2009年09月30日

頭たれ稔りたくらむ稲穂かな――無茶

 最近、他人の話や文章に、妙に素直に感動したり感心したりしている。
どうしちゃったんでしょう?

「稔るほど頭をたれる稲穂かな」というほど「稔り」を得た覚えのない私は、ちょっと動揺しているのであります。

 だいたい私という人間は他人の話を聞けば「アタマ悪ぅー」とうそぶき、他人の文書を読めば「バッカじゃないのぉ」と悪態をつく人間である。

 先だっても、あんまりにつまらない話が続くので、

「バッカじゃないの!靴でも投げたろか」

とうそぶいていたら、(藤)大人から

「ここはイラクじゃないんだから・・・。それにここから靴を投げても、届かなくて笑い物になるだけでしょ」

といさめられた私である。

 そんな私が、最近やたらと他人の言論に素直に感動・感心している。
体でも悪いんじゃなかろうか?
我ながら心配である。
それとも、この夏もあんまりにも稔りがなかったから、「頭をたれる」という形から入って、「稔り」を得ようというサル知恵なのであろうか。
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2009年09月28日

信じて読む――シモーヌ・ヴェーユと津村記久子

 春秋社(「文藝」はつかない方の)のPR誌『春秋』8・9月号で「いま、ヴェーユを〈読むということ〉」という特集が組まれている。
 渡邊一民氏や今村純子氏ら研究者や仏文系の作家・堀江敏幸氏の文章が掲載されているが、その先頭に津村記久子さんの文章が載っている。

 たいへん気持ちのよい文章で、電車の中や机の前で何度も読んだ。
なんだかすごく感動したので、少しご紹介したい。

    *        *        *
ひどく寒い日の光

                          津村記久子


 時々、本当は自分は何も信じていないのだろうと思う。男も女も嫌いなんだ、人間が好きではないのだとうそぶいて、自分にとってストレスのない距離を作り出そうとしているが、それは悪い意味でも本当なんだろうと。誰の言うこともまともに聞いていないだろうし、誰に届かなくてもかまわないし、誰も良いと思っていない。何を書きたいとも思っておらず、何が書かれていても信じない、そういう気分になる時がある。ある部分では、悪びれではなく当たっていると思う。
 そういう気分の時でも、シモーヌ・ヴェーユの言うことだけは聞く。意味がわからん、と思いながら、歯を食いしばって聞く。理解できるまで読み返す。それでもわからないことがたくさんあるけど、顔をしかめて引き続き読み続ける。そもそもそんな資格はないんじゃないのかと自分を謗りながら。
 シモーヌ・ヴェーユのことをはじめて知ったのは、ネットの人名辞典を閲覧していたときのことだった。著名人を享年ごとに整理しているそのサイトに載っていたヴェーユの写真は、よく見かける、帽子をかぶって長いコートをきているぼやけたものだった。間抜けな所感かもしれないが、わたしはその写真を見て、今の人みたいだ、という感想を持ったのだった。この人はかわいいし、いいコートだなあとも思った。それでなんとなく本を買いに行った。そこから今に至る。なんら思想的な所からの導きはなかった。そのヴェーユの読むことは、今のわたしの中で、大きな部分を占めている。
 ここ一年半ぐらいの間、賞の結果を待ったり、人前で話したりという仕事で東京に行く機会がたくさんあったのだが、もうとにかく気が重いそういった上京の際には、必ず、好きな曲のファイルと一緒に、「重力と恩寵」を持って行っていた。読むわけではないのだが、ヴェーユの考えたことが鞄に入っているというだけで、いくらか安心した。これでいつでも失望できると思っていた。今もそれは変わっていない。もう自分は終わりだな、と考えるたびに、ヴェーユの本を持ち出してきて、ぱらぱらめくる。そして、終わりがなんなんだ、と思って元の場所に戻しに行く。シモーヌ・ヴェーユの考えたことを読んでいると、いろいろな屈託が切り捨てられていくのがわかる。世の中ではこうなのに自分は足りていない、とか、これだけのものを自分は得られていてもいいのにそうではない、とか、どうでもいい欲望が消え失せて、本当に自分が問題だと思っていることだけが残る。だからといって世界は変わらないのだが、人から押し付けられて自分が知らない間に受け取っている、無駄な目標が見えなくなり、良いところも悪いところも明晰に見えてくるようになる。自由になるのだ。幸福か不幸かも、強いか弱いかも一切問わない。本当の自由が自分の中を通って行く。
 とはいえ、わたしにはヴェーユの言うことの三分の一も理解できていないと思う。人の思弁だけを純粋に記した文を読むことには慣れていないし、そもそもわたしは、自分でもいらいらしてくるほど飲み込みが悪い。ヴェーユはヴェーユで、彼女の中であらゆる可能性を斟酌して書いている様子なので、そのことが、わかりやすいフレージングで読み手の心を掴む平易さを退ける。その章のどこを読み返せば、彼女の考えていることを適切に受け取ることができるのかわからなくなることもざらにある。勢い込んで話しているかのごときヴェーユを前に、はい、はい? とひたすらうなずくしかないかのような状態になる。
 そんなにヴェーユを読むことに向いていないのに、わたしはどうして彼女の書いたものを読みたいと思うのか。それはひとえに、彼女が実感を、本当のことを書いていると考えているからだ。シモーヌ・ヴェーユは実践の人だ。彼女の年表を見ていると、否が応にもそういう印象を受ける。どうにもせわしない。しかしその落ち着かなさは、頭痛を抱えながら、自分が「ここなのではないか」と信じる現場に、ひたすら向かっていった彼女の苦闘の要約でもある。スペイン内戦に義勇兵として参加した彼女は、そこで実際に負傷もしている。それも。油鍋に足を突っ込んで火傷を負うという、戦争とは直接関係のない形で。この時の彼女の無念さはどれほどのものだっただろう。数か月ごとに居場所を変え、現場で働き、力尽き、また別のところへ出向くというサイクルは、彼女の慢性的な挫折を象徴しているようにも見受けられる。ずっと教師として執筆を続けていれば、続けていられるような人間であれば、彼女はもっと長生きできたのではないかと思う。しかし彼女は、自分にとって条件の良い所を指向するのではなく、自分の知りたいことを優先させ、条件の悪い場所にも向かってゆく。
 俯瞰して分析するのではなく、現場で体験した経験をもとに、言葉を発する。わたしが、わからないなりにも彼女の書いたものを読んでいくばくかの感慨を得ることができるのは、彼女の書くことがしばしば、勘の悪い読み手であるわたしのような人間にも届くほど生き生きしているからだ。雲間から突然射す光のように、精神に入ってくるのだ。頭の中で考えただけのことではなく、現場から持ち帰った実感を書くこと。それがたとえ、世界の悪辣さを言い当てるようなものであっても、胸のすく思いがする。それが成されることは、成されないことよりもはるかにましだからだ。彼女は、世界の悪辣さから隔てられようとはしなかった。安楽な場所からえらそうなことを言うという欺瞞は犯さなかった。そういう姿勢から発信される彼女の言葉は、希望のあるなしに関わらず、生きた考えであることを感じさせる。
 そういうふうに、ときどき、びっくりするぐらいわかる、という以外に、自分がシモーヌ・ヴェーユの話を全面的に理解できているかというと、そうではない。わたしが彼女の言うことをしっかりと理解するのはまだ先だろう。長い時間を掛けて、彼女の言葉と向かい合うことになるのだろう。彼女は、なんだかもう、大丈夫なのだろうかというほどの勢いでまくし立てたり、近寄るのが申し訳ないぐらいの気難しさを見せることもあるし、鈍いわたしには、まわりくどくて何を言っているのかよくわからないことを書いている時もある。しかしわたしは、シモーヌ・ヴェーユのことを信じているのだった。恐ろしくのろいスピードでページをめくり、行きつ戻りつしながら、彼女の言葉がぱっと輝くことを、いつも待ち望んでいるのだった。
 信じる、それに足ると思わせてくれる人は本当に少ない。わたしにとって彼女はそういう人なのだ。そういう人が百年前に産まれて生きたということが、今のわたしを何とか踏みとどまらせている。そのことに感謝したい。これからもう、本当に膨大な時間がかかるかもしれないけれど、彼女の言葉のあとを追いたいと思う。もし彼女がわたしのことを知っていたら、めんどくさがるだろうし迷惑がるだろうなあと考えることもある。これが授業だとしたら、わたしは、後ろの方の席で、すみませんわかりませんとばかり言っている、ほとほと駄目な生徒だろう。けれどとても、その先生が好きなのだ。彼女は、気難しいし頑なだし、言ってることはたまによくわからないし、いやな奴はやり込めずにはすまないほど口がたって、あの人はああいうところさえなければねえといろんな人に言われてるけれども、とても正直で、優しい人だからだ。

     *     *     *

 という訳で、どこを省略していいのかわからず、全部引用してしまいました。
津村さん、ならびに春秋社さま、すみません。
津村さんがこのエッセイで言及されている『重力と恩寵』の新版が春秋社から出ます――と宣伝しますのでお許しください。

 しかし、こうやって書き写してみると、ますます、いい文章だと思うし、ヴェーユの〈読み方〉として、「ほんと、そうだよな」と思います。
(引用間違っていたら、どなたでもご指摘ください。原文は縦書きです。)
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2009年09月26日

グロウイング・アップ――簡にして要を得た「進路説明会」

 昨夜は、息子の通う武生高校の「進路説明会」に出席。
 午後の6時から7時半の1時間半の説明会であったが、これが感動的に解り易く、またこのような先生方のもとで学ぶ息子はしあわせだなあと思うような会であったので、少しご報告。

 最初は少しうんざりしたのである。
 プログラムを見ると、校長、進路部長の挨拶とある。
「だらだらした意味のない挨拶がつづくのかよー」と思っていたら、簡潔で、伝えるべき最小限のことを話された。
 そして、今後の進路指導の日程や具体的な方針を進路部の若い先生方が話される。
 これもたいへん分り易い。
 無駄な部分が全くない。
 知識をひけらかすとか、受けようとかいう卑しい態度は微塵も見えない(猛省)。
 最後の教頭先生の「謝辞」も、ちょっと感動してしまうものであった。

「進路説明会」に来て、こんなに気持ちよく、感動するとは思わなかった。
思うに、先生方の生徒に対する眼差しが、あらゆる面で、それぞれがどのように成長しているか、に向けられている――その全体方針がこのような「説明会」でも明確に伝わるのだろう。

 「進路」はほとんど「受験」なのだが、しかし、学園祭や掃除における生徒の成長の様子も語られる。
そのような一場面として受験も語られるので、自分自身がこの高校で受験勉強に明け暮れたときのことも思い出したのであった。

 
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2009年09月22日

クレヨンしんちゃんの憂鬱――臼田儀人さんの死に思う

 ずーっと以前の犬丸りんさんの自殺について書いた記事にnanamiさんという方から詳しいコメントを頂いて、お礼を申さねばと思っているところに、『クレヨンしんちゃん』の作者の臼田儀人さんの死亡の報が飛び込んできた。

 おそらく事故死であろうということになりそうだが、しかし、あんな危険な場所での撮影というのは、どこか「死んだっていいけど」という感じがしないでもない。

 犬丸さんにしても臼田さんにしても、主人公が成長しないギャグ系のマンガを描き続けるというのは、どこか痛々しいところがある。

 日本マンガの特色である主人公の成長物語、『あしたのジョー』や『タッチ』や『めぞん一刻』そして『バガボンド』などは、描いている作者自身も成長しながら描いている、という側面がある。

 もちろん「成長」を描くためには、「死」も描かねばならず、それはそれでつらいことであろうが、しかし、そこを突破して新たな地平へ到達する快がある。
その死は、主人公そのものの自我の崩壊であったり、他者の死であったりするが、作者にとっては、それまでの作者自身の死であり、新たな自分の発見であろう。

 ところが、ギャグ・マンガでは、そのような「死」そして「成長」はあらかじめ封印されているのである。
常に新鮮なマンネリ・ギャグを求められているのである。
これはつらいだろうなあ、と思う。

 江口寿史氏が成長ギャグマンガ『ストップ!!ひばりくん』で、「白いワニ」の襲来に苦しめられ、ついに未完のまま終わったのも、なるほどなと思う。

 臼田さんには、どうぞもう連載のことは心配せず、お休みください、というほかない。

 それと、nanamiさん、ありがとうございました。
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2009年09月16日

この夏も虚しく往くか葉鶏頭――無茶

「事実そのまま俳句」の無茶ことCKPカドワキです。

「今年の夏もいっぱい勉強ずるぞ!と張り切ったが、結局なにもできず、虚しく過ぎて、葉鶏頭だけがまぶしいなあ」という素直な気持ちを詠ってみました。

 しかし、いつまでもこのような句で満足していてはならじ、と一念発起、『サライ』の「俳句入門」の特集号を購入したのでした。
このところすっかり読書傾向が「退職後のオジサン」です。

 そしたら、ナ、ナ、ナ、なんと、ナントの勅令、あの夏目雅子様が俳句を作っておられるのである。
こんなヤクザブログにお名前を書くだけでもバチがあたる昭和の夭逝の大スタア。
絵に描いたような美人薄命のお方である。
(昭和60年、27歳、白血病で死去)

「結婚は夢の続きやひな祭り」

 なんともいじらしい句であります。

 傍らにはすでにあの伊集院静氏は登場されているのでしょうか(いるんですね、悔しいことに。彼女を俳句に誘ったのは氏ですから)。
突然、あの伊集院が「薔薇」という漢字をサラサラと書いて雅子様と結婚までしてしまった、という不快な記憶が蘇る!

「間断の音なき空に星花火」

 死の40日前、その伊集院氏と病院で、音が聞こえない遠くの花火を眺めて作ったという句。

 花火のように散って行かれたその人生が映されて、ぐっと来ます。

 それに引き換え、ここにも登場、小沢昭一。

「まだ尻を目で追ふ老や荷風の忌」

長生きするからこういう句になるのか?
こういう句をひねり出すから、長生きするのか?

いずれにせよ、私は長生きしたい。
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2009年09月14日

我が懐かしのラジオデイズ――ビートルズの聴き方

 090909つまり2009年の9月9日、ビートルズのアルバムのリマスターCDが全世界同時発売ということで、いちおうビートルズ世代の末席に連なる私もCDショップに馳せ参じたのでありました。

 が、はて面妖な・・・

 ズラーっと並んだCDジャケットとの前で、あまり興奮してない自分を発見して困ってしまった私なのでした。
とりわけ初期のアルバムジャケットに馴染みがないなー、と思って眺めていました。
で、パンフレットを手に取り発売年代を確認するうちに気がついた!

「私はビートルズをレコードで聴いていない!」

 そうなんです。
私はビートルズをレコード、とりわけ30センチLPレコードなんかで聴いてはいなかったのです。

 ビートルズの最後のアルバム『レット・イット・ビー』が発売された1970年に高校に入学した私は、ビートルズの全盛時代は小学校高学年から中学生。
田舎の田んぼ道を自転車で通う中学生には、ビートルズのLPなんかとても買えなかった。

 で、どうしていたかというと、もっぱらラジオと音楽雑誌『ミュージック・ライフ』。
たしか福田一郎氏がDJを勤める番組でビルボードやキャッシュボックスのランキングを毎週楽しみに聴いていた。
親父のテープ・レコーダーのマイクを、ラジオのスピーカーの前において録音なんかしていました。
だから、ビートルズだけ聴いてたわけではない。

 クリフ・リチャードもピーター&ゴードンも、モンキーズもジェファーソン・エアプレインも、ヴァニラ・ファッジもエンゲルベルト・フンパーディングも、サイモン&ガーファンクルもスコット・マッケンジーも録音していました。

 というわけで、ビートルズは「ヒット!ヒット!ベエベェ!」(@RCサクセッション)の中の一グループだったんですね。

 ちなみに、星加ルミ子編集長の『ミュージック・ライフ』から切り抜いて部屋に貼っていたピンナップはミック・ジャガー様とウォーカー・ブラザースのスコット・ウォーカー様でありました。

 が、やはりビートルズというのはヒット曲の数ではダントツでした。
62年に「ラヴ・ミー・ドゥー」でデビュー。以下主なヒット曲は、
63年、「プリーズ・プリーズ。ミー」「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」
64年、「キャント・バイ・メー・ラヴ」「ア・ハード・デイズ・ナイト」「アンド・アイ・ラヴ・ハー」
65年、「エイトデイズ・ア・ウィーク」「涙の乗車券」「ヘルプ」「イェスタデイ」
66年、「デイ・トリッパー」「ミッシェル」「ひとりぼっちのあいつ」「イエロー・サブマリン」
と、題名だけでイントロがぱっと浮かぶ名曲がずらり。
が、これらは先にCD化されたヒット曲集の「赤盤」でいいのである。

 だから、いまいち購買意欲がわかない(しかし、「ラバー・ソウル」「リバルバー」は買っておきたい、と思う)。

 が、問題はこのあと。
67年、『サージェント・ペパーズ・・・・』『マジカル・ミステリー・ツアー』
68年、『ホワイト・アルバム』
69年、『イエロー・サブマリン』『アビー・ロード』
70年、『レット・イット・ビー』
このあたりはアルバムとして評価が高いもので、大学生の頃、この中のいくつかは、きちんと買って聴いていたはずであるが、このたび探してみたら『アビー・ロード』しか残っていなかった。
誰かに貸したままになっているのか、お金に困っていた頃売ってしまったのか・・・。
どうもあまり執着がなかったようである。

 なぜ、この時期のビートルズにあまり執着がないのか?

 この頃のビートルズは田舎の中学生にとってはあまりに革新的過ぎた、ということがひとつ。
また、この頃のビートルズのインド通いは、あまりにも絵に書いたサイケで、田舎の中学生でも少ししらけた、というのが二つ目。
そして、69年ごろのビートルズの仲の悪さが、純真な中学生には、すごくいやな感じであったこと。
とりわけ69年のジョンとヨーコの「平和の為のベッド・イン」なんて、「ビートルズの内部をめちゃめちゃにしてよく言うよ」と、にきび面の中学生もドッチラケ。

 それで、「なるようになれ」のレット・イット・ビー解散。
なんかすごくあと味が悪かったのでした。
だから71年の『イマジン』にしても、70年のジョンとポールの戦争のあとでは、何のことだかよくわからなかった(今にして思えば、平和なんで、ホント、イメージのなかだけだよなぁ」というトホホ・ソングだったんだな、という文脈ならよくわかる。)

 というわけで。1954年田舎生まれのビートルズ世代にとっては、ビートルズのアルバムというのはヒット曲とは少し違うものなのです、というお話でした。

 みんな、その音楽的功績を大絶賛しているけど、それはたしかにそうだけど、しかし、あのビートルズの最後のころ、なんか微妙にイ〜ヤな感覚がビートルズに対してあったと思う。
それを誰もこのごろ書かないのは、変だと思う。
オノ・ヨーコを敵にしたくないのか?

 ところで、今回、いろいろ調べてみてビックリしたのはビートルズの解散とサイモン&ガーファンクルの解散(活動停止)が1970年の同じ年という事実。
私の中では、サイモン&ガーファンクルよりビートルズがはるか昔に解散しているようなことになっていました。
なんでこんな記憶がつくられていたのか?
不思議といえば不思議です。
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2009年09月08日

ほぼ信越線慕情――旅の枕は言いかけの・・・

 ハイ、ほぼ信越線沿線の飯山市・上越市・三条市での同窓会支部講演を終えて、日曜日に帰ってまいりました。
やはり、ヘロヘロになりました。

 一応、同窓会本部からの「お客様」なので、いろいろ「接待」されるのですが、接待され慣れてない者が、接待されるのは妙に疲れます。

 三箇所での講演というか出前講義でわりと受けたマクラをご披露いたしますと・・・

「この選挙で遂に政権交代ということになりましたが、人間が進歩したと言っていいんでしょうか、決戦とか刺客とか物騒な言葉が飛び交っても、別に誰かが殺されるわけではない。
 麻生さんだって、首がちょん切られるわけではない。

 これが親鸞聖人の頃ですと、親鸞九歳のときに、平清盛が死に、そのあと平家は滅びの道をまっしぐら。
 平家の公達、16歳の敦盛が熊谷直実に一の谷でばっさり切られる。
安徳天皇は海の中へ。
 ところが、親鸞19歳のときには、今度は義経がその兄・頼朝によって殺される。

 ホント、今がこんな時代じゃなくてよかった。
少なくとも、日本では「人命尊重」という考え方は進歩したようです。

 が、しかし、具体的な「いのちの重さ」「いのちの現実感」というのはどちらかというと希薄になってきております。
いまどき「いのちを賭ける」などと言っても、言葉だけです。

 なんで、こうなったのでしょう。

 その原因なのか結果なのかわかりませんが、「葬儀」が軽いもの、めんどくさくないもの、になったのはどなたも感じることでしょう。

 私などの子供のときの葬式などといったらお棺を担いだ行列などが出て、その行列の、
まあ、にぎやかなこと・・・・」

 三条では調子に乗って、今回の小沢一郎の勝利は、大久保利通の遠縁に当たる麻生と長州・安倍の薩長連合に対する賊軍・東北勢のルサンチマンの勝利ですな・・・というようなことを言ったら、「今でも我々を裏切った新発田の人間は、会津若松で旅館に泊まろうとすると、新発田の人間とわかった途端、追い出されることがあるんですよ・・・」というような話を聞きました。

 いったい、どんな「講演」をしてきたんでしょう?
posted by CKP at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月02日

旧姓で届くアラフォーの残暑見舞い――湯屋番的無茶

 以下、この項、落語「湯屋番」を基本的教養として前提としています、ハイ。

 アラフォー、40歳前後のご婦人を最近はこう呼ぶらしい。
そんな歳ばえのご婦人から旧姓で残暑見舞いが届いた、というまるで電報みたいな、字余りだらけの句です。
いや、実際に私の身に起こった出来事ではない。
先日、柳家小三治師匠の「旧姓に戻りましたと秋めく日」という句にインスパイアされて、ちょっとひねってみました。
こんな残暑見舞いがくるとちょっとザワザワとするなーって。

 岩波書店も最近は「みさかい」がないのか、「東京やなぎ句会」という不良老人の集まりの記録を本にしている。
『五・七・五 句宴四十年』という本がそれである。

 そのなかで小三治師匠がご自分の句が句会で宗匠(句会の指導者)に「天に抜かれる」(最優秀賞に選ばれる)ことがなかったことについて書いておられる。

「そうそうこんなことがあった。「旧姓に戻りましたと秋めく日」の句は句友が二人も天に抜いてくれた。それ以外の人も天じゃなくとも地や人や五客に殆んどが抜いてくれた中で(入船亭)扇橋だけが抜いてくれなかった。抜いてくれなかったどころか怒っちゃってね。なんで怒ったのか判らない。本気でかんかんに怒っちゃってね。普段怒るなんてことのない扇橋が顔色を変えて突然怒り出すと、句友の誰一人として取り成す者もなだめる者もないの。なんたって仮にも我々の宗匠だからね。一座がしーんと白けちゃってね。「なんだいこれは。冗談じゃねぇよ。」なんて俺は睨みつけられちゃった。「お前はいつもそうだ。」なんてなんだか訳がわからない。何か逆鱗に触れたんだね。・・・・・
(ずーっと略して)・・・・
 「旧姓に戻りましたと秋めく日」一体宗匠に何があったのでしょう。何かありぁがったんだな、きっと。」(ページ数、要る?何かの参考にしたい?じゃ、39〜41ページ)

 「旧姓に戻りましたと秋めく日」

 いいですね。
 若尾文子の若いときのような女性、いや大谷直子みたいにちょっと気の強そうなご婦人もいいなぁ、今だったら余貴美子さんあたりか・・・
原節子?そんな勿体ないことは言いません。
原節子とか吉永小百合なんて御仁は、我々とは人種が違う天上のスタア。
あちらで言えばイングリット・バーグマンとかグレイス・ケリー。
あたしなんぞが近づける人種じゃない。
一緒にいるところを想像するだけでバチがあたる。

まあ、シャーリー・マックレーンとか、ぐっと新しいところではダイヤン・キートンとかが、ま、あたしらにも近づける方々かなぁって・・・

エーっと何の話だっけ?

そうそう、アラフォー、アラフォー・・・
とにかくそんなご婦人が白い日傘なんぞさして、ちょいと菓子折りなんかもって
「師匠、わたし・・・旧姓にもどりましたのよ」
なんて、ちょっと恥らいながら挨拶に来る。

 白魚のような指そろえてお辞儀なんかしちゃってね。
誰だい、こんないい女と離婚したの?
いや、ひょっとして短命ってアレか?

ま、どっちでもいいけどね。
とにかく、やっぱり、オレ、頼られてるんだよね。
普段はボーっとしてるけど、やっぱり見る人が見ると判るんだな、これが。

 いや、頼られたことをイイことに、どうこうしようなんてそんな了見はこれっぽちもねぇよ。
そこは、いい歳をした大人の付き合いだわな。
だから「春めく」じゃなくて「秋めく日」。
これから秋も深まってく・・・もう青い春なんてのはとっくの昔。
しかし、秋も深まれば小春日和なんてのもあったりするんだ、これが。

 たとえばだよ、その・・・なんて名前にしようか、貴美ちゃんでいこう・・・その貴美ちゃんは、おっかさんの喫茶店を手伝っているんだ。
この前までおとっつぁんがいたんだが、心筋梗塞かなんかででコロッといっちまったんだな、これが。
やな男だっただよ、これが。
で、おっかさんは「この娘が帰ってきたんで大助かり。うちのしとが死んでから、買い物も出かけるのもなかなか大変だったのよ」なんて言って、貴美ちゃん一人が店番してることもある訳だ。

 そんなとこへオレがひょいと行く。
「アラ、師匠、今日はお客が誰も来なくてね」なんて、ちょっと多めにコーヒー淹れてくれるんだな。
やっぱ、オレ、好かれてるんだろうね。

 そのうち、外がなんだか暗くなってきた。
と思うまもなくゴロゴロピカッと雷だ。
「師匠、あたし、雷って苦手なの」
「なにいってやがんだい、いい歳して」
「アラフォーになっても、恐いものは恐いのよ」
と言う間に、貴美ちゃんの顔は真っ青だ。
しっかりしてそうでも、そこは女。
雷が恐いと、じっとおいらを見つめる目の可憐なこと。

「こりゃ、いけねえ。昔から雷さまには蚊帳に入るといいって言うんだ(蚊帳?いまどきあるか?まあ、貴美ちゃんとこにはあるに決まってるんだ、ちょっと無理な設定だけど)。」
「そうなの?うち、奥の間に蚊帳つってあるの。とても一人で歩けないわ。一緒に来て」
とまあ、頼まれりゃ仕方がねぇ、貴美ちゃんを蚊帳のある部屋へ連れていくわな。
蚊帳があるってことは寝室だ。
こりゃ、ちょっとまずいことになったな、と思う間もなく、貴美ちゃんが消え入りそうな声で言うんだな。
「師匠、一緒に・・・」

「おう、師匠、なに一人でにやけてんだ。何がダメダメなんだ?今日の町内会の寄り、今日の8時からだったよな。あ、貴美ちゃん、コーヒー。熱いのをね。こういう暑いときに熱いこコーヒーを飲むってのが頼りになる男だ。ああやって菓子折りまでもらって頼られたんじゃ、もうこの熊、貴美ちゃんのためなら、たとえ火の中、水の中・・・」
「熊さん、ホント、頼りにしてますわ」
えー、菓子折り、オレだけじゃないの。
「いや、俺のほうが頼りになるぜ」
エー、八の野郎にも菓子折りか?ひどいじゃないか。

「こ、こんなコーヒー飲めるかい!」
「あれ、なんだぁ、あの野郎、急に怒り出して、出て行っちゃった・・・

 なんてことが扇橋師匠にあったんじゃねぇか?
と、小三治師匠が想像したんではないかと、私は考えたわけ。

 人間、いつまでたっても色気は抜けないようで・・・・

「旧姓にもどりましたと秋めく日」

 よろしいじゃございませんか。

しかし、扇橋師匠にも
「手を揃へ初夏よそほひし若女将」
なんて句があるんだぜ?
何で、「秋めく」と怒っちゃうんだろうね。

が、この句会の名誉にために書くと、全部がこういう系統ではなくて、例えば癌で亡くなった江國滋氏(作家の江國香織さんのお父上ですね)の
「おい癌め酌みかわそうぜ秋の酒」
なんてのがある。

 ついでに小沢昭一先生の一句、
「おいそこはガラス窓だぞ秋の蝶」。

 みんな、素直に詠むと「秋」になっちゃうんですね。

しかし、私、ここんところ、めちゃめちゃ忙しいんですけど、何がうれしくてこんな文章書いてんでしょうか?

 こういうブログを書いておくと、明日からの信濃路一人旅、同窓会での講演というか出前講義で馬鹿なこと言わないでしょう、きっと。
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2009年09月01日

9月の怪談(追記)――「選択本願念仏」について

 先の山折氏のエッセーで書き写すのをサボった箇所に、あまりにも大胆すぎる読みがあるので指摘しておく。

 先のエッセーで氏は「正法眼蔵」や「立正安国論」などの書名が主題を明確に提示していることを示して次のように続ける。

「ところが親鸞の『教行信証』になると、それらの作品のどれとも似ていないのである。教、行、信、証と並記された文字記号は、何らの主題も喚起することがないといっていい。そのことに気がついたとき、私はほとんど驚愕し、ぼう然とこの書に対していたことを思いおこす。
 何よりもここでは、親鸞の師である法然についてふれておかねばならない。法然の主著は、いうまでもなく『選択本願念仏集』である。これまた著述の主題は、みられる通り疑いようもない。「ただ念仏のみを選択せよ」と、高らかに宣言していることがわかるからだ。その法然によって親鸞は、この師の著作を書写を許されている。そのときの感激を親鸞は『教行信証』の後序のなかに印象深く書き残している。
 その親鸞がいったいどうして、自分の全勢力を傾注する主著のタイトルに「主題」を明記しなかったのか。まことに不思議な話ではないか。師の法然は「選択念仏」と主題を天下にむかっていい放っている。ならば弟子の親鸞も「選択・・・・・・」と、自分の主題を前面に掲げてもよかったはずだからである。
 かれの意図は何だったか。それが長いあいだ私にはわからなかった。『教行信証』という作品を理解するためにの、それがこえるにこえられない難所だった」

 そうして、親鸞は「方法序説」を書いたのだ、という奇抜な結論へ行く。

 あくまでも「教行信証」を正式タイトルと思い込んでいることについては、長いあいだの勘違いかも知れない。

 しかし、「選択本願念仏集」を「ただ念仏のみを選択せよ」と強引に読むのは、少し怠惰すぎるのではないか?

 『選択本願念仏集』には次のような法然の文がある(「集」であるから、経・論・釈の文が基本である)。

「選択本願といふは、念仏はこれ法蔵比丘、二百一十億の(諸仏の浄土の行の)中において、選択するところの往生の行なり。」(岩波思想大系『法然 一遍』、156ページ)

 つまり、「選択本願念仏」の「選択」の主語は「法蔵比丘」つまり修行中の阿弥陀仏なのである。
 長い長い修行を経て選びとった本願に基づく念仏を、人間に振り向けてくださったのが法蔵菩薩=阿弥陀如来なのである。
 つまり、往生のための修行はすでに法蔵菩薩によって行われているから、人間は念仏を唱えるということだけでよい、という論理が形成されるのである。

 ここは、法然‐親鸞の浄土教の基本である。
つまり、「他力本願」の基本なのである。

 そこを山折氏は人間の側からの選択というふうに理解しておられる。
先ず主体があって、その主体が行を選択するという自力的な理解をしておられる。

 たしかに「他力」の論理は、上のように説明されても、簡単に飲み込めるものではない。
しかし、なんで、本文を少しでも読んで、法然が「選択」という言葉で何を言おうとしているかを調べ考えようとしないのだろう?

 とにかく、このような人の親鸞論がけっこう読まれているのだから、きちんとした親鸞論を編集する意義はあるなぁ、と思ったのでした。
posted by CKP at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9月の怪談――稲川淳二的山折哲雄

 9月に入ったが、大変、恐い話を読んだのでご報告。

「文藝春秋スペシャル」の「賢者は歴史に学ぶ」をパラパラ見ていた。
このところ読書傾向がすっかりオジサン化しとります。
山折哲雄「『教行信証』の謎――親鸞」というエッセイを見つける。

「親鸞には、ほんとうに驚かされる。いまなお驚かされつづけている。」
という書き出し。
氏は、はじめは『歎異抄』によって親鸞に接近した。

「だが、やがて親鸞の主著とされる『教行信証』という作品を前にして、私は不思議な気持ちに打たれるようになった。それだけではない。その作品によって、彼はいったい何を主張し、何を訴えようとしているのか、と疑うようになった。なぜなら『教行信証』というタイトルを見ただけでは、かれがそこで論じようとしている主題が何ひとつ浮かびあがっては来なかったからである。これは、いったいどうしたことか。親鸞はその著作によっていったい何をねらっていたのか。
 「教」とは、要するにテキストのことだ。「行」とは実践を意味するだろう。「信」は信心においてほかにはない。「証」となれば悟りということになる。その四つの文字、教、行、信、証を、タテに並べて「書名」にしている。それによって親鸞はどんなことを論じようとしたのか。それがまるでわからないのである。」(65ページ)

と読んでくると、細かい見解の相違はさておき、「教行信証」を親鸞の主著のタイトルとしてそれに疑義を呈するという進め方に、後でどんなオチが来るのだろうか、とワクワクしてくる。
 その後も氏は、本邦の仏教書のタイトルに関する大胆な見解を披露され、もう一度親鸞の「教行信証」というタイトルにもどる。

「かれの意図は何だったのか。それが長いあいだ私にはわからなかった。『教行信証』という作品を理解するための、それがこえるにこえられない難所だった。」(66ページ)

そして、「題名のない音楽会」なども例に出しいろいろ「題名」ついての考察をめぐらし、そうしてそのうちに「胸のうちに噴き上げるもの」があり、それについて述べる。

「教・行・信・証とは、要するに、主題を浮き彫りにするための思考の原点、思索のための枠組みそのものではないのか、という内心の声である。いってみれば、それが親鸞の「方法」、つまりものごとを根元的に考え、そして書くための究極の「方法」だったのかもしれない、という声である。いつのまにかデカルトの『方法序説』にあたる仕事を親鸞はやろうとしたのではないか、と思うようになったのである。」(同)

 結局「オチ」はなかった。

 この文章を読んで私は二重三重にゾーッとしたのである。

 山折哲雄といえば、ジャーナリズムが一流の宗教学者として認める人である。
親鸞や浄土真宗についての著作もある。
吉本隆明などに『教行信証』や『浄土論註』の講義をして、それで吉本は『最後の親鸞』を仕上げた。
そんな山折哲雄が「教行信証」が、親鸞の主著のタイトルだと思い込んでそれを全く疑わず、逆に親鸞の意図を疑ってあれやこれやと考えて親鸞とデカルト結びつけるという奇抜なアイデアを披露しているのである。

 「教行信証」は親鸞没後に広まった略称(はじめの4巻の名を採っている)で、親鸞がつけた正式名称は『顕浄土真実教行証文類』である。
この題名に親鸞のテーマははっきりしている。

 このようなことを確認しないで、オジサンたちにそれなりに権威となっている文藝春秋誌にこのような文章を掲載することができるというのは、ちょっと恐すぎる。

 勘違いということもあるであろう。
私なども、いつも勘違いばかりしているので人のことは言えない。
それを思うと、私もこの手の間違いを犯していないかとゾーッとする。

 しかし、氏は「教行信証」というタイトルについて相当長い間悩んだように書いてある。
その長い時間を思うと、ゾーッとする。
あれこれと悩む前に調べましょう。少なくとも、活字にする前には調べましょうね。

 山折哲雄という人は、大胆な仮説、奇抜なアイデアで人を驚かす人だが、親鸞は別に人を驚かすために執筆活動したわけではない。
ある意味では、この「親鸞には、ほんとうに驚かされる」で始まるエッセイは、「人を驚かしてやるぞ」という氏の人柄をよく伝えるものであろう。
サービス精神が旺盛とも言える。

 私なども、どちらかというと奇抜大好き人間なので、このような過ちを数々犯しているように思う。
(勘違いなどがあったらそーっと知らせてくださいね。)
これを他山の石として、花も実もあるブログを書くように精進したいと、改めて思いました。
だから派手目のブログではなく、地味目のブログ、名づけて「ジミブロ」を目指します。
posted by CKP at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする