2012年07月27日

リンカン大統領は共和党――ニール・ヤングはなぜゴールド・ラッシュを唄うのか?

 1863年に奴隷解放宣言に署名したエイブラハム・リンカン大統領は共和党だったのです。
私はずーっと民主党だと思い込んでいました。

『もういちど読む山川世界史』には南北戦争に至る過程が次のように述べられています。

「もともと合衆国の南部では黒人奴隷による綿花・タバコの大農場制度(プランテーション)が成立し、奴隷制の維持と自由貿易論が強かったが、工場地帯の北部では自由な労働力確保のための奴隷廃止論と保護関税論が強く、両地域の利害対立は深刻化した。
1860年に北部出身で共和党のリンカンが〈任1861〜65〉が大統領に当選すると、南部は連邦を脱退して、翌年アメリカ連合国を結成し、ここに南北戦争〈1861〜65〉が起こった。」

 私の単純なアタマには、南北戦争というのは奴隷制の是非をめぐる戦争のようにインプットされていて、しかし、アタマのどこかで「奴隷解放」の北部が勝利したのに、なぜ1960年代にもなって公民権運動が激しくなるのかよく分かんと考えていた。
ちょっと考えれば、アングロ・サクソンが黒人奴隷解放のために戦争するわけがない。
立ち上がったばかりの工業を保護貿易で守るか(共和党)、綿花・タバコを自由貿易でヨーロッパに売り込むか(民主党)の戦いであったのである。
渡辺惣樹『日米衝突の根源』(草思社)によれば、そのときリンカンは奴隷解放宣言に署名することで、南部とつながって自由貿易を促進しようとしていたイギリス・フランスの介入の動きを封じ込めた、ということらしい。
人権意識が高まってきたヨーロッパ諸国は、奴隷制維持の南部を支持し戦争に介入するということができなくなったのである。
つまり、「奴隷解放」にはヨーロッパ諸国を動けなくする戦術という側面もあったのである。
結果は、北部が勝利して、アメリカは今風に言えばTPPをつぶして保護貿易によって自国産業の育成に邁進し世界一の工業国にのし上がってゆくのである。

 黒人に対する党のイメージが逆転するのはセオドア・ローズベルト〈任1901〜09〉の二期目から、ということらしい。
黒人たちは「リンカンの党」に見捨てられたと感じたのだそうです。
そして、1920年代後半までに共和党は南部白人層を取り込む「白人中心主義」戦略をとるようになったという(ジョナサン・アサール『地図でみるアフリカ系アメリカ人の歴史』明石書店、訳者の一人である古川哲史先生に教えてもらいました。)

 なんでいきなり南北戦争の話なんか始めたのかというと、ニール・ヤングって南北戦争に関する歌は唄ってないな、と思ったからでした。
ニールは「コルテス・ザ・キラー」とか「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」とかアメリカ大陸の歴史に関係する歌を唄っているわりには、南北戦争関係の歌がない。
(CSN&Yの『デジャヴ』のジャケットが南北戦争を連想させるが)
銀行強盗のさきがけであったジェシー・ジェイムスあたりを南部の北部に対する復讐者的なニュアンスで唄ってそうだけれども、なかったような気がする。
(ウォリター・ヒル監督、ライ・クーダー音楽の『ロング・ライダーズ』がそれです)
なんででしょう?

 その一つに被差別者に対する共和党と民主党の位置が現在と南北戦争当時では逆転してしまっていて、唄いにくいということがあるのかな、と思ったのでした。
(それに対して、日本の「南北戦争」というべき戊辰戦争〈1868〜69〉は現在の東北地方のほったらかし政策を見ると、いまだにその影響が続いているといえる。が、戊辰戦争を唄うシンガー・ソング・ライターはいない。昔は「ああ白虎隊」なんて歌があったんですが。)

 が、ニールの場合、ゴールドラッシュにはなんだか思い入れがあるようだ。
もちろん屈折した思い入れである。
多くのシンガーに唄われている「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」も、「母なる自然の銀の種は太陽の新たな故郷へと飛び立つ」夢を語る幻想的で叙情的な歌だ。
そして、今回の『アメリカーナ』の冒頭の2曲。
ゴールドラッシュの最中に死んでいったクレメンタイン。

 カナダ人ニール・ヤングから見ると、ひょっとしたらゴールドラッシュというのはアメリカ人の歴史観人生観を根底的に規定しているように見えるのかも知れない。

 サクラメント郊外になにやら金色に光るものが発見されたのが1848年1月24日。
メキシコ・シティでカリフォルニアの買収が成立したのがそれから1週間ほどあとの2月2日。
鉄道も電話のないころの話である。
メキシコは金の山があると知らずカリフォルニアを手放したのである。
アメリカもそれとは知らず買ったのだが。
この奇跡のようなカルフォルニアの買収劇は、日本で言えば「神風」みたいなものだろう。
神がアメリカを守っている!

