2011年12月30日

「あたり前田のクラッカー」――暮れの忙しいのに『昭和語広辞苑』

 60歳前後のおじさんが会話しているときに、
「明日、忘年会ゆくの?」
「あたり前田のクラッカー」
「あ、そう、じゃオレも付き合おうか」
と、「あたり前田のクラッカー」というフレーズがまったく「あたり前田のクラッカー」的に使用されている場面に遭遇したことがないだろうか?

 私なんぞも多用するフレーズである。
お若い方々はご存知ないであろう。
知らなくて当然。
知らなくても人生送れます。

 が、60歳前後の、小学生のころの白黒テレビの『てなもんや三度笠』という番組にかじりついた世代には、お互いの生い立ちを確認する大切なフレーズなのである。
この番組のスポンサー「前田製菓」の、その当時としてはハイカラなクラッカー「前田のクラッカー」を「あたり前だ」というフレーズに掛けた「掛詞」なのであった。
掛詞は和歌にも見られるが、このフレーズはそれよりも歌舞伎の「人の心は白波の」とか「どうとりとめてか木更津の」などの掛詞の流れを汲んでいるのであろう。
また、「恐れ入谷の鬼子母神」とか「その手は桑名の焼き蛤」が歌舞伎のせりふなのか、単なる流行語なのか調べがつかなかったが、こちらの影響も強い。

 ちょうど同じころ、「恐れイリヤのクリヤキン」という掛詞も流行った。
これは『0011ナポレオン・ソロ』というテレビの連続スパイ映画のデビット・マッカラム演ずる諜報部員「イリヤ・クリヤキン」と「恐れ入りました」を掛けたものである。
これは「恐れ入谷の鬼子母神」のバリエーションであるのは一目瞭然であるが、その後、デビット・マッカラムの人気がいまひとつであったので廃れてしまったのであろう。

 逆に言えば「当たり前田のクラッカー」がいまだにおじさんたちに愛用されるのは、このフレーズを決め台詞にしていた藤田まことのその後の活躍が大きいということであろう。
しかし、何よりも、テレビのコマーシャルでしか知らなかった「前田のクラッカー」をはじめて食べたときのしょっぱくてかりっとしていて香ばしい味覚が忘れがたい思い出となっているからであろう。
(プリッツとかポッキーなどとは比べ物にならないくらい感動したのである。)

偉大なり、前田製菓!
永遠なり、前田のクラッカー!

 前田製菓になんか義理でもあるのか、といぶかる読者もおられるであろう。
はい、あるのです。
だから、暮れの忙しいのにエントリーしているのであります。
前田製菓は永遠です!
元気でね、前田さん!

 というわけで、今年は『昭和語広辞苑』で店じまいです。
恒例の「今年のベスト3」は、年が明けてからエントリーしたいと思います。
まだ、年賀状も残ってるし、本堂の掃除も終わってないし・・・
このままでは年が越せない・・・・
しかし、皆様は良いお年を!
ホント、穏やかな年にしたいですね。

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2011年12月26日

「コーヒー・ルンバ」に癒される――小野リサさんの「さしすせそ」

 久しぶりのCD店で目にとまった小野リサさんの『ジャポン』というアルバムに「コーヒー・ルンバ」が収録されているのを見つけた。
わたしは「コーヒー・ルンバ」に歌われる「恋を忘れたあわれな男」というのではないけれど、ここのところ自分の能力を超えた仕事にへとへとになっていた「あわれな男」状態であった。
それで、まるで魅入られたようにふらふらとそのアルバムを買ってしまった。
すると小野リサさんは、「コーヒー・ルンバ」の昔の「アラブのえらいお坊さん」のように、疲れた私に「やがて心がうきうき」となるような素敵な歌たちを届けてくれたのであった。

 というのは、収録されている曲が、おじさんが涙なくしては聴けない「昭和の名曲」なのであります。
一曲目は、なんと水原弘の「黄昏のビギン」。
中村八大、永六輔、水原弘のゴールデン・トリオ(ってなことを言われてもお若い方は何のことやら・・・・。知らなくていいんです。知ってる方がおかしい)。
その他、ジェリー・藤尾、ビリー・バンバン、ユーミン、井上陽水らの昭和の名曲が続き、最後は、これまた永六輔作詞の「見上げてごらん夜の星を」。

 この曲を小野リサさんの歌で聴きながら「ささやかなしあわせ」という言葉に、ほんとにしあわせな気分になれました。
というのは、小野さんの発音で聴くと、「ささやかなしあわせ」というフレーズに4つも使われているサ行の音がとてもやさしく響くのです。
摩擦音ではありますが、とてもやわらかい触れ合いの音として聞こえるのです。
なんだか人と人が相手を思いやりながらおずおずと手を差し伸べる、そんな感じに聞こえるのです。

 そんな形で人と人とが繋がっていけば、みんな、「ささやかなしあわせ」に微笑むことができるのだな、と思い、思わず空を見上げるおじさんの年の暮れでありました。
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2011年12月08日

お婆さんのキス――蓮岡修さんのアフガニスタンから絵本への祝福の道

 昨日、京都の絵本屋「きんだあらんど」店主・蓮岡修さんのご講演を拝聴した(大谷大学「“人権問題を共に考えよう”全学学習会」講演タイトル「人権――絵本を通して見えてくるもの」)。

 蓮岡さんといえば、「医者、井戸を掘る」の中村哲さんとアフガニスタンで井戸を掘っていた人だ。
今は京都で絵本屋の店主をしながら、石巻の子どもたちに絵本を届ける活動しておられる。
戦争の絶えないアフガニスタンと絵本がどのように結びつくのか?

 蓮岡さんは大谷大学の2回生のとき、アフガニスタンに行った。
バーの店長をしながら貯めた7万円を握りしめ、パキスタンからシングルビザで内戦中のアフガニスタンに入ったという。
つまり片道キップで入国したのである。
伝説の司令官マスードに会いたかったという。
バブルの日本では充たされない何か、リアルな何かに対する焼け付くような渇きを充たすようにして、アフガニスタンの兵士の群れに飛び込んだのである。
内戦は続いている。
そして、わずか数週間でムジャヒディン(イスラム聖戦士)と呼ばれるようになってゆく。
ほとんど自殺行為である。
しかし、あるとき兵士の家に招かれ歓待を受け、その家を辞するときそこのお婆さんからキスをされ抱きしめられて言葉をかけられた。
言葉は分からなかったけど「あなたはなんでここまで来て戦ってるの?」というように聞こえたという。
そのとたん、急に戦争の真っ只中にいることが怖くなり、翌日部隊を抜け出し一日のうちにカブールからイランのイスラマバードへと逃げたという。

蓮岡さんは、このことが、絵本の世界に生きることにつながっていると、注釈を入れておられた。
私は、お話全体を聞いた後も、即座にこの話と絵本の話がつながらなかった。

さてさて話は、まだまだ続いた。
その後の話も、もっともっとお聞きしたいことばかりであった。
大学を終えた後、いったん就職したものの、その仕事のむなしさからやはりもう一度アフガニスタンに渡り、中村哲医師と井戸掘りをした話。
バーミアンの石仏を守るためにならお金を出すユネスコや仏教団体の話(旱魃には知らん顔だったのに)。
内戦のアフガニスタンでの井戸掘り活動に対して欧米の平和団体から「公正性」に関して批判される話。
アフガニスタンの物乞いをしている戦争孤児たちが、日本人が描いた絵本『せかいいちうつくしいぼくの村』をくいいるように読んでいた話。
『さいごのこいぬ』を読んでもらうと子供たちが安心する話。
「平和」とは隣の人に挨拶することだという話。
夕日に祈るムスリムから「自分たちはすでに救われている」と聞いて、アッラーの存在を確信する話・・・
などなどなどなど・・・・
もっと聞きたい話のダイヤモンドの原石がごろごろあちらこちらに散らばっているような講演であった。

 最後に紹介された『おつきさまこんばんは』は、うちの子どもたちが小さいころよく読んだなぁ、『くつくつあるけ』(だったか)も・・・などと考えながら家路を辿った。
お母さんに『ふしぎなたいこ』を読み聞かせてもらったという松沢哲郎先生のエッセイも思い出した。
そして、そういうことかと思い当たった。

 おそらく、アフガニスタンから絵本への道の一つは、あのおばあさんのキスによって、あなたの命は願われているという実感がもたらされて拓かれたのだと思う。
お母さんや誰かが、子どもに絵本を読み聞かせること――それはその子どもの命を祝福すること。
井戸掘りの支援も、絵本を読み聞かせることも、共に命を祝福することなのだ――私は蓮岡さんのお話をそのように聞いた。
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2011年12月05日

人生に「録画」とか「早送り」はない――大谷大学・実習懇談会「実習における学びと育ち」に参加して

 先週の土曜日、大谷大学・大谷大学短期大学部の「実習懇談会」に参加した。
幼稚園での教育実習、保育園での保育実習、社会福祉施設での社会福祉援助技術現場実習で学生がお世話になった各施設の先生方をお招きしてのいわば相互の反省会である。
わたしはそのうちの第一部に出席した。
実際に実習してきた学生諸君の代表3名の発表とそれに対する現場の先生方のコメントをお聴きした。

 保育園、幼稚園そして知的障害者施設での実習で、それぞれの学生が、最初は戸惑いながらもしだいに人と共に育つということを確実に学んできたことがよく伝わる発表であった。
もちろん、まだまだ「一人前」にはほど遠い。
うまくいかないことの前に呆然とする様子が報告されていた。
しかし、学生自身の「まだまだ一人前でない」という自覚が、現場での確かな学びを明らかにしていた。
現場の先生方は、そのような自覚を評価してくださっていたようだ。

 それらの発表を聞きながら、また現場の先生方のコメントを聞きながら、当たり前のことだけど、人生には「録画」とか「早送り」はないんだな、という思いを強くした。

 今はチョット忙しいから「録画」して後で見よう(めったに見ないが)。
テレビの番組は、そのように録画される。
しかし、生きる「現場」はそうは行かない。
今、そこで必要なケアは、今そこでなされなければならない。
そして、幼児なら幼児の生活リズムに合わせた対応をせねばならない。
「録画」して後で見ながら、適当に「早送り」というわけにはいかないのである。

 こんなことは当たり前である。
当たり前だのクラッカーなのであるが、しかし、どうもこのごろは自分も含めて、ややこしいことは、録画しておいて後で誰かが解決してくれるのでは、という生活態度が「習い性」になりつつあるような気がしてならない。
目の前の小さな問題よりも大切なことがある、そんな思いに急き立てられているのだろうか。
子どもはそんな大人の勝手を見抜いて、必ずそんなときに病気になったり問題を起こしたりする。
ほんとに、何がそんなに忙しいんだ――と、自戒をこめて問いたくなる。
今は忙しいから、その問題はあとで解決するからね・・・後でまとめて一発逆転的に解決できる。
そんな根拠のない期待によって、どんどん問題を先送りしてしまう。
「今ここ」がいつでも再生できる、という感覚が染み付いてしまっているのに、自分でも愕然とする。

 そんな自分を反省する「実習懇談会」でした。
もう一度「波に向かって叫んでみても、もう帰らない、あの夏の日」という「想いでの渚」を唄わねばと思ったのでありました。
posted by CKP at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月02日

楽興のとき――小澤征爾×村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』

 作家・村上春樹が指揮者・小澤征爾に音楽についてインタビューする『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮社)という375ページを、一気に気持ちよく読んで、とっても幸せな時をすごすことができた。

 前半はグレン・グールドとかレナード・バーンスタインとかカラヤンとか20世紀を代表するクラシック音楽家を小澤氏が間近で見ていた話が中心。
しかし「ホラ、このへんピアノとオーケストラが合ってないでしょ?」という感じの演奏の細かい分析もあって、そのあたりのレコードを聴いてないと、ひょっとしたらあまりピンとこないひとがいるかも知れない。

しかし、中盤あたりから、小澤氏が「斉藤秀雄先生」や「カラヤン先生」からどのように音楽を創造することを学んだか、そしてじっさいに小澤氏がいろんなオーケストラと、とりわけ若い人たちとどうやって音楽を創造していったか、あるいはマーラーの音楽がどれだけヘンテコでありその音楽を演奏するというのはどういうことなのか、を村上春樹がぐいぐい聴きだしてゆき、音楽の沸き起こる現場に立ち会っている幸福にどっぷりつかることができる。

 その幸福かどこから来るかと言えば、二人の音楽へのスタンスがとってもやさしいからであろう。
村上春樹は「始めに」というプレリュード的な部分で次のように書く。

「ジャズとクラシック音楽を交互に聴くことは昔も今も、僕のハートとマインドにとってとっても有効な刺激に(あるいはまた安らぎに)なっている。どちらかひとつだけしか聴いてはいけないと言われたら、どちらをとるにせよ、ずいぶん淋しい人生になってしまうだろう。デューク・エリントンが言っているように、世の中には「素敵な音楽」と「それほど素敵じゃない音楽」という二種類の音楽しかないのであって、ジャズであろうがクラシック音楽であろうが、そこのところは原理的にはまったく同じことだ。「素敵な音楽」を聴くことによって与えられる純粋な喜びは、ジャンルを超えたところに存在している。」(11〜12ページ)

「素敵な音楽」と「それほど素敵じゃない音楽」という分類。
シカゴにいるときは、そうとう危ない場所にブルースを聴きに行っていたという小澤氏も音楽をこのように分類しているのだろう。
しかし、「くだらない音楽」とか「つまらない音楽」というような音楽は彼らにはない。
そのような言葉を音楽に関しては彼らは発しないのである。
「う〜ん、これはちょっとなぁ・・」と思ったとき、「それほど素敵じゃないね」と言えるって、すごいな、やさしいなと思う。
そのようなスタンスで語られる音楽についての会話だから、音楽への愛情がこちらへも伝わってきて、幸せな時間を持てるのだろうと思う。

 そしてまた、そのような時間が開かれるのは、村上春樹がこのインタビューを自分でテープ起こしをして、そして音楽の会話にふさわしい文章に仕立てているということもあるのだろう。
単なるインタビュー記事ではないのである。

 「インターリュード」というコラム的な会話で村上春樹は次のように言う。

「僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなのは誰にも教わらなかったし、とくに勉強もしませんでした。で、何から書き方を学んだかというと、音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。リズムがないとそんなの誰も読まないんです。前に前にと読み手をおくっていく内在的な律動感というか・・・」(129〜130ページ)

 村上春樹の発言を読むと、この人の音楽を聴く耳が鋭いというか深いというか、私なんかと全然ちがうことに驚く。
そういう耳でクラシックやジャズやロックを聴き、そうゆうリズム感であの切れのいい文章が書けるのか・・・と半ばあきれながら読み進めた。

 「世界のオザワ」と「世界のハルキ」の対話というのではなく、ほんとに音楽が好きな二人が、小澤氏の病気の為に空いた時間を、ほんとに幸せな時間へと作り変えた魔法のような会話の本です。

 (でもね、一つだけ、「あ、村上春樹もおんなじことを考えてマーラーを聴いてる。やれ、うれしや」という箇所がありました。
マーラーがシェーンベルクとかアルバン・ベルクのような無調音楽に近い音楽を作りながらも、マーラー自身には前衛という意識がなかった、ということをめぐっての会話。

村上「つまり彼(マーラー)は方法論としてではなく、ごく自然に本能的に混乱を引き寄せていた。そういうことですか?」
小澤「それこそがまさに彼の才能じゃないですか?」
村上「ジャズの流れにも、そういった動きがありました。ジョン・コルトレーンは60年代にフリー・ジャズに限りなく近づいていきながら、基本的にはモードという緩められた調性の中に踏みとどまって、音楽を追求しました。・・・」

 前衛性の自覚の問題がテーマなのだけれども、そこで村上春樹はマーラーの音楽とモード・ジャズの同質性に言及している。
私も以前、マイルスのモード・ジャズについて書いたとき、マーラーとの近さについて書いた。
まったく思いつきではありましたが、そう間違った思いつきでもなかったとチョットうれしい。
こんな私にもちょっとぐらい音楽を聴ける耳があるのかなとうれしくなったのでありました。)
posted by CKP at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする