2008年11月29日

当たり前(『同朋』1995年1月号)

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 学生時代の友人が京都に来るというので、晩飯でも一緒に食べようかということになった。かつてともに通った学生食堂のようなところともいかないし、高級料亭というのもわれわれの懐具合にそぐわない。ゆっくりと話ができる落ち着いた店で、なおかつそこそこの値段でとなると、なかなか難しい。
 君は二十年以上も京都に暮しているのだから、適当な店を思いつくだろうと友人は言う。ところが、そうでもないのである。たしかに学生時代はほとんど外食をしていたため、安くて旨い店についての情報には敏感であった。しかし結婚後は、もともとアルコールに弱い体質もあって、酒を呑むために夜の街にくりだすこともほとんどなく、手頃な店を知る機会もあまりなかった。
 腹をすかした男が二人いつまでもうろうろしているわけにもいかず、なんとか思いついた店に行ってみることにする。細い路地を入って右手のところに、あった、あった。けれども定休日。仕方ない蕎麦屋へ行こう。ほら、あそこの角の店。でも、なんだか様子が変だよ。なんと、改築中のためお休み。
 悪い夢をみているようだ。最近、こういうことがよくある。卒業生が大学に訪ねてきて、コーヒーでも飲みながら話そうかと、彼が学生の頃入り浸っていた店に行くと、すでに店はやめていた。ひさしぶりに古本屋へ足を向けると、店はなく小さな土地に真新しいビルが建っている。この話をしても友人はすこしも驚かなかった。
 考えてもみろよ、われわれの学生時代にはどこにでもあった名曲喫茶なるものは、今ではほとんど姿を消してしまったじゃないか。店内は全体に薄暗く、凝った椅子や卓とクラシックが売り物で、こちらでは学生が独りで何時間も黙って音楽に耳を傾け、あちらでは恋人たちが頭を寄せ合いなにごとかを語っていた。当時、あの情景が学生生活から失われるとはまさか思わなかったろう。
 もっと分りやすい例を出そうか。俺たちが大学に入った頃、学生にとって中華料理と言えば「aa」だったろ。ところが、それから数年もしないうちに「王将」の進出によって「aa」は撤退を余儀なくされてしまった。それが時間の力さ。善い悪いは別として、時代につれてすべては変わらざるをえないんだよ。
 そうか変わらざるをえないのか。自分はこれまでずっと同じ自分であったから、つい、なにごとも昔のままであるかのように考えてしまう。そんなところから、いつのまにか自分と時代とのずれが生じ、広がっていくのだろう。ということは、昔はこうではなかったと感じたとき、そのときこそが自分と時代との関係を考えるべきときなのかもしれない。
 頑に自分の意見を固守するのは見苦しい。逆に、無批判に時代に追従するのは情けない。そもそも、時代の動きは見定めがたいし、進むべき方向を指し示すことも容易ではない。とすると、重要なのはつねに時代というものに注意を払い続けることである。つまり、なにか問題を考えるさい、その問題を時間の流れの中に置いてみることである。
 五十年前にはカラーテレビなど夢の話でしかなかったし、その開発研究に取り組むといったら笑われたにちがいない。かつての非常識が現在では当たり前になっている。反対に、かつての当たり前が現在では非常識になっているものもある。したがって、現在の視点からだけで、あるものを非常識であるとか当たり前であるとか判断してはならないのだ。
 とは言うものの、さしあたっては夕食の場所を捜さなくてはならない。勇を鼓して、もう一軒心当たりの店を覗いてみることにする。跡形もなく駐車場にでもなっていたらどうしよう。
posted by ガラタたぬき at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 「不可思議な日常」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月28日

論文、二つのスタイル――卒論追い込みのために

 論文には二つのスタイルがある、と今頃言われても、間近に迫った〆切にむけて修論を清書している院生は怒るであろう――というか今頃こんなブログを読んでいるようではいけません。

 学部学生諸君はそろそろまとめにかかる時期であろうから、余計なお世話かもしれぬが、論文のスタイルについて書いてみる。

 もちろん論文のスタイルは千差万別、書く人の数だけあるのだが、思い切って大きく分けると二つに大別されるように思う。

 ワトソン君型とマーロウ型である。

 ワトソン君とは、ご存じ、シャーロック・ホームズのパートナー。
 ホームズに事件が持ち込まれ、スコトッランドヤードの警部が手こずるこの問題をホームズが鮮やかに解決していく一部始終を述べていく。
 多くの論文は、基本的にこのスタイルをとる。

 ホームズの部屋に行ったら、そこ何やら困惑した人物が訪ねてきた――問題の提示。

 警察はこの問題に手こずる――先行研究の検討と批判。

 ホームズは、どこかへ消えてそして何か証拠をつかんで来る――問題の独自の分析。

 「こういうことなんだよ、ワトソン君・・・・」――問題の鮮やかな解明。

 ワトソン君はこの過程をクールに客観的に報告する。

 このようなスタイルで書かれた論文は、その問題に対して明解な解決を提示しているので、その後、頻繁に参照される。
 学術的評価高し。

 が、もうひとつ、別のスタイルの論文がある。

 チャンドラーが創造したタフな探偵マーロウのように、語り手そのものが事件(=問題)に巻き込まれ、そして危機に陥り、そこからの脱出が解決となる論文である。
 
 名付けてハードボイルド論文である。

 デカルトの『方法序説』がその典型である。

「その頃わたしはドイツにいた。」(岩波文庫版、谷川多佳子訳、20ページ)

 これを「そのころ俺はドイツにいた」とするとにわかにデカルトはフィリップ・マーロウに変身する。

 「そのあと俺はオランダに引き籠った。都会の孤独を愛したからだ。そこでの最初の省察について話すべきかどうか、俺には分からない・・・」

 あるいは自らの論文集を「悪戦苦闘のドキュメント」と述べる西田幾多郎なども、マーロウ型に属するであろう。
 そのスタイルのエッセンスを味わえるのが「『国分学史講話』の序」(岩波文庫『思索と体験』所収)

 このエッセイの前半で西田は、『国文学史講話』の著者・藤岡作太郎が子供を亡くして深く悲しんだ人情あふれる人物であることを述べる。そして「人間の仕事は人情ということを離れて外に目的があるのではない、学問も事業も究竟の目的は人情の為にするのである」と、この『国文学史講話』が「人情」に基づいたものであることを強調する。

 ところが、そのあと西田は「とにかく余は今度我子の果敢無き死ということで多大の教訓を得た」ともっぱら「余」つまり俺について語りだすのである。
 そして「物窮まれば転ず」と大きな転換について語るのである。

 自分の子どもの死に際して、そのような危機に際して、西田は自分自身の転換、モノの見方の転換を語るのである。
 そして「無限の新生命に接することができる」と新しい世界に再生する。

 つまり、ハードボイルド論文では、ほかならぬ語り手自身が問題(=事柄そのもの)に巻き込まれ、その問題を解決するためには、問題を扱う自分自身が変容する必要があったことが述べられているのである。

 マーロウ型の論文は、どちらかというとそれ自身が研究対象となるような古典となるような論文であり、私のような人間が書いても誰も相手にしてくれるものではない。

 しかし、結果としてそのようなマーロウ型になることもある。
 問題にかかわっているうちに、「これはどうも今までの知のフレームワークを壊して、問題にこちらの知を合わせないとどうにもならい」と気づいて、自分が変容してしまうということが、起こる。

 そして、その変容のドラマを一人称で語るというスタイル以外に書きようがないということが起こる。

 こういう論文はごちゃごちゃしていて読みにくい。
 しかし、わたしは好きである。学術的には高い評価を与えられないが、本人がそれなりに考え成長した後が見えるので、こういう卒業論文を読むのはうれしい。

 まあ、どちらのスタイルをとるかは、それぞれの内容と相談して決めてくださいね。
 
 しかし、ワトソン君型と言っても「私がホームズの部屋に着いたとき、彼はパイプをゆっくりくゆらしていた」とか、マーロウ型と言っても「いつだったか忘れたが、俺があの女を見かけたのは、妙にけだるい午後だった」と書き出せと言っているわけでないので誤解のないように。
 あくまでも視点の問題です。

 となると、当然、第三のスタイル、コロンボ型というのもありそうです。うちのカミさんは、どう言うだろう。
 
posted by CKP at 11:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月26日

身を捨ててこそ浮かぶゼミ――オジサンの「引き算のロジック」

 3・4回生のゼミで読んでいる内田樹先生の『私家版・ユダヤ文化論』もいよいよ佳境に入って「ユダヤ人はどうしてこれほど知性的なのか」という問いに対するサルトルの答えを検討する段階。

 サルトルの答えは「ユダヤ人の「例外的知性」なるものは、民族に固有の状況がユダヤ人に強いた思考習慣、つまり、歴史的に構築された特性である」(183頁)とまとめられる。

 そのときユダヤ人にその思考習慣を「強いる」のは、反ユダヤ主義者によって形成される「状況」であるが、そこでの反ユダヤ主義者のふるまいをサルトルは次のように述べている。

「反ユダヤ主義者はユダヤ人が知性的で勤勉であることを喜んで認める。自分の方が劣っていると認めさえするだろう。これくらいの譲歩は彼らにとっては少しも苦にならないからだ。そういった美質を反ユダヤ主義者はかっこに入れる。そのような美質を備えた人間とはもともと固有の価値に乏しい人間であると解釈するのだ。」(191−92頁, 岩波新書版『ユダヤ人』安堂信也訳では、20−21頁)

 このサルトルの分析を内田先生は「巧妙な引き算のロジック」とまとめられる。
 そして傍点付きで次のように言いかえる。

「ユダヤ人は自分がユダヤ人であることを否定するわずかによけいな身振りによって、自分がユダヤ人であることを暴露する存在として構造化されている。」(192頁)

 なるほどと思って、思って学生諸君を振り返ると、みんななんだか片付かない顔をしている。

 「サルトルの分析」と言っても、「サルトルって誰?」という世代である。ボーヴォアールと一緒にさっそうと哲学のトレンドの先頭を切っていたサルトルなんて知らない世代である。
 彼らの脳裏にサルトルという名でどんな顔が浮かんでいるのか?

 そのサルトルの「引き算のロジック」と言われても、なかなか分かりにくいのはいたしかたがない。
 いろんな例を持ち出して、説明を試みる。

 で、最終的にたどり着き、学生諸君も納得してくれたのが、「過剰にヤングぶるオジサン」の例。

 なんとか若者社会に受け入れられようとするオジサンは、止せばいいのに過剰に若者ぶる。
 「ロミオロメンっていうの?あれなかなかイカしているね」などと言って、失笑を買う。
 おじさんはおじさんを満喫していればいいのに、若者社会に無用な媚を売ることによって、「オジサン」であることを暴露してしまう。

 上の内田先生の傍点付きまとめの文のユダヤ人を「オジサン」に入れ替えれば、そのことがよく分かる。

「オジサンは自分がオジサンであることを否定するわずかによけいな身振りによって、自分がオジサンであることを暴露する存在として構造化されている。」

 と、このようにしてオジサンの身を捨てての説明によって、学生諸君は「引き算のロジック」を理解したのでした(泣)。

 しかし、なぜユダヤ人はこれほどまでに知性的なのかという問いに対するレヴィナス―内田の答えは、もっと分かりにくい。
「ユダヤ人の「例外的知性」なるものは、民族に固有の聖史的宿命ゆえに彼らが習得し、涵養せざるを得なかった特異な思考の仕方の効果である。」(184頁)

 いったいどのように説明できるであろう?おそらくそれはとんでもない自己犠牲を必要としてくるような予感がする。
 クワバラ・クワバラ・・・・
posted by CKP at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月25日

教養ある愚者――バカの勘定

 先週だったか、「自分の不利な情報をも冷静に分析できるのは、詮ずる所、教養のなせる業である」という田岡氏のことばを書きつけた。
 田岡氏が「教養」という言葉で何を言おうとしたかはわからない。

 よって、「不利な情報を冷静に分析できる教養」ということについて考えてみる。

 「教養がある」というのは、一般的に知識が豊富という意味で理解されやすいが、しかし、「知識が豊富」というのと「教養がある」というのは微妙に違う。

 たとえば、結局、軍事の話になって恐縮であるが、敵が川を背にして陣形を組んだとしよう。
 兵法の知識では、川を背にするのは下の下、最低の陣形である。
 だもんで、「あいつら、馬鹿だねー。川を背にしたら逃げ場がないじゃないの。これは勝ちをもらったね。ラッキー!」となる。
しかし、これは、知識はあるけど教養に欠ける態度と言えよう。

 「敢えて不利な陣形を組んできた。いったい、どういうつもりだ?」と慎重に構えるのが、教養ある態度であろう。

 つまり「無教養」というのは、「世界は自分のアタマが理解するがごとくに成立している」というところに現象する。
 逆に、教養とは「天と地のあいだには哲学などでは計り知れないことが山ほどあるんだ」(『ハムレット』第1幕第5場)という態度で世界に向かうことである。

 つまり、自分は自分の甲羅に合わせて世界を切り取っているだけである、ということを常に勘定に入れて、世界に向き合うことができるのを「教養がある」というのである。
 自分は馬鹿であるということを常に意識すれば、馬鹿には見ることのできないものを見ようとする、それを見るために、自分の馬鹿なアタマの構造を入れ替えねばなない――この前進を駆動する力を「教養」というのではあるまいか?

 それは「向上心」とは、微妙に違う。

 「向上心」は、どちらかというと、アタマの構造を変えることなく、知的領域を拡大していくことに勢力を注ぐ。
 自らの知的帝国の拡大に満足してゆく。

 それに対して、教養は、自分の考えもしなかった世界に接し、自分の馬鹿さ加減を思い知り、世の不可思議に驚き、そして喜んでそれを受容できることではあるまいか?

 馬鹿でよかったね。おかげで、こんな世界が見えてきて・・・ということになるのではあるまいか。

 なんだか、三ツ星レストランに縁のない輩が、定食屋でサンマ定食に「サンマに大根おろし・・・。しあわせ〜」と言っているような話になってしまった。

 というわけで、馬鹿は馬鹿なりに「教養」について考えるのこころだぁー!
posted by CKP at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月20日

文芸奨励賞、哲学科、他学科を圧倒!――哲学科の「秘密」

 このほど大谷大学教育後援会文芸奨励賞の受賞者・受賞作が発表された。
 9名の入賞者が発表されたが、そのうち何と5名がわが哲学科の学生諸君である。
 この圧倒的な強さはどこから来るのか?

 それは「秘密」です。

 その「秘密」を知りたい方は、大谷大学哲学科へご入学ください。
 その「秘密」の秘密を伝授いたします。

 ただし、学外の賞に関しては、わが哲学科は現在少し停滞気味。
 太宰治賞の小林ゆりさん(倫理学出身)、スニーカー大賞の安井健太郎クン(CKPカドワキゼミ中退)も、なかなか新作が出ない。
 頑張ってね。
 
それに対して他学科は好調。
 国際文化学部出身の津村記久子さんがこの間の二度芥川賞の最終選考まで残って逃したが、今度野間文芸賞新人賞を受賞。
 ここは同じ大谷大学出身ということで、大いに寿ぎたい。
 また社会学の俊英・阿部先生が日本社会学会の賞を受賞。
 またこれも大いに喜びたいと思うとともに、わが哲学科の俊英の諸先生にも、ブログは私に任せて、より一層の奮起を期待するものである。
 
posted by CKP at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月18日

誰も知らない私の悩み――バチの当たらない贅沢

 ラジオ番組『小沢昭一的こころ』がCD化されて、何と一万九千円で発売されている。
 そのCDボックスをレコード屋に行くたびに手に取り、買おうか買うまいか悩んでいる。
「語り芸の研究」ということで、研究費でおとせないか? T川事務部長の「そりゃ駄目でしょう」という明るい声がこだまする。
 ボーナスをちょろまかして思い切って購入しようか。中古市場に出回るのを待つか。

 と悩んでいるとき、新聞にゴールドマン・サックスの幹部のボーナスがカットされるという記事が出ていた。
 そりゃそうでしょう。政府からたんまり資金注入してもらって、この金融危機の責任も取らずボーナスまでもらってウハウハしていたら、革命が起こる。

 しかし、その額を見て、びっくり。
 その最高幹部の去年のボーナスは約66億円。
 一人で、66億円!
 やっぱり世界同時革命をカンちゃん達と貫徹すべきであった・・・・とも思うが、しかし、66億円というようなお金を、一個人がどうやって使うんだ?

『小沢昭一的こころ』を買っても、まだ65億9千・・・円余るぞ!
それなら、米朝の落語DVDもまとめ買いだぁ!ついでに、「昭和残侠伝」もボックス買い!
まだあるか!
このさい「仁義なき戦い」もDVDで揃えておこう!
なんだか心臓がどきどきする。
そうだ、ブルーレイが見れるテレビとレコーダーを揃えよう!
もう、卒倒しそう。
こんな贅沢をしてバチあたんないかぁ?

こんな贅沢に比べれば、1万9千円『小沢昭一的こころ』は安いもんでしょ?
66億円なんて言いません。1万9千円で幸せになれるんですから・・・。
ね!?
posted by CKP at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月17日

親鸞を訪う――親鸞のテクスト論(2)

 以下は、明日の会議の為、少しアタマを整理するためのメモです。 分りにくくて申し訳ないが、けっこう面白かったので、そのままエントリーします。
 分りにくいのはいつものこと、といわれれば返す言葉を持たないCKPです。 


 親鸞は経典の読者、それも末法の時代の読者であり、その読みを我々「後に生まれん者」に示し、「訪う」ように要請している。
その限りで、親鸞は「作家」ではない。

しかし、「後に生まれ」た人々は、親鸞を「ご開山」あるいは「宗祖」と呼んで、浄土真宗の「作家」と看做した。
「作家」が出版社に利益をもたらすように、「ご開山」あるいは「宗祖」は、親鸞をそう呼ぶ人々に、何らかの利益をもたらした。

 『親鸞絵伝』がつくられ、書簡を編集した『血脈文集』や『末灯鈔』が編集された。子孫、弟子が親鸞をそれぞれ「宗祖」と位置づけることで、それぞれの正当性を主張し権威を得ようとしたのである。

 もちろんそれは親鸞の教えを正しく守り広めそして伝統しようとする私心のない行為ではあったが、多くの場合、宗祖親鸞につながる自分の正当性を確保する行為に堕す傾向は逃れがたかった。
「宗学」とは、そのように自らの正当性を確保しようとする傾向を持つものであった。そこでは、つい最近まで『教行信証』を直接に学生が読むことは許されなかったという。
 ウソかホントか、眉につばをつけて聞かねばならぬが、沙加戸先生の話によれば、江戸時代、宗学の最高権威である「講師」は、さらさらと一筆揮毫するだけで、京の一流旅館に居続けできたという。超VIP待遇であったのである。

 清澤満之が、東本願寺の宗学の殿堂である高倉学寮を京都から東京に移し、「真宗大学」として「一派の宗学と、及び他の諸宗の教義の学と、最も本学に直接に関係を有するところの須要なる世間の学科とを教授」せんとしたのは、親鸞の仏典の「読み」を20世紀の末法の文脈に読もうとした試みではなかったか。
 大正年間、真宗学を確立した金子大栄が、真宗学を親鸞の教えの内容を確認する学とはせず、親鸞の学び方を学ぶ学としたことも、「作家としての親鸞」ではなく「読者=学ぶ人としての親鸞」を学ぶ=読むということではなかったか。
 したがって、金子は岩波文庫で、それまで宗学内部の一部の権威しか読めなかった『歎異抄』や『教行信証』を校訂・刊行する。

 この傾向は戦後ますます強まり、我々は『日本思想体系』や『日本古典全集』の中に親鸞を読むことが可能になり、日本思想史、文学史あるいは西洋思想史の文脈の中で読むことが可能になった。
また、ヨーロッパ語の翻訳により、欧米でも親鸞が読まれるようになった。

 しかし、そのことは同時に、親鸞を一人の思想家、作家と読むという結果をもたらすことになる。
確かに親鸞は宗学からは解放されたが、それは同時に親鸞を独創的な一作家と見ることになってしまうのである。
親鸞はオリジナルな思想を創造した作家となってしまうのである。
そこでは、親鸞が末法のとき、一読者として仏典に向き合い読んでいった学びの姿は希薄になる。
親鸞のオリジナルを「理解する」という態度が優先されるからである。つまり、「正解」が求められることになる。

 親鸞はオリジナルも理解・正解も要請しない。歎異抄の親鸞を見ればそれは明らかだ。
親鸞が読んだテクストに直参し、そこで不可思議の前にたたずみ自ら考えること(面々の御はからい)を要請しているのではないだろうか。
そのようにして新たなテクストを編むことが、親鸞を訪い弔うことになるのではないか。
posted by CKP at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月16日

天は理由なしに我を見放しはしないーー入試もダーウィンに学べ

 私は自慢ではないが、軍歌「雪の進軍」が歌える。
と言われても「はあ?」てなもんですね。

「雪の進軍、氷を踏んで、どーこが道さえ一切知れず・・・」という軍歌は映画『八甲田山』(原作:新田次郎)で唄われた軍歌である。
学生時代、カンちゃんとこの映画を観た私は、「やっぱり軍は指揮系統のしっかりした少数精鋭部隊に限る」と感激したのであった。
そして、よく大学構内を「雪の進軍」を唄いながらカンちゃんと二人で「行軍」していたのであった。

 日露戦争に備え、日本陸軍は冬の八甲田山で雪中行軍の演習を大部隊と少数部隊で行った。いろんな幹部が都合のいいことばかりを言って指揮系統がばらばらであった大部隊は「天は我々を見放したかぁ!」と遭難。200名余りの部隊のほとんどが死亡。
 これに対して指揮系統が一本化されていた少人数部隊は無事生還。

 部隊を率いるときは指揮系統の一本化が要諦であると学んだのであった(そんなもん学んで何するつもりだったんでしょ?)。

 が、最近、「自分は常に無謬である」いう指導者たちの態度を見るにつけ、指揮官は情報を冷静に分析できなければならない、ということも『八甲田山』から学ばねばならなかった、と反省している。
 自分に都合のいい情報だけで自分を位置づけ、それで部隊を指揮するという指揮官の下で行動するとどのような結果になるか、歴史を見れば明らかである。
 そして、こういう指揮官ほど、責任はとらず、自分は間違っていなかった、間違ったのはアイツだ、と自分の無謬を主張するのである。

 しかし、これば何も軍の指揮のみ関わることではなく、ダーウィンが常に彼のテーゼに反する事例をノートしていた故事に明らかなように、学問においても大切な態度である。
そうしなければ、ダーウィンでさえも、自分に不利な情報は、無意識のうちに忘れてしまうからである。
「知りたくない」という無意識が、不利な事例を即座に「なかった事」にしてしまうのである。

 であるからして、受験生諸君!
 自分の弱点を冷静に分析し、それに対処した者のみが、入試を突破でき真冬の八甲田山から生還できるのである。
 田岡俊次氏によれば、自分に不利な情報をも冷静に分析できるというのは、最終的には「教養」のなせる業だという。
 さらに「軍事分析家が一番分析しにくいのは、指揮官がどの程度の人物かということ。それをわざわざ論文を公にして知らしめるというのは、国益を損なうことだ」と田岡氏は怒っておられた。
 そうすると、「踏襲」を「ふしゅう」、「未曾有」を「みぞうゆう」と訓むどこかの首相も、国益を損なっていることになる(よめないことがイカンという訳ではない。それならそれで、キチンと予習しとけということである。――が、マンガって、ルビがふってあって、けっこう漢字に強くなるはずなのだが・・・)。

 その点で言うと、私のブログも、学科益を損なっていないだろうか?
 今さら言っても遅いけど・・・・。
posted by CKP at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月14日

マルクス・アウレリウスより

もはや、さまような・・・さあ、目的へ向かって急ぐのだ。
もろもろのむなしい希望を捨てて、君自身を助けよ。
まだ間に合うかぎり、君が君自身のことを何ほどか気にかけているかぎり。
                  (『自省録』第3巻14節)

 マルクス・アウレリウス(後121-180)は、古代ローマの皇帝であり、ストア派の哲学者。帝国の状況が悪化しつつあった161年に即位し、180年に遠征の地において病死するまで在位した彼は、治世中、度重なる戦乱と反乱のために、戦いの日々を送らざるをえなかった。
 『自省録』は、マルクスが晩年の約10年間に、遠征の陣中などで、自分の人生を見つめ、自分を励ますために書き綴った哲学ノート。この書の原題は、「自分自身のために記された事柄」(タ・エイス・ヘアウトン)。
posted by pada at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 思想の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月13日

こまわり君とグールド――お詫びと説明

 昨日は、がきデカ=こまわり君などという、おそらく30歳以下の方々の教養には登録されていないマンガの主人公を突然登場させて失礼いたしました。

 懐かしさのあまりR50完全指定も忘れて書いてしまいました。

 「がきデカ」というのは1970年代後半に「週刊少年チャンピオン」に連載された山上たつひこ先生によるギャグマンガ、それも大変お下劣なギャグマンガです。
 主人公は、小学生なのにおまわりさんという「こまわり君」。
 友だちに西城クンとかモモちゃんとジュンちゃん。小学校の先生があべ先生。これらの女性陣は妙にエロティックでしたなぁ・・・。

 しかし、こんなマンガは読まんでもいいし、読まなくても充実した人生が送れます(山上先生のもうひとつの傑作『喜劇新思想体系』も読まない方がいいと思います)。

 もう一人、ミッキー・マウスに言及しているスティーヴン・ジェイ・グールドも昨日いきなり登場しましたが、この人はマンガとは何の関係もないアメリカの生物学者。

 進化論を論ずる科学エッセイを書く人で、自然選択説では説明しにくい妙な化石や動物を論じていた。2002年に60歳で亡くなった。

 ハヤカワ・ノンフィクション文庫でおもな著作が読めるが、妙な進化を紹介しているのが面白く時々読んでいた。
 が、何を言いたいのかよく分からなかった。

 池田清彦先生の文章を借りてご紹介。

「ダーウィンの正統的な後継者は自分であり、ドーキンスのような自然選択至上主義者ではないことを、豊富な事例と一流のレトリックを駆使して論述したグールドの議論は、しかし、専門的でややこしく、容易に理解できる代物ではない。
 私見によれば、グールドの議論を難解にしているのは、アメリカにおける聖書原理主義者の無視できない数の多さである。聖書の記述を一言一句正しいと信ずる人々は進化を認めない。公教育で進化を教えることにも反対する。この世の生物はすべて、神が創造の六日間で造ったのだから。進化という事実と進化メカニズムをめぐる論争はまったく別次元の話なのだが、この人たちの前でダーウィンの悪口をちょっとでも言えば、やっぱり進化はウソなんだと曲解される。グールドの苦悩はここにあった。」(『ゼルフィスの卵』東京書籍)

 なるほどシロートが読んでも分からんわけだ。
 でも、グールドは面白い。

 ところで、池田先生のこのエッセーの冒頭に、恐ろしいことが書いてある。
 今世紀になって日本の高校の生物でも進化を教えないことになった。そこまで、ブッシュ・アメリカに追随するか文科省!

 
posted by CKP at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月12日

大人になったこまわり君――がきデカは成熟したか?

 先週、喫茶店で人を待つことがあり、十数年ぶりにビッグ・コミックを手にとったら「中春こまわり君」(山上たつひこ)というマンガが目に飛び込んできた。

 あらー、なつかしや。

 中年になったこまわり君がさかむけ小学校のあべ先生と病院で偶然会い、西城クンと一緒にお酒を飲むという話。
 こまわり君もいろいろ成人病に苦しんでいた。
 彼はもはや「死刑」とか「八丈島のキョン」とかの意味不明のギャグは飛ばさない。
 大人になったのである。

 これはマンガそれもギャグマンガでは画期的(ガキテキと読みましょう)ことである。

 スティーヴン・ジェイ・グールドが『パンダの親指』(ハヤカワ文庫)で指摘していたように、ミッキー・マウスに代表されるコミカルなキャラクターは、時間が経つにつれて「幼児化」していくものである。
 絵柄では頭がだんだん大きくなっていく。
 性格もいたずら小僧から、可愛いに赤ちゃんに近い性格に変化する。

 ところが、こまわり君はしっかりと大人に成熟していたのである。
 ただし、二頭身はそのままで、背広を着ている。

 しかし、この成熟はたとえば井上雄彦の『バカボンド』や『リアル』(第8巻出ました!)の成長物語とは、質の違うものであるような気がする。

「中春こまわり君」はずいぶん前から時々掲載されていたらしく、今度単行本となるらしい。
 それを拝読し、こまわり君の成熟についてじっくり考えたい。

 そんなことを考えるのは「ひとでなし!」であろうか?
 ヘイヘイ、人ではございません、わたしゃスッポン大阪育ち・・というギャグもありましたなぁ・・・と遠い目をして思いにふける私です。
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2008年11月11日

親鸞のテクスト論――小室哲也詐欺事件に学ぶ(?)

今やテクスト論の古典と言ってもいいロラン・バルトの「作者の死」(『物語の構造分析』花輪光訳、みすず書房、1979年)に次のような一節がある。

「土俗的な社会では、物語は、決して個人ではなく、シャーマンや語り部という仲介者によって引き受けられ、必要とあれば彼の《言語運用》(つまり、物語のコードの制御)が称賛されることはあっても、彼の《天才》が称賛されることは決してなかった。作者というのは、おそらくわれわれの社会によって生み出された近代の登場人物である。われわれの社会が中世から抜け出し、イギリスの経験主義、フランスの合理主義、宗教改革の個人的信仰を知り、個人の威信、もっと高尚に言えば、《人格》の威信を発見するにつれて生みだされたものだ。それゆえ文学の領域において、資本主義イデオロギーの要約でもあり帰結でもある実証主義が、作者の《人格》に最大の重要性を認めたのは当然である。」(80ページ)

近代以前には「作者」などはいない。それは近代になり登場し、資本主義と結びついているとバルトは言う。

この間の、小室哲也の著作権詐欺のからくりは、このバルトの説を「なるほどなあ」と裏付けるものであった。
著作権というのは、「この作品の作者は私です」と主張する権利である。
ああ、そうですかで話が終われば、詐欺は発生しない。
その作品が商品として売れ、そのうちの何がしかが作家のもとに印税として入ってくるということがあって、詐欺行為が可能になる。
もちろんその著作権が小室氏に属していれば問題はない。
しかし、(「週刊こどもニュース」によれば)小室氏をはじめふつうの作曲家は、著作権の管理を出版社に譲渡して、その出版社から何かの印税を得る。(そこをあたかも自分が管理しているかのようにして、著作権を売ろうとしたから詐欺となったのである)。

簡単にいえば、作家とか作曲家は出版社が作品を売り管理するということがあってはじめて成立する身分だということである。

「先生、もっと面白い作品、書いてくださいよ。」
「こんなのどう?」
「いあや、これは面白い。これは売れます。やっぱ、先生、天才でげすな。」

と、このように「天才」は18世紀の出版文化が花開いた頃に発生したのである。
そこでは、売れる作品、つまりオリジナルな作品が求められ、そのオリジナルな作品を作り出す人を「天才」そして「作家」と呼んだのである。

したがって、それ以前の商業出版とは関係のない著作は「オリジナル」ということは問題にならない。もちろん、今「古典」とされているものは、「オリジナル」なものであるが、それを書いたご本人は「オリジナル」を目指したわけではない。
シェイクスピアの作品など、ほとんどが、あの『ハムレット』さえもパロディなのである。

さらに遡って仏教のお経などは誰が書いたのかよくわからない。「私はこのように聞きましたよ」と誰かが、書いているのだけである。
ほとんどシャーマンの仕事と言っていいくらいである。

そのような経典を受けて、親鸞は『顕浄土真実教行証文類』という主著を残しているが、親鸞とて、これをオリジナルな「作品」とは思っていない。
全6巻の各巻にある彼の署名は「愚禿釈親鸞集」となっている。
「集」つまり、わたしは重要な「文類」をここに集めました、と言っているだけのである。
自分は作家でなく、経文の編集者である。テクストの編集者であると宣言しているのである。

バルトは、テクストを「引用の織物」(85ページ)と述べているが、親鸞のやっていることは、まさしく経文からの「引用の織物」を編むことなのである。
それらの経文の「読者」として、テクストを編んだということなのである。

親鸞がバルトの「作者の死」の「読者の誕生は、「作者」の死によってあがなわなければならないのである」(89)という一節を読んだら、膝を打って「そう、この末法の時代に、我々は「末法の読者」としてお釈迦さまから語りだされ伝統されたテクストに向かわねばならんのよねー」と言ったのではないか。

したがって、その親鸞の文類を読むわれわれも、21世紀の新しいテクストを編むということになる。

そのようなテクスト観によらないと、もはや商業出版の世界にいた富永仲基のように、大乗経典はお釈迦さまの直接の「作品」ではないという「大乗非仏説」を唱えることになってしまう。
仲基は、大乗経典はあたかも著作権がお釈迦さまにあるように見せているが、ほんとうはお釈迦さまが書いたんではない、詐欺だ、と主張したのである。
仲基は何か自分のオリジナルな作品を盗作され、儲けをもっていかれた苦い経験でもあるのだろうか?
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2008年11月09日

大谷大学“謹厳実直”哲学科宣言ーーGMの凋落に学ぶ

 アメリカの自動車産業のトップ・ゼネラルモータース(GM)が、青息吐息である。政府から資本注入も求めてのた打ち回っている。
 政府に助けを求めるなんて情けないといえば情けないが、GMとしても言い分はあるのであろう。
 今のアメ車の不振の原因の一部は、GMをはじめとするビッグ3がトヨタのプリウスのような環境対応型のクルマをもたないことである。ガソリンをバカバカと吐き散らすクルマしか作っていないから、原油高のあおりで販売が伸びない。
 目先の利益のみを追いかけた結果である。

 しかし、かつてはGMとて電気自動車を一生懸命開発していたのである。町山さんによれば、GMはカリフォルニアの規制に合わせるために前世紀末には電気自動車を実用化した。
 ところが、石油産業と結託したブッシュ政権は「自由競争に規制はいけない」とカルフォルニアの排ガス規制に圧力をかけ、これを撤廃させ、GMは電気自動車から撤退したのであった。
 その結果、エコはすっかり日本車に持っていかれたのである。
 GMとしては、この落とし前どうしてくれるんだ、という気持ちがあるのではないか。

 しかし、これは何も自動車産業だけのことではない。

 日本の大学教育でもアメリカの「自由競争」が導入されつつある。
 つまり、文科省に「教育成果の上がるプログラム」をアピールすると、予算がもらえるという制度である。
 長いスパンでじっくりこつこつ研究成果を積み上げ、そのような姿勢を学生に示していくというのが教育の王道である。しかし、文科省が求めるのは、2・3年で成果が計量されるような教育である。
 目先の成果を求める教育が「自由競争」の名のもとに推奨されるのである。
 
 もちろん、学生の教養の質・レベルの変化には対応せねばならない。しかし、結局は、地道に研究に取り組むのが、学びの基本である。

 謹厳実直が王道である。

 やたらとカラフルで即効性だけ求める大学運営を奨励していると、そのうちに教育バブルがはじけるということがあるのではないか。
 とにかく、学びには時間がかかる。
 一生これ学びである。
 というわけで、大谷大学は、少なくとも哲学科は「謹厳実直」を合言葉に、こつこつじっくりと学びを深めていくのでありました。

 もちろん、「お前が謹厳実直を名乗るのは形容矛盾である」という突っ込みがあるのは、よーく承知しております。
 だからね、自分に言い聞かしてんの!

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2008年11月06日

無知の元ネタ――昨日のつづき

 昨日は、オバマ大統領誕生とアメリカのキリスト教原理主義の「無知」について書いた。

 それは、その前夜パラパラと少し読んだ本に触発され発作的に書いたものである。
 その本を昨夜も少し読んだがやっぱり面白いのでご紹介する。

 町山智浩著『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(文藝春秋社、2008年10月刊、1000円なり)

 これを読んでいると、そして同じ著者の『底抜け合衆国』(洋泉社、2004年)を読むと、アメリカの基本的なエートスがよく分かる。

 さらには、町山さんも『アメリカ人の半分は・・・』で言及しておられる『アメリカの反知性主義』(リチャード・ホーフスタッター著、田村哲夫訳、みすず書房、2003年、4800円)には、この無知の歴史的背景が、およそ440ページ、二段組みで展開されている。
 1964年のピュリッツアー賞作品であるが、今読んでも、いや今だからこそ面白い(まだ全部読んでませんけど)。

 純粋な宗教が、俗事には「無知」を堅持しつつ俗世間という舞台に登場すると、どんなことが起こるのか・・・。
 やはり『イージー・ライダー』の世界は今でも存在するのである。
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2008年11月05日

無知と宗教――モラルより経済

 いよいよオバマ大統領の誕生が確実になってきた。
 オハイオもオバマが取ったようだ。

 オハイオにはアーミッシュという、近代文明を拒否したライフスタイルを堅持しているプロテスタントの人々が居住する。

 いわばエコロジカルな生活をし、基本的に争いを好まないひとびとである。だから、イラク戦争反対でエコ推進の民主党支持・・・と思いきや、強固な共和党支持なのである。

 なぜか?

 アーミッシュはある意味では保守的なプロテスタントである。だから、ゲイ同士の結婚を容認していくような民主党を蛇蠍の如く嫌うのである。
 イラク戦争の現実は、おそらくあまり知らないのであろう。CNNなんか観ないから(っていうかテレビがない)。

 彼らは、強固な共和党支持の福音主義派と同じで、余計な知識を得ることを嫌う。
 進化論などもってのほかである。
 聖書と殉教者の歴史あたりを知っていればよい。

 だから、アメリカの原理主義的なキリスト教徒は、驚くほど無知だという。町山智浩氏によれば、イラクはおろかニューヨークがどこにあるか知らないほどだという。
 そんなことより、由緒正しいキリスト教のモラルが維持されることが大切だという。

 しかし、今回の選挙は、そんなモラルより、おそらく最低限の生活維持の方が喫緊の問題になってきた、ということのように思う。

 キリスト教原理主義者のモラルを大切にするが故の「無知」がイラク戦争や強欲な金融資本主義を容認してきた。
 しかし、そのような「無知」な人々にも今のアメリカ経済はボロボロのものとして現実の貧困によって知られてしまったということが、今回の結果なのだろう。

 この「貧困」は「無知」を解消しモラルの見直しへと至るのであろうか?

 せっかくの黒人大統領誕生という記念すべきニュースになんだか気鬱なことを書いてしまってすまぬことであった。

 ところでアーミッシュの村には、今回の金融危機はどんな影を落ちしているのだろうか?これも興味ある問題である。
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2008年11月04日

自分を眺める――自爆かもしんないけど・・・

 この秋は、土日を返上して入試に関わる機会が多い。
 ヘトヘトである。
 というのは、面接が多いからである。一日で10名以上の面接をするのは、私の単純なアタマにはものすごいストレスになる。

 その面接は、その前に何らかの課題を与え、その回答をもとに面接することが多い。
 面接のときに、その回答に対しての自己評価を尋ねると、その回答の出来具合と自己評価に興味深い相関関係があることに気付く。

 さて、どんな相関関係でしょう?

 おそらく、入試で失敗した経験がある方はお分かりであろう。

 「だいたいできました」「けっこう書けたと思います」と自己評価を下す受験生の回答は、出来が悪いのである。
 それに対して、「あそこの英語がわかりませんでした」「あとで書き忘れたことがあるのに気付きました」と答える生徒の回答は、よくできているのである。

 これはいったいどういうことであろう?

 おそらく、「だいたいできました」と答える生徒は、自分を客観的に眺めることができていない。
 自分の能力を客観的に見つめて、冷静に判断することができないのではないだろうか。

 自分の弱点、欠点を客観的に評価できなければ、そこを超え出ることはできない。
 常に全能感に浸り、自分の能力を評価しない他者を非難するだけである。

 だから他人をバカ呼ばわりしている人間はいつまでたってもバカのままなのである。
ドッカーン!

 自分の欠点を冷静に認識することは、つらいことである。しかし、それを自分で認識することは、他者から指摘されるよりは、楽なことである。
 他人からバカとののしられるより、自分でバカと認識する方が、楽なのである。

 しかし、そこにはどうしても自分に対して甘えが出てきてしまう。試験とか他人による「校正」いうのは、そのような甘えが許されない、ある意味では得がたい体験である。

 だから、編集者から真っ赤になって帰ってくる「校正」を見て「クソッ!」と思いつつ、自戒する私なのでした。

 というわけで、今日のブログは「だいたいうまく書けたと思います」
 ドッカーン!
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2008年11月01日

アウグスティヌスとジョニ・ミッチェル――中川純男先生の御講演を拝聴して

 大谷大学西哲・倫理学会では、この間の木曜日(10月30日)慶応大学から中川純男先生をお招きし「わたしの記憶」というご講演を拝聴した。
 『告白』第10巻の「記憶」に関する問題を、先生は静かな口調で丁寧に語られた。
 講演の後は、院生・学生諸君の問題を深めていこうとする質問が次から次へと湧きあがってきた。
難解な宗教用語や哲学用語を排した先生のやさしい言葉が、聴講者の心の奥まで届いていたのである。

 いつも騒がしい言葉を連ねて訳の分らん事を言いつのっている誰かとは大違いである。
 スミマセン。

 で、その私は、講演の間、不思議な偶然に少し驚いていた。

 というのは、講演の時間の前の学部一回生の「哲学科:専門の技法」という授業で「記憶」の問題を扱っていたからである。
 その時間の授業では、「他者の思考のうちに分け入って、それを表現する」訓練として、英語の詩を文法的に解説した後、その英語の詩に適切な日本語を与えるという課題を学生諸君に課していた。
 その詩として課したのが、ジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」である。

 幼いころの驚き、悲しみ、10歳のころの憧れ、16歳のころの苛立ちが回想され、最後に20歳の時点において過去が回想され未来が展望される歌詞の間に、こんなリフレインがある曲である(映画『いちご白書』で使われ、オジサンたちには懐かしい曲である)。

「そして季節はめぐり、めぐる。
 ペンキで彩られた木馬は上がったり下がったりしながら回る。
 私たちは時のメリーゴーランドのなかにいる。
 もう戻れない
 ただ今までの歩みを振り返るだけ
 ぐるぐるぐるぐるぐる
 サークル・ゲームの中で回り続ける。」

 学生時代に子供を未婚で出産し施設に預け、別の人物と結婚し離婚し、一人で歌を唄い出したころのジョニ・ミッチェルの初期の名曲である。

 そこでは、まさに「記憶」が、つまり「思い出」が歌われている。
 しかし、それは小さな円を描きながら、最後には大きな円として完結するように聞こえる。

 それに対して、アウグスティヌスの「記憶」はそのような円環を描くのであろうか?

 そんなことも考えながら中川先生のお話を拝聴していたので、私自身も質問したかったのだが、学生諸君が次から次へと的確な質問をするので、的外れな質問は自重した。

 というわけで、ここに的外れな質問をし、それに自ら答えるという自問自答をお許し願いたい(許されなくても書きますが・・・これがブログのいいところ!)

 まず最初に問題となるのは、なぜアウグスティヌスは『告白』の第9巻まで、自らのそれまでの生涯の善いことも悪いことも「こころの奥の院」から記憶を引き出し「告白」したのか?あるいはできたのか?という問題。
 さらに、そこでの「告白」は「わたしは自分が喜んでいたことを喜ぶことなく想起し、わたしの過ぎ去った悲しみを悲しくことなく思い出し」(『告白』第10巻14章21節)ということになる。
 私にはあ奴の顔を思い出すだけ腹が立つという経験がいっぱいあるがそういうのとは違うのである。
 あるいは「懐かしさの一歩手前で こみあげる苦い思い出」(竹内まりあ「駅」)というのとは違うのである。

 なぜ過去のわたしを記憶から引き出し、そのときの感情を離れて「告白」できるのか。

 この「告白」という行為について中川先生は次のような文章を引いておられる。

「わたしが悪いとき、あなたに告白するとはわたしが自分に気に入らないということに他ならず、私が敬虔であるとき、あなたに告白するとは、このことをわたしに帰さないということにほかなりません。」(『告白』第10巻23章2節)

 この「あなた」というのはもちろん神である。
 ということは「告白」はすでに神に向けてなされているのである。
 アウグスティヌスはまっすぐに神に向き合えているのである。
 つまり「回心」を経てきているのである。(中川先生が最初に示してくださった年表によれば386年32歳の8月のこと。)
 この「回心」がなければ、「告白」と訳されるラテン語にもともと備わる「いやいや認める」という形の「白状」しかない。
「さっさと白状しろ」と他者からせっつかれる「告白」である。

 アウグスティヌスの「告白」はそのような「白状」ではなく、むしろ「こころの奥の院」の記憶を紐解き、線状に時間をたどりつつ展開しながら、神の「かすかな記憶」へ至ろうとする祈りなのである。
 中川先生は「かすかな記憶」という言葉で神を表現なさったけれども、しかし『告白』の10巻ではそのような言葉は見当たらない。「かすかな」というのは中川先生の微妙なニュアンスをこめられた表現なのである。

 ではその「かすかな記憶」とはどこにあるのか?

 第25章では、神は「記憶のいかなる場所」にも住みたまうわけではないが、「そこにすみたもうことはたしか」と述べられる。「なぜなら、あなたを知るようになってこのかた、あなたを記憶し、また、想起するときはいつも、あなたを記憶の中に見いだすのですから」(山田晶訳)。

 ではどのようにして神を「知る」ことになったのか?
次の26章では次のように述べられる。

「では知るようになるために、あなたをどこで見いだしたのでしょうか。あなたを知るようになる以前に、すでに私の記憶のうちにましましたはずはありません。ではどこに見いだして、知るようになったのでしょうか。ほかならない、「私をこえて、あなたにおいて」ではなかったでしょうか。けっして場所ではありません。」(山田晶訳)

この「場所ではない」という文章に対して山田晶先生は次のよう註を付けておられる。

「かくして神に関する根源的な知は、記憶をこえた神において得られるものでなければならない。記憶をこえることは自分をこえることである。神に関する根源的な知は、自己が自己をこえ、神のうちにあることにおいて得られる。人間の精神はそのもっとも奥深いところにおいて、超越者である神に向かって開かれている。」(中公バックス版365ページ)

 記憶を超えた、場所ではない神?
「自己をこえる」?最近、聞いた記憶が・・・・

 この26章の後の27章でアウグスティヌスは詩を書きはじめる。歌いだすのである。
 それに対して山田先生は次のように註を付けておられる。
「ここでアウグスティヌスの精神は高揚し、言葉は韻をなす。神を愛しはじめたときのあまりにおそすぎたことを嘆きつつ、神への熱望をうたっている。有名な箇所である。」

「有名である」とは知りませんでした。
が、「精神が高揚」しているのはアウグスティヌスばかりではない。山田先生も十分「高揚」しておられますし、おそらく中川先生も・・・。

 しかし、そこまで一気に高揚できない私は、その前の「(神が)すでに私の記憶にましましたはずはありません」というところに引っ掛かりたい。
つまり「記憶にない」=忘却ということに引っ掛かるのである。

 というのは、アウグスティヌスは『告白』の第一巻で盛んに「おぼえていません」を連発するからある。
たとえば「この父親から、この母親において、あなたは私を、時間の中にお造りになりました。けれども自分自身は何もおぼえていません」。(第一巻6章)

 そして第10巻で「忘却」について次のように語るのである。
「・・・たとえいかなるしかたによるにせよ、たとえ不可解で説明しがたいしかたであるにせよ、忘却そのものもをも――それによって、私たちの記憶しているものは埋めさられてしまうにもかかわらず――私が記憶しいるということは確実です。」(第10巻16章)

 記憶される忘却――ここで私の思弁のアクセルがグィーンと踏まれるのであった。思弁の暴走族になるのである。

 この暴走族の兄ちゃんが思い出すのが、茨木のり子さんが名著『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書9)ご紹介してくださっている谷川俊太郎の二つの詩である。

かなしみ

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立つたら
僕は余計に悲しくなってしまった
     ――詩集『二十億光年の孤独』

芝生

そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ
    ――詩集『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』


「何かとんでもないおとし物」という忘却の記憶と「私の細胞の記憶」が「かなしみ」と「幸せ」についての「詩」を書かしめる。「詩」という儀礼的行為を反復させるのである。

そして、さらに思弁は暴走する。
儀礼的な反復についてフロイトは述べる。
「患者は、自分のうちで抑圧されたものすべてを想い出すことができるわけではない、ひょっとしたら、まさに本質的なものをこそ想い出すことができない。だから、自分に伝えられた無意識の構築内容が正しいかどうか、確信できない。むしろ患者は、医者が望むように、抑圧されたものを過去の一部分として想起するのではなく、現在の体験と反復するように、余儀なくされる。」(「快原則の彼岸」須藤訓任訳、岩波版全集第17巻、68ページ)

 暴走族は、この逆も思弁する。

 反復される儀式は、思い出すことのできない忘却の淵にある「埋めさられて」しまった記憶を形成することもできるはずである。

 かくして、「告白」という反復される儀礼は、ひとつの円を描くように忘却された「かすかな記憶」へと戻りゆくのではないか。

 それは、「幸福な生」を目指しつつ、「幸福な生」へと戻りゆく円を描くことなのではないか。

 またこのサークルの中で、幸福の生という目的めがけて「最良のあなたのしもべ」を演ずるというゲームそのものが、「幸福の生」ということにもなるのではないか・・・

 と、中川先生のアウグスティヌスについての講演を無理やりジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」に結びつけるのは暴走と言うしかない。

 失礼しました。
 それでも「わたしの記憶」に「小指の思い出」や「ゆうべの秘密」と結びつけることを自重し得たことを多としていただきたい。
よく我慢したね、と。

 しかし、教員約一名がこんなアホな暴走族の兄ちゃんでも、学生諸君は着実にそだっているんだなあ、ということを確認できたのもこの講演会の功徳でありました。
「反面教師」ってことか?
posted by CKP at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする