2012年09月29日

ここは、ひとつ、アウフヘーベンということで・・・――ヘーゲル先生、出番ですよ!

 ヘーゲル哲学の基本的語彙にアウフヘーベン(aufheben)という言葉がある。
「止揚」とか「揚棄」とかいう分かりにくい漢語で訳されているドイツ語である。
この言葉に関して興味深いエピソードをドイツ語のY田先生からお聞きしたことがある。

 Y田先生がドイツのある大学都市の市役所でドイツに居住するための書類を受け取ったときのこと。
その書類を差し出したドイツ人の職員さんが
「この書類をアウフヘーベンしてください」
と言って渡してくれたそうな。
Y田先生、思わず
「アウフヘーベン?」
と訊き返したそうな。するとその職員さんは、
「日本人は、みんな、このアウフヘーベンに引っかかるんですね」
と不思議がっていたという。

 日本人でドイツに留学しようとするような学生の頭には「アウフヘーベン=止揚」という辞書が刷り込まれているのである。
しかし、アウフヘーベンには、「取って置く、しまって置く」という意味もあるのである。

 そして、本家ヘーゲル先生もはっきりこのことを述べておられる。

「(ここで使われている)このアウフヘーベンという言葉は、その真の二重の意味を表出しているのである。(中略)
つまり、それは、否定するということと同時にアウフベヴァーレン(Aufbewahren)ということでもあるのである。」
(『精神現象学』の「知覚」の章の第3段落目)

 このアウフベヴァーレンを辞書で引くと、「保管する、大切にしまっておく」とある。
対立を単純に否定するのでなく、否定すると同時に「大切にしまっておく」のである。
つまり、対立は対立として「それは大切にしまっておいて」、その一段上の次元で和解するのである。
(ときどき哲学の用語解説に「対立を解消すること」とあるのは、誤りです)

 ゆえに、対立を「止」めて次元を一つ「揚」げるという「止揚」という訳語になったのかなと思うが、その経緯は、よく分からない。
「揚棄」のほうは、対立を「棄ててしまう」というニュアンスがあるからあまりよろしくないであろう。

 が、日中の領土問題を見ながら思ったのであるが、アウフヘーベンを「棚上げする」と訳したらいかがなものだろうか。
「棚」ということで「大切にしまう」ということが意味されるし、「上げる」ということで、今の対立次元を否定してその上の次元で大局的に考えるということが表現できる。
ヘーゲルって、やはり「大人の哲学」だったんですね。
血気にはやるは匹夫の勇、さればとて御了見が若い若い・・・と篭城を主張する若侍たちに言い放ったのは大石内蔵助でありましたね。
「御了見」と嫌味と尊敬の二重の意味を持った「御」をつけるところが大人です。

 「ここは、この対立をアウフヘーベンしておくとして、今、共に考えるべき問題を一致して考えましょう」

 ヘーゲル先生なら、このようにおっしゃるのではありますまいか。
周恩来もおおむね、そのように考えておられたことだし・・・
(中国語に「棚上げする」に対応する言葉があるのかどうかは知りませんが・・・)
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2012年09月24日

Don't think twice, it's all right――なかなかうまく行かないね

 久しぶりに、ボブ・ディランの名前を書いた。
なんだか急に懐かしくなって、『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』のLPを聴きたくなった。
チョッとガザゴソしたよ。
A面の一曲目が「風に吹かれて」。
二曲目が「北国の少女」(原曲は「スカボロ・フェア」と同じ曲)
そして、B面の一曲目が「くよくよするなよ」と邦題が付けられた「Don't think twice, it's all right」。
これを何回も聴いたのはいつごろだっただろう。

 今の若い人には信じられないかもしれないが、わたし(たち)の場合、レコードを手に入れる前に、楽譜を手に入れ、それで歌を覚えたものだ。
「風に吹かれて」はPPM(TTPではありません)が唄うのをラジオで聴いて、楽譜でコードを覚え、あとでボブ・ディランで聴いた。
ディランの「カエル声」にビックリしたものである。
 
 アルバム『フリーホイーリン』を買ったのは大学生になってから。
それで多分、女の子にふられて、それで一生懸命「くよくよするなよ」を聴いたのだと思う。
ふられそうな情況で、自分からふっておいて「くよくよ考えたって始まらない、これでいいんだ」というどっちかというと「やせ我慢」の歌だ。
が、とにかくこの歌に慰められ、元気づけられた。

 ははぁ、このLPジャケットでディランに寄り添っているロング・ヘアーの女の子にふられそうになったんだな。
寒そうなグリニッチ・ヴィレッジの通り。
まだ朝早そう・・・ということは、この二人は今まで何してたんだぁ?
と声に出してジャケットに問いただした。
横でO木君が「お前はいったい何考えてンねん」とあきれていたが、その当時はそうゆうことしか考えていませんでした。