 その金鉱発見の知らせがワシントンに届くのがその年の11月。
12月に議会に報告されて、人々はカルフォルニアへ押し寄せる。
しかし、大陸横断鉄道はまだできていない。
ロッキーを越えてゆくルートもホーン岬を回る海上ルートも5ヶ月から8ヶ月かかったという。
カリブ海を通りパナマ地峡を決死の思い出抜けてそこからサンフランシスコというルートで上のルートの3分の2の時間がかかったという。
それでも人びとはカルフォルニアへ押し寄せた。
「おおスザンナ」を唄いながら押し寄せた。
そして、いとしのクレメンタインは川におぼれて死んだのである。

 そのゴールドラッシュのピークは1851年から53年にしかすぎない。
しかし、そこで得た一攫千金という経験は深くアメリカ人の生き方を深く規定してしまっているのではないか。
その後も石油の発見とかフェイスブックの開発とかのアメリカン・ドリーム、あっという間に億万長者という夢がアメリカを縛っているのではないか。
(オスプレイなんかも、どこぞの誰かが「ヘリコプターと飛行機のいいとこ取りのぼろ儲け」という夢が捨てられずゴリ押ししてるのではないか)

 ニール・ヤングの今回の『アメリカーナ』や『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』なんかを聴いてると、そんな浅い夢を吹き飛ばし、もっと心の深い深いところにひろがる夢に僕らを誘おうとしているのではないか、そんなふうに思う。
「僕は心のゴールドを掘り進む坑夫なんだ」と唄う「Heart of Gold」って、そういう歌なのではないかと思う。

 突然のアメリカ史で失礼いたしました。
posted by CKP at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月26日

頼むから私を怒らせないでくれ――だって、そうして世間を狭くするんですもの

 ある会議でブチ切れてしまった。
となりに座っていたS賀枝先生が、
「怒ってたねェー。
プルプルと震えがとまんなかったねェー」
とびっくりされていた。

 もちろん、その怒りはその会議でのある発言者に向けられている。
怒りを向けられた人は不愉快になり、私に憎悪を抱き、よってそれ以降、私は世間を狭くする。
ブチ切れて怒鳴るのではなく、穏やかに諭せばよいものを、いかんせん、還暦近くになっても人間が出来てない私は、突如ブチ切れて相手を攻撃してしまうのである。
こうやって、世間を狭くし、人生をしくじってゆくのである。

 ただ、そのとき、ブチ切れながら「あ、このブチ切れ感、どこかでブチ切れた感覚とおんなじだなぁ」と感じながらブチ切れていた。

 一晩寝て思い当たった。
キリスト系の新宗教の団体で、妙におとなしい格好したおばさんやおじさんが、ときには子供を連れて住宅地を戸別訪問しているのがありますよね。
あの人たちが、私が汗まみれになって寺の本堂を掃除しているときに、「このパンフレットによいことが書いてありますよ。これを読んで集会に参加しませんか」と話しかけてきたときにブチ切れたその感覚と同じだった、ということに思い至ったのである。

 本堂の掃除をしている。
それを無視して話しかける。
それは浄土真宗の寺の本堂である。
そこを掃除することは、その信心に磨きをかけていることである。
それを無視して話しかける。
そこには、話しかける相手への、ひとかけらの敬意も存在しない。
他者に何かを伝えようという気がまったくないのである。
他者とは自分の思いでは推し量れないから他者である。
ゆえに、敬意をもって呼びかける。
つまり、私とは違うということを勘定に入れて距離をもって接することを敬意というのである。
コミュニケーションの基本である。

「俺の話を聞けい!
5分だけでもいい。
貸した金のことなど、どうでもいいから」
(「タイガー&ドラゴン」@クレイジーケンバンド)

 5分間だけ、俺の話を聞いてくれ。
一緒にいてくれ。
話のコンテンツなどどうでもいい。
俺はお前にこそ、聞いてほしいんだ!

 しかし、彼らは相手が何ものであろう、どんな状況にあろうと、そんなことは関係ない。
私たちのすぐれた信仰を知らない哀れな異教徒どもにこのすぐれた教えを教えてやろう、そういう人を見下した態度があの妙にへりくだった態度の向こうに透けて見えるのである、わたしには。
そして、その哀れな異教徒どもに「いい話」を教えてやる自分たちは優れた人間だ、という優越感の自己確認しか感じられない、わたしには。

 そういう時である、私がブチ切れるのは。
ほとんど、「ブチ!」という音がするのだそうである。
後ろで見ていた人が言っておられました。

 血圧は上がるわ、世間を狭くするわ、・・・ホント、何もいいことありません。
会議の後、ほかの皆さんは遠巻きにしてなるべく私とかかわり合いにならないようにしておられます。
「目を合わさないでおこう、凶暴だから・・・」

 ね、世間が狭くなるでしょ?
ですから、こうゆうときにブチ切れるんだな、ということを理解して、なるべくそうゆう場面には近付かないようにする――これが58歳になる私が、実経験から学んだ貴重な教えです。

「君子、危うきに近寄らず」
昔の人は偉いなぁ・・・

 このような見解が、読者の皆様の人生に何らかのお役に立てばうれしいです。
posted by CKP at 15:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月23日

スザンナはなぜ泣くのか――ニール・ヤングの『アメリカーナ』

 調子っぱずれのニール・ヤングのギターがもうもうたる土煙りをあげる。
クレイジー・ホースのざらついた演奏とコーラスをバックにしてニールの頼りない声が妙に力強く響く。
CDジャケットの裏面に印刷されている延々と続く幌馬車隊のように、まだ見ぬフロンティアを求めてギターは土煙りの中を突っ込んでゆく。

 ニール・ヤングと盟友クレイジー・ホースの「おおスザンナ」「愛しのクレメンタイン」とか「わが祖国」などのフォーク・ソング集。
アコースティック・ギターとか12弦ギターがシャラシャラと草原をわたる風のように鳴る演奏を予想していたが、聴いてびっくり。
どう聴いても「おおスザンナ、泣くのじゃない」というあのフォスターのメロディは聴こえてこない。
2曲目の「愛しのクレメンタイン」もどう聴いても、あの『荒野の決闘』の「おー、マイ・ダーリン、クレメンタイン」のメロディは聴こえてこない。
ニールのギターがジミ・ヘンみたいに唸りを上げて、違うメロディを吠えまくるのである。
が、歌詞はしっかり、あの「おおスザンナ、泣くのじゃない」であるし「おお、マイ・ダーリン、クレメンタイン」なのである。

「??????」
なんだか騙されたようで最初はうまく聴けなかった。
なにせ身体は完全にフォスターのあのメロディを予想していたからである。
で、解説を読むと、歌詞はそのままで、別のメロディがつけられたものを演奏していると書いてある。
アタマから身体に「じゃ、そうゆうことでよろしく」と了解を求めると、身体はニールの力強いプレイをうまく受け止め始める。
すると、ニールとクレイジー・ホースのざらざらした演奏がまっすぐに入ってくる。

 カナダ出身のニール・ヤングの『Americana』。
「アメリカーナ」というのは、辞書を引けば「アメリカ(の歴史・文化・地理)に関する文献・資料」とある。
つまり、フォーク・ソングという歴史的資料によるアメリカ史なのである。
そう思って解説やらアメリカ史を読みながら聴くと、「おおスザンナ」はゴールド・ラッシュ直前の1847年に作られた歌。
メキシコとの戦争でカリフォルニアを手に入れる一週間前、カリフォルニアの川に金色に光るものが発見された。
そして黄金狂時代の到来。
「おおスザンナ」はゴールド・ラッシュで西に向かう人々の間で唄われたという。
そして、クレメンタインというのは、その「49年組の金鉱掘り」の娘で川に溺れて死んだと唄われる。
さらに、3曲目、4曲目は無実の罪で絞首刑になった男の唄。
そして、仕事を求め、放浪し、自由をもとめる歌が続く。

 アメリカが朦々たる土煙りの中からどのように立ち現れたのかが唄われるのである。
と同時に、そこから非業の死を遂げていった人々の亡霊も立ち現れて来る。
そんな不気味な感じが、まっすぐこちらに伝わってくるのが気持ちいい。

 ラストの「God Save The Queen」なんかも、独立以前のアメリカで唄われた歌ということだが、なんだかジミ・ヘンドリックスの亡霊が演奏しているようで、その暑苦しさがたまりません。

posted by CKP at 17:49| Comment(14) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月19日

始まりと終わり――テツガク入門(その2)『大学ジャーナル』99号より

 受験生向けのフリー・ペーパー『大学ジャーナル』の99号に書いた「テツガク入門」(その2)をお届します。
どうぞ。

テツガク入門 その2
始まりと終わり

 吾輩の主人は教師である。つまり『吾輩は猫である』における夏目漱石の分身の苦沙弥先生と同じ職業である。その苦沙弥先生を我らが「猫」氏はかくの如く描写する。
「吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、彼はよく昼寝をしている事がある。時々読みかけてある本の上に涎(よだれ)をたらしている。・・・
吾輩は猫ながら時々考えることがある。教師というものは実に楽なものだ。人間と生まれたら教師に限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬことはないと。それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来る度に何とかかんとか不平を鳴らしている。」
 
 吾輩の主人も大同小異、吾輩よりも寝ている時間は長いのではあるまいか。
それでいてつらいと嘆くことは人後に落ちない。
時に何を思い立ったか、西洋のクラシックなる音楽をステレオなる機械で聴こうとするのであるが、聴いているのは最初の5分ほどで結局は寝ているのである。
しかし、このあいだ主人がベートーヴェンの第5交響曲「運命」をステレオで聴き出した時には胆をつぶした。
まるで近所のミケ君とタマ君がいきなり喧嘩し出したような大音声(だいおんじょう)で始まり、終わるときには隣町のクロ氏もその喧嘩に加わったような大騒ぎで終わるのである。
我ら猫族でも、喧嘩をするときは最初に「う〜」とうなってのち頃を見計らって取っ組み合いを始め、そして「今日はこれまで」と穏やかに引き取るのである。
あのようにいきなり始め、大騒ぎして終わるのは、心臓にまことによくない。

 しかし、あれだけ大騒ぎの曲となるとさすがの主人も寝てはいられないのか、スピーカーに向かって始終腕を上げ下げしていた。
なんでも指揮の真似事らしい。
いったい何が悲しゅうてあのような大騒ぎをせねばならんのか。
眠気覚ましにはよいのかもしれんが、しかし、始まるにしても終わるにしても、もう少し穏やかにできんものか、と考えつつ吾輩は午睡を貪るのである。ムニャムニャ。

***

 たしかに勉強しながら居眠りすることはあります。
しかし「教師というものは実に楽なものだ」という猫氏の意見には賛同しかねます。
苦沙弥先生の頃の教師は楽だったかも知れませんけど、現代の教師は高校でも大学でもなかなか大変です。
うちのネコ氏にもそのへんをご理解いただきたい。
が、生徒諸君、学生諸君が活き活きと学ぶ姿を見ることができれば、その大変さも吹っ飛び、教師というのも楽ではないが楽しい職業だなと元気になります、ほんとに。

 さて、ベートーヴェンの「運命」、あのジャジャジャジャーンで始まる交響曲はネコ氏をびっくりさせたようですね。
フランス革命以降、貴族より市民が中心となり出した頃のヨーロッパ社会の音楽は、なぜあのように勇ましく始まり大騒ぎして終わったのでしょうか?
そのような始まり方、終わり方はその後ずーっと続いています。
ですから、ビートルズが「愛こそはすべて」を1967年に衛星中継で全世界に発表したとき、私たちはびっくりしたのです。
ビートルズのメンバ―や他のミュージシャンがうろうろしているうちにフランス国歌が聞こえたかと思うとコーラスが始まり、終りの方はビートルズのかつてのヒット曲などがだらだらと続いて、どこで終わったのかよく分からなかったからです。
(原題はAll you need is love。しかしこの場合、Allを「すべて」と訳しては意味が通りません。「君が必要とするのは愛だけなんだ」と限定の意味で訳すべき。辞書や文法書でAllという代名詞の使い方を研究しておきましょう)
しかし、民族音楽などはカウントを取りながら始めたり音合わせをしているうちに始まったり、そして終わるときはみんなで拍手しながらなんとなく終わるのが普通です。
ちょうど「私」が気がついたら始まっていて知らないうちに終わるように(終わりは確かめたことないですが、きっとそうだと思います)。
なぜ、19世紀から20世紀半ばまでの音楽は始めと終わりがクリアに区切られるスタイルが主流だったのでしょうか?

 20世紀半ばに活躍したフランスの詩人ジャック・プレヴェールに「祭」というタイトルのこんな詩があります(小笠原豊樹訳)。

「おふくろの水があふれるなかで
ぼくは冬に生まれた
一月の或る夜のこと
数カ月前の
春のさなか
ぼくの両親(ふたおや)のあいだに
花火があがった
それはいのちの太陽で
ぼくはもう内部(なか)にいたのだ
両親は僕の体に血をそそいだ
それは泉の酒だった
酒蔵の酒ではない

ぼくもいつの日か
両親とおなじく去るだろう」

 自分のこの世への誕生、そして精子と卵子の結合さえもが「花火」「いのちの太陽」として美しく歌われています。
そして、その終りも。
自分の始まりと終わりを確かめながら生きようとする自立した市民の生き方です。
つまり、輪郭線をクリアに引こうとするのが近代のヨーロッパ的な個人のあり方だったのです。
しかし、あまりに個人が自分の輪郭をはっきりさせることだけにエネルギーを集中させると世の中がギスギスしてきます。
ですから、ビートルズは「愛」を唄うとき、個人と個人を区別する輪郭線をちょっと曖昧にしたのですね。個人のはっきりとした輪郭をもちつつ、しかし他者とつながっているというあり方、これが21世紀型の地球市民、いや宇宙市民の生き方のように思います。

 確かに私たちの人生はどこかの時点で区切られる。またそれぞれの人生もいくつかに区分される。
しかし、それらの区分は孤立しているわけではなく、過去とも未来ともつながっている、そんな始まりと終わり、そしてつながりの重層(コラージュ)的な時間感覚を磨くべきではないでしょうか。
posted by CKP at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月17日

なるぞ!おばはん――鷲田清一式朝ドラ鑑賞法

 今朝、越前から京都に移動。
駅に降り立つ。
京都の方が少し涼しい(といっても暑いのにはかわりないが)。
祇園祭の山鉾巡行見物の観光客の皆さんと地下鉄で乗りあわす。
地下鉄車内はぎゅうぎゅう。
人が多くて、越前より暑いぞ、やっぱり!

 大学に出て、パソコンで休み中の連絡事項の確認。
その中に、鷲田清一先生が土曜日の京都新聞に書かれたエッセイの紹介があった。
 
 NHKの朝の連続テレビ小説についてのエッセイ。
この番組には、「いつもかならずドラマの主題を一文で言い当てる台詞があるとき出てくる」のだという。

 先ずは、現在放映されている『梅ちゃん先生』。
鷲田先生の心を「鷲づかみ」にしたのは、世良公則演ずる場末の診療所の医者の台詞。

「人を助けてやっているといのは、医者の思い上がりだ。
医者はな、ただそこにいるだけでいいんだ」

この台詞に『梅ちゃん先生』の「エッセンス」が尽きている、とまで書いておられる。
(わたくしも何回か前の本ブログで引用してますね、涙ぐみながら・・・)

 次は、一昨年の『てっぱん』から。
「あんたの後ろ姿見てたらなんかせつのうなってな。
ここにわしがおるでと声かけたなったんや」
誰の台詞だったのでしょう?
赤井秀和?

 そして『カーネーション』。
さ、鷲田先生はどの台詞を挙げられるでしょう?
はい、考えてみましょう。

・・・・・
・・・・・
・・・・・
はい、どうぞ。
「やがて敗戦の日が来る。玉音放送を聴いた後、糸子がすくっと立ち上がり、みなに言う。
 『さ、お昼にしょうけ』
 国が破れたという事実、そしてよりによってそんな日に空が晴れているという事実を受け入れられず、茫然とする男たちにはけっして吐けない台詞である。このドラマの芯はこれだと思った。
(中略)
 当時、女性は家族やご近所の身の上を案じ、男性は会社や国を憂うというふうに、女性は内向き、男性は外向きというふうな言われ方がなされたが、ほんとうは逆なのだと、このドラマは言おうとしたのではないか。社会システムの<内>でちまちました勝ち負けに明け暮れる生き様でなく、そうしたシステムの<外>、つまりそれが崩壊する可能性を見据えて、それでもなお生き延びる道を見いだすことが、いちばん大事なことなのだと、と。」

 「お昼にしょうけ}

 岸和田のおばはんはつよい!

 というか、哲学が在ること、生きることの芯へと向かうとき、それはおばはん的モードをまとうのではないか。
日常茶飯事が日常茶飯事としてそこにあることがどれほど有り難いことなのかを、おばはんは誰よりも知っているのではないか。
だから、生きることの根本を考える、それは食って寝ることを考えることだが、哲学がそういう営みだとしたら、おばはんにならなければできない営みなのである。
であるからして、おばはんになるために、わたくしは朝ドラを見るのである。
posted by CKP at 17:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月16日

We are the world はなぜ訳しにくいか――生活の中の仏教用語

 あ”じ〜・・・
ウソみたいに暑いっす。
な〜んもやる気になりません。
  
 で、よけい暑くなるかも知れませんが、わたくしCKPカドワキが、あのオジサンたちの愛読総合誌『文藝春秋』に書いたエッセイをお示しします。
と言っても、大谷大学が20年近く続けている「生活の中の仏教用語」というウンチク広告欄に書いたもの。
しかし、仏教用語のウンチクなど逆立ちしても出てこないわたくしを指名してくるとは・・・
ま、何を書いても文句は言わない、という方針であると解釈して、いきなりマイケル・ジャクソンから入るウンチク・ページにしてみました。
『文藝春秋』の7月号です(今、出ているのは8月号)。
では、マイコー、どうぞ。

http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/index.html

 次の私の番は、10月号。
何か、こんなのも仏教用語だったのぉ?というのありませんか?
アジャパーってのは違うか?

posted by CKP at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月14日

「大路小路」はじまる

ご無沙汰しております。すっかりこちらはCKP氏にお任せし、
放ったらかしにしております管理人にございます。

わけありまして、別所にて新しいブログをはじめました。
「大路小路」(Oji-Kojiと発音)というブログです。
入学センター長(高大連携推進室長)という私の立場から書いているもので、
こちらのブログとはやや趣旨がちがうかもしれませんが、
ご興味をおもちのかたがおられましたらと思い、お知らせいたします。
posted by pilz at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月13日

現場からの問い――石井光太さんにお会いして

昨日の大拙忌における石井光太さんのご講演、ドーンと重い問いかけでした。
最後の方では、オジサンのゆるんだ涙腺からは涙がとめどなく流れるほどの、深い感動を呼び起こす講演でした。
しかし、そのお話は、「要するに」と細部を切り捨てシンプルな普遍へと回収することを拒むようなお話でした。
ひとりひとりの小さいけれども具体的な救いの物語にこそ「神さま」は宿るのではないかというお話だったからです(と結局「要して」いますが・・・)。
というわけで、お話そのものをここで要約してご紹介することはせず、講演を録画したものをそのまま公開してゆくようにしたいと思います。
今少しお待ちください。
待ちきれない方は、『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)を読んで想像していてください。

 それで、ここでは石井さんに初めてお会いした印象を書いておきたいと思います。

10年ほど前に処女作『物乞う仏陀』を手にしたとき、なんだかヤバそうな人だな、と思ったのでした。
何しろ、アフガンの物乞いさんと一緒に生活してしまうんだから。
その後も、次々とヤバそうなアジアの底辺世界をルポされている。
あんなえぐい世界に素手で飛び込んでゆかれるというのはどうゆう青年なんだろう?
写真で見るとスキンヘッドに無精ひげの目つきの鋭い人である。
なんだかとってもパンクな青年ではないのか、とちょっとビビっていたのでした。
それで『遺体』の編集を担当されたA立さんを通じて講演を恐る恐るご依頼したのでした。
そしたらあっさりオッケー。
そして、講演当日・・・
ある雑誌のインタヴューのため早めに大学に来られるとは聞いていたのです。
そのインタヴュー会場になっている部屋の鍵をあけに行く途中、大きなカバンを下げた石井さんらしきスキンヘッドが学食に向かって歩いている。
が、あまり凶暴なオーラは発していない。
むしろやさしいそうな青年である。
あれ、石井さんじゃないのかな?
なんだか確信がもてず、お声をかけず部屋の解錠へと急ぐ。

 そのインタヴューの後、直接お会いしたが、やはり学食へ向かっていたスキンヘッドのやさしそうな青年が石井さんでした。
開口一番「俺は大学のセンコーなんて信じられねぇぜ」とかなんとか、パンクな挨拶をされるのではないかとビビっておりましたが、大変礼儀正しく気持のよい35歳のスキンヘッドの好青年でした。
それぞれの立場、それぞれの物語を認めてゆくというのが、基本的スタンスのようでした。
講演者紹介のために大垣書店さんに会場前に石井さんの本を並べてもらっていましたが、その本屋さんにもキチンと挨拶される礼儀正しい青年でした。

 そんな石井さんのお話を聴き、石井さんが大津波の後の最悪の状態を生きようとする人々の姿を丁寧に伝えようするお姿を見て、またアジアの最底辺で生きる人々の姿をルポするこれまでご著作を見て、なんだか石井さんのスキンヘッド姿が空也上人の姿と重なってきました。
平安末期の混乱の中を生きて死んでゆく人々の間に念仏をひろめた念仏聖、市聖の空也上人。
念仏が口から小さな仏様となって出てくる、あの空也上人の立像を思い出したのでした。

空也という人は、比叡山の講壇仏教、貴族仏教から離れて「臨床」仏教を実践しようとして町に出たお坊さんだったんだろうな、と思ったのでした。
哲学というのが、具体的な小さな物語をシンプルな普遍に回収してしまうことになってしまっているとしたら、それは罪深い営みであると、問い詰められたように気がしています。
むしろ、小さな具体的な混乱に、何らかの物語の構造を見出してゆくことが哲学なのではないか、と思ったのでした。
posted by CKP at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月10日

死者とともに生きる――石井光太氏「大拙忌」講演会

 第31回「大拙忌」記念公開講演会(大谷大学宗教学会主催)を開催します。

7月12日(木)午後4時20分より
大谷大学メディア・ホール(図書館棟「響流館」3階)
講師:石井光太氏(ノンフィクション作家)
講題:東日本大震災の名もなき神さま〜遺体と遺族を支えたものは何だったか〜
講師のコメント
「東日本大震災では、死者・行方不明者が約二万人にも上りました。未曽有の遺体と遺族を支えたのは、マスコミが触れなかった小さな声や物語でした。遺体安置所に集まった人々が悲しみの底で見た現実と光についてお話ししたいと思います。」

 石井光太氏が震災後発表された『遺体――震災、津波の果てに』(新潮社)を拝読して、いちど直接お話をお聞きしたいと思い、お呼びいたしました。
生と死が交差する「遺体安置所」での人々のふるまいのうちに宗教の原型が見出されるのではないか、と思ったからでした。
宗教を現場から考える、そのことを大震災は学問に要請しているのではないか、と思ったからでした。
 
 多くの方々のご来場をお待ちしております。
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2012年07月03日

時代劇はなぜ衰退してしまったのか←けっこうしつこい

 昨年暮れ「水戸黄門」が終わってしまって、なぜ時代劇は衰退してしまったのか、ということを私のアタマは考えているのでした。
時代劇の魅力は、ワルモノはとことん悪く、正義は危ういけれども最後には勝つ、ということでした。
ワルモノが悪ければ悪いほど、その物語は魅力的でした。

 なぜならば、お父さんたちの生きている社会では、ワルモノはそれほど決定的に悪くないからです。
お父さんにとってワルモノは、お父さんの能力を評価しない会社の上層部です。
この上層部が、徹底的に悪ければ、本来は高いはずのお父さんの能力が評価されないことの説明が付きます。
しかし、その上層部は徹底的に悪いとは言い切れない。
お父さんを追い越して出世してゆくアイツは、単なるゴマすり野郎だとは思うが、少し冷静に見ればそれなりに仕事はできる。
その冷静な目でわが身を振り返れば・・・・

 そのような社会・会社から抜け出すことができるのが、悪い奴がどこまでも悪い時代劇なのでした。
「越後屋、お主も悪よのぉ」という世界が、俺の能力を評価しない世界のどこかに展開されている・・・時代劇はそのような願望をかなえてくれるのでした。

 しかし、現在、悪者が別の世界に登場してしまいました。
ネットの中です。
ネットの中の評価は、シロ・クロはっきりしています。
あいつは悪い。
その悪さはドンドンと暴かれ、あっという間にバッシングの嵐は広まります。
ひょっとしたら、ネットの中のワルモノ叩きが、時代劇の代替物になってしまったのではないか?
そして、ネットならば、実際の「正義の味方」として、その「ワルモノ叩き」に参加できる。

 というようなことを私のアタマは愚考したわけです。
ホント、愚考で申し訳ない。
で、今、アタマが考えているのは、いっときの正義の味方、市川右太衛門演ずる旗本退屈男のあのキンキラキンの派手なゴージャス衣装が、何故、いつの間にか、「悪い越後屋」の衣装になってしまったのか?
ネットの中のワルモノも、キンキラの派手衣装に身を包んでいるのか?
という問題です。
というか、何で正義の味方の旗本退屈男が、あんなゴージャス派手であったのかの方が不思議です。
市川右太衛門の力だったのでしょうか?
市川右太衛門、ご存じない?
北大路欣也、あのホワイト家族のお父さんの犬の声をやっているお方のお父上です。
日本にはまだメタボ・デブなどという身も蓋もない言葉はなく、「恰幅がいい」という美しい日本語があった頃の俳優さんであります。
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2012年07月02日

げんぱつに風を通せよ夏座敷――無茶

 7月の第一日曜日は、わが寺の「永代経法要」。
それに合わせて本堂と庫裡の大掃除。
そのとき、庫裡の座敷を夏座敷にする。
襖や障子をとっぱらって、御簾をかける。
座布団を麻の夏座布団にする。
雨戸がわりのガラス障子を開け放しにする。
暑さの中をすだれを揺らしながら通ってゆくかすかな風が涼しい。
その風に、「ああ涼しい」と門徒さんも喜んでくださる。
夏休みの昼下がりに、その座敷で昼寝をするのが私の最高の贅沢である。
またこのような生活形態を守ることが、私のささやかなささやかな反原発の運動である。

 しかし、昨日よりついに大飯の原発が再起動ということになってしまった。
浜岡が停止したときには、脱原発がアメリカの意向なのかな?と思った。
「廃炉ビジネス」をアメリカが独占するチャンスだから・・・。
が消費税値上げと原発再開を自爆的に進める政策を見ると、やはりその背後にいるはずのアメリカは原発推進なのかな?とも思う。
原発が再稼働しなくなると、その勢いで非核三原則が現実のものとなることを懸念したのか?
それとも、中東情勢の読みを誤ったアメリカが、イランの「ホルムズ海峡封鎖」の危機をこっそり教えてきたのか?
(シリアの「独裁」アサドはすぐにも倒れてシリア‐イラン連合が崩れる予定だったが、シリアの反体制側もけっこうえぐいテロをやってることがだんだん明らかになってきた。註)

 が、こうなってしまったからは、とにかく絶対に放射能をまき散らすような事故を起こさないでほしい。
「反原発vs.絶対安全」というような対立構図だけはやめてほしい。
立場はそれぞれ守りつつも、とにかく原発の事故を避ける手だてを徹底的に実施してほしい。

 これに関しては、私には苦い思い出がある。
学生時代、1975年ごろ、京都大学工学部の教授相手に、伊方原発の建設阻止の「団交」があった。
その頃は「推進派」なんて色分けはなかったのかもしれない。
小出さんたちが反原発の意見を述べはじめたころである。
小出さんご自身その団交で糾弾される側におられたのか、する側におられたのか?
それはともかく「糾弾」の矢面に立っていた教授が「原発もラジオと同じでね、壊れるんですよ」と発言した。
すかさず「原発は壊れちゃいかんのだよぉー」という怒号が飛び交った。
私も一緒に叫んでいたと思う。
75年前後は「原発は壊れるもの」という発言が「反原発」の場で、平気で専門家から出ていたのである。
その発言を我々の怒号が封じ込めてしまったのではないか?
今になってみると、あれがまずかったのではないか、と思うのである。
そして、いつの間にか原発は「絶対安全」ということになってしまった。
そして今回の事故である。
つまり、「我々」が「安全神話」の成立に加担してしまったのでないか、そんな思いがぬぐい去れないのである。

 内田樹×高橋源一郎『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか』(ロッキング・オン)で紹介されている、フィンランドのごりごりの反原発派のドキュメンタリー映画監督が地下500メートルの核廃棄物最終処分場の取材をするという対話のあり方(NHKで放映された『100,000年後の安全』)、そんなコミュニケーションの仕方をしないと、まずいんじゃないか?
反原発派の人をフィンランド政府の開発関係者は、地下500メートルの最終処分場へ入れる。
その反原発派の監督が相当厳しい質問を開発関係者にする。
その人たちも即答できないことがあると、みんなで考えて答える。
推進派と反対派の間でそうゆうコミュニケーションが取れていれば、原発も絶対とは言えないにしても致命的な事故を回避する相当安全な形になっているのではないか?
日本だとこのような取材をすると「お前は原発を認めるのか!?」ということになりそう。
しかし、認めるも何も、現に動いているならば、どれだけ安全性を高めるかという議論をしないと始まらない。

 その『どんどん沈む日本…』でこれまた高橋源一郎さんが紹介されている、ずーっと原発を拒否し続けている「祝島」の話が面白い。
どれほどお金を積まれても、農業と漁業のムラ的な「生き方」が、原発を30年ものあいだ拒否している。
その村の原発拒否というのは「反権力闘争」ではなく、どのような生き方をするのかという問題なのだ。
だから30年間毎週月曜日に行われる反原発デモも「いいかげん」らしい。
晩御飯の相談をしながら、ときどき思い出したように「げんぱつはんたーい」と言ってみる、という感じらしい。

 ここらで「生き方」のこれからのヴィジョンを真剣に考えておかないと大変なことになるぞ・・・というわけで、夏はすだれをかけて、蚊取線香焚いて、昼寝をするのが贅沢贅沢という「生き方」を残したいと思うのでした。
ブログで書くのもなんだけど・・・
「方丈記」とか「徒然草」なんかも、戦争なんかやめて、質素に行きましょう、ということではなかったか?

(註 元シリア大使の国枝昌樹という人の書いた『シリア―アサド政権の40年四』(平凡社新書)というのが興味深いです。
極悪非道のはずのアサド政権がなぜすぐに崩壊しないのかが丁寧に描かれています。
けっして、「正義はこちら」という二者択一的記述ではありません。
問題を丁寧に分析しているという本です。
特にびっくりしたのが、あのアルジャジーラが1年ほど前から反シリアの「やらせ」的な報道を始めて、多くの良心的なジャーナリストが続々とやめているということ。
また、あのジャスミン革命の発端となった青年の自殺にしても、女性警官に「ほほを殴られた」というのは、どうもでっち上げだったらしいとのこと。
そして、その自殺は「女に注意された」ということを大ショックと感じる、きわめて保守的なイスラム的面子から来ている、ということ。
そして、おそらく女性警官など認めないイスラム同胞団が前面に出てきたことでアメリカの「あて」が外れかかっていることなど・・・なんかアラブの「タガ」が外れて先が読めない大変なことになってくる感じがします。
もちろん、このような情報の真偽もわからないわけですが・・・
基本的には、部族社会に西欧的な国家をつくってしまったのが間違いのもとなのでしょう。
『アラビアのロレンス』的世界ですね。)
posted by CKP at 18:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする