2011年04月29日

かゆいところに手が届く解説!――『ニコマコス倫理学』西洋古典叢書版解説(京都大学学術出版会)

 前回のブログでわたしはアリストテレスの『ニコマコス倫理学』の一節を引用した。

「だからまた、幸福な人というのは、少なくとも移ろいやすく、変転しやすい性格の者ではない。なぜなら、幸福な人は、その幸福な状態から容易に動かされることはないだろうし、ありきたりの不運によって動揺させられるわけでもなく、ただ度重なる大きな不運よってのみ揺さぶられるだけだからである。そしてこのような不運からは短時間で再び幸福に立ち戻ることはできないのであって、もし幸福を回復しうるとすれば、その場合には一定の多くのまとまった時間を要し、そのような時間があってはじめて、その人は偉大で美しいことを達成することができるのである」。(西洋古典叢書版・朴一功訳、44ページ)

 過酷な運命においても「幸福」でありえるのか、という問題について書かれた部分である。
アテナイ郊外の彼の学舎での講義のためのノートを整えながら、このような問題について思いをめぐらす初老の学者にはどのような「過酷な運命」が思い描かれていたのであろう。
アリストテレス自身、何か「度重なる大きな不運」に見舞われたことがあったのだろうか・・・・・
 と考えるのがふつうであろう。
ということで、朴一功先生の「解説」に「アリストテレスの生涯」というのが書かれていたことを思い出す。
最初(本文を読む前に)拝読したとき、「なんで、こんな、どちらかというと政治に関する生涯の出来事ばかりが書かれているの?」と戸惑ったものある。
哲学的な成長が書かれているのなら分かるけど・・・・

 しかし、アリストテレスという人は、「度重なる大きな不運」を生きた人ではあるまいか、という問いを携えながら、拝読すると、この朴先生の解説、かゆいところに手が届く、まことに親切で分かりやすい解説なのである。
「あ〜、そこそこ、も少し上の方・・・」とドン・ピシャリなのである。

 アリストテレスは、スタゲイラというアテナイからはるか北方の、アテナイやスパルタ、そしてマケドニアなどの大国に翻弄された辺境の町の出身であること。
幼くして父母を失ったこと。
アテナイのアカデメイアに17歳から20年間学んだが、彼はそこでは「居留民」であったこと(つまり「アテナイ人諸君!」のうちには入らない異邦人であったこと)。
ゆえに、アテナイとマケドニアの関係が険悪になったとき、マケドニアと関係の深いスタゲイラ出身のアリストテレスは、アカデメイアを立ち去らねばならなかった、ということ。
そして、その後の、いわば放浪生活のとき世話になった友人がマケドニアとペルシアとの対立の中で、ペルシアにより絞首刑にされたこと。
その友人のために追悼の詩を書いていること。
その友人の姪でかつ養女である女性を妻に迎えたと。
再び、アテナイに戻り、彼の学舎で教鞭をとっていたが、アレキサンダー大王の死により反マケドニア感情が燃え上がり、またしてもアリストテレスはアテナイを去り、カリキスという母の出身地でなくなったことなどなどなど・・・

 ということは、『ニコマコス倫理学』は倫理学・政治学の単なる理論的考察というものではないということであろう。
「度重なる大きな不運」を生き延びてきて、また友人の不運を我が事と悲しみながら生きてきた人にしてはじめて考察できる、「幸福論」ではないかと思う。
アリストテレスは言う。

「・・・徳に基づく諸活動が人間の生の決め手だとすれば、至福な人はだれも惨めにはならないだろう。・・・真に善き人、真に思慮ある人は、われわれの考えによれば、あらゆる運命に堂々と耐えて、与えられている状況からいつも最も美しい行為を行うからであり、それはちょうど、善き将軍が現有の軍隊を用いて最も有効な戦いをくりひろげたり、善き靴職人が与えられた革から最も美しい履き物をつくり出すのと同じである。」( 43〜44ページ)

 「うちのスタッフにはろくなのがいない」「ベンチがあほやから野球ができへん」とか「もっといい人材がいれば、なんとかなるんだが」とか言ってる輩は、いつまでたっても、自分の不幸を嘆き、嘆きながら死んでゆくのです。
(それはきっとわたしです。)

 だから、アリストテレスが最後に到達する「観想活動」というのも、おそらく、自分の位置を不問にして人間を観察・考察する立場とは違うものであろう。
その「観想活動」がいかなる「活動」なのかを、ここでホラでもいいからテキトーに提示するというほど、まだ読みきれていません。
が、ギリシア哲学って、なんだか大理石をなでるようで取り付く島がないと思っていた私にとって、『ニコマコス倫理学』は読み進めるのがわくわくしてくる人間味あふれる本だ、と思えたことはとってもうれしいことでした。

 とってもありがたい、朴先生の「よく分かる解説!」でした。
深謝!多謝!!

 ところで『ニコマコス倫理学』の「ニコマコス」の意味は?という疑問もあるのですが、朴先生は、そのような疑問にも文字通り「かゆいところに手が届く」がごとくお答えになります。
「解説」の最初の注にいわく、

「結論だけを知りたい読者の為に。「ニコマコス」という名前がつけられている理由は定かではない、というのが今日の謙虚な判断である。」(499ページ)

「解説」を読まず、「結論だけ知りたい」というわたしのような横着な読者にも答えてくださっているのである。
いつも横着でスミマセン。
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2011年04月25日

大震災のあと――田中美知太郎の「関東大震災のころ」

「歴史探偵」半藤一利翁の『あの戦争と日本人』(文藝春秋社)を興味深く拝読している。
幕末から「あの戦争」の敗戦に至るまでの過程が、「歴史探偵」の目で、新たに考察推理され、息をつかせぬ面白さである(という言い方は不謹慎かも知れぬが)。
はじめて知る情報、なるほどという考察、そうじゃないかと思っていたんだという解釈、とにかく面白い。

 が、一言も触れられてない事実がある(たぶん)。
関東大震災のことである。
あれほどの大震災である。
政治や生活に何らかの影響があってしかるべきだが・・・と思っていたら・・・

 現在、机上にある田中美知太郎の『哲学入門』(講談社学術文庫)に「関東大震災のころ」という文章を見つけた。
田中美知太郎は、関東大震災の年、つまり大正12年(1923年)に京大に入学し、夏には牛込の自宅で「夏休みを、出隆(いでたかし)から頼まれたヴィンデルバントの『プラトン』の下訳のために、まるごとつかってしまって、8月31日にやっと全部訳し終えたので、これを出さんのところへ届け、さてこれから旅行でも出ようかと思っていたら、その翌日が9月1日の大震災となったのである」。(27ページ)

 その後9月10日ごろ北陸線周りで京都に帰るまで、美知太郎青年は流言蜚語のとびかうなか「自警団」活動にかり出され、そこで「わたしたちは根底において原始野蛮の人間なのである」という洞察を得る。そして・・・

「関東大震災というものは同時にまた日本全国をゆり動かしたのではないだろうか。明治以来の固い社会秩序がゆるみ、わたしたちの日常生活にも大きな変化が起こってきた。耐震建築物が丸の内などを中心にして数多くつくられ、女性の洋装がしだいに普及し、タクシーが円タクとして一般化し、円本や文庫本が流行するのも、みな震災後の新現象ではなかったろうか。
 ひとびとは無常感というものをあらためて実感し、「今日をたのしめ」(carpe diem)という享楽的な生活態度が、飲食店を繁昌させ、いわゆるエロ・グロ・ナンセンスの時代を生んだのではなかったか。今次戦争の破壊の後でも、この生き方がまた再生産されたが、べつに新しいものではないように思う。
 大正12年9月の大震災から昭和6年(1931年)9月の満州事変の勃発まで、ちょうど8年間の日本というものは、その後の日本の歴史を決定する大きな動きの時代だったといえるだろう。」(34ページ)

 このような傾向を半藤翁はおもに日露戦争後の風潮としているが、さすがの歴史探偵の翁も1930年生まれ。
この時代を政治に関心を持ち哲学に志す青年として生きた田中美知太郎(1902年生まれ)の「実感」に一日の長があるのではないか。
もちろん、実感がすべて正しいわけでもなく、「享楽主義」の素地は日露戦争後に出来上がってきたということであろうが。

 今回の震災の後、あの粘り強い東北の人々が一挙に「享楽主義」に走るとは考えにくいが、しかし、営々と築き上げてきたものが一瞬のうちに破壊しつくされていった現実は、わたしたちの世界観にボディブローのように効いてくるかもしれない。
しかし、だからこそ時間をかけてしっかりした世界観・人生観を確立せねばならない。

 最近、ずーっとにらめっこしている『ニコマコス倫理学』の一節。

「だからまた、幸福な人というのは、少なくとも移ろいやすく、変転しやすい性格の者ではない。なぜなら、幸福な人は、その幸福な状態から容易に動かされることはないだろうし、ありきたりの不運によって動揺させられるわけでもなく、ただ度重なる大きな不運よってのみ揺さぶられるだけだからである。そしてこのような不運からは短時間で再び幸福に立ち戻ることはできないのであって、もし幸福を回復しうるとすれば、その場合には一定の多くのまとまった時間を要し、そのような時間があってはじめて、その人は偉大で美しいことを達成することができるのである」。(西洋古典叢書版・朴一功訳、44ページ)

 アリストテレスは、何か「度重なる大きな不運」に見舞われたことがあったのだろうか?

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2011年04月22日

さよならスーちゃん――キャンディーズがいて、僕らはシアワセでした!

 キャンディーズの「スーちゃん」つまり田中好子さんが亡くなったというニュース。
ショックである。
私たちにとって身近なアイドルだったから、なんだかクラスメイトが死んだ、という感じに近いのである。

 キャンディーズのほうが好きだった( もちろんピンク・レディーと比べているのです)。
学生時代、理学部の事務棟を占拠したとき(何の「闘争」で占拠したのか、きれいさっぱり忘れているが)、同志タニカワはどこからかテレビを見つけてきて、キャンディーズが出る番組にかじりついておった。

泣いてばかりいたって、シアワセは来ないから
重いコート脱いで 出かけませんか
もうすぐ春ですね 恋をしてみませんか

という「春一番」にどれだけ励まされたか。

 しかし、「自己実現」とか「本当の私」という現代の病理を体現したのもキャンディーズだった。
聖なる職業=歌手に一生を捧げたそれ以前の歌手とは違って、「ふつうの女の子」としてシアワセを追求しようとしたのである。
ワタシが聖なるものである時代の到来を宣言したのが、あの解散コンサートであったのだ。
「わたしたちはシアワセでした」というあのときの過去形は何だったのだろう、と時々思う。
あれ以降、ランちゃんもミキちゃんも、そしてスーちゃんもシアワセだったんだろうか?
今だから言うけど、僕はスーちゃんがいちばん好きでした。
合掌。

以前に書いた記事も覗いてみてくだされ。
http://tetsugakuka.seesaa.net/article/29986205.html
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2011年04月20日

魚類図鑑――生活人の読み方

 この前の日曜日、中三になった娘が久しぶりに口をきいてくれた。
新しい国語の担任の先生が授業中にお話しされたある生徒の話である。

「父さん」
娘は私のことをこう呼ぶ。
「なかなか夏休みの読書感想文を出さない生徒がいたんだって。
それで絶対に書いて来いって命令したら、『魚類図鑑』の読書感想文を出してきたんだって。
どんなんだったか分かるぅ?」
『魚類図鑑』の感想文?
なんだか深い思想が展開されるような気もするが・・・

「まぐろ・・・うまそう。
さんま・・・うまそう。
さば・・・うまそう。
ってずーっと続いていたんだって」

 という感想文を書いたらいかんぞ、という趣旨の話なのか、こういうのも面白いという話なのかどうかは聞き漏らしたが、なかなかシュールな展開であった。

 その生徒にとって『魚類図鑑』は、「魚類」をいかなる種に分類するかという知的興味を満足させるためのものではなく、おすし屋のお品書きのように、味覚的興味の満足を導くものであった。
生活人としての図鑑の読み方である。
若いのに苦労してるんでしょうか。
彼にとっては「魚類図鑑」ではなく「おさかな図鑑」だったのですね。

 という訳で、哲学史などを読んで、
ソクラテス・・・賢そう
プラトン・・・賢そう
アリストテレス・・・賢そう
・ ・・・・・・
ヘーゲル・・・賢そうだけどうっとしそー

などというレポートを書かないよーに。
哲学史はお友達史じゃないんだから・・・
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2011年04月18日

あの頃ボ〜クはバカだったぁ――ニコマコスな日々

 アリストテレスの『ニコマコス倫理学』についてあれこれと考えているうちに、大学に入学した頃のことを思い出した。
もう38年前のことである。

 大学に入学したての頃、私は岩波文庫の『ニコマコス倫理学』上・下をいつもバッグの中に入れていた。
なぜ『ニコマコス』なのか、ぜんぜん思い出せない。
高校の頃は、「世界の名著」シリーズのキルケゴールの巻をいつも机の上に広げていた( が、読みふけったわけではない)。
それが大学に入ったとたんどういうわけが『ニコマコス』なのである。
が、それはともかく、授業のないときは、図書館でひとりでその岩波文庫を広げていた。
そのころは友だちなんて誰もいなかった。
別に下宿で読んでもいいのだけれど、隣のクラスの憧れの女子を図書館でときどき見かけるものだから、図書館の出入り口が見える場所で、人が入ってくる気配があると目をあげながら読んでいた。
そんな読み方だからよく分からない。
それではならじと集中して読もうとする。
しかし、1ページもしないうちに眠くなる。
いかんいかんと思いながら集中しようとするが、さっぱりアタマが動かない。
するとやっぱり眠くなる。
「俺ってアタマ悪いんじゃないだろうか?」と真剣に悩んだ。
しかし、そう悩むのは「俺は賢い」ということが前提となっていたからである。
つまり、「俺って、賢いはずなんだけど・・・」と思っていたわけである。

「賢い俺」の論理・世界観でアリストテレスを読み取ろうとする。
すると、さっぱり分からない。
アリストテレスが賢いなら、俺と同じくらいだろうと思っていたのである。
ほんとに畏れ多いことであるが、18歳の頃であるから、アリストテレスも苦笑いして許してくれるであろう。

 これが五十面さげて「俺ってバカじゃなかろうか」となると、いかなアリストテレスもさじを投げるであろう。
さすがに、この「俺」も50歳にもなれば、「俺ってバカじゃなかろうか」などということは考えない。
はっきりスッキリとバカであると断言できるようになった。
もちろんアリストテレスに比べてである。
そこらへんの兄ちゃんやおばはんよりは賢いと思っている。
そのあたりがまだまだ人間として未完成なんだろうけれども・・・

 とにかくはっきりスッキリバカとしてもう一度『ニコマコス倫理学』を読もうとする私なのでした。
ホント、アリストテレスって賢いなぁー、と自分と比べて言うのもナンだけど・・・。
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2011年04月14日

三人哲者倫理饗宴――『ニコマコス倫理学』からの眺め

 鷲田清一・朴一功・池上哲司という現代の日本哲学界を牽引する三人が、『ニコマコス倫理学』という古代ギリシアの巨大な山にそれぞれの仕方で登り、そこから現代を眺めておられる。
それぞれの目にどのような現代の光景が映っているのであろう?
また、それぞれのアリストテレス解釈はどのように関係しているのだろう?
と、なぜこの私がそんな面倒くさいことを考えねばならぬか分からぬが、そのような興味に捉まってしまったのだから仕方がない。
鷲田先生が大阪大学の総長を辞めて、大谷大学で朴・池上両先生と饗宴でも開いてくださるのがいちばん分かりやすいのだけれども・・・

 というわけで、先回は鷲田大阪大学総長の入学式告辞の一部を引用した。
混迷を深める現代社会のグラウンドデザインを描きかえるとき、「幸福とは何か」という問いが基礎になければならない、という話であった。
「幸福とは何か」という問いに対する答えを基礎とするのではなく、問いそのものを基礎とする、と言われる。
そこのところが、分かりにくいところであろうし、鷲田先生としても、「???」と告辞の相手である新入生にも立ち止まって欲しいところであろう。
「なぜでしょうか?」と聴衆に問いかけておられる。

 そして、幸福についてのアリストテレスの『ニコマコス倫理学』の第一巻第7章あたりをまとめ、引用しておられる。
(私は朴先生の訳された京都大学学術出版会の西洋古典叢書版を見ている。鷲田先生がどの翻訳書から引用なさっているか、それともご自分で訳されておられるのかは分からない。だから、たぶんこのあたりだろうという見当に過ぎない。)

『ニコマコス倫理学』第一巻第7章より引用
「まず、明らかに多くの目的があり、われわれはそれらのうちのあるものを、たとえば富や笛や一般に道具などを、他のもののゆえに選ぶのだから、すべての目的が究極であるわけではない、というのは明白である。しかし最も善きものは、明らかに、究極的なものである。したがって、究極的なものがただ一つだけあるならば、それがわれわれの探し求めているものであり、また複数あるならば、それらのうちの最も究極的なものがわれわれの求めているものであろう。
 そして、それ自体で追求されるもの(x)は、一般に、他のもののゆえに追求されるもの(y)よりも究極的であり、また決して他のものゆえに選ばれないもの(x)は、他のさまざまな、それ自体で選ばれはしても、このもの(x)ゆえに選ばれるようなもの(z)よりも究極的なものである、すなわち、つねにそれ自体で選ばれ、けっして他のものゆえに選ばれることのないようなもの(x)こそは、無条件に究極的であると、このようにわれわれは主張する。
 しかるに、幸福とはとりわけそのような性格のものだと考えられる。なぜなら、我々は幸福をつねにそれ自体のゆえに選び、けっして他のものゆえに選びはしないけれども、名誉や快楽、知性、またあらゆる徳の方は、それらをわれわれはそれらの自体ゆえに選びながらも(というのも、結果として何も生じなくてもわれわれはそれらの各々を選ぶであろうから)、しかし実際にはわれわれはそれらを通じて幸福になれるだろうと考えて、幸福のためにこそそれらを選ぶからである。逆に、それらのために幸福を選ぶ、というような人はだれもいないのであって、他のもののゆえに幸福が選ばれる、といったことはあり得ないのである。
 他方また、自足性という観点からも同じ結果が出てくるように思われる。なぜなら究極的な善は自足的なものだと考えられるからである。ただし、ここで「自足的」というのは、単に孤立した生活を送る、孤立した個人にとって「自足的」という意味ではなくて、人間は本性的に、「社会的存在(ポリーティコン)」である以上、親や子ども、妻、一般に友人や市民との関係を含めた上で、自足的であるということを意味している。」引用終わり(1097a~b)

 鷲田先生は、このアリストテレスの「幸福=自足した善」という規定を踏まえて次のように述べておられる。

「『幸福とは何か?』この問いは、逆説的にも、失ったものの大きさに比例して深まっていきます。あるいは、他者が失ったものへの想像力の密度に比例して、深まっていきます。」

 「他者が失ったもの」という言葉は、告辞の冒頭にこのたびの東北地方の大震災のことが述べられているから、すっと入ってくる言葉ではある。

 このように鷲田先生は「幸福とは何か」という問いから、「他者への想像力」の必要を導き出してこられます。
しかし、それは「幸福とは何か」という問いを深めるのであって、それで答えが出るというわけではない。
また、この想像力による問いの深まりとアリストテレスの「幸福=自足した善」という規定が、どのように関係しているのかが、わかりにくい。
もうチョット先までアリストテレスを読まなければならないのか、それとも朴先生の論文や池上先生の『不可思議な日常』のエッセーを読んで考えれば解決するのか・・・・

 どの道を辿ろうか、と思案しているのであります。
ああ、面倒くさい!
早いとこ、三人の饗宴を開いてくだされ!
posted by CKP at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

それは大●大学の入学式告辞から始まった――『ニコマコス倫理学』をめぐる鷲田清一・朴一功・池上哲司の三すくみ?

 我が大谷大学の入学式に出席できなかったので、一字違いの大阪大学の入学式の鷲田清一総長の入学式の告辞を読む。

 けっこう長い演説である。
そのなかに以下のような一節があった。

「『幸福な生活』とは何か。だれもがいきいきと暮らせ、だれもが満ち足りた思いのなかで穏やかに死んでいける社会とは、いったいどのようなものか。社会のグラウンドデザインを描きかえるにあたっては、この問いが根底になければなりません。これを基礎として、あるべき社会を構想しなければなりません。
 なぜでしょうか?
 人間の行為はみな幸福を目指しているという点については、だれにも異論はないと思います。が、いざこの幸福が何であるかということになると、意見はばらばらに分かれます。快楽だ、名誉だ、富だ、というふうにです。
けれども、快楽や名誉や富、さらにはそれらを手に入れるための知恵や技能は、幸福になるためには望ましいものですが、その逆はありえません。つまり、快楽や名誉や富、知恵や技能を手に入れるために幸福になるということはありえないことです。
そういう意味で、アリストテレスは幸福を『自足した善』と呼びました。『いかなる場合にもけっして他のものの為に追及されることのないもの』、『常にそれ自体として望ましく、決して他のもののゆえに望ましくあることのないようなもの』それが幸福であるとしました。
『幸福とは何か?』この問いは逆説的にも、失ったものの大きさに比例して深まっていきます。あるいは他者が失ったものへの想像力の密度に比例して、深まっていきます。
 そういう意味で、皆さんにいつも持ち合わせて欲しいのは、この《他者への想像力》です。」

 この話は、学問における想像力もつまるところこの「他者への想像力」を基盤にするというところを目指している。
が、引用した箇所は、入学式の雰囲気で聴けばすらっと入ってくるかも知れないが、じっくり読もうとするとけっこう難しい箇所である。
それに、いきなりアリストテレスの引用である。
新たな「社会の構想」から「幸福な生活とは?」という問い、そして「自足した善」から「他者への想像力」という展開は、けっこう強引である。
アリストテレスの言葉の引用先を少し丁寧に読まないと、分かりにくい。

 で、おそらくこの箇所は『ニコマコス倫理学』の第一巻であろうと推察できます。
そしたら、そこらあたりについて、われらが朴一功先生が「アリストテレスの中庸説再考」という論文を『哲学論集』の57号に発表されたばかりであることに気がついた。
そしたら、その冒頭にわれらが池上哲司先生の『不可思議な日常』からの引用があることに気がついた。

 という訳で、鷲田清一・朴一功・池上哲司という三人のアリストテレス論をみんなまとめて面倒みよう、という状況に立ち至ったのでありました。
気が向いたら、ぼちぼち書きますが・・・
ああ、面倒くさい!
posted by CKP at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月08日

北大路版「東京物語」――大谷大学は全面禁煙です

 この新学期より、大谷大学は「全面」禁煙になってしまった。
建物に中(もちろん教員の研究室を含めて)も外も、ぜ〜んぶ禁煙。
しかし、そうなると、キャンパスの外周りからモクモクと紫煙が上がるから、かろうじてキャンパス内に一か所スーモキング・エリアがある。

 私は、コーヒーを飲み煙草を吸うために本を読むという人間である。 
ゆえに、煙草が吸えないとなると、学部長室で何もせずボーっとしながら遠い目をしている毎日である。
これではならじと、そのスモーキング・エリアにこそこそと煙草を吸うために4階から下りてゆく。
こんな歌詞を口ずさみながら。

「一日に二本だけ煙草を吸わせて、コーヒーの昼下がり、あなたを待つ夜更け」

ご存じ!森進一唄うところの「東京物語」(作詞:阿久悠)である。
このころの阿久氏にしては珍しく、自立系というよりも依存系の女性をうたった女歌である。
中期・森進一の名唱である。



そして、これをハード・ロックにアレンジした近田春夫とハルヲフォンの演奏も凄い!(昭和の名盤『電撃的東京』所収)
森進一の唄う都会の孤独感・倦怠感が、ここではアナーキーな絶望感になっている。



というわけで、スモーキング・エリアでぷかぷかしているオジサンは、どこかアナーキな絶望感を漂わせて、ちょっと危険なのである。
どこか暗い目をして、紫煙のゆくえを見つめるのである。
posted by CKP at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月06日

あの田んぼは将来の自分――養老孟司の「環境」論

 何度も京都と越前を往復するとき、いろいろな週刊誌を読む。
地震・津波の記事よりも、フクシマ原発の記事が多い。
読めば読むほど、気が重くなる。
鉄腕アトムが、兄のコバルトや妹のウランちゃんと協力して、10万馬力で原発をガバッと持ち上げ、宇宙の彼方に捨ててくれないか・・・
と「ラ・ラ・ラ・科学の子」世代は思うのである。
もっともアトム自身、原子力をエネルギー源としているのだけれども・・・

 そんな記事の中で、読んでいて気持ちが明るくなるわけではないが、なんとなく整理された気分になったのは養老孟司先生のインタビュー記事であった(『週刊文春』4月7日号)。
「阿川佐和子のこの人に会いたい」の記事である。

養老「僕は、何事にしろ政治問題化することがいちばんよくない、っていう意見なんですよ。」
阿川「というと?」
養老「政治問題になってしまうと、原発推進か原発全面反対かという、百かゼロかの議論になっちゃうでしょう。そうなると肝心な話がお留守になる。」
阿川「肝心な話とは?」
養老「技術の話ですよ。原発の問題は技術の問題のはずなんです。・・・」
( ガバッと略して)
養老「少なくとも、現在の技術で可能な限り安全にすることはできたはずなんですよ。その上で、文系の人が出て来て、これだけコストをかけてどれだけ儲かるんだと、もうつくらないほうがいいんじゃないのって議論が始まる」。

 という訳で問題は技術の問題なのであるが、それはエネルギーをめぐる問題であり、そしてそれはつまるところ環境問題なのである。
「技術」というのは「環境」に対する働きかけであるのだから。

そこで養老先生はトートツにおっしゃるのである。
「世界は自分である」と。

普段の養老先生ならば、話はここで終わって読者は置いてきぼりになる。
が、阿川さんは「???」とおそらく目を丸くして首をかしげながら問いかけられたのであろう。
養老先生は機嫌よく解説される。

 養老孟という人は、ぶっきらぼうな、ときどき論理が省略される不親切な文章を書く人だが、阿川佐和子さんや『バカの壁』を編集した足立真穂さんのように、「???」と聞き役に徹する人がいると、分かりやすいお話をしてくださる。

養老「今の若者に僕はよく言うんです、「君、田んぼを見て、あれが将来の自分だと思ったことがあるか」って。「稲から米が出来て、その米を君は食う。つまり、あの田んぼは将来の君を含んでいる。(・・・)」でもそれってもともと、日本人にとっては常識だったんですよ。そんなの当たり前だろうって。」
阿川「世界は自分だ、ってそういうことですか。」
養老「そうです。それを強いて切ったのが、西洋の近代自我というやつです。そういうタイプの文化なんですね。だから環境問題なんていうのも起こる。」
阿川「自分と切り離して考える。」
養老「そう。異物なんだからどうしたっていいと。仏教は完全に逆ですよね。「縁起」、つまり一切のものは網の目のように繋がって成立しているという思想。自分も環境もないと。」

 目の前の自然を「環境」つまり、自分の外の世界=異物とみなし、それをいかに「操作」するか、というのが環境「問題」と、養老先生は言われるのである。
そのような操作し技術を駆使する自我を「近代的自我」とされる。
が、西欧近代に発達したこの「自我」の由来は、デカルトを持ち出せば説明できるほど単純ではあるまい。
それはさておき、このような「環境」観と「自我」観に基づいて、自然環境を自分の都合で操作し変化させ、それで都合が悪くなると、また自然を改造する。
二酸化炭素が増えれば、今度は原子力というように。
しかし、自分はかわらない。

 養老先生の「世界は自分」は、身体の成り立ちを時間的に見たものである。
稲は米となり将来の自分になるが、その稲を植えたのは人間である。
稲から見れば「人間は自分」であったりするのである。
ゆえに「縁起」などという言葉が飛び出してくる。
先生の仏教は唯物論なのである。

 したがって、人間と世界は、一方的な「技術操作」という関係ではない。
それは養老語で言えば「手入れ」である。
「手入れだ!」と一斉に逃げ出すほうの「手入れ」ではなく、「お肌のお手入れ」の「手入れ」。
里山に「手入れ」することが、多様性を豊かにする、そのような「手入れ」である。

 養老先生は我が越前市の、コウノトリのえっちゃんが飛来する白山地区の里山運動にもかかわってくださっている。
自然に対して、操作しそこから収奪するのではなく、手を入れることによって、自然も人間もより豊かになる。
そこでは、人間にとって自然は自分であり、自然にとって人間は自分である。
だから、うちの奥さんはお肌の手入れに余念がなく、私も最近てっぺんが薄くなってきな髪の手入れにはげむのである。

 なんだか、えらく小さな話になってしまってスミマセンでした。
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2011年04月02日

お母さんとの浄土――真の拠り所

 「フクシマのトレンチの水位が下がる」という夢を見ているとき、ケータイがブーブー鳴った。
ケータイのむこうから、
「●●さんのお嫁さんが亡くなったよ」
という声が聞こえる。
まだ朝の6時前。
「●●さんなら、次はじいちゃんやろ」
と寝ぼけアタマで考えるが、そのじいちゃんは相変わらずガンコでピンピンしていて、48歳のお嫁さんが亡くなったらしい。
くも膜下出血。
ごそごそ起きて、一番のサンダーバードで越前へ帰る。
枕経をあげに●●さん宅へ。
ほんとに、この前まで元気だった48歳の奥さんが亡くなっておられた。
実家のお父さんがベソかいておられる。
一番下の息子さんの姿は見えない。
確か19歳になってるはず。
いったん京都に戻り年度末の仕事を片付け、また越前へ。

4月1日の入学式は休ませてもらって、お葬式。
息子さんは、その4月1日は晴れて一人前の消防士として辞令交付の日だったらしい。
その日が、それを一番楽しみにしていたお母さんのお葬式になってしまった。
ベソかきながら写真を抱えている息子さんを見ながら、
「ああ、この息子さんにとって、浄土とはお母さんに消防士の晴れ姿を見てもらう世界なんだな」
と、すうっと「浄土」ということが理解できた。
お母さんと向き合う場所、それはその息子さんの人生の拠り所、つまり真の宗である。
それが浄土。
「浄土真宗」を「浄土が真の宗(拠り所)」と、「浄土」を先に立て理解しようとすると、分かりにくい。
「真の拠り所」が「浄土」と展開してゆけば、感覚としてリアルである。
まず、そのリアルな感覚が大切であろう。

 もちろん、息子さんとしては、そんな感覚がリアルに分かるよりも、娑婆世界で晴れ姿をお母さんに見せたかったであろうけれども。

 そのお葬式の納骨を済ませ、夕方の会議のため、京都へ。
敦賀あたり。
「この辺りもナントカ・シーベルトちがうか?」と思っていると、ケータイが鳴る。
今度は私の叔父さんがなくなったという電話。
次から次へと私の都合などお構いなしに、人が亡くなってゆく。
京都で会議を済まし、また越前。

その叔父さんは死因は癌。72歳だった。
そういえば、私の親父も癌。70歳死去。
その親父の兄貴は癌で62歳。
爺さんは結核?で62歳。
どうも長生きの血筋ではない。
70歳超えれば「オンの字」とせねばなるまい。
あと何年だろう?
posted by CKP at 16:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする