゆうシューベルトも好ましくて、案外、聴いています。

 次点として、イリーナ・メジューエワのバッハ・アルバム。
サラリとまた繰り返しのない短いゴルトベルクもいいものです。
また、アバドの指揮にピリスのピアノのモーツァルトのピアノ協奏曲20番と27番のアルバムもよく聴きました。
あと、買おうどうしようか迷っているのが、八代亜紀のジャズ・アルバム。
迫力ありそうでしょう?
もとはクラブ歌手だったという八代亜紀のあのドスの効いた声でジャズのスタンダードナンバーというのもちょっと乙かなぁ・・・と私の悩みは深いです。

 さて書籍。
一冊目は鷲田清一先生の『語りきれないこと』(角川ONEテーマ新書)。
これについてはこの欄で縷々かたらせていただきました。
まだの方はぜひ。
この本を読んで新春1月12日の講演「待つこと、待たれること」を待つ、というのは正しいお正月の過ごし方でありましょう。

 二冊目は内田樹先生の『街場の文体論』。
教員生活最後の講義ということもあって力が入っています。
ソシュールのアナグラム論とレヴィナスを下敷きにした「宛て先」論が圧巻でした。

 三冊目は諏訪部浩一という東大のアメリカ文学の先生が書かれた〈『マルタの鷹』講義〉(研究社)。
これがめっぽう面白い。
ホードバイルド探偵小説の古典であるハメットの『マルタの鷹』を一章ごとに解読してゆくアメリカ文学講義。
ハードボイルド探偵小説が何ゆえ成立したのか、ホームズなどの探偵小説とどこが違うのか、事件の真相をあばくのと事件の真相を生きるのとはどう違うのか・・・などなど興味深い論点が具体的な小説の展開にそって論じられるこの講義自体がハードボイルドで、読み出すと止まらない本でした。
ヴェンダースの『ハメット』をDVDで観て、『マルタの鷹』を読んで、この『講義』を読んで、ハンフリー・ボガード主演の『マルタの鷹』を観直す、という流れでした。

 というわけで2012年もいよいよ押し詰まってまいりました。
今年一年この「哲学科教員ブログ」にお付き合いくださってありがとうございました。
どうぞ、みなさま、穏やかな新年をお迎えください。
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2012年12月27日

暮れのこ忙しいときに始まる新シリーズ!――CKP58の「ちょっと待って!昭和歌謡」

 先日、鷲田清一先生の講演会「待つこと、待たれること」( 1月12日土曜日午後一時より大谷大学講堂)の案内を書き込みながら思いました。
「そう言えば、鷲田先生が書いておられるとおり、ケータイの普及による待ち合わせがなくなったけど、それと同様に〈待つ歌〉も無くなったなぁ」と。

 80年代初頭の「待つわ」(@あみん)以来、印象に残る歌謡曲・流行歌がないのであります。
おじさんの知らないところで流行っているのでしょうか?

 思えば、大正年間の「宵待ち草」(@竹久夢二)、「待ちぼうけ」(@北原白秋)以来、昭和歌謡において「待つ」というのは、「別れ」とともに重要なシチュエーションでありました。
フランク永井の「あなたを待てば雨が降る、濡れてこぬかと木にかかる」(「有楽町であいましょう」)なんていうのは、待つ身の「やるせななさ」を歌った「宵待ち草」の系統でありましょう(ちなみにたぬき・池上はフランク永井の大ファンであります。世の中、分らんもんです)。

 ジュリーこと沢田研二の〈雨がしとしと日曜日 僕は一人で君の帰りを待っている〉と始まる「モナリザの微笑み」や〈小雨降れば一人待つニーナ〉で始まる「追憶」などでも雨の中での「待つ」がうたわれておりました。
「待つ」には雨が似合います。
「長崎は今日も雨だった」なんてのも雨の中で「待つ」歌でした。
野口五郎の「私鉄沿線」もなんとなく雨が降っている感じ。
そして、これらのやるせない「待つ」歌の頂点はなんと言っても小林旭の「昔の名前で出ています」でありましょう。

 京都でシノブと呼ばれ、神戸でナギサと名乗った女はハマの酒場にもどって「あなたが探してくれる」のを待つのでありました。
なんとなく雨の晩に待っているような気がします。
(さて、ここでクエスチョン!ハマでの名乗り、つまり「昔の名前」は何だったのでしょうか。「ボトルに○○○の命」と書いたと3番の歌詞に出てきます。)

 一方、待つことのむなしさをちょっとヤケ気味にうたう「待ちぼうけ」の系統は五月みどりの「松の木小唄」、そして都はるみの「好きになった人」、五木ひろしの「待ってる女」あたりの演歌系「待つ」歌でありますまいか。
「ありますまいか」と問いかけるほどのことではないんですが。

  が、ユーミンが荒井由実時代に他人のために書いた「まちぶせ」は、あみんの「待つわ」に通じる新しいタイプの「待つ」でした。
来ないあなたを虚しく待つのではなく、あなたがこちらにふり向くまで執念深く待つという、下手すればストーカーソングになりかねない「自己実現」ソングでありました。
ザ・スパイダースの「あの時僕は若かった」などに唄われる「それでも君が望むなら、僕は待ってる、いつまでも」などとはずいぶん趣きが違います。

また、「ジョニーへの伝言」(@阿久悠)の「待つ」も、それまでの昭和歌謡とはあきらかに違う新しいタイプの「待つ」でした。
「二時間待って」わりと元気で出て行ったと伝えてよ、と「待つ」こと自体への離別をうたった新しい生き方を歌謡曲の世界に提出したのでした。
それでも「二時間」待ったのですが。
微妙な未練です。
しかし、その未練は「出てゆく」ことで断ち切られるのでした。
平浩司の「バス・ストップ」、あなたを傷つけないために「バスを待つあいだに、涙をふくわ」という別れの歌とはずいぶん違います。

 自己実現のために、さっさと自分の道を行って待たないタイプと執念深く待って他者を自己のうちに回収しようとするタイプというふうに、70年代から80年代にかけて「待つ」は二極分解し、従来の「待つ」は崩壊したのでした。
この方向性が、現在の「待ち合わせの欠如」へとつながるのではありますまいか。

列車の窓が開かなくなって「別れ」の歌が作りにくくなったと誰かが言っていました。
ケータイの出現は「待つ」歌を作りにくくしたのは確かでしょう。

 ところが、そんな時代に「I will wait」という歌がイギリスから聞こえて来ましたが、これについては今年のベスト3でご報告いたすのであります。
乞う、ご期待!

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2012年12月20日

「希望と絶望」――テツガク入門@大学ジャーナル102号

 大学ジャーナル103号(12月号)が発刊されたので、その前の号に載せた「テツガク入門」をここにオープンします。(その4)だったか(その5)だったか分からなくなってきました。
とにかく、大学ジャーナルは、今期はこれでおしまい。
わたしの連載も12月号で最終回です。
それは、そのうちここに再掲します。

では、どうぞ。

「希望と絶望」

 2010年に亡くなった佐野洋子という絵本作家は、我ら猫族の味方であった。
受験生諸君の中にも、『100万回生きたねこ』とか『おれはねこだぜ』という絵本を見たり読んだりした人があるであろう。
そこに描かれている凛々しい猫の絵を見て、吾輩をモデルにしたのではないかと思われる方がいるかも知れない。
聡明なるところが吾輩そっくりに描けておるからね。
が、読者諸賢の予想とは違い、佐野さんご自身が猫と一緒に暮らしておられて、モデルにされたのはそちらの方の猫らしい。

 その猫の何代かあとのフネさんに癌が発見され「あと一週間の命」と聞かされた時の様子を、佐野さんは次のように書いておられる。

「(猫のフネは)ガンだガンだと大さわぎしないで、ただじっと静かにしている。
畜生とは何と偉いものだろう。
時々そっと目を開くと、遠く孤独な目をして、またそっと閉じる。
静かな諦念がその目にあった。
人間は何とみっともないものだろう。
じっと動かないフネを観ていると、厳粛な気持ちになり、9キロのタヌキ猫を私は尊敬せずにはいられなかった。」(『神も仏もありませぬ』より)

「9キロのタヌキ猫」はちと太りすぎであると吾輩も思う。
が、佐野洋子さんを「尊敬せずにはいられなかった」と讃嘆せしめる我らがフネさんの癌に対する態度は見事であろう。
「静かな諦念」とある。「諦念」(テイネンとよむのだよ)とは単なる「あきらめ」ではない。
仏教では「諦」は「悟り」を表す。
つまり、ついには死に至る自らの人生じゃなかった猫生の真実を「あきらか」にした境地を「諦念」と言うのだよ。

かくして猫族の吾輩たちは悟りの境地に達しているのであった。
お釈迦さまが亡くなったとき吾輩らのご先祖が駆け付けなかったという話があるが、あれはひょっとしてお釈迦さまに教えてもらわなくても吾輩たちは既に悟っていたからかもしれないね。
*        *       *
 佐野洋子さんの愛猫フネはその後数週間生きて、部屋の隅でクエッと二度声を出して亡くなります。
その死について佐野さんは次のように書いておられます。

「この小さな生き物の、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。その静寂さの前に恥じた。私がフネだったら、わめいてうめいて、その苦痛をのろうに違いなかった。
 私はフネの様に死にたいと思った。人間は月まで出かけることが出来ても、フネの様に死ねない。月まで出かけるからフネのようには死ねない。フネはフツーに死んだ。」

 人間は自分が癌であると知ると動揺します。
そして、末期の癌の苦痛に七転八倒します。
それなのに猫のフネは静かに静かにその死を死んで行きました。
なぜでしょう。

 佐野さんは「人間は月まで出かけるからフネのようには死ねない」と書いておられます。
これはいったいどういうことでしょうか。

 先回ご紹介した松沢哲郎先生が、あるチンパンジーが急性脊髄炎にかかりひどい床ずれで皮膚が破れ膿み、骨がむき出しになった痛々しい様子を書いておられます。

「でも、このチンパンジーは、私であれば生きる希望を失うという状況のなかでも、まったく変わらなかった。めげた様子が全然ない。けっこういたずら好きな子で、人が来ると、口に含んだ水をピュッと吹きかける、なんてこともする。キャッと言って逃げようものなら、すごくうれしそうだ。」(『想像するちから』より)

 「私であれば希望を失うという状況」なのに、このチンパンジーはめげない。
希望を失わないからでしょうか。
いやそうではありません。
チンパンジーと人間では「想像する時間と空間の広がり方が違う」からなのです。
チンパンジーは明日のことを考える、月へ行くことを考える、つまり「想像する」という能力がきわめて小さいのです。
今後この自分はどうなるのだろうと、将来を考えることができないのです。
したがって、今の痛みが死につながるということを想像できないのです。

 したがって猫のフネが「静かな諦念」をたたえた目をしているのも悟っているからではありません。
今の身体の痛みやだるさが死につながるものであると想像できないということなのです。

人間は「想像するちから」を得て「希望」を知りましたが同時に「絶望するちから」も獲得してしまったのです。
しかし、そこが哲学や宗教の出発点でもありましたし、そこから自然科学も発展してきたのでした。
なかなか悩ましいことですね。
 

posted by CKP at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月19日

「待つこと、待たれること」――鷲田清一教授公開講演会

 来年、2013年1月12日(土曜日)午後1時より、大谷大学講堂で鷲田清一大谷大学哲学科教授の公開講演会が、京都・宗教系大学連合の主催で開催されます。
講演タイトルは「待つこと、待たれること」(一般来聴歓迎!手続きは不要!聴講料も不要です!)
正月・松の内ということは関係ないと思います。

 能動的主体がエライ!というご時世に、「待つ」という受動性に注目した衝撃の『「待つ」ということ』(角川選書)が2006年。
もう、6年も前になります。
その前の『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』(TBSブリタニカ)は、はるか1999年。
これもプロジェクトXな前のめりの時代に、「聴く」という受身形のあり方を提出した衝撃の書でした。

 今回は「待つ」ということに「待たれる」、つまり受動的な「待つ」がさらに受動態になって「待たれる」。
どんな展開になるのでしょう。
講演が「待たれます」。
講演の結論が「待たれます」。
が、『「待つ」ということ』などを拝読していると、読んでいる方が、じりじりしてくる。
常に結論が先送りされて、待たされて「もう、はやく!わたし、待てないわ」という感じになってくるのは、わたしだけでしょうか?
それでは、佐々木小次郎になってしまいます。
そのような読み方、聴き方は、鷲田的ではないのでしょう、たぶん。
釣り糸にエサも針もつけず、ひたすら待つ釣り人のように「待つ」。
そっちの方が、鷲田的かも知れません。

 シュープリームスの「恋はあせらず」を聴いてから、講演会に向かわれることをおすすめします。
posted by CKP at 12:05| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月14日

「ひこうき雲」の主人公は少女?――ジブリの空飛ぶ少女たちとユーミン

 先日、テレビを見ていたら、ユーミンとジブリの鈴木敏夫プロデューサーの対談のニュースが流れた。
鈴木プロデューサーが「今度の作品のテーマ・ソングにユーミンの「ひこうき雲」を使うかも知れない」と発言。
ユーミンが「わっ、私にとって今年いちばんのニュース」と応じていた。

 宮崎駿監督自身がユーミンのデビュー・アルバム『ひこうき雲』以来のファンなんだとか。
その一曲目の「ひこうき雲」が次のジブリ作品のテーマ・ソングになるかも・・・という話。
宮崎監督がユーミン・ファンということで『魔女の宅急便』の主題歌が「やさしさに包まれたなら」と「ルージュの伝言」だったのですね・・・なるほど。
と、ひとつ謎が解けた。

 が、同時にジブリの空飛ぶ少女たちの背景にはユーミンの「ひこうき雲」が流れていたのか・・・とびっくり。
ひょっとしたら、あの空を飛ぶメタボ・ブタのバックにも・・・!?

 というのは、私の場合、「ひこうき雲」に唄われる、投身自殺をして「空にあこがれて空を駆けて」いった「あの子」、「高いあの窓から、死ぬ前も空をみていた」らしい「あの子」、その命が「ひこうき雲」になったと唄われる「あの子」というのは、飛行少年つまり「男の子」だと、この四十年、つゆ疑うことなく決め付けていたのでした。
ほんと、この四十年間、ずーっとそう思っていました。
(追記:投身自殺ではなく、病死だったらしいですね。この曲は病死した友人へのレクイェムだったようです。ずーっと自殺だと思い込んでいました。すみません。こちらに訂正記事
http://tetsugakuka.seesaa.net/article/370423582.html

 ところが、宮崎監督は「あの子」をナウシカやメイやキキのような「女の子」とイメージしていたのかもしれん・・

 そう思って「ひこうき雲」の歌詞を見直すと、どこにも「男の子」であるとは唄っていない。
もちろん、女の子とも書いていていない。
どちらとも解釈しうるのだが、「男の子」と決め付ける材料はない。
「18歳の女の子・ユーミンが書いた曲だから」、という前提からは両方の可能性が引き出せる。

今度のジブリ・アニメの主人公は・・・少女?それとも・・・

 しかし、この「ひこうき雲」という「死」の歌をデビュー・アルバムの一曲目に持ってきたのは、プロのシンガー・ソング・ライターとして生きてゆくという18歳の少女の決意のようなものではなかったか、と考えると、「あの子」は少女のようにも思える。

というのは、新宮一成先生の『夢分析』( 岩波新書)によれば、新しい生活への不安や恐怖の中で人は「空飛ぶ夢」を見ることがあるという、その「空飛ぶ夢」があの「ひこうき雲」ではなかったか、と思い当たるからです。

乳幼児期に初めて言葉を話し始めることが空飛ぶ夢の源泉であるが、その後も、新しい言語活動への参入が必要になるたびに、そのときの記憶が呼び戻され、夢の中で活動する。我々は人生の新たな段階にさしかかると、そこで要求される新しい言語の水準を獲得できるかどうかとても不安に思うのであるが、この(飛ぶ)夢を見ることによって、かつて赤ん坊から人間になったときあれほどうまくできたのではないか、話せるようになったではないか、ということを自分に言い聞かせているのである。(12ページ)

「ひこうき雲」というのは、まさにそのような「夢」ではなかったか、と思うのですが、いかがでしょうか?
プロコル・ハルム風のオルガンが、まさに「夢」の中への道案内です。

 ジブリの少女たちも、女の子から大人へと一気に飛翔するメタファーとして、空を飛ぶ(メイは別だけど)。
特に魔女のキキにはそのメタファーがぴったりと当てはまる。
そして、その主題歌はユーミン。

 もちろん、そのとき、新たな次元へと一緒に飛べなかった「私の古層」もある。
飛べずに落下してゆく古い私。
それを、数年後、ユーミンは「ツバメのように」で、投身自殺した女性の「ハンカチをかけられた顔」とか、流れた血のしみを「名もない掃除夫が洗っている」と唄っている。
ジブリのアニメでは、巨大化しようとして、しかしその重さに耐え切れず溶解していく醜悪だけれども悲しみをさそう怪物や飛べない飛行船で、「一緒に飛べなかった私の古層」が表現されていたのではありますまいか?

 この飛ぶことと飛べずに落ちてゆくことの引き裂かれ感、これがユーミンにもジブリにも、不思議な奥行きを作っていたのではないか。
表現は平明なのに、そこに現れる世界はひどく立体的なのである。

 ユーミンのその「ひこうき雲」を主題歌に持ってくるということは、とにかく、今度の宮崎作品は原点に返りつつ、新たな飛翔を(ひょっとして最後の飛翔?)ということで、ちょっと、ドキドキしますね。
posted by CKP at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月12日

石井光太氏大拙忌講演動画配信ーー「東日本大震災の名もなき神さま」

 去る7月12日に開催された大谷大学宗教学会「大拙忌記念」公開講演会のビデオ配信が、大谷大学企画課のご協力を得て、オープンになりました。

講師はノンフィクション作家の石井光太氏。
講演タイトルは「東日本大震災の名もなき神さま〜遺体と遺族を支えたものは何だったのか〜」

http://www.youtube.com/watch?v=vKYG6YLvWY0&list=UUP1WhDCTOgKN2l0--ehgRyw&index=1

この講演では、ご著書『遺体-震災、津波の果てに』とはまた別の側面もかたられていたように思います。
なお、この『遺体』は映画になるそうです。
うん、やっぱり凄い本だもの。
でも、映画になるとどうでしょうか?
未読の方にはまずは「読む」方をお勧めします。
詳しくは石井さんのホーム・ページで。
http://www.kotaism.com/
posted by CKP at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月11日

キャラキャラ――キャラがいくつもあってもいいじゃないか

 「キャラ」という言葉が、もひとつ分からない。
こういうことでしょうか?
ドラマとかマンガの役柄=キャラクターが省略されてキャラということなのだろうけども、それが日常生活にも登場し、「あいつのキャラ、うざくねぇ」という感じで使用されているのではありますまいか?

「性格」というのではない。
どちらかと言うと、いっとき盛んに使われた「個性」、これが「キャラ」となり、性格の一部ではなく、全人格を表現しているように感じられるのである。
(じつは、「個性」という言葉、最近、聞かないなぁ・・・と思って、これを書きだしたのです。)

 というのは、「キャラを否定される」=「全人格を否定される」という感じで、若い方がひどく傷ついているように見えるからである。
そこには、誰に向けても「表裏なし」という若者らしい正直さがある。
が、少し正直すぎやしないか?

 若者といえども、生徒であったり、友達であったり、子どもであったり、きょうだいであったり、孫であったり、いろいろ立場があり、それぞれのキャラクターを演じなければならない。
一人の人間はキャラの複合体なのである。
人間って複雑なのである。

もちろん、中心のキャラクターがあるであろう。
が、そのキャラが否定されても他のキャラに重心を移すことで、少しのあいだはしのげるのではないか?
「いじめ問題」には、どうも一つのキャラへの固執あるいはキャラはひとつだけというのが、いじめられる方もまたいじめる方にもあると思う。
一つのキャラということで話を単純にしようとして、かえって現実をややこしいものにしているのではないか?
いじめる方もいじめられる方も、それぞれの単純な一つのキャラを維持しようとして、どんどんエスカレートする。
そうなったら「このキャラ、ちょっとタイム」
というわけにいかんものでしょうか?

 くまもんという「ゆるキャラ」はかわいいが、人間はあれほど単純にはいかんだろう、という話でした。
posted by CKP at 14:27| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月01日

日本の恋と、オジサンと――うれしはずかしユーミンとの40年

 私CKPは、58歳のおじさんである。
CKP58、なーんちゃって。
こないだ学生諸君に受けようと思って、AKB48の話題を出したのですが、不覚にも「エーケービーしじゅうはち」と発音してしまい、学生諸君の失笑をかった、どこに出しても恥ずかしくない正真正銘のオジサンです(ホント、鼻で笑うんですよ、彼ら・・・敬老精神というものがないのかね)。

 今はそんな立派なおじさんですけど、40年前は、田舎から出てきた初々しい学生でした。
ユーミンのLPが世に出たのは、私が大学の一年生の秋。
そのころどうゆう訳か、我が下宿に泊まるようになったタニカワケーイチ君に「これ、ええでぇ」と薦められたのが、『ひこうき雲』というユーミンのデビュー・アルバムでした。
オルガンで始まる不思議なサウンドに魅かれました。
もう、そればっかり聴いていました。
すると、どこからか「プチブル的だよ」と批判されました。
「プチブル」というのが罵倒語だった時代です。

 ジャズとかロックが反権力的で、個人の内面をヨーロッパ的サウンドを少しカントリー風のしたものがプチブル的。
そーゆーことを偉そうに言うやからがおったのです。
こうゆう教条的な見方・聴き方が、大っ嫌いです。
バッカじゃないの、って感じです。
そんな馬鹿を相手にしていないだけでも、ユーミンってすごいなぁ、と思いました。

 デビューして2,3年したころ出たインタヴュー集『ルージュの伝言』で、「ビートルズにはあんまり興味がなく、プロコル・ハルムの教会音楽的なロックに惹かれた」と言っているのを読んで、強い人だなと思ったことを鮮明に覚えています。
あの時代、若いミュージシャンが「ビートルズに興味ない」なんて事はなかなか言えない時代でした。

 今回、由緒正しいユーミン・ミーハーとして『日本の恋と、ユーミンと』というものすごいタイトルのベストアルバムを購入におよび、最後の「ひこうき雲」とプロコル・ハルムとの「青い影」と連続するところを聴いて、改めてユーミンとプロコル・ハルムの結びつきが確認できました。
「ひこうき雲」のオルガンって、プロコル・ハルムのそれだったですね。
両方とも、死の匂いが濃厚に立ち込める曲です。
昨日、NHKでキャラメル・ママとの「ひこうき雲」の演奏をウルウルしながら聴いて、こんな投身自殺の曲をデビュー・アルバムの一曲目にもってきた大胆さに改めてびっくりしました。

 あれから40年、いろいろあったおじさんは遠い目をして「ひこうき雲」を聴くのでした。
「40年」はもちろん「しじゅうねん」とよみます
posted by CKP at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする