2012年04月27日

最期の日々―― 正岡子規、ネコのフネ、佐野洋子、チンパンジーのレオの場合

 3月の末に58歳で亡くなった方の中陰のお参りをしている。
今度は六・七日(むなのか)のお参りである(追記:と思っていたが、指折り数えたら五・七日だった、ホトケさん、?と迷われただろうと思う、こんなボーズでスミマセン)。
お参りの時に、奥さんからガンで亡くなったダンナさんの最期の日々のご様子を聞く。

 ご自分からホスピスへの移動を希望されたとのこと。
ホスピスでは、お孫さんに陶芸の焼き物で写真立てを作ったり、昔の友人を集めて歓談なさったりしていたのこと。
「いろんな管につながれて痛々しい最期でなくてよかったですね」
と知ったようなことを申し上げたら、
「そうでもないんです。栄養剤やら痛み止めを点滴するんで、固くなった腕ではなしに首元から注入して、お腹が妊婦さんみたいに膨れあがって、苦しくて寝られなかったんです。看護師さんたちもいろいろ工夫してくださったんですが・・・」
とのこと。
それでも、毎晩いっしょに泊まれたのでよかった、とおしゃっておられた。

 その私より一つ年上のそのダンナさんがホスピスに入られたと聞いたとき、私は、何もできなかった。
見舞いにも行きづらかった。
坊さんの私が行くと、どうしても「葬式はまかしとけ」というニュアンスが出てしまう(これがもう少し年寄りの場合は「わしが死んだら、葬式頼みます」「ハイ、安心してください」という会話ができるのであるが・・・・)。
それで、正岡子規の『病床六尺』の岩波文庫ワイド版と、その子規の俳句を天野祐吉が選んで南伸坊がイラストを添えた『笑う子規』を奥さんから届けてもらった。
私は、もう少しで死んでゆくという人の気持ちは分からないから、代わりに、もうすぐ35歳足らずで死んでゆく正岡子規さんに見舞いに行ってもらったというわけである。

 ときどき、その方はどんな気持ちで『病状六尺』を読まれたであろうと、読み返す。
あれでよかったのかという反省もあるし、自分自身の予行練習でもある。
たとえば、子規の死ぬほぼ三か月前の記事。

「病床に寝て、身動きの出来る間は、敢えて病気を辛しとも思わず、平気で寝転んで居ったが、この頃のように、身動きが出来なくなっては、精神の煩悶を起こして、殆ど毎日気違のような苦しみをする。この苦しみを受けまいと思うて、色々に工夫して、あるいは動かぬ体を無理に動かして見る。いよいよ煩悶する。頭がムシャクシャとなる。
もはやたまらんので、こらえにこらえた袋の緒は切れて、ついに破裂する。もうこうなると駄目である。絶叫。号泣。ますます絶叫する、ますます号泣する。
その苦しみその痛み何とも形容することは出来ない。むしろ真の狂人となってしまえば楽であろうと思うけれどそれも出来ぬ。
もし死ぬることができればそれは何より望むところである。しかし死ぬる事も出来ねば殺してくれるものもない。
一日の苦しみは夜に入ってようよう減じ僅かに眠気さしたる時にはその日の苦痛が終わると共にはや翌朝寝起きの苦痛が思いやられる。寝起きほど苦しい時はないのである。
誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか、誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか。」(岩波文庫、69ページ、現代仮名遣いに改め、適当に改行。最後のリフレインは傍点付き!)

 子規にこれだけ絶叫され、号泣されると、どことなく安心して絶叫・号泣していいんだな、と納得してしまう。
この記事を読んだ清澤満之(としか思えない人物)も「号泣せよ煩悶せよ而して死に至らんのみ」と子規に書き送っている(73ページ)
しかし、子規は「ただ余にあっては精神の煩悶というのも、生死出離の大問題ではない(中略)とにかく生理的に精神の煩悶を来すのであって、苦しい時には、何とも彼ともいたしようのないわけである」と不思議なことを述べている。
「生理的に精神の煩悶を来す」とはどういうことだろう?

 同じ死に至る病でも動物の場合は、「精神の煩悶」から絶叫・号泣ということにはならない。
ご自分にガンが発見されたとき「死ぬ気まんまん」と書いた佐野洋子さんの「死の練習」帳とも言うべき『神も仏もありませぬ』に、愛猫フネにガンが発見された時の様子が描かれている。

「本当にあと一週間なのか。もしかしたら、今そのまんま死んでしまっても不思議はないのか。苦しいのか。痛いのか。ガンだガンだと大さわぎしないで、ただじっと静かにしている。
 畜生とは何と偉いものだろう。
 時々そっと目を開くと、遠く孤独な目をして、またそっと目を閉じる。
 静かな諦念がその目にあった。
 人間は何とみっともないものだろう。
 じっと動かないフネを観ていると、厳粛な気持ちになり、九キロのタクキ猫を私は尊敬せずにはいられなかった。」(52ページ)

 フネは結局一か月後に、部屋の隅でクエッと二度声を出して死んだ。

「私は毎日フネを見て、見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べた。ほとんど一日中見ているから、一日中人間の死に方を考えた。考えるたびに粛然とした。私はこの小さな畜生にも劣る。この小さな生き物の、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。その静寂さの前に恥じた。私がフネだったら、わめいてうめいて、その苦痛をのろうに違いなかった。
 私はフネの様に死にたいと思った。人間は月まで出かける事が出来ても、フネの様に死ねない。月まで出かけるからフネのようには死ねない。フネはフツーに死んだ。」(56ページ)

 それからおよそ5年後、今度は佐野さん自身がガンで死ぬことになる。
フネのように静かな死に方ではなく、「死ぬ気まんまん」で死んでゆかれた。
それは、「あの世」への旅立ちであった。

「私は、あの世があるとは思っていない。
 あの世はこの世の想像物だと思う。
 だから、あの世はこの世にあるのだ。」(『死ぬ気まんまん』68ページ)

 人間の場合、猫のように、淡々とフツーに死ぬ事は難しい。
それは、死ぬ時を「想像するちから」を持ってしまっているからだ。
だから、生理的苦痛は「精神の煩悶」となる。
だから、フネの様に死ぬには「想像するちから」を失くせばいい。
それができないなら、佐野さんのように存在しないあの世をこの世で「想像」するしかない。

 霊長類研究所の24歳の男性チンパンジー・レオが急性脊髄炎にかかり首から下が麻痺し多くの人たちが24時間態勢で看護したときのことを、松沢哲郎先生が『想像するちから』で書いておられる。

「しかし、レオはぜんぜん動けない。そうすると、ひどい床ずれになる。腰やひざの皮膚が破れ、膿み、骨がむきだしになるほどのひどい床ずれだ。57キロあった体重も35キロにまで減った。瘦せ細って床ずれで寝たままの彼の姿を見て、もしこれが自分だったら、とても我慢できないだろうと思った。
 痛みの辛さに耐えられないのではない。「このまま生きていてもしょうがない。自分はどうなってしまうんだろう?」というような心境になるだろう。将来に対する希望がもてず、ただ絶望感にさいなまれるだけだろう。
 でも、このチンパンジーは、私であれば生きる希望を失うという状況のなかでも、まったく変わらなかった。めげた様子が全然ない。けっこういたずら好きな子で、人が来ると、口に含んだ水をピュッと吹きかける、なんてこともする。キャッと言って逃げようものなら、すごくうれしそうだ。」(180ページ)

 なぜこうなるのか?
それは人間とチンパンジーでは「想像する時間と空間の広がり方が違う」からだ。

「今ここの世界を生きているから、チンパンジーは絶望しない。「自分はどうなってしまうんだろ」とは考えない。たぶん、明日のことさえ思い煩ってはいないようだ。
 それに対して人間は容易に絶望してしまう。でも、絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望をもてる。
どんな過酷な状況のなかでも、希望をもてる。
 人間とは何か。それは想像するちから。想像するちからを駆使して、希望を持てるのが人間だと思う。」(182ページ)

 ある意味では、佐野さんと松沢先生はまったく同じことを書いておられるように思う。
そして、その「想像するちから」と、埋葬する・弔うという死者を想う人間の行動とは密接に関連しているのだろうと思う。
もちろん、それは言葉のちからということになる。
(チンパンジーのレオはその後奇跡的に回復しているとのことでした。)

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2012年04月24日

わっしー版「ハートに火をつけて」――3・24オープン・キャンパス鷲田清一教授講演「ベンキョーって楽しい?」

 去る3月24日の大谷大学オープン・キャンパスでの鷲田清一先生の講演「ベンキョーって楽しい?」の動画が既にアップされていました。
大学のHPを毎日見て注意していたのですが、見落としていました(わけみ先生のツイッターで知りました。ありがとうございます。)。

 鷲田先生が、高校生の皆さん限定で、「学びのスイッチの入るとき」について熱く語ってくださいます。
一般公開の方が多くの人が来られていいのでは?とご提案していたのですが、高校生だけに語りかけたいという鷲田先生のご希望で「高校生限定」ということになりました。
あるフランスの哲学者との出会いによって先生の学びのスイッチが入ったことを中心にベンキョーすること、そして文学部で学ぶことの「楽しさ」について、身ぶり手ぶりも交えて熱く語っておられます。
高校生も大学生も「社会」人も必見必聴であります。

 では、どうぞ!
http://www.youtube.com/watch?v=Nedbuej5S9w&feature=BFa&list=UUP1WhDCTOgKN2l0--ehgRyw
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2012年04月23日

猫はそれを待てない――でも「この泥棒ネコ!」というのは失礼かもしれない

 本妻が愛人宅に乗り込んでの修羅場が演じられる場合、本妻から愛人に向けられる常套句に「この泥棒ネコ!」というのがある。
現実の修羅場に遭遇したことがないので実際に使用されているかどうかは確かではないが、テレビドラマなどではちょくちょく聞かれる。
しかし、猫の身になって考えると、なんでそんな場に自分たちの種族名が引き合いに出されねばならぬか、合点がいかぬであろうと、同情する。
ほんと、なんで「この泥棒ネコ!」なんでしょうか?

 おそらくこういうことでありましょう。
サザエさんが、毎週日曜の夕飯時に「お魚くわえた、どらネコ追いかけて、はだしで駆け出」さねばならぬように、猫クンたちは、隙あらば食卓に並べられた「お魚」を「泥棒」してしまうのである。
サザエさんちのタマもどらネコではないが、やはりおいしそうなお魚が並べられていて、カツオが見張り番をサボっていたならば、「泥棒」するであろう。
しかし、猫クンたちはなにも「泥棒」しようと思っているわけではない。
ただ彼/彼女らには「待つ」ということができないのである。
それゆえ、目の前においしそうなお魚があるとくわえて、ゆっくり食べられるところまで走る、ということなのである。

 そのような猫クンの目から見ると、「おあずけ」を芸としている犬族というのは、人間特有の「待つ」ということを芸とし人間どもにおもねる卑しい種族と映っているのかもしれない。
高貴なる猫族のその高貴さは、「待つ」という人間の特性を無視するところから由来するのかも知れぬ。

 「待つ」という人間特有の行為は、家族形成の基盤である。
おっぱいを吸う乳幼児は、栄養摂取を犠牲にしてまで、母親とのコミュニケーションを図ろうとする。
つまり、おっぱいを吸うのを休んで、母親の揺さぶりを待つのである(正高信雄『0歳児がことばを獲得するとき』中公新書)。
それが長じて、「いただきま〜す」となるのであった。
料理ができるのを待ち、家族が揃うのを待つのである。
映画『ゴッドファーザー』の最初のシーンは、「ファミリィ」を強烈に印象付けるシーンであるが、そこで家族写真を撮るとき、ドン・コルリオーネは三男マイケルの到着を待つのである。

 これらの「族」を構成する「待つ」という行為は、猫の目から見るとまことに不思議な行為であろう。
目の前にうまそうなエサがあるのに、なぜ食べない?
何ゆえ料理などという面倒なことをするのか?
それにみんなが揃うのをなぜ待つのか?
猫のように「待たない」ということはファミリィを構成しないことであり、そして破壊することであり、それゆえ、家庭を破壊する愛人は夫を泥棒する「この泥棒ネコ!」なのであろう。
ゆえに、なかなか含蓄にとんだ罵倒語なのではあるが、猫クンたちにとっては、天然自然に行動しているだけであって、人間世界における不倫的行為に自分たちの種族名がいちいち言挙げさえるのは不当であると思っているのではないかと同情を禁じ得ないのである。

 突然の「泥棒ネコ」に関する考察で失礼した。
何ゆえにこのような考察に立ち至ったのかについては、れっきとした理由があるのであるが、それを書くと長くなる。
「松ノ木ばかりがまつじゃない、時計を見ながらただひとり・・・」という「松ノ木小唄」を思い出したから、という理由ではない、とだけは言っておきたい(結局、思い出したのですが)。
明日の講義の準備もせねばならぬので今日はこれにて失礼。
posted by CKP at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月20日

蛙の冷汗――講演:仏教から見る「葬式」

 インターネット世界の片隅で、3月28日の私が誰かに向って語っているのである。
しかし、誰も聞いていないようである。
あまりにも不憫なので、恥ずかしながら、ここにご紹介するものである。

 以前にもご紹介した3月28日堺市でおこなった「駅前仏教講座」のビデオである。
講題は「仏教から見る『葬式』――人間は葬送する存在」。

 とても自分で観られるものではない。
最初の一言を発するまでは観たが、そのあとはとても観られたものではない。
自分の書いたものを読むのは好きだ。
よく分かるかということもあるし、へんなこと考えていたんだなぁ、とびっくりして面白いというとがあるからだ。
ところが、話している自分の声を聴き、自分の動く姿の映像を観るのは耐えられない。

 自分の思っている自分像とあまりにも違うからということが考えられる。
わたしの声はもっと落ち着いた美声のはずである。
あんなカエルをつぶしたような声ではない(カエル、ごめん)。
わたしの姿は、もっと颯爽としているはずである。
あんなモッサリしたおっさんではない。
真実がゆがめられている!
ビデオの自分は明らかに「鏡像」ではない。
(慣れればおいしいクサヤの干物、なんでしょうけどね。)

 しかし、お話した内容は、いろんな方々に「弔う」ということを考えていただきたいというものだから、少しでも多くの方々に聴いていただきたいものである。
また、それなりに好評で、ある方からは直接「良質なお話でした」という批評を賜ったものである(よほどいつもトホホで悪質な話を聞いておられる方なのでしょうね)。
しかし、よく考えたらだいたいこのブログにときどき書いている事柄を「弔う」という文脈でまとめたものでした。
それでも、まとめて聞いてやろう、あるいはおぞましいものを見るが好きというお方、下のところをクリック!

http://civilite.blog118.fc2.com/blog-entry-14.html
 
posted by CKP at 17:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月16日

追悼の作法――死者の誕生

 吉本隆明(たかあき)氏が、というより吉本リューメイが亡くなってから一月になろうとしている。
吉本の死に対するさまざまな反応に接して、「戦後思想」における彼の存在の大きさに今さらながら驚いている。
まず、マスコミが「知の巨人」という見出しで吉本の死を報じたのに、ちょっとびっくり。
「知の巨人」だったのか、と驚いたわけである。

が、もっとびっくりしたのは、死後すぐに吉本を批判する「追悼」文がいろんなメディアに現れたことである。
たしかに、亡くなったからといってただただ褒め上げる必要もないと思う。
山口瞳がどこかで、ただ褒めるだけでは追悼にならない、長所も欠点も含めてその人を語ってはじめて追悼になる、と述べていた。
その通りだと思うが、故人を語るというより批判や非難に邁進するというのは何なんだろう。
こういう「追悼」の仕方をする人にとっては、亡くなった人はまだ死んでいない、というような感じを受けた。
それほどに吉本の存在というのが大きいのであろう。
亡霊のように迫ってくる吉本に向かって、いわく、吉本は語学ができないから学問的には劣っている。
いわく、学問が分ってない。
いわく、左翼度においては私のほうが勝っている。
まるで「知の巨人」というのは自分にふさわしい称号で吉本なんぞに取られてたまるか、という感じなのである。
まだまだ父を必死で否定するエディプス期の子どものようだ。
マスコミの「知の巨人」という呼び方も、巨大な「父」に頭が上がらない、というような感じを受けた。

 こんな寝とぼけたことを書いている私の場合の吉本どうなんだ、と自分にとっての吉本体験を思い返してみた。

 1954年生まれで1973年大学入学の私が吉本を読んだのは1974年ごろである。
そのころはすでに著作集になっていて、政治評論なども「全著作集第13巻」で読んだ。
赤線いっぱい引きながら読んだのではあるが、しかし、先輩方が言うほどインパクトを感じない。
オレ、アタマ悪いんじゃないだろうか、とちょっと悩んだだのです。
それで、論じられている政治状況がよくわからないからピンと来ないのだろう、ということにして納得していた。
が、今から思うと、そのころすでに、知のあり方、知識人のあり方を語るとき、吉本が立てた「知識人と大衆」という問題の枠組みが常識になっていたのからだと思う(少なくとも私の周りではそうだった)。
「転向論」の言葉で言えば「日本的小情況を侮り、モデルニスムスぶっている、田舎インテリ」「これらの上昇型インテリゲンチャ」ではない、別のかたちの「知識人」のあり方がすでに課題となっていたのである。

 おそらくこのような問題提起は、69年以前はものすごいインパクトだったのだろう。
吉本のほどのものを読む「知識人」には、自分のことを図星された、と感じたのだと思う。
しかし、「69年」も伝説となりつつある70年代半ばに大学生という小インテリに成った者にとっては、それは分かった、じゃどう勉強したらいいのか、という問題になっていたのである。

 そのような問題意識で読むと、吉本の親鸞への共感というのもよくわかる。
比叡山のエリートコースから「転向」して、念仏の門に入り、「文字のこころも知らぬ田舎の人びと」と生きようとした親鸞への共感である。

 だから、吉本を追悼するということは、そのような課題を自分への「贈り物」として受け取り、感謝と共に応答してゆくことなのだと思う。
死者を追悼するということは、死者の言葉を贈り物として受け取り、それに答えてゆくことだと思う。
そのことによって、死者は亡霊とならず、死者として安心して立ち去ってくれるのである。
死者が死者として誕生するのである。
エディプス・コンプレクスの図式で言えば、父からの課題を自らの超自我としてつまり課題として引き受けることなのであろう。
もちろん、どこに課題を見出すのは人それぞれである。

 幸いに私の周りには、知のあり方、知識人のあり方を考え抜いておられる先輩がいろいろな指針を与えてくださっている。
例えば、池上哲司先生の生活に根ざした静かで叙情的かつ論理的な文章は、もちろん現象学の研究から必然したものであろうが、どこかで吉本的な課題に応答されているように思う。
内田樹先生の「街場の・・・」というスタイルや、鷲田清一先生の「地べたを這いずり回って」と自ら形容される「臨床哲学」も、ご本人たちは「そんなこと思いもしなかった」と言われるかも知れないが、どこかで吉本的課題への応答ではないかと邪推するのである。

 だから、池上先生がこれからの教育を「後退戦において殿(しんがり)をつとめる人間に養成すべき」と言われたとき、鷲田・内田両先生が即座に反応されたのではないかと、ひそかに思っている。
知的エリート、前衛に対しての後衛。
私は、最初、「後退戦のしんがり」という言葉を聞いたときよく分からなかったのです、正直言って。
しかし、今回、久しぶりに「転向論」を読んでみて、それへの応答と考えるとなるほどと腑に落ちたという次第。
何がなるほどだ、ということをはっきりさせるには、この戦争の語彙を生活上の語彙で語ることを含めて、自分なりに考えて生きて、書いて行きたいと思います。

posted by CKP at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月12日

満開の桜の下の宗教学――夢だけど夢じゃなかった!

 いよいよ授業の開始。
火曜日の宗教学概論、開口一番「これだけ桜が満開だと、こんなところで講義を聴くよりお花見に行った方がいいですね」と口ばしる。
学生諸君は大きくうなずく。
私はちょっと傷つく。
が、負け惜しみで「実はお花見は宗教学になるんです」と言ってみる。
で、無理やり花見と宗教学をくっつけた。

 人間は、このまるで狂ったように咲く満開の桜を見れば、どうしたってその向こうに「桜の精霊」のようなものを考えずにはおれない。
カミのようなものの力を感じずにはいられない。
植物学的知識で桜の開花を説明できることはできるが、しかしそのメカニズムを動かす何かを考えずにはいられないのである。
いわゆるアニミズムである。
そして、その何かと一体になるために桜の下で宴が開かれる。
桜の精霊=スピリットに酔うのである。

 つまり、『となりのトトロ』でトトロからもらったどんぐりが月夜の晩にもくもくと大木に育ったような、そんな生命力に我々は酔いしれるのである。
それは「夢だけど、夢じゃなかった!」力なのである。

 桜の下をそぞろ歩いたり、また宴会をしたりしている人間の姿というのは、根っからの現象学者であるネコなどの目から見ると、ホント、不思議な光景だろうと思う。
いったい何に興奮しているのか、分からないであろう。
そんなことより吾輩たちは餌を探すのに忙しい。
が、そんなネコの世界にも不思議な季節の力が働き、「猫の恋」の季節となるのである。
この前まではうるさいおばさんとしか思っていなかったとなりのミケが、いきなり絶世の美女というか美猫に見えてしまうのはなにゆえか?――ということは考えず、ひたすら月夜の晩に野太い声でなくのであった。ニャーゴオ。
posted by CKP at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月10日

コペンハーゲン大学の学生が来学 4/11(水)17:00〜

 4月11日(水)にコペンハーゲン大学の学生が来学し、彼らにむけて宗教学のミニレクチャーが行われます。
(といっても、(藤)の友人関係から依頼された企画で、本学の行事ではありません。あくまでカジュアルな勉強会のような集まりです)
 
 みなコペンハーゲン大学で政治学を専攻する学部生で、今回は引率の先生とともに、春の日本を旅行して回っているとのことです。
 
 本学の学生の皆さんも、レクチャーの内容に興味がある人、他国の大学生と知り合いになりたい人、気軽に参加してみて下さい。

日時:4月11日(水)17:00〜(1時間〜1時間半程度)
場所:響流館演習室1
FUJIEDA Shin, "Religion and National Identity in Contemporary Japan"
使用言語は英語ですが、スライド、プリントを使用したレクチャーです。
posted by (藤) at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月08日

まことを求め道に生き・・・・福井県立武生高等学校校歌

 はじめに確認しておきます。
この「哲学科教員ブログ」は大谷大学哲学科教員が日々のよしなしごとを書き綴る共同ブログであります。

 さて、その大谷大学「哲学科教員ブログ」に、なにゆえ「福井県立武生高等学校校歌」が登場するのであるか。
私を「先生と呼ぶ子らが」、その高校におるわけではない。
そのようなことではなく、私の娘が先日我が母校武生高等学校に入学し、その入学式に父親として参加し、久しぶり(教育実習以来三十年ぶり)に体育館に入り、校歌を聞き「ああ、よい歌だなぁ」と涙ぐんだという話である。

 作詞はあの佐藤春夫先生(作曲は「椰子の実」の大中寅二)。
佐藤先生、校歌を依頼され、じっさいに遠路はるばる汽車を乗り継ぎ越前・武生を訪れて作詞なさったのであろう。
一番の歌詞の前半は、武生の「田舎ぶり」への驚きを素直にうたっておられる。
「都に遠く雲閉ざす 日野の盆地というなかれ」
なにせ『田園の憂鬱』の佐藤春夫先生である。
都に遠く雲とざしちゃったなぁ、と憂鬱の虫に取り付かれたのであろう。
しかし、「日野の盆地」に住んでいた当事者は、それほど「都に遠く雲閉ざす」と感じていたわけではない。
都から離れた田園の中に住んでおっても別に憂鬱になんかならないのであった。
都なんか知らないからね。

 しかし、そこはさすが佐藤春夫である。
「山河穢れず人さとく 若人の夢みな清し」
その「田舎ぶり」を逆手にとり「清し」でまとめられたわけである。
「うららぁ、かすな純朴な人間やさけの(私たちは、たいへん純朴な人間だからね)。」 

 が、4番の歌詞はすべての若人への言葉として胸を打つものがある。
「如何にか生くと人問わば 我は明朗自律の児
 まことを求め道に生き 世に尽くさんと答えまし」
ほんと、わが哲学科の科歌にしたいくらいのもんである。
まことを求めることが、そのまま道になっている。
真理から遠ざけられていると真理を求めるところで、すでに真理のうちにいるのである。

 我が半生を振り返れば、けっこう、この歌が心の奥底で響いていたような気がする。
「我は明朗自律の児 まことを求め道に生き 世に尽くさんと答えまし」
在校生の歌う校歌にあわせて、涙ぐみながら口ずさんでいたおじさんは私です。

 式の後の弦楽オーケストラそして吹奏楽部の演奏もなかなか感動的でした。
わが娘はこの校歌をどのように唄ってゆくのでしょうか。
posted by CKP at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月07日

すさまじき大風ふく日――『へいせい徒然草』

 弥生も過ぎ潅仏会も近きころ、京のみやこにすさまじき大風吹く日ありけり。
洛北の狐狸庵に仮住まいする浅草の法師、越前の法師と家路を辿らんとす。
冷たき雨よこさまにふきすさぶを恐れ、越前の法師、
「野分けのごときあめかぜなれば、タクシーにて帰るにしくなし」
といいけるに、浅草の法師、応えて曰く、
「我、幼きころより、などはしらねど、野分けの中を歩くをいたく好むなり。
すまじきあめかぜが吹けば、我が心、あやしく立ち騒ぐなり」
ゆえに二人の法師、あめかぜの中をつれだちて物狂いのごとく歩きにけり。
傘さすも用なすことあたわず。
加茂の川原と玄以の通り交わるところにて別れるころは、両人とも衣濡れそぼちにけり。
浅草の法師、つねには人の道のことわりを説くやんごとなき智者にありけるが、野分けのごときすさまじきあめかぜに、我を失いぬるか。
人のこころの奥山にはげにあやしき魔物の住みけるにか、と越前の法師いたく驚きぬ。
然れども、その話を聞きし法師ども、浅草の法師に付き従いぬる越前の法師がふるまいもいたく不可思議なるものなり、と皆でうちわらいき。
posted by CKP at 18:01| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月02日

『カーネーション』終わりました――辰巳琢郎「院長」の「男前」

 とうとう『カーネーション』が終わってしまいました。
先週は大学の仕事も寺の仕事もモーレツに忙しく、再放送もダイジェスト版もちらっと見ただけでした。

 先々週あたりから登場していた辰巳琢郎氏扮する「岸和田中央病院の院長」の不思議な「男前」な演技がよかったですね。

 いろんなアイデアにはすぐ乗るくせに、話がややこしくなると現場からそそくさと逃げる。
無責任と現場への信頼が微妙に交差していている。
しかし、現場は「ほんとに、もう!」とあきれながら、どんどん仕事を進める。
ということは、失敗したら院長が責任とってくれる、という暗黙の了解があるのだろう。
たしかに、この「男前」院長は、「よろしく頼む」という感じで逃げていた。
けっして「責任は現場で取れ」というような感じではなかったように思う。
このような人物が上にいると、組織の人たちはついついオヴァーアチーヴしてしまうことになる。
「やらされている」という感覚がない。
「ほな、よろしゅう」という逃げの挨拶は、「信頼されて任されている」という感じで受け止められている。
そして、その仕事の成功は現場の手柄となる。
ゆえに現場から「男前」と愛されているのだろう。
そのあたりの感覚を、辰巳琢郎氏の関西弁がうまく表現していました。
ぴったりの配役でした。

 辰巳クンはひょっとして学生時代もこんな感じで劇団を主宰していたのかな、と思って見ておりました。
伝説の「卒塔婆小町」ですね。

 私も2年だけでしたけど、ややこしい役職がやっと終わりました。
その終りに来て、この辰巳院長の見事な「男前」ぶりを見て、「こうゆうのは、メチャメチャむずかしいなぁ」と心底思いました。
私ぐらいの人間は、成功は自分の手柄に、失敗は他人のせいにしてしまいますから。
あんなに軽々と大きな病院を運営していくというのは、ホント、凄いことだなあ、と感心することができたのが、この2年間の仕事の功徳でありました。
posted by CKP at 18:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする