2012年05月19日

対立をイラストで考える――村山保史監修・訳『哲学してみる』発刊!

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 我が大谷大学哲学科の村山保史先生が監修と翻訳をなさった、「哲学絵本」と言ったらいいのか、「哲学イラスト集」と言ったらよいのか、『はじめての哲学 哲学してみる』が発刊されました。
もう一人の訳者は藤田尊潮氏。

文を書いているのはフランスの哲学者で教育者オスカー・ブルフィエ。
イラストはジャック・デプレという人。二人はこの本でいろいろな賞を受けている。

 文は「一と多」「自由と必然」「わたしと他者」などの対立概念をシンプルに記述して、そして読者にグイッと問いかけるというもの。
答えが書かれているのではなく、哲学的な問いが日常のいろんなところに潜んでいるのを呼び出し、読者に突きつけるスタイル。
はっきり言って子供向けの絵本ではない、と思う。
少なくとも高校生以上。

 イラストは、さすがフランスの絵本。
洒落ています。
が、ロートレックとかローランサンの方向に洒落ているのではなく、花の都にニョッキリ建ったエッフェル塔とか、やっとできた国民車だったCV2とか、チョッとメカニックな感じで洒落ているのである。
そして、文とイラストの関係を「なんでこのイラストなわけ?」って考えねばならない仕組みになっています。

 世界文化社より1,900円で発売中!
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2012年05月17日

誘惑の誘惑――レヴィナスと親鸞

 一昨日は、真宗教学学会の福井大会というところで一席お伺いをした。
仏教学の小川一乗先生や真宗学の安富信哉先生など錚々たる方々の前で、真宗や親鸞に関することをお話せねばならないのである。

そこで私は考えた。
武蔵のように考えたのである。
若い時なら、自爆テロの如く、新説・奇説を唱え仏教学・真宗学なにするものぞ、と勇ましく突っ込んでいったであろう。
しかし、私も耳順もまぢかの58歳である。
不用意に突っ込んで行って、地雷を踏んで自爆するなどという愚かなまねはできない。
地雷を踏むことなく親鸞あるいは真宗について語るにはどうしたらよいか?
無い知恵を振り絞って考えた。
う〜ん、う〜ん・・・・

 というわけで、仏教学徒、真宗学徒のほとんどの方がご存じない、レヴィナスの、それも哲学ではなくユダヤ教に関する思想をご紹介して、それを親鸞の思想と並べるという反則の大技を採用することにしたのである。
レヴィナスの『タルムード四講話』の中の「誘惑の誘惑」という、トーラーがシナイ山で授けられる場面を註解する「タルムード」をこれまたレヴィナスが註解する講話を延々と引用するという荒技である。
みなさん「こやつは、いったい何をはじめたんだ?」と怪訝な顔で聴いておられる。

 しかし、これを『歎異抄』の第二条の「法然上人にたとえ騙されても後悔はしない」という教えを受け取る場面と並べて読むと、あら不思議、両方の難所がくっきりと浮かび上がるのですね。
話していて大変面白かった。
なるほどなぁ、と思いながらお話したのでした。

 幸いなことに、お聞きいただいた方々も、それなりに喜んでくださったようで、打ち上げの会で「天使の誘惑」(@黛ジュン)を唄うべきだ、とマイクを回してくださいました。
20年前にカラオケで失敗してそれ以来カラオケを封印していた私ですが、ついついI楽先生やO田先生にのせられて唄ってしまいました。
が、やはり「教えは勅命によって授けられる」という発表の趣旨からは、「俺の話を聞けい!」とクレイジー・ケン・バンドの横山剣さんが唄う「タイガー&ドラゴン」を唄うべきではなかったかと後悔している私です(←「いやだいやだ」と言いながらマイクをいったん持つと離さないタイプです、わたし)。

(なお内田樹先生が訳された『タルムード四講話』は現在、アマゾンの古本市場で見ると18,000円くらいの高値になっています。再販の予定は今のところなさそうですので、発表の時に引用した部分だけも整理してボツボツとこのブログで紹介してゆきます。)
posted by CKP at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月14日

なぜ牛はわらじを履いたのか――タダオおじさんのドナ・ドナ

 昨日、ある檀家さんのご法事の後での食事のとき、タダオおじさんから昔の農作業のことを聞いた。

 私が小学生のころは、村の若い衆であったおじさんだ。
うちの庭にお隣の牛が逃げ込んできたり、お馬さんが道にぽっとんぽっとんと馬糞を落としたり、学校に行く道すがら生まれだばかりの子豚を見に行ったり・・・
それからもう50年余り。
私も58歳にもなっているのだから、タダオおじさんはもう80歳に近いお爺さんである。

 タダオおじさんは7歳でお父さんを亡くされ、その後お祖父さんから農作業を仕込まれた。
勉強したくても出来なかったから、自分の子どもたちには、どんな無理をしてでも勉強させてやりたかった――それくらい幼いときから働いたそうだ。

 春といってもまだ田んぼに氷が張っているころから、田起こしが始まる。
牛と一緒に冷たい田んぼに入る。
あまりに冷たくて、田んぼにつけた足を思わず引き上げるとお祖父さんからどやされたそうだ。
そうやって何日も牛と一緒に朝早くから田起こしをする。

 しかし、一日中、田んぼにつかった牛のひづめは柔らかくふにゃふにゃになる。
田んぼから上がって砂利道を歩こうとすると痛くて歩けない。
だから、田んぼから上がると牛にわらじを履かせたのだそうだ。
「わらじを履かせてくれろ」と牛は自分から4本の足を順番に上げる。
オー、よしよしとわらじをはかせたそうだ。
翌日、田んぼに入る前は「わらじを脱がせてくれろ」と足をあげるのだそうだ。
「よう働いてくれた」とタダオおじさんは懐かしそうに、愛しそうに語る。

 しかし、働き者の牛も何日も続く農作業で疲れきって、朝起き上がってこないことがある。
そんなときには、そのころは貴重な玉子酒を作って、寝る前に牛に漏斗で飲ませる。
すると、翌朝はしゃきっと牛は起き上がってくるのだそうだ。

 その後、そういえばあのころは残飯は豚を飼っている家を持っていった、その糞は肥やしにした、ゴミなんか出んかったなぁ・・・などというエコロジーな話になった。

 電気器具もガソリンを使う農機具もクルマもほとんどなかった。
ほんの50年ほど前の話である。

――という話をブログに書き付けるのもなんですけど・・・
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2012年05月10日

レイ・チャールズはR&Bの旧約聖書です――ウィリー・ネルソン&ウィントン・マルサリスfeaturing ノラ・ジョーンズのレイ・チャールズ奉賛アルバム『Here We Go Again』

 58歳の誕生日の自己言及的祝賀的贈与として諏訪内晶子さんのアルバムの他に、もう一枚購入。

 アウトローなカントリー歌手ウィリー・ネルソンと
ジャズ界の貴公子と呼ばれ久しいトランペッターのウィントン・マルサリスが
今をときめくアメリカの歌姫ノラ・ジョーンズを迎えてのライブ・アルバム。
それもレイ・チャールズを偲んでのライブ。

あのUnchain My Heart も Hit the Road Jack(旅立てジャック)もそして What’d I Sayも唄われる。
2009年のライブ当時76歳のウィリー・ネルソンのヴォーカルが中心。
往年のレイ・チャールズの迫力を期待するとちょっと肩透かしをくう。
しかしそれとは違う何とも言えぬウィリーの脱力ヴォーカルが気持よい。
それにマルサリスの折り目正しいトランペット、ノラのおきゃんなヴォーカル。
一曲でもいいから映像も観たくなるライブです。

 「旅立てジャック」をはじめて聴いたのは、小学生のころだったろうか。
Hit the road jack, and don’t you come back no more no more no more という出だしのコーラスを「モノ・モノ・モノ」と唄ったのを思い出す。
もちろん、恋に破れて旅立つのだが、今回、聴き直してみて気がついた。
この旅立ちには、やはり旧約聖書のアブラハムの旅立ちが遠くこだましている。
「やはり」というのは、レイの歌の基盤には黒人霊歌があるからだ。
どこへ行くのか、帰って来られるのか分らないが、神の命令に従って旅立つアブラハム。
そんな姿がジャックに重なるのである。



ふられた女性から解放を意味するUnchainという言葉にしても、苦難の歴史を歩むユダヤ民族とアメリカの黒人の歴史か重なり合っているのが明らかだ。
レイの活躍した50年代60年代というのはまだまだ黒人ミュージシャンの地位もひどいものだった。
そして、コール&レスポンス・ソングの古典What’d I say。
「ヘ〜イ(ヘ〜イ)ホ〜オ(ホ〜オ)ヘイ(ヘイ)ホオ(ホオ)ヘイ!(ヘイ!)ホ!(ホ!)What’d I say!」ってやつ。
Responsibilityてことですね。



というわけで、レイ・チャールズというのはどこか旧約聖書的なのである。

 それに対して、次の世代のスティーヴィ・ワンダーの場合は、誇り高きアフロ・アメリカンとして愛を唄う。
同じ黒人霊歌を基礎にしているにしても、どちらかというと新約的なのである。
それがどうしたと言われると困っちゃうけど、なんかひどくいろんなことが一挙に納得できたのでご報告まで。

 ちなみに、この組み合わせ、日本で言えば、アウトローな演歌歌手・小林旭とジャズ・トランペッターの近藤等則に坂本冬美が加わって坂本九を偲んでのライブといったところでしょうか。
ほんとに、よく分かる例えですこと!
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2012年05月08日

顔の輝き――あるいは本の買い方

 私たちはどうやって未知の作者の本を買うのだろう。
信頼する人の薦めによって。
講義のときの指定によって。
新聞や雑誌の書評によって。
しかし、ときに何かの拍子に誰の薦めにもよらず、装丁や作家の顔写真に何かを感じてふらふらと買ってしまうことがある。
ひどい時には「私を読め」という声が聞こえたりして買ってしまう。

 津村記久子さんの場合。

「シモーヌ・ヴェーユのことを初めて知ったのは、ネットの人名辞典を閲覧していた時のことだった。著名人を享年ごとに整理しているそのサイトに載っていたヴェーユの写真は、よく見かける、帽子をかぶって長いコートをきているぼやけたものだった。間抜けな所感かもしれないが、わたしはその写真を見て、今の人みたいだ、という感想をもったのだった。この人はかわいいし、いいコートだなあとも思った。それでなんとなく本を買いに行った。そこから今に至る。なんら思想的な所からの導きはなかった。そのヴェーユを読むことは、今のわたしの中で、大きな部分を占めている。」
(2009年『春秋』8・9号、「ひどく寒い日の光」。以前のこの文章の全文を写したのをアップしている。http://tetsugakuka.seesaa.net/article/129040695.html

 「今の人みたいだ」「かわいいし、いいコートだなあ」というのは確かに「間抜けな所感」である。
メガネの奥の目には深い英知がたたえられていた…とかいうのではない。
なんだかぼんやりと「いいなあ」と惹かれた、ということであろう。
そして、すぐに「なんとなく本を買いに行」という行動がある。
そして、いつも手元に持っている。

「読むわけではないのだが、ヴェーユの考えたことが鞄に入っているというだけで、いくらか安心した。これでいつでも失望できると思っていた。・・・自由になるのだ。幸福か不幸かも、強いか弱いかも一切問わない、本当の自由が自分の中を通って行く。」

「本当の自由が自分の中を通って行く」

 よい表現ですね。

 私という主体があって、その主体がヴェーユを読んで自由にふるまう、というのではない。
ヴェーユを読むことで、自由がやってくるのだ。
それはふつうの「自由な主体」というイメージからすると、ヴェーユに縛られているだけで自由でもなんでもない、ということになるかもしれない。
そもそも、「いいなあ」と思って、「なんとなく」本を買う、というところから、主体性が放棄されている、とも言えるのである。
自分で内容をある程度検証し、読むに値するという判断のもとで購入に及ぶべきである。
そうゆうのが、望まれる「主体的な人間」であるし、今の社会では「賢い消費者」である。

 しかし、そのような「自由な主体」に、本当に本が読めるのだろうか?
購入に値するという自分の判断は正しかったか、この著者の書いていることは正しいか、そんなことばかりを考えながら、本は読めるのだろうか?
読めたとしても、自分の判断基準は変化するのだろうか?
成長はあるのだろうか?
もちろんいつも読者はいつも成長せねばならい、ということはない。
自分の判断基準を寿ぐ読書というのもあっていい。

 しかし、自分の判断基準の固まる以前、あるいはそれを差し置いて、本を読もうというのはどういうことなのだろう。
それは、「呼び掛けられる」としか言いようがない事態なのだろう。
顔を通じて声が聞こえるとしか言いようがない事態。

 いきなりの「仏説無量寿経」で恐縮であるが、阿難が説法を聞く前に立ち上がり「世に尊いかたよ!今日のあなたのお顔はキラキラと輝いておいでです」というようなものである。
説法の内容を聞く前に大絶賛しているのである。

 いきなりのレヴィナスで恐縮であるが、

「真理との直接的関係は、真理の内容、真理の理念に関する先行的検証を排除するものであり――つまりこれが啓示の迎え入れということなのだが――それゆえ一個の人格、すなわち他者との関係以外の何ものでもありえない。トーラーは一つの顔の「輝き」のうちに与えられます。他者との公現とはただちに他者に対する私の有責性へと通じます。」
(『タルムード四講話』内田樹訳、国文社、1987年、116ページ、Quatre lectures talmudiques,Les Edition de Minuit,1968,p.103f.)
 
 「有責性」というとなんだかしんどそうだが、元の言葉は「responsabilité」つまり応答する能力である。
呼びかけに「ハイ」と応じること、そしてそのような呼びかけとして顔が出現すること、それは「自由な主体性」が形成されるはるか昔の出来事である。
その呼びかけは、母の顔から発せられたか、父だったか、おばあちゃんであったか、兄ちゃんであった・・・・
あるいはモーセであったか、法然であったか・・・・

 その呼びかけに応じ、その教えに聞き従うことで、「わたし」になってきた私は、大人になっても、ときにその物語を反復するのである。
しかし、ヴェーユとかレヴィナスとか、ちょっと読んだだけではさっぱり分からないものから呼び掛けられるというのは、不思議と言えば不思議。
当然と言えば当然。
しかし、「タルムード講話」なんていうのを訳そうなどという「応答可能性」というのは、やっぱり異常です。
ふつう少し訳して、「わ、わ、わからん」って放りだしますもの。
つまり、内田先生は、レヴィナスに応答しながら、その応答のよって来たる所以をカリカリと訳しておられたことになるわけです。
ヴェーユにしても、「なんとなく」『重力と恩寵』買ってきても、2,3行読んだら「わ、わからん」と放り出します、ふつう。
しかし、心の糧を求めるようにヴェーユを読むことで、津村さんも心の糧が何なのかを読み取っておられるように思います。

 と、こうゆうことを書いてきて、なんだけど、わたくし、このあいだ58歳になったお祝いに、つい諏訪内晶子さんのCD(ブルーレイ付き!)というのを衝動買いしまいました。
そしたら、諏訪内さんのお写真が印刷されたクリア・ファイルもおまけで貰いました。
うれしはずかしオジサン買いです。
これも「顔に対する応答」でしょうか?
それともCKP58カドワキは、単に美人に弱いということなのでしょうか?

posted by CKP at 17:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月27日

最期の日々―― 正岡子規、ネコのフネ、佐野洋子、チンパンジーのレオの場合

 3月の末に58歳で亡くなった方の中陰のお参りをしている。
今度は六・七日(むなのか)のお参りである(追記:と思っていたが、指折り数えたら五・七日だった、ホトケさん、?と迷われただろうと思う、こんなボーズでスミマセン)。
お参りの時に、奥さんからガンで亡くなったダンナさんの最期の日々のご様子を聞く。

 ご自分からホスピスへの移動を希望されたとのこと。
ホスピスでは、お孫さんに陶芸の焼き物で写真立てを作ったり、昔の友人を集めて歓談なさったりしていたのこと。
「いろんな管につながれて痛々しい最期でなくてよかったですね」
と知ったようなことを申し上げたら、
「そうでもないんです。栄養剤やら痛み止めを点滴するんで、固くなった腕ではなしに首元から注入して、お腹が妊婦さんみたいに膨れあがって、苦しくて寝られなかったんです。看護師さんたちもいろいろ工夫してくださったんですが・・・」
とのこと。
それでも、毎晩いっしょに泊まれたのでよかった、とおしゃっておられた。

 その私より一つ年上のそのダンナさんがホスピスに入られたと聞いたとき、私は、何もできなかった。
見舞いにも行きづらかった。
坊さんの私が行くと、どうしても「葬式はまかしとけ」というニュアンスが出てしまう(これがもう少し年寄りの場合は「わしが死んだら、葬式頼みます」「ハイ、安心してください」という会話ができるのであるが・・・・)。
それで、正岡子規の『病床六尺』の岩波文庫ワイド版と、その子規の俳句を天野祐吉が選んで南伸坊がイラストを添えた『笑う子規』を奥さんから届けてもらった。
私は、もう少しで死んでゆくという人の気持ちは分からないから、代わりに、もうすぐ35歳足らずで死んでゆく正岡子規さんに見舞いに行ってもらったというわけである。

 ときどき、その方はどんな気持ちで『病状六尺』を読まれたであろうと、読み返す。
あれでよかったのかという反省もあるし、自分自身の予行練習でもある。
たとえば、子規の死ぬほぼ三か月前の記事。

「病床に寝て、身動きの出来る間は、敢えて病気を辛しとも思わず、平気で寝転んで居ったが、この頃のように、身動きが出来なくなっては、精神の煩悶を起こして、殆ど毎日気違のような苦しみをする。この苦しみを受けまいと思うて、色々に工夫して、あるいは動かぬ体を無理に動かして見る。いよいよ煩悶する。頭がムシャクシャとなる。
もはやたまらんので、こらえにこらえた袋の緒は切れて、ついに破裂する。もうこうなると駄目である。絶叫。号泣。ますます絶叫する、ますます号泣する。
その苦しみその痛み何とも形容することは出来ない。むしろ真の狂人となってしまえば楽であろうと思うけれどそれも出来ぬ。
もし死ぬることができればそれは何より望むところである。しかし死ぬる事も出来ねば殺してくれるものもない。
一日の苦しみは夜に入ってようよう減じ僅かに眠気さしたる時にはその日の苦痛が終わると共にはや翌朝寝起きの苦痛が思いやられる。寝起きほど苦しい時はないのである。
誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか、誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか。」(岩波文庫、69ページ、現代仮名遣いに改め、適当に改行。最後のリフレインは傍点付き!)

 子規にこれだけ絶叫され、号泣されると、どことなく安心して絶叫・号泣していいんだな、と納得してしまう。
この記事を読んだ清澤満之(としか思えない人物)も「号泣せよ煩悶せよ而して死に至らんのみ」と子規に書き送っている(73ページ)
しかし、子規は「ただ余にあっては精神の煩悶というのも、生死出離の大問題ではない(中略)とにかく生理的に精神の煩悶を来すのであって、苦しい時には、何とも彼ともいたしようのないわけである」と不思議なことを述べている。
「生理的に精神の煩悶を来す」とはどういうことだろう?

 同じ死に至る病でも動物の場合は、「精神の煩悶」から絶叫・号泣ということにはならない。
ご自分にガンが発見されたとき「死ぬ気まんまん」と書いた佐野洋子さんの「死の練習」帳とも言うべき『神も仏もありませぬ』に、愛猫フネにガンが発見された時の様子が描かれている。

「本当にあと一週間なのか。もしかしたら、今そのまんま死んでしまっても不思議はないのか。苦しいのか。痛いのか。ガンだガンだと大さわぎしないで、ただじっと静かにしている。
 畜生とは何と偉いものだろう。
 時々そっと目を開くと、遠く孤独な目をして、またそっと目を閉じる。
 静かな諦念がその目にあった。
 人間は何とみっともないものだろう。
 じっと動かないフネを観ていると、厳粛な気持ちになり、九キロのタクキ猫を私は尊敬せずにはいられなかった。」(52ページ)

 フネは結局一か月後に、部屋の隅でクエッと二度声を出して死んだ。

「私は毎日フネを見て、見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べた。ほとんど一日中見ているから、一日中人間の死に方を考えた。考えるたびに粛然とした。私はこの小さな畜生にも劣る。この小さな生き物の、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。その静寂さの前に恥じた。私がフネだったら、わめいてうめいて、その苦痛をのろうに違いなかった。
 私はフネの様に死にたいと思った。人間は月まで出かける事が出来ても、フネの様に死ねない。月まで出かけるからフネのようには死ねない。フネはフツーに死んだ。」(56ページ)

 それからおよそ5年後、今度は佐野さん自身がガンで死ぬことになる。
フネのように静かな死に方ではなく、「死ぬ気まんまん」で死んでゆかれた。
それは、「あの世」への旅立ちであった。

「私は、あの世があるとは思っていない。
 あの世はこの世の想像物だと思う。
 だから、あの世はこの世にあるのだ。」(『死ぬ気まんまん』68ページ)

 人間の場合、猫のように、淡々とフツーに死ぬ事は難しい。
それは、死ぬ時を「想像するちから」を持ってしまっているからだ。
だから、生理的苦痛は「精神の煩悶」となる。
だから、フネの様に死ぬには「想像するちから」を失くせばいい。
それができないなら、佐野さんのように存在しないあの世をこの世で「想像」するしかない。

 霊長類研究所の24歳の男性チンパンジー・レオが急性脊髄炎にかかり首から下が麻痺し多くの人たちが24時間態勢で看護したときのことを、松沢哲郎先生が『想像するちから』で書いておられる。

「しかし、レオはぜんぜん動けない。そうすると、ひどい床ずれになる。腰やひざの皮膚が破れ、膿み、骨がむきだしになるほどのひどい床ずれだ。57キロあった体重も35キロにまで減った。瘦せ細って床ずれで寝たままの彼の姿を見て、もしこれが自分だったら、とても我慢できないだろうと思った。
 痛みの辛さに耐えられないのではない。「このまま生きていてもしょうがない。自分はどうなってしまうんだろう?」というような心境になるだろう。将来に対する希望がもてず、ただ絶望感にさいなまれるだけだろう。
 でも、このチンパンジーは、私であれば生きる希望を失うという状況のなかでも、まったく変わらなかった。めげた様子が全然ない。けっこういたずら好きな子で、人が来ると、口に含んだ水をピュッと吹きかける、なんてこともする。キャッと言って逃げようものなら、すごくうれしそうだ。」(180ページ)

 なぜこうなるのか?
それは人間とチンパンジーでは「想像する時間と空間の広がり方が違う」からだ。

「今ここの世界を生きているから、チンパンジーは絶望しない。「自分はどうなってしまうんだろ」とは考えない。たぶん、明日のことさえ思い煩ってはいないようだ。
 それに対して人間は容易に絶望してしまう。でも、絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望をもてる。
どんな過酷な状況のなかでも、希望をもてる。
 人間とは何か。それは想像するちから。想像するちからを駆使して、希望を持てるのが人間だと思う。」(182ページ)

 ある意味では、佐野さんと松沢先生はまったく同じことを書いておられるように思う。
そして、その「想像するちから」と、埋葬する・弔うという死者を想う人間の行動とは密接に関連しているのだろうと思う。
もちろん、それは言葉のちからということになる。
(チンパンジーのレオはその後奇跡的に回復しているとのことでした。)

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2012年04月24日

わっしー版「ハートに火をつけて」――3・24オープン・キャンパス鷲田清一教授講演「ベンキョーって楽しい?」

 去る3月24日の大谷大学オープン・キャンパスでの鷲田清一先生の講演「ベンキョーって楽しい?」の動画が既にアップされていました。
大学のHPを毎日見て注意していたのですが、見落としていました(わけみ先生のツイッターで知りました。ありがとうございます。)。

 鷲田先生が、高校生の皆さん限定で、「学びのスイッチの入るとき」について熱く語ってくださいます。
一般公開の方が多くの人が来られていいのでは?とご提案していたのですが、高校生だけに語りかけたいという鷲田先生のご希望で「高校生限定」ということになりました。
あるフランスの哲学者との出会いによって先生の学びのスイッチが入ったことを中心にベンキョーすること、そして文学部で学ぶことの「楽しさ」について、身ぶり手ぶりも交えて熱く語っておられます。
高校生も大学生も「社会」人も必見必聴であります。

 では、どうぞ!
http://www.youtube.com/watch?v=Nedbuej5S9w&feature=BFa&list=UUP1WhDCTOgKN2l0--ehgRyw
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2012年04月23日

猫はそれを待てない――でも「この泥棒ネコ!」というのは失礼かもしれない

 本妻が愛人宅に乗り込んでの修羅場が演じられる場合、本妻から愛人に向けられる常套句に「この泥棒ネコ!」というのがある。
現実の修羅場に遭遇したことがないので実際に使用されているかどうかは確かではないが、テレビドラマなどではちょくちょく聞かれる。
しかし、猫の身になって考えると、なんでそんな場に自分たちの種族名が引き合いに出されねばならぬか、合点がいかぬであろうと、同情する。
ほんと、なんで「この泥棒ネコ!」なんでしょうか?

 おそらくこういうことでありましょう。
サザエさんが、毎週日曜の夕飯時に「お魚くわえた、どらネコ追いかけて、はだしで駆け出」さねばならぬように、猫クンたちは、隙あらば食卓に並べられた「お魚」を「泥棒」してしまうのである。
サザエさんちのタマもどらネコではないが、やはりおいしそうなお魚が並べられていて、カツオが見張り番をサボっていたならば、「泥棒」するであろう。
しかし、猫クンたちはなにも「泥棒」しようと思っているわけではない。
ただ彼/彼女らには「待つ」ということができないのである。
それゆえ、目の前においしそうなお魚があるとくわえて、ゆっくり食べられるところまで走る、ということなのである。

 そのような猫クンの目から見ると、「おあずけ」を芸としている犬族というのは、人間特有の「待つ」ということを芸とし人間どもにおもねる卑しい種族と映っているのかもしれない。
高貴なる猫族のその高貴さは、「待つ」という人間の特性を無視するところから由来するのかも知れぬ。

 「待つ」という人間特有の行為は、家族形成の基盤である。
おっぱいを吸う乳幼児は、栄養摂取を犠牲にしてまで、母親とのコミュニケーションを図ろうとする。
つまり、おっぱいを吸うのを休んで、母親の揺さぶりを待つのである(正高信雄『0歳児がことばを獲得するとき』中公新書)。
それが長じて、「いただきま〜す」となるのであった。
料理ができるのを待ち、家族が揃うのを待つのである。
映画『ゴッドファーザー』の最初のシーンは、「ファミリィ」を強烈に印象付けるシーンであるが、そこで家族写真を撮るとき、ドン・コルリオーネは三男マイケルの到着を待つのである。

 これらの「族」を構成する「待つ」という行為は、猫の目から見るとまことに不思議な行為であろう。
目の前にうまそうなエサがあるのに、なぜ食べない?
何ゆえ料理などという面倒なことをするのか?
それにみんなが揃うのをなぜ待つのか?
猫のように「待たない」ということはファミリィを構成しないことであり、そして破壊することであり、それゆえ、家庭を破壊する愛人は夫を泥棒する「この泥棒ネコ!」なのであろう。
ゆえに、なかなか含蓄にとんだ罵倒語なのではあるが、猫クンたちにとっては、天然自然に行動しているだけであって、人間世界における不倫的行為に自分たちの種族名がいちいち言挙げさえるのは不当であると思っているのではないかと同情を禁じ得ないのである。

 突然の「泥棒ネコ」に関する考察で失礼した。
何ゆえにこのような考察に立ち至ったのかについては、れっきとした理由があるのであるが、それを書くと長くなる。
「松ノ木ばかりがまつじゃない、時計を見ながらただひとり・・・」という「松ノ木小唄」を思い出したから、という理由ではない、とだけは言っておきたい(結局、思い出したのですが)。
明日の講義の準備もせねばならぬので今日はこれにて失礼。
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2012年04月20日

蛙の冷汗――講演:仏教から見る「葬式」

 インターネット世界の片隅で、3月28日の私が誰かに向って語っているのである。
しかし、誰も聞いていないようである。
あまりにも不憫なので、恥ずかしながら、ここにご紹介するものである。

 以前にもご紹介した3月28日堺市でおこなった「駅前仏教講座」のビデオである。
講題は「仏教から見る『葬式』――人間は葬送する存在」。

 とても自分で観られるものではない。
最初の一言を発するまでは観たが、そのあとはとても観られたものではない。
自分の書いたものを読むのは好きだ。
よく分かるかということもあるし、へんなこと考えていたんだなぁ、とびっくりして面白いというとがあるからだ。
ところが、話している自分の声を聴き、自分の動く姿の映像を観るのは耐えられない。

 自分の思っている自分像とあまりにも違うからということが考えられる。
わたしの声はもっと落ち着いた美声のはずである。
あんなカエルをつぶしたような声ではない(カエル、ごめん)。
わたしの姿は、もっと颯爽としているはずである。
あんなモッサリしたおっさんではない。
真実がゆがめられている!
ビデオの自分は明らかに「鏡像」ではない。
(慣れればおいしいクサヤの干物、なんでしょうけどね。)

 しかし、お話した内容は、いろんな方々に「弔う」ということを考えていただきたいというものだから、少しでも多くの方々に聴いていただきたいものである。
また、それなりに好評で、ある方からは直接「良質なお話でした」という批評を賜ったものである(よほどいつもトホホで悪質な話を聞いておられる方なのでしょうね)。
しかし、よく考えたらだいたいこのブログにときどき書いている事柄を「弔う」という文脈でまとめたものでした。
それでも、まとめて聞いてやろう、あるいはおぞましいものを見るが好きというお方、下のところをクリック!

http://civilite.blog118.fc2.com/blog-entry-14.html
 
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2012年04月16日

追悼の作法――死者の誕生

 吉本隆明(たかあき)氏が、というより吉本リューメイが亡くなってから一月になろうとしている。
吉本の死に対するさまざまな反応に接して、「戦後思想」における彼の存在の大きさに今さらながら驚いている。
まず、マスコミが「知の巨人」という見出しで吉本の死を報じたのに、ちょっとびっくり。
「知の巨人」だったのか、と驚いたわけである。

が、もっとびっくりしたのは、死後すぐに吉本を批判する「追悼」文がいろんなメディアに現れたことである。
たしかに、亡くなったからといってただただ褒め上げる必要もないと思う。
山口瞳がどこかで、ただ褒めるだけでは追悼にならない、長所も欠点も含めてその人を語ってはじめて追悼になる、と述べていた。
その通りだと思うが、故人を語るというより批判や非難に邁進するというのは何なんだろう。
こういう「追悼」の仕方をする人にとっては、亡くなった人はまだ死んでいない、というような感じを受けた。
それほどに吉本の存在というのが大きいのであろう。
亡霊のように迫ってくる吉本に向かって、いわく、吉本は語学ができないから学問的には劣っている。
いわく、学問が分ってない。
いわく、左翼度においては私のほうが勝っている。
まるで「知の巨人」というのは自分にふさわしい称号で吉本なんぞに取られてたまるか、という感じなのである。
まだまだ父を必死で否定するエディプス期の子どものようだ。
マスコミの「知の巨人」という呼び方も、巨大な「父」に頭が上がらない、というような感じを受けた。

 こんな寝とぼけたことを書いている私の場合の吉本どうなんだ、と自分にとっての吉本体験を思い返してみた。

 1954年生まれで1973年大学入学の私が吉本を読んだのは1974年ごろである。
そのころはすでに著作集になっていて、政治評論なども「全著作集第13巻」で読んだ。
赤線いっぱい引きながら読んだのではあるが、しかし、先輩方が言うほどインパクトを感じない。
オレ、アタマ悪いんじゃないだろうか、とちょっと悩んだだのです。
それで、論じられている政治状況がよくわからないからピンと来ないのだろう、ということにして納得していた。
が、今から思うと、そのころすでに、知のあり方、知識人のあり方を語るとき、吉本が立てた「知識人と大衆」という問題の枠組みが常識になっていたのからだと思う(少なくとも私の周りではそうだった)。
「転向論」の言葉で言えば「日本的小情況を侮り、モデルニスムスぶっている、田舎インテリ」「これらの上昇型インテリゲンチャ」ではない、別のかたちの「知識人」のあり方がすでに課題となっていたのである。

 おそらくこのような問題提起は、69年以前はものすごいインパクトだったのだろう。
吉本のほどのものを読む「知識人」には、自分のことを図星された、と感じたのだと思う。
しかし、「69年」も伝説となりつつある70年代半ばに大学生という小インテリに成った者にとっては、それは分かった、じゃどう勉強したらいいのか、という問題になっていたのである。

 そのような問題意識で読むと、吉本の親鸞への共感というのもよくわかる。
比叡山のエリートコースから「転向」して、念仏の門に入り、「文字のこころも知らぬ田舎の人びと」と生きようとした親鸞への共感である。

 だから、吉本を追悼するということは、そのような課題を自分への「贈り物」として受け取り、感謝と共に応答してゆくことなのだと思う。
死者を追悼するということは、死者の言葉を贈り物として受け取り、それに答えてゆくことだと思う。
そのことによって、死者は亡霊とならず、死者として安心して立ち去ってくれるのである。
死者が死者として誕生するのである。
エディプス・コンプレクスの図式で言えば、父からの課題を自らの超自我としてつまり課題として引き受けることなのであろう。
もちろん、どこに課題を見出すのは人それぞれである。

 幸いに私の周りには、知のあり方、知識人のあり方を考え抜いておられる先輩がいろいろな指針を与えてくださっている。
例えば、池上哲司先生の生活に根ざした静かで叙情的かつ論理的な文章は、もちろん現象学の研究から必然したものであろうが、どこかで吉本的な課題に応答されているように思う。
内田樹先生の「街場の・・・」というスタイルや、鷲田清一先生の「地べたを這いずり回って」と自ら形容される「臨床哲学」も、ご本人たちは「そんなこと思いもしなかった」と言われるかも知れないが、どこかで吉本的課題への応答ではないかと邪推するのである。

 だから、池上先生がこれからの教育を「後退戦において殿(しんがり)をつとめる人間に養成すべき」と言われたとき、鷲田・内田両先生が即座に反応されたのではないかと、ひそかに思っている。
知的エリート、前衛に対しての後衛。
私は、最初、「後退戦のしんがり」という言葉を聞いたときよく分からなかったのです、正直言って。
しかし、今回、久しぶりに「転向論」を読んでみて、それへの応答と考えるとなるほどと腑に落ちたという次第。
何がなるほどだ、ということをはっきりさせるには、この戦争の語彙を生活上の語彙で語ることを含めて、自分なりに考えて生きて、書いて行きたいと思います。

posted by CKP at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月12日

満開の桜の下の宗教学――夢だけど夢じゃなかった!

 いよいよ授業の開始。
火曜日の宗教学概論、開口一番「これだけ桜が満開だと、こんなところで講義を聴くよりお花見に行った方がいいですね」と口ばしる。
学生諸君は大きくうなずく。
私はちょっと傷つく。
が、負け惜しみで「実はお花見は宗教学になるんです」と言ってみる。
で、無理やり花見と宗教学をくっつけた。

 人間は、このまるで狂ったように咲く満開の桜を見れば、どうしたってその向こうに「桜の精霊」のようなものを考えずにはおれない。
カミのようなものの力を感じずにはいられない。
植物学的知識で桜の開花を説明できることはできるが、しかしそのメカニズムを動かす何かを考えずにはいられないのである。
いわゆるアニミズムである。
そして、その何かと一体になるために桜の下で宴が開かれる。
桜の精霊=スピリットに酔うのである。

 つまり、『となりのトトロ』でトトロからもらったどんぐりが月夜の晩にもくもくと大木に育ったような、そんな生命力に我々は酔いしれるのである。
それは「夢だけど、夢じゃなかった!」力なのである。

 桜の下をそぞろ歩いたり、また宴会をしたりしている人間の姿というのは、根っからの現象学者であるネコなどの目から見ると、ホント、不思議な光景だろうと思う。
いったい何に興奮しているのか、分からないであろう。
そんなことより吾輩たちは餌を探すのに忙しい。
が、そんなネコの世界にも不思議な季節の力が働き、「猫の恋」の季節となるのである。
この前まではうるさいおばさんとしか思っていなかったとなりのミケが、いきなり絶世の美女というか美猫に見えてしまうのはなにゆえか?――ということは考えず、ひたすら月夜の晩に野太い声でなくのであった。ニャーゴオ。
posted by CKP at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月10日

コペンハーゲン大学の学生が来学 4/11(水)17:00〜

 4月11日(水)にコペンハーゲン大学の学生が来学し、彼らにむけて宗教学のミニレクチャーが行われます。
(といっても、(藤)の友人関係から依頼された企画で、本学の行事ではありません。あくまでカジュアルな勉強会のような集まりです)
 
 みなコペンハーゲン大学で政治学を専攻する学部生で、今回は引率の先生とともに、春の日本を旅行して回っているとのことです。
 
 本学の学生の皆さんも、レクチャーの内容に興味がある人、他国の大学生と知り合いになりたい人、気軽に参加してみて下さい。

日時:4月11日(水)17:00〜(1時間〜1時間半程度)
場所:響流館演習室1
FUJIEDA Shin, "Religion and National Identity in Contemporary Japan"
使用言語は英語ですが、スライド、プリントを使用したレクチャーです。
posted by (藤) at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月08日

まことを求め道に生き・・・・福井県立武生高等学校校歌

 はじめに確認しておきます。
この「哲学科教員ブログ」は大谷大学哲学科教員が日々のよしなしごとを書き綴る共同ブログであります。

 さて、その大谷大学「哲学科教員ブログ」に、なにゆえ「福井県立武生高等学校校歌」が登場するのであるか。
私を「先生と呼ぶ子らが」、その高校におるわけではない。
そのようなことではなく、私の娘が先日我が母校武生高等学校に入学し、その入学式に父親として参加し、久しぶり(教育実習以来三十年ぶり)に体育館に入り、校歌を聞き「ああ、よい歌だなぁ」と涙ぐんだという話である。

 作詞はあの佐藤春夫先生(作曲は「椰子の実」の大中寅二)。
佐藤先生、校歌を依頼され、じっさいに遠路はるばる汽車を乗り継ぎ越前・武生を訪れて作詞なさったのであろう。
一番の歌詞の前半は、武生の「田舎ぶり」への驚きを素直にうたっておられる。
「都に遠く雲閉ざす 日野の盆地というなかれ」
なにせ『田園の憂鬱』の佐藤春夫先生である。
都に遠く雲とざしちゃったなぁ、と憂鬱の虫に取り付かれたのであろう。
しかし、「日野の盆地」に住んでいた当事者は、それほど「都に遠く雲閉ざす」と感じていたわけではない。
都から離れた田園の中に住んでおっても別に憂鬱になんかならないのであった。
都なんか知らないからね。

 しかし、そこはさすが佐藤春夫である。
「山河穢れず人さとく 若人の夢みな清し」
その「田舎ぶり」を逆手にとり「清し」でまとめられたわけである。
「うららぁ、かすな純朴な人間やさけの(私たちは、たいへん純朴な人間だからね)。」 

 が、4番の歌詞はすべての若人への言葉として胸を打つものがある。
「如何にか生くと人問わば 我は明朗自律の児
 まことを求め道に生き 世に尽くさんと答えまし」
ほんと、わが哲学科の科歌にしたいくらいのもんである。
まことを求めることが、そのまま道になっている。
真理から遠ざけられていると真理を求めるところで、すでに真理のうちにいるのである。

 我が半生を振り返れば、けっこう、この歌が心の奥底で響いていたような気がする。
「我は明朗自律の児 まことを求め道に生き 世に尽くさんと答えまし」
在校生の歌う校歌にあわせて、涙ぐみながら口ずさんでいたおじさんは私です。

 式の後の弦楽オーケストラそして吹奏楽部の演奏もなかなか感動的でした。
わが娘はこの校歌をどのように唄ってゆくのでしょうか。
posted by CKP at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月07日

すさまじき大風ふく日――『へいせい徒然草』

 弥生も過ぎ潅仏会も近きころ、京のみやこにすさまじき大風吹く日ありけり。
洛北の狐狸庵に仮住まいする浅草の法師、越前の法師と家路を辿らんとす。
冷たき雨よこさまにふきすさぶを恐れ、越前の法師、
「野分けのごときあめかぜなれば、タクシーにて帰るにしくなし」
といいけるに、浅草の法師、応えて曰く、
「我、幼きころより、などはしらねど、野分けの中を歩くをいたく好むなり。
すまじきあめかぜが吹けば、我が心、あやしく立ち騒ぐなり」
ゆえに二人の法師、あめかぜの中をつれだちて物狂いのごとく歩きにけり。
傘さすも用なすことあたわず。
加茂の川原と玄以の通り交わるところにて別れるころは、両人とも衣濡れそぼちにけり。
浅草の法師、つねには人の道のことわりを説くやんごとなき智者にありけるが、野分けのごときすさまじきあめかぜに、我を失いぬるか。
人のこころの奥山にはげにあやしき魔物の住みけるにか、と越前の法師いたく驚きぬ。
然れども、その話を聞きし法師ども、浅草の法師に付き従いぬる越前の法師がふるまいもいたく不可思議なるものなり、と皆でうちわらいき。
posted by CKP at 18:01| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月02日

『カーネーション』終わりました――辰巳琢郎「院長」の「男前」

 とうとう『カーネーション』が終わってしまいました。
先週は大学の仕事も寺の仕事もモーレツに忙しく、再放送もダイジェスト版もちらっと見ただけでした。

 先々週あたりから登場していた辰巳琢郎氏扮する「岸和田中央病院の院長」の不思議な「男前」な演技がよかったですね。

 いろんなアイデアにはすぐ乗るくせに、話がややこしくなると現場からそそくさと逃げる。
無責任と現場への信頼が微妙に交差していている。
しかし、現場は「ほんとに、もう!」とあきれながら、どんどん仕事を進める。
ということは、失敗したら院長が責任とってくれる、という暗黙の了解があるのだろう。
たしかに、この「男前」院長は、「よろしく頼む」という感じで逃げていた。
けっして「責任は現場で取れ」というような感じではなかったように思う。
このような人物が上にいると、組織の人たちはついついオヴァーアチーヴしてしまうことになる。
「やらされている」という感覚がない。
「ほな、よろしゅう」という逃げの挨拶は、「信頼されて任されている」という感じで受け止められている。
そして、その仕事の成功は現場の手柄となる。
ゆえに現場から「男前」と愛されているのだろう。
そのあたりの感覚を、辰巳琢郎氏の関西弁がうまく表現していました。
ぴったりの配役でした。

 辰巳クンはひょっとして学生時代もこんな感じで劇団を主宰していたのかな、と思って見ておりました。
伝説の「卒塔婆小町」ですね。

 私も2年だけでしたけど、ややこしい役職がやっと終わりました。
その終りに来て、この辰巳院長の見事な「男前」ぶりを見て、「こうゆうのは、メチャメチャむずかしいなぁ」と心底思いました。
私ぐらいの人間は、成功は自分の手柄に、失敗は他人のせいにしてしまいますから。
あんなに軽々と大きな病院を運営していくというのは、ホント、凄いことだなあ、と感心することができたのが、この2年間の仕事の功徳でありました。
posted by CKP at 18:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月28日

喜劇の誕生まで――マルクス(ただしグルーチョ)のヒゲ

 頭髪で悩んだりさらにいじめられたりしている方には不愉快な話題かと思いますが、もう少し髪やヒゲの話題を続けさせてください。

 江戸時代の武家社会においては「老」ということは「偉い」ということと直結していた。
大老、老中、家老という偉い人の役職名がそのことを示している。
月代(さかやき)を剃って、剃りあげた頭にチョンマゲをのせるという髪型も、「老」即「偉い」という思考と関係しているのだろう。
もともとは冑をかぶるために月代を剃ったと言われるが、江戸の太平の世では冑をかぶる必要はない。
むしろ前髪があるのは「若造」でしかなく前髪を落し月代を剃って一人前という思考は、「若い」より「老」が「偉い」という思考の現れであろう。
若者の理屈より老人の知恵が政治において尊ばれたということである。
「血気にはやるは匹夫の勇、さればとてご了見が若い、若い」と言ったのは大石内蔵助であった。

 江戸時代の武家の奥方の「おはぐろ」という、現代の我々の美意識を超越した化粧も歯の抜けた婆さまが偉いという文脈で理解することができるかも知れない。
が、花魁もおはぐろをしていたというから、この解釈は少し無理かもしれない(いや、江戸の男は年増好みであった、と頑張ることもできるが、そこまでして無理を通す必要もなかろう)。

 したがって、明治になり西洋風にザンギリ頭にしたとき、それは単に髪型が変わったということだけではなく、老人の知恵の世界から若者の理屈・合理性の世界への転換ということができる。
老人は古いから間違っていて、若者の新しい理屈が正しい、という新しいものに価値を見出す思考は、このときから現在まで暴走している。
ただ、明治の若者つまり指導者たちは、ザンギリ頭のみならずヒゲをたくわえるというファッションを取り入れたことも注目すべきだろう。

江戸時代というのは、ヒゲの目立たない時代であった。
戦国武将にはヒゲが見られるが、江戸になるとヒゲの武士を思い出すことは難しい。
ところが、明治の政治家そして軍人は立派なヒゲをたくわえている。
欧米列強に対抗できる強い日本を建設するためには、ヒゲが必要だったのである。
ヒゲは男を強調するものであり、それは情に流される女性性を拒否することを示すものである。
多少の犠牲もいとわず戦争に突き進む日本は、ヒゲをつけた男を必要としたのである。
そして、そのヒゲに真っ向から対立したのが、与謝野晶子の「みだれ髪」であった。
髷をしない乱れた髪は、情にうったえて、「君死にたもうことなかれ」と戦争に対抗する。
そのような「情」を跳ね除けて、非情の戦争を遂行したのがヒゲをつけた男たちであった。

 というマクラをふってニーチェのヒゲである。

 フランス革命以前の欧米、つまり宮廷的秩序が支配する欧米の思想家・音楽家の巻き毛の鬘は、その下になにかを隠している。
生の髪の毛で示されるなにかを隠しているのである。
その隠されたものとは、鬘を投げ捨てた革命以降に全開となった市民的欲望であり、ロマン主義的な感情であろう。
鬘を捨てた音楽家の音楽は秩序よりも感情の爆発を優先したし、思想家たちは欲望の充足を追及した。
ヘーゲルは何よりも欲望から人間を考察した。
ベートーヴェンやシューベルトの音楽は、何よりも市民的な感情の表現であった。
ところが、19世紀も半ば過ぎることから、ヒゲをつけた思想家が、欲望や感情の開放を批判するようになる。
欲望や感情の奥に別のものの論理を見出してゆくのである。

ヒゲをたくわえたカール・マルクスは、ブルジョワジーの欲望の開放がプロレタリアートを搾取していることを、下部構造の非情な分析で明らかにする。
たっぷりとした口ヒゲをしたニーチェは、キリスト教徒のルサンチマンというゆがんだ感情を徹底的に抉り出し、歴史の古層を掘り起こし強者の自己肯定を謳う。
ニーチェのあのヒゲは、自分のうちに見出される「情」を抑圧し、非情な強者であらんとする意志の確認の為に生やされたように見える。
鏡を見るたびに「情に流されるもんか!俺は強者なんだ」と確認していたように見えるのである。
そうでなかったら、あのような生活しにくいものを顔の前面においておく理由がわからない。

 しかし、我々はもう一人、不必要なまでに立派な口ひげを強調している人物を知っている。
マルクスはマルクスでもマルクス・ブラザースのマルクス、つまりグルーチョ・マルクスである。
(志村けんと加藤茶の「ひげダンス」のもとになった20世紀前半のアメリカのユダヤ人コメディアンですね。)
ユダヤ人であるグルーチョのヒゲは、どういうわけかニーチェのヒゲとよく似ているのである。
意識的であったか偶然であったかは分からない。
しかし、そこには「私を入れるようなクラブには入りたくない」という、グルーチョ独特のアイロニーが隠れているように思える。
ヒゲを生やして尊大にしている男に対する、何らかの揶揄が隠されている。
つまり自己否定それも他者を巻き込んだ形での自己否定という、面倒な形での自己確認があるように思う。

このような面倒な自己確認つまりアイデンティティーの確認は、チャップリンの「放浪紳士」のスタイルにも、あるいはチャップリンのヒトラー的ヒゲにも見出すことができるかも知れない。
つまり、直接的な自己肯定ではなく、他者を介してそこで自己を否定することによって自分を確認するという、面倒だけれども社会で生きるためには必要な手続きが表現されているように思う。
また、そのようなところに「笑い」が招来され喜劇が誕生してくるということも興味ある問題であります。
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2012年03月26日

ホントの名前で出て来ます――駅前仏教講座「仏教からみる『葬式』〜人間は葬送する存在」

 え〜、わたくしCKPカドワキがホントの名前で講演するのが、もうあさってになっているのに気がつきました。
3月28日(水)午後6時半から8時半
場所は阪和線の鳳駅前の西文化会館というところです。
講演タイトルは「仏教からみる『葬式』〜人間は葬送する存在」。

 髪の毛を気にするのも人間ならば、葬送するのも人間の独特の生き方です。
その葬送によってどんな生き方が展開されるのかを、ご一緒に考えましょう、という講演になると思います。
80名限定ですが、きっとまだたっぷり余裕はあると思います。
どのようにお話したら面白いかいろいろ考えております。
どうぞ、お近くの方はご参加ください。

http://civilite.blog118.fc2.com/blog-entry-10.html
posted by CKP at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

髪の哲学――人間とは何か

 友人でハイデガー研究家で詩人の神尾和寿君がいつも送ってくれる同人誌『ガーネット』の最新号を眺めていたら、ドキドキするする詩に出会った。
もちろん神尾君の詩である。

      *      *

いつもの茄子

いつもの優等生の あの娘(こ)が
今朝は 真っ赤に
髪の毛を染め上げている
卵焼きを食べてきたと言う
その点は
いつもと同じ
茄子の味噌汁も飲んできた
と言う
運命のようにチャイムが鳴る
ぼくは注目する
起立するのだろうか

     *   *

 ね、ちょっとドキドキするでしょ?
いったい「あの娘」に何があったんでしょう?
卵焼きも茄子の味噌汁もいつものと同じなのに、なんで髪は真っ赤?
いきなり「センコーなんかにあいさつできるかよ!」って不良になったのでしょうか?
茄子の味噌汁が好きなのに不良になったんでしょうか?

 髪の表現力は偉大なのです。
おじさんたちの世代は1960年代にそれを経験しています。
ビートルズやストーンズのような長髪は不良宣言だったのです。
高校では頭髪検査なんてのもありました。
今の高校では、金髪禁止!だったりするのでしょうか?

哲学の場合、デカルトからカントあたりまでは、「鬘」をつけています。
音楽室の掲げられていたバッハやヘンデルの肖像のあの巻き毛の鬘。
年表の流れでゆくと、後期のモーツァルトから鬘なしになってきます。
つまり、宮廷から独立した音楽家になったとき鬘をとり去ったのでした。
鬘をかぶったベートーヴェンというのは考えられません。
哲学ではフィヒテやヘーゲルから鬘なしになってきます。
そこから「市民」の哲学が始まります。

日本で頭髪で思想を表現したのは、なんと言っても親鸞です。
「愚禿」という名乗りで僧でも俗人でもないという生き方を、「かむろ=チョンマゲを結わない」頭髪で表現しました。
考えてみれば、チョンマゲというのを髪型にして、そこに生き方を反映させたというのも凄い発想だったと思います。
江戸時代になると、男装の女性の髪形が、武家の女性に広がって、いわゆる日本髪ができあがり、「奥方様」という生き方が表現されたわけです。
一方では花魁に広がりましたが・・・

 そもそも頭髪という独立した毛があるのは人間だけです。
したがって、頭髪のスタイルを気にするのも人間だけ。
しかし、人類はいつごろから頭髪を気にしだしたのでしょう?
このように頭髪の観点から人類を規定する場合は、ホモ・サピエンスにならってホモ・アデランスと言います(と言うのは嘘です)。
お坊さんはなぜ無理やりハゲにしてしまうのでしょうか?
また、江戸時代の男もみんな頭の目立つところを剃ってしまいます。
みんな、必死で爺さんになりたがっていたようです。
 
また、男性の場合、ヒゲも独特なものです。
ニーチェの肖像を見ると、なぜニーチェはあんなふさふさの口ひげをしたのかと思ってしまいます。
鼻をかむとき不自由しなかったのだろうか?
ヒゲに鼻くそがくっつくことはなかったのだろうか?とよけいな心配をしてしまいます。

 とにかく、頭髪とかヒゲというのは、人間ゆえの生き方と密接に関係しているということですね。

(最初に紹介した神尾和寿君はもう何冊も詩集を発表し、砂子屋書房から『神尾和寿集』を出版している「プロ」の詩人です。
詩集のタイトルがいつもなんとなくうれしいのですが、いちばんすきなのは『神聖である』というタイトルです。
なんだか、「鬼平犯科長」で長谷川平蔵つまり鬼平が「火付盗賊改長谷川平蔵である!」と盗賊の前に登場するような感じが、うれしいのです。
というような詩集のタイトルのうれしがり方が正しいのかどうかわかりません。
が、なんかね、うれしいのです。
『七福神通り』という詩集もうれしい。
が、いつかは、詩そのもののうれしさについて書いてみたいと思っています。)

posted by CKP at 17:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月22日

3月24日大谷大学オープンキャンパス――鷲田清一先生ご講演は10時30分から

 3月24日午前10時から、大谷大学のオープンキャンパスが開催されます。
もちろん、2013年度の入試に向けてのオープンキャンパス。
大学受験を考えている高校生の皆さんには、いろんな大学を見学して、なにか惹かれるものを見つけて欲しいと思います。
その惹かれるものが、大谷大学に見つかると、私たちもうれしいです。

 当日は、10時30分より鷲田清一先生の「ベンキョーって楽しい?」という1時間ほど講演があります。
大阪大学総長を終えられ本学に移られてからまだ日の浅い鷲田先生ですが、文学部での学びを大切にしたいと、一肌脱いでくださいました。

 しかし「ベンキョーって楽しい?」ってヘンテコなタイトルですね。
なんで「勉強」がカタカナで「ベンキョー」なんでしょう?
「楽しい?」の「?」は何を意味しているのでしょうか?

 多くの高校生の皆さん、ご父母の方々、そして高校の先生方のご来場をお待ちしています。
詳しくは

http://www.otani.ac.jp/nyushi/nab3mq000001p9jw.html

(このページで、鷲田先生と芥川賞作家・津村記久子さんの対談も読めます)

 うちは夫婦そろって鷲田ファンなんだけど、大学受験する子どもがいない・・・と言う方は、どちらかが高校生に変装して来て下されば、義経一行を通した安宅関の富樫のように、係員はその熱意にほだされて通してしまう、ということになるかもしれません。
そして、ご講演を聴いて、どちらかが受験してくだされば、言うことなしです。

 当日は、模擬授業を聴講したり、相談コーナーでいろいろ相談もできます。
クラブの紹介もあります。
また、教員志望の受験生の皆さんには、小学校の先生として活躍している卒業生から、大学時代にどのように準備してゆくのかについてのアドヴァイスもあります。
どうぞ、ふるってご参加を!
posted by CKP at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月19日

無限のいのち――「無量寿」ということ

 昨日は、午前も午後も檀家さんでのご法事。
午前中は、16年前に100歳で亡くなった婆さまの17回忌。
午後からは、昨年48歳で亡くなった、まだまだ若かったお母さんの1周忌。

 100歳の婆さまの17回忌では、みな、婆さんのように100まで生きられるかどうかだの、わしはこないだまで病院入っていただの、どれ姉ちゃん(といっても80歳の婆さまであるが)葬式用の写真を撮っておこう・・・などと、自分たちが死んでゆく話で「盛り上」がっておりました。
次の25回忌には、こん中の誰がお浄土に行ってるかの・・・考えてみれば、なかなか過激な会話が飛び交っておりました。

 午後からの1周忌では、旦那さんや子どもたち、そして実家のお父さんなどは、悲しみを新たにしてベソをかいておられる。
突然の病気だったのだから誰に罪があるわけではないが、やはり、ダンナさんは自分を責め続けておられた。
が、7日逮夜のお参りや百カ日のお参り、また月命日のお墓参りや東本願寺への納骨という具体的な儀式を勤めるなかで、少しずつ落ち着いてこられた。
奥さんの若すぎる死を納得したわけではないが、事実としては受け容れて、商売を今までどおりやってゆくことで、いわば死者と共に生きてゆく、そんな構えができてこられたように思われた。

 そのような二つのご法事を勤めて、あらためて、「無量寿」ということが思われた。
「無量寿」とは古代のインド語を音写した「阿弥陀」の漢語での訳のひとつ。
量りないいのち。
西洋哲学やキリスト教神学で言えば「無限」。
100年生きて亡くなった婆さまの命と48年しか生きられなかった若いお母さんの命。
人間の尺度では100年とか48年という有限の年数で測る。
しかし、ではそれらの命は100年分あるいは48年分の価値を持っていた、と言えるかといえばそうではない。
それぞれの命はそのような人間の尺度では測れない。
お母さんの命は48年分の価値を持っていた、と言われても納得できない。
そのような有限の価値を超えたなにかがそこに働いている。
そしてまた、それらの命は今生きている我々にも何らかの働きかけを行っている。
そこには人間的尺度が通用しているのとは別の次元が開かれている。
そのような人間の尺度では測ることのない「働き」を「無量寿」という言葉で呼んでおり、それを「贈り物」として「南無=感謝」する。
すると、またそこに無限なる何かが湧き上がってくる。

 仏という実体があり、それが「無限の命」という属性を持っており、それを人間が南無する、というのではない。
むしろ人間が生きる、というところに働いている何かが「無限」として取り出され、それが仏とされるのであろう。
この働きは「死」を媒介にして明らかになるものである。
だから、神を単に創造主としてのみ考えるとわかりにくい。

 1周忌でこんな話をストレートにしたわけではないが、こんなことを考えながらお話したら、ダンナさんが涙ふきながら頷いていてくれたから、そんなに的外れな話でもないだろうと思う。
posted by CKP at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする