2008年12月31日

言うだけはただ(『同朋』1995年3月号)

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 学生時代、友達の紹介で面白いアルバイトをした。夜、女性たちばかりの部屋に遊びに行き、話をしたりゲームをしたりするだけで、帰りになにがしかのお小遣いが貰える。なんとも不思議な、有難くも楽しい仕事ではあった。行ってみて分ったことだが、そこはデートガールの事務所で、客からの電話を待つ数人の女性がいた。
 こういった職業ではめずらしく、暴力団とは関係なしに五〇すぎの女性が、ほそぼそと自宅のアパートの一室で営業しているのであった。そのため、若い男たちが何人か出入りしている方が心強いというのである。今考えてみると、あまり説得的な理由ではないが、当時はこちらも若かったから、そんなことは気にせず喜び勇んで出かけたものである。
 そのとき、紹介してくれた友人から忠告されたことがひとつある。ただより高いものはない、と。チャンスは十分にあるけれど、そこで働くデートガールたちに決して手を出してはいけない。つまり、変な関係になると大変だよと友人は警告してくれたのである。
 ところが、当時、倫理的完全主義者であった自分は、彼の言葉をひとつの職業倫理として理解しようとした。仕事の場とプライベートの場との区別というかたちで。大学に勤めてからも、女子学生と教員が結婚するという話を耳にするたびに、このことが思いだされた。
 もっとも最近は、すこし違った解釈をしている。ただより高いものはないという言葉を、もっと素直に理解したらどうだろう。ただし、高いものにつくという結果にではなく、むしろ原因としての「ただ」ということに目を向けるべきである。
 ただ、と思うところに、すでにわれわれの発想の誤りがあり、そこから数々の困った問題が生ずる。空気や水について明らかになったように、ただのものなどない。ただであるかのごとく見えてきたか、見てきたにすぎない。長い間、家庭での主婦の労働はただと看做され、稼ぐのは男という偏見が支配してきた。
 見えるものはまだいい。見えないものがただでないことを理解するのは難しい。さらに言えば、見えないがゆえに、見えないことをいいことに、ただであるとわれわれは都合よく考える。たとえば、親切や正直、それをわれわれは心の問題であると言う。そして、情操教育の重要性を説く。だが結局のところ、心を見ることはできない。したがって、心の問題はただで済まされる。実質的にはなにもなされない。
 二〇年以上前から、物の時代は終わってこれからは心の時代だと言われてきた。多くの人々がそう主張した。それなのに、依然として物の時代であり、心は軽んじられている。さまざまな事件を切っ掛けとして、心の大切さが言われる。しかし、それは言われるだけである。言うだけはただなのだから。
 物がただでないのと同様、心もただではない。こう考えない限り、必要以上に物を重んじて心を軽んじる、あるいは逆に、必要以上に物を軽んじて心を重んじるという誤りが繰り返されるにちがいない。
 心がただでないとは、むやみに金を注ぎこんで、文化ホールを建設したり、名画を購入したり、道徳教育の手引を作ることではない。各人が身銭を切って、つまり、心の問題を自分の生きていく場で自らの行為を通して考えるということである。
 心が見えないからといって、口先だけで心、心と唱えるのはもうよそう。心とは一体何なのか、一度真剣に考えてみる必要がある。このことを怠ってきたからこそ、心のあるべき姿を見失い、われわれは途方にくれているのだから。言うだけはただと言われないためにも。
posted by ガラタたぬき at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 「不可思議な日常」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月30日

この私が掃除をしてもいいじゃないか、人間だもの――つみを

 ここ数日、掃除三昧である。

 風呂場に始まり、次に自分の物置兼書庫兼勉強部屋兼リスニングルームを床が見えるように整理し、昨日は今頃の北陸にしては快晴であったので境内の掃きそうじ。落ち葉をたくさん集めて焚き火。
 今日と明日の大晦日は本堂と庫裏の掃除。

 さすがに疲れてきたが、しかし、掃除をすると人間がキチンとしてくる。
 いろいろなモヤモヤが晴れてスッキリしてくるのである。
 人間をつくるのはやはり掃除である。

 子供たちにも雑巾を持たせてふき掃除。

 現在の学校ではどれくらいふき掃除をやっているのだろうか。
 彼らは雑巾を持って学校に行くが、体育館などは、いまや乾拭きであろう。
 私らのころは、冬の拭き掃除のときは、バケツに雑巾を突っ込んで絞らずベチャと床において、先生に「ちゃんと絞れ!」と叱られた奴が必ずいた。
 それは私です。

 この掃除というカリキュラム(?)は欧米ではどうなっているのであろうか。
『飛ぶ教室』に掃除の場面はあったっけ?
 あるいは、給食をホテルからとっている私立の小学校では掃除はどうなっているのであろうか?
 仏教寺院ではどこでも掃除は重要なカリキュラム(?)であるが、キリスト教の修道院ではどうだったか?
  
 もちろん、私がこのように書いているのに対して、
「床の見えない研究室に棲息するお前が、よくもまあ、厚顔無恥に掃除の教育的効果について書けるもんだ。
 お前の汚部屋として名高い研究室の写真をネットでばら撒いたろか」
と、脅迫したくなる方が多くおられると思う。
 であるから、脅迫される前に言いますけど、個人研究室をあんなに汚くしている私はだめな教師です。そこんとこ、十分承知しております。

 この間も「先生の卒論指導、ほったらかしです!」と文句を言ってきた学生にはそこんところをよく説明しておいた。
「世間というのは厳しくて、何でもかんでも指導してくれる人はいないんだよ。それに、自分の味方になってくれる人を見分けるのも、これから大切なんだ。だから君は今大切なレッスンをしているんだよ。」
 その学生は釈然としない様子で、しかし、この教師が頼りにならないことだけは分かったらしく、悲壮な決意で卒論に自力で取り組むしかないと見極めたようであります。
 
 というわけで、皆さん、よいお年を。
 来年は、もう少し研究室をきれいにするように、希望します。
posted by CKP at 22:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月27日

年賀状ツルカメ――ビミョーな関係

 年賀状の発送はお済みになりましたか?
 去年というか今年の年賀状を読みながら、律儀にそれに返事を書いて、時間がかかっている方もおられると思います。
 一年かけての会話となって、妙な具合に陥ってあせっておられる方もおいででしょう。

 が、年賀状はとにかく交換することが大事です。
 マルセル・モースの『贈与論』などを踏まえて年賀状を発送すると、いっそう味わい深いものとなります(が、『贈与論』は大学に置いてきたので、ここは岩井克人先生の『二十一世紀の資本主義論』から引用します)。

「モースは、たとえばマオリ族において、贈られたモノのなかには返礼を怠る受けとり手を殺してしまう魔術的な力が吹き込まれていると信じられていることを指摘する。ひとにモノを贈ることは、それゆえ、受けとる側にかならず返礼の義務を負わせることになり、一方からの贈与と他方から返礼とのあいだの果てしない繰り返しがひきおこされることになるというのである。モースは、古代的な共同体とは、このような互酬的交換によってかたちづくられる社会関係の総体として理解しうると主張したのである。」(「商業には名前がなかった」より、上掲書所収、ちくま学芸文庫版、127頁)

 出し忘れがないか、入念にチェックしましょう。
 なにせ「返礼を怠る受けとり手を殺してしまう力を吹き込まれて」年賀状はやって来るのでありますから。
 もちろん、「これは、もはや呪いはこめられていない」と判断できる年賀状もありましょう。しかし、ビミョーであります。
 よーく、相手の顔を思い浮かべて「もう、出さない!」という決断をしなければなりません。
 この決断が面倒ですから、結局出してしまう、古代的に気の弱い私です。
 ホントに賀状って、寿いでるのか呪っているのかビミョーであります。
 ビミョーな関係のところがビミョーなんでしょうね。

 とにかく、元旦に「あ、ヤバイ!」ということにならないように・・・とひと様に注意するより、私自身のほうが問題です。
 出し忘れていても、呪い殺さないでね。ツルカメ、ツルカメ・・・・
posted by CKP at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月22日

火事跡を遠回りして見る師走かな――無茶

 となりの町内で金曜の夜に火事がありました。

 で、土日の檀家さんのお参りの際に集めた情報によると、

 一軒丸焼けだが、近所は無事。
 その家の住人も近所の住人も無事。
 原因は放火でなく、火の不始末。
 火は消えたと思っても、トタンをはがすとメラメラ燃え上がる・・・


 などなど。
 このような話を聞き込むと、どうしても見たくなる。この土日は、檀家さん回りも、仏さんより火事の話ばっかり。

 ところがまずいことに、その焼けた家は、大通りから入ったところにある家で、大通りから見えにくい。
 何らかの用がないと、その家が見える小道は通らない。

 しかし、やっぱり見てみたいというわけで、さりげなく回り道をして、火事跡を見てきました――という句をひねってみました。

 「師走かな」という下5音に、暮れで忙しいのに見たくてしょうがない我が身を嘆く気持ちが、よく表現されていますね。
posted by CKP at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月20日

「恰幅」の逆襲――メタボデブは根に持つタイプ

 人間ドッグでの「あんたはメタボデブ」との説教にいたく傷ついた私は、「恰幅がよい」という懐かしい日本語に泳ぐようして擦り寄り、縋り付くのであった。

「恰幅が良い」――美しい日本語である。

 日本映画史上で探せば、片岡千恵蔵、市川右太右衛門がまず浮かぶ(お若い方の知らない名前でスミマセン)。
 次の世代では、山村聰、佐分利信そして池辺良(かえすがえすスミマセン)。
それにテレビ映画ですが『鬼平犯科帳』の中村吉右衛門(これはご存知ですね?やっぱりダメ?)

 浅草あたりの鳶の親分あたりに現存しておられるような気もするが、もはや世界遺産的存在かも知れない。

 現在では、三国連太郎に「恰幅がいい」というフレーズが捧げられるべきであろうが、しかし、「恰幅の良い」という存在の生存領域は今の映画には残されておらず、『釣りバカ日誌』のお茶目なスーさんを演じておられる。
嘆かわしいことである。
 あるいは『華麗なる一族』で北大路欣也に「恰幅」が一瞬期待されたが、ホワイト家族のお父さん(犬の声)を演じておられるようでは、将来は暗い。御父上の右太衛門さんが泣いておられるぞ!

 若いところでは、浅野忠信クンの将来にそのような「恰幅」が期待されたが、グリコのCMで「大人になったカツオ」を演じて素振りのバットを飛ばしている現在では望み薄である。

 なぜこのようなことになってしまったのか。

 ヨーロッパ映画に目を転じても、ムッシュー「恰幅」、ジャン・ギャバンは遠い過去である(激しくスミマセン)。
 アメリカ映画の「ミスター恰幅」は、『ゴッド・ファーザー』でマフィアの親分ドン・コレリオーネを、おしっこチビリそうなど迫力で演ずるマーロン・ブランドに止めをさす、
 それを確認するため、ちょっとだけと思いながら『ゴッド・ファーザー』を観る。
観だすと止まらないです。やはり、凄い映画ですね。

 その冒頭、イタリア移民の葬儀屋がコレリオーネに頼みごとをする。
「アメリカは素晴らしい国です。私はこの国で成功しました。娘もアメリカ風に育てました。」
 しかし、その大切な娘がチンピラに凌辱されたのである。警察も裁判所も彼の怒りに応えようとはしない。そして、この葬儀屋は、今まで避けていた「ゴッド・ファーザー」コレリオーネにその復讐を依頼せねばならなくなったのである。

 彼は、その復讐を「金」で依頼する。ビジネスとして要求するのである。
ゴッド・ファーザーはこれを撥ねつける。
そして、そしてコレリオーネをゴッド・ファーザーとして認めることを条件として提示する。
「素晴らしい国」アメリカのビジネス社会で、イタリア式の人間関係の中に入ることを要求するのである。
葬儀屋はコレリオーネをゴッド・ファーザーとして認め、そしていつかこの依頼の返礼をすることを約束する。

 このようにして映画『ゴッド・ファーザー』は始まるのである。
この冒頭で、この映画が、アメリカのビジネス社会とイタリア・シチリア島からの移民の「ファミリー」的社会の対立の映画であることが鮮やかに描かれている。

 しかし、この対立は、ファミリー内でも描かれてゆく。
それまでの互酬関係を基本としたファミリー維持から、「父さんのやり方は古い」と言う息子たちのビジネス的ファミリー経営への移行という対立である。
つまり、贈与に対しての返礼を基礎とする互酬的部族社会から、金銭の授受を基本とする市民的ビジネス社会への転換である。
 社会学で言えば、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行である。

 ビジネス社会では、「みんなまとめて面倒見よう」的な「恰幅のよい」親父さんの場所はない。贈与と返礼、保護と奉仕というような互酬関係はなくなる。それは長い時間を賭けて形成された「あの人には世話になったから・・・」という世界である。だから逆に「復讐」も認められる、いや義務となるような社会である。
それが、すべて金銭で価値計算される社会となるのである。金銭で清算すれば、世話し世話されるという人間関係は成立しない。
 そこでは、「時間」は不要である。スピードが命である。「長い付き合いじゃないですか。そこんとこ、よろしく・・・」というのは通用しない世界なのである。

 この変化は、日本では任侠映画から「仁義なき」ヤクザ映画の転換で描かれた。その転換そのものを描くのが、三島由紀夫が「ギリシア悲劇的」と絶賛した『博奕打ち 総長賭博』(1968年)である。
実際、この映画の脚本を書いた笠原和夫はギリシア悲劇を研究してこの本を書いたという。
 仁義という互酬関係に生きていた主人公(鶴田浩二)は、個人が個々の利益を追求する新らしいヤクザ社会で孤立し、「任侠道?そんなもんは俺にはねえ」とその新しいヤクザ社会に長ドスで切り込むのである。
任侠道に仁義を通すことによって、任侠道を任侠道のまま殺すのである。
 ギリシアの人倫社会を崩壊させる新たな法的社会を拒否し、ポリスに反逆し自殺するアンティゴネーと同じである。人倫を守ることで、人倫社会を崩壊へと導くのである。
彼女はギリシアの人倫の死に水を自ら取ったのである。

 そのように考えれば、「金がすべての世の中」である現在、つまり自立した個人の貨幣を媒介とした人間関係が基本である現在、互酬的人間関係をその中心で維持していく「恰幅」の生存場所がないのは明らかであろう。

 もし生存しても、「談合」や「賄賂」というあるファミリーの利益追求の行為になってしまうのである。『仁義なき戦い』や『ゴッド・ファーザー』はともに第二次世界大戦直後のヤクザ社会を描いたものだ。したがって、個々が金銭を媒介として「平等」となった戦後のビジネス社会で、「ファミリー」とか「一家」を維持しようとすれば、それは私利私欲を追及する「悪」としてしか存在しえないという世界を描いたものでもある。

 昨今「品格」ということが盛んに叫ばれるが、これは基本的には「恰幅のよい」と同類の言葉である。
仄聞するところでは、現在やかましく叫ばれる「品格」とはつまるところ「互酬関係をわきまえる」ということのようである。しかし、そのような本がこぞって読まれる文脈は、品格を獲得することで、このビジネス社会における国家の商品価値あるいは個人の商品価値を高めることが目指されているように見える。私利私欲の追求の、或いは個人の自己保存・上昇志向の道具に「品格」が堕してしまっているように見える。
そして、そこに「悪」を自覚することはない。
まことに下品である。

 また、世話されるべき「老後」をあくまでも「お一人さま」という「お客様」で過ごそうという流れは、世話つまりケアをあくまでも貨幣で購入しようという、徹底的したビジネス社会の肯定の上に成立している。
そこでは、私の自己保存を維持しようとすることは「悪」ではない。だって、ちゃんと払うものは払っているんだから。ただし、払うものを払わない者は、ケアを受けることはできない。

 「恰幅がよい」は、生き延びることにおいて「悪」を自覚することで、決定的に「品格を叫ぶ」とか「お一人さまの権利主張」とは違っている。
一つの共同体あるいは個人を存続させることが正義であっても、その正義自体に悪が含まれることを自覚しながら、事をすすめるのが「恰幅がよい」ということだからである。
これを古来「清濁合わせ飲む」という。

岩井克人先生によれば、ビジネスとは、互酬関係的共同体の内部ではなく、相互にそのような関係を持たない共同体の間の貨幣を媒介とした新たな関係から発生したという。ゆえに、ビジネスには固有の名前がない。「忙しい」という言葉から派生語があてられるだけだという。
つまり、もはや互酬関係を持たない、個として自立した個と個の貨幣を媒介とした関係なのである。もはや、互酬的共同体へ引きこもることはできない。ならば、それぞれは、個の維持を正義としつつも、それが「悪」として現象せざるを得ない矛盾をはらんだものとして、関係せねばならない。
その矛盾の自覚において「悪」と「悪」との相互承認が成立する。

 その相互承認を、おそらくヘーゲルは、互酬的共同体(人倫)として現存していたがその崩壊によって地下へと切り離されてしまった霊(ガイスト)の復活と考えていたように思う(といきなりのヘーゲルで、激しく激しくスミマセン)。
それは、「赦しの言葉」による新たな互酬関係として構想されているように思われる。
それは互酬関係であるから、世話し世話される関係である。しかし、それは人倫的世界への単なる先祖返りではない。個々人はすでに自立を経てしまっている。その自立した個人間の新たな互酬的人間関係の可能性をヘーゲルは考えようとしていたように思う。(田辺繁治先生がフーコーの権力論を介して考えようされてる相互扶助共同体もこのラインに近いようなものだと思うのだがどうだろうか――これまたいきなりでスミマセン。)

 したがって、そこにはセーフィティーネットの可能性があるのである。
基本的に最強のセ―フィティネットはファミリーである。
親は子の世話をする。子は老いた親の世話をする。
親分は子分の面倒を見る。子分は一家の為に働く。
そこにはそれぞれの居場所が確保されている。
「馬鹿は死ななきゃ直らない」という森の石松でさえ、清水一家にはチャンと居場所があったのである(どうにもこうにもスミマセン)。

 もちろん個の自立を経てしまった現代では、単純にそこへ後戻りはできない。それは矛盾をはらんだものとしてしか再生できない。
が、派遣で首を切られた途端「住む家」が無くなるという人々がいるという現在、新たな互酬関係への道筋を考えねばならない時が来ている。

 が、鬼平なら、「おめぇ、せっかく「品格」なんて古い言葉を言い出した人をそんなに悪く言っちゃぁいけねぇよ。それにな、「お一人さま」なんて言ってる人は、自分は善人と根っから信じているんだから、それをなじっても、らちがあかねぇよ。同じお天と様の下で生きていくんだ。情けは人の為ならずって言うじゃねえか。仲良くやんな」とやんわり諌められるような気がする。

 が、「恰幅がいい」というのは、どこか江戸文化のにおいがする。鷲田清一先生のようなはんなりと全体を包み込むリーダー的あり方は「恰幅がいい」とは別の言葉でしか表現できないような気がする。上方言葉では、あのような存在をどのような形容するのだろうか?

いずれにしても、メタボを指摘されたことを根に持って、各方面にご迷惑をおかけスミマセンデシタ。「恰幅がよい」に憧れるなんざぁ百年早いということがよく分りました!
私はただのメタボデブです、けっこう根に持つタイプの。
posted by CKP at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月18日

「専門の技法」学生、各コース希望状況

現在の希望状況は以下の通りです。
(第一希望のみ)

1.西洋哲学コース‥‥9人
2.倫理学コース‥‥‥19人
3.宗教学コース‥‥‥17人
4.教育学コース‥‥‥14人

西哲の不人気ぶりが身にしみて、本日も快晴。
posted by pilz at 14:50| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月17日

「恰幅」復活委員会――メタボデブの居直り

 先日「コール天のズボン」と書いたら、各方面からツッコミが入った。
 が、私としては「コール天のズボン」はやはり「コール天のズボン」である。
 その中には予想をこえた指摘もあり、「スパゲッティ」は「ま、最近はスパゲティなんだろうな」と思っていたが、何と最近は「パスタ」と言うらしい。
 確かに、うちの子どもらは「パスタ」としか言わない。

 しかし、オジサンの味方『広辞苑』では、「パスタ」とは「イタリア料理で使う、小麦粉を水や卵で練った食品の総称」とあるのである。
 だから、スパゲッティはスパゲッティなのである。
 おじさんは、現実の世界よりも、『広辞苑』の中で生きるのであった。

 さて、この話題は、私が人間ドッグで「あんたはメタボデブ」とこんこんと説教されたことに端を発したのであった。

 私がメタボデブであることは認めよう。
 去年買った「コール天のズボン」がきつくなたことも認める。

 しかし、それを「メタボデブ」と呼ぶのはいかがなものか。

 それは、由緒正しき日本語では「恰幅が良くなった」というのではなかったか。
 「恰幅がいい」――久しく聞かない日本語ですね。

 その昔は、片岡千恵蔵、市川右太衛門(北大路欣也のお父さん)や東山千栄子、京塚昌子らを「恰幅がいい」と言ったのである。

 これらの人々に共通するのは、「肝っ玉が座って、頼りがいがある」と「着物がよく似合う」である。
 おそらくこの二つは、相互に関連があるのであろう。
 着物というのは、自分中心に動いていては、着こなせないからである。
 常に、着物の動きを予想しながらでないと、着こなせないのである。常に、他者を意識して、行動せねばならないのである。

 確かに、現在でも松平健や高橋秀樹など「恰幅の良い」という系譜はある。しかし、彼らは「マツケン・サンバ」やバラエティでもはや「色物」に堕してしまっている。
 他者にこびるだけになってしまったのである。

 かろうじて残っているのは「忍たま乱太郎」の「お残しは許しまへんでぇ〜」と叱る「食道のおばちゃん」ぐらいであろう。

 ひとつの世界をうまく動かしてゆくその中心に「恰幅が良い」は存在するのである。

 ゆえに、わたしはここに「恰幅」復活委員会を立ち上げるものである。
 が、新しい「コール天のズボン」を新調するのも、ちょっと悔しい年の暮れであった。

 ところで、この間「洋品店」という言葉を久し振りに使ったのであるが、「洋品店」というのは、今でも生存しているんであろうか?
posted by CKP at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月16日

親鸞役はケンさんに決定!――ビブリオ・ドラマ『歎異抄』編

 西田幾多郎が『歎異抄』の第二条に言及しているので、授業でその箇所を読む。

 関東から「十余か国」を越えて「往生極楽のみち」を聴くために、人々が親鸞を訪ねる。
  親鸞はこれらの人々に「御こころざし」と一応「御」を付けて敬意を表し迎えるが、すぐに「しかるに」と逆説の接続しでつなぎ、それを私に尋ねるのは「おおきなるあやまり」と答える。
 嫌味スレスレの「御」ではある。
 そして「親鸞におきては、・・・・よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の仔細なきなり」と、ある意味では突き放すように答える場面である。

 これを私なんぞが解説しても面白くも何ともないので、学生諸君にその場面を「演出」してもらった。

 と言っても100人近い講義であるから、演出スケッチを描いて、そして配役をきめて提出してもらった。

 これがなかなか面白かったのでご報告。

 まず、親鸞と関東の人々の出会いの場。

 室内と指定したのが学生の半分くらい。
 次に多かったのが、親鸞が室内で関東の人々が屋外というパターン。つまり玄関や縁側―庭先というパターン。このパターンでは、位置に上下の差ができる。
 最後にあまり多くないが、道で出会い一緒に歩くというパターンもあり。

 そして、それぞれにおいて、両者が向き合っているパターンと同じ方向(たとえば「南無阿弥陀仏」の掛け軸の方向)に向かっているというパターンの二つがあった。

 どれが正解ということではなく、それぞれが現時点で読み取った『歎異抄』第二条の風景である。

 配役はこれまたさまざまで、目立ったのは親鸞役に「ケン」さんが多かったこと。
 緒形拳に松平健、高倉健に渡辺謙などなど。カドワキケンというのはなかった。

 学生諸君はいろいろ工夫して、演出スケッチを描いてくれました。
 授業の方法として、なかなか面白かったのでご報告まで。
posted by CKP at 18:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月12日

論文の宛先――読者の「変身」を促すために

 卒論って誰に向けて書くのでしょう?

 と訊かれたあなたのアマタに浮かぶのは、ひょっとしたら間抜け面した私かも知れません。
しかし、私は私のままで卒論を読むのではありません。副査の先生も同様です。
卒論を読む前に、あるいは読み始めた途端に、その論文の宛先人に変身するのです。
その「変身」を促すのが、タイトルであり「序文」なのです。

 つまり、卒論の「宛先」は、そこで扱う問題を「一緒に考えたい!」と思っている人であり、我々教員はそのような人間に「変身」して読むのです。
 タイトルや序文の力によって、我々は変身するのです。

 たとえばこんなふうに・・・・(どういうわけか桃尻語!)

卒論で「主婦連」を取り上げようと思うんだよね。
(え?何それ?)
その昔、カッポウ着とおしゃもじでデモしていたおばさん達。
(え?カッポウ着?デモ?何が悲しくて、そんなもん取り上げんの?)
今さ、クレーマーって流行りじゃない。企業やお店に文句言ってくる人。
よく考えたら、主婦連って、そのハシリなんだよね。でも、「クレーマー」じゃなかった。
この違いは、何だろうって考えたいわけ。
それでタイトルは「主婦連とクレーマー」にしたわけ。
(なるほど、面白そうね)

と、タイトル・問題提起があれば、我々は「主婦連とクレーマー」という消費者の行動がどこでどのように変わったのかをともに考える、論文の「宛先人」になるわけである。

 で、どうやって調べたの?考えたの?とその基礎資料・先行研究を知りたくなる。

 こんな本で調べるとよく分かるよ――というわけで、参考文献・引用文献の提示が必要になってくるわけである。
「あなたも、これらの文献や資料を見ると私と同じように考えると思うけど・・・」というわけである。

 しかし、それだけでは釈然としない、そこを必死こいて考えて、現代人の「自分の位置づけ」とか言う考察で、問題を拡大・深化させれば、それなりの論文になるのであります。
めでたし、めでたし。

 もちろん、論文は桃尻語は不可。ちゃんと、文章語で書くこと。
 なんでいきなり、消費者運動とか「自分の位置づけ」などということを言い出したのか、に興味のある方は橋本治『あなたの苦手な彼女について』(ちくま新書)をお読みください。

 さっきインターネットで調べたらまだ「主婦連」って存続しているんですね。ヒドク感激!です。

posted by CKP at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月11日

ごめんね幾多郎――知識とは別の「知る」

 先日は「師走吉例『忠臣蔵』」の勢いで、西田幾多郎クンの文章を思わず、浅学非才もかえりみず添削してしまった。
 幾多郎クンが彼の六歳の女児を亡くしたときの文章「『国文学史講話』の序」の以下の部分である。 

我々はかかる場合において、深く己の無力なるを知り、己を捨てて絶大の力に帰依する時、後悔の念は転じて懺悔の念となり、心は重荷を卸した如く、自ら救い、また死者に詫びることができる。」(岩波文庫版『思索と体験』233‐4頁)
 
 この文章の「深く己の無力なるを知り」を「深く己の無力なるを思い知らされ」と赤ペンで添削してしまったのであった。

 これはこれで「君がそういう表現の方が分かりやすいというのならば、それでもいいけど・・・」と幾多郎クンも許してくれそうな気がする。

 しかし、「知る」には、何かを「知る」ことによって、生き方がガラッと変わってしまう「知る」がある。

 これは養老先生がよく挙げる例であるが「自分が癌であることを知る」という「知る」がそれである。

 この「知る」は、「あ、そう、わたしは癌なのね。知識が増えました。うれしい」ということにはならない「知る」である。
 むしろ、「知りたくない」のに「知らされてしまった」という「知る」である。
 結局、「知らされる」という受動的な「知る」なのではあるが、人生にはそのような「知る」が働いているのである。

 だから、菅原洋一は「あなたの過去など知りたくないの」(@なかにし礼)と唄うのである。知ってしまえば、今の生き方が変わってしまうから。

 奥村チヨの唄う「あなたと会ったその日から 恋の奴隷になりました」(@なかしに礼)も「あなたを知る」ことで人生がガラッと変わってしまう例である。
 「恋の奴隷」になることが、幸いなのか不幸なのか?

 いずれにせよ、人生にはときにそのような「知る」が働く。

 教室で学ぶときでさえ、知識の増殖ばかりではなく、そのような「知る」で出会う可能性がある。
 卒論をまとめているときも、そのような可能性がある。ただし、それは、おそらくあちらから不意にやってくるものであろう。

 それがまた「知る」の面白さでもあるんですね。
posted by CKP at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月09日

この間の遺恨思い知ったか(パート2)――CKPの人間ドッグ報告

 わたくしCKPカドワキは先週末人間ドッグに行ってまいりました。
 以下ご報告(そんなもの読みたくないでしょうけど)。

 別にとりわけ悪いところはないのであるが、案の定、メタボであることを指摘される。
 保健指導員のお姉さんと医師のお兄さんに、さんざん「あんたはデブだからもっと運動しなさい」と注意を受ける。
 自分でもわかっていることを説教されるのは、まことに業腹である。が、去年はけたズボンが、最近、きついのは真実であるから、じっと我慢の子であった。

 ちょっとぐらいデブでもいいじゃねぇかとは思うが、ズボンを新調せねばならないのが口惜しい。
 昨年、●●ビーンという洋品店(?)にコール天のズボンを買いに行った時のことを思い出すと、ワナワナと怒りがこみ上げるのである。

 店員のお兄ちゃんに「コール天のズボンありますか?」と訊いたら、こ奴は「コーデュロイのパンツですか?」と聞き返しよったのである。
 そんな西洋サルマタみたいなものではなく、由緒正しき「コール天のズボン」を所望しているのに、である。
 ほんと今度あ奴にあったら「この間の遺近恨思い知ったか!」と殿中おやじになりそうである。

 ちなみに『広辞苑』では、「コール天」の項に縷々説明があり、「コーデュロイ」の項では、「コール天」を指示してあった。
 さすが『広辞苑』である。エライ!
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2008年12月08日

この間の遺恨思い知ったか!――西田幾多郎と忠臣蔵?

 毎年今頃になると『宗教学概論』で、西田幾多郎の「『国文学史講話』の序」(岩波文庫『思索と体験』所収)に言及している。
 が、どうも言うことが毎年違っているような気がする。最近すっかり老人力がついて、去年の記憶はおろか一週間前の記憶でさえ曖昧となっているので、違っているのかどうかも分からない。
 西田幾多郎が彼の6歳の女児を亡くした話なのであるが、今年、とりわけ気になっているのは次の箇所。

「しかし何事も運命と諦める外はない。運命は外から働くばかりでなく内からも働く。我々の過失の背後には、不可思議の力が支配しているようである。後悔の念の起るのは自己の力を信じ過ぎるからである。我々はかかる場合において、深く己の無力なるを知り、己を捨てて絶大の力に帰依する時、後悔の念は転じて懺悔の念となり、心は重荷を卸した如く、自ら救い、また死者に詫びることができる。」(233‐4頁)

 この「深く己の無力なるを知り」という表現――添削したくなりませんか?

 「そうか、俺は無力なのか。知らなかったな。では、わが知識のうちに登録しとこ・・・」と、今まで私は読んでいたような気がする。
 それはお前の読み方が悪いからと言われればそれまでであるが、「己の無力」は「知る」という能動的な表現とは矛盾するのではないか?
 「己の無力」は「わが子の死」という事実によって突きつけられるという受動的表現を要請してくるのではないか?
 明治語の「知る」にはそのような受動的ニュアンスがあるのかも知れぬが、私だったら「己の無力を思い知らされた」と表現したくなるところである。

「思い知る」の用例にこんなのがある。

 浅野内匠頭は殿中松の廊下で吉良上野介に「この間の遺恨覚えたか(思い知ったか)」と切りつけたと伝えられるが、これについて小林秀雄がこんなことを書いている。

「十七歳の少年時代、やはり勅使饗応掛を勤め、首尾よく行ったのに、三十五歳になり、すこしばかり知恵のついたところで、又勤めてみたら、飛んだ失敗を仕出かした。彼は、上野介に切付けた時、思い知ったかと大声を発したと言われるが、それが確かではないにしても、思い知ったのは当人であったことに間違いはあるまい。彼は、何を思い知ったのか。」(文春文庫版『考えるヒント2』14頁)

 もちろん小林秀雄はお手軽な答えを用意してくれるわけではない。ここから話はどんどん広がり、江戸時代の儒学、とりわけ徂徠学へと展開し「格物致知」へ至る。

「物を重んずるという考えは、徂徠の学問の根本にあった。「大学」の「格物致知」の格物とは、元来、物来るの意であり、知を致す条件をなすのが格物であると解した。これを物の理を窮めて知を致すとする通説は全く誤りだとした。せっかく物が来るのに出会いながら、物を得ずして理しか得られぬとは、まことに詰らぬ話だ、とするのが徂徠の考えだ。」(同、54頁)

 自分の知、自分の道理を上野介に「思い知らせよう」とした内匠頭は、その知の世界の狭さを逆に「思い知らされる」ことになる。「切腹」という物が来たりて、自らの無力を思い知ったのである。

 西田の場合も、「わが子の死」という物が来たりて、これによって「己の無力」を「思い知らされた」のである。
 そうでなくては、その次の「絶大の力に帰依し」が出てこない。
 そこに至るまでの文章では、確かに、「わが子の死」を何とか「理」に収めようと苦しげに文章を綴る西田が見られる。しかし、西田は、その究極において「物窮まれば転ず」と、事柄そのもの、「物」に合わせて自分の知を脱構築するのである。
 つまり、「己の無力」を「思い知らされたことを知る」という形で、その「物」の来るところを己の分別を離れて受け入れるのである。

 小林秀雄が徂徠についていう「経験」、西田が「思索と体験」というときの「体験」とは、このような己の知・理の無力を思い知らされるような経験を言っているのではないか。

 何もわざわざ忠臣蔵を出す必要もないのであるが、師走に入り討ち入りの十二月十四日も近いということで、西田の文章を忠臣蔵を介して考えて見ました。
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2008年12月07日

大学教員(助教)公募のお知らせ

大谷大学哲学科では、現在、宗教学ないし日本哲学分野の助教の公募をおこなっています。詳細は、大谷大学哲学科HPをごらんください。

(しばらく、この記事がトップに出ます。CKPさん、申し訳なく候。)
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「60点をめざす卒業論文の書き方講座」

‥‥をゼミの卒論指導の一環としておこないますので、
卒論に迷える子羊たちは、遠慮なくどうぞ。
(プロジェクターを使った説明です。)

12月8日(月)、14時30分〜16時
H303教室
Everyone's Welcome!

*卒論提出予定者は、哲学科HPにある「卒業論文について」を確認したうえで、
村山准教授HPの「卒業論文の書き方」ページに一度は目を通しておくように。
このページに書かれていることが、卒論を書く際の最低限のルール。

(しばらく、この記事が2番目に出ます。CKPさん、申し訳なく候。)
posted by pilz at 22:39| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月04日

名探偵ホームズに学ぶ――卒論の裏技

 反政府団体によるタイの空港占拠が解除となった。
 この団体が空港を占拠したというニュースに接したとき、タイの民衆は仏教国にもかかわらずえらく過激で戦闘的なんだあ、とびっくりしたのであった。
 しかし、空港占拠が続くうち、「?」と思うようになったのは、私だけではないだろう。
 何かおかしい。
 そこにあるはずの何かが欠けている・・・そんな疑問を持った人が多いと思う。
 そう、ふつうならこのような過激な行動はどれほど指揮するグループが有能でも、あれだけの規模なら必ず「暴徒化」ということが起こるはずである。
 空港占拠なら免税店など「暴徒」の格好の標的なるはずであるのに、それがまったくない。
 なぜか――という分析は専門家にお任せしよう。

 実は、この「何かが欠けている」という視点は、卒論などで問題を分析するときにきわめて有効な視点となるのである。

 卒論ではないが、岩田克人先生は「商業には名前がなかった」というエッセーを次のように書きだされておられる。

「犬は夜のあいだ何もしなかったんだが」というグレゴリー警部の言葉にたいして、シャーロック・ホームズは「それがふしぎな事実だというのです」と注意する。事件の鍵は、ある事実が存在していることにあるのではなく、ある事実が存在していないことにあるのである。(ちくま学芸文庫版『二十一世紀の資本主義論』、125頁)

 そして、岩井先生は、エミール・バンヴェニスト探偵の「商業」という言葉に関する調査をワトソン君のように報告されていく。

 そして、最終節を次のように書き記す。

「商業」という経済活動の出生の秘密は、まさにそれが名前をもっていないというふしぎな事実に隠されていたというわけである。たしかにこれは、ワトソン博士の手には負えない事件であったにちがいない。
 だが、共同体と共同体のあいだから生まれた商業という「名なし」の経済活動がいったいどのようにして今まさに全世界をおおいつくしつつあるあの「資本主義」という名をもつ経済体制に転化していったのかというさらに複雑な秘密の解明には、どうやらバンヴェニストとは別の名探偵の登場を待たなくてはならないだろう。(同書、130頁)

 「商業」という経済活動の出生の秘密――興味ある人は、そのエッセーを読んでくださいね。
 もちろん、卒論書いているお方は、もはやそんなことしている暇はありません。
 ましてや、「犬は夜のあいだ何もしなかった」ホームズの『白銀号事件』など読んではなりません。こういうときに限って、この手の読書を始めたら止まらなくなります(経験者が言っているのであるから、ありがたく聞くよーに)。

 pilz 先生の「卒論の書き方講座」で書き方をよ〜く確認し、ひたすら読んで書いて読んで書いて読んで書いて・・・・もう一か月しかない、あるいはまだ一か月もある?
 とにかく、必死こいて書くよーに。

付記:誤解があるといけないのでいっときますが、エミール・バンヴェニストという人は「探偵」ではありません。言語学者であります。邦訳で読める著書に『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集』があります。『エミールと少年探偵団』とは何の関係もございません。
posted by CKP at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月01日

死生学の始まり――レレレのおじさんも参加?

 11月28・9日は、NPO法人尋源舎主催で琵琶湖湖畔で開催された「尋源仏教塾」で二席ほど哲学(?)のお話する。一席目の話のあと仏教学の織田先生や真宗学の一楽先生がコメントしてくださったおかげで、翌日の二席目の話が大変面白かった。
 自分で話しながら聞いていて、なるほどと感心して思わず聞き入ってしまったー―という話の内容についてはおいおい書いて行きます(忘れなければ)。

 翌30日の日曜日は、越前のわが寺での2日遅れの「御正忌(親鸞聖人のご命日)」と「仕舞いお講」を勤める。おそらく蓮如時代から続いている「お講」である。
 そこでは、沙加戸弘先生のDVDを参考にしながら、親鸞聖人のご生涯を描いた「御絵伝」の「絵解き」をする。
 今年は、最後の臨終の場面から葬送のあたり。

 親鸞聖人は1262年の11月28日に入滅されているが、その後
「洛陽東山の西の麓、鳥部野の南の辺、延仁寺に葬したてまつる。遺骨を拾いて、同山の麓、鳥部野の北、大谷にこれをおさめたてまつりおわりぬ」(東本願寺出版部『真宗聖典』736頁)
 というわけで、清水寺の南にあった火葬場・鳥部野で火葬にふされた親鸞聖人の遺骨はその北の「大谷」の地で墓に収められたのであった。
 「大谷」という本学の名前は、このお墓のあった場所の名前であった。そして、人々は生きる道を求めて、このお墓にお参りしたのであった。
 つまり、「大谷」というのは最初から「死」と「生」を学ぶ場所であったのである。

 その後、死後10年後、吉水の北に「墳墓をあらためて・・・仏閣をたて影像を安ず」とここに本願寺が始まったのだが、そこを絵伝で見ると、な、なんと「レレレのおじさん」が描かれているではないか!?
 丸坊主のおじさんが竹箒でレレレと今にも「おでかけれすかー」と言いそうな気配で、せっせせっせと掃き掃除。
 恐るべし、赤塚不二夫先生。
 ということではなくて、沙加戸先生の「絵解き」によれば、

「ここに掃除をしておられるのは、関東から報恩講に上がってこられた二代目の如信上人であるとも、また覚如上人であるとも、またこの絵を描いて下された浄賀法眼とも伝えられております。いずれにいたしましても、真宗道場にお仕えする者は、掃除をもってその勤めとせよ、というお示しをいただいておるのであります。」

 ははーっ。
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