 それにしても、ジャケット写真がよろしいなぁ。
寄り添う二人がうらやましい。
女の子もかわいいが、バックスキンのジャケットにGパンのディランがカッコいい。
寒そうにGパンのポケットに手を突っ込むディランがカッコいい。

 よく考えたら、私が冬になると、バックスキンのジャケットにGパンというカッコをするのも、このディランのカッコに憧れていたからであった。(ここ2年は理由あって封印してましたが)。
昨日、LPジャケットを引っ張り出すまですっかり忘れていた。

 それについでに思い出したが、私の夏のGパンに白のカッターシャツというスタイル。
これ、畏れ多いことに『ミュージック・ライフ』に載っていた、スコット・ウォーカーさま(のちにスコット・エンゲルさま)のスタイルを真似したものだったのです。
メタボ腹にGパンで、スコットもディランもないのであるが、「気分はもう60年代」なのでした。

 しかし、「風に吹かれて」だとか「くよくよするな」、日本では「たどり着いたらいつも雨降り」だとか「長崎は今日も雨だった」とかいうような「なかなかうまく行かない人生とか世界」を唄う歌。
そうゆう歌が、昔はいっぱいありましたなぁ。
今現在はどうなっておるのかね?
なんだか、「こうすればうまくゆく」って感じの歌ばかり聞こえてくるが・・・
posted by CKP at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月22日

男は黙ってロール・ザ・ロック!――ツァラトゥストラとシーシュポス

 先日、NHKの『プロフェッショナル』で高倉健さんの特集をやっていて、ついつい見てしまった。
いい人なんですね、健さん。
たいへん礼儀正しい。
どんな人にも気遣いをわすれない。
それに、けっこう話好き。
健さんの温かい人柄がよく伝わる番組であった。
のだが、ちょっと健さん、しゃべりすぎなのではないかと思ってしまった。
私がごときが文句を言う筋合いではないのだが・・・やはり、スタアは寡黙で謎に包まれていた方がよい。

 寡黙で不器用、ちょっと乱暴者でもスタアだったら許せるのである。
三船敏郎みたいに・・・

 話は変わるが、少しまともな気温になったので、カミュって、ニーチェから何を受け継いだのだろう、と考えてみました。
カミュの部屋にはニーチェの写真が飾ってあり、『シーシュポスの神話』は冒頭の段落で早やニーチェが出てくるのだから、カミュは相当ニーチェに入れ込んでいたにちがいない。
こんな具合にニーチェは出てくる。

「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。それ以外のこと、つまりこの世界は三次元よりなるかとか、精神には九つの範疇があるのか十二の範疇があるのかなどというのは、それ以後の問題だ。そんなものは遊戯であり、まずこの根本問題に答えねばならぬ。そしてニーチェののぞんでいることだが、哲学者たるもの身をもって範をたれてこそはじめて尊敬に値するというのが真実であるとすれば、そのとき、この根本問題に答えることがどれほど重要なことであるか――この答えにつづいて決定的動作が起こるかも知れないのである――それが納得できよう。以上は心情では明白に感じられることだが、この明白さをさらに深くきわめて、精神にとって明瞭なものたらしめなければならない。」(新潮文庫版『シーシュポスの神話』清水徹訳、1969年、2006年改版、12ページ)

 「哲学者たるもの身をもって範をたれること」――まずは、このことをニーチェから引き継いでいることが宣言される。
しかし、その前に「人生が生きるに値するか」という問題もニーチェの問いかけのもとに考えられている問題なのであろう。
というのは、少し遠くから『シーシュポスの神話』を眺めてみれば、ニーチェが「ツァラトウストラ」を通じて語った「永遠回帰」「運命愛」を、カミュはシーシュポスの行動のうちに表現しているからである。

「これが――人生というものであったのか?」わたしは死に向かって言おう。「よし!それならもう一度!」と。(岩波文庫版『ツァラトゥストラはこう言った』下、氷上英廣訳、1970年、315ページ)

 ツァラトゥストラがついに人間に言わせたこの言葉を、カミュはオイディプスから引き出している。

「わたしは、すべてよし、と判断する」(215ページ)

 そして、山頂に岩を運び、そしてまた転がり落ちた岩を黙々と運ぶシーシュポスをこのようにカミュは描く。

「シーシュポスの沈黙の悦びのいっさいがここにある」

「ここ」とは「すべてよし」という判断が下るところである。
そして、そこでは沈黙の悦びが支配する。
「沈黙の悦び」?
シーシュポスはただ黙々と岩を運ぶだけである。
ドイツ神秘主義の詩人アンゲルス・ジレジウスは「薔薇は何故なしにある」と詠ったが、その薔薇が「何故なし」に咲いているように、シーシュポスは「何故なしに」黙々と岩を運ぶ。
また、その地獄でのこの刑罰を受ける前のシーシュポスについても、カミュは「せりふ」を直接書きこまない。
文庫本で二冊分「こう言った」と喋りまくるツァラトゥストラとは大違いである。

 カミュから見ると、哲学者というのは「しゃべりすぎる」種族に見えたのであろう。
いかに生きるかをいくら論じてもラチはあかない。
「身をもって範をたれる」こと!

 だからおそらくツァラトゥストラもそしてニーチェ自身さえも、カミュから見ると、「しゃべりすぎ」見えた。
そして、「しゃべりすぎ」の果てに、答えらしきものに逃げ込むように見えたのではないか?
答えは語られるのではなく、生きられるべきだ。
「人生が生きるに値するかどうかの答えを得てから生きるとか自殺する」という発想にどうしてもなじめなかったのではないか?
いや、そのような考え方は間違っている。
何やら理性的な正解の道があってそれをたどることが生きること、などという考え方が決定的に間違っているとしか思えなかったのではないか。

 つまり、カミュは生きるにせよ、自殺するにせよ、あらかじめ答えを得て行動するという「哲学的発想」は哲学ではない!ということにおいて、徹底的に哲学者であろうとしたのではないか?
分かりやすく言えば、カミュは、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を唄いながら哲学したひとではないか、ということである。
なんと分かりやすい説明であろう!

友よ、答えは風に舞っているのであり、生きるということは風に向かってゆくことである。
あらかじめ答えを得て楽ちんしようと思ってるキミ!
風にふきとばされてしまうぜ!

 このビールを飲むことに価値があるのかどうかを論ずる前に、男は黙ってサッポロビール、とビールをぐいっと飲んだのは三船敏郎でありましたね。
posted by CKP at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月20日

猫の名前――「テツガク入門(その3)」(『大学ジャーナル』No.100より)

 受験生向け新聞『大学ジャーナル』No.101(9月号)が発刊されました。
だもんで、その前の号に掲載していただいた「テツガク入門(その3)」を当ブログでオープンにします。
『大学ジャーナル』とこのブログの両方を見ている高校生などいないのに、けっこう律儀に重ならないようにしておりますよ。
これを書いた後、『ティファニーで朝食を』の猫のことを思い出しました。
では、どうぞ。

テツガク入門(その3)
名前と人格

 吾輩はネコである。
夏目漱石の『吾輩は猫である』の猫氏の如くに、いまだに名前はない。
しかし、無名ゆえに困難に遭遇するということは、我ら猫族にはない。
そもそも、お互いをニャー太郎とかニャー子などと呼ぶ習慣は我ら猫族にはないのである。
タマとかミケとかいう名前を持った猫はいるが、あれは頼みもしないのに人間が自らの便利のために勝手につけたものである。
むしろ、となりのミケ君などは「叱られるときに大声で名前を怒鳴られると、思わず身体が硬直してしまうので難儀している」と嘆いておられる。

 そもそも人間は何にでも名前をつけたがる。
ハムレット君がオフィーリア嬢に向かってこのような見解を吐露しておるのを聞いたことがある。
「ちゃんと知っているぞ。きさまたちは、神から授かった顔があるのに、それを紅白粉で塗りたくり、まったく別物の仮面をつくりあげる。踊り狂う。尻をふる。甘ったれた口をきく。神の造ったものに妙な綽名をつける。あげくのはては、とんでもないふしだらをしでかしておいて「いけなかったの?」などとぬけぬけと。もう我慢ができぬ。おかげで気が狂った。・・・」(『ハムレット』第3幕第1場、福田恒存訳)

 どうも、ハムレット君というかシェイクスピア氏というか、女性にはなんだか痛い目に遭わされたトラウマでもあるのか、このいささか偏向した女性観は剣呑である。
しかし、人間が何にでも名前をつけたがるという洞察は卓見であろう。家族はもちろん、犬や猫あるいは金魚、さらには、うちの主人なぞはオンボロ自転車に飛べもしないのに「流星号」などという名前を付けて悦にいっている。
そしてそのような命名行為は、化粧の如く「神の造ったもの」に「別物の仮面」をつくりあげているのと、また「ふしだらをしでかす」のと同断であるというのである。このハムレット君の洞察はなかなか示唆に富んでいて、人間にしておくのが惜しいくらいのものである。

 ところで、猫族において聡明なる吾輩をしても釈然としないのは、人間どもは「名前をつける」というが、あれは何につけるのかね。
学校へ行く段になると、体操服や教科書、はては鉛筆一本まで「名前をつける」が、してみると名前は持ち物につくのか。
あるいは、うちの主人の机の上にはときどき聴講生名簿なるものがあって、名前がずらずらと並んでいる。
そこに何やら数字を書き込んでいるのだが、あの数字と名前とはいかなる関係にあるのか?
別にこれらのことが明瞭になっても、無名の吾輩には関係なきことではあるがね。

*      *       *

 『吾輩は猫である』の猫には、名前がありませんでした。
また、その猫の主人も「苦沙弥」という苗字なのか名前なのか分からないふざけた名で呼ばれているだけで本名は分からないままでした。

 猫が無名なのは、その方が人間世界を外から冷静に観察できるからでした。
逆に言えば、名前をつけられるというのは、その名前で猫を呼ぶ人々の共同体の一員として認められるということです。
ゆえに、あのもとは捨て猫であった「猫」の辛辣な観察は、いつまでも家族の一員として認められない寂しさの裏返しでもあったのです。
その寂しさの裏返った辛辣さは、漱石そのひとのものでもありました。
漱石自身、生まれてすぐに道具屋夫婦に里子に出され「毎晩四谷の大通りの夜店に曝されていたのである。それを或晩私の姉が何かの序に其所を通り掛った時見付けて、可哀想と思ったのであろう、懐に入れて宅に連れて」(『硝子戸の中』)帰ったが、またしばらくして養子にやられているという「捨て子」同然の生い立ちをもっていたのでした。
漱石の自嘲的自画像である苦沙弥先生の名が、どこか投げやりなのもその漱石の生い立ちと関係しているのでしょう。

 したがって、皆さんが名前を付けてもらって、家族や友だちや先生に今まで何千回いや何万回と名前で呼びかけられているのは、皆さんのそれぞれが、家族とか友達とか学校とかの共同体の一員として迎え入れられているということなのです。
この名前によって迎え入れられたものを「人格」といいます。名前は私たちそれぞれの人格とさまざまな共同体を結びつける働きを持ったものなのです。
たとえば、あなたが「カドワキィ!また宿題やってないのか!何度言われたらわかるんだ!?」と叱られても、「あ、ちゃんとボクの名前が呼ばれている」と喜びましょう。(ただし、宿題はちゃんとやっておきましょう。あんまりさぼっているとそのうち名前も呼ばれなくなりますよ。)

 また、名前はその持ち主の単独性つまり「かけがえのなさ」を表すという意見もありますが、一生のうちには名前が変化したり別の名前をもつこともありますので、名前と単独性を直接結びつけるのには無理があるでしょう。
むしろ、名前を呼ばれるというのは、呼ぶ人たちの勢力下に入るということを意味することにもなります。(共同体の一員に迎え入れられることの別の側面です。
ひそかに憧れの君の名前をノートに何度も書く、というのもその一つのヴァリエーションですね。)つまり、単独というよりも、みんなの中の一人=特殊ということになるわけです。
だから旧約聖書の神は「名を呼んではならぬ」という禁止を人間に課しました。神はみんなの中の一人ではありませんから。

 そして、名前のもう一つの重要な役割は、その共同体に対して、物とか行為の所属先を明示することです。
この鉛筆は、この体操服は、あるいは30点という成績は、この門脇健に所属します、あるいは大人になると、この借金の債務の所属先、あるいは納税義務の所属先としてそれぞれの名前が目指されます。
だから、わが無名のネコには納税義務もないかわりに所有物もありません。
無一物のネコ。いいですね。

以上、「テツガク入門(その3)」でした。

なお、現在発売中の『文藝春秋』の「生活の中の仏教用語」は、あたくしの担当です。
「アバター」を取り上げました。
ネットの中に登場するあのアバターです。
「アジャパー」ではありません。
が、よく見たら、一か所、校正し忘れたところがありました。
立ち読みして、それに気がついた方、研究室まで来てくだされば、先着一名様に今月号の『文藝春秋』無料進呈いたします。
しっかり全部を読んで、立派なオジサンになって下さい。
posted by CKP at 13:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月18日

この夏の暑さがぜぇ〜んぶ悪いんだ――ああ、今年もむなしく過ぎる夏

 この夏の暑さのせいで、夏休みにしようと思っていたことが全然できなかった。
毎年のことではある。
しかし、この夏の異様な暑さは、「全然できなかった」の度合をさらに推し進めたのであった。
「じぇ〜んじぇ〜ん」と言うくらいできなかった。
20日からの授業を前に、かろうじてアタマに浮かぶのは

カミュって、女にもてるニーチェかな

という一句だけである。

 ヘーゲルだのジジェクだの、そんなややこしいものは読む気にならないから、アルベール・カミュの伝記寝ころびながらを読んでいたのであった。(『カミュ』、ヴィリジル・タナズ著、神田順子・大西比佐代訳、「ガリマール新評伝シリーズ世界の傑物6」、祥伝社、2010年)

 最初のうちは、フランス植民地アルジェリアの支配層でない本国人という出自に、同情というよりも驚愕しながら読んでいたのである。
ホント、本なんか一冊もない貧しい家庭。
学校での教育も、いろんな偶然でやっと受けられるという環境。
が、才能と人柄なのであろうか、大学まで進むのである。
そして、二度の結婚も、最初の奥さんは薬物中毒、二番目の奥さんは精神に変調をきたすで、気の毒だなあと読んではいたのである。

 が、その間、いつも女性にもてているのである。
めちゃめちゃもてるのである。
それにどのおネエちゃんも魅力的なのである。
思わず、ガバッと起き上がってしまった。
伝記の著者は、この「もて方」を「自分に正直」と好意的に書いていたが、いかがなものか。
なんだか、ちょっと、敵意まで感じてしまうのである。
そして、処女出版の『異邦人』は世界中で読まれる。
さらには、『ペスト』なども評価されて45歳でノーベル文学賞まで獲得してしまう。
そして自動車事故で、ジェームス・ディーンのように死んだカミュ。
死に方までもカッコいい。

 カミュの部屋にはニーチェの写真が飾られていたというが、はたしてカミュはニーチェのどの部分に心酔していたのか?

 ニーチェの場合、はっきり言って、女性には縁がなかった。
ふられ続けの人生である。
それに著書も全然売れない。
そんな状態であるから、ルサンチマンの分析には妙に説得力がある。
キリスト教の裏側に、ルサンチマンつまり強者に対する恨み・僻みを見出してゆくのである。
恨み・僻みについてはニーチェ自身よ〜く知っているから、それを世の中の裏側に読み込んでいくと、妙にさえるのである。

 わたしなんぞは、ニーチェのそういう所に共感してしまう。
が、それは自分のルサンチマンに直面することだから、そんなニーチェに共感している自分が嫌になる。
ニーチェを読んでると、なんだか「週刊新潮」を読んでいるサラリーマンのような気分になってくるのだ。
成功者の裏側のスキャンダルが暴かれるのをよろこんでいる、そんな自分が嫌になるのです。

 カミュの場合、おそらくそういうルサンチマンの分析などよく分からなかったのではないか?
赤貧の中から、いろんな人に援助され大学まで進み、女性にもてまくり、これでいいのかしらと出版した本が世界中の若者から支持される。
これじゃ、ルマンチマンなんか分かりようがない。

 では、カミュはニーチェのどこに共感したのだろう?
おそらく、カミュにはなんだかとてもすがすがしいニーチェが感じられているような気がする。
アルジェの太陽と海を背景としたニーチェ。

 おそらく、カミュを通してニーチェを読むと、「週刊新潮」的なニーチェではない、力強いニーチェが出現しそうな気がする。
というような「気がする」というところまででした、今年の夏は。

 ところで只今、インド中世の『タットヴァ・チンターマニ』というサンスクリット文献に関する論文の審査を終えてきました。
この『タットヴァ・チンターマニ』という名前を書くことは、私の生涯、二度とないことは確実ですから、ここに書き留めておきます。
posted by CKP at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月09日

「向き・不向きより前向き」――マサチカ先生の言葉

 知人のお嬢さんが、ある企業の面接で、印象に残る先生の印象に残る言葉を尋ねられて思い出した言葉。

「向き・不向きより前向き」

 その先生は、そのお嬢さんが中学時代少し荒れ気味だったのをやさしく指導してくださったマサチカ先生。
「印象に残る先生は?」と面接官に問われて、すぐに思い出したという。
思い出を語るうちに、懐かしさと有り難さで泣きながら、どれほどお世話になったかを話したという。
そしたら別の面接官が「印象に残る言葉は?」と尋ねたそうな。
とっさに「向き・不向きより前向き」というマサチカ先生の言葉を思い出したという。

 現代は、就職でも結婚でも「向き・不向き」とか「適性」「相性」を検討する時代である。
そして、そこでの「私の実現」を目指す。
しかし、人間のアタマで測れる「向き・不向き」「適性」「相性」などはたかがしれている。
ましてや、そこから実現される「私」などはたかが知れている。

 人間の目から見た「向き・不向き」など関係なく「前向き」に取り組むところに、想定外の「私」が出現してくる。
だから人生って面白いぞ!
――マサチカ先生ご自身が、生徒たちといろんなことに取り組むことによって、面白い教師生活を見いだされたのではないだろうか。
それだからこそ、生徒の心にもその言葉が印象深く刻み込まれたのではなかったか。

「向き・不向きより前向き」
よい言葉ですね。

 私なんぞも「いつも元気で大きな声」という客観的評価から考えると、哲学に「向いている」というタイプではない。
ふつう、哲学に向いていると考えられるのは、どちらかというと、元気ではないとは言わないが内省的で静かなたたずまいというタイプである。
私の場合、「内省的」を「顔」で表現しようと「眉間に縦皺」ということを試みて、ヘーゲル読むとき、鏡を前において「眉間に縦皺」になったか確認しながら読んだことがある。
こーゆー事をする時点で、哲学に「不向き」であるのは明らかであるが、じっさい、結局、涙ぐましい努力に関わらず、眉間に縦の皺はよらなかった。

 しかし、「元気で声の大きい」哲学徒でも、眉間に縦皺よらなくても、それなりになかなか愉快にやっているわけである。

 さてさて、くだんのマサチカ先生の「マサチカ」はファースト・ネーム。
そうやってファースト・ネームで呼ばれるほど、、マサチカ先生は生徒たちに慕われていたのであろう。
姓は朝倉という、大谷大学出身のお坊さん先生なのでした。
「何事もご縁と思って取り組め」と抹香臭く言うのでなく、「向き・不向きより前向き」というしゃれを使った印象深いフレーズで生徒の心に打ち込んだのがミソ。
今は別の中学に異動になって、そこでも剣道部の顧問をしておられます。
posted by CKP at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月07日

マイスター・エックハルトってあんがい親鸞に近いかも――追い詰められて考えたこと

 先日、ある大先輩からある学会でのある発表の司会を依頼された。
常々「カドワキさんはいつも元気で声も大きくていらっしゃる」と私を正当に評価していて下さる先輩からの依頼であるからお断りするわけにはいかない。
ただ、その発表がエックハルトに関するものであると聞いて、一瞬ためらった。
司会といっても、ただの司会ではない。
発表に対して代表質問みたいなコメントをして議論を進めるのである。
エックハルトの権威である上田閑照先生が来られていたらどうしょう?
とても先生の前でエックハルトについてコメントなんかできないぞ・・・
しかし、85歳を過ぎて先生もだいぶお疲れだから、この夏の暑さで学会はお休みになるだろう・・・と勝手に決めて、えいやっと、司会をお引き受けする。

 私の司会は2日目なのだが、どれくらいのコメントをすればいいのか偵察もかねて1日目から出席する。
げ!
その場の思いつきのコメントではない。
事前に発表原稿を読み込んで、それについてのコメントをまとめてレジュメにしておくのがこの学会のやり方なのであった。
ここ数年、大学行政ばかり研究していて学会はすっかりご無沙汰していたので、すっかり忘れていた。
そして、となりを見れば、ぎょ!
「前のほうはエアコンの風がつよいから」と上田先生がでっかいかばんを持って移ってこられたではないか。
夏バテ関係なしのお元気なご様子。
というか、こうゆう研究会的な場だと妙に元気になられるのである。

 これはえらいことになった。

 その日の発表が終わると、上田先生へのご挨拶もそこそこにソッコーで下宿に帰り、発表原稿や上田先生のエックハルトに関する著書を読みまくる。
その学会は東西の宗教の交流ということが基本にある学会であるから、中世カトリックのお坊さんのエックハルトの発表に期待されているのは、仏教的視点からのコメントである。
しかし、エックハルトに関する仏教的視点からの研究は、上田先生の禅とエックハルトの論考が鉄壁のものとして聳え立っている。
わたしなんぞは先生の肩越しにエックハルトをちらりと覗いていただけである。

 禅もよく分かってない私は、当然ながらそこから見えるエックハルトもわからない。
発表に引用してあるエックハルトの説教をにらみながら、夜も明けんとする下宿で私はしだいに追い詰められていったのでありました。
このまま中途半端な禅の「知識」でコメントしたら、上田先生から「キミは禅もエックハルトもわかってない」とお叱りを受けて、風前の灯としてであっても、ともかくいちおうは認められていた宗教学研究者としての生命もついにかき消されるか・・・
もはやこれまで・・・
「いつも元気で大きな声」という、褒められている気はしないがたしかに正しい評価のもと、いちおう「宗教学研究者」として司会を依頼されるくらいには信頼されていたのに・・・

 と、「元気で声の大きい研究者」としての死を覚悟しました。
ゴロンと横になって目をつむったら、なんだか恐い夢を見て、目が覚めて思いました。
ガバッと起き上がり、エックハルトってあんがい親鸞と似ているかも・・・と思ったのでした

 どこが?
いやなんとなく・・・
もう、ここからコメントするしかない、と腹を決めて、午前中の学会をさぼってレジュメを書く。
すると、アラ不思議。
似てると思って読めば、それなりに親鸞からアプローチできるではありませんか!
今まで、エックハルトは禅からしかアプローチできないと思っておったが、親鸞からもそれなりに読むことができる。
というか、親鸞の「神秘主義」的なところが、エックハルトを通して読むと、とてもクリアになるのでありました。
なるほどな〜、と自分でも面白くなってカリカリとレジュメを書いて、何とか発表に間に合いました。
で、司会のほうも、(おそらく)決定的な失策はせず、それなりの議論の場を作ることができたように思います(思いたい!)。

 一時はどうなることかと思いましたが、何とか風前の我が宗教学研究者生命もまだ消えなかったと思います(とっくに消えてたりして)。
それに何より、上田先生のエックハルトに関する論考が、今まではさっぱり読めなかったのに、いきなり読めるようになったのです。
人間、たまにはとことん追い詰められるということがなければいけません。
窮鼠にならねば猫を噛むことはできないのでありまチュー。
そういえば上田先生のエックハルトの講義、猫が聴きに来ていたのを思い出します。
一匹のトラ猫が、講義する先生の前を悠然と歩いて窓際にちょこんと坐ったのです。

 で、エックハルトと親鸞のどこが似ているかと言うと・・・

 まずは生きていた時代が近い。
親鸞は1173年から1262年。
エックハルトは、1260年ごろから1328年ごろ。
つまり、親鸞がなくなる2年前ごろにエックハルトが生まれている。
ちなみに、エックハルトと同じドミニコ会のトマス・アクィナスは、1225年から1274年。
こちらのほうが年代だけで見れば親鸞と重なるわけですが。

 ま、生きていた時期が近いということは、それだけでは「近さ」を何も語ってはいない。
が、ヨーロッパでも日本でも、宗教権力が強くなってきた世俗権力と対抗して宗教それ自体が世俗化してしまい、それに対する批判的な運動が起こってくる時期と見れば、この彼らが生きていた時代の近さというのは意味のあるものとなる。
そして、親鸞もエックハルトも、教学者、神学者としてだけではなく、民衆に直接語る宗教者であった、ということもその近さを示す指標となるであろう。
(ただエックハルトの場合は都市中心、親鸞の場合は「田舎の人びと」中心という違いはある。)
その点、神学者としてあったトマスの場合は、エックハルトと同じドミニコ会士であっても親鸞とは少し遠くなる(もともとドミニコ会は、そのころの異端運動のなかに入りその異端を正統へと戻す活動をしていた)。

 そして、親鸞もエックハルトも、みずからの信仰を時の教団との関係ではなく、心の問題として深めていった結果、教団権力から異端視されるというところでも似てくる。
つまり、親鸞なら「本願ぼこり」つまり「悪を恐れない信心」ということで、エックハルトならば「魂の自由」ということで「道徳的放縦」と見られるというところでも似て来るのである。
そして、死後、完全に異端とされたエックハルトも、異端視された親鸞も民衆の中で語り継がれるということも似ている(もちろん親鸞の場合、蓮如という天才的なオルガナイザーの出現によってメジャーな流れになるのだが)。

 また教義的には両者とも「三」を「一」へと合一してゆく方向性を持っていたということでも似ている。
つまり、エックハルトが神の三位一体を「神は端的に一」と「一」を強調するように、親鸞も無量寿経や観無量寿経にとかれる三心を「一心」に統合してゆく。
そこには、神秘的合一という場面が開かれてくる。
心の奥底に、神や仏と一体となる、そのような場が開けてくるのである。
親鸞の「一心」に神秘的合一を読み込むことはあまりないが、よく考えてみれば、この一心はそういうことなのである。

 ま、エックハルトはエックハルト、親鸞は親鸞であって、その両者が似ているかどうかはどうでもいいといえばどうでもいいんですけどね。
しかし、エックハルトから親鸞を見ると、親鸞のその神秘主義的深さが見えてくるのが面白いといえば面白い。
神秘主義というと、なんだか魔術みたいで、親鸞を神秘主義者にしてしまうとあまりうれしくない人が多いと思うが、近代において「精神主義」といわれるところにはその神秘主義傾向は感知されていたのではないか、と思う。
しかし、エックハルトも親鸞も、なにやら神秘的なことをごにょごにょ言っていたのではない。
むしろ徹底的に合理的な思考をしつつ、しかし、その思考を内面に向けた結果、神秘的合一という地点に至ったのだと思う。
エックハルトの合理的思考は、アリストテレスを神学に統合したトマスの影響であろうし、親鸞の合理性は「知恵第一」と言われた法然の影響もあるであろう。
しかし、両者の内面性の凝視はそれぞれの資質としか言えないところがあるように思う。

 が、ともかく、その内面における神秘的合一がどんな表現をとっているかを見ておこう。

 まずはエックハルトの説教から。
エックハルトの説教は、ただいきなり魂の根底を語るのではない。
つねに聖書の語句を註解しながら、魂という場を開いてゆく。

「魂はその存在を神から直接に受けとる。その故に神は魂に、魂が魂自身にとって近いよりも、よりに近いのである。その故に神は魂の根底において神の全本性をもって居給うのである。」(Q201)(『上田閑照集第7巻』、岩波書店、2001年、206ページ)

で、その「魂の根底」で何が起こっているか。

「御父は絶え間なく御子を生み給う。私は更に言う、御父は私をその子として、而も同一の子として生み給う。私は更に言う、御父は私をただにその子として生み給うのみならず、私を御自身として、御自身を私として生み給い、私を御父の存在、御父の本性として生み給うのである。最内奥の源泉において私は精霊に満ちて溢れ出でる。其処にあるものは、一つの生、一つの存在、一つの働きのみである。神が働き給うところはすべて一である。その故に御父は私を〔永遠性のうちなる御子と〕如何なる区別もなしに子として生み給うのである。御父はただ一つの働き、一なる働きを働き給うが故に、御父は如何なる区別もなしに私をその独り子となし給うのである。」(Q185)(同前、207ページ)

訳がわからないといえばさっぱりわからない文章でありましょう。
ま、そう読むのがふつうです。
が、わかんなくても、何度も繰り返される「一」にご注目。
また、「生み出される」という神と「私」の関係にもご注目である。
「生み出される」という神と被造物の関係は、神学的には「アナロギア(類比)」のエックハルト独特の解釈によって説明される。
これは親鸞で言えば「回向」という浄土教に伝統された、阿弥陀仏と衆生の関係の独自の解釈に対応するものとして興味深い。
が、何よりもこの魂の根底における絶対者と「私」の一体性へのグイグイと入ってゆく神秘的合一というのは、エックハルト独自のものである。
これに比するのは、禅において一挙に開示される無の境地しかない・・・と思っていたのである。
私も仏もない無の境地。

 しかし、よく考えてみる親鸞の「阿弥陀から賜る信心」というのは、エックハルトのような内部へと切り込んでいく激しさは感じられないけれども、「一如」という神秘的合一といえるのではないか、ということに気が付いたのである。

親鸞は「涅槃」ということばを註解して次のように述べる。

「涅槃をば、滅度という、無為という、安楽という、常楽という、実相という、法身という、法性という、真如という、一如という、仏性という。仏性すなわち如来なり。この如来、微塵世界にみちみちたまえり。すなわち、一切群生海の心なり。この心に誓願を信楽するがゆえに、この信心すなわち仏性なり。仏性すなわち法性なり。法性すなわち法身なり。法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらわして、方便法身ともうす御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまいて、不可思議の誓願をおこして、あらわれたまう御かたちをば、世親菩薩は、尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまえり。この如来を報身ともうす。誓願の業因にむくいたまえるがゆえに、報身如来ともうすなり。・・・」(『唯信抄文意』)

 涅槃という境地を「如来」として「一切群生海の心」のうちに見て、其処に「いろもかたちも」なく「ことばもおよばない」一如を「語る」。
本来なら「語りえないものについて沈黙すべき」であるが、そして親鸞自身も常は語ることを自制していることであるが、ここでは語ってしまう。
ごめんね、ヴィットゲンシュタイン。
そして、その一如より法蔵菩薩が生まれ、その誓願が原因となり、阿弥陀仏が生まれるのである。
それは何処での出来事かといえば「一切群生海の心」における出来事なのである。
つまり、魂での出来事なのである。
ふだんは「十劫」のはるか昔と語られる出来事が、ここでは心の出来事、魂の出来事として語られるのである。
しかし、エックハルトの「魂の根底」の出来事のように、「私」は生まれ出てこないではないか!
そう、たしかにエックハルトのように「私」は出てこないが、方便法身の「御すがた」に向き合うのは「私」である。その私は、一如より「生み出された」としか言いようがない。
ここで始めて一如は対抗する二となる。

 もちろん、差異もある。
エックハルトの場合は、ひたすら魂の根底へと掘り進んでゆくという方向性を持つが、親鸞の場合は、涅槃の境地から心の根底の一如を開き、其処からこちらのほうへ、心の表層へ出てくるのである。
が、方向は逆だけれども、心の奥、魂の根底で起っている「一」「一如」という言葉を絶した神秘的合一という事態は共通しているのではないか。

 また、このような語りえないものを語るとき、両者とも註解というテクストの解釈作業によって語るというのも共通している。
テクストへの絶対的信頼が、テクストの自由な読みを進めるという逆説的事態も共通するのである。
これは、本人たちは決して異端的方向を意思するものではないが、確定した読みを堅持する教団から見ると限りなく異端へと開かれた作業となる。
しかし、思想というのはそのようにして発展し、信仰はそのようにして命を吹き込まれてきたのである。
 
 このような独創的な註解作業に接すると、私はレヴィナスの次の言葉を思い出す。

「すでに一再ならず私は聖書の字句がタルムード的精神によって根源的に乗り超えられること、そしてこの精神はそれにも関わらずそれが乗り超える字句そのもののうちにおいて形成されたものであり、かつその志向するところは(その攻撃的な様相とは裏腹に)これらの字句のになう恒久的な意味を確定することであること、このことを強調してまいりました。」(レヴィナス『タルムード四講話』内田樹訳、国文社、1987年、98ページ)

 カトリックと浄土教、それにユダヤ教まで出てきてしまいました。
なんだとぉ!?味噌もくそも一緒にするな!としかられそうだが、こういう方向性というのは、何か人間の心、魂の有り様として必然なのかも知れない。
が、ともかく、面白いなぁと思ったので忘れないうちに書き付けるのであります。

 というわけでエックハルトは突然に、でした。
(エックハルトで駄洒落を、と一瞬思いましたが、あまりにも恐れ多いので止めました。)

posted by CKP at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする