2010年11月29日

失われた声を求めて――エレーヌ・グリモ−『レゾナンス』ふたたび

 前回、いきなり、グリモーの『レゾナンス』を『七人の侍』の菊千代が泣き叫ぶ赤ん坊を抱くシーンと結びつけるという、乱暴狼藉をはたらいてしまった。

 ご理解をたまわるには『レゾナンス』と『七人の侍』の間に、次の文章を挿入せねばならないであろう。
新宮一成先生の『無意識の組曲』(岩波書店、1997年)の一節である。
少し長いし、よけい分からなくなるかも知れませんが・・・
       *       *      *
・・・音楽を聴いているということは、私が何か名指すことのできない音に直接に曝されているということから、さほど遠いところにあるわけではない。したがってコフートも、「音楽の楽しみとは、言語化の助けと視覚的イメージを使った論理の助けを借りないで、音の世界に直面することのできる能力のことに他ならない」と述べている。
 音楽において、自分が何に直面しているのかを、私は言うことができない。それが音楽経験の基本的形式であるとすれば、それはなぜだろう。いま考えてきたように、その経験は、リアルタイムで他者と共有することができないということがその大きな理由になっているのではないだろうか。その経験は、すでに過ぎ去った、もう無くなったものと関係しているのではないだろうか。
 音楽において、何が聴かれているのか、それは言うことができないものである、とコフートと共に、我々はそう考えてきた。しかし、この考察の七年後、コフートは、音楽において我々が何に直面しているのかを、敢えて言い切っている(コフート「音楽の心理学的機能について」)。
「乳児の精神の弱い組織が直面する多くの外界の音の中には、乳児の泣き声がある。我々は、自分自身の泣き声という経験は、初めのうち未だ自己に属するものとしては捉えられないと仮定しなければならない。泣き声は意志されるものではなく自動的であり、空腹の苦しみという状況下で発生する。原初的な音の世界の恐ろしさは(自分の泣き声という「音」と空腹の感覚との)この早期の心理的結びつきによって強化されるだろう。したがって、自己と外界の間の非武装地帯における音楽というものは、空腹と泣き声が、満腹と柔和な音へと変わってゆくという流れの中から生まれてくるものであろう。」
 コフートのこの着想によれば、我々は音楽体験の中で、太古の私の泣き声を再び経験していることになる。したがって、音楽を聴きながら我々が思うのは、「私はいつかこのようにして泣いていた」ということだ。この思いの底にあるのは身体の騒乱である。我々は、未だ自分の感情というものを知らなかった時代の泣き声を、音楽を聴きながら再び経験している。感情は言葉と所作によって表出されることを求め、人によって理解されることを求めるが、感情以前の泣き声には、音楽による再生の道がなければ、どんな表現の道もあり得ないだろう。(155〜156ページ)
     *      *       *
 どうでしょう?
分かりやすくなりましたでしょうか?

「感情以前の泣き声には、音楽による再生の道がなければ、どんな表現の道はあり得ないだろう」。
そして、感情以前とは「言うことのできない」何かが私をめがけて働きかけていたときのことである。
「言うことのできる」事だけで世界ができていて、そしてそのことに気づいた時、私たちは、激しい欠乏感に直面する。
「言うことのできない」何かを渇望するのである。
おそらくその欠乏感、渇望が 私たちを音楽を典型とする芸術に、さらには宗教に、そして哲学へとドライヴするのであろう。

 エレーヌ・グリモーの自伝『野生のしらべ』(Variations sauvages、ランダムハウス講談社、2004年)を読むと、そのその欠乏感がストレートに伝わってくる。
グリモーの言う「野生」とは「言うことのできない」何かのことであろう。

 やっぱり、分かりにくいと思われます。
新宮先生やグリモーのせいじゃなく、ひたすらワタクシメのせいであります。
スミマセンでした。

posted by CKP at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月25日

失われたリアルを求めて――エレーヌ・グリモー『resonances』

 フランス出身の女性ピアニスト、エレーヌ・グリモーの新作CD『Resonances』を購入したはいいが、長い間聴かずにいた。
モーツアルトのイ短調のピアノ・ソナタ。
アルバン・ベルクのピアノ・ソナタ作品1.
リストのピアノ・ソナタロ短調。
バルトークのルーマニア民俗舞曲集。
このラインナップを見て、「わ、楽しそう。聴きたい!」という人はあまりいないのではないか?

 モーツアルトにしては短調で暗く激しいピアノ・ソナタ。
シェーンベルクの弟子ベルクのほとんど無調に近い不安げなソナタ(いちおうロ短調)。
リストのワーグナー・オン・ピアノという感じの怪物的一楽章ソナタ。
それに最後はいきなりバルトークの農民に採集した舞曲集。

 こちらも心身ともに充実してないと聴く気にはならない。
で、体調を整えて聴いてみました。

 モーツアルトのソナタのが、つんのめるようにして始まる。
思わずプレーヤーの具合が悪いのかな、と思ってもう一度最初から。
CDプレーヤーの故障ではなく、そういう弾き方であった。
以降、激しくテンポを揺らしながら何かせかされるように進んでゆく。
音は繊細だが力強い。
左手がけっこう強調されて弾かれる。
リパッティの演奏とはまったく違うが、魅力ある演奏。
ベルクも強弱も緩急も激しく揺れる演奏。
これも何かにせかされるような感じ。
リストも起伏が激しく急かされる感じだが、決してうるさくはない。

 ヨーロッパで「クラシック音楽」と呼ばれるジャンルのピアノ曲のパンク系、ヘビメタ系を集めてみました、という感じである。

 何が悲しゅうてこんな思いまでして異国の音楽を聴かねばならんのか!?
グリモーの少年のような初々しいたたずまいに胸キュンであるから仕方ないのであります。
しかし、何故にこの時期のヨーロッパ人はかくも悲壮な楽曲を創り、好んで(?)聴いたのであろうか?
ダンス・ミュージックでもなく歌を伴うわけでもない耳をつんざくような音を「音楽」として聴こうとしたのだろうか?
60年代のアメリカのフリー・ジャズや70年代のパンク・ロックにも同じことが言えるかも知れない。
人はときどき不快を音楽にする。
まるで急かれるようにして生きることの証を求めるかのように。

 グリモーは、そういう「生きる証」のようなもののレゾナンスを求めたのだろうか?
動物学者としてオオカミの研究もしているグリモーは、モーツアルトのなかにオオカミの疾走を見出した、つまりヴォルフガングを見出したということなのだろうか?
(つまんないしゃれでスミマセン)
それともオオカミの鳴き声か?

 激しいけど妙に静かな演奏を何回か聴く。
何回も聴きたくなる演奏なのです。
そして最後のバルトークの土の香りはするが妙に洗練された民俗舞踊曲を聴いているうちに、『七人の侍』の菊千代の絶叫を思い出した。
農民だが武士になろうとしている菊千代(三船敏郎)が、野武士の襲撃に焼け出さた農民の泣き叫ぶ赤ん坊を抱きながら絶叫する有名な場面。

「こいつは俺だ!俺もこの通りだったんだ!」

 親を亡くしたことも知らずに泣き叫ぶ赤ん坊に菊千代は自分の存在のリアルを確認する。
それまで農民と武士のあいだをふらふらしていた菊千代は、ここで自分の存在を確認する。
言葉以前あるいは言葉にならない「生きるリアル」を確認したいという欲望が、言葉の世界でリアルを確認できないとき、音楽を成立させることがあるのではないだろうか?
泣き声としての音楽。
でなかったら、あんな絶叫音楽をなぜ創り聴くのか分らない。

 言葉に還元できない「絶対音楽」には、まだ言葉を理解できなかったときの音や声に対するリアルな感触が反響してる、そんな感じで聴いてます。
が、ときおり訪れる深い静けさというのは何なのでしょう。


posted by CKP at 19:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月21日

100万回生きた佐野洋子――「死ぬ気まんまん」

 去る11月5日、佐野洋子さんが72歳で亡くなられた。
その最後の連載エッセーが「死ぬ気まんまん」というタイトルであったことを、昨日の京都新聞での伊藤比呂美さんの追悼記事で知った。

「死ぬ気まんまん」

 なんというタイトルであろう。
思わず笑ってしまった。
癌の転移を知って死期までの時間を逆算して財産を計算し、死までの生活を満喫しようとなさる姿を見て、ご子息が「死ぬ気まんまんじゃん」と言われたのをタイトルになさったらしい。

 「死ぬ時には死ぬのがよろしく候」というような諦念の良寛的な表現をふっとばしつつも、しっかりと死から生を見つめた『100万回生きたねこ』の作者にふさわしい諦念の表明だと思う。

 伊藤さんによれば、『小説宝石』に2008年5月から翌年の5月まで5回にわたり連載されたそのエッセーは次の3行で閉じられているという。

死なない人はいない。
そして死んでも許せない人など誰もいない。
そして世界はだんだん淋しくなる。

 最後の行の「世界」は「こっちの世界」のことなのだろうけれど、これを書いた佐野さんはどっちの世界に身をおいて書かれたのだろう。
その5回のエッセー、読んでみたい。

 星野哲郎さんも亡くなられた。
小林旭の「自動車ショー歌」「昔の名前で出ています」の作詞家である。
私にとって世界は確実に淋しくなってゆく。

合掌。
posted by CKP at 13:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月18日

ヘンテコの場所――これも大学で学ぶこと

 いったい大学って何なのだろう?
40年近く大学を生活の場としてきたが、あらためて考えようとすると一言ではうまく表現できない自分に驚く。
情けないことでスミマセン。

 大学とは専門的知識・思考を学生に教授する場である――という言い方は19世紀、あるいは20世紀前半までは言えたであろう。
「専門的知識・思考」は、大学の図書館と教授に伝統されていたからである。
つまり、独占されていたわけである。
だから19世紀から20世紀前半までの「教授さま」というのは、たいそう威張っていたわけである。
本人が威張らなくても、周りが尊敬していた。
21世紀の今でも、ときおり、そのような「教授さま」の尻尾が生えているヒトがいる(このごろは随分少なくなりましたが)。

 ところがしかし、これだけメディアが発達してくるとそのような知識・思考は、出版はもとよりインターネット上で十分獲得することができる。
いや、最新の領域の知識・思考はインターネットのほうが速くて豊富である。
大学の爺さん教授の話なんて半世紀、時には一世紀遅れている(スミマセン)。

 ならば大学で学ぶ意味なんてない、ということになりそうだが、そうなると私の立つ瀬がない。
二重三重にない。
だって、わたくし自身、大学に学んでよかったと思っているし、大学で自信と誇りをもって教員をしていきたいと思っているのであるから。

 という訳で、大学で学ぶ意義をひねり出してみる。
なんだか順序が逆のようだが、そうでもないのである。
ひねり出された「大学で学ぶ意義」が、大学をつくりあげるのであるから。
となると「建学の理念」となるのだが、もう少し一般的なところで考えてみる。

 大学は、基本的にはキャンパスという空間に成り立つ。
先ごろ、インターネット大学というのが造られたが、瞬く間に失敗した。
ということは、キャンパスという空間が大学においては大きな役割を果たしているということである。
そこは、ある意味では閉ざされた空間である(だから、時々「オープン」される)。
ところが、その空間は日本や中国の古代やヨーロッパの古代へもつながっていたり、現代のアメリカやインドへとつながっていたりする。
よって、そこは無限の広がりをもった空間であったりするのである。
ゆえに、そこにはあらゆるヘンテコが去来し生息しているのである。

 大学の楽しさは、まずはこのヘンテコさであろう。
学生もヘンテコなら教員もヘンテコである。
もちろん、みながヘンテコなわけではない。
わたくしのようなノーマルな人間もいる。
しかし、その中に「ヘンテコ」という学生や教員が少なからず生息しているのである。
これはカルチャー・ショックでした。

 なぜ、このようなヘンテコが楽しいのかといえば、それまでの自分を縛っていた価値観から解放されるからである。
ヘンテコな研究対象について楽しいそうに語るヘンテコ教授。
ヘンテコな趣味に我を忘れてうつつをぬかすヘンテコ学生。
それでいいの?とまじめな私は思ったのであるが、いいも悪いも、それで何とかなっているのであるから、「あり」なのである。

 そして、彼らヘンテコがなぜそんなにわれを忘れるほど楽しそうなのか、その場に一緒に生息していると少しずつ分かってくるのである。
ヘンテコを生で観察し接するということが大切なのである。
大げさに言えば「未知との遭遇」である。
これこそが大学という「場所」の功徳である。
ヘンテコがあちらからネギをしょってくるのである。
これは、こちらから捜すインターネットやカルチャースクールでは起こり得ないことである。

さてそのヘンテコであるが、彼らは、「まだまだ分からないことだらけ」と思っているのである。
たとえば、サンスクリット語で「さくら、さくら」を唄うなんて十分ヘンテコだと思うのだが、ご本人は、サンスクリット語については、まだまだ分からない、やることがいっぱいと思っているのである。
数学教師にもヘンテコなのがおられたなぁ。

 上田閑照先生ですら、よく考えてみると禅問答などというわけの分からない質疑応答を「面白い」と言ってニコニコ教授しておられたのはやっぱりヘンテコである。
先生は日常生活では紳士でそれほど奇矯ではなかったが、それでも学食でホット・コーヒーとアイス・コーヒーを交互に飲んでおられるのを拝見したときには、「やっぱり」と思ったものである(後で、おそるおそるお訊ねしたら「急いでたんだ」というお返事。急いでいるとアイスとホットのコーヒーを飲むという論理展開が分からない)。

 しかし、大学で学ぶということは、ヘンテコ人間になるということではない。
そのヘンテコを支える情熱のありかを学ぶということであろう。
つまり、「まだまだ学ぶべきことがあって楽しくて困っちゃう」というセンスを身につけること。
これが身につけば、ヘンテコでは困る現実社会においても、大いに楽しく生きていけるはずである。
「まだまだ学ぶことがあって楽しくて困っちゃう」という感じで生きていれば、周りも機嫌よく支えてくれるのだから。
口をとんがらせて「なんでこれしなくちゃいけないんですか」などと言っていると、そのうち誰も相手にしてくれなくなるのです。

 という訳で、わが大谷大学は、とりわけ哲学科は学生も私を除いた教員もヘンテコ度では他学に引けをとりませんので、どうぞふるってチャレンジしていただきたく存じます。

 なんだかヘンテコなところに「誇りと自信」を持つことになっちゃいました。
どこで話がヘンテコになったのかな?
posted by CKP at 19:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月10日

心が折れそうなときは・・・ブライアン・ウィルソン『Reimagines Gershwin』

 教授会・大学委員会終了なう。

 私の心臓には毛が生えている、それもゴワゴワの剛毛が生えていると思っておられるお方がいる。
それは誤解である。
私の心臓は、ノミの心臓、ガラスの心臓であり、ストレスフルな毎日に押しつぶされ折れそうになっているのである。
だから、映画を観たり音楽を聴いたりして、彼方からの励ましの声をもらって、何とか生きているのである。

 最近は、ブライアン・ウィルソンのジョージ・ガーシュインへのトリビュート・アルバム『Reimagines Gershwin』に励まされている。

 ブライアン・ウィルソンとは、ビーチ・ボーイズのリーダー。
彼はビートルズの『ラバー・ソウル』を自分への挑戦状と受け取り、『ペット・サウンズ』というアルバムを制作する。
それまでのお気楽サーフ・ミュージックとは異質なアルバム。
その『ペット・サウンズ』は、今度は、ビートルズをして震撼せしめ、彼らに『サージェント・ペパーーズ・・・・』を制作せしめた。
以上、音楽史のお勉強。

その後、異様な完成度の「グッド・バイブレーション」を発表するも、しだいにその心は闇の中へと向かい、四半世紀も心の暗闇を彷徨することになる。
しかし、90年代みごと復活。
いくつかのアルバムの後、このガーシュイン集。
ピアノの鍵盤がカラフルに踊りだすようなジャケットがイカしてる。

 ガーシュインの名曲「ラプソディー・イン・ブルー」がビーチ・ボーイズ風のコーラスで始まったときには、なんだかうれしくて笑ってしまいました。
そして、ガーシュインの名曲、たとえば「サマー・タイム」とか「スワンダフル」とか「ユー・ガッタ・リズム」などが、ジャズのイメージを完全に、もうきれいさっぱり払拭して演奏されるのである。
ビーチ・ボーイズ風のアレンジなのだが、ラフなのに完成度が高いという不思議な録音。
ブライアンのボーカルも少しヨレヨレのところがある。
チョッと頼りない。
しかし、それがやさしさになる。
自分自身が長く心を病んでいただけに、そんな人々への優しさがアルバム全体にいきわたっているように思う。

 ガーシュインというアメリカにおいてフォスターにつぐ国民的作曲家の楽曲を、まったくブライアン風に編曲しプレイする力を、彼はどこから得たのであろう。
ガーシュインという大波、伝説のビッグ・ウェンズデイに、まったく独自の仕方で波乗りするサーファーのように、ものすごいドライブ感でアルバムが進んでゆくのは圧巻である。
こんな風に、波乗りしたいな、とちょっとだけスケボー小僧であった私は思うのである。



(追記 円高にまかせてLPも買ってみました。
アマゾンでも2000円しません。
CDがクリアカットな音なのに対して、LPは柔らかい包み込むような音でブライアンとしてはこちらの音を狙ったのではないかと思われます。
彼の「音楽は神の声である」という言葉がよく理解できる録音でした。
シリアル・ナンバー付き。
わたしの3003でした。)
posted by CKP at 18:33| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月09日

死には年齢はない――上田閑照『折々の思想』より

 上田閑照先生の刊行されたばかりの『折々の思想』(燈影舎)を読んでいたら、こんなフレーズにぶつかった。

「しかし、生には年齢があるが、死には年齢はない。死はいつでも自分のところにある。」

私は、思わず「うわっ」とつぶやき、スミマセンでしたとあやまっていたのでした。

 ちなみに、このフレーズは、小中英之という歌人の

今しばし死までの時間のあるごとくこの世にあわれ花の咲く駅

という歌に対する言葉なのでした。
posted by CKP at 09:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月07日

リア家の系譜学――依存とは別の形へ

 久しぶりに黒澤明監督の『生きる』を観る。
1952年の映画。
私の生まれる2年前の映画である。
全編をきちんと観るのは十数年ぶり。
こんな映画だったっけ、と改めて感動した二時間余りでした。

 メガネ枠屋さんの友人も近ごろ古い映画ばかり観ているらしいが、お商売柄、どうしてもメガネのことが気になるらしい。
http://meganeya.iza.ne.jp/blog/entry/1872820/

私のようなテツガク屋の場合は、何を気にすればよいのか?・・・と妙に対抗意識を燃やさなくてもいいのですけれど。

 とにかく今回見直して、「こんなに回想シーンの多い映画だったんだなぁ」とびっくりしました。

 市役所の市民課長・渡辺勘治が自分の胃がんに気づき絶望するが、死を受け入れそして最後の命を下町の公園作りに捧げる。
この主人公は、映画半ばであっさり死んで、後半はお通夜のシーンになる。
そうして、通夜に出ている人々が、生前の渡辺の鬼気迫る公園作りの謎を、それぞれの回想を手繰りながら解明してゆく。

そういえばこんなことがありましたよ・・・・
「わしにはもう人を憎んでいる暇なんかないんだ」って。自分が癌だって事、ご存知だったんですよ・・・という調子で。

その最後の回想が有名な雪降る公園で「ゴンドラの唄」つまり「命短し恋せよ乙女」を唄いながらブランコをこぐ渡辺勘治こと志村喬の姿である。

 というようなお通夜での回想シーンというのは余りにも有名ですよね。(有名ですよね、って言われてもなぁ・・・・という方は、一度ごらんになってください。そうしないと淀川長治先生にしかられますよ。)

 私がビックリしたのは、前半にも多くの回想シーンがあること。
以前に観たときはほとんど意識しなかった・・・ということはそれほど自然な回想シーンの挿入ということでしょう。

 渡辺は、早く妻を亡くし男手ひとつで息子を育てた。
その息子に自分が癌で余命わずかであると告げようとするが、息子は話を聞こうとせず、勘治の退職金のことばかり気にする。
1952年、既に家庭崩壊が始まっていたのである。
あるいは、黒澤が予言していたのである。
次の年が、小津安二郎の『東京物語』。
ここでも年老いた親夫婦は、東京に出た子どもたちに邪魔にされる。
リア家の人々がすでに鮮やかに描かれていた。

 渡辺勘治は、その、今は冷酷になった子どもの成長の一こま一こまを思い出すのである。
そして、思い出すことによって、それらは懐かしい想い出として別次元へと昇華されてゆく。
もう子どもへの愛情に依存して生きては行けない。
親子の愛情は「想い出」のうちに封印されるのである。
そうして、渡辺勘治は、自らの余命を小さな公園作りに捧げる決意をする。
それは依存的な親としての死であり、新たな親、新たな「市民課長」としての誕生であった。
このような死と再生が反復されるのが、後半のお通夜での回想シーンである。
それによって、渡辺を弔う人々の中に新しい渡辺勘治像が誕生してゆくのである。
それは、弔う人々の死と再生につながるはずであるが・・・

 とするとこの映画で、渡辺勘治が「命短し恋せよ乙女」とみごとに「生きる」事を遂行できたのは、依存的な親として死ぬことができた、という要素が、癌という要素と共に大きいということがいえるのではないか?
リア王のごとく、子どもの愛情にいつまでも依存し、それが裏切られて狂気へと誘われるというのではない。
「子どもは親をうらぎるものだ」という諦めをもって、親として振舞うのである。

 子どもに裏切られる親というのは、何もリア王が最初ではない。
オイディプスもアジャセも親を裏切って王になっているのである。

 ただ、黒澤やそして小津が提出した「親像」は、子どもとは「自分ひとりで大きくなったつもりになっちゃって」(東山千栄子@『麦秋』)いるもんだという諦念を持つべきだ、という点でリア王とは違うものであった。
親を裏切る子どもを恨んでも始まらないのである。
そこが、新しかったのではないかと観直しました。

しかし、子どものほうは、いつまでもリア王の二人の姉娘のように親を利用するだけであるというのは変わらない。
子ども自身も親への依存的関係から抜け出し、そこから新しい家庭を構想するというのは映画ではどうなっているのかね?
もちろん、現実においても。
わしのコーディーリアはどこにおる?
posted by CKP at 14:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月05日

理解と共感――神崎繁先生ご講演拝聴記

 昨日は、大谷大学西哲・倫理学学会主催の講演会で専修大学の神崎繁先生の「ニーチェとストア哲学――「憐み・同情」の禁止をめぐって――」というご講演を拝聴した。

 神崎先生はいわゆる「ニーチェ研究者」ではない。
プラトン、アリストテレスなどの古代ギリシア哲学の日本を代表する研究者である(我らが朴一功先生とともに)。
そのようなギリシア学徒が、なぜニーチェを・・・?とちょっと戸惑いながら拝聴する(ニーチェというテーマを指定したのはこちら側なんですけどね)。
しかし、お話が始まってすぐにそのような疑問は解消する。
ニーチェは、神崎先生と同じ古典文献学者だったんですね。

 したがって神崎先生のニーチェ論は、ニーチェの詩的表現の基底にある古典文献学的重低音を聴きとっていかれるスタイルに貫かれたものであった。
そのようにしてニーチェの同情批判論の背後にストア的アパテイアの流れを取り出してこられる。
つまり、ニーチェの同情批判論に共感つまり同情したりあるいは反発したりと自己を基準に向き合うのではなく、自己をいったん棄ててニーチェの文脈・論理に入りこみ、その文脈の生成を追体験して行くという手法をとられ、ニーチェのうちのストア哲学の流れを取り出してこられるのである。
共感・反発の以前に、まずは「理解」へとクールに進んでゆかれるのである。
そして、それ自体がニーチェが採った古典文献学の手法なのである。
穏やかな語り口と手法のクールさ、かっこいいなぁ・・・という共感の仕方しか出来なくてスミマセン。

 そのような視点で先生のお話をお聴きしていると、先生がご講演の結論部分で引用されていたニーチェの言葉がよく理解できるのである。

「行為の原理としての同情は、「他人が苦しんでいるままにその災悪を苦しめ」という要求をすることで、自己という視点が、拡張され、逸脱して、他者、すなわち同情される者の視点ともならざるをえないという帰結をともなうこととなろう。この結果、われわれはわれわれ自身の自己と他者の自己とを同時に苦しまねばならず、われわれ自身の重荷をできる限り軽減するのではなく、むしろこのような仕方で自らすすんで二重の非理性の重りをつける破目となる。」(『朝焼けの輝き』第137節ー当日神崎先生が配られたレジュメより)

 よく理解できると言っても、私の場合、ニーチェって、「自己の視点」を絶対視して疑わずそこからのみ世界を理解して同情してそしてしんどがっている「非理性」つまりバカがしんそこ嫌いだったんだなぁという理解になってしまうのですが。

 それはともかく、ニーチェ論というと、ふつうやたらと熱く語るか妙に人生論風になってしまうことが多いのですが、クールにニーチェを分析・理解してゆく古典文献学的手法に大いに教えられかつ反省させられるご講演でした。
posted by CKP at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月02日

西洋哲学倫理学会秋季公開講演会

明後日、11月4日(木)16時20分より、尋源講堂にて、西洋哲学倫理学会秋季公開講演会を開催します。

講師: 専修大学文学部教授 神崎 繁 氏

講題: ニーチェとストア哲学---憐れみ・同情の禁止をめぐって---


*「困難」や「苦悩」に向き合うこと、そのうえでなお、というより

そのためにこそ、「他者への 同情」を行ってはならないこと、

---その意味するところを、ニーチェに即して考えてみよう。

(神崎繁『ニーチェ どうして同情してはいけないのか』[NHK出版、2002年]より)

ふるってご参加ください!
posted by pada at 23:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いよいよ開始!「明るい悩みの研究室」――哲学科志望の息子をあきらめさせるには・・・?

 数日前、当ブログに「大学 哲学 あきらめさせる」というキーワードでアクセスしてこられた方があったようです。
どのような思いでアクセスされ、どの記事を読まれたのでしょうか?

という訳で、いよいよ「明るい悩みの研究室」の始まりです。

【相談】
 子どもが大学の哲学科に進学したいと言っています。
あんなところに行くと、ろくでもない人生を送ることになりそうで、何とかあきらめさせたいと思っています。
どうしたらよいでしょう。

【お答え】
 えらい言われ方ですね。
哲学科に進学すると「ろくでもない人生」になるかどうかは微妙なところです。
哲学科に学び、哲学科で教師をしている私の人生が「ろくでもない」と言われれば返す言葉を持たない私ですから。
確かに、大金持ちになったわけではありませんが、世の中、なかなか楽しく見えて、これはこれでけっこう楽しいのですが・・・・
傍目には「ろくでもない」と映るかも知れませんが。

 が、哲学科を卒業してゆく学生諸君はどういうわけか、その後、私などを見習うことなく、自分で何とかしながらしっかりした人生を送っているようです。

 さて、ご相談の件ですが、あなたのお子さんはどのタイプでしょう。
既に哲学をだいぶ勉強されて「ノエマがどうした」とか「超越論的統覚がまがった」とかややこしいことを言い出しておられるタイプですか?

 このタイプを説得して哲学科をあきらめさせるのは容易なことではありません。
理論的に固まっていますから、それを解体するには、親御さん自身が哲学に強くなることが必要です。
ですから、哲学の本をごっそり買い込んで、たとえば朴一功『魂の正義ープラトン倫理学の視座』を買い込んでばっちりと読んで理論武装をしてから、説得にあたるべきでしょう。
それでも負けるようならば、親御さん自身が哲学科に入学し「ノエシスがこうした」「構想力がまがった」と子どもの前で展開しましょう。
そうなると、こんな大人になるのはいかがなものか、とさっさと哲学科を断念するかも知れません。
本学哲学科に入学した学生の多くも、私の姿などを見て、ちゃんと社会に出てしっかりと地に足をつけて生きようと卒業してゆくようです。
そのような哲学教師の役割を親御さん自身が演じれば、すべて解決です。

 あるいは、お子さんは、なんとなく哲学科へ行きたい、というようなタイプでしょうか?

 このタイプは、「哲学科へ行きたい」という強い意志を持っているというよりも、いまの自分の境遇に疑問を持ちはじめ、「私とは何か」という根本的哲学問題に突き当たってしまったお子さんです。
つまり、「ねえ、AKB48ってモーニング娘とは違うのかね」とか「沢尻エリカはもうおしまいだね、どう思う」と尋ねてくる親御さんの相手をいつまでもしていてよいのだろうか、とお子さんは考え始めたわけです。
こんな親の子どものままで生活していていいのだろうか、自分とは何か、と考え始めたのです。
親への反発が「哲学へ」という形になっているわけですね。
いまの中国の「反政府」が「反日」になるようなものです。
したがって、この場合も親御さんが哲学を始めれば、問題はアッという間に解決します。
池上哲司先生の『不可思議な日常』などを読んで「私も哲学科へいこうかね」などと言ってみれば、お子さんは「ヒェー」とたちまち別の道を選ぶことでしょう。

 というわけで、子どもさんが哲学科へ行きたいと言い出されたら、親御さんがあきらめて哲学科進学を認めるか、それとも親御さん自身が哲学科に進み、お子さんにあきらめさせるかの二つに一つだと思います。
ご健闘を祈ります。
posted by CKP at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする