2009年12月30日

今年のベストCD――番外編

 今年のベストCDは、ポリーニのバッハとウィリーー・ネルソンのジャズ・ソングであるということは以前にご報告した。

 もう一つ、今年よく聞いたCDをご報告するのを忘れていた。
 それは、柳家小三治のCDだが、ずいぶん昔に発売されていたCDなので「番外編」せざるを得なかった。
「せざるを得なかった」というほどのことでもないが・・・
 
以前は小三治という人は少し理屈っぽくてどこか陰気で苦手だった。
しかし、今年の正月のテレビの寄席中継で久しぶりに聞いた小三治師匠の「初天神」がとてもよかった。
また、岩波から出ていた小沢昭一氏らとの句会の記録のエッセイや俳句もなかなか楽しかったので、CDやDVDを買って、わりと集中的に聞いたのである。

 そのなかで、ばかばかしくも味わい深いものを二点ご報告、推薦したい。
『柳家小三治トークショウB玉子かけ御飯&駐車場物語』
落語なしのだらだらしたマクラだけのトークであるが、「玉子かけ御飯」は「玉子かけ御飯」を食べたくなるような話芸がひかる。
「駐車場物語」は、駐車場に居ついてしまったホームレスのオジサンの話。そのオジサンと師匠のやり取りがしみじみとしている中にもおかしみがあって、なんとも言えぬ味わいがある。

 それと『柳家小三治U、四ドリアン騒動〜備前徳利』
「ドリアン騒動」というのは40分もかかる長大なマクラなのだけれどもこれが面白い。そこに行くまでの「掃除論」も聞かせる。

 こういうものを何度も聴いた、というのは我ながらどうかと思わないでもないが・・・

 というわけで、みなさま、よいお年を。
posted by CKP at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

涙の時間――「悲」の時空

 世の中、迎春準備で忙しいから、人は死なないというわけにはいかない。

 一昨日は、今年の夏90歳の母親を浄土へと送った61歳の息子さんのお葬式を勤めねばならなかった。
お母さんの葬式のときひどくやつれておられたので「母親を亡くすというのは、いくつになってもショックなんだなぁ」と思っていたら、その母親の忌明けを待たず癌が発見され入院。
それから三ヶ月であっという間に亡くなってしまった。
正月に病院から家に帰る準備をしている矢先だったそうな。

 枕経に駆けつけたとき、その30歳くらいの息子さんは葬儀屋さんと棺桶の値段を決めていた。
「キリスト教用の棺桶もあるんですねぇ」などとわりと余裕の会話をしていた。

 しかし、「では、葬式の段取りは後にして、とにかく枕経を勤めて、阿弥陀さんにご報告しましょう」と、私が阿弥陀経を勤め始めると、先ほどまで気丈に振舞っていた息子さんも洟をすすりながら泣いておられた。

 私のような人間でも、衣を着て袈裟をつけてお経を上げると、そこにけっこう厳粛な時空が現出するのである。

 葬儀を進めてゆく時間の流れのなかでも、俗なる時空と聖なる時空があるのである。
儀式的な時空が開かれるとき、人は粛然と聖なる時空の中で「悲」に向き合う。
「かなし」という日本語には、「欠如」という意味合いがある。
したがって、「かなし」とは、人間の万能を諦めることでろう。
万能でない自分を受け入れることである。

 そういう時空が儀式によって開かれる。
俗なる時空に切れ目を入れることで開かれるのである。

 お正月という「切れ目」も同じ性格を持つものである。
自分が万能であると思っている人間は、お正月だからといって、神仏の前に佇むことはないであろう。

 というわけで、今度は初詣の準備に忙しいのであった。
posted by CKP at 17:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月28日

ルクレティウスより

  それゆえ、心のこの恐怖と暗黒を追い払うものは、
  
  太陽の光明でもなく、白日のきらめく陽射しでもなくて、
  
  自然の形象と理法でなければならない。
        
           (『事物の本性について』第1巻146-148行)

 ルクレティウス(前94?-51?年頃)は、ローマの詩人哲学者。六巻からなる『事物の本性について』(De Rerum Natura)一作だけを残して世を去った。生没年をはじめ、その生涯について確かなことは何も知られていない。エピクロス(前341-270年)を師と仰ぎ、彼の哲学に救いを見出して、原子論に基づく世界観を展開した。
 人を、生の不安、死の恐怖から解放するものは、自然(事物の本性)の研究であるというエピクロスの立場(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第10巻142節)を受け継ぎ、彼の詩の鋭さは増す。不安や恐怖なき状態が、こう表現されるまでに。

  楽しいことだ、平原にくり広げられる大きな激戦を
  
  わが身の危険なくして眺めることは。

             (『事物の本性について』第2巻5-6行)
posted by pada at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 思想の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

今年の本ベスト3!――自画自賛・我田引水編

 よく考えてみたら、私が今年一番よく読んだ本は『フロイト全集第12巻』(岩波書店)であった。
その巻の約三分の二を占める「トーテムとタブー」の翻訳を担当したからである。
おそらくこの翻訳の編集担当のN澤さんを除けば、誰よりも数多く読んでいると思う。
そして、N澤さんや校正係の方そして責任編集の須藤先生から様々な指摘を受けて、相当読みやすい訳文に仕上がっていると思う。

 また、フランス国立高等研究院とジャン・ボベロ先生と共同編集した『揺れ動く死と生――宗教と合理性のはざまで』(晃洋書房)も当然よく読んだ。
発刊した当初は、もう少し編集作業を進めたらもっと面白い本になったという思いが残った。
しかし、今あらためて読み返してみると、これはこれでなかなか貴重な論集ではないかと自画自賛したい。
 フランスと日本の研究者が、それぞれを意識しながら現在における「死と生」の問題を対象化した論考は、それぞれの「当たり前」を問い直す鋭い視点を提出しているように思う。

 最後にこれには私は直接関係しないが、同僚の池上先生が参加された『岩波講座哲学12 性/愛の哲学』。
最初、川本隆史先生の「展望 女性、家族、そして性愛の探究へ――宮迫千鶴からの展望――」という故宮迫千鶴さんへの追悼文のような文章を拝読したとき、「なんでいきなり宮迫千鶴なんだ?」と多少面喰ってしまった。
しかし、その文章を何度か読み直したり、他の論文や全体の構成を見わたすうちに、この巻が今までの性の問題圏とはまったく違う視点で構成されていることに気づいた。
それは自分自身の身体をも含めた自然へのいたわりに満ちた視線の向こうに、さまざまな近代的分裂を越えてゆく可能性を開こうとする試みであるように思う。
講座の最終巻になってしまった巻でしたが、それだけ待った甲斐があった本だと思います。
ただ、ひとこと不満を述べると、家−庭つまりファミリーを考えるとき、やはり死者を考える視点が欲しい。
生者だけではファミリーは成立しない――というような視点は、『揺れ動く死と生』や『トーテムとタブー』で補完して読んでくださいね。
うまく出来てますね。

 しかし、こうしてみると今年の私は、2冊の本の出版に関わり、そしてブログをせっせと書き、そのうえ授業までもして、ホントよく働きました。
我ながらえらい!
posted by CKP at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゼミ連絡――門脇ゼミ新年懇親会のお知らせ

 門脇ゼミ3・4回生の方々にお知らせします。
 
 来春早々の懇親会=コンパ=新年会=卒論無事提出おめでとう会は、予定通り開催します。

 1月13日(水)の夕方です。
 詳細はその日のゼミで連絡します。

 出席する人で、まだ申し込んでない人はただちにとりあえず門脇まで知らせて下さい。

 が、卒業予定者諸君は、その会に笑って出席できるよう、必死こいて論文書くよーに。
posted by CKP at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月23日

2009年わたしの読んだ本――ベスト3発表!

 ハイ、いよいよ今年読んだ本、ベスト3の発表です。

 まずは橋本治著『双調平家物語ノートU 院政の日本人』(講談社)
 私は小説『双調平家物語』も『双調平家物語ノートT 権力の日本人』も読んでいない。
が、たまたま同じ橋本治著の『日本の女帝の物語』(集英社新書)を読んで、古代の女帝の系図を読み解いてゆく考察の面白さに圧倒され、同じように系図と年表満載の『ノートU』を読みはじめたのでした。
そしたら止まらなくなって、2段組み400ページ余りのこの本をあっと言う間に読んでしまったのでした。
ひたすら「系図」を読むことが、何でこんなに面白いのだろう?
なんか、とても怪しい読後感の残る本でした。
『ノートT』も小説の方も読みたくなる、という点では、ちょっとまずいのですが・・・。

 その次は、冨原眞弓先生の『トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界――ムーミントロールの誕生』(青土社)

 シモーヌ・ヴェイユの専門家の冨原先生のもう一つの専門・ムーミンの作家トーヴェ・ヤンソンが、ムーミンを生みだしてゆく過程を丁寧に描いた圧倒的な労作。
「ガルム」とは、北欧の昔話に出てくる犬の名を冠した風刺雑誌。その雑誌からムーミンが生まれる経緯を貴重な版を数多く配して造られた美しい本。
と同時に、ヴェイユの新訳が待たれます。

 そして最後に高畑勲著『一枚の絵から 日本編・海外編』
スタジオ・ジブリの高畑氏が日本や海外のいろんな絵について、アニメーターとしての独特の視点から語る本。
まだ全部は読んでいないけど、寝る前に少しずつ少しずつ楽しみに読んでいる。
名著・赤瀬川原平『名画読本』とはまた違った視点で、絵を見る楽しさが味わえる本だと思います。

 番外編として
 『淀川長治映画ベスト1000』(岡田喜一郎編、河出書房新社)。
これは以前の出たものの増補版。
淀川先生生誕100年(ヴェイユの同い年!)ということで再刊行されたもの。
読みだすと止まらない映画事典。
『おしゃれ泥棒』は入っていませんが・・・

 それに加えて、延塚知道『『浄土論註』の思想解明――親鸞の視点から――』(文栄堂)
これは昨年発刊だけれども、今年よく読んだ本。
なぜよく読んだかと言えば、さらっと読んでもよく分からないから。
しかし、『浄土論註』の解説本を横においてじっくり読んでいくと、ややこしい仏教用語の縺れの向こうにスッキリした論理が見えてくる。

 というわけで、哲学関係の本がないのがいかがなものか、という2009年ベスト3でした。
posted by CKP at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月22日

パリのヒッチコック――本物の贋作の『おしゃれ泥棒』

 越前はこの週末すっぽりと雪に埋まりました。
 パリも零度以下に冷え込んだそうです。
 という訳で「パリのヒッチコック」

 オードリー・ヘップバーンにはパリを舞台にした映画がいくつかあるが、そのなかでわりと好きなのが、ウィリアム・ワイラー監督、ピーター・オトゥール共演の『おしゃれ泥棒』(1966)。
パリを舞台としたサスペンス・コメディとしては『シャレード』の方が優れている。
ワイラー監督とのロマンチック・コメディとしては断然『ローマの休日』の方がよい。
『おしゃれ泥棒』というのは、ジバンシーを着たオードリーを観るだけの映画、という言われ方さえする、そんな映画なのですが、好きなんですね。

 なぜなんだろうと、この間見直していたら、この映画にもヒッチコックが登場していた。
『ローマの休日』の時は、ヒッチコックという名前だけであったが、この映画では、ヒッチコックの顔写真が堂々と出ている。
それも、お面のようにオードリーの顔にかぶさる形で!
ワイラー監督はよほどヒッチコックをオードリーの映画に出すのがお好きのようです。

 『おしゃれ泥棒』というのはどんな映画で、なぜそこにヒッチコックがでてくるか、については、またじっくり縷々述べることにしたい。
映画の英語タイトルは、How to steal a million、百万ドルを盗む方法。
オードリーとピーター・オトゥールが、百万ドルの「チェリーニのヴィーナス」(実は贋作)を盗むという物語なのだが、なぜこの二人が泥棒になるのかを説明するのが、大変ややこしい。

ので、年末でバタバタしているので、詳細はいずれまた!
posted by CKP at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月16日

ハードボイルドなデカルト――哲学にとっての「成熟」とか「孤独」とか

 デカルトの『方法序説』に述べられる「方法」とは何だろうか。

「我思う、ゆえに我在り」は「方法」ではない。「哲学の第一原理」である。
デカルトが『方法序説』ではっきりと「方法」として名指すのは、第2部で挙げられる「4つの規則」である。
つまり、いわゆる「明証性の規則」「分析の規則」「総合の規則」「枚挙の規則」。
これだけ挙げれば『方法序説』つまり「方法についての話」は終わってもいい。

 たしかに、第4部以降に展開される「哲学の第一原理」をはじめとする方法の具体的成果も書かれるべきであろう。
しかしデカルトはこの書を「一枚の絵に描くように自分の生涯を再現」するものとして書いている。
ということは、デカルトの方法と彼の生涯とは密接な関係にあるということであろう。
デカルトの方法とは、4つの規則を取り出せばそのまま普遍的に妥当するというそのような抽象的なものとは違うということであろう。
お手軽なハウ・ツー本とは違うのである。

 デカルトは、『方法序説』(1636年完成、翌37年刊行)までの「生涯」を第1部から第3部にかけて書いている。

 第1部で、子どもの時から養われてきた「文字による学問」の放棄に至った経緯と、「世界という大きな書物」のうちに学問を求め旅に出ることを述べる。

「このように数年を費やして、世界という書物のなかで研究し、いくらかの経験を得ようと努めた後、ある日、わたし自身のうちでも研究し、とるべき道を選ぶために自分の精神の全力を傾けようと決心した。」(岩波文庫版、谷川訳、18ページ)

1616年から19年、20歳から23歳のころ、大学を終えたデカルトは軍隊に入ったりして旅の生活を送っている。
そして、「ある日」、デカルトは目を「世界という大きな書物」から「わたし自身のうち」へと向けるのである。

 第2部の冒頭はその「ある日」のことをから、書きはじめられる。

「その頃わたしはドイツにいた。・・・・そこでは気を散らす付き合いもなく、またさいわい、心乱す心配事や情念もなかったので、わたしは終日ひとり炉部屋に閉じこもり、心ゆくまで思索にふけった。」(同、20ページ)

 そこでデカルトは、4つの規則を確立し、それを数学に応用してその方法の確かさを確認する。しかし、すべての学問の基礎である「哲学の原理」を見出していないことに気づき、それを打ち立てるべきと考える。
そこで「われ思う・・・」が登場するかと期待してしまうが、そうではない。

「そしてそれは、この世で何よりも重要なことであり、即断と偏見が最も恐れられるべきことであったから、当時23歳だったわたしは、もっと成熟した年齢に達するまでは、これをやりとげようと企ててはならないと考えた。わたしの精神から、その時より前に受け入れていた悪しき意見のすべてを根絶するとともに、たくさんの経験を積み重ねて、後にわたしの推論の材料となるようにし、また自分に命じた方法をたえず修練して、ますますそれを強固にし、あらかじめ十分な準備のために費やしたうえでなければならない、と考えたのである。」(33ページ)

1619年から20年にかけての冬、4つの規則を確認したデカルトは、それを駆使して「哲学の原理」を打ち立てるのではない。
それには、「成熟」「経験」「修練」が必要だという。
「23歳」の若造には「哲学の原理」など、「十年(?)はやい」と言っているのである。

それで第3部である。
いよいよ「われ思う・・・」と思いきや、まだデカルトは「炉部屋」に引き籠っている。
新たな家を建てる前の仮住まいつまり「仮の道徳」を提示する。
第一:国の法律と慣習に従うこと
第二:行動においては確固として果断であること。
第三:運命より自分に打ち克つこと。
第四:最善の仕事を選び出すこと。
このように決めたのち

「・・・まだ冬が終わらぬうちに(1620年3月頃)、わたしは再び旅に出た。こうしてその後まる9年の間、世界で演じられるあらゆる芝居のなかで、役者よりはむしろ観客であろうと努め、あちこちと巡り歩くばかりだった。」(41ページ)

 「炉部屋」にひきこもる以前は「世界という大きな書物」であったものが「芝居」となっている。
どのような変化が起こったのだろうか?
それはともかく、9年たっても「哲学の基礎」は明らかにはならなかった。
しかし、おそらくあちこちで偉そうなことを言い散らしていたのであろう。
デカルトは新しい哲学の基礎を発見した、というような評判が立つ。
そのような評判など気にせんでもいいだろうに、デカルトは「与えられた評判に値するように、あらゆる手段をつくして努力すべきだと考えた」。
世間がデカルトの「成熟」を認めた、とデカルトは考えたのであろうか?

「そしてちょうど8年前(1628年32歳)、こうした願望から、知人のいそうな場所からはいっさい遠ざかり、この地(オランダ)に隠れ住む決心をした。・・・ここでは、大勢の国民がひじょうに活動的で、他人の仕事に興味をもつより自分の仕事に気をくばっている。わたしはその群集のなかで、きわめて繁華な都会にある便利さを何ひとつ欠くことなく、しかもできるかぎり人里離れた荒野にいるのと同じくらい、孤独で隠れた生活を送ることができたのであった。」

 9年間の世界という芝居の観客生活の後の8年間の都会の中の孤独。
都会の喧騒の中で、トレンチコートの襟を立てニヒルに煙草をくゆらすデカルト――なんて格好をしてるわけはないですが・・・

 そして、第4部。
「この地で行った最初の省察について語るべきかどうか、わたしにはわからない」という書き出しで、例の「我思う・・・・」をやっと提示するに至る。
したがって、第4部以降が「都会の孤独」の中でデカルトが「方法」を実践して得られた諸学問の基礎ということになる。

 したがって、「4つの規則」という方法の確立から、それの学問への応用ということまでにまずは9年の旅生活、そして方法を駆使する8年の「孤独生活」があることになる。
とすると、これらも「方法」のうちに数え上げるべきであろう。
「成熟」「経験」「修練」「旅」「世界という芝居を観客として観る」「都会の孤独」これらの要素も、デカルトにとっては方法を実践するためには必須だったのである。

 こうしてデカルトの生涯をたどると、「坊や。世界ってのは、俺みたいな歳にならなきゃ分からないってこともあるんだぜ」というハードボイルドなデカルトが見えてくるのは私だけだろうか?
『方法序説』が一人称単数というハードボイルドな文体で書かれているのと、デカルトの生き方がハードボイルドなのとは、決して無関係でないと思うのですが・・・。

 ただし、このハードボイルドなデカルト氏、『方法序説』の完成の前の年、1635年39歳の時、ヘレナというオランダ人女性の間に未婚のまま、娘をもうけている。
こういうのはハードボイルドと言うのでしょうか?
「孤独で隠れた生活を送ることができた」と書きながら、フランシーヌと言う娘さんを「パパでちゅよぉ」とか言って、あやしていたりしたんでしょうか?
デカルトの「孤独」を仏教的な隠遁で考えるのは間違いなのでしょう。

数年後、この娘を亡くした時「わが生涯の最大の悲しみ」と言ったそうである。そのような「経験」がのちの『情念論』などに結実するのであろう。
posted by CKP at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月15日

哲学科2年次コース分け説明会の結果。

 哲学科では2年進級時に3つのコースに分かれます。
 西洋哲学・日本哲学コース、倫理学・人間関係学コース、宗教学・死生学コースです。

 今日は現1回生に向けて、来年春のコース分けについての説明会がありました。各教員がコースの特徴やゼミの内容などを説明した上で、1回生のみなさんには現時点での希望を書いて提出してもらいました。

集計結果は、
西洋哲学・日本哲学コース 10名
倫理学・人間関係学コース 13名
宗教学・死生学コース   24名

 今日の調査は、あくまでアンケートです。来春の新年度オリエンテーション時にコース届を提出してもらいます。その時まで、教員と相談したり、友人と相談したりしながら、いろいろ悩んで下さい。

posted by (藤) at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月09日

ローマの前は?――君は「東京五輪音頭」を知ってるか?

 昨夜、大谷哲学会の秋季研究会の後で懇親会が開かれた。
その席で、「東京五輪音頭」のことを話したら、タヌキ先生以外だれも知らなかった。
嘆かわしきことである。
「あの日ローマで眺めた月が/今日は東京の空照らす
 4年たったらまたあいましょうと/かたい約束夢じゃない
 よいしょこーら/夢じゃない・・・」
という「東京五輪音頭」を知らないとは!

 ところでなんでこういう話になったかというと・・・

 研究会で文化人類学の坂口清先生から、「オーストラリアにおけるアボリジニの子供強制隔離政策についての責任問題」のお話をお聞きしたのであった。

 オーストラリアでは植民初期から1970年代に至るまで先住民族アボリジニの子供たちを強制的に隔離し寄宿舎学校で教育し、白人のための労働者にしていた。そうしてアボリジニの血を薄めようとする政策をとってきた。
つまり、アボリジニ消滅計画である。
1990年代からそれに対する反省が語られるようになったが、首相が謝罪したは、2008年の現政権のラッド首相になってからであったそうな。

 私なんぞは、こういう話を知らなかったので、「シドニーオリンピックの時には、オーストラリアはアボリジニを前面に立てて、仲よくしているとアピールしていたのでは?」とおききしてしまった。
そうしたら「あれは、北京オリンピックの開会式と同じです」ということであった。
「ただ、欧米はアジアの人権問題はさかんに問題とするが、オーストラリアの人権問題にはめくじらを立てることはない」とも。

 なるほどなあ。
日本人がクジラを食べると野蛮人扱いされるわけだ――と妙に納得してしまったのでした。

 そこで、東京の前はローマ、その前のオリンピックはメルボルンだっけ、ヘルシンキだっけ?という話の流れで「東京五輪音頭」となったのでした。

 しかし、東京オリンピックでアイヌの民族衣装は見ることはなかったと思う。
ニッポンはキモノの国でーすの一本槍だったような気がする。
あんまり、よその国のことは言えませんね。
posted by CKP at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月07日

大谷大学哲学会秋季研究会――『哲学論集』第55号合評会

 明日、午後4時10分より、大谷大学哲学会秋季研究会をメディア演習室で開催します。
今年度の秋季研究会は、前期にインフルエンザ大学封鎖で開催できなかった合評会となります。
合評の対象となる論文は、『哲学論集』第55号に掲載さいれた論文から2篇。
最初に、藤枝真先生の
「浄土教と非公式的なスピリチュアリティの一形態としての念仏」
次には坂口清先生の、
「『責任』と『謝罪』――子供強制隔離政策に見る『責任』の意味――」

 藤枝先生の論文は、ドイツ・マールブルク大学で開催されたルドルフ・オットー・シンポジウムでの発表を日本語に翻訳したもの。
また、坂口先生の論文は、オーストラリアのアボリジニの子供の隔離政策についてという珍しいテーマ。

 合評の前に、概要と補足の説明をしていただきますので、55号を入手されていない方で興味ある方も遠慮なくご参加ください。
6時半ごろまでには、終わります。
posted by CKP at 15:33| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月03日

今年のマイ・ベストCD――ポリーニ「バッハ:平均律第一巻」とウィリー・ネルソン「American Classic」

 ハイ、こんにちわ。
 今年もお待ちかねのマイ・ベストCDの季節がやってまいりました。

 今年のベストは何といっても、マウリッツィオ・ポリーニの「バッハ:平均律クラヴィーア曲集第一巻」でしょう。
24曲がそれぞれの小宇宙を形作っているのが、よく分かる演奏です。
プロテスタント的峻厳さを求める方は少しご不満でしょうが、ま、いいじゃないですか、こういうおおらかなバッハも。
集中して聴いても面白いし、軽く読書のバックグランドに流しておくのもよし。

 これで決まりと思っていたら、もう一枚、最近聴いたウィリー・ネルソンの「American Klassic」がよい。
カントリー畑の大御所ウィリー・ネルソンが、「ニアネス・オブ・ユー」とか「君住む街角」などのジャズのスタンダード・ソングを唄う。
これが、何ともいい味なのであります。
レーベルはなんとブルーノート。

 その昔、確か同じような企画のLP「スター・ダスト」が出たころ、O木君と彼のコンサートに行ったことがあるんですが、そのときの彼のつまびくギターに、二人してびっくりしたことを思い出します。
古い傷だらけのガット・ギターをポロンポロンと弾くのですが、それがものすごい説得力。
腰を抜かすほど驚きました。
O木君は「アメリカの田端義夫や」と訳の分からんことを言いながら喜んでいました。
確かにウィリー・ネルソンの声は民謡系の声、田端義夫、三橋美智也、春日八郎、小林旭の系統の声。
それがジャズのスタンダードを唄うと、なんとも言えん味わいが醸し出されるのです。
これもじっくり聴いてよし、安酒場の隅で薄く流れているのを聞くのもよしの名盤であります。
バーボンなんぞ飲みながらこれを聴いていると、「ここで野垂れ死にしてもいいかな」などと思ってしまうような歌声であります。
(もっとも、私の場合、あまり飲めないし、最近冷え性なので「養命酒」をやってますど。クイッ)

 番外編として村治佳織のギターソロの小品を集めた「ポートレイツ」。
親しみやすい小品が、しかしクラシックギターの確かなテクニックを通して、懐かしく聴くことができます。
が、「番外編」としたのは、同志諸君、な、なんと、その小品の一曲が「インターナショナル」なのであります。
「立てー、飢えたる者よー」のあの「インターナショナル」なのであります。
村治佳織はコミンテルンの回し者か?と一瞬思いましたが、どうも武満徹がギター用に編曲した曲集の一曲として演奏しているようです(もちろん、それにかこつけて、インターナショナルを普及しようとしているのではないか、という疑いはぬぐえません)。
これはタヌキ先生に教えてもらったCDで、それを聴いて、オジサンはDVD付きの限定版を買おうかな、と思案中です。
posted by CKP at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月02日

一言入魂――「大谷文芸奨励賞」、哲学科学生、他学科を圧倒!

 本日、「大谷文芸奨励賞」の表彰式があった。
「未来のわたしへ」というテーマのもとで、50字以内の文章を書くというもの。
最優秀賞1名、優秀賞2名、佳作8名あわせて11名の入賞者のうち、何と哲学科の学生は6名。
実に半数以上である。
学生部長も「なんで哲学科ばかり・・・」と首をひねっておられた。

 ほんと、なんででしょう?

 教員の方は文学の香りとはほど遠く、私なぞは「優秀賞は5万円の奨学金がもらえる。5万円を50字で割れば、1字1000円!応募しないという手はない!」と意地汚い動機付けを行っている。
あんまり教員が意地汚いので、逆に学生諸君が崇高な文学魂に目覚めるのであろうか?

 いずれにせよ、50字という極めて制限された字数で何かを表現しようとして言葉を紡ぎ出した時、その言葉に触発されるということが起こったのだろう。
「考える」ということは、言葉抜きにはあり得ないということに気がつく、ということが起こっているように思う。

 そう言えば、芥川賞の津村記久子さんも哲学科志望だったとか。
御縁がなくて哲学科に来れなかったので、「大谷文芸奨励賞」は取れなかった。
残念でした。
posted by CKP at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする