『歎異抄』第二条の「よき人の仰せをかぶりて」という無批判な受容では、いかんのではないか?という問題を論じていたのであった。
が、これを縷々ここで論じるのがだんだんしんどくなってきた。
というのは、この議論、今、一冊の本にまとめようとしてごちゃごちゃとやっておるところなのである。
めでたくその本が日の目を見たときに、じっくりと読んでいただくことにして・・・。
ここのところは、その暁天講座の動画でご辛抱いただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=qrDpQh3hmB4
小生が寝不足でラリってあらぬことを口走ったところを、担当の方が丁寧に編集してくださったようで、それほどひどいことにはなっていないようです(自分では見てないので分かりませんが)。
ただ、引用したレヴィナスに関しては、ここにその一部を掲載しておきます。
興味ある方は、この後も読んでみてください。
『タルムード四講話』の「誘惑の誘惑」という講話からの引用です。
さてここからが大事な話です。他人の話を頭から信じ込んだり、ものを何も知らなかったりするのは非常によくない、という考え方があります。この考えに立つと、「あらゆるものに対する好奇心」「節度のない窃視癖」(つまりそれが「知」であるわけですが)は非常に良いものである、先験的原理による既成事実の検証の場である、ということになります。・・・「好奇心の誘惑」を正当化するのは「真実を知りたいという要請」でした。さて、この要請にこたえる手立ては無遠慮な窃視癖しかないのでしょうか、もっと純粋な手立てはないのでしょうか。
レヴィナスも「他人の話を頭から信じ込んだりするのは非常によくない」という考え方と向き合っています。
さあ、レヴィナスはこの問題とどう向き合うのでしょう。
この講話は内田樹先生の訳で読めます。長らく品切れでしたが、近年(?)人文書院から改訂されて再発刊されているはずです。
興味のある方は探してくださいね。
ではでは。
2024年09月09日
2024年08月22日
仰せをかぶる(その2)
はるばる関東から「身命をかえりみず」、親鸞さまなら念仏よりほか往生極楽の道をご存じだろうと上洛してきた人々に、親鸞は敬語で叱りつけるように言ったのであった。
今の日本で、敬語で𠮟って様になるのは美輪明宏ぐらいであろうか。
「あなた、お黙りなさい」
「念仏以外の道をお知りになりたいなら、比叡山や奈良の偉いお坊さんをお訪ねなさい。」
いまから750年ほど前、おそらく茨城県あたりから命がけで上洛した人々に、「そのようなお考えならば他所へお行きなさい」と敬語で叱りつけるのである。
これは相当怖い。
そして、きっぱりと言う。
「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられ参らすべしと、よき人の仰せをかぶりて、信ずるほかに、別の子細なきなり」
ものすごい迫力だったのではないか、と思う。
「念仏よりほかの道?そんなもんあるか!」と怒鳴られた方がどんだけ楽か?!
静かに「親鸞におきては、ただ念仏して・・・・信ずるほかに、別の子細なきなり」
静かに、おそらく低い声でさらりと言ってのける。
もし、この場面を映像化するとなると、誰に親鸞を演じていただくか…などという話を暁天講座でしてしまった。なにせ暑かったもので・・・
その時には、緒形拳にしか思い浮かばなかったのだが、現役の役者さんでは誰だろう。
麿赤児?
恐いことは怖い・・・しかし、迫力ありすぎか?
親鸞を殺そうとしていた山伏が親鸞を見た途端、その姿に接してたちどころに回心したというような迫力をもつ親鸞である。
麿赤児でいくか?
いや、少し迫力が前面に出すぎではないだろうか。
松重豊あたりがピシッと決めるとどうだろうか。
案外、小林薫あたりが、軽妙な迫力をかもしだすのではないか。
しかし、その役者さんは「親鸞におきては、…別の子細なきなり」という決定的なセリフをどれだけ内に秘めた迫力で発声できるだろうか。
そのあとには「念仏は浄土に生まれる種となるのか、地獄におちる原因なのかは、全然知らない」というセリフが続くのである。
そして、最後の最後には「念仏を信ずるのも、捨てるのも皆さんどうぞご自由に」で終わるのである。
いったい、どんな心持でこの長ぜりふを言えばよいのであろうか?
まず引っかかるの、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられ参らすべしと、よき人の仰せをかぶりて、信ずるほかに、別の子細なきなり」といセリフを腹の底から言えるかである。
というのは、私たち現代人は「よき人の仰せをかぶりて」そのまま信ずるのは危険なのではないか、と思ってしまうからである。
折しもネット世界では、有名人(実は偽物)の言葉をそのまま信じて、投資詐欺に引っかかっている御仁があふれているご時世である。
この文脈で言うと、親鸞の言っていることは、「有名人のことを信じて詐欺にかかれ」とおんなじことになる。
そんな馬鹿な!とは思うが、しかし、「よき人」であろうと、その人の言うことを「かぶって」そのまま信ずるというのは、危険すぎる・・・こう思うのが普通であろう。
いったい、この箇所をどう読んだらよいのか?
オウムの昔から30年近く考え込んでいたのであるが、取り付く島がない。
しかし、別のところに同じ問題を考えている人がいた。
レヴィナスである。
レヴィナスも何を言っているのかわかりにくい人だが、分かりにくい思想を二つならべてみると、その分かりにくさが見えてきて、問題の結び目がとけることがある。
というわけでエマニュエル・レヴィナス登場である。
が、本日は疲れた。続きは、またまた今度。
今の日本で、敬語で𠮟って様になるのは美輪明宏ぐらいであろうか。
「あなた、お黙りなさい」
「念仏以外の道をお知りになりたいなら、比叡山や奈良の偉いお坊さんをお訪ねなさい。」
いまから750年ほど前、おそらく茨城県あたりから命がけで上洛した人々に、「そのようなお考えならば他所へお行きなさい」と敬語で叱りつけるのである。
これは相当怖い。
そして、きっぱりと言う。
「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられ参らすべしと、よき人の仰せをかぶりて、信ずるほかに、別の子細なきなり」
ものすごい迫力だったのではないか、と思う。
「念仏よりほかの道?そんなもんあるか!」と怒鳴られた方がどんだけ楽か?!
静かに「親鸞におきては、ただ念仏して・・・・信ずるほかに、別の子細なきなり」
静かに、おそらく低い声でさらりと言ってのける。
もし、この場面を映像化するとなると、誰に親鸞を演じていただくか…などという話を暁天講座でしてしまった。なにせ暑かったもので・・・
その時には、緒形拳にしか思い浮かばなかったのだが、現役の役者さんでは誰だろう。
麿赤児?
恐いことは怖い・・・しかし、迫力ありすぎか?
親鸞を殺そうとしていた山伏が親鸞を見た途端、その姿に接してたちどころに回心したというような迫力をもつ親鸞である。
麿赤児でいくか?
いや、少し迫力が前面に出すぎではないだろうか。
松重豊あたりがピシッと決めるとどうだろうか。
案外、小林薫あたりが、軽妙な迫力をかもしだすのではないか。
しかし、その役者さんは「親鸞におきては、…別の子細なきなり」という決定的なセリフをどれだけ内に秘めた迫力で発声できるだろうか。
そのあとには「念仏は浄土に生まれる種となるのか、地獄におちる原因なのかは、全然知らない」というセリフが続くのである。
そして、最後の最後には「念仏を信ずるのも、捨てるのも皆さんどうぞご自由に」で終わるのである。
いったい、どんな心持でこの長ぜりふを言えばよいのであろうか?
まず引っかかるの、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられ参らすべしと、よき人の仰せをかぶりて、信ずるほかに、別の子細なきなり」といセリフを腹の底から言えるかである。
というのは、私たち現代人は「よき人の仰せをかぶりて」そのまま信ずるのは危険なのではないか、と思ってしまうからである。
折しもネット世界では、有名人(実は偽物)の言葉をそのまま信じて、投資詐欺に引っかかっている御仁があふれているご時世である。
この文脈で言うと、親鸞の言っていることは、「有名人のことを信じて詐欺にかかれ」とおんなじことになる。
そんな馬鹿な!とは思うが、しかし、「よき人」であろうと、その人の言うことを「かぶって」そのまま信ずるというのは、危険すぎる・・・こう思うのが普通であろう。
いったい、この箇所をどう読んだらよいのか?
オウムの昔から30年近く考え込んでいたのであるが、取り付く島がない。
しかし、別のところに同じ問題を考えている人がいた。
レヴィナスである。
レヴィナスも何を言っているのかわかりにくい人だが、分かりにくい思想を二つならべてみると、その分かりにくさが見えてきて、問題の結び目がとけることがある。
というわけでエマニュエル・レヴィナス登場である。
が、本日は疲れた。続きは、またまた今度。
2024年08月20日
仰せをかぶる――危ない「信」
8月3日、大谷祖廟での暁天講座、無事(かどうかわかりませんが)終わりました。
さっそくご報告と思っていたが、もう20日ちかく経ってしまっている。
記憶がおぼろになりつつあるが、少しずつ思い出してゆこう。
小生のような古希を過ぎた古だぬきでも、「明日は暁天講座」となると、意識はしていないが体のどこかが緊張していて寝付けない。
2時ごろまで覚えていて、気がつくと4時半。5時にセットした目覚ましを待ちきれず起きてしまう。
6時になるとすでにせみ時雨。
もう30度は超えたか…寝不足と暑さで少しボーっとしている。
というわけで、なんだかラリってるような状態で、あらぬことを口走ったような気がしている。
というわけで、そのあと少ししょげている。
(が、何を口走ったのか忘れてしまった。)
しかし、収穫がなかったわけではない。
それについて忘れないうちにメモしておきます。
『歎異抄』の第二条の「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられ参らすべしと、よき人の仰せをかぶりて、信ずるほかに、別の子細なきなり」の中のとりわけ「よき人の仰せをかぶりて」という部分について話した。
この部分の何が問題なのか?
シチュエーション。
関東から「身命をかえりみず」やって来て、往生極楽の念仏よりほかの道があるのか、と問う人々に対して、親鸞は「皆さんと違って、親鸞においては、〈念仏して弥陀にたすけられなさい〉という、よき人法然上人の仰せをかぶって信じるほかに、別の理由はない」と答えている場面。
この言葉の直前に、「念仏よりほかの道を知りたいなら奈良や比叡山の偉い先生方に聞きに行きなさい」、と親鸞は敬語で突き放す。
関東から京都まで「身命をかえりみず」やってきた人々に、「他所へお行きなさい」と言うのである。
この親鸞はけっこう怖い。
しかし、一番の問題は「よき人の仰せをかぶる」というかたちで信じ込むというのは、これでよろしいんだろうか、という問題である。
こういう信じ方だと、妖しい宗教に騙されるのではないか?・・・という問題が出てくるのである。
じっさい、30年ほど前(!)のオウム真理教事件のとき、この箇所が問題になった。
このような親鸞の「信じ方」では、オウムの麻原みたいな「教祖」に騙されてしまうのではないか。
師=グルの言葉をそのまま信じるから、あんなオウム真理教なんてとんでもない宗教に騙されるのだ!
でも、それにしても一流大学の理系の学生が信者になっているのはどういう理由だろう・・・
と、アタマを?マークでいっぱいしてから、もうすぐ30年!
話がだいぶ逸れている。
続きはまた今度。
さっそくご報告と思っていたが、もう20日ちかく経ってしまっている。
記憶がおぼろになりつつあるが、少しずつ思い出してゆこう。
小生のような古希を過ぎた古だぬきでも、「明日は暁天講座」となると、意識はしていないが体のどこかが緊張していて寝付けない。
2時ごろまで覚えていて、気がつくと4時半。5時にセットした目覚ましを待ちきれず起きてしまう。
6時になるとすでにせみ時雨。
もう30度は超えたか…寝不足と暑さで少しボーっとしている。
というわけで、なんだかラリってるような状態で、あらぬことを口走ったような気がしている。
というわけで、そのあと少ししょげている。
(が、何を口走ったのか忘れてしまった。)
しかし、収穫がなかったわけではない。
それについて忘れないうちにメモしておきます。
『歎異抄』の第二条の「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられ参らすべしと、よき人の仰せをかぶりて、信ずるほかに、別の子細なきなり」の中のとりわけ「よき人の仰せをかぶりて」という部分について話した。
この部分の何が問題なのか?
シチュエーション。
関東から「身命をかえりみず」やって来て、往生極楽の念仏よりほかの道があるのか、と問う人々に対して、親鸞は「皆さんと違って、親鸞においては、〈念仏して弥陀にたすけられなさい〉という、よき人法然上人の仰せをかぶって信じるほかに、別の理由はない」と答えている場面。
この言葉の直前に、「念仏よりほかの道を知りたいなら奈良や比叡山の偉い先生方に聞きに行きなさい」、と親鸞は敬語で突き放す。
関東から京都まで「身命をかえりみず」やってきた人々に、「他所へお行きなさい」と言うのである。
この親鸞はけっこう怖い。
しかし、一番の問題は「よき人の仰せをかぶる」というかたちで信じ込むというのは、これでよろしいんだろうか、という問題である。
こういう信じ方だと、妖しい宗教に騙されるのではないか?・・・という問題が出てくるのである。
じっさい、30年ほど前(!)のオウム真理教事件のとき、この箇所が問題になった。
このような親鸞の「信じ方」では、オウムの麻原みたいな「教祖」に騙されてしまうのではないか。
師=グルの言葉をそのまま信じるから、あんなオウム真理教なんてとんでもない宗教に騙されるのだ!
でも、それにしても一流大学の理系の学生が信者になっているのはどういう理由だろう・・・
と、アタマを?マークでいっぱいしてから、もうすぐ30年!
話がだいぶ逸れている。
続きはまた今度。
2024年08月02日
明日の朝はラジオ体操ではなく暁天講座
この前の蒲池先生とのクロストークのご報告もまだしていないのに、
明日は、同じ大谷祖廟で不肖カドワキ、暁天講座で一席うかがいます。
6時半より約一時間、ということで明日はラジオ体操は休んで、大谷祖廟へ!
こちらは、とにかく熱中症で倒れないようにして、明朝に備えます。
一息ついたら、この間のご報告などぼちぼち書きます・・・とか言っているうちにお盆ですが・・・
明日は、同じ大谷祖廟で不肖カドワキ、暁天講座で一席うかがいます。
6時半より約一時間、ということで明日はラジオ体操は休んで、大谷祖廟へ!
こちらは、とにかく熱中症で倒れないようにして、明朝に備えます。
一息ついたら、この間のご報告などぼちぼち書きます・・・とか言っているうちにお盆ですが・・・
2024年07月08日
締め切り迫る!
炎天に クマも涼みに 善久寺
昼前、内の寺の横を流れる吉瀬川の少し上流にクマが出現したとのお知らせあり。
本日は、小学校は集団下校。
そこで一句、というわけです。
昨秋は、
柿食いに クマもまいるか 善久寺
つーのを作りました。
ライバルはあくまでも法隆寺です。
というわけで、7月18日の月刊『同朋』企画「お葬式・お墓から人生を見つめる講演会」(門脇しゃべります)定員
50名の残りが少なくなっているようです。
どうぞ、満席にならぬうちに、お申し込みを!
昼前、内の寺の横を流れる吉瀬川の少し上流にクマが出現したとのお知らせあり。
本日は、小学校は集団下校。
そこで一句、というわけです。
昨秋は、
柿食いに クマもまいるか 善久寺
つーのを作りました。
ライバルはあくまでも法隆寺です。
というわけで、7月18日の月刊『同朋』企画「お葬式・お墓から人生を見つめる講演会」(門脇しゃべります)定員
50名の残りが少なくなっているようです。
どうぞ、満席にならぬうちに、お申し込みを!
2024年06月21日
門脇健×蒲池勢至クロストーク
来る7月18日午後3時から
東本願寺出版の雑誌『同朋』主催(?)の「お葬式・お墓から人生を見つめる講演会」が、
東山区の円山公園近くの大谷祖廟・賀慶殿というところで開催されます。
わたくし門脇と同朋大学の蒲池先生が15分ずつお話をしてそのあとクロストーク。
定員50名で参加費が500円(強気!)
問い合わせは東本願寺出版まで(075−371−9189)
という、カドワキ突然の告知でした。
東本願寺出版の雑誌『同朋』主催(?)の「お葬式・お墓から人生を見つめる講演会」が、
東山区の円山公園近くの大谷祖廟・賀慶殿というところで開催されます。
わたくし門脇と同朋大学の蒲池先生が15分ずつお話をしてそのあとクロストーク。
定員50名で参加費が500円(強気!)
問い合わせは東本願寺出版まで(075−371−9189)
という、カドワキ突然の告知でした。
2020年12月26日
え?これで終わりなの?「こころ旅」――それは突然やってきた?
昨日、火野正平さんが自転車で全国を駆け巡る『こころ旅』を観ていた。
BSで午後7時から。
ニュースで不愉快な嘘つき野郎のツラなど見たくないというのもあるが、火野さんがひょうひょうといろんな人のいろんな思い出の地を辿るのが、どうゆう訳かたまらなく惹きつけられて朝も夜も観ている。
だがしかし、昨日の夜は、番組の最後に妙にセンチメンタルな空気が流れてきて、「1000回までやりたかった」とか火野さんが残念そうにつぶいやいて、画面に、
「10年間のご視聴ありがとうございました」
というよな文字が出て、まるで最終回の雰囲気なのである。
そんなこと何も言ってなかったのに〜。
喫茶店で突然に女の子から「私たち、もう会わない方がいいと思うの」と切り出された男子の気分である。
いったいどうなってるんだ?とパニックになり、一夜明けて、番組のホームページで確かめるという知恵が思い浮かんだのであった。
しかし、そこには最終回的な表示はない。
が、視聴者からは「最終回、残念!」というコメントがある。その一方で「え?これで終わり?」というコメントもある。
う〜ん、どうなっているんでしょうか?
ここはしばらく様子を見るということなのでしょうか?
火野さんの体力、コロナの感染状況・・・番組を続けるには問題が山積みではあります。
しかし、これが最終回でしたという公式な告知はない(と思う)。
私は「あなたはとってもいい人です。でも私たちお友達でいたほうがいいと思うの」という女子の言葉を読みそこなっている男子なのだろうか?
BSで午後7時から。
ニュースで不愉快な嘘つき野郎のツラなど見たくないというのもあるが、火野さんがひょうひょうといろんな人のいろんな思い出の地を辿るのが、どうゆう訳かたまらなく惹きつけられて朝も夜も観ている。
だがしかし、昨日の夜は、番組の最後に妙にセンチメンタルな空気が流れてきて、「1000回までやりたかった」とか火野さんが残念そうにつぶいやいて、画面に、
「10年間のご視聴ありがとうございました」
というよな文字が出て、まるで最終回の雰囲気なのである。
そんなこと何も言ってなかったのに〜。
喫茶店で突然に女の子から「私たち、もう会わない方がいいと思うの」と切り出された男子の気分である。
いったいどうなってるんだ?とパニックになり、一夜明けて、番組のホームページで確かめるという知恵が思い浮かんだのであった。
しかし、そこには最終回的な表示はない。
が、視聴者からは「最終回、残念!」というコメントがある。その一方で「え?これで終わり?」というコメントもある。
う〜ん、どうなっているんでしょうか?
ここはしばらく様子を見るということなのでしょうか?
火野さんの体力、コロナの感染状況・・・番組を続けるには問題が山積みではあります。
しかし、これが最終回でしたという公式な告知はない(と思う)。
私は「あなたはとってもいい人です。でも私たちお友達でいたほうがいいと思うの」という女子の言葉を読みそこなっている男子なのだろうか?
2020年12月22日
9か月のご無沙汰でした――門脇です
こんにちは、お久しぶりの門脇です。
そう、今年の3月に無事に退職した門脇です。
はい、まだ元気に生きていたんですね。
あれ以来、わたくしは越前の人になってしまいました。
予定では、週一回、非常勤で京都へ出てきて、大学で講義する予定でしたが、リモート講義ということで京都は遠い地の果てということになってしまったのでした。
リモート講義といっても、動画を使うハイカラなものではなく、講義ノートを公開するというアナログなスタイルです。
おかげで立派な講義ノートが出来つつあります。
が、これがけっこうキツイ。
これは今まで適当なことを喋り散らしていたわたくしの自業自得でありますね。
このノートづくりでへとへとで、ほかのことは何もできなかったのですが・・・
夏休みにはひょんなことから、イリーナ・メジューエワさんのベートーヴェン・ピアノソナタ全集の「前説」を書くというお鉢が回ってきたため、その全集を聴くという「お仕事」をしていました。
あの暑い熱い夏に、ベートーヴェンのピアノソナタというのはけっこうキツウございましたよ。
が、なんとかまとめて、12月16日発売のCD9枚の全集のブックレットに無事収録されました。
興味のある方は・・・・本みたいに立ち読みできないのですね、これが。
全集はきついが、あの曲なら聴いてみたいという方にはダウンロードということもできるそうです(それに「前説」がくっついているかは分かりません)。ここからどうぞ!
http://bijin-classical.com/
というわけで、新型コロナ感染者の数に毎日一喜一憂することで一年が過ぎてしまいました。
あ、それから、小さい真空管アンプキットを一個作りました。
なかなか良い音がしております。
このアンプでメジューエワさんのベートーヴェンを聴いたのでした。
1922年製のニューヨーク・スタインウェイの重厚な響きがよき聴き取れました。
メジューエワさんは、けっこう、重低音好きと見ましたよ。
では、また、忘れた頃に!
そう、今年の3月に無事に退職した門脇です。
はい、まだ元気に生きていたんですね。
あれ以来、わたくしは越前の人になってしまいました。
予定では、週一回、非常勤で京都へ出てきて、大学で講義する予定でしたが、リモート講義ということで京都は遠い地の果てということになってしまったのでした。
リモート講義といっても、動画を使うハイカラなものではなく、講義ノートを公開するというアナログなスタイルです。
おかげで立派な講義ノートが出来つつあります。
が、これがけっこうキツイ。
これは今まで適当なことを喋り散らしていたわたくしの自業自得でありますね。
このノートづくりでへとへとで、ほかのことは何もできなかったのですが・・・
夏休みにはひょんなことから、イリーナ・メジューエワさんのベートーヴェン・ピアノソナタ全集の「前説」を書くというお鉢が回ってきたため、その全集を聴くという「お仕事」をしていました。
あの暑い熱い夏に、ベートーヴェンのピアノソナタというのはけっこうキツウございましたよ。
が、なんとかまとめて、12月16日発売のCD9枚の全集のブックレットに無事収録されました。
興味のある方は・・・・本みたいに立ち読みできないのですね、これが。
全集はきついが、あの曲なら聴いてみたいという方にはダウンロードということもできるそうです(それに「前説」がくっついているかは分かりません)。ここからどうぞ!
http://bijin-classical.com/
というわけで、新型コロナ感染者の数に毎日一喜一憂することで一年が過ぎてしまいました。
あ、それから、小さい真空管アンプキットを一個作りました。
なかなか良い音がしております。
このアンプでメジューエワさんのベートーヴェンを聴いたのでした。
1922年製のニューヨーク・スタインウェイの重厚な響きがよき聴き取れました。
メジューエワさんは、けっこう、重低音好きと見ましたよ。
では、また、忘れた頃に!
2020年03月18日
卒業おめでとう――大谷大学卒業式
2020年3月18日、京都は北大路の大谷大学では卒業式を挙行しました!
従来からいくつかの学科ごとに分散してご本尊が安置されている講堂で挙行していましたから、なんとかできました。
それでも、式は簡略化され、教室にわかれての学科ごとの証書授与もアッという間に終わってしまいました。
しかし、そのあと屋外でゼミごとに記念撮影できました。
卒業生の皆さんはきちんとハレの服装です。
わたしも今日ばかりはスーツにネクタイ!
卒業生の皆さん、おめでとうございます。
これからがいよいよ大変ですが、泣いたり笑ったり落ち込んだりしながら、充実した人生を送ってください。
という訳で、こんな歌を贈ります。
もう60年くらい前に流行った「さらばジャマイカ Jamaica Farewell」という曲です。
唄ったのはアメリカのハリー・ベラフォンテ、「褐色のアポロ」(@三島由紀夫)と言われた歌手。
旅を続ける青年がジャマイカで出会った女の子に後ろ髪ひかれる、という曲です。
はい、これです。
こちらは、レゲエ風味が加わったヴァージョン。
リフレインされる歌詞。
But I'm sad to say on my way
won't be back for many a day
My heart is down, My head is turning around
And I had to leave a Little girl in Kingston
こんなふうに大学のことを想いながら前に進んでくれるとうれしいです。
従来からいくつかの学科ごとに分散してご本尊が安置されている講堂で挙行していましたから、なんとかできました。
それでも、式は簡略化され、教室にわかれての学科ごとの証書授与もアッという間に終わってしまいました。
しかし、そのあと屋外でゼミごとに記念撮影できました。
卒業生の皆さんはきちんとハレの服装です。
わたしも今日ばかりはスーツにネクタイ!
卒業生の皆さん、おめでとうございます。
これからがいよいよ大変ですが、泣いたり笑ったり落ち込んだりしながら、充実した人生を送ってください。
という訳で、こんな歌を贈ります。
もう60年くらい前に流行った「さらばジャマイカ Jamaica Farewell」という曲です。
唄ったのはアメリカのハリー・ベラフォンテ、「褐色のアポロ」(@三島由紀夫)と言われた歌手。
旅を続ける青年がジャマイカで出会った女の子に後ろ髪ひかれる、という曲です。
はい、これです。
こちらは、レゲエ風味が加わったヴァージョン。
リフレインされる歌詞。
But I'm sad to say on my way
won't be back for many a day
My heart is down, My head is turning around
And I had to leave a Little girl in Kingston
こんなふうに大学のことを想いながら前に進んでくれるとうれしいです。
2020年02月28日
頑張れ岡田晴恵先生――マールブルク経由でエールを送ります
今朝の羽鳥モーニングショーで、感染症研究者の岡田晴恵先生が感染検査数の少ないカラクリを声を震わせて告発されたという。
最近テレビに出ずっぱりで、何とか検査を増やして初期の段階で対応すべきことを主張されているが、その検査の少ないのは研究者の縄張り争いに原因があるという。
データを独占して論文を発表する――岡田さんは声を震わせて怒っておられということです。
岡田さんはマールブルク大学のウィルス研究所に留学した方で、初期の著作『人類VS感染症』(岩波ジュニア新書)は確かマールブルク駅前にある聖エリザベート教会に祀られているエリザベートの話から始まっていたはずです(今引っ越しの準備でその本を段ボール箱に詰めてしまった)。
エリザベートはお妃さまでしたが、ハンセン病者の救済に身を捧げ若くして亡くなり、カトリックの聖人とされた人でした。
そういう人をご自分の(たぶん)最初の一般的な著作の最初に持ってきたのは、感染症の研究は一人でも多くの人を感染から守りたいとご自分の研究のよって立つ根本を確認するためであったと思います。
データを独占して論文を書くためではないということですね。
表紙もハンセン病者を抱きかかえるエリザベートの石像だったはずです。
どうしてこういうことを宗教学のワタクシ・カドワキが知っているかというと、マールブルク大学で「仏教とキリスト教の対話」の研究会をやった時に、この岡田先生のエリザベート紹介を紹介しながら発表したからです(その記録も現在段ボールのなか)。
その発表を活字化したものができたとき岡田先生にお送りしようかなと思いましたが、突然、宗教学の論文が送られてきてもお困りであろうと、よしたのでした。
というわけで、その論文は送りませんが、マールブルク経由で京都からエールを送るというわけなのでした。
最近テレビに出ずっぱりで、何とか検査を増やして初期の段階で対応すべきことを主張されているが、その検査の少ないのは研究者の縄張り争いに原因があるという。
データを独占して論文を発表する――岡田さんは声を震わせて怒っておられということです。
岡田さんはマールブルク大学のウィルス研究所に留学した方で、初期の著作『人類VS感染症』(岩波ジュニア新書)は確かマールブルク駅前にある聖エリザベート教会に祀られているエリザベートの話から始まっていたはずです(今引っ越しの準備でその本を段ボール箱に詰めてしまった)。
エリザベートはお妃さまでしたが、ハンセン病者の救済に身を捧げ若くして亡くなり、カトリックの聖人とされた人でした。
そういう人をご自分の(たぶん)最初の一般的な著作の最初に持ってきたのは、感染症の研究は一人でも多くの人を感染から守りたいとご自分の研究のよって立つ根本を確認するためであったと思います。
データを独占して論文を書くためではないということですね。
表紙もハンセン病者を抱きかかえるエリザベートの石像だったはずです。
どうしてこういうことを宗教学のワタクシ・カドワキが知っているかというと、マールブルク大学で「仏教とキリスト教の対話」の研究会をやった時に、この岡田先生のエリザベート紹介を紹介しながら発表したからです(その記録も現在段ボールのなか)。
その発表を活字化したものができたとき岡田先生にお送りしようかなと思いましたが、突然、宗教学の論文が送られてきてもお困りであろうと、よしたのでした。
というわけで、その論文は送りませんが、マールブルク経由で京都からエールを送るというわけなのでした。
2020年02月24日
ありがとうございました――我が「最終講義」、ともかく終わる
去る22日のカドワキの「最終講義」は、いろんな方々のおかげをもちまして、とにもかくにもナントカ終えることができました。
あらためて御礼申し上げます。
コロナ禍の中での集まりでしたが、三人掛けの机に両端に二人座って教室全体が埋まるという絶妙の人数で開催できました。
あれ以上多いと感染を気にしなければならず、またあれより少ないとちょっと悲しい・・・そうならない絶妙の人数でした。
話の方は、少し固有名詞が多すぎるとのお叱りを受けましたが、皆さまをぐっすり眠らせるということはなかったようで、ま、カドワキとしては上出来ということにしたいと思います。
が、メモを忘れたおかげで、あとで言い忘れたことをあれこれと思い出し、悶えながら眠れぬ夜を過ごさねばなりませんでした。
藤枝先生をはじめ準備てくださった方々、参加してくださった方々、そしてコロナやその他の事情できなかった方々、ありがとうございました。
また、どこかでお会いしましょう。
その時まで、ごきげんよう、さようなら。
といいつつ、pilz先生からお許しを得ているので、このブログは退職しても書きますけど・・・
あらためて御礼申し上げます。
コロナ禍の中での集まりでしたが、三人掛けの机に両端に二人座って教室全体が埋まるという絶妙の人数で開催できました。
あれ以上多いと感染を気にしなければならず、またあれより少ないとちょっと悲しい・・・そうならない絶妙の人数でした。
話の方は、少し固有名詞が多すぎるとのお叱りを受けましたが、皆さまをぐっすり眠らせるということはなかったようで、ま、カドワキとしては上出来ということにしたいと思います。
が、メモを忘れたおかげで、あとで言い忘れたことをあれこれと思い出し、悶えながら眠れぬ夜を過ごさねばなりませんでした。
藤枝先生をはじめ準備てくださった方々、参加してくださった方々、そしてコロナやその他の事情できなかった方々、ありがとうございました。
また、どこかでお会いしましょう。
その時まで、ごきげんよう、さようなら。
といいつつ、pilz先生からお許しを得ているので、このブログは退職しても書きますけど・・・
2020年02月22日
門脇健教授 謝恩会について(お知らせ)
門脇ゼミの卒業生や大学院の指導学生には郵便ですでにお知らせしておりますが、郵便での案内状が「転居先不明」で戻ってきているものがあります。「ゼミ卒生だけど案内が届いていない!」という方はご連絡下さい。
もちろん、ゼミ卒生のかた以外でも、門脇先生にご縁のあるかた全てが謝恩会にご参加頂けますので、奮ってお申し込み下さい。ぜひ一緒に門脇先生を囲んで語らいましょう。
謝恩会
日 時:2020年2月22日(土)17時から19時 (会費は郵便振替での事前払い込みになっております。予約の人数を確定させる都合がございますので、どうかご了承ください。)
詳細は添付ファイルをご覧下さい。沢山の方々のご参加をお待ちしております。
(WEB版)門脇健教授のご退任にともなう最終講義および謝恩会のご案内.pdf
連絡先:
藤枝真 (哲学科宗教学・死生学コース 教員)
〒603-8143 京都市北区小山上総町 大谷大学
fujieda[アットマーク]res.otani.ac.jp
もちろん、ゼミ卒生のかた以外でも、門脇先生にご縁のあるかた全てが謝恩会にご参加頂けますので、奮ってお申し込み下さい。ぜひ一緒に門脇先生を囲んで語らいましょう。
謝恩会
日 時:2020年2月22日(土)17時から19時 (会費は郵便振替での事前払い込みになっております。予約の人数を確定させる都合がございますので、どうかご了承ください。)
詳細は添付ファイルをご覧下さい。沢山の方々のご参加をお待ちしております。
(WEB版)門脇健教授のご退任にともなう最終講義および謝恩会のご案内.pdf
連絡先:
藤枝真 (哲学科宗教学・死生学コース 教員)
〒603-8143 京都市北区小山上総町 大谷大学
fujieda[アットマーク]res.otani.ac.jp
門脇健教授 退任講演について(お知らせ)
ブログをお読みいただいているみなさまに、お知らせです。長く大谷大学哲学科の教員として哲学科を支えてきてくださった、また、このブログもひとりで支えてきてくださった(これからもよろしくお願いします)CKPこと門脇健先生が、3月末をもって定年退職されます。つきましては以下のとおり、門脇先生の退任講演を大谷大学にて実施する予定です。みなさまのご来聴をお待ちしております。
日時: 2020年2月22日(土) 14:00-15:30
講演題目:
「想えば遠くに来たもんだ――ヘーゲル、ハムレットそれに親鸞が出会うところ」
会場: 慶聞館 K204教室
※ご退任謝恩会については、追って告知します。
日時: 2020年2月22日(土) 14:00-15:30
講演題目:
「想えば遠くに来たもんだ――ヘーゲル、ハムレットそれに親鸞が出会うところ」
会場: 慶聞館 K204教室
※ご退任謝恩会については、追って告知します。
2020年02月20日
不要不急ではありますが・・・カドワキ最終講義やります
日本全体、コロナでえらいことになっています。
テレビを見ているとこりゃ最終講義は中止か?と思ってしまいます。
が、京都は人もまばらでかえって動きやすいです。
お上からは不要不急の集まりは避けるようにお達しが出ております。
が、それほど人が密集することのないであろうということで、カドワキの最終講義やそのあとの懇親会は予定通り開催するようです。
ひょっとして中止を期待していたので、話がさっぱりまとまっていません。
話にはあんまり期待しないで、懐かしい同窓生との再会を楽しんでいただければ、不要不急のカドワキとしてはうれしいです。
が、道中くれくれも気を付けて!
テレビを見ているとこりゃ最終講義は中止か?と思ってしまいます。
が、京都は人もまばらでかえって動きやすいです。
お上からは不要不急の集まりは避けるようにお達しが出ております。
が、それほど人が密集することのないであろうということで、カドワキの最終講義やそのあとの懇親会は予定通り開催するようです。
ひょっとして中止を期待していたので、話がさっぱりまとまっていません。
話にはあんまり期待しないで、懐かしい同窓生との再会を楽しんでいただければ、不要不急のカドワキとしてはうれしいです。
が、道中くれくれも気を付けて!
2020年02月07日
グダグダ――最後の卒論試問も終わりました
先週、最後の卒論試問が終りました。
「ああ、これで卒論試問も、もうやらなくていいんだ〜」と思いながらサンダーバードに乗ったら、力がぬけて、翌日からぐだぐだぐずぐずになってしまいました。
鷲田先生の講演会には何とか出かけましたが、翌日からまたもやぐだぐだぐずぐず。
よほど緊張して卒論試問をやっていたのでしょうか?
もう少し事前に指導しておれば、今年ももっといい卒論になったと後悔しつつ試問をするから疲れるのでしょうか?
しかし、事前指導をするとどうしてはワタクシの解釈を押し付けてしまうし・・・ということで放任主義をとってきたことの後ろめたさが、緊張をもたらしたのでしょうか?
が、いずれにしてもこれでおわり・・・・
なのですが、まだレポート採点が残っていました。
退任記念の全員合格!の太っ腹で臨んだのですが、どう読んでも「単位は要りません」としてしか読めないレポートがありまして…退任記念全員合格!の夢はむなしく崩れましたとさ。
「ああ、これで卒論試問も、もうやらなくていいんだ〜」と思いながらサンダーバードに乗ったら、力がぬけて、翌日からぐだぐだぐずぐずになってしまいました。
鷲田先生の講演会には何とか出かけましたが、翌日からまたもやぐだぐだぐずぐず。
よほど緊張して卒論試問をやっていたのでしょうか?
もう少し事前に指導しておれば、今年ももっといい卒論になったと後悔しつつ試問をするから疲れるのでしょうか?
しかし、事前指導をするとどうしてはワタクシの解釈を押し付けてしまうし・・・ということで放任主義をとってきたことの後ろめたさが、緊張をもたらしたのでしょうか?
が、いずれにしてもこれでおわり・・・・
なのですが、まだレポート採点が残っていました。
退任記念の全員合格!の太っ腹で臨んだのですが、どう読んでも「単位は要りません」としてしか読めないレポートがありまして…退任記念全員合格!の夢はむなしく崩れましたとさ。
2020年01月31日
明日(2月1日)鷲田清一先生のご講演――今ごろ言っても遅かりし由良助なのですが
明日2月1日、大谷大学の開学記念式典で鷲田清一先生の「大谷大学最終講義」があります。
鷲田先生、大谷大学の客員教授だったんですね, ご存知でしたか?
午後一時からの記念式典(勤行です)のあと記念講演。
タイトルは「哲学:デモクラシーのレッスン(Philosophy To The People)」
この( )については、『語りきれないこと』(角川新書)にこんなことを書かれています。
「(哲学とは)市民一人ひとりがまさに『教養』としてもつべき哲学の思考とその問いのまなざしのことです。ジョン・レノンの歌、Power To The Peopleのタイトルをもじって、Philosophy To The Peopleをめざす活動、それが臨床哲学の名でやろうとしていることです。」(174頁)
聴講自由ですから、暖かくして、どうぞ。
鷲田先生、大谷大学の客員教授だったんですね, ご存知でしたか?
午後一時からの記念式典(勤行です)のあと記念講演。
タイトルは「哲学:デモクラシーのレッスン(Philosophy To The People)」
この( )については、『語りきれないこと』(角川新書)にこんなことを書かれています。
「(哲学とは)市民一人ひとりがまさに『教養』としてもつべき哲学の思考とその問いのまなざしのことです。ジョン・レノンの歌、Power To The Peopleのタイトルをもじって、Philosophy To The Peopleをめざす活動、それが臨床哲学の名でやろうとしていることです。」(174頁)
聴講自由ですから、暖かくして、どうぞ。
2020年01月23日
私の耳は後ろ向き――想えば遠くに来たもんだ
わたくしカドワキの最終講義のご案内が告知されてしまいました。
「最終講義」って言うのは、その人の学問の集大成というのがふつうですけど、そんな立派なお話はできそうもありません。
「想えば」の部分がほとんどの与太話になりそうな気がします。
そうなっても怒らないでくださいね。
でも、ゼミであんまりきちんと指導しなかったから、どれだけの卒業生が来てくれるのか心配です。
閑古鳥が激しく泣いている教室が思い浮かびます。
卒業生でなくても、ちょっと覗いてみてくださいね。
鷲田清一先生も「その日だったら行くよ」と言ってくださっていますので、わっしーのご尊顔を拝見するというのでもいいから来てください。
しかし、Pilz先生が特殊技術で書き込んでくださった上の告知、来月の22日までは追い抜けないみたいです。
なんだか亀を追いかけるアキレスのような気分ですな。
という訳で、去年聴いたCD案内ですが・・・
この頃はもう新譜を聴くことがほとんどなくなりました。
その新譜も、お年寄りばかり。
まずは『105歳の現役ピアニスト、コレット・マズ』というCD。
一瞬キワモノかと思いましたが、評判が良いので聴いてみました。
ドビッシーやサティをゆったりと、しかし確かなテンポで弾いています。
決して「味わいで勝負」という弾き方ではありません。
妙に情緒過多になることなく、さらっと弾いているのですが、なんとも心地よい。
サティなんかは、今まで聴いたどのピアニストよりもしっくりきました。
サティやドビッシーと同時代人とまで言えないようですが、そのころの雰囲気を幾分か伝えてくれているような気がします。
次は、たしか70歳を越えたブルース・スプリングスティーンの『ウェスタン・スターズ』というアルバム。
Eストリート・バンド抜きの、それもウェスタンを唄うスプリングスティーンというのでちょっと躊躇しましたが、ジャケットがかっこいいのでLPレコードで買いました。
これが、淡々としていて年相応というのはこういうことか、というアルバム。
どこかNHKの「72時間」を思わせるような、いろんな人生が唄われていて、ちょっとしんみりしながら聴いています。
そして、柳家小三治師匠の朝日名人会ライブシリーズ。
『あのひととっても困るのよ』は以前ご紹介しましたが、落語では『青菜/鰻の幇間』をよく聴いています。
これを、この間「折々のことば」で紹介されていた『どこからお話しましょうか 柳家小三治自伝』を合わせて聴くと、面白さが一段とアップましたよ。
後は、もうほとんど古レコード。
昨年は、懐かしい懐かしいボレンボイムが弾くモーツァルトの17番のピアノ協奏曲のオリジナル盤を、京都は四条烏丸のラ・ヴォーチェで手に入れることが出来ました。
中学生か高校生の時、吉田秀和さんのラジオ番組で聴いたレコード。
何故17番の協奏曲が好きだったのかすっかり忘れていましたが、このレコードをお店で手にしたとき吉田さんの「では、ダニエル・バーレンボイムの演奏で・・・」という声を思い出しました。
というわけで、「私の私の耳わー、後ろ向き」なのでした(もちろん「わたしのわたしの彼わー、チャッチャッ、左利き」を踏まえています)。
「最終講義」って言うのは、その人の学問の集大成というのがふつうですけど、そんな立派なお話はできそうもありません。
「想えば」の部分がほとんどの与太話になりそうな気がします。
そうなっても怒らないでくださいね。
でも、ゼミであんまりきちんと指導しなかったから、どれだけの卒業生が来てくれるのか心配です。
閑古鳥が激しく泣いている教室が思い浮かびます。
卒業生でなくても、ちょっと覗いてみてくださいね。
鷲田清一先生も「その日だったら行くよ」と言ってくださっていますので、わっしーのご尊顔を拝見するというのでもいいから来てください。
しかし、Pilz先生が特殊技術で書き込んでくださった上の告知、来月の22日までは追い抜けないみたいです。
なんだか亀を追いかけるアキレスのような気分ですな。
という訳で、去年聴いたCD案内ですが・・・
この頃はもう新譜を聴くことがほとんどなくなりました。
その新譜も、お年寄りばかり。
まずは『105歳の現役ピアニスト、コレット・マズ』というCD。
一瞬キワモノかと思いましたが、評判が良いので聴いてみました。
ドビッシーやサティをゆったりと、しかし確かなテンポで弾いています。
決して「味わいで勝負」という弾き方ではありません。
妙に情緒過多になることなく、さらっと弾いているのですが、なんとも心地よい。
サティなんかは、今まで聴いたどのピアニストよりもしっくりきました。
サティやドビッシーと同時代人とまで言えないようですが、そのころの雰囲気を幾分か伝えてくれているような気がします。
次は、たしか70歳を越えたブルース・スプリングスティーンの『ウェスタン・スターズ』というアルバム。
Eストリート・バンド抜きの、それもウェスタンを唄うスプリングスティーンというのでちょっと躊躇しましたが、ジャケットがかっこいいのでLPレコードで買いました。
これが、淡々としていて年相応というのはこういうことか、というアルバム。
どこかNHKの「72時間」を思わせるような、いろんな人生が唄われていて、ちょっとしんみりしながら聴いています。
そして、柳家小三治師匠の朝日名人会ライブシリーズ。
『あのひととっても困るのよ』は以前ご紹介しましたが、落語では『青菜/鰻の幇間』をよく聴いています。
これを、この間「折々のことば」で紹介されていた『どこからお話しましょうか 柳家小三治自伝』を合わせて聴くと、面白さが一段とアップましたよ。
後は、もうほとんど古レコード。
昨年は、懐かしい懐かしいボレンボイムが弾くモーツァルトの17番のピアノ協奏曲のオリジナル盤を、京都は四条烏丸のラ・ヴォーチェで手に入れることが出来ました。
中学生か高校生の時、吉田秀和さんのラジオ番組で聴いたレコード。
何故17番の協奏曲が好きだったのかすっかり忘れていましたが、このレコードをお店で手にしたとき吉田さんの「では、ダニエル・バーレンボイムの演奏で・・・」という声を思い出しました。
というわけで、「私の私の耳わー、後ろ向き」なのでした(もちろん「わたしのわたしの彼わー、チャッチャッ、左利き」を踏まえています)。
2020年01月20日
26の瞳――カドワキ、最後のゼミコンパ
先週の木曜日、ゼミのコンパを開催しました。
いつもの年なら4回生の「追い出しコンパ」なのですが、今年は、私が来年からゼミを担当することはないので、「ゼミ解散コンパ」ということになりました。
わたしの「定年退職」という都合でゼミを解散するので、私自身がコンパの幹事をいたしました。
欠席は急用の一名と急病の一名。
で26の瞳が22の瞳になりました。
そしたら、この22の瞳たちが、「先生、お世話になりました」と小さな花束(サンダーバードに持ち込みやすいように)と記念品(ステンレス製?の魔法瓶みたいなカップ)を帰り際に渡してくれました。
そんな素振りなど一切なかったので、ビックリの大感激。
こんなええ加減な教師でごめんね。
が、それだけに皆さん十分に独り立ちできました!
改めて、ありがとう!!!
いつもの年なら4回生の「追い出しコンパ」なのですが、今年は、私が来年からゼミを担当することはないので、「ゼミ解散コンパ」ということになりました。
わたしの「定年退職」という都合でゼミを解散するので、私自身がコンパの幹事をいたしました。
欠席は急用の一名と急病の一名。
で26の瞳が22の瞳になりました。
そしたら、この22の瞳たちが、「先生、お世話になりました」と小さな花束(サンダーバードに持ち込みやすいように)と記念品(ステンレス製?の魔法瓶みたいなカップ)を帰り際に渡してくれました。
そんな素振りなど一切なかったので、ビックリの大感激。
こんなええ加減な教師でごめんね。
が、それだけに皆さん十分に独り立ちできました!
改めて、ありがとう!!!
2020年01月11日
遅ればせながら――2020年の年頭のご挨拶
皆さま、2020年、あけましておめでとうございます。
ゴーンは逃亡するは、イランとアメリカは一触即発状態になるは、波乱の幕開けでございます。
ホント、世界はどうなるのでしょう?
その世界を考えるために、去年に読んだ本のベスト3は?!
と言っても、あんまり読んでいないのですが・・・
1. 金子夏樹『リベラルを潰せ 世界を覆う保守ネットワークの正体』(新潮新書、2019年1月)。
この「保守ネットワーク」というのは「世界家族会議」という組織。家族を大事にしましょう、ということで問題ないように思われるのでありますが、これがトンデモナイ反動団体でトランプともプーチンともつながっている。つまり、「LGBTなんかを認めることによって、正しい家族制度を破壊するリベラル」をぶっ潰せ!と強力なネットワークを世界中に張り巡らせている組織なんだそうです。
「家族は大切」という、ある意味当たり前なことを看板にしているから、じわじわと世界中に広がっている様子が描かれていてぞーっとしましたよ。
この本も、この組織のことも、あまり話題になっていないのは何故でしょう?
2、鹿島茂『〔新版〕吉本隆明1968』(平凡社ライブラリー版)
もとは平凡社新書で、そのとき買ったのですが、もひとつノレなかったのでどこかに行ってしまった。ところがいつのまにかライブラリー版になっていて、その表紙の赤と黒に縁取りされた吉本のポートレートがかっこいいのでまた買ってしまって読みだしたら、一気に読み通してしまいました。
なんか、うまくリズムがあったんでしょうね。
基本的に「転向論」を読み解いているのですが、それが家族・生い立ち・出身階層という観点から丁寧に読み込まれているので、上に紹介した本と読むと大変面白い。
つまり、世界家族会議がじわじわと力を持ってきたのは、西洋近代の個人主義が封建的家族制度に屈伏したという形の「転向」と読めるわけです。今更に、そのような家族制度にどのように向き合うかという問題を吉本的なまなざしで考えることをせにゃいかんなーと考えた次第。
『リベラルを潰せ!』を読んでいたから、うまくリズムがあったのかもしれません。
2. 片山杜秀『線量計と機関銃』(アルテスパブリッシング)
これもずいぶん前に出た本ですが、ことし読んで圧倒された本です。
内容は、5月にこのブログで紹介していますのでそちらを見てくださいね。
もちろんタイトルは「セーラー服と機関銃」を意識しています。
ゴーンは逃亡するは、イランとアメリカは一触即発状態になるは、波乱の幕開けでございます。
ホント、世界はどうなるのでしょう?
その世界を考えるために、去年に読んだ本のベスト3は?!
と言っても、あんまり読んでいないのですが・・・
1. 金子夏樹『リベラルを潰せ 世界を覆う保守ネットワークの正体』(新潮新書、2019年1月)。
この「保守ネットワーク」というのは「世界家族会議」という組織。家族を大事にしましょう、ということで問題ないように思われるのでありますが、これがトンデモナイ反動団体でトランプともプーチンともつながっている。つまり、「LGBTなんかを認めることによって、正しい家族制度を破壊するリベラル」をぶっ潰せ!と強力なネットワークを世界中に張り巡らせている組織なんだそうです。
「家族は大切」という、ある意味当たり前なことを看板にしているから、じわじわと世界中に広がっている様子が描かれていてぞーっとしましたよ。
この本も、この組織のことも、あまり話題になっていないのは何故でしょう?
2、鹿島茂『〔新版〕吉本隆明1968』(平凡社ライブラリー版)
もとは平凡社新書で、そのとき買ったのですが、もひとつノレなかったのでどこかに行ってしまった。ところがいつのまにかライブラリー版になっていて、その表紙の赤と黒に縁取りされた吉本のポートレートがかっこいいのでまた買ってしまって読みだしたら、一気に読み通してしまいました。
なんか、うまくリズムがあったんでしょうね。
基本的に「転向論」を読み解いているのですが、それが家族・生い立ち・出身階層という観点から丁寧に読み込まれているので、上に紹介した本と読むと大変面白い。
つまり、世界家族会議がじわじわと力を持ってきたのは、西洋近代の個人主義が封建的家族制度に屈伏したという形の「転向」と読めるわけです。今更に、そのような家族制度にどのように向き合うかという問題を吉本的なまなざしで考えることをせにゃいかんなーと考えた次第。
『リベラルを潰せ!』を読んでいたから、うまくリズムがあったのかもしれません。
2. 片山杜秀『線量計と機関銃』(アルテスパブリッシング)
これもずいぶん前に出た本ですが、ことし読んで圧倒された本です。
内容は、5月にこのブログで紹介していますのでそちらを見てくださいね。
もちろんタイトルは「セーラー服と機関銃」を意識しています。
2019年12月24日
記憶が捏造されそー――『いだてん』効果?
『いだてん』とうとう終わっちゃいました。
実は、わりと本気で見ていました。
とりわけ関東大震災のあたりからグイグイ面白くなってきて、戦中の東京オリンピック返上あたりが最高かな、と思っていたら1964の東京オリンピックへ向かうあたりもクドカンらしくしっかり描いておりました。
非大河的大河ドラマとしてよくできていたと思います。
が、最終回に聖火リレーの話が出てきたのですが、それを見ているうちに、なんだか私も聖火リレーに参加したような記憶がよみがえってくるのです。
年代的に調べると、小学生の私は聖火リレーに出ているはずはありません。
しかし、その3年後の福井国体の旗リレーに出ているのは確実です。
ところが、それがどうしても聖火リレーと重なってしまい、聖火リレーに参加したのは真実ではないだろうか・・・と思い始めているのです。
記憶というのは、ええ加減なものです。
内田樹×平川克己の『沈黙する知性』という対談本などでは、内田先生の性格を表す小学生の時のエピソードを内田先生本人は忘れているが平川氏は覚えている。
その逆もあるのですが、果たしてその記憶は事実なのでしょうか?
個人史の記憶というのはけっこういい加減なのかもしれませぬ。
実は、わりと本気で見ていました。
とりわけ関東大震災のあたりからグイグイ面白くなってきて、戦中の東京オリンピック返上あたりが最高かな、と思っていたら1964の東京オリンピックへ向かうあたりもクドカンらしくしっかり描いておりました。
非大河的大河ドラマとしてよくできていたと思います。
が、最終回に聖火リレーの話が出てきたのですが、それを見ているうちに、なんだか私も聖火リレーに参加したような記憶がよみがえってくるのです。
年代的に調べると、小学生の私は聖火リレーに出ているはずはありません。
しかし、その3年後の福井国体の旗リレーに出ているのは確実です。
ところが、それがどうしても聖火リレーと重なってしまい、聖火リレーに参加したのは真実ではないだろうか・・・と思い始めているのです。
記憶というのは、ええ加減なものです。
内田樹×平川克己の『沈黙する知性』という対談本などでは、内田先生の性格を表す小学生の時のエピソードを内田先生本人は忘れているが平川氏は覚えている。
その逆もあるのですが、果たしてその記憶は事実なのでしょうか?
個人史の記憶というのはけっこういい加減なのかもしれませぬ。