2010年07月28日

英語の本願――あるいは学びと目的

 英語がグローバル展開をする企業で「公用化」されることについての議論がにぎやかである。
楽天やユニクロが公用化を謳い、ホンダは「ばかな話」と一蹴しているという。
内田樹先生も立て続けに「英語嫌いを作る方法」「英語ができんが、なにがいかんとや」とブログにエントリーされている。
 その骨子と思われる部分を「英語ができんが・・・」から抜書きすると・・・

「英語は中学生にさえ、その価値と有用性が周知されているただ一つの教科である。
そして、おそらく「それゆえに」一部の子どもたちは英語の学習に激しい生理的嫌悪を覚えている。
学校教育の場では、「これを勉強すると金になる」というようなロジックは本来口にされるべきではないということを生徒たちも直感するのである。
その学習動機にある種の「卑しさ」を感じるからこそ、生徒たちは「引く」のである。
私はそう思う。
(大幅に中略)
英語については「英語ができんが、何がいかんとや」と叫ぶことが許されていない。
だから、子どもたちは英語を学ぶ意義についてのオリジナルな説明を持つことが許されない。
どのような教師も「どうして君は英語が勉強したいの?」という問いに「意外な答え」が返ってくることを期待していない。
そのような教科は「脳」の活動を停止させてしまう。
これは生徒たちの個人的決断にかかわるものではない。
努力と報酬の相関が示された瞬間に、人間は「与えられた判断枠組み」を超え出るという意欲を深く、致命的に殺がれてしまう。
けれども、知性の活動とは、極限すれば、「与えられた判断枠組みを超え出る」自己超越の緊張以外の何ものでもないのである。」

 内田先生の詳しい論理展開は直接ブログを参照していただくことにして、原理的にはそのとおりだと思う。
「努力と報酬の相関が示された瞬間に、人間は「与えられた判断枠組み」を超え出るという意欲を深く、致命的に殺がれてしまう。」

 努力をして英語を道具として完璧に使いこなすことができるようになれば社会的地位とそれに見合った報酬が約束される、と聞かされたとたん、努力への意欲が萎えてしまう。
なぜか?
そんな成功者になりたくないですぅ・・・ということもある。
がしかし、決定的なのは、そこでは自分が変わらないということである。
自分が変わるということが前提されていないからである。
彼方にある「金になる成功」を英語という道具を長く伸ばしてこちら引き寄せる。
英語という道具を使いこなせるようにはなるが、私のあり方=「与えられた判断枠組み」は変わらない。
「金持ちエライ」と思っていた「私」が、「えらい金持ちになる」だけで、「私」そのものは変わらず、金が増えただけである。
これでは、学ぶことは面白くないのである。

 人間はどこかで変わることを望んでいる。欲望している。
生・老・病・死は、人間が確実に変化してゆくことを、身体の変化において表現したものである。
それに対して、変わらない「私」が抵抗すると、生・老・病・死は「四苦」となる。
良寛さんが「病気のときは病気になるのがよい、死ぬときは死ぬのがよい」と言えたのは、身体の変化と私の変化を同調させることができたからであろう。
普通の人間はここまではなかなかいけないけれども、しかし、どこかで「私」が成熟してゆくことを欲望している。
タナトスが昨日の「私」を殺して、明日の「私」を生み出すのである。
それが「成熟」であり、それは心においては「学び」によってもたらされる。

 英語を単に「成功の道具」と位置づけてしまうと、成熟への欲望が封殺されてしまうから、学ぶ努力が放棄されてしまうのであろう。

 しかし、実際は道具を使うことは私の変化も要請してくる。
道具を使いこなせるような「一人前」になるには、道具に合わせて「私」のあり方が変化せねばならないのである。
カンナと木の特性を知ることで、見習いの大工さんは自分自身を変えて、見事な削りを達成するのである。
単純な「教育=道具・手段論」を主張するときに欠けてしまうのは、この「一人前」に向けて変化・成長してゆくことに対する視点であろう。

こういうこともある。
金持ちになろうと英語を勉強しているとき、副読本のサマセット・モームのエッセイや小説を読みまくった。
そして、モームの皮肉なユーモアに目覚めてしまう。
その結果、「金持ちになるなんでくだらない」と考えるようになってしまった、ということが起こり得る。
現に私らの世代=昭和20年代生まれには、「大学受験のためには英語がカギ」と勉強して、副読本にモームを読んで、しっかり世の中を斜めから見ることを覚えて、「成功」から縁遠くなった輩がいっぱいいる。

 となると、学びにおいては「自分が変わる」ことによって、最初の目的がどうでもよくなってしまうことが起こるのである。
英語をペラペラしゃべって国際的なビジネスマン、と思って英語を勉強した結果、モーム的な人間になってしまったり、うっとおしいオジサン・ロッカーになってしまったりする。
「ミイラ取りがミイラになる」とはこのような事態を言う言葉かもしれない。

しかし、それだからと言って、「努力と報酬の相関」をまったく示すことなく学習を成立させることができるか、というとそうでもない。

「英語ができんが、何がいかんとや」と英語学習の目的・意義を尋ねる生徒に、いつもいつも「自分で考えろ!」というわけにもいかないのである。
仮の目的=方便が与えられなくてはならないのである。
「これからの時代、英語ぐらいできんで、どんげんするかぁ」
 
 そうしていやいやはじめた英語でも、ときにその異国の言葉の響きに面白さや美しさを感じ、考え方に影響を受け、自分の日本語を見直すなどということが起これば、英語の本願が花開くということであろう。
方便としての目的はやはり必要なのである。
でなきゃ、そちらに向かって足は進まない。

 しかし、そこに「英語ができると、金が儲かる」などという目的設定がなされると、多くの生徒は学ぶ意欲を阻喪させるのである。
なぜか?
「お金が大好きです」ではなく「人間が大好きです」という言葉をコピーに採用している大学のブンガクブチョーは、考えねばならないのである。
なんでうちの大学は「お金が大好きです」ではなく「人間が大好きです」としたのだろうと。
という話は、次回にて。
posted by CKP at 14:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月25日

暁天な日々――ぼくの夏日記

夏日記
 「夏日記」である。
「夏休み日記」ではない。誤解なきよう。

7月21日 水曜日
 今日は暁天講座で講話を一席うかがい、午後は教授会という予定。
さむいギャグで朝早くから暁天講座に参集された善男善女を凍りつかせる場面や紛糾した教授会を思い浮かべ、昨夜は殆んど眠られなかった。
一時間ほどトロトロとしたら4時半。
今から眠ると寝過ごしそうなので、ごそごそと起き出し、暁天講座の予習をして5時半に大学へ。

 6時半からの暁天講座に6時前から並んでおられる人々。
一気にプレッシャーが倍増する。
朝早く参集される方々をあきれさせるようなくだらないギャグは封印することを決意する。
いつもくだらないことしか話さないわたしのようの人間には、極めて知的負荷のかかるストレスフルな講話となった。
へとへとで終わる。
とにかく西田幾多郎の「『国文学史講話』の序」のプリントを持って帰っていただくことで役目を果たす。
学長が「他人の褌で相撲を取るような話やな」と評された。
このごろ口のきき方が、だんだんKルベ前々々学長に似てきたのではないか?よいこと悪いことかは微妙なところである。

 暁天講座に全精力を使い果たしたが、教授会のことが不安でぜんぜん眠くならない。
が、まるでジェットラグのようにアタマの芯がボーっとしている。
1,000円以上もするユンケルロイヤルというのをグイっと飲んで教授会へ。
先生方の協力で、粛々と進み、無事終了。
その後FD研修会。
発達障害のお勉強会。
自己診断テストをしたらちょっと危ない点数であった。
が、こうしてせっせとブログするのが理解できる点数であった。

7月22日 木曜日
 今日の暁天講座は聴く側に回る。
しかし、昨夜も自分の暁天講座の反省やら教授会の進行の反省やらで眠られなかった。
それでも、ウイスキーの牛乳割りを飲んで、3時間ほど眠った。
織田先生のすっきりしたお話を拝聴。

 総務から昨日のわたしの話に「感動した」と参加者から声が寄せられたと報告がある。
Kルベ先生なら「西田の褌でそれなりの相撲が取れるようになったちゅうこっちゃ」といってくださるかもしれない。
ヘーゲルや親鸞の褌でいい相撲が取れれば本望である。
なんだか、汚い「本望」であるが。が、ヘーゲルは褌は使わなかったであろう。パンツ?

 今朝は久しぶりに自転車で来たので、帰りは少し遠回りして昔よく行った中華屋さんに行く。
途中、昔、子供とよく行った「ミッキー」というおもちゃ屋さんが健在であるのを確かめる。
『トイ・ストーリー3』を観たいと思うが、時間がない。
そういえば、あのテーマソングは「You’ve got a friend 」というキャロル・キングの名曲のタイトルに「in me」が付いた形であることに、突然気が付く。
さすがランディ・ニューマン。やることが渋い!

 爆睡(@ユーミン)。

7月23日 金曜日
 暁天講座最終日。
とにかく三日間、遅刻せずに参加できた。
教授会で決めたことを進める準備もおよそ完了。
9時半に越前の自宅に帰宅。
 
 明日は、福井の別院での暁天講座で一席、なので福井の別院近くのホテルへ、1時間ほどクルマを飛ばして向かう。
「感動」していただいた話を繰り返すか、予定の話をするかで迷い、またまた眠られず。

7月24日 土曜日
 それでも2時間ほどウトウトできた。
早めに会場へ。ホテルに迎えに来た方と入れ違う。
ここは6時から話。
話しているうちに、ボーッとしてくるが、何とかおさめる。

 後で、「声が大きいのがよかった」と褒められる。
感動はしなかったようである。

7月25日 日曜日
 今日こそ朝寝をするぞ、と一大決意をして布団にかじりついていたら、
「お父さん、今日は社会奉仕の日でしょ!?」と起こされる。
妻と娘は中学校の廃品回収。必然的にお父さんは地域の社会奉仕。つまり、川原の草刈である。
シンジさんやヒロカッちゃん、タカッさんらと、昔泳いだ川が河川改修で変わってしまったことを嘆きつつ、草を刈る。
腰、痛し。

 昼からは夜の「お講」の準備で本堂の掃除。
明日こそとは思うが、今年も境内では6時半からガンガンとラジオ体操。

 みんな、そんなに早起きして体こわしますよ、ホントに。
と、思うがわたし自身も朝寝できないからだになってしまいました。
こうしてだんだん老人になってゆくのですね。
posted by CKP at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月23日

西田幾多郎の「『国文学史講話』の序」はなぜ「『国文学史講話』の序」なのか――大谷大学暁天講座の後で気づいたこと

 先の21日の大谷大学暁天講座で講話せねばならなくなり、西田幾多郎の「『国文学史講話』の序」についてお話した。
 この「『国文学史講話』の序」は、西田の『思索と体験』(岩波文庫)に収められた短いエッセイである。
本ブログでも何回も取り上げている。
今回はタイトルの問題だけを論じてみたい。

 西田の中学以来の友人・藤岡作太郎の『国文学史講話』の「序」として書かれた文章である。
西田も藤岡も幼きわが子を亡くし、悲哀の念を同じくしたことが書かれてある。
が、それは前半だけで後半は専ら西田自身が、わが子を亡くしたことに対する「喪の作業」の中で、親鸞の言葉によって「無限の新生命」に接したということが書かれている。

 だからこのエッセイは「無限の新生命」とか「わが子の死」というようなタイトルがふさわしいのだが、西田は「『国文学史講話』の序」というタイトルのまま、『思索と体験』に収録している。

 それはまずは藤岡作太郎のこの『国文学史講話』が「人情」に基づく仕事であることを強調したいためだと言えるだろう。
西田は、述べている。

「しかし人間の仕事は人情ということを離れて外に目的があるのではない、学問も事業も究竟の目的は人情の為にするのである。而して人情といえば、たとい小なりとはいえ、親が子を思うより痛切なるものはなかろう。」

 藤岡作太郎の仕事はそのような仕事と言いたいのである。
もちろん西田自身の仕事も。
同じころに執筆され、4年後に刊行された『善の研究』の序文には次のような言葉がある。

「この書を特に「善の研究」と名づけた訳は、哲学的研究がその前半を占め居るにも拘らず、人生の問題が中心であり、終結であると考えた故である。」

 ここでは「人情の為」という表現が、「人生の問題」という表現に変わっている。
西田といえば「絶対矛盾の自己同一」などの難解な言葉遣いで敬遠されるが、しかしいつまでも読者が絶えないのは、その中心に「人情」「人生」がリアルに体験され思索されているからであろう。

(このあたりまでは暁天講座でお話したが、以下はその後で気づいたことである。)

 だがしかし、それでも、「『国文学史講話』の序」というタイトルは、『思索と体験』への収録に際しては、変えられてもいいような気がするのは私だけではないだろう。

 しかし、西田にはやはりこのままのタイトルで出さねばならない事情があった。
このエッセイは、明治40年11月(1907年)に書かれ、翌明治41年3月発行の『国文学史講話』に掲載された。
『思索と体験』はそれから7年後の大正4年3月(1915年)に刊行されている。
ところが、西田に自著の「序」を要請した藤岡作太郎は、その書を刊行して2年後の明治43年(1910年)に、東京帝国大学助教授の任なかばで死去しているのである。
西田が京都帝大へ移った年であった。

 ゆえに、この「『国文学史講話』の序」は、藤岡から「今度出版すべき文学史をば亡児の記念にしたいとのこと、及び余にも何か書き添えてくれよ」と要請されて書かれた文章である、ということにとどまらず、『思索と体験』においては、藤岡作太郎自身への追悼・「記念」の文章にもなっているのである。

 鈴木"大拙"貞太郎とあわせて「加賀の三タロー」と称された、そのうちの一人を亡くした当時40歳の西田の悲しみはいかばかりであったろうか?

 その喪の中で、藤岡の『国文学史講話』に添えた自分の文章を西田はどのような思いで読み返したであろうか?
その年に詠まれた歌は、その悲しみと無関係ではあるまい。

「我死なば故郷の山に埋れて昔語りし友を夢みむ」
         (『西田幾多郎歌集』上田薫編・岩波文庫)

 西田は、わが子の死の喪の作業の中で「無限の新生命」に接した体験を、わが友を亡くした体験の中で「我死なば」と繰り返すのである。
三高生となった長男兼を腹膜炎で亡くすのは、その10年後のことであった。
posted by CKP at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月19日

分別/無分別の分別線のアウフヘーベン――新宮一成先生講演拝聴記

 大谷大学宗教学会の「大拙忌」記念公開講演会での新宮一成先生の講演「精神科治療の経験から見た心と身体の関係」という講演をお聴きしてしてから一週間が過ぎてしまった。
大変刺激的で、深くそして感動的な講演であった。
が、その内容を私なりに消化しまとめて提示する段になると、言葉が詰まってしまう。
講演の最初に話された「喉にヒステリー球が詰まる」、というのはこういう感じなのだろうか?
したがって、お話の概要と言うより印象を記すことしかできない。

 お話の「精神科治療」というのは流産した女性が心身に変調をきたしヒステリー状態(たとえば呑み込むことができない)になり、それを克服していく過程のことである。
お話は、大変具体的なお話であった。
しかし、私はそれを、世界を分別している分別線の解体・再構成の過程としてお聴きしたのであった。

 私たちは、通常、私/あなた、都合がよい/わるいというように世界を分別している。
しかし、その分別線で分別しきれないときに、そのような分別線が引かれる前の状態に逆戻りする。
つまり始まりに戻るのである。
そこはカオス状態であるから、あるものをよいものとして呑み込むことができない。
そこでは分別しようする構えが症状をおこしてしまうのである。
つまり、胎内の胎児のようにすべてを受け入れなければならない。
それに抵抗すると症状が出る。
ヒステリーという言葉が子宮というギリシア語から出てきたゆえんが分かったような気がした。

 つまり、いったんそこでは無分別状態になり、再び分別の世界に新たな分別線を引いて再生するという過程が必要になってくるのである。
それは「無分別の分別」ということであるが、しかし、それは「無分別/分別」と無分別と分別を分けることではない。
無分別を含んだ形での分別ということになる。
無分別をモメントとする分別ということになる。
これが「経験」といういうことであろう。

 そこでは一応「心と身体」は分別されるのだけれども、しかし、「心身一如」を含んだ形での分別なのである。

 と、直接ご講演を聴いてない方には何の事だかさっぱり分別できない、いや御講演を聴いていても分からないブログとなって申し訳ないことである。
スミマセン。
posted by CKP at 19:02| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月11日

決心の哲学――デカルトの勇気

 デカルトは疑う人であると同時に決心する人でもある。
昨年度、一回生諸君とデカルトの『方法序説』を読んでいるとき、あまりに「決心した」というような表現が出てくるので思わず、
「やたらと決心するオヤジだなぁ」
とつぶやいてしまった。

 以下に見るようにデカルト氏は「決心する」(prendre la résolutionあるいは se résoudre)のである(引用は岩波文庫版)。

第一部
「以上の理由で、わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問〔人文学〕をまったく放棄してしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした。旅をし、あちこちの軍隊を見、気質や身分の異なるさまざま人たちと交わり、さまざまの経験を積み、運命の巡り合わせる機会をとらえて自分に試練を課し、いたるところで目の前に現れる事柄について反省を加え、そこからの何らかの利点を引き出すことだ。というのは、各人が自分に重大な関わりのあることについてなす推論では、判断を誤ればたちまちその結果によって罰を受けるはずなので、文字の学問をする学者が書斎でめぐらす空疎な思弁についての推論よりも、はるかに多くの真理を見つけ出せると思われたからだ。」(17ページ)

「しかし、このように数年を費やして、世界という書物のなかで研究し、いくらかの経験を得ようと努めた後、ある日、わたし自身のうちでも研究し、とるべき道を選ぶために自分の精神の全力を傾けようと決心した。このことは、自分の国、自分の書物から一度も離れなかった場合にくらべて、はるかにうまく果たせたと思われる。」(18〜19ページ)

第二部
「・・・論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという不変の決心をするなら、次の四つの規則で十分だと信じた。」(28ページ)

第三部
「わたしの第二の格率は、自分の行動においてできる限り確固として果断であり(résolu)、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うことだった。」(36ページ)

「そしてこの企てを達成するためには、今までのことすべてを考えた炉部屋にそれ以上とどまるより、人びとと交わるほうがよいと思ったので、冬がまだ終わらぬうちに(1620年3月頃)、わたしは再び旅に出た。こうしてその後まる九年の間、世界で演じられるあらゆる芝居のなかで、役者よりはむしろ観客になろうと努め、あちこちと巡り歩くばかりだった。そして各々のことがらで、疑わしい点、誤りやすい点について、一つ一つ反省を加えながら、その間に、わたしの精神に前から忍びこんでいたあらゆる誤謬を根絶していった。しかし、だからといってわたしは、疑うためだけに疑い、つねに非決定(irrésolus)でいようとする懐疑論者たちを真似たわけではない。それどころか、わたしの計画は、自ら確信を得ること、緩い土や砂を取りのけて、岩や粘土を見つけだすことだけを目ざしていたからだ。」(41ページ)

「そしてちょうど八年前、こうした願望から、知人のいそうな場所からはいっさい遠ざかり、この地(オランダ)に隠れすむ決心をした。」(44ページ)

第四部
「最後に、わたしたちが目覚めているときに持つ思考がすべてそのまま眠っているときにも現れうる、しかもその場合真であるものは一つもないことを考えて、わたしは、それまで自分の精神のなかに入っていたものすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟ウ、故ニワレ在リ〕」というこの真理葉、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。」(46ページ)

 最初の決心、つまり書物による学問を放棄し、自分自身と世間という大きな書物のうちに学問を見出そうとする決心はいつのことだろうか?
1615年秋のラ・フレーシュ学院卒業の頃か(19歳)、翌年のポアティエ大学で法学学士号をとったころか。
あるいは、軍隊に入った1618年の初めのころか(22歳)。

次の「ある日、わたし自身のうちでも研究し、とるべき道を選ぶために自分の精神の全力を傾けようと決心した」のは、1619年から20年にかけてのドイツでの「炉部屋」の出来事である(23歳)
そして、そこで「4つの規則」を遵守する固い決心をする。

 そして、『方法序説』執筆の8年前、つまり1628年、デカルトはオランダに隠れ住む決心をした。32歳であった。
そして、最初の数ヶ月に形而上学の問題に取り組み、そこで疑わしいすべてを「偽」とする、という決心をする。

 こうしてみるとデカルトは人生の岐路において「決心」していることが分かる。
というより、決心したからその時点が岐路になったのであろう。

 その決心を決心させたものは何であろうか?
人はどのようにして人生を決定するような決心をするのであろうか?
デカルトの場合、例えば書物の学問を捨てて、「世間という大きな書物」に向かうとき、学校での学問への見切りがある。
しかし、旅に出て真実を見出すことができるかどうかの保障はいっさいない。
そのほうが真実を見出せると思われるという予想だけである。
ダルタニャンや三銃士のように剣術修行ならぬ学問修行に出発する心持だったのだろうか?
もちろん、数学的に真実を見出せる蓋然性を計量したではあろう。
しかし、「一人で闇の中を歩く人間のように」(27ページ)というのは単なる比喩ではないだろう。
ホントに彼の前には「闇」が広がっていたのだろう。
そこに一歩踏み出すのには、安全や成功が担保できないのだから、結局、勇気以外に援軍はない。
それは、そのリスクは自分で負うという責任感でもある。

 疑うために疑う懐疑論者に欠けているもの、それは勇気なのである。
デカルトの哲学的思索を推し進めたものは、確実性ではなく勇気なのではないか?

 デカルトが4歳のころ発表された『ハムレット』も、決心を巡る劇である。
ハムレットは、復讐への確実な証拠を得ようとする。
そして、父の亡霊は悪魔ではなかったかと、劇中劇を試みる。
しかし、そこでは得たのは状況証拠でしかない。
しかし、ハムレットは行動に移る。
確実な証拠なしに行動に移るハムレット、と批判されるのが常であるが、しかし人は行動しようと決心するとき、確実性を担保して行動に移るのか?
行動するとはリスクを犯すことであり、それはその失敗の責任も自分で負うという決意と勇気によって成り立つ。

 人はクロスロードで悪魔に出会い取引をする、と言われる。
それはリスクを犯すということであろう。
しかし、そこを一歩踏み出さなければデカルトはデカルトでなく、ハムレットはハムレットでなく、ロバート・ジョンソンはロバート・ジョンソンではなかったであろう。
posted by CKP at 22:31| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月08日

新宮一成先生講演会――大拙忌記念公開講演会

 今年も大拙忌の季節となりました。

 歳ひとつ 重ね今年も 大拙忌

 という訳で、今年は京都大学の新宮一成先生に「精神科治療の経験から見た心と身体の関係」という題でご講演していただきます。
すでに英訳もされている名著『ラカンの精神分析』では、浄土真宗や禅にも言及されておられますので、精神科治療の現場から見た宗教というお話も聞けるかも知れません。

 おそらくフロイトやラカンの理論的な考察というよりも、現場での具体的なお話が聴けるものと期待しております。

 いよいよ完結の追い込みに入っている岩波版フロイト全集の編集責任者としての激務の中、ご出講していただきました。
みなさま、ぜひぜひご参集ください。

 私の開会の挨拶も聞けます(5分も時間をいただいております)。

おっと、日時、場所を書くのを忘れておりました!

 今年は7月12日(月)のずばりの大拙忌。
4時20分開始(つまり大学時間の5コマ目)。
場所は大谷大学響流(こーる)館3階メディア・ホール。
主催は大谷大学宗教学会です。
posted by CKP at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月07日

ミッション・インポッシブル――大谷大学の場合

 少し前に、「ミッション:インポッシブル・イン・大谷大学――「浄土真宗の学場」ということ――」という文章を、「大谷大学真宗総合研究所所報」に書いた。

 すぐさま、マーカーを引いて
「面白いっすっ」
と読んでくださったのが、O田課長であった。
神戸女学院の内田樹先生と「ミッションスクールのミッション」についてメールのやり取りをしているとき、この文章をお示ししたら
「ナイスなタイトリングでしたね」
と内田先生からお言葉をいただいた。
また、先日、ある先生から、
「この文書、内部文書にしておくのはもったいない」
と言っていただいた。

 という訳で、少し「いい気になって」ここに再録するものであります。

   *      *       *
 

 本学初代学長・清澤満之が「開校の辞」で次のように述べているのはよく知られている。
「本学は他の学校とは異なりまして宗教学校なること、ことに仏教の中において浄土真宗の学場であります。即ち、我々が信奉する本願他力の宗義に基づきまして、我々において最大事件なる自己の信念の確立の上に、その信仰を他に伝える、即ち自信教人信の誠を尽くす人物を養成するのが、本学の特質であります。」
 しかし、これに続く修学年数に関する言及のあとの次の文章が注目されることは稀である。
「またその科目に至りては、一派における宗学と、及び他の諸宗の教義の学と、最も本学に直接の関係を有するところの須要なる世間の学科を教授いたします。もちろん今日の有様では完全ではありませぬけれど、冀わくば佛祖の冥祐の下に、外は広く内外諸士の賛助を得、内は教職員生徒一同に力を協せ、本学の目的を達したきことであります。」
つまり、今で言う「真宗学」「仏教学」に加えて「最も本学に直接の関係を有するところの須要なる世間の学」を教授するというのである。
 この開校式に参列した人々は、本学が「その信仰を他に伝える、即ち自信教人信の誠を尽くす人物を養成する」「浄土真宗の学場」であるという、当時としては大胆な宣言に、驚きつつも賛同したであろう。しかし、その人々も、「最も本学に直接の関係を有するところの須要なる世間の学」という表現には首をひねったのではないか。いったいこの言葉で清澤満之は何を言おうとしているのか、と。この「世間の学」とは、英語やドイツ語の「外国語」と社会学などを含めた広い意味での「哲学」を指しているが、なぜそれらが「須要」と形容されるのか、と。
 しかも、このカリキュラムは完全ではない、今後、さまざまな人々の協力の下、目的を達していきたい、とも述べられる。何を持って完全とするのか、どのような協力が必要なのか、という疑問も惹起される。
 なんとも分かりにくい「開校の辞」である。
 しかし、おそらく清澤は、わざととは言わないまでも、列席している人々が、そして後にこれを読む我々が、この文章をめぐって考え、そしてあれやこれやと議論するようにこの文章を起こしたのではないだろうか?
 ニセモノの師は、我々に答えを与え我々から考える機会を奪うが、本当の師は、我々を謎の中に投げ込み考えさせる。
 というわけで「須要なる世間の学科」から「浄土真宗の学場」を考えて、そのような議論に加わってみたい。
 「浄土真宗の学場」などと言われると、「世間の学科」に携わるものは思わず後退りしてしまう。しかし、自分たちの立つこの現実世界を虚仮の世界として、そこから真実の世界つまり浄土を仰ぎ欲望することを学びとして位置づけたと考えればよいであろう。すると、浄土とは、お前はいまだ真実に欠けた者だということを照らし出す光の発するところとなり、その光によって真実への欲望が喚起されるところとなる。
 その欲望を喚起する光が、他力である。
 「自己の信念の確立」とは、そのような他力によって真実への欲望を呼び覚まされた自分を引き受けるということであろう。したがって、その信念を他に伝えるつまり「自信教人信の誠を尽くす」ということは、きわめて難しいことである。
 親鸞は、この「自信教人信」という言葉について、善導の『往生礼賛』の文章を次のように読み下している。
「 自ら信じ人を教えて信じせしむ、難きが中にうたたまた難し。大悲、弘く普く化する、真に仏恩を報ずるに成る。」(『教行信証』信巻)
 自ら信じるところを人に教えることは、困難中の困難だと言う。なぜなら、大悲を弘めることは仏恩に報いるということによって成立する。つまり、まず仏恩の承認が前提となるからである。したがって、人間一人の力では不可能な使命なのである。
 つまり、ミッション:インポッシブルなのである。
 したがって、我々教師ができることはただ一つ、真実の世界を激しく欲望する「愚者」として学生諸君の前に立ち、そのようにして真実の世界を仰ぎ見ることにより学生諸君の眼差しを真実の世界へと誘うことだけである。そして、その世界からの光によって学生諸君の中に真実への欲望が喚起される。
 このような真実への欲望が燃え盛る場を「浄土真宗の学場」というのである。
 したがって、真宗総合研究所は、何よりも教壇に立とうとするものが、その真実への欲望を確かめる場でならなくてはならない。そこでは、「一派における宗学」はもちろん「世間の学科」も「浄土真宗の学場」に「須要なる」ものとして、総合されている。なぜならば、それらの世間の学問こそが、世間を照らす真実を激しく求めているからである。

  *      *       *

 もちろん、「ミッション・インポッシブル」では、つまり「スパイ大作戦」では、ミッションを伝えるテープは、再生された後消滅するのであるから、真実における「前言撤回」という問題も考えねばならない。
が、まずはここまで考えてみたわけである。
 
posted by CKP at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月06日

人生がサッカーのように誤審に満ちていてもいいじゃないか――つみを

 誤審がワールドカップの行方を決める。
人生だって、どうしたって「誤審」としか思えない判断がその行方を決めるときがある。
が、人生にはビデオの再生はない。
それが誤審かどうかは分からない。
ただはっきりしていることは、その判断が私には気に入らない、ということだけである。
私の目から見て、「誤審としか思えない」ということに過ぎない。
どんなに「誤審だ!」と騒いでも、人生は止まることなく続いている。
「誤審だ」という判断そのものが誤審かも知れないよ、と人生は続いてゆくのである。
(もちろん裁判には誤審があってはならない。あ、入試なんかも「誤審」があってはいけませんね。)

 サッカーだって、ビデオ再生がなかったら、あれほどはっきり誤審と判定されないであろう。

 だからね、人生にはサッカーのように誤審が付き物であるのなら、あ、誤審だなと思ってもクサることなく、にっこり笑って人生を続けなければならない。
そうすれば荒川良々くんがカロリーメイトを投げながら言うように
「意外な展開が仕事をドラマに変える、かもだゼ」
なのである。


 というわけでいよいよ準決勝である。
南米チームが次々と消えてしまったが、結局、見事にカトリック系とプロテスタント系の対決になりました。
私としては無駄を省いた合理的なプロテスタント系のサッカーよりも、カトリック系の祝祭性に満ちたラテン系のサッカーが楽しいのですが・・・
posted by CKP at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月03日

じっと我慢の子であった――iPad会見記

 昨日は、来年度からの大谷大学人文情報学科でのiPad使用についての記者会見で冒頭の挨拶をした。
 記事はこちら↓

http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20100702000163

 人文情報学科のI田先生やM川先生、そして事務のT川部長やO田課長が、うまくニュースにとりあげてもらえるように、入念に準備をされた。
わたしもO田課長にアイデアと提供せねばと、
「iPadだから、ジョブズのようにジーパンで記者会見しようよ」
とご提案申し上げた。
O田課長は、しばしの沈黙あと、
「皆さん、スーツで出席なさいます」

 あのさ、一言ぐらい、「面白いですね」と言っても、バチはあたらんだろう?
ホントに気がきかん奴め!と少しむっとして、こうなったら、二宮金次郎のカッコしてマキを背負ってiPadを読みつつ登場したろか!
二宮金次郎が欲しがるiPad!
いいんじゃない?
と思ったが、そんなことを言ったら叱られそうな雰囲気なので思いとどまった。 
「貝葉写本とか和綴本とか並べたら・・・」
とも提案したのだが、即却下!

「挨拶は一分。よけいなことは言わないでください。あくまでも授業でiPadをどう使うかがメインです」

 あのね、わたしは、よけいな事を言うことで生きている人間ですよ。
そのわたしにそんな事を命ずるのは死ねと言うのとおんなじなのよ・・・と思ったが、準備を重ねてこられた皆さんの努力を無にするには忍びないので、一分間のよけいな事を言わない空気のような挨拶文を考えた。
原稿を作っていたら、学長先生が点検に来られた。
こいつ、なんかよけいな事を言うんじゃないか?という訳である。
それで原稿を点検していただき、オッケーをいただき会見場に。

 そこには「文学部長挨拶 15:30〜31」と書いてあるではないか!
ここで、よけいな事を一分以上しゃべったら、T藤氏あたりが取り押さえにきそうな雰囲気である。
で、予定通り一分の挨拶をして、後はおとなしくしておりましたっ!

 その甲斐あって、いくつかの新聞がとりあげてくれました。
入念な準備をされた皆さん、お疲れさまでした。

 しかし、iPadを読みつつ歩く二宮金次郎って、面白くない?

 
posted by CKP at 22:26| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする