2011年06月28日

内田樹『最終講義』――昨年の開学記念式典での講演も収録

 内田樹先生の『最終講義』が刊行された。
神戸女学院での最終講義とそれ以前の五つの講演が収められている。

T最終講義
 神戸女学院大学 2011年1月22日
U日本の人文科学に明日はあるか(あるといいけど)
 京都大学大学院文学研究科講演 2011年1月19日
V日本はこれからどうなるのか?――"右肩下がり社会"の明日
 神戸女学院教育文化振興めぐみ会講演会 2010年6月9日
Wミッションスクールのミッション
 大谷大学開学記念式典記念講演会 2010年10月13日
X教育に等価交換はいらない
 守口市教育職員組合講演会 2008年1月26日
Y日本人はなぜユダヤ人に関心をもつのか
 日本ユダヤ学会講演会 2010年5月29日

 基本的に教育と学びに関する講演が収められている。
女学院同窓会「めぐみ会」の講演は、北方領土の話から始まっているが、最後にはちゃんと「教育立国」というところに着地している。
大谷大学の講演も、「倍音声明」の話や村上春樹の話が続き、どこで「ミッションスクールのミッション」に着地するのかとドキドキしましたが、ちゃんと収まるところに収まっている。
多少筆が加わり読みやすくなっています。 

 あのような奇想天外な展開というのは最初から狙ったものなのか、出たとこ勝負で話されているのか?
その辺を見究めながら拝読するのも一興です。
ジャズで言えば、アドリブの乱れ打ちをしつつ、何とか着地点を探している感じ。
それゆえ、「その話はもう聞いた」という話題でも、新鮮な感覚で読めます。

技術評論社の「生きる技術!叢書」より1580円+税で発売です。
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2011年06月27日

久しぶりの『昭和語広辞苑』――「暗殺」

 というわけで、またぞろ、不善をなすのであります。

 この前、ボーっとして次から次へとDVDを観ていたときに、このたびはじめてDVD化された『日本暗殺秘録』というなんだか怪しげな映画を観ました。

桜田門外の変における井伊直弼暗殺(1860年)から、大久保利通暗殺( 1878年)、大隈重信暗殺未遂(1889年)、星亨刺殺(1901年)、安田善次郎暗殺(1921年)、ギロチン社事件(1922年)、血盟団事件・井上準之助暗殺( 1932年)、永田鉄山斬殺(1935年)、2.26事件(1936年)の9件の暗殺場面を延々とドキュメンタリータッチで映してゆく映画。
時は1969年とはいえ、よくもまあ、こんな無茶な映画が撮れたと思って記録を読むとやはり時の政府からクレームがついてる。
誰が処理して実現にこぎつけたかはわからない。

 監督は中島貞夫で脚本があの笠原和夫――その4年後に『仁義なき戦い』を書く笠原和夫。
だから、面白い。
暗殺礼賛映画でも否定映画でもない。
ただ命を賭けて暗殺を実行しようとする青年の命の燃焼に、観ているとなんだか興奮してくるのである。
ほとんどヤケクソという暗殺もあるし、大義のための正々堂々とした暗殺もある。
書生っぽいアナーキズムもあれば、宗教的な理想主義からの暗殺もある。
いちばん長く描かれていた井上準之助前蔵相( 「いくら貧しいといっても、人間の干物はまだ出たことがない」と言い放ったと伝えられる)暗殺では、格差拡大の様子、とりわけ東京以北出身者の貧しい様子が丁寧に描かれていた。
しかし、大義より何よりも、命の激しい燃焼を描くということに、脚本のエッセンスがある。

 ひるがえって、1960年の山口二矢の浅沼稲次郎刺殺事件以来、日本では暗殺らしい暗殺はない。
平和でけっこうなことである。
が、若者の無差別殺人事件がポツリポツリと起こる。
要人暗殺はないが、ふつうに生きている人がその人にとっては何の理由もなしに殺されるということが起こるのである。
その実行者は命を賭けてことに及んだ、とはとても見えない。

 「命を賭ける」というのは、久しく聞かない言葉である。
「あの素晴らしい愛をもう一度」以降は聞かないような気がする。
これはいったいどういう訳?と、『日本暗殺秘録』を観ながら考えるのである。
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2011年06月24日

大谷の耳はロバの耳――公然の秘密と本当の秘密

 小人閑居して不善をなす――というのが、CKPカドワキの、この「哲学科教員ブログ」のポジションである。
このブログを読んで、哲学的に賢明になるとか、社会人として立派になるとかいう心配はない。

 という訳で私が「人間が小さい」というのは、公然の秘密であったのだが、先回のブログ記事に激しく反応された方から、その事実をあからさまに指摘されてしまった。
しかし、少しだけ、「いや、そんなことはない。奴は大きな人間です」という反論がないかと期待したが、見事になかったので少し残念――というところが小人なのであるが。

 その小人は先のブログの引用が舌足らずであったため、故佐野洋子さんにまでご迷惑をおかけしたことをぐずぐず悔やんでおるのである。
ゆえに、その箇所を丁寧に引用したいが、そうするとまた不機嫌になられる方が出そうなので、これ以上不善をなすのはよすことにした。
引用とはいえ、私の文章を読んで不機嫌になられる方がおられるのは、その方に申し訳なく思うし、私自身楽しくないのである。

 という訳で、公然の秘密が満天下に曝されてしまったわけだが、しかし、その私にも、私自身のことではないが、ヒトに言えない秘密がある。
9月までは絶対言えない秘密があるのである。
そういう時は、大谷の耳はロバの耳、と叫ぶことにしている。

 私が井戸に向かって、大谷の耳はロバの耳、と叫んでいたら、言いたくてたまらない秘密をぐっと我慢しているだろうな、と同情してくだされ・・・
posted by CKP at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月21日

『死ぬ気まんまん』発刊――佐野洋子さんの遺著

 昨年の11月、癌のため72歳で死去された佐野洋子さんの遺著『死ぬ気まんまん』が刊行された。
2008年から09年に5回にわたり書き継がれたエッセーから書名がとられている。
ほかに対談と10年ほど前の病院記も収められている。

 人間の生と死に関する、正直で明晰な洞察が語られている。
もったいないからじっくり読もうと思って読み始めたら、アッという間に、5回のエッセー部分を読み終えてしまった。

 あの『100万回生きたねこ』の佐野洋子さんは、もはやこの世の人ではない。
が、その佐野洋子さんの癌と暮らす日常を綴ったエッセーを読みながら、ゲラゲラ笑ったり、少ししんみりしたりしている私はなんなのだろうと思う。
表紙のイラストに佐野さんの気配が漂う(会ったことないけど)。

 一度だけ、会い損ねたことがある。
20年ほど前、大学のシンポジウムに呼ぼうとしてそのころ学生部長であったN塚先生からお声をかけていただいた。
そのころ佐野さんはうつ病で調子が悪く、断ってこられた。
あの時自分で電話すれば、直接お声を聞けたのに、と時々後悔している。
実際にお声に接していれば、このエッセーももっとリアリティがあるだろうな、と思うのである。
となれば、死人の本を読むとは、幽霊と会話しているようなものである。
そうなれば、エッセーのなかに、連載の最初と最後に出てくる「孔ちゃん」みたいに、いつでもどこでも佐野さんに会える。
死人は身軽である。

 今は死人の佐野さんは、生きているときジュリーが好きであった。
沢田研二である。
私も沢田研二ことジュリーが好きだから、好みが一致してうれしい。
ただし、佐野さんは女で私は男であるから、コンサートに私は行っていなくても、その辺は大目に見てほしい。
佐野さんは昔のジュリーを大絶賛した後、次のように書いておられる。

「それから今のジュリーも好きである。なりふりかまわず食いまくっているようにデブになった。デブになっても平然としているところが、人間が大きい。郷ひろみが、懸命に昔の体形を保とうしているのはセコイ根性で、人間が小さいと思う。」(34ページ)

 私も「人間が大きい」と言われる状態ではなるなぁ、となんだかうれしくなった。

posted by CKP at 16:44| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月20日

犬死でもいいじゃないか、人間だって――つみを、『グランド・トリノ』とか『RED』とかの老人活劇を観る

 こんにちは、お久しぶりです、この3週間あまりの絶不調の淵から這い上がりつつあるCKP( 時々つみを)です。
ややこしい本も読めず、難しいことも考えられず、ボーっとしておりました。
57歳を過ぎると、いったん体調を崩すと「なおったかな?」と思うとまた微熱がぶり返し、なかなか治らないのであります。
夜はほとんど、本を読むなどという身体に悪いことはぜず、ひたすらDVDを観て過ごしていました( これもけっこう疲れますが)。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズもまとめて観るとなかなか面白いのでありましたが、自分の寄る年波にあわせて、若いもんに説教する爺さんたちの活躍する映画についつい見入ってしまいます。

 『グランド・トリノ』――アジアからの移民一家を同じ移民のチンピラから守りつつ、移民の少年に男の生き方を教えるクリント・イーストウッド爺さんの物語。
クリント・イーストウッドは、爺さんになっても、やっぱりダーティ・ハリーなのでありました。

『RED』Retired Extremely Dangerous――CIAを退職した超キケンな爺さん・婆さんが陰謀に振り回されるCIAの若いもんに礼儀と戦い方を教える物語。
昔を懐かしみながら今を戦うブルース・ウィルスやモーガン・フリーマンが、いい味を出しておりますが・・・・

 この二つ、なかなか痛快な老人活劇なのでありますが、チョット引っかかるものがある。
そういうことでよろしいのか?と腑に落ちない点が両方の映画にあるのでした。

『グランド・トリノ』のクリント・イーストウッド爺さんは、映画の最後にチンピラを挑発してその銃弾の的となり、そのように殺されチンピラを警察に引き渡すことで少年を救う。
いきなり自爆的に銃弾の的になって主人公が死んでしまったら、いくら老人映画でも観客は納得しない。
で、この場合、イーストウッド爺さんは単に犠牲死するわけではなく、既に癌に冒されていたという設定になっている。
癌でどうせ死ぬのだから、その死期を少し早めて、少年の為に犠牲になって死ぬ。
そうやって観客は納得する・・・・・のかな?

 『RED』で、モーガン・フリーマンは、元CIAの精鋭で、しかし今は老人介護ホームでおばちゃんのお尻を眺めるのを唯一の楽しみにしているエロ爺として登場する。
そして彼が自分が肝臓癌であることをさりげなく告げるとき、嫌な予感がした。
「また、死ぬのかよ・・・」と思ってみていると、案の定、モーガン・フリーマン演ずる元CIA部員は、戦いの途中、仲間を脱出させるために、犠牲を買って出るのである。
「どうせ遅かれ早かれ癌で死ぬんだから・・・」という暗黙の了解が観客との間に既に結ばれているから、この死は映画的にオッケーというように、かなりドライに描かれていた。

 そういうことでよろしいのか?
去年、初めて『グランド・トリノ』を観たときからずーっと引っかかっていたのです。
このような死の描き方に、何か納得できないものがあるなぁ・・・・

 今回、『RED』とあわせて観直して思ったのは、人間、死んでまで誰かの役に立たねばいかんのか、ということであった。
癌で死ぬのは、誰の役にも立たないけれど、どうせ死ぬのなら誰かの犠牲になって世のため人の為になって死んだほうがいい・・・と死まで何かと等価交換で計られるのか、となんだか嫌な気分になったのである。
いいじゃないの、静かにあるいは悶えながら人知れず天寿をまっとうしても。
その死が誰の役に立たなくても、いや、死ぐらい人に迷惑かけながら死んでいってもいいじゃないか、と思う。
死が何かと等価に計量されるならば、その人の一生は、その等価交換に収斂してしまうのではないか?
それは、有限な一生ということになるのではないか?
犬死だっていいじゃないか!?
死んでまで、その一生を人間の度量衡で計る必要はない。
最近の葬式で個人の生前の業績を顕彰するショー(?)を葬儀屋さんが企画しているのを見たことがあるが、なんだか「?」と感じる。
これもきっと同じ根っこからきているのだと思う。

 死ぬときぐらい、勝手に死なせて!
posted by CKP at 18:23| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月17日

大谷大学教職員学生有志ボランティア(第1便)報告

 大谷大学教職員学生有志ボランティア(第1便)から帰ってまいりました。と言っても、帰ってから10日ほど経っていますので、速報性という意味は全くありませんが・・・<(_ _)>。
 ということで、速報とはまた違った角度からの報告・考察を以下に述べたいと思います。

 詳細な活動報告は、大谷大学有志ボランティアFacebook(http://www.facebook.com/otani311)に委ねるとして、私なりに3泊4日(車中2泊)の流れを短くまとめると:
*****
 6月3日(金)の19:40頃に京都市の北大路を出発したボランティアバスは、トイレ休憩を何度か取りながら、ほぼ12時間かけて、07:30頃に仙台市の東本願寺現地復興支援センターに到着。

 車中のマイクスピーチで、私は「眠いまま作業するとケガのもとですので、みんな眠りましょう!」と喋ったが、その本人がどうもうまく眠れず、ぼぅっとした頭で作業へ。

 ボランティア作業は、石巻市での家屋の片付け・泥出し作業。25人がいくつかの班に分かれ、1日3時間ほどの作業に土日の2日間従事。

 仙台を日曜の19:30頃出発し、また同じく12時間かけて(そして、往路と同様あまり眠ることができないまま)、6日(月)朝に大谷大学に帰着。多数のお出迎え感謝。昼の会議はちゃんと出席しましたよ。
*****

 以下は考察。
 
 先日の記事に書いたのと同様、「まだまだ片付いていない」ということを今回の活動でも実感しました。そして、「できるだけ作業したい、片付けたい」という意欲とは裏腹に、被害の甚大さを考えれば、一回の活動で実際にできることは微々たるものと言わざるを得ません。
 実際に、作業現場に立ち寄ってくれた石巻の市民の方からは、「大学生なんだから、もっと泊まっていっぱい作業してったら?」という言葉もかけられました。

 その言葉がきっかけとなって、いろいろと考えていました。「短い活動で何ができるのだろう」「大したことはできないのではないだろうか」。

 しかし、今回はじまったボランティアバスは、多くの学生たちが石巻の現状を目の当たりにし、石巻の匂いをかぎ、少ない力ではあるけれども作業をし、そしてその汗を流した経験をより多くの人に伝えるための、スタートなのだと考えてみたいと思います。

 このことに関して、今回の活動で痛感した、「後方支援あっての前線ボランティア」についても少し記そうと思います。

 「ボランティア」というと、「実際に行って体を動かす」というイメージが少なからずあると思いますし、もちろんそれは必要なことです。
 しかしその一方で、この大学有志ボランティアバスが行って帰ってくるまでに、全体の計画はもちろんのこと、バスの手配、運転、他種類の道具・必需品の手配・積み込み、資金集め、差し入れ、宿舎の用意、食事の用意、作業の割り当て、ごみの処理、作業後の道具を清掃するための水タンク車(これが必要であることは、想像すらしていなかったです)の手配等々、数え切れないほどの事柄に数え切れないほどの人々が関わっています。様々な人々の様々な協力があってはじめて、ボランティアバス運行が可能になっているのです。

 この復興支援が長期間かかるものであることは誰の目から見ても明らかだと思います。そしてその支援への関わり方は、一様ではありません。
 今回の大谷大学教職員学生有志ボランティアには多数の応募があり、活動を希望しながらその機会が得られなかった人も多かったはずです。しかし、「ボランティアバスに乗る」以外の活動も、まちがいなく求められているボランティアの活動の一部であると言えるでしょう。

 支援は今後も続きますし、支援の形も様々です。地震直後にはほとんど流行り言葉のように使われていた、「自分にいま何ができるか」という言葉は、その半ば耳慣れてしまったような響きとは関係なく、これからの復興支援にまちがいなく必要な観点であると思います。
posted by (藤) at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

大谷大学教職員有志ボランティア出発

 今日6月3日は、大谷大学教職員学生有志ボランティア(第1団)が出発する日です。
 出かける前に、先日個人的に参加した災害ボランティアのことを覚え書き的に記しておきます。

 岩手県花巻市の社会福祉協議会の募集に応じて、岩手県釜石市の泥だし・片づけボランティアとして活動しました。
 こういう仕事をしていると、研究者、教員、宗教者などさまざまな立場から復興支援に関わる可能性があると思いますが、私は「まずは単純に身体を動かすことから」始めようと思っていたので、全くの一個人として、一日身体を動かしてきました。

 釜石市について感じたのは、「まだまだ片づいていない」ということでした。もちろん、道路などは既に交通可能であり、震災直後から較べたら随分と片づいたともいえるでしょう。
 しかし、片づけを依頼された商店(およびその並びの商店街)を目の前にすると、「これをどうやったら片づけることができるんだ」という、押しつぶされそうな無力感に襲われました。

 お店の方二人も交えて、花巻社協派遣のボランティア15名が、休憩をとりつつ午前・午後と作業して、午後3時半頃、やっと店舗1階部分の泥だし・片づけが全て終わりました。(泥や家財道具などはもちろん、店の中に流れ着いていた巨大な魚も何匹も運び出しました)

 お店の方は、作業中は黙々と作業に集中していた(また飲み物の差し入れまでしてくださった)のですが、やっと片づいて一息ついたとき、はじめてボランティアの面々に、津波の被害やいま感じていることなどを少しずつ語ってくれました。

「とにかく、近所の人と顔を合わせても、お互い"生きててよかったね"なんてとても言えないの。だって、たとえその人は生きていても、その人の親だの子だの兄弟だの夫だの、誰かしら必ず亡くなってるから」
「店に来て店の様子を見るのも嫌だった。ぐちゃぐちゃの店を見ると津波を思い出すから」
「でも、こうやってすっかりきれいになったのを見ると、また何か始められそうだと思います」

 釜石でやった作業は、15人が一日がかりで商店1軒の片づけでした。「その人数で1軒だけか」ということもできますが、私は「それでも1軒片づけることができた」と表したいと思います。
 いわゆる「心のケア」の必要性なども盛んに言われていますが、「建物のかたづけ」で「心が楽になった」ということを聞くと、それぞれバラバラのケアではなく「まるごとのケア」(阪大・稲場圭信先生)が必要であると実感しました。

 ボランティアに行く前は、「とにかく出来るだけ片づけよう」と意気込むのですが、被害の圧倒的な規模からすると、自分に出来ることは驚くほど小さいと思ってしまいます。
 しかし、それでも、「これしかできない」と考えるより、「これだけはできた」と考えることで、継続的な復興支援が可能になると思います。

 仙台・石巻から帰ってきたら、また報告したいと思います。それでは行ってきます。
posted by (藤) at 15:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月01日

ヘーゲルってシャーマン?――『アジア遊学141 シャーマニズムの諸相』発刊

 勉誠出版という硬めの出版社から毎月刊行されている『アジア遊学』の「第141号シャーマニズムの諸相」が名古屋大学の嶋田義仁先生の編集でこのほど刊行されました。
2,100円で、ちょっと高めでスミマセン。
嶋田先生の「総論 シャーマニズム再考」の後に、「T アジアのシャーマニズム」に5篇の論文、「U 中南部アフリカのシャーマニズム」に4篇の論文、そして「V ヨーロッパのシャーマニズム」には1篇の論文だけ。
その1篇だけの論文が何を隠そうわたくし門脇健の「死者の声を聴くヘーゲル」なのであります。
ついに我がヘーゲル大先生はシャーマンになってしまいました。

 この論文は、昨年、日本宗教学会の『宗教研究』に掲載した「霊はどこを徘徊するか」というガイスト( 精神・霊)に関するカント、シラー、ヘーゲルの三題噺を読んでくださった嶋田義仁先生から「今、編集しているシャーマニズムに関する論集にヨーロッパに関する論文が欠けているから書くように」と要請されて、一月あまりで書き上げたものです。
最初は、いくらなんでもヘーゲルでシャーマニズムを論ずることは無理、と思いましたが、ま、人から頼まれるうちが花であるということで、書かせていただきました。
ヘーゲル学界の主流におるわけでなし、失うものは何もない。

 そのようにして、めちゃめちゃ忙しいなか、それまでの研究をコンパクトにまとめるだけの論文しか書けなかったが、それだけに、自分がいったいヘーゲルを読みながらこの30年間何を考えようとしていたかが、はじめてはっきりしてきたような気がしている。
そうか、ヘーゲルって死者の声を聴いて「歴史哲学」ということを考えようとしていたのか、と気が付いたのである。
それは、ヨーロッパの啓蒙の光の陰で、夜の闇や心の闇のかなに抑圧されたガイストの解放の一つの姿でもある。

 思い出という個人的な歴史がその人の人生をかけがえないものにするように、世界史がこの世界をかけがえのない世界にする。
しかし、過去を思い出にするのが困難であるように、歴史として記述するのも簡単な作業ではない。
だがしかし、その作業を通じて、ガイストが自身を知るということが起こるであろう。
人が、編集されたアルバム写真を眺めながら我が人生を回想するように・・・

 シャーマンを訪ねる人は、おそらくそのような回想作業がうまくできない状態に陥っている人なのだろう。
その回想作業を導くのがシャーマンとすれば、ヘーゲルの弁証法はまさにシャーマンの技ということになるのであった。

――ということで、わたしのヘーゲル研究は偶然とはいえ、なんだか面白いところに出てきて、わたしは楽しい。
これはよいことだと思います。
posted by CKP at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする