2009年01月30日

卒業論文の幸せ――卒論口頭試問終わる

 昨日で、修士論文および文学部の卒業論文の口頭試問を終了。
 みんな、それなりに力作で疲れたけれど楽しかった。

 二人あるいは三人の教員を前にして、自分の論文に関して質問されるというのは、相当緊張するのであろう。しどろもどろになって答える学生もいて申し訳ないような気もする。オジサンたちは別にいじめてるわけじゃないんだよ。

 しかし、自分の文章が二人あるいは三人の人間に微に入り細をうがって読まれるというのはなかなかない経験なのです。私らの論文など、誰かにサーッと目を通してもらえばよいほう。合評会などで取り上げられない限り、誰にも読んでもらえない。いや、取り上げられても卒業論文ほどキチンと読まれることはまれである。

(あ、「私らの論文」は訂正。「私の論文は」です。)

 だから、卒業論文というのは幸せな論文なのです。

 というわけで、昨日はわがゼミの「追いコン」。
 試問を無事(?)終えた学生諸君に感想を聞くと、緊張したけど面白かった、あんなに考えたことはなかった・・・などなど。
「もう一回やるか?」の問いかけには「それはカンベン・・・」とのことでした。
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2009年01月28日

レス・ポール:幸福のエレキ・ギター――『レス・ポールの伝説』視聴記

 レス・ポールといえば、フェンダーとともにギター小僧の憧れのエレキギターである。
 そのレス・ポールの開発者であるギタリスト:レス・ポールの伝記映画『レス・ポールの伝説』のDVDを、このこ忙しい時期に4度も観てしまった。
 なんだか妙に幸せになれるからである。
 ま、お手軽な幸せですが・・・・

 しかし、伝記映画といってもレス・ポールは93歳をこえていまだに現役のギタリストで毎週「セラピー」と称して、バリバリのライブを行っている。
 映画の導入は、そのライブにキース・リチャーズが参加するシーン。二人のギンギンのブルース。
 最初からしびれます。

 そして彼の生涯が辿られる。
 最初、カントリーのギター弾き。そして、シカゴ、ニューヨークでジャズ。
 ジャンゴ・ラインハルト(←動画が見られます!ゴンチチの神様ですね)に多くを学ぶ。
 アート・テイタム、コールマン・ホーキンスから学ぶ。
 チャーリー・クリスチャンから学ぶ。
 ビング・クロスビーから学ぶ。

 その間に、エレキギターを発明し、テープレコーダーを見て多重録音を思いつく。
 自動車事故で右手切断か、という重症。治療のあいだにも録音。
「あの事故で生き方も、弾き方も変わった。私はラッキーだった」と笑って話す。
 メリー・フォードをヴォーカルにしたコンビは、その後「ハイ・ハイ・ザ・ムーン」「ヴァイア・コン・ディオス」などの全米bPヒットを連発。
 カーペンターズはこのコンビをモデルにしていたんですね。メリーの声は確かにカレン・カーペンターの声を思い出させます。

 マイルス・デイビスが「どうしたらヒット曲ができるのか」とレス・ポールに泣きついたというエピソードが面白い。
「メロディをプレイすること。人々のためにプレイすること」と帝王マイルスに説教するのである。いや、マイルスはこの説教が効いて帝王になったのか?

 19世紀に開発された鋼鉄製のフレームをもつピアノが人々の生活を変えたように、彼によって開発されたエレキ・ギターと多重録音は20世紀中葉の人々の生活を変えた。
 そして、ロックの登場で、プレイヤ―としてのレス・ポールは消えたが、デカイ出力のレス・ポールのギターは、ギンギンとロックンロールしたのであります。

 そして、チェット・アトキンスとのギター・デュオで復活。

 いろんな偶然を味方にして、実に楽しそうに爺さんをやっている。映画のラストで、若い女性のベイシストに楽しそうにからむ困った爺であるが、ほんとハッピイな爺さんなのである。

 こんなジジイなりたいな、と爺見習の私は何度も何度も見直すのでありました。

 ちなみに、大城蘭の名アルバム「LAN」の冒頭の曲「VAYA CON DIOS」は、レス・ポール&メリー・フォード・コンビの曲だったのですね。それをタヌキ爺先生に報告したら「『神とともに行け』という別れの曲だろ?」と既に題名をきっちり調べておられるのでした。
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2009年01月27日

「苦」という徳――木村カエラちゃん、クレラップCMに登場!

 われらが木村カエラちゃん黒ハートが、クレラップのCMに登場しました。

 ピーマンなどを残して「大きくなれませんよ」と注意されたオカッパ頭の工藤あかりちゃんが「なるもん!大きくなってモテモテになるもん」と前転するとカエラちゃんに変身。「クルッとしますわね」と優雅に「クルッ」をすると「大人なら食べなさい」とお母さん鋭いのツッコミ。
 下唇を突き出して泣きそうなカエラちゃん。
 かわいい黒ハート
「ゆっくり育てばいい」――という心温まるCMですね。

 今、丸善から来年(?)出る『宗教学事典』の「苦」の項の締切を目前にしている私は「なるほど『苦』は、大人の徳として日常に存在している」と膝を打ったのでありました。

 苦といえば、仏教の「四苦八苦」でまとめるのが基本だなあ、と思っていたのであるが、「厭なことをやる」というのは、人間の成長のための必須条件というのも様々な宗教で見られる現象であるなあ、と今さらながら気付いたのであります。

 修行とか苦行はもちろんですが、倹約とか無所有とかの日常規範にも見られます。そこには厳格が気持ちいいという倒錯が見られてややこしいのですが。

 病気などでも、その苦しみを引き受けてこそ天国への門は開かれるという考え方も根強い。そういう観点から(痛みの)「緩和治療」に疑義を呈する人々もいるんですね。この世の苦しみが大きければ大きいほど、あの世は素晴らしいというわけです。

 というわけでカエラちゃんの鋭い指摘で構想をあっさり変更する私でした。

 しかし、大学教員が一番忙しい一月末の締切というのは、本気の締切なんだろうか?
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2009年01月26日

オバマとキング牧師――新企画!CKPのファッションチェック

 土曜日のNHK『週刊こどもニュース』は、時間がある限り見ているマイ・フェイバリット・プログラムである(音楽はわがクレイジイ・ケン・バンドCKBですしね)。

 そんで先週末は、当然オバマ特集、とりわけ「黒人初」というところに焦点を当てた番組であった。
 となると、バラク・オバマとマルティン・ルーサー・キングの映像が流れることになる。
 二人の演説する姿を見て、なんだが、どこかで見たような・・・と思っていた。
 で、日曜日にたまたまMJQつまりモダン・ジャズ・カルテットのレコードを聴いて、思い当たった。

 オバマのあのかっこいいスーツ・スタイルは、あのアメリカン・トラッドで決めてたMJQの面々を彷彿とさせるのである。
西欧のクラッシク音楽も昇華してクールに演奏するMJQは、黒人対白人という対立を超えて市民に呼びかけるオバマに通じるものがある。

 それに対して、「私には夢がある」と何度もリフレインしながらスピリチュアルに演説するキングは、MJQ以前のジャズメン、たとえばレスター・ヤングやテディ・ウィルソンなどの、一応スーツは着ているが洗練など関係がなくひたすらスウィングするジャズメンを思い出させるスーツの着こなしである。
差別に対する哀しみはあるがしかしそれを引き受けて自分のジャズをひたすらスウィングする。
キングは、もちろん差別と戦うのだが、しかし、その底に哀しみがある。
その時、スーツに対する「着こなし」という洗練などどうでもいい、ということになる。

 しかし、そこまで考えて「?」。

 何でキングは「牧師服」を着なかったのだろう?
 あのもっさりしたスーツ姿より「牧師服」のほうが、受け入れられやすかったのではないか?どこかで意識的にスーツ姿で公衆の面前に立つようになったのだろうか?
 キングは「牧師」としてではなく「市民」として公民権運動の先頭に立ったのだろうか?
あのキング「牧師」のスーツ姿には、それなりの信念があるように思えてならない。

 やせっぽちであった学生時代、ブルックス・ブラザースの梅田の店でその値段に恐れをなし何も買えず(その頃もう就職していたO木君はどうにかシャツだけ買いました)いつかは買うぞと思っていたら、デブになってアメリカン・トラッドは無理かなあ、と哀しみにくれる私は、キング牧師のスーツ姿について考えるのでした。
posted by CKP at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月24日

無限プチプチ

putiputi01.jpg
朽縄木菟さんにいただきました。「幼なじみ編」だそうです。
たま〜に「お友だちのままでいいの?」とか迫ってきますが、
無視して、ひたすらプチプチします。

今は、この記事をpada先生が読まれないことを望むばかりです。
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2009年01月23日

オバマ演説の死生学――〈我々〉を可能にする死者

 さすがにオバマの大統領就任演説はカッコよかったですね。
 みょうに浮かれることなく、抑制の効いた語りかけが印象的だった。今まで、アメリカ大統領の就任演説など読んだことなどない私だが、ミーハー的に読んでしまいました。

〈we〉〈us〉の多用が目立つ。

とりわけカッコいいのは、〈For us〉を三回繰り返すところ。
アメリカを創ってきた人々について、次のように述べるところ。

For us, they packed up their few worldly possessions and traveled across oceans in search of a new life.
For us, they toiled in sweatshops and settled the West; endured the lash of the whip and plowed the hard earth.
For us, they fought and died, in places like Concord and Gettysburg; Normandy and Khe Sahn.
Time and again these men and women struggled and sacrificed and worked till their hands were raw so that we might live a better life.
「私たちのために」、「彼ら」は、海を渡り、大陸を横断し、大地を耕し、過酷な条件下で働き、戦いで死んでいった。これらの男女の犠牲によって今の「我々」の生活がある。

 今の「我々」を支えているのは、アメリカを形成してきた無数の「彼ら」つまり死者だというのである。「我々のために」「彼ら」は生きそして死んでいった。
「我々」が成立するためには、死者が必要なのである。

 オバマが「我々」と呼びかけるとき、、「あなた」と「私」で「我々」になるのではない。「あなた」と「私」が死者によって媒介されるとき、「国民」としての「我々」が成立するのである。
つまり、死者を祀ることによって、合衆国の「我々の」政治を遂行しようというのである。
なるほど、政治は祀りごとなのである。

「砦のうえに我らが世界」を築こうとするとき、我々は「聖なる血にまみれ」砦の礎になろうと唄った。
この「ワルシャワ労働歌」の「我ら」もやはり死者を必要としていたのである(いきなりアナクロな「我ら」が出てきてすみません)。

 親鸞も「我ら」を多用する人であったが、それは単なる平等思想の表れというだけではない。はっきりとした史観をもった人であったことを考えれば、死者によって成立する「我ら」であることは明白であろう。

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2009年01月22日

人間性のレジスター――コーヒー豆一袋の煩悩

 一昨日の夕方、大学の前のビブレの食品売り場でコーヒー豆一袋だけ買おうとした。
 一番安いしかし日付の一番新しい豆を、たくさん並ぶ豆の袋をひっくり返しながら慎重に選び出す。古いのを買わなかったぞ。よし!

 そして、レジ方向を眺めると、10ほどあるレジがどこも長蛇の列。
 どこも4,5人は並んでいる。
 アタマはフル回転している。
「どこが早いか?}
 しかし、冷静によくよく観察すると、一列だけ3人ほどの短い列がある。
「よし、あそこだ!」
 おもむろにその列へと歩み出す。
 すると、反対側からカートを押すオバサンも同じ列をめがけて向かってくる。
 その姿をみとめるや、少しはしたないとは思いつつ、わが身は反応して少し早足になる。
 双方同じくらいの距離である。
 オバサンの表情が「その列、逃してなるものか!」という感じになる。
 最後の1メートル。
 オバサンは、カートをグイッと押す。
 私の短い脚が、我知らずグイッと伸びて、その列の最後尾をゲット!
 オバサンに睨まれるまでもなく、大股になった時点で自らのあさましさを恥じ入っておる。
「煩悩具足」とはよく言ったものである。親鸞聖人もレジに並ばれたことがあるのだろうか。

 その煩悩具足のわが身を振り返りつつも、その列をゲットしたことに満足していたのであるが、ところが、その列が全然動かない。
 両どなりの列は、どんどん進んでいく。

 あさましきことかな、と思いつつもレジの様子を覗き込む。
「どおなってるんだあ?」
 ナントカセールで全品割引の日らしく、大量に買い込んでるカップルのレジが終わらない。
 それにレジ打ちのオバサンがやたらと丁寧に商品をかごに並べるのである。
「そんなに買うんじゃねーよ」といらつく。
 あたりを見回して流れのいいレジを探す自分が恥ずかしい。
 しかし、ここは、レジを移動してそこで余計に待たされた、という経験に従って、ひたすら移動を我慢したのであった。

 というわけで、レジに並んでも親鸞聖人の教えを確かめる私でした。
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2009年01月21日

「新しい世界は可能か」――アラン・ルノー氏講演会(パリ第4大学)

 京都大学の杉村靖彦先生から、ブログで流してね、とご依頼がありましたので、京都大学文学部の講演会をご案内申し上げます。

【 アラン・ルノー氏講演会(パリ第4大学)
「新しい世界は可能か」

 日時:2009年1月31日(土)16時〜18時
 場所:京都大学文学部新館第一講義室
 通訳:澤田直(立教大学)/司会:杉村靖彦

 この度、日仏哲学会の招聘により、カントやフィフテなどの研究、およびポスト構造主義批判を通しての政治哲学的考察によって著名なアラン・ルノー教授をお呼びしました。多数の方々のご来場を期待しております。】

 で、このアラン・ルノー氏であるが、ポスターには縷々説明があるが、かいつまんででご紹介すると、

「1948年生まれ。カントやフィフテ研究から出発し、ロールズやハーバマスらの現代政治哲学との対話を通して、合理主義的理性を現代に復活させる仕事をしている。リュック・フェリーとの共著『68年の思想』(法政大学出版会)でフーコー・デリダ・ラカンらポスト構造主義の哲学を「現代の反人間的主義」と批判し、個人・主体・理性を中心とする啓蒙主義的近代の復権を提唱。ほかに『人権から共和主義思想へ』『政治哲学の歴史』(全五巻、編著)。『オルターエゴ―民主主義アイデンティティの逆説』では穏健な多文化主義を唱えた。2004年の『正しい政治とは何か』以後は「応用政治哲学」を掲げ、地域語、ライシテ、大学改革、積極的格差是正などの具体的問題に正義論の政治理論を根拠にした公共哲学を展開している」のだそうです。

 なんだか、元気のよさそうなオジサンのようであります。

 そのほか杉村先生がお世話されている講演会が2月、3月にあります。

 ウィリアム・ラフルーア氏講演会(ペンシルヴェニア大学)
 2月21日(土)午後3時
 (水子供養の研究者として著名な方。生命・医療倫理をめぐるハンス・ヨナスの日米における受容についての講演になる予定)

 ラズロ・テンティ氏講演会(ブッパータール大学)
 3月18日(水)午後2時より
 (この方は、フッサールとフランス現象学の研究で著名。リクールの『記憶・歴史・忘却』についての講演になるそうです。)

 いずれも興味深い講演ですが、これをお世話する杉村先生は、このこ忙しい年度末に大変かとご同情申し上げます。
 が、ご自分があちこち出かけられてのお返しであるから、仕方ありますまい。
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2009年01月20日

うるさい存在の私――センター入試無事おわる(ヴァージョン・アップしました!――するか?ふつう・・・)

 センター試験も終わりました。
 今年は、英語のリスニングの試験監督からどういうわけか外れてしまいました。この前は、何のトラブルもなくやったのですが( 別にやりたいと言っているわけではない、念のため)。
 おそらく賢明なる入試センターは、カドワキの存在自体がウルサイことを見抜き、静寂を要求されるリスニングの試験監督から、私を外したと思われます。
 当然の処置かと思われます。今後ともこの線でいくよーに。

 しかし、そのほかの試験でも、全国まったくの同一条件で試験を実施せねばならないため、監督者はマニュアルに書いてあること以外は話してはならない。
 これが、私のような口から先に生まれてきた人間にとっては大変辛い。
 マニュアルに書いてあることを、テキトーにアレンジして「ま、リラックスしていきましょう」などとアドリブを入れてはならないのである。
 機械の如く、タンタンとマニュアルに書いてある文章を読まねばならんのである。
 ほんと、パフュームみたいにロボット声でやったろか、などと不埒なことも考えました(「くり返す、このチューイ・・・」けっこう受けたりして・・・・なわけないか?)。

 で、ガチガチの緊張状態でマニュアルに書いてある文章をそのまま読もうとして間違ってしまった。
「机の上におけるのは、鉛筆、消しゴム・・・めがね、メモ用のシャープペンシル・・・」と読むところを、「メガネ用のシャープペンシル」と読んでしまった。
 あわてて訂正。
 前日から何度も同じ注意を聴いている受験生はせせら笑っておりました。
 く、くやしい・・・・。

 受験生から「受験科目を変更してよいか」などという質問が来ても、本部に問い合わせ、ある条件を満たせば可能と、タンタンと答える。

 「だいたい当日に受験科目を変更するなど、そんないい加減な態度で受験に臨むのは間違っている。そこになおれ!そもそも受験というものはナ・・・」−−とコンコンと説教したいのはヤマヤマであったが、隣でO田さんが「センセー、それだけはやめてください。《うっとおしい試験監督者》というクレームが来ます」と今にも羽交い絞めしようという勢いの目で制止なさるので、涙を呑んで自制した。
 ホント、あの受験小僧、今度、夜道であったら、たっぷり説教をおみまいしてやるぜ。

 というわけで、大過なく、大谷大学を会場としたセンター入試は終ったのでした。
posted by CKP at 12:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月18日

大学選びの最終ポイント――「悩む力」は「微笑む力」

 センター入試も二日目。
 それでも、まだ、受験校の決定に迷っている受験生もおられるであろう。
 そういう方に、最終的なポイントを提示してみたい。。

 志望学科と数値的なデータで、おおよその志望校は見えてきたが、いくつかの候補大学から「ここ!」というのが決まらない時には、最終的には、その大学の「雰囲気」が決め手になります。

 そのとき、その大学の「雰囲気」で重視すべきなのは、それぞれの学生がそれぞれの問題を真剣に悩むという雰囲気が感じられるかどうかということです。

 大学のパンフレットは、どこも明るい学生たちの笑い声で充ちていますが、それでも、自然とその大学の雰囲気が出ているものです。
 その雰囲気を、全身で感じとってみれば、そこが「悩む」ということを大切にしているかどうかは、感じ取れるはずです。

 しかし、悩むということは、何も眉間に縦じわをよせて、難しい顔をすることではありません。
 そのような局面もありますが、しかし、この悩みが自分自身の悩みであること、この悩みを真剣に悩むことが自分自身を基礎づけるということが明らかになってくると、そこには微笑みが生まれてきているはずです。

 この悩みは、私しか悩む人間はいないんだ。この悩みが、わたしを選んでくれたんだ――このように見究めたとき、眉間に縦じわという険しい表情は、少し諦めやはにかみをを含んだ優しい笑顔になるはずです。

 そこには自分の悩みをゆっくりと強靭に深く悩む「力」が生まれています。

 真剣な悩みをそんな微笑みが包んでいる大学、あなた自身がそれを感じ取れる大学、それがあなたにとっての「よい大学」だと思います。

 そんなポイントも考慮して、受験に臨んではいかがでしょうか?

 したがって、いつもガハハと大笑いしている私のような能天気なオジサンは、わが大学のパンフレットから見事に抹殺されているのでした――正しい方針かと思われます。
posted by CKP at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月16日

直木賞の山本さんも大谷大学ゆかりの人――文藝春秋社はよい本屋です

 先ほど、大谷大学卒業生の津村さんの芥川賞受賞を報告しましたが、直木賞の山本兼一さんも大谷大学と縁の深い方でることが判明。

 山本さんのお父上は大谷大学の教授であった方で(山本唯一先生)、ご本人も大谷大学に入学された経歴を持つ。お姉さんも大谷出身という大谷一家だそうだ。
 おそらく「やはり、親父が教授している大学はいやだ」というまっとうな感覚で同志社に移られたのであろう。
 大谷で卒業されていたら、ひょっとして芥川賞?(なことはないか)。

 いずれにせよ、大谷大学から長年『文藝春秋』誌に「生活の中の仏教用語」というコラム広告を載せてきた甲斐があったというものである。
 芥川賞作品の発表号では、津村さんの作品だけでなく、「生活の中の仏教用語」も読んでくださいね。
 
posted by CKP at 14:24| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大谷大学出身の津村記久子さん、芥川賞受賞!――こいつぁ春から・・・

 大谷大学国際文化学科卒業の津村記久子さんがの芥川賞受賞がついに決定!
 おめでとうございます!
 ずーっと候補にあがりながらの三度目の正直。

 同じ太宰治賞でデビューした本学哲学科出身の小林ゆりさんもこれを励みに頑張ってほしい。スニーカー大賞のやはり哲学科出身(中退だけど)安井健太郎クンも!

「こいつぁ春から縁起がいいわい」と書きたいところであるが、「そういう『縁起』の使い方、仏教学的に間違ってます」とクレームが来そうだから、自重します。
 仏教学といえば、小野不由美さんが本学仏教学出身でした。

 みなさん、どんな卒論を書いたんでしょうね。

 これから何本も読まねばならない卒論の中に、将来の芥川賞作家の卒論があるかも知れない。
 心して読うもーっと。
posted by CKP at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月15日

「純粋経験」としての念仏――まさかのまさか

 今日は、少々抹香くさいし、長いし、引用ばっかりです。
 あらかじめご注意申し上げます。

 西田幾多郎は「『国文学史講話』の序」(岩波文庫『思索と体験』所収)で、『国文学史講話』の著者・藤岡作太郎と自分自身の子どもの死について述べて、最終段落で次のように述べている(同じ岩波文庫『西田幾多郎随筆集』では「我が子の死」というタイトルで収録)。

「最後に、いかなる人も我子の死という如きことに対しては、種々の迷を起こさぬものはなかろう。あれをしたらばよかった、これをしたらよかったなど、思うて返らぬことながら徒らなる後悔の念に心を悩ますのである。しかし何事も運命と諦める外はない。運命は外から働くばかりでなく内からも働く。我々の過失の背後には、不可思議の力が支配しているようである、後悔の念の起るのは自己の力を信じすぎるからである。我々はかかる場合において、深く己の無力なるを知り、己を棄てて絶大の力に帰依する時、後悔の念は転じて懺悔の念となり、心は重荷を卸した如く、自ら救い、また死者にわびることができる。『歎異抄』に「念仏はまことに浄土に生るゝ種にてははんべるらん、また、地獄に堕ちつべき業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり」といえる尊き面影をも窺うを得て、無限の新生命に接することができる。」(233〜4ページ)

 子どもを亡くした「後悔の念」が「懺悔の念」に転じる。そのとき、その転換を促すものが「外から働くばかりでなく内からも働く運命」であり、「不可思議の力」であり、そこで「深く己の無力なるを知り、己を棄てて絶大の力に帰依する」ということが起こるという。そのとき西田は唐突に『歎異抄』の一節「念仏は・・・・存知せざるなり」を引いてくる。
 「尊き面影」とは、「念仏は・・・存知せざるなり」と述べた親鸞の面影であろう。しかし、念仏がどのような働きをもつものか分からないという親鸞の面影に接して「無限の新生命」に接するというのは、分かりにくい。
 「知らない」ということが、どうして生命の再生に結びつくのだろうか?

これは、明治40年11月頃の文章だが、その頃に書かれた「内から」働く「力」についての文章に次のようなものがある。

「人格はその人その人に由りて特殊の意味をもった者でなければならなぬ。真の意識統一というのは我々を知らずして自然に現れ来る純一無雑の作用であって、知情意の分別なく主客の隔離なく独立自全なる意識本来の状態である。我々の真人格は此(かく)の如き時にその全体を現すのである。故に人格は単に理性にあらず欲望にあらず況んや無意識衝動にあらず、恰も天才の神来の如く各人の内より直接に自発的に活動する無限の統一力である(古人も道は知、不知に属せずといった)。」(『善の研究』岩波文庫版、188ページ。)

 ここにも「道は知、不知に属せず」という不可知が出てくる。

 この「道不属知不属不知」という語句は『無門関』第19に出てくる。読み下し文で引用する。南泉という禅の師匠に対する趙州(じょうしゅう)という坊さんの問答である。

「南泉、因みに趙州問う、「如何なるか是れ道」。泉曰く、「平常心(びょうじょうしん)是れ道」。州伝く、「還って趣向すべきや」。泉曰く、「向わんと擬すれば即ち乖(そむ)く」。州伝く、「擬せんずんば、いかでか是れ道なることを知らん」。泉曰く、「道は知にも属せず、不知にも属せず。知は是れ妄覚、不知は是れ無記。若し真に不疑の道に達せば、猶お太虚の廓然として洞豁なるが如し。豈に強いて是非すべけんや。州、言下に頓悟す。」(岩波文庫版『無門関』、87ページ)

 校訂者の西村恵信氏は以下のように訳しておられる。

「南泉和尚はあるとき趙州から、「道とはどんなものですか」と尋ねられ、「平常の心こそが道である」と答えられた。ついで趙州が、「やはり努力してそれに向かうべきでしょうか」と尋ねると、南泉は「いや、それに向かおうとすると逆にそれてしまうものだ」と言われる。「しかし、何にもしないでいて、どうしてそれが道だと知ることができるのですか」と趙州。そこで南泉は言われた、「道というものは、知るとか知らないというレベルを超えたものだ。知ったとしてもいい加減なものだし、知ることができないといってしまえば、何も無いのと同じだ。しかし、もし本当にこだわりなく生きることができたら、この大空のようにカラリとしたものだ。それをどうしてああだこうだと詮索することがあろうか」。この言葉が終わらぬうちに、趙州はいっぺんに悟った。(同、88〜9ページ)

「言下に頓悟す」はスルーします。
 問題は、「内から」働く「力」。
 西田はそれをここでは「人格」について語る。
 人格とは、「恰も天才の神来の如く各人の内より直接に自発的に活動する無限の統一力」で、それは「内から働く運命」であり「不可思議の力」であり、その力が働く場所を、禅では「道」、浄土教では「念仏」というということなのであろう。
 そして、それこそが、西田のいう「純粋経験」の原型ではないか。

『善の研究』の第一篇「純粋経験」第一章「純粋経験」は次のように書きだされる。

「経験するというのは事実其儘に知るの意である。まったく自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験といっている者もその実は何らかの思想を交えているから、豪も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるか、我がこれを感じているとか言うような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験したとき、未だ主もなく客もない、知識とその対象が全く合一している。これが経験の最醇なる者である」(『善の研究』13ページ)

 ここで西田は「各人の内より直接に自発的に活動する無限の統一力」を、「純粋経験」という場で考えようとする。それは、「序」に「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである、個人的区別より経験が根本的であるという考から独我論を脱することができ、また経験を能動的と考うることに由ってフィヒテ以後の超越哲学とも調和し得るかのように考え、遂にこの書の第二篇を書いた」と述べられているところから明らかのように、まず主体を立ててしまうと、到達できない境地であった。
 その点では「知る」という語に主体からの能動的な「知る」を読み込んでしまうと後が分からなくなる。
 むしろ西田はその主体が到来する源泉としての「知る」を考えようとする。それは独我論との葛藤でもあった。そして、まず純粋経験から考えることによって「遂に」この『善の研究』に踏み出すのである。
 つまり、この純粋経験という場は、まず主体があって、その発展の手段・道具・媒体として「道」「念仏」が捉えられてしまうと、到達できない場なのである。
 
 「念仏」について言えば、主体の確立を第一としてしまういわゆるインテリの中に、親鸞の思想には興味があるが、合掌して念仏を称えることはしないという人、それも、そのことがインテリの証しでもあるかのように言う人がいる。
 確かに、念仏を悟り・救いに至る手段とした場合、その機能はあまりに貧弱であり、不合理である。もし、それでも念仏が手段として機能し得るというならばそれは「呪文」にすぎないであろう。ゆえに、その手段として機能を承認できないことの証左として「念仏拒否」が、誇らしげに語られるのである。

 悟り・救いの状態が主体によってイメージされるからこそ、そこに至る手段が求められる。ということは、たとえその手段によってその目標に到達できたとしても、その目標は最初にイメージされたものでしかない。
 それは、悟り・救いではなく、単なる自分の欲望の実現でしかない。

 したがって、西田によれば、念仏は手段ではない。「未だ主もなく客もない、知識とその対象がまったく合一している」、人格の「無限の統一力」が顕現する場なのである。そこから、「南無」と対象に向かう主体と南無される「阿弥陀仏」が分化してくる生命の源泉なのである。
 「無限の新生命に接する」とはそういうことではないか。そして、そこにおける「新生命」は、それ以前には思いもよらぬ生をもたらすものではないか。そうでなければ、「新」生命とは言わないであろう。

 古来、説教で「人生の三つの坂、上り坂に下り坂、そしてまさか」と言われるが、「まさか」という茫然自失の状態が、まさかの新生命を将来するのである。

まさか、純粋経験について書いて、「人生三つの坂」をオチにするとは思わなかったが・・・。
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2009年01月13日

新春!新企画『昭和語広辞苑』!!――「居候」

 というわけで、新春新企画『昭和語広辞苑』の始まりです。
 ひょっとして、岩波の『広辞苑』編集部あたりから「広辞苑」の名前を勝手に使うな!と抗議が入るかも知れませんが、まあ、例によって「飽きたら止める」企画でありますので・・・

 まず初回は「居候」。本家『広辞苑』では
「い‐そうろう【居候】 他人の家に寄食すること。また、その人。食客」とあります。

 聞きませんね、最近。
 高二の息子に尋ねたら「マンガの中で、昔のマンガの引用で出てくるし、夏目漱石の『こころ』に出てきた」ということで、すでに現実の存在ではなくっているようです。

 昭和も後期では、さすがに「昔奉公した大店の若旦那が勘当されて、うちの二階に居候する」という落語みたいな話は実際にはありませんでした。
 が、学生時代にちょいとまずいことがあって、友達の下宿に「居候」するなんてことが、ふつうにありました。
 また、出戻ったおばさんが家に居る、なんてのも当時は当たり前ですが、よく考えると「居候」に近いものかも知れません。

 「居候」なんて言葉をなぜ思い出したかというと、年末・年始にかけての「派遣村」のニュースを見ていて、「はて?なぜこの人たちは居候しないのであろうか」と思ったからです。

 
 実家に帰らないのは、それなりの訳があるのだろう。ならば、そういう時は友達の家に「居候」すればよいではないか――というのが昭和感覚であります。
 じっさい、ブラジルあたりからの移民労働者たちは、おそらく「派遣切り」されても、どこかに団子になって「居候」しているから、表に出てない。
 それに比して、日本の派遣労働者の場合は、寮を追い出されると住むところがなくなるという現実。企業の「倹約主義」の犠牲者が、このような形で身に見えるようになったのは、「居候」という、セーフィティ・ネットが崩壊しているからなのでしょう。

 そこでは友達関係も重要だが、居候側の「図々しさ」も必要である。つまり、その家の「倹約主義」を堂々と無視する図太さが必要なのである。
「居候、三杯目にはそっと出し」というのは、居候のくせに飯を二杯もパクパク食べて、さすがに三杯目は食べぬだろうと思ったら、そっと出してきやがった、という居候の図太さを言ったものである。

 ところが「派遣村」で取材に応じるお兄さんたちはやたらと「恥ずかしい」「情けない」を連発するのである。「勝ち組/負け組」図式でしか自分をみれなくなっているのが、切ない。
 そして、国の行政機関(厚労省の講堂)に居候することになる。

 セーフティネットが、行政機関が介入しないと立ち行かない、というのは、よろしいんでしょうか?

 これからどんどん安全が脅かされる時代、「ちょっと御厄介になります」というのを許容する民間のセーフティネットが生きていないと、すべて大企業と行政に振り回されることになりゃせんか?

 企業の倹約主義と居候の消滅は、実は、同じ論理の帰結なのである。

 「あの人、いつまでいるの?」という声を聞こえぬふりをして居続ける図太さというのは、いろんな場所でも必要だと思う。
 だから「あいつはいつまで教員やってるの」なんて声は、わたしには聞こえないのであります。
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2009年01月10日

卒論を待ちながら――「発見」の嘆き

 本日は大谷大学文学部の卒論の締切日である。
 4時に締め切りであるから、あとおよそ30分。

 昨年は、あと20分というところで「せんせぇー、プリンターが動きません。どうしたらいいでしょー」と泣きがはいったので、今年も研究室で待機しているのである。
 そういう非常事態に、30年以上も大学で棲息しているオジサンは、慌てず騒がず、対処できるのである。
 で、土曜日にもかかわらず、本年も研究室に待機し得いるのである。えらい!教師の鑑である。

 今のところ、学生諸君は粛々と卒論を提出しているようである。
 お疲れ様でした。
 
 しかし、トラブルがないかと待つのも間がもたないので、卒論試問に向けて、研究室の掃除を始めたのであった。
 あくまでも「始めた」のであって、完了したわけではない。ので、来週研究室を覗いて「やっぱり汚部屋じゃん」などと無体なことは言わないように。
 少しづつ少しづつ慌てず騒がず整頓していくのであるから。

 で、その過程で、思わぬものを発見して、嘆きの声をあげている。
 本の間に一万円札でも発見すれば、小躍りして喜ぶのであるが、「ああ、また!?」という嘆きの声になるのである、私の場合。

 それは、二冊目の本の発見である。
 同じ本が、二冊出てくるのである。中には、これは大学と実家と二冊そろえておこうとあらかじめ二冊買った本の三冊目が発見されることもある。
 そのような本が5セット発見されたのである。
 まだ掃除を「始めた」ばかりだというのに・・・。

 まあ、不況の出版界を応援していると思って、嘆くまいとは思うのであるが・・・。
 掃除の「完了」が恐ろしい・・・。
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2009年01月09日

ハムレットは今日もデブだった――メタボデブの執念は年を越えて

 ついにメタボデブの執念は、年を越えてハムレットさえデブの仲間に入れるところまで至ったのである。
 げに恐ろしきはデブの執念である。

 というか、シェイクスピアは『ハムレット』の台本にきちんとハムレットが太っていたことを書きこんでいるのである。

『ハムレット』の最終幕でハムレットはオフィーリアの兄レアティーズとフェンシングの試合をする。それを傍らで見ていた母ガートルードの台詞。

He’s fat, and scant of breath.(第五幕第二場)

これを松岡和子さんは「あんなに汗をかいて、息まで切らして」(ちくま文庫版)と訳しておられる。
 ハムレットをこの翻訳で演ずるのは真田広之。「あの子はデブだから、息まで切らして」とは訳せない。
 実はこの「fat」は、『ハムレット』の上演史上、18世紀ごろから常に問題となっていた。どういうわけか、これをもってまわって解釈して「汗かき」あたりに落ち付いて、ハムレットはすらりとした青白き悩める青年ということになっているのである。

 デブは悲劇の主人公になれない――これが西洋近代の約束事であった。ゆえに、その西洋近代を模範とするわが国でも、新劇や文学の悲劇においてはデブは否定され、そして現在は医療費削減ということで国家を上げて、デブをメタボデブとして弾圧しようとしているのである。

 私はこのような弾圧に断固として戦うものである!
 万国のデブよ、団結せよ!

 我が国には、デブに対して「恰幅がいい」という美しい言葉があるではないか!
 おりしも書店には「東映時代劇傑作DVDコレクション」というシリーズが並び、その第一回が『赤穂浪士』。主演・片岡千恵蔵である。
 時代劇の悲劇、それもハムレットと同じ復讐劇の主人公は、「恰幅のいい」大石内蔵助なのである。

 ということは、ハムレットも太っていてもかまわないのではないか。
 恰幅のいいハムレット――これでfat問題は解決できるのではないか?

 もともとハムレットはプロテスタント的倹約の世界の人間ではない。
 先王の葬儀に来たという親友ホレイショーに、葬儀の後ひと月も経たぬうちに母と叔父の結婚式が挙行されたことについて、「倹約、倹約だ、ホレイショー。冷めた葬式用の料理が、結婚披露のテーブルを飾ったんだ」(第一幕第二場)といまいましげに語る。
倹約はプロテスタントの美徳であり、ビジネスの基本となっていく。
すべてをリストラする新しい道徳観に、「恰幅の良い」ハムレットは我慢ならないのである。そして、彼は最後の最後まで、個人的な復讐とデンマークという国家をどのように維持していくかを考えるのである。
 それは恰幅の良い王の仕事である。

 と思って、以前から気になっていた河合祥一郎著『ハムレットは太っていた』(白水社、2001年)を繙く。
 この本はシェイクスピアの劇団の役者と当時の体型観を詳細に調べ上げた本だが、先の「fat」について、次のようなまとめがある。

 当時は、太った身体は肉体的な強さを連想させた。ジョン・リドゲイトは『トロイ記』(1412〜20)の中で、「背丈が高くすごく太っていて(fat)、とても強かった」王のことを書いているし、トマス・ドラントによるホラティウス英訳(1567)でも、「こんにちは、コモーダスさん、いかがお過ごしですか」と言われたコモ―ダスが「いやなに、ごらんのとおり、太って肥えて力がみなぎっています」と答える。さらに、リチャード・ゾーチの戯曲『ソフィスター』(1614〜20)二幕一場にも「あれほど肥えて(fat)美しく(fair)強く元気な人たちがいるか」という台詞が出てくる。イギリス・ルネサンス文化では、「太っている」身体こそ、男女を問わず理想的な身体だったのである。(199ページ)

 そして、当時、ハムレットを演じた(1600ごろ)リチャード・バーベッジがfat and fairであったことを実証されていく。
 河合氏のfatという語に対する執念がこの本全体にみなぎっている。ひょっとして河合氏は、「恰幅の良い」方なのか?

 それはともかく、この本を見ても、いかに私たちはfat=デブ・肥満という否定的観念に18世紀ごろから金縛りになっていることがよく分かる。

 それはおそらくプロテスタント的倹約道徳、リストラ至上主義と結合しているのではないか――と、デブは、いきなり自己防衛のために、そこまで論理を飛躍させるのであるが、まあ、いいじゃないですか。太っていたってということですね。

 ミック・ジャガーもいつまでも、スマートでいなくてもいいです。
 ミック・ジャガーを見るたびに、何となく後ろめたくなるのは私だけでしょうか?

 その点、ニール・ヤングは偉い!
 すっかり恰幅が良くなって、その上、アタマのてっぺんだけが禿げて、見事にかっぱ頭!
 恰幅の良いロックンローラーだっていいじゃないか、オジサンだもの――つみを、である。
 ミック・ジャガーもとんだトバッチリでした―――というわけ、今年もCKPの哲学科教員ブログをよろしく!」

posted by CKP at 18:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月08日

見えなくなる死――臨床宗教学実習報告

 新年初っ端の授業を休講にして葬儀つまり臨床宗教学実習を勤めてまいりましたので、そのご報告。

 田舎の葬儀とはいえ、村から4,5キロ離れた葬儀屋さんの会館での葬式。ここ3、4年、私の村の葬式はすべてこの形になりました。
 それでも、バスが出て、村のご近所衆もお参りしている、ある意味では北陸の寒村の古典的な葬式です。
 
 つまり、都会で最近盛んになってきた近親者だけの葬儀ではありません。田舎では、まだまだご近所付き合いが濃厚なのです。

 それでも、昔つまり私が子どもの頃の葬儀と比べるといろんな問題を感じます。
 とりわけ、村の子どもたちが葬式を村の風景として眺めることがなくなってきているというのは、大きな問題だと思っています。

 私の子どもの頃は、村のどこかで人が亡くなると、その家には白黒の幕が掛かり、多くの大人たちが出入りして「大変なこと」がそこに起こっているということが、子供たちにもわかりました。
 人が死ぬということは、多くの大人たちが大騒ぎする「大変なことなのだ」ということが、自然と理解できていたように思います。

 ですから、子どもたちはその家をおっかなびっくりで覗いたり、その前を駆け抜けたりしたものです。
 お棺を担いだ、村の火葬場への弔いの行列は、村の大イベントで、子どもたちはそれについて行って、葬式饅頭をもらったものです。

 そして、その饅頭をお腹に納めることで、その人の死を腹に収めたものでした。
 意味はよく分からないが、身体で人が死ぬ事を納得していました。

 ところが、村から遠く離れた葬儀場で葬式が行われるようになってきた現在では、子供たちにそのような機会はほとんど与えられません。
 ときどき見かけた、あるいにはときには叱られたジイチャンやバアチャンがいつの間にかいなくなってしまう――子どもから見れば、そのようにしていつの間に人が消えて行ってしまう、そんな世界が現出しているのです。
 まるでミステリー・ワールドです。

 あの宮型霊柩車も最近は見かけません。ほとんどがリムジン型になってしまいました。「霊柩車を見らた親指をかくせ!」という子どもたちの「まじない」もなくなってしまいました。

 華美な葬式などは無用だし、親しい人だけで質素な葬儀という流れも当然だと思います。
 が、故人が属していいた共同体に葬儀を「見せる」ということは、いろんな意味で必要なこと、とりわけ「死の学び」「生の学び」ということでは、大切なことのように思います。

 ですから、わたしは参列されたご近所衆には、葬儀の後配られたお供えのお菓子は、子どもさんにのその由来を告げて、食べさせあげてくださいとお願いします。

 最近、葬送をいろんな観点から見直す動きが盛んですが、そこでは個人的観点が優先されているようです。
 しかし、共同体的観点、とりわけ子供たちにとっての「ご近所の葬儀」という観点も考えねばならないように思います。

 それに、みんなでワイワイ、時にはお酒飲みながら葬儀の準備をしているときって、故人とそれほど近親ということがなくても、けっこう、自分を含めた人間の生と死について、考えるものだと思います。
 葬儀でいろんな人の世話になるのは、ある意味では面倒なことだけれども、その面倒をあんまり省くと、別のところでややこしい問題が起きてくるように思います。
posted by CKP at 18:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月05日

あけそうであかないCKPの2009年――いきなりの業務連絡:7日はカドワキは休講

 あけましておめでとうございます、と申し上げたいところなのですが、そうも行かなくなりました。

 正月三が日の年始回りを済ませて、昨日やれやれと一日ゆっくり休養し、さてブログで新春新企画「昭和語広辞苑」とか「メタボ・ウォーズ・エピソード3」とかを考えておりましたところ、そんな飽きたらすぐやめる企画を考えていたバチがあったんでしょうか?

 近所のばあちゃんが肺炎で亡くなってしまいました。
 先ほど、「枕経」に駆けつけ、葬式は7日ということになりました。
 いきなり、臨床宗教学の実習ということになってしまいました。

 というわけで、7日(水)の2コマ目のゼミと4コマ目の講義は休講させてください。3コマ目のオフィス・アワーもお休みです。
(補講については木曜日に掲示します)

 まだ、大学の事務が開いていないので、この記事を読んだ方は知り合いの人に知らせてください。

 父ちゃんに早くに死なれ、女手一つで3人の息子を育て上げた84歳になるばあちゃんの葬式です。休講の分は来週分りやすく講義するはずですから、許してたもれ。
posted by CKP at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月02日

2009年、「哲学科教員ブログ」の抱負

あけましておめでとうございます
今年も、本ブログをよろしくお願い申し上げます。

以下は、2009年の「哲学科教員ブログ」の抱負です。

1.ガラタたぬき氏の「不可思議な日常」から、
新書版哲学エッセイ集『不可思議な日常2』を出版して、
全国の高校に配布する。

2.CKP氏の雑想をピックアップして、
宗教哲学エッセイ集『トホホの哲学』を出版して、
全国の大谷派寺院に配布する。

3.pada氏の「思想の言葉」の投稿を(最低でも)隔月の連載化とする。
(なお、これまでの実績は2006年5本、2007年3本、2008年2本)

4.pilzは名誉管理人になる(なってどうするのだ)。
posted by pilz at 13:33| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする