2012年02月25日

傘がない――春雨じゃ・・・

 今日、明日と大谷大学は大学院入試。
8時30分までに大学へ、とそぼ降る雨の中、出かける。
が、歩き出したとたん、傘が壊れる。
柄が折れて使い物にならない。
おお、これこそ、「傘がない」状態の到来である。
なんか、うれしくなる。

 行かなくちゃ、院入試に行かなくちゃ、雨の中を行かなくちゃ

というわけで、ちゃ、ちゃ、ちゃと降る春雨の中、月形半平太のごとく、濡れながら大学に向かったのであります。
エライ!

 思えば昔は雨の歌がいっぱいありました。
 
 まずはそのものズバリの「雨」そして「アカシアの雨が止むとき」「悲しき雨音」「雨に消えた初恋」「雨のバラード」「雨の御堂筋」「雨を見たかい」「たどり着いたらいつも雨降り」「長崎は今日も雨だった」・・・
posted by CKP at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月20日

不都合な事実に頬かむり――「秋入学」論議の不愉快

 東大の「秋入学」論議がなんとなく不愉快である。
だから、ついついこの前のブログでは否定的なことを書いた。
が、「秋入学」に否定的であるから不愉快なのではない。
それは確かに真剣に考えるべき問題ではある。
だからけっこうまじめに考えた。
それを書いてみて、不愉快の源泉はもっとほかにあることに気がついた。
今、このときに「よりグローバルに、よりタフに」を合言葉に「秋入学」論議をすべきなのだろうか――という問題である。

 東大は日本の中枢をになうべき人物を養成する役割を持った大学である。
だから、今の日本の状況をよく見定めて行動して欲しいと思う。
となれば、3.11以降とどのように向き合うかというのが喫緊の課題であろう。
政治家も官僚もそして科学者もなぜ原発問題にあのような対応しかできなかったのか?
「よりグローバル」を言うならば、世界からあきられるような対応しかできない日本の中枢を形成してしまったことへの反省からはじめるべきであろう。
「よりタフに」というならば、この災害にオタオタとしてしか対応できない人物を育成してしまったことを反省すべきであろう。
そのことを考えないと、今の問題を解決することもできないし、また同じ轍を踏むことになる。

 ひとり東大だけを責めるのは酷ではあるが、しかし、自分にとって不都合な事実と向き合うことは知性の基本である。
日本の最高学府を自負するのならば、自らの欠陥にも向き合う勇気を示してもらいたい。
それでこそ「よりタフ」ということである。
そもそも原発の暴走を招いてしまったのが、「危険である」という警鐘を「絶対安全」の枠の中に閉じこもり聞こえないことにしてしまったからである。
不都合な事実に頬かむりしてしまっていたのである。
その事実を見据え、そこから学のあり方を考え、提示すべきであろう。

 しかし、そのような「不都合な事実に頬かむり」という事実そのものにこれまた頬かむりして、「よりグローバルに、よりタフに」である。
それに対して経済界もけっこうはしゃいでいる。
原発問題を解決しないで、「秋入学」にしても留学生は来るのだろうか?
東大が理系・文系問わず全学の英知を結集して、原発の暴走を止め、除染を実行し、福島の生活をもとにも出せないまでも安心できるものに形成しなおすことができたら、世界から注目されるであろう。
東大が今このときに全学挙げて問うことは、このことだろうと思う。
そうゆうことをじつはきっちりやっていることを期待したい。

 しかし、全国の大学が「秋入学」問題に振り回されている。
それは違うだろうと思う。
今、なされるべきは、こうなってしまった文明にどう向き合うかを本気で考えることだと思う。
posted by CKP at 18:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月17日

今は、もう「秋入学」?――ちょっと待ってよ、おっかさん、背中の銀杏が困ってる

 どうゆう訳か、私の机の上にドンと届けられた東京大学の「学内広報」の「入学時期の在り方に関する懇談会 中間まとめ特集版」というのを読まねばならないハメとなった。
ムリョA4版56ページ!(本文編30ページ、資料編26ページ)。
これだけ議論したんだからねっ!という感じの圧倒的な量である。
(インターネットでも閲覧できます)
したがって、丁寧に拝読すれば「なるほど秋入学に移行すべきだな」と説得されるかな、と期待して読んだ。
合言葉は「よりグローバルに、よりタフに」。
が、残念ながら「なるほど」と説得されるには至らず、むしろ、なぜこれほどまでに「秋入学」に固執するのかという疑問が強くなるだけであった。

 今の大学の「不調」は自分たちの至らなさの結果というよりも、制度の不備のせいである、という他責的なロジックを展開する人間を「タフ」とは呼ばない、ということだけは、よく分かったが・・・

 要するに、1)「急激なグローバル化」に対応する「グローバル人材」を育成するために、留学生の送り出し、海外からの留学生の受け入れを促進していかねばならない。そのとき、日本の4月入学という「特異な状態」は、障害になっている。だから、入学時期を秋に移行すべき、ということである。
また2)そのことによって、学期の途中に長期休暇が入る今の学年歴も是正できる。
(この議論には少しあきれた。4〜9月の学期では、7・8月が夏休みになって、学期中に長期休暇があってまずい、とおっしゃっておられる。そんなもの、7月いっぱい授業して8・9月を長期休暇にすればすむ事である。)
また3)4月から9月をギャップ・イヤーとして、受験準備の「受動的な学び」から「主体的・能動的な学び」への「インパクトのある体験を付与」する期間として活用できる。
そのようにしてグローバルでタフな学生が育つのである。

 このような未来が、なんらの社会的コスト負担もなく実現できるのなら、それもいいかな、と思う。
それで、欧米や中国の大学と同じ時期の入学時期になればいろいろと便利である。
めでたい。
しかし、教員生活も先が見えてきた私などは、春入学と秋入学の学生が混在する数年間の移行期間のことを思うと、カンベンして欲しいと思う。
いったいどんなカリキュラムになるのか、と考えると気が遠くなのである。
事務的にもややこしいことがいっぱい起こってくるのが予想される。
教員養成系の大学の教員・職員の方々などは、そんなことを考え出したら、血圧が急激に上がって卒倒なさるのではないか?
社会のあちこちで同じような不具合を処理せねばならないだろう。

 東大の先生方にしても同じだろうと思う。
その移行期間の間、どのように研究の質を維持していかれるのだろうか?
どんな授業を展開されるのであろうか。
しかし、「中間まとめ」は、そのようなデメリットに勝るメリットがあると判断しているようである。
というか、移行期間の具体的な困難への言及はない。
そのような愚痴を言う輩には「短期的な得失に囚われない、中長期的な視野に立った幅広い議論が加速されることを期待している」と釘をさしている。
「短期的な得失に囚われ」ている私は、すみませんと言うしかない。
(が、グローバル、グローバル連呼の嵐は「中長期的」に続くのであろうか?)

 しかし、100歩ゆずって、中長期的な視野でこの「中間まとめ」を読んでみて、本当に秋入学にすればほんとうに東京大学が育てたいと思っている「グローバル人材」が育つのか?と思わざるを得ない、というのも正直なところです。
(「グローバル人材」なんて必要ない!ソニーやホンダは自分たちの基準を世界基準にしたではないか、最初から世界基準に合わせるということが既に負けに入っているんだ!という問題は、今は考えないとして・・・)

 というのは、現在の学生の「内向き志向」を例証する資料を読むと、確かに今の日本人学生が「内向き」なのは分かるが、しかし、それは入学時期とは関係ないことも見て取れるからである。

「日本人学生の実態」@(海外留学)という【資料16】には3つの図表が示されている(「グローバル人材育成推進会議」という会議がつくった資料だそうです)。

まず、1)「日本人の海外留学者数」というグラフでは、1990年ごろからグイグイ上昇してきた日本人の海外留学者の数が、2005年頃から減少に転じていること、またアメリカ留学者の数が2002年から減少していることが示されている。
ゆえに日本人学生は「内向き」でしょ、という資料だ。
しかし、それまでは入学時期に関係なくグイグイ増えていたのはなぜ?と問わずにはいられない。
「内向き」の原因は入学の時期ではないのでは?と問わずにはいられないのである。

次に、2)「国(地域)別 学生の海外派遣者の推移」というグラフでは、日本が少しずつ減少している事実が示され、極端な上昇の中国と対称的な傾向が示されている。
そして、3)「アメリカの大学で博士学位を取得した外国人の国別数(2007年)」という表では、一位の中国の5002人に比べ、日本は7位330人で大きく負けているのが示されている。
中国と日本を比較しながら見ると、「ああ、日本は内向きだ。やっぱり秋入学の中国は留学にも積極的だ」という読み方ができる。

 ところが、2)のグラフをよく見ると、2001年ごろは日本と同じくらいの派遣者数であったインドと韓国が、この10年のあいだ着実に派遣者数を増やしているのである。
インドは4月入学で日本と同じ入学時期。
韓国は3月の入学。
つまり両方とも「春入学」の国である。

 また、3)のアメリカでの学位取得の2位はインドの2228人、3位は韓国の1529人。
つまり、春入学のインドと韓国からの留学生が、秋入学の中国に次いでアメリカでドクターになっているのである。
この事実から、入学時期がずれていても留学するものは留学し、入学時期が一致していても留学しない者はしない、ということが見て取れる。
春入学のインドや韓国の学生は、同じ春入学の日本よりアメリカ留学を目指すのである。
入学時期の一致はあまり重要な要素ではないということであろう。
結局、「留学時期の一致は海外からの留学を促進する」という期待も、留学時期の同じインドや韓国の学生が日本を跳び越してアメリカ留学する、という事実の前に沈黙せざるを得ない。

 だから、秋入学が簡単に実現できればそれはそれでめでたいことだとは思うが、いろんな社会的混乱を引き起こしながら実行すべきことかどうか、と問われれば、その前にすべきことはいくらでもあるだろう、答えたくなる。

 たとえば留学奨学金の充実(円高の今日、海外からの留学にはまず円立ての奨学金であろう。)
また、海外で勉強しよう、という意欲をアップする教育。
たとえば、英語の授業(アメリカのレベルの低いジョークも甘受せねばなるまいて)。
さらに、根本的には、マークシートの入試のあり方を変える、あたりから手をつけるべきであろう。
センター試験で物事を5択でしか考えられない人間を育てておいて、さあ、海外で揉まれて来い!というのはムチャである。
だから、もしどうしても秋入学にするというのならば、大学入試を高校卒業以降にして、じっくり考え、きちんとその考えを表現するという入試をすべきであろう。
そうすれば、高校も3学年の3学期までじっくり授業できるし、大学も落ち着いた入試ができる。
学ぶ力もグンと上がるに違いない。
また、大学も4学年の7月卒業でそれまでじっくり学んで、8月から就職活動解禁ということになれば、大学での学びも確かなものになるであろう。
これを全国の大学・企業が一斉にするというなら、少しぐらいの混乱は甘受しよう、と私も思う。

 ところが、「中間まとめ」は「受験競争を長期化する」(東大だけが受験時期を遅らせれば)「他大学に入学した者が本学を受験し直す動きを生ずる」という理由で、「本学としては入試日程をいたずらに遅らせることは適当でなく、少なくとも前期日程試験については現行日程を維持する方向で検討するのが妥当」としている。
「秋入学」で先陣を切るならば、受験時期また入試方法でも先陣を切る、と言って欲しいところであるが、なぜか、これについては及び腰なのである。

 その一方、「インパクトのある体験を付与する」ギップ・イヤーにはえらく乗り気なのである。
その一、知的な冒険・挑戦をする(学術俯瞰プログラムや研究室体験プログラムなどなど)
その二、社会体験を通じて視野を広げる(ボランティアなどの社会貢献活動、国際交流体験などなど)
その三、大学での学びに向けた基礎をつくる(補習プログラム、体力増進・運動プログラムなどなど、驚きの「外国人学生を対象とする日本語・日本文化理解のプログラム」もある←なんのための秋入学なのでしょう?これは今のほうがやりやすい!)

 これらは「全てを当事者の自己責任に委ねることには無理があろう。このため質の高い体験を積むことのできるよう、当事者の発達段階を踏まえて直接・間接の支援を行う」ということが述べられている。
結局、指導するのである。
誰が責任もって指導するのかなと思っていたら、「非営利団体」(「体験活動推進機構」(仮称))というのが登場してきた。
誰が理事になるのでしょうか?事務は誰がとるのでしょうか?文部科学省の天下りは排除するのでしょうか?
せっかくのギャップ・イヤーも結局なんだかんだと埋められてしまうのである。
いいじゃないですか!
若いときの半年くらいの無為な時間というの。
ボーっと本を読みふけるのもよし。
バンドでわいわいやるのもよし
ふらりと旅行に行くのもよし。
どこかに語学留学するのもよし。
ボランティアに行くのもよし。
家の商売を手伝うのもよし。
アルバイトして資金をためるのもよし。
4・5月に入試をして、後は少し休め、元気が出たら何かしろ、でいいと思う。
一浪ならぬ「半浪」である。
半年ぐらいボーっとしていてつぶれる人間をタフとは言わない。
 
 というわけで、今までどおりの入試をして、4月から9月のギャップ・イヤーは「体験活動支援機構」なる団体の指導を受け、秋に入学して・・・という未来図で、東大総長がおっしゃる「よりグローバルに、よりタフに」活躍していく学生が育つかどうか、よそごとながら「?」なのである。
それよりも、他にやることがいっぱいあって、なぜ秋入学が最優先なのか「?」なのである。

 というか、<グローバル基準に入学時期を合わせないと「よりグローバルに、よりタフに」なれないよ>という発想そのものが、えらくローカルで気弱な発想に思えるのである。
学生にしても、大学にしても、今の「不調」の原因を自分たちの能力の不調に見出すのはつらいことである。
それよりも制度が悪いから、今の自分たちが不調である、という論理のほうが受容しやすい。
つまり、自分たちは変わらず外側を変えればいい、ということなのである。
タフというのは、まずは自分を変えるハード・ボイルドな生き方を言う。
自分たちが悪いんじゃない、制度が悪いんです、というような泣き言を言う奴らに「タフ」なんて言葉を使って欲しくない。

やはり「背中の銀杏は泣いている」のかもしれない。
posted by CKP at 15:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月12日

雪に埋もれて春を待つ――越前の寺の冬物語

 2月に入ると、とたんに越前の寒村の寺は暇になる。
寺の行事もないし、檀家さんでのご法事もない。
が、人は亡くなる。
檀家さんではないが、近所の97歳になるお婆さんが亡くなった。
いつも寺の行事のときにはお参りしていてくださった方なので、昨日お悔やみに行った。

 阿弥陀経をお勤めして、息子さん(といっても70歳を過ぎておられるが)とお話しする。
大正3年生まれのそのお婆さんは、長野県の出身であることをはじめて知った。
昭和のはじめ、長野県の寒村から女工さんとして鯖江の機織り工場に多くの仲間とやってきたのだそうだ。
満州に行くか、越前に行くかという選択だったのだろうか?
おそらく15歳前後だろう。
どんな思いで、越前にやってきたのだろう。
昭和30年代半ばごろまで、となりの鯖江市には多くの機織りの工場があった。
トヨタの織機などの機械化が進まないころは、多くの女工さんが働いていたのだろう。
乾いた長野から湿った北陸はどのように感じられたのだろう。
長野からの女工さんの多くはいつしか故郷に帰ったが、そのお婆さんを含めて少数が越前にとどまったという。
どのような一生だったのだろう、そんなことを思いました。

 日曜日には、裁判所から連絡があった方がお参りに見えた。
ひき逃げをしてしまった青年が被害者のお墓参りをさせてください、ということで寺を訪ねてこられたのである。
「どこから入ったらいいのでしょう?」
と電話をしてこられたが、どうも要領を得ない。
よくよく聞いてみると、芦原にある同じ名前のお寺の前におられる。
列車で芦原から武生に移動していただく。
駅からわが寺は遠いのでクルマで迎えに行く。
会ってみればなかなかの好青年である。
どんな経緯で「ひき逃げ」になってしまったのかは聞かなかった。
寺の総墳にお骨が納まっている被害者は天涯孤独の方なので、寺での永代経でお参りする以外は誰もお参りをする人はいない。
墓地の一番奥にある総墳まで雪をかき分けやっとこさ到着してお参りする。
これを一区切りとして、また人生をやり直してもらえば、雪の中でお経をあげた甲斐もあるというものである。

 夜は、町内の西垣班の新年会。
一軒二人の出席です。
今年はうちが新年会の幹事であります。
ジャンボタクシーを呼んで、魚屋さん料亭へ出かけます。
では!
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2012年02月08日

音楽だって装いたい!――音楽の贈り物

 げっ!
京都駅地下の十字屋のCDショップが閉店してしまっている。
越前に帰るとき、CDショップでひとしきりうろうろしてサンダーバードに乗るのが、私の唯一の楽しみである。
これから何を楽しみに生きていけばいいんだろう?
(これからは、四条で地下鉄降りて、四条店で道草します、わりと簡単に解決、メデタシ、メデタシ。)

 確かに、みんなアマゾンで購入するようになったからね。
街のCDショップは大変です。
そのうえ最近は流行歌のみならずクラシックでも「ダウン・ロード」というのが流行り出したから、いよいよパッケージされたメディアの影が薄くなりつつある。
そのうち、レコードばかりかCDも消えてしまうのでしょうか?
「ダウン・ロード」というのを信用していないオジサンは不安です。

 なぜ信用していないか?
オジサンたちはレコードとかクルマとか、回るものが大好きということもある。
しかし、それ以上に、音楽がデジタル・データとして裸のままで届くというのがうまく想像できないからです。
私たちの世代の音楽体験は、LPレコード体験です。
それは、ボール紙で作られたジャケットに収まった直径30センチのビニール板に音溝がプレスされたものでした。
そのとき、その音楽の質というのも大事でしたが、ボール紙のカバー・ジャケットも大事でした。
私たちには、ビートルズの4人が横断歩道を歩くアルバム・ジャケット抜きの『アビイ・ロード』などは考えられません。
タイト・スカートにハイヒールというジャケット写真のないソニー・クラークの『クール・ストラッティン』なんて想像できません。
いぶし金(?)の下地に演奏するグールドのイラストがちりばめられているジャケット無しの『ゴールドベルク変奏曲』も有り得ません。

 今から思えば、当時の録音機材というのは原始的なものだっただろうと素人ながら思います。
それを再生する技術も今のに比べると幼稚なものであったかもしれません。
しかし、この音楽をぜひとも多くの人たちに届けたいというさまざまな人たちの願いは、今では考えられないくらい熱かったのではないでしょうか?
原始的な録音機器を工夫してさまざまな音が作られていました。
そしてその音にふさわしいイラストや写真がジャケットを彩りました。
また聴くほうも、レコードがすりきれるくらい、またボール紙のジャケットにレコードの丸い跡がつくくらい棚から出し入れして何度も何度も聴いたものです。

 CDになってジャケットも小さくなり、魅力的なジャケットはぐっと少なくなりました。
とくにジャズとかクラシックでは、ただ演奏者の写真を貼り付けただけというのが多くなりました。
50年代、60年代のLP創世記のあの「Hi-Fi」とか「←STEREO→」とか印刷してあるジャケットの「熱さ」を感じるものは、もうほとんどありません。
録音が容易になっただけ、安易な作品が多くなったような気がします。

 ダウン・ロードの時代になれば、もうジャケットの心配は要りません。
音楽そのものに集中できます――が、なんだかいきなり裸のまま贈り物が届けられたような味気ない作品になってしまうような気がします。
この作品を是非あなたに届けたい――そんな気持ちが見えなくなってしまう気がするのです。
レコード屋やCDショップで、あちらから目配せしてくる音楽との初対面という機会がなくなってしまうのではないでしょうか?
いわゆる「ジャケット買い」です。
このジャケットいかしてる!どんな音だろうか?とドキドキしてレコードに針を降ろすという楽しみがなくなってしまうのです。

 CDとかLPは確かにその音楽を売り物にする商品ではあったけれども、しかし、「ぜひともあなたに届けたい」という贈与的思いは、そのジャケットに表現されていたように思うのです。
そのようなジャケットが無駄つまり使用価値のないものとして消滅してしまうならば、もともと使用価値では計れない音楽そのものも廃れてしまうような気がします。
その音楽が使用価値が高いからレコードの値段が高い、ということはありませんでした。
どんな音楽でもLP2,500円。
考えてみたら不思議です。
カラヤンの振るベルリン・フィルとはっぴぃえんどのLPが同じ値段というのは、よく考えてみるとおかしいのです(これは紙の本でもいえますね)。

 つまり、音楽作品とか文学作品は、作者とそれを届けようとする人たちからの贈り物だったのです。

あの「賢者の贈り物」のように使用価値という点から言えば何の価値もないけれど、私たちの生活を豊かにしてくれる贈り物。

夫は大切な金時計を売り、妻に美しい櫛を贈りました。
妻は大切な自分の髪を切って売り、夫に時計の鎖を贈りました。
完全に使用価値のないものを二人は贈り受け取ったわけですが、それだからこそ二人は幸せになれたのでした。

 私たちに届けられる音楽がそのような贈り物であり続けるにはどうしたらよいのでしょう。
が、その前に、皆さん、2月14日、いくらでも贈り物受け付けますよ。
ハイ。

posted by CKP at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月06日

身体の力――ザ・タイガース揃い組みに想う(55歳以上のオバサン・オジサン限定)

 ジュリーこと沢田研二の武道館コンサートの最終日、解散時のザ・タイガース5人がそろってステージに立ったという。
沢田研二、森本太郎(タロー)、岸部一徳(サリー)そして昨年長い長いブランクをまたいで再参加した瞳みのる(ピー)の面々に加えて、兄の一徳氏に支えられて岸部シロー氏も病気のおぼつかない身体でステージに立ち、「若葉の頃」(@ビージーズ)を唄ったという。
さぞかし会場にはオバサン・オジサンたちが感涙をすする音が響いたことであろう。
ジュルジュル、ジュルジュル。
また、もう一人のオリジナル・メンバー加橋かつみ(トッポ)氏への呼びかけもあったという。
 
 バラバラであったタイガースの面々が再び集まるというのには、バンド再結成よかったね、というのとは違った別の感慨がある。
何かの都合や行き違いで疎遠になってしまった昔の仲間との再会。
そして、昔を懐かしく思い出すと共に、これからの老境をどのように生きてゆくかの覚悟の交換。
そんな趣があるのではないだろうか。

 身体がうまく動かない岸部シロー氏。
瞳みのる氏も二年前に脳溢血で倒れたという。
そのような身体の不調には、自身に健康の「有り難さ」を教える力と同時に、元気だったころの友を呼ぶ、そんな力があるのではないだろうか?
若いときの考え方の違いはサテ置いて、お互いの身体を気遣う。
そのような形で、身体の不具合は昔の仲間を呼び寄せるのではないか。

 かく言う私も昨日、昨年暮れに病に倒れた友人の顔を見に行ってきた。
一昨年の高校の同窓会以来交流が復活した友人である。
退院して元気そうであるが、病気のことが頭から離れないと言う。
そりゃそうだ、死にかけたんだから。

 そんな彼の様子を、別の友人が心配してメールが届く。
そのメールをくれた友人も卒業以来行き来が途絶えていた高校時代の友人である。
また、別の友人からも心配するメールが届く。
その友人は10年ほど前に癌の手術をしたことも告げてきた。
しかし、彼らは今は遠くの街で暮らしている。
というわけで私が代表して顔を見に出かけたというわけである。

 こりゃ、夏ぐらいにザ・タイガースのように、再会して復活コンサートならぬ身体不具合自慢大会をせねばなるまいね。
俺はこのごろキレが悪いだの、左半身がしびれるだの、動悸がするだの・・・・
こういうときにいちばん偉いのは「俺は死に掛けたんだぜ」という言える人物なのであろうか?
それとも、まったく元気という人間なのであろうか?

 いずれにせよ、初老の身体の不具合は友を再び集めるのだった。
人間、アタマだけで生きているわけではない。

posted by CKP at 18:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月02日

「総書記」ってこれのこと?――組織は小ぶりなほうがよい

 昨日は教授会のあと学科主任会議。
各学科から提出された来年度からの教育における工夫を大学全体としてまとめる会議。
それぞれの学科の先生方が年度末の忙しい中いろいろと話し合って文章化されてきたものであるからそれぞれ力が入っている。
しかし、予算が確保されていないものは、来年すぐに実行というわけにはいかない。
また、全体の方針と齟齬するものは再考していただかなくてはならない。
また、最終的に、それぞれの学科はどんな方針?というようなことを、教員・事務職員全体で確認するので、文章の体裁も整えなくてはならない。
「それぞれ待ちかえり、今月中に再提出していただいて、表現などは個別に相談しながらまとめましょう」と1時間半の会議を終了。

 終了して、帰り道を辿りながら思ったのである。
こうゆう仕事が本来の「総書記」の仕事ではなかったか、と。
それぞれの現場の方針を纏め上げ、全体の方針として全体に周知する―これが本来の「総書記」ではなかったか?

 「総書記」あるいは「書記長」( 英語ではどちらもGeneral secretary)という役職呼称はロシアの共産党から始まったらしい。
プロレタリアートの意見をまとめ上げる、という気持ちだったのであろう。
しかし、いつしか「独裁者じゃないよ、総書記でしかないよ」と独裁者の隠れ蓑に使われ出して今日に至っている。
本来、いちばん民主的であるはずの共産党の「まとめ役」でしかない「総書記」が、なぜ「あんな」独裁者になってしまうのだろうか?
昨日、そういう仕事をやってその理由が分かるような気がした。

 というのは、10人×10グループぐらいの規模の意見をまとめるときでさえ、けっこう大変なのである。
これは認めるわけにはいかない、というようなことがあるのである。
これが積み重なると「恨み」をかうだろうな、と思う。
ましてやロシアや中国などという広大な地域のプロレタリアートの意見などまとまるわけがない。
ゆえに「こういう風にまとめたからね」という形で一方的に方針を出さざるを得ない。
となると、俺たちの方針はどうなるのか!という声がくすぶってくる。
そして、熾烈な権力闘争ということになる。
平等・民主的であるからこそ、方針をめぐる権力闘争が熾烈になり、トップに立てば独裁者となるということである。
「総書記」に一定の権限があれば問題がないのだろう。
しかし、理念的には「総書記」は単なる「まとめ役」であるから権限はない。
(だから、中国では書記「長」ではなく総書記としたのだろう。)
かように権限がないからこそ、その地位を維持するのは難しい。
しかし、権力闘争は熾烈である。
したがって、スパイが入り乱れ、「人民の敵」が「発見」され粛清の嵐となるのである。
そうして、どんどん下部から上がってくる意見は「統一」されてくる。

 なるほどな、と妙に感心してしまった(というようなことを言っている場合じゃありませんが)。

 そのような「平等・民主的」よりも、私はこっちの方針、わしはこっちのやり方、という人が何人か出てきて公明正大に選挙したほうが、明るい権力闘争になるのだな、とは思う。
が、そこにはそれ、「自分の利益さえ確保できれば」という欲望が突っ走りやすい場であるから、これも問題であるなぁ、と人びとが共に生きてゆくことの難しさを痛感したのでありました。

 ま、当座の結論としては、あまり大きい組織というのは不満の量も大きくなるから、組織というのは小ぶりのほうがよいということでしょうか。
posted by CKP at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする