ハイ、こんにちわ。
今年もお待ちかねのマイ・ベストCDの季節がやってまいりました。
今年のベストは何といっても、マウリッツィオ・ポリーニの「バッハ:平均律クラヴィーア曲集第一巻」でしょう。
24曲がそれぞれの小宇宙を形作っているのが、よく分かる演奏です。
プロテスタント的峻厳さを求める方は少しご不満でしょうが、ま、いいじゃないですか、こういうおおらかなバッハも。
集中して聴いても面白いし、軽く読書のバックグランドに流しておくのもよし。
これで決まりと思っていたら、もう一枚、最近聴いたウィリー・ネルソンの「American Klassic」がよい。
カントリー畑の大御所ウィリー・ネルソンが、「ニアネス・オブ・ユー」とか「君住む街角」などのジャズのスタンダード・ソングを唄う。
これが、何ともいい味なのであります。
レーベルはなんとブルーノート。
その昔、確か同じような企画のLP「スター・ダスト」が出たころ、O木君と彼のコンサートに行ったことがあるんですが、そのときの彼のつまびくギターに、二人してびっくりしたことを思い出します。
古い傷だらけのガット・ギターをポロンポロンと弾くのですが、それがものすごい説得力。
腰を抜かすほど驚きました。
O木君は「アメリカの田端義夫や」と訳の分からんことを言いながら喜んでいました。
確かにウィリー・ネルソンの声は民謡系の声、田端義夫、三橋美智也、春日八郎、小林旭の系統の声。
それがジャズのスタンダードを唄うと、なんとも言えん味わいが醸し出されるのです。
これもじっくり聴いてよし、安酒場の隅で薄く流れているのを聞くのもよしの名盤であります。
バーボンなんぞ飲みながらこれを聴いていると、「ここで野垂れ死にしてもいいかな」などと思ってしまうような歌声であります。
(もっとも、私の場合、あまり飲めないし、最近冷え性なので「養命酒」をやってますど。クイッ)
番外編として村治佳織のギターソロの小品を集めた「ポートレイツ」。
親しみやすい小品が、しかしクラシックギターの確かなテクニックを通して、懐かしく聴くことができます。
が、「番外編」としたのは、同志諸君、な、なんと、その小品の一曲が「インターナショナル」なのであります。
「立てー、飢えたる者よー」のあの「インターナショナル」なのであります。
村治佳織はコミンテルンの回し者か?と一瞬思いましたが、どうも武満徹がギター用に編曲した曲集の一曲として演奏しているようです(もちろん、それにかこつけて、インターナショナルを普及しようとしているのではないか、という疑いはぬぐえません)。
これはタヌキ先生に教えてもらったCDで、それを聴いて、オジサンはDVD付きの限定版を買おうかな、と思案中です。
2009年12月02日
一言入魂――「大谷文芸奨励賞」、哲学科学生、他学科を圧倒!
本日、「大谷文芸奨励賞」の表彰式があった。
「未来のわたしへ」というテーマのもとで、50字以内の文章を書くというもの。
最優秀賞1名、優秀賞2名、佳作8名あわせて11名の入賞者のうち、何と哲学科の学生は6名。
実に半数以上である。
学生部長も「なんで哲学科ばかり・・・」と首をひねっておられた。
ほんと、なんででしょう?
教員の方は文学の香りとはほど遠く、私なぞは「優秀賞は5万円の奨学金がもらえる。5万円を50字で割れば、1字1000円!応募しないという手はない!」と意地汚い動機付けを行っている。
あんまり教員が意地汚いので、逆に学生諸君が崇高な文学魂に目覚めるのであろうか?
いずれにせよ、50字という極めて制限された字数で何かを表現しようとして言葉を紡ぎ出した時、その言葉に触発されるということが起こったのだろう。
「考える」ということは、言葉抜きにはあり得ないということに気がつく、ということが起こっているように思う。
そう言えば、芥川賞の津村記久子さんも哲学科志望だったとか。
御縁がなくて哲学科に来れなかったので、「大谷文芸奨励賞」は取れなかった。
残念でした。
「未来のわたしへ」というテーマのもとで、50字以内の文章を書くというもの。
最優秀賞1名、優秀賞2名、佳作8名あわせて11名の入賞者のうち、何と哲学科の学生は6名。
実に半数以上である。
学生部長も「なんで哲学科ばかり・・・」と首をひねっておられた。
ほんと、なんででしょう?
教員の方は文学の香りとはほど遠く、私なぞは「優秀賞は5万円の奨学金がもらえる。5万円を50字で割れば、1字1000円!応募しないという手はない!」と意地汚い動機付けを行っている。
あんまり教員が意地汚いので、逆に学生諸君が崇高な文学魂に目覚めるのであろうか?
いずれにせよ、50字という極めて制限された字数で何かを表現しようとして言葉を紡ぎ出した時、その言葉に触発されるということが起こったのだろう。
「考える」ということは、言葉抜きにはあり得ないということに気がつく、ということが起こっているように思う。
そう言えば、芥川賞の津村記久子さんも哲学科志望だったとか。
御縁がなくて哲学科に来れなかったので、「大谷文芸奨励賞」は取れなかった。
残念でした。
2009年11月30日
全力疾走――『坂の上の雲』と『坊ちゃん』
昨日、NHKの『坂の上の雲』を全部観てしまった。
別に司馬遼太郎の小説のファンというわけではない。
それどころか司馬遼太郎の小説もエッセイもひとつも読んだことがない。
司馬ファンの叔父さんの説教がうるさかったからである。
司馬文学というのは、どうもオジサンの説教のネタになりやすいらしい――ということで今日まで読まずに生きてきた。
それにいまどきなんで「日露戦争」なの?
しかし、モッくん(本木雅弘)ファンとしては観ておかねばなるまい――と思って観出したら、面白くて、結局、一時間半観てしまった。
面白かった。
登場人物が、全力疾走するのが気持ちよい。
どうも演出のコンセプトが、坂の上への全力疾走ということらしい。
明治の青年の全力疾走が気持ちいい。
松山藩出身の青年たち、秋山兄弟と正岡子規が疾走する。
が、この気持ちよさ、スピード感に既視感がある――と思ったら、松山、正岡子規とくれば夏目漱石『坊ちゃん』である。
が、『坊ちゃん』に出てくる松山藩士は哀れな「うらなり」君であった。
江戸の旗本出身の「坊ちゃん」と「会津っぽ」の「山嵐」が、「うらなり」君の仇を討つスピード感が気持ちいい。
が、彼らは、職をなくして、「不浄な土地」松山を離れるだけなのだが・・・
「坂の上」へ全力疾走で駆け上がる青年と、上へ行くことをあきらめた「坊ちゃん」のまっすぐなスピード感。
『坂の上の雲』は、『坊ちゃん』を傍らにおいて読もうと思う。
あるいは、山田風太郎の『幻燈辻馬車』や『明治波濤歌』とともに読もうと思う。
ところで、不思議なことに、日露戦争の約2年後に書かれた『坊ちゃん』には、日露戦争の祝勝会の様子は出てくるが、日露戦争そのものに関する漱石の感想は出てこない。
ただひたすら「奸物」赤シャツらの悪行が記されるだけである。
別に司馬遼太郎の小説のファンというわけではない。
それどころか司馬遼太郎の小説もエッセイもひとつも読んだことがない。
司馬ファンの叔父さんの説教がうるさかったからである。
司馬文学というのは、どうもオジサンの説教のネタになりやすいらしい――ということで今日まで読まずに生きてきた。
それにいまどきなんで「日露戦争」なの?
しかし、モッくん(本木雅弘)ファンとしては観ておかねばなるまい――と思って観出したら、面白くて、結局、一時間半観てしまった。
面白かった。
登場人物が、全力疾走するのが気持ちよい。
どうも演出のコンセプトが、坂の上への全力疾走ということらしい。
明治の青年の全力疾走が気持ちいい。
松山藩出身の青年たち、秋山兄弟と正岡子規が疾走する。
が、この気持ちよさ、スピード感に既視感がある――と思ったら、松山、正岡子規とくれば夏目漱石『坊ちゃん』である。
が、『坊ちゃん』に出てくる松山藩士は哀れな「うらなり」君であった。
江戸の旗本出身の「坊ちゃん」と「会津っぽ」の「山嵐」が、「うらなり」君の仇を討つスピード感が気持ちいい。
が、彼らは、職をなくして、「不浄な土地」松山を離れるだけなのだが・・・
「坂の上」へ全力疾走で駆け上がる青年と、上へ行くことをあきらめた「坊ちゃん」のまっすぐなスピード感。
『坂の上の雲』は、『坊ちゃん』を傍らにおいて読もうと思う。
あるいは、山田風太郎の『幻燈辻馬車』や『明治波濤歌』とともに読もうと思う。
ところで、不思議なことに、日露戦争の約2年後に書かれた『坊ちゃん』には、日露戦争の祝勝会の様子は出てくるが、日露戦争そのものに関する漱石の感想は出てこない。
ただひたすら「奸物」赤シャツらの悪行が記されるだけである。
2009年11月26日
ローマのヒッチコック(その3)――う、う、動けない・・・・
足を骨折してギプスをすることになり車椅子生活を余儀なくされている方に、お見舞いとしてヒッチコックの『裏窓』のDVDをお貸しすることを思いついた。
『裏窓』の主人公がギプス・車椅子生活のカメラマンだからである。
お貸しする前に内容の少しだけ観ようと思って観だしたら、全部観てしまった。
面白い!
この映画にはヒッチコックのテーマの一つである「身動きできない」という事態が、鮮やかに描かれている。
ギプス生活という物理的要因が主人公の生活行動を規定してしまう。
部屋から出ることができない。
恐ろしく退屈である。
よって、まわりのアパートの「のぞき」をする。
そのうちに、そこに殺人事件をかぎつける・・・
しかし、「身動きできない」というのは、我々の日常生活でのあり方でもある。
確かに、我々はふつう自由に身動きできるように見える。物理的障害を得ていない限り自由に身動きできていると思っている。
しかし、我々の不可視のギプスががちっと拘束しているのである。
我々には、いくら健常でも、眼は二つしかないし、手も足も二本しかない。運動能力も限られている。そのような拘束の中で動いているだけである。
このような物理的拘束のほかに、精神的拘束もある。
それをマルクスはイデオロギーと言った。
フェニミズムはジェンダーと言った。
よき市民であれ、よき男であれ、よき女であれ、という無言の拘束が我々の行動を「身動きできない」ものとしている。つまり、それ以外の行動をとることがあらかじめ封じらているのである。
これらは時代や地域によって異なるものであり、変革の余地はあるのだろう。
しかし、たとえば言語使用という人間の条件を変更することは恐らくできない。
我々は言語を使用している以上、言語以外の言語的コミュニケーション手段を思いつくことはできない(狼煙やモールス信号も、言語の代替物でしかない)。
人間が言語を獲得したからコミュニケーションが可能になったのか、コミュニケーションをするから言語が生まれたのかは分からない。
しかし、今の我々は言語以外での言語的コミュニケーション手段を知らない。
おそらく、言語を獲得することで、我々は何かを失ったはずである。何かを抑圧したはずである。
ヒッチコックの映画を見ていると、そのように人間が拘束された存在であることがよく分かる。
おそらく、ヒッチコックやチャップリンなど無声映画からトーキーへの変化を経験した映画人とって、人間が言語を話すということが一種の「拘束」として強烈に経験されているのであろう。
トーキーになったら、アクションだけの映画は封じられてしまったのである。
言語を直接に使用しないと人間が描けない、という奇妙な制限に直面したのである。
そのような目で『ローマの休日』を観ると、ワイラー監督がなぜラストシーンである新聞記者にヒッチコックと名乗らせたのかがよく分かる。
この物語の主人公たちは、常に「身動きできない」状態で描かれているのである。
王女さまは、王女様らしく振舞わなければならない。パジャマで寝る、まして何も着ないで寝るなんてことはとんでもございません。
街に出た王女さまは、女学生としてふるまう。You may sit downなどという宮廷言葉を使ってしまうけれども。
その王女の特ダネを狙う新聞記者も、王女に会社員であると嘘をついた以上、会社員としてふるまわなければならない。
二人ともばれないかとドキドキしている。だから、恋に落ちる(@池谷裕二理論)
そしてラストシーン。
そこで二人ははじめて王女と新聞記者として向き合う。
したがって、それ以外の行動はとれない。
しかしそれゆえに、ヒッチコック記者をはじめとするほかの記者をだましながらの別れの挨拶はよけいに切ないものとなるのであった。
ナチスのスパイの屋敷に送り込んだアメリカのスパイ(イングリット・バーグマン
)をその屋敷から救出するヒッチコックの『汚名』のラストシーンや『北北西に進路をとれ』のオークションのシーンも同じ構造をもつ。
あるいは、ヒッチコック映画によく出てくる「落ちる」「落ちそう」もその類であろう。
地上に生きる限り「重力」という拘束を逃れることができない。
ゆえに、おそらくヒッチコック映画や『ローマの休日』は、そのような拘束の中でいかに生きるのかをテーマにしているのであろう。
ゆえに、何度見ても飽きないのであろう(ホント、飽きないです。この間の久しぶりに『めまい』を見て、新発見をしてしまった!)
ところで、『裏窓』の主人公は、映画のラストでは、片足だけだったギプスが両足になってします。
こんな映画を、片足ギプスの方に「お見舞い」で貸していいものだろうか?
ヒッチコック自身、あれは「のぞき」なんかした報いと言っている。
その方の旦那さんならいざ知らず、その方自身はそんなはしたない真似はしないだろうから、たぶん大丈夫だろう。
『裏窓』の主人公がギプス・車椅子生活のカメラマンだからである。
お貸しする前に内容の少しだけ観ようと思って観だしたら、全部観てしまった。
面白い!
この映画にはヒッチコックのテーマの一つである「身動きできない」という事態が、鮮やかに描かれている。
ギプス生活という物理的要因が主人公の生活行動を規定してしまう。
部屋から出ることができない。
恐ろしく退屈である。
よって、まわりのアパートの「のぞき」をする。
そのうちに、そこに殺人事件をかぎつける・・・
しかし、「身動きできない」というのは、我々の日常生活でのあり方でもある。
確かに、我々はふつう自由に身動きできるように見える。物理的障害を得ていない限り自由に身動きできていると思っている。
しかし、我々の不可視のギプスががちっと拘束しているのである。
我々には、いくら健常でも、眼は二つしかないし、手も足も二本しかない。運動能力も限られている。そのような拘束の中で動いているだけである。
このような物理的拘束のほかに、精神的拘束もある。
それをマルクスはイデオロギーと言った。
フェニミズムはジェンダーと言った。
よき市民であれ、よき男であれ、よき女であれ、という無言の拘束が我々の行動を「身動きできない」ものとしている。つまり、それ以外の行動をとることがあらかじめ封じらているのである。
これらは時代や地域によって異なるものであり、変革の余地はあるのだろう。
しかし、たとえば言語使用という人間の条件を変更することは恐らくできない。
我々は言語を使用している以上、言語以外の言語的コミュニケーション手段を思いつくことはできない(狼煙やモールス信号も、言語の代替物でしかない)。
人間が言語を獲得したからコミュニケーションが可能になったのか、コミュニケーションをするから言語が生まれたのかは分からない。
しかし、今の我々は言語以外での言語的コミュニケーション手段を知らない。
おそらく、言語を獲得することで、我々は何かを失ったはずである。何かを抑圧したはずである。
ヒッチコックの映画を見ていると、そのように人間が拘束された存在であることがよく分かる。
おそらく、ヒッチコックやチャップリンなど無声映画からトーキーへの変化を経験した映画人とって、人間が言語を話すということが一種の「拘束」として強烈に経験されているのであろう。
トーキーになったら、アクションだけの映画は封じられてしまったのである。
言語を直接に使用しないと人間が描けない、という奇妙な制限に直面したのである。
そのような目で『ローマの休日』を観ると、ワイラー監督がなぜラストシーンである新聞記者にヒッチコックと名乗らせたのかがよく分かる。
この物語の主人公たちは、常に「身動きできない」状態で描かれているのである。
王女さまは、王女様らしく振舞わなければならない。パジャマで寝る、まして何も着ないで寝るなんてことはとんでもございません。
街に出た王女さまは、女学生としてふるまう。You may sit downなどという宮廷言葉を使ってしまうけれども。
その王女の特ダネを狙う新聞記者も、王女に会社員であると嘘をついた以上、会社員としてふるまわなければならない。
二人ともばれないかとドキドキしている。だから、恋に落ちる(@池谷裕二理論)
そしてラストシーン。
そこで二人ははじめて王女と新聞記者として向き合う。
したがって、それ以外の行動はとれない。
しかしそれゆえに、ヒッチコック記者をはじめとするほかの記者をだましながらの別れの挨拶はよけいに切ないものとなるのであった。
ナチスのスパイの屋敷に送り込んだアメリカのスパイ(イングリット・バーグマン
あるいは、ヒッチコック映画によく出てくる「落ちる」「落ちそう」もその類であろう。
地上に生きる限り「重力」という拘束を逃れることができない。
ゆえに、おそらくヒッチコック映画や『ローマの休日』は、そのような拘束の中でいかに生きるのかをテーマにしているのであろう。
ゆえに、何度見ても飽きないのであろう(ホント、飽きないです。この間の久しぶりに『めまい』を見て、新発見をしてしまった!)
ところで、『裏窓』の主人公は、映画のラストでは、片足だけだったギプスが両足になってします。
こんな映画を、片足ギプスの方に「お見舞い」で貸していいものだろうか?
ヒッチコック自身、あれは「のぞき」なんかした報いと言っている。
その方の旦那さんならいざ知らず、その方自身はそんなはしたない真似はしないだろうから、たぶん大丈夫だろう。
2009年11月24日
ハックション大僧正参上!――それに「なぜ私は今日はスーツにネクタイなのか?」
ある檀家さんのところで「正信偈」(@親鸞)をお勤めしたときのことである。
いい匂いのお線香だなぁ、と仏壇の前に座ったのであるが、ちょっと刺激が強い。
「キーミョームリョージュニョーラーイ」
と、導入部を誦んだところで、鼻を「クン、クン」としたのである。
それを後ろでお参りしているお家の方が「寒いのでは?」と判断したのであろう。
ファン・ヒーターのスイッチを入れ、こちら側に向けてブンブン回してくださったのである。
もう、目いっぱいパワフル、ブンブン。
しかし、今年の「初まわし」らしく、妙に埃りっぽい。
鼻がムズムズしてくる。
ついに、お勤めを止めて、「ハー、ハー、ハーックション」。
それだけならまだいいが、鼻水がズルズル垂れてくる。
両方の鼻の穴から、ジュルジュルと垂れてくる。
それを上唇を突き出しながら受け止めて、後ろ姿は何もないようにお勤めをした。
上唇と突き出しながらのお勤めというのは、なかなか大変なのである。
阿弥陀さんには、鼻水を垂らした我が姿をバッチリ見られてしまった。
地獄で苦しんでいる姿を、お浄土からニヤニヤ眺められている気分であった。
終わった時は、ちり紙で拭って振り返ったが、ホント、こんなところに地獄が出現するとは思わなかった。
ま、嫌いなボーズがやってきた時は、ファン・ヒーターというのはけっこう強力な武器になりますな。
え?じゃ、ワタシ、きらわているんだろうか?
・・・・・・
・・・・・・
それはそうと、今日は、ワタクシ、スーツにネクタイ姿で大学に出ている。。
いつもはジーパンにノーネクタイだから、会う人会う人が「どうしたんですか」と訊いてくる。
いちいち説明している。
あのですね、
日曜に指定校入学生の面接がありまして、下宿からスーツとネクタイして大学に出ていたわけです。
その日は、そのまま実家に帰ったから、普段のジーパンはそこにおいてないからそのままスーツ姿で今日も登校した、というそれだけのことであります。
そう言えば、その昔、大学院生のころ、スーツ姿で学会に行ったとき、K多さんから、笑われて「カドワキとスーツというのは矛盾した概念だ」と評されました。
いまだに両概念を止揚できないでいる、ということか?
いい匂いのお線香だなぁ、と仏壇の前に座ったのであるが、ちょっと刺激が強い。
「キーミョームリョージュニョーラーイ」
と、導入部を誦んだところで、鼻を「クン、クン」としたのである。
それを後ろでお参りしているお家の方が「寒いのでは?」と判断したのであろう。
ファン・ヒーターのスイッチを入れ、こちら側に向けてブンブン回してくださったのである。
もう、目いっぱいパワフル、ブンブン。
しかし、今年の「初まわし」らしく、妙に埃りっぽい。
鼻がムズムズしてくる。
ついに、お勤めを止めて、「ハー、ハー、ハーックション」。
それだけならまだいいが、鼻水がズルズル垂れてくる。
両方の鼻の穴から、ジュルジュルと垂れてくる。
それを上唇を突き出しながら受け止めて、後ろ姿は何もないようにお勤めをした。
上唇と突き出しながらのお勤めというのは、なかなか大変なのである。
阿弥陀さんには、鼻水を垂らした我が姿をバッチリ見られてしまった。
地獄で苦しんでいる姿を、お浄土からニヤニヤ眺められている気分であった。
終わった時は、ちり紙で拭って振り返ったが、ホント、こんなところに地獄が出現するとは思わなかった。
ま、嫌いなボーズがやってきた時は、ファン・ヒーターというのはけっこう強力な武器になりますな。
え?じゃ、ワタシ、きらわているんだろうか?
・・・・・・
・・・・・・
それはそうと、今日は、ワタクシ、スーツにネクタイ姿で大学に出ている。。
いつもはジーパンにノーネクタイだから、会う人会う人が「どうしたんですか」と訊いてくる。
いちいち説明している。
あのですね、
日曜に指定校入学生の面接がありまして、下宿からスーツとネクタイして大学に出ていたわけです。
その日は、そのまま実家に帰ったから、普段のジーパンはそこにおいてないからそのままスーツ姿で今日も登校した、というそれだけのことであります。
そう言えば、その昔、大学院生のころ、スーツ姿で学会に行ったとき、K多さんから、笑われて「カドワキとスーツというのは矛盾した概念だ」と評されました。
いまだに両概念を止揚できないでいる、ということか?
2009年11月21日
ローマのヒッチコック(その2)――『ローマの休日』はヒッチコック映画のパロディである
『ローマの休日』のラストシーン、オードリー・ヘップバーン演ずる王女が記者たち一人一人と挨拶を交わす場面で、最初の記者が「シカゴ・デイリー・ニューズのヒッチコック」と名乗る。
このことにこだわっている。
これは、ウィリアム・ワイラー監督のちょっとしたジョークなのだろう。ユーモアなのだろう?
しかし、なぜチャップリンでなく、ヒッチコックなのか?
しかも、このヒッチコックという記者は、この王女の挨拶の真の意図を知らない。
昨日、ローマの休日を過ごした別の記者との別れの挨拶であることを知らない。
ヒッチコック記者は騙されているのである。
ワイラー監督は、サスペンス映画、トリック映画の神サマ、ヒッチコックを名乗る人物を騙しているのである。
しかし、ヒッチコックという名に対する敬意も十分に伝わる場面でもある。
これはいかなることか?
ということで、入試や檀家さんの「報恩講」お参りで忙しいのに、『ローマの休日』(1953年)以前のヒッチコック映画をいくつか見直してみました。
『海外特派員』(1940年)、『白い恐怖』(1945年)、『汚名』(1946年)の3篇。
すると、よく似た場面がいっぱいあるんですね。どこがどうと特定するのは難しいですが。
よく考えたら『ローマの休日』というのはある意味ではサスペンス映画なんですね。
最初は、王女さまが自分が王女さまであることに退屈し切ってノイローゼ気味なのをどう隠すかハラハラドキドキ。
ローマの町に出た王女は女学生になり済ます。それがばれないか、ハラハラドキドキ。
その王女の特ダネを狙う新聞記者は会社員になりしまして取材をする。それがばれないかハラハラドキドキ。
ラストでは、新聞記者たちに昨日の「ローマの休日」がばれないかハラハラドキドキ。
このハラハラドキドキつまりサスペンスは、ワイラー監督によってずいぶんコメディタッチで描かれているけれども、しかしその部分を割り引けば紛れもないヒッチコックタッチなのである。
それに『海外特派員』での「愛する人のスキャンダルを記事にするか」というテーマとか、『白い恐怖』での「ミルクとクラッカー」という小道具やローマという地名、『汚名』での「ふつうに行動することで他の人々をだます」というラストシーンとか、直接の一致が多く見られるのである。
よって、『ローマの休日』はワイラー監督によるヒッチコック作品のパロディであり、オマージュである、と断言してもよろしいのではないかと愚考したわけであります。
我ながら御苦労なことでありました。
ただ、もうひとつの可能性として、ヒッチコックが60年代にトリフォーに語るところによれば(ヒッチコック/トリフォー『映画術』)、ヒッチコックは30年代の終わりに、王女さまが身分を隠して町中に出るという映画を企画して挫折しているとのことである。
ひょっとしたら、その話をワイラーが聞いていたという可能性も考えておかねばならない。
この『ローマの休日』の後、ワイラーは『コレクター』、ヒッチコックは『サイコ』という猟奇殺人を扱った映画を撮っている。
どうも、二人はそれなりに意識し合っているように思えるからだ。
だがしかし、ヒッチコックタッチというのは、そもそも何だろう?
次から次へと考えねばならぬことが湧いて出て、私は忙しい。
このことにこだわっている。
これは、ウィリアム・ワイラー監督のちょっとしたジョークなのだろう。ユーモアなのだろう?
しかし、なぜチャップリンでなく、ヒッチコックなのか?
しかも、このヒッチコックという記者は、この王女の挨拶の真の意図を知らない。
昨日、ローマの休日を過ごした別の記者との別れの挨拶であることを知らない。
ヒッチコック記者は騙されているのである。
ワイラー監督は、サスペンス映画、トリック映画の神サマ、ヒッチコックを名乗る人物を騙しているのである。
しかし、ヒッチコックという名に対する敬意も十分に伝わる場面でもある。
これはいかなることか?
ということで、入試や檀家さんの「報恩講」お参りで忙しいのに、『ローマの休日』(1953年)以前のヒッチコック映画をいくつか見直してみました。
『海外特派員』(1940年)、『白い恐怖』(1945年)、『汚名』(1946年)の3篇。
すると、よく似た場面がいっぱいあるんですね。どこがどうと特定するのは難しいですが。
よく考えたら『ローマの休日』というのはある意味ではサスペンス映画なんですね。
最初は、王女さまが自分が王女さまであることに退屈し切ってノイローゼ気味なのをどう隠すかハラハラドキドキ。
ローマの町に出た王女は女学生になり済ます。それがばれないか、ハラハラドキドキ。
その王女の特ダネを狙う新聞記者は会社員になりしまして取材をする。それがばれないかハラハラドキドキ。
ラストでは、新聞記者たちに昨日の「ローマの休日」がばれないかハラハラドキドキ。
このハラハラドキドキつまりサスペンスは、ワイラー監督によってずいぶんコメディタッチで描かれているけれども、しかしその部分を割り引けば紛れもないヒッチコックタッチなのである。
それに『海外特派員』での「愛する人のスキャンダルを記事にするか」というテーマとか、『白い恐怖』での「ミルクとクラッカー」という小道具やローマという地名、『汚名』での「ふつうに行動することで他の人々をだます」というラストシーンとか、直接の一致が多く見られるのである。
よって、『ローマの休日』はワイラー監督によるヒッチコック作品のパロディであり、オマージュである、と断言してもよろしいのではないかと愚考したわけであります。
我ながら御苦労なことでありました。
ただ、もうひとつの可能性として、ヒッチコックが60年代にトリフォーに語るところによれば(ヒッチコック/トリフォー『映画術』)、ヒッチコックは30年代の終わりに、王女さまが身分を隠して町中に出るという映画を企画して挫折しているとのことである。
ひょっとしたら、その話をワイラーが聞いていたという可能性も考えておかねばならない。
この『ローマの休日』の後、ワイラーは『コレクター』、ヒッチコックは『サイコ』という猟奇殺人を扱った映画を撮っている。
どうも、二人はそれなりに意識し合っているように思えるからだ。
だがしかし、ヒッチコックタッチというのは、そもそも何だろう?
次から次へと考えねばならぬことが湧いて出て、私は忙しい。
2009年11月18日
明日に迫る!
いよいよ明日、11月19日(木)16時10分より、尋源講堂にて、西洋哲学倫理学会秋季公開講演会を開催します。
講師: 広島大学総合科学部教授 古東哲明 氏
講題: 哲学的問いの発端――ハイデガーの場合
主催者側に、
「ハイデガーの青春時代を辿りながら、なぜ存在を問わねばならなくなったのかについて、同じ青春時代を生きる学生諸君にも共鳴できるような話題にて明らかにできれば・・・」
と伝えてこられた古東先生。
ふるってご参加ください!
講師: 広島大学総合科学部教授 古東哲明 氏
講題: 哲学的問いの発端――ハイデガーの場合
主催者側に、
「ハイデガーの青春時代を辿りながら、なぜ存在を問わねばならなくなったのかについて、同じ青春時代を生きる学生諸君にも共鳴できるような話題にて明らかにできれば・・・」
と伝えてこられた古東先生。
ふるってご参加ください!
2009年11月16日
ブリコルールとモード・ジャズ――内田樹『日本辺境論』を読む
内田樹先生の『日本辺境論』(新潮新書)が刊行された。
2年前の大谷大学宗教学会・大拙忌記念講演会のときの内容が、大幅にリライトされている。
そのときも、大風呂敷だなあと思ったが、今回はそれに輪を掛けた大風呂敷を広げておられます。
ホント、畳むほうの身になって欲しいぜ。
しかし、講演のときの中心となっていた「機の思想」のところが、もう一歩踏み込んで展開されていて、興味深いものとなっておりました。
どう興味深いかは、読んでのお楽しみであります。
今年の大拙忌に講演いただいた安藤泰至先生も来年初めに「新潮新書」から新著を発刊されます。
大拙忌と新潮新書は相性がよろしいのでしょうか?
それはともかく、今回、辺境性というスキームがどこまでも広がっていく内田先生の文章を読みながら、なんだか、これモード・ジャズと似ているなあ、と思ったのでした。
ひとつのテーマをぐんぐんと掘り下げ、と同時にそのようにして自分の独自性を主張するというバップ的展開ではなく、ひとつの音階(スキーム)の可能性をどこまでもズルズルと追究していくモード奏法というのは、ジャズにおけるブリコルールではなかろうか?
などと思いついたのでした。
モダンジャズと実存主義の全盛と退潮が重なるのも偶然ではない。
その退潮のときにあらわれたモード奏法というのは、ジャズにおける構造主義じゃ――というわけです。
ゆえに、それはジャズのみならず、ロックにも広く影響を与えていった・・・・
というようなことを『辺境日本論』を読みながら妄想すること自体、辺境的なのかも知れませぬ。
2年前の大谷大学宗教学会・大拙忌記念講演会のときの内容が、大幅にリライトされている。
そのときも、大風呂敷だなあと思ったが、今回はそれに輪を掛けた大風呂敷を広げておられます。
ホント、畳むほうの身になって欲しいぜ。
しかし、講演のときの中心となっていた「機の思想」のところが、もう一歩踏み込んで展開されていて、興味深いものとなっておりました。
どう興味深いかは、読んでのお楽しみであります。
今年の大拙忌に講演いただいた安藤泰至先生も来年初めに「新潮新書」から新著を発刊されます。
大拙忌と新潮新書は相性がよろしいのでしょうか?
それはともかく、今回、辺境性というスキームがどこまでも広がっていく内田先生の文章を読みながら、なんだか、これモード・ジャズと似ているなあ、と思ったのでした。
ひとつのテーマをぐんぐんと掘り下げ、と同時にそのようにして自分の独自性を主張するというバップ的展開ではなく、ひとつの音階(スキーム)の可能性をどこまでもズルズルと追究していくモード奏法というのは、ジャズにおけるブリコルールではなかろうか?
などと思いついたのでした。
モダンジャズと実存主義の全盛と退潮が重なるのも偶然ではない。
その退潮のときにあらわれたモード奏法というのは、ジャズにおける構造主義じゃ――というわけです。
ゆえに、それはジャズのみならず、ロックにも広く影響を与えていった・・・・
というようなことを『辺境日本論』を読みながら妄想すること自体、辺境的なのかも知れませぬ。
2009年11月11日
1Q09のエディプスたち――そして森繁久弥追悼
1909年生まれに、中島敦・太宰治・花田清輝・大岡昇平・松本清張という見事に統一感のない面々が並んでいる。
昨日は、これらを「どこか屈折している」ということで無理やりまとめたが、確かに、微妙に屈折している。
なぜだろう。
戦争の時代に発言せねばならなかったということも大きいだろうが、何よりも、彼らが「第二世代」ということが大きいのでなかろうか。
彼らの上には、権威と名声を確立した面々が並んでいる。
幸田露伴・志賀直哉・江戸川乱歩・小林秀雄などなど。
こんな親父たちが、権威としてでんと君臨されていては、屈折せざるを得ない。
そのような側面の一番希薄な大岡昇平でさえ、文化勲章を「捕虜になりましたから」と辞退している。
権威と名声になしかしらコンプレックスがあるのである。
しかし、だからこそ彼らの発言は、今でもある種の共感をもって読まれるのであろう(もちろん、そればかりでもないが)。
その点、昨日96歳で大往生を遂げられた森繁久弥の場合は、ラジオ・映画・テレビ・ミュージカルという新しいメディアにおける演技の先駆者であったから、そのような屈折もなく、自由に演技をしていたように思う。
「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」のDVDの廉価版が発売されれば、香典がわりに即購入したいものである。
が、この人も満州で地獄を見て来て、戦後の初の出演料でまずは自分の墓を建てっしまったという人である。
どこかで、屈折しそうな自分に死に切って、戦後を生きたのかも知れぬ。合掌。
昨日は、これらを「どこか屈折している」ということで無理やりまとめたが、確かに、微妙に屈折している。
なぜだろう。
戦争の時代に発言せねばならなかったということも大きいだろうが、何よりも、彼らが「第二世代」ということが大きいのでなかろうか。
彼らの上には、権威と名声を確立した面々が並んでいる。
幸田露伴・志賀直哉・江戸川乱歩・小林秀雄などなど。
こんな親父たちが、権威としてでんと君臨されていては、屈折せざるを得ない。
そのような側面の一番希薄な大岡昇平でさえ、文化勲章を「捕虜になりましたから」と辞退している。
権威と名声になしかしらコンプレックスがあるのである。
しかし、だからこそ彼らの発言は、今でもある種の共感をもって読まれるのであろう(もちろん、そればかりでもないが)。
その点、昨日96歳で大往生を遂げられた森繁久弥の場合は、ラジオ・映画・テレビ・ミュージカルという新しいメディアにおける演技の先駆者であったから、そのような屈折もなく、自由に演技をしていたように思う。
「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」のDVDの廉価版が発売されれば、香典がわりに即購入したいものである。
が、この人も満州で地獄を見て来て、戦後の初の出演料でまずは自分の墓を建てっしまったという人である。
どこかで、屈折しそうな自分に死に切って、戦後を生きたのかも知れぬ。合掌。
2009年11月10日
レヴィ=ストロースの同級生――100年前に生まれた人たち
「レヴィ=ストロースが100歳で死んだね」
と言ったら、タヌキ先生が
「ヴェイユと同い歳か…」
と言われた。
なるほど、そうなるか。
何ともへんな感じである。
生誕100年のシモーヌ・ヴェイユは、1909年2月3日生まれ。
クロード・レヴィーストロースは、1908年の11月28日生まれ。
生まれた年は違うが、学年歴では、「同い歳」である。
34歳で死んだヴェイユと100歳で死んだレヴィ=ストロース。
仕事の量は当然ちがうけれども、仕事のインパクトと量を掛算するとどうだろう。
人間、一生のうちにできる仕事の総量というのは、このような天才においてはある程度決まっているような気がする。
ちなみに、1909年前後に生まれた人たちをリストアップしてみると・・・。
レヴィ=ストロース 1908〜2009
カラヤン 1908〜1989
メルロ‐ポンティ 1908〜1961
ボーヴォワール 1908〜1986
菊田一夫 1908〜1973
シモーヌ・ヴェイユ 1909〜1943
中島敦 1909〜1942
太宰治 1909〜1948
花田清輝 1909〜1974
大岡昇平 1909〜1988
松本清張 1909〜1992
ジャン・ジュネ 1910〜1986
竹内好 1910〜1977
こうしてリストを作ってみると、これらの人々が二つの世界大戦の中で育った人々であることが分かる。
いろんな形で、世界大戦は彼らの考え方に影響を与えたのだろう。
その点、戦後の日本にうまれた私のような人間は、「戦争に行かねばならないかもしれない」という不安なしに成長した、おそらく世界史でも稀なノーテンキ人間なのだろう。
幸せなことであるが、そのような人間が、これらの人々の思想を読もうとするときには、よほどの想像力が必要ということである。
ほんと、ノーテンキですみません、である。
しかし、中島敦・太宰治・花田清輝・大岡昇平・松本清張の5人が同じ年の生まれというのは、なんだかヴァラエティがありすぎて、妙な感じがします。
確かに、どこか「屈折」していたということでは、ひとくくりにできそうですが。
別に「ひとくくり」にする必要はないんですけどね。
と言ったら、タヌキ先生が
「ヴェイユと同い歳か…」
と言われた。
なるほど、そうなるか。
何ともへんな感じである。
生誕100年のシモーヌ・ヴェイユは、1909年2月3日生まれ。
クロード・レヴィーストロースは、1908年の11月28日生まれ。
生まれた年は違うが、学年歴では、「同い歳」である。
34歳で死んだヴェイユと100歳で死んだレヴィ=ストロース。
仕事の量は当然ちがうけれども、仕事のインパクトと量を掛算するとどうだろう。
人間、一生のうちにできる仕事の総量というのは、このような天才においてはある程度決まっているような気がする。
ちなみに、1909年前後に生まれた人たちをリストアップしてみると・・・。
レヴィ=ストロース 1908〜2009
カラヤン 1908〜1989
メルロ‐ポンティ 1908〜1961
ボーヴォワール 1908〜1986
菊田一夫 1908〜1973
シモーヌ・ヴェイユ 1909〜1943
中島敦 1909〜1942
太宰治 1909〜1948
花田清輝 1909〜1974
大岡昇平 1909〜1988
松本清張 1909〜1992
ジャン・ジュネ 1910〜1986
竹内好 1910〜1977
こうしてリストを作ってみると、これらの人々が二つの世界大戦の中で育った人々であることが分かる。
いろんな形で、世界大戦は彼らの考え方に影響を与えたのだろう。
その点、戦後の日本にうまれた私のような人間は、「戦争に行かねばならないかもしれない」という不安なしに成長した、おそらく世界史でも稀なノーテンキ人間なのだろう。
幸せなことであるが、そのような人間が、これらの人々の思想を読もうとするときには、よほどの想像力が必要ということである。
ほんと、ノーテンキですみません、である。
しかし、中島敦・太宰治・花田清輝・大岡昇平・松本清張の5人が同じ年の生まれというのは、なんだかヴァラエティがありすぎて、妙な感じがします。
確かに、どこか「屈折」していたということでは、ひとくくりにできそうですが。
別に「ひとくくり」にする必要はないんですけどね。
2009年11月06日
信じて読む(その4)――騙されてナンボ
津村記久子さんがシモ―ヌ・ヴェーユの『重力と恩寵』の読書体験を綴った「ひどく寒い朝の光」を読んで、勝手にいろいろと考えていたのであった。
津村さんは、ヴェーユの写真をネットで見つけ、「いいコートだな」と「間抜けな」感想を得て、『重力と恩寵』を書店で求め、ほとんど理解できないけれども、ヴェーユを信じて読み続けている、と書いておられた。
よく考えてみれば、人生の根本となる読書体験は、案外こういうものかもしれない。
なんとなく、なにげなく読みはじめた本が、人生の根本を言い当てているような気がして、分からないなりに、何度も何度も読み返す。
顔をしかめながら、何度も何度も読む。
しかし、大阪の合理的でおせっかいなおばちゃんから見れば、これは危険な行為に見える。
「あんた、騙されてるん、違う?」
話はここまで来ていたのであった。
* * *
京阪電車を千林で降りて、長い商店街を歩く。サキコのいつもの帰り道だ。肉屋のコロッケや居酒屋の焼鳥の匂いが、サキコの空腹を意識させる。通りまで商品をはみ出しておいている薬局の前を通りかかったとき、運悪く薬局のシミズさんと目があった。
「そやけどサッちゃん、あんた騙されてんのとちがう?」
シミズさんは唐突に「そやけど」で話しかけてくる。いきなり本題に入るのである。
サキコの頭の中を「騙されている」という言葉が駆け巡る。しかし、サキコには「騙されている」という現状認識などはない。
怪訝な表情でシミズさんを見つめてしまう。待ってましたとばかり、シミズさんはまくしたてる。
「あんたなぁ、なんや、立派な賞もろて、賞金もろて、新聞や雑誌に出っとたやろ。そやのに、地味な格好は変わらん。どこぞの悪い男に貢いでいるンちがうン。のりピーやら矢田亜希子やら沢尻エリカやら、見てみぃなぁ。なんや訳の分からんに男にくっついて、ボロボロになっとるがな。おばちゃん、あんたのこと、心配で、心配で…。男は家にお金入れてなんぼやでぇ」
シミズさんの持論である「男は家にお金をお入れて、ナンボ」を言いきると、サキコの反応などかまわず、お客に新しい紙オムツの説明をしている。
ホントに、どうして彼女たちは、あんなヒラヒラした男とくっついたのだろう、とついシミズさんの思考に乗っている自分に気がついてサキコはぎょっとした。
さっきまで何を考えていたのか、思い出そうとしても思い出せないのであった。しかし、彼女たちは「騙されている」のとは少し違うと思う。シミズさん、それは違う――向きになっている自分が少し腹立たしかった。
(「キツソウの逆流」より)
* * *
「騙す」「騙される」ということを一般的に考察することは難しい。
「騙される」とは、二人の人間のあいだに契約関係があって、それが果たされないことといえそうだ。
「男に(女に)騙される」というとき、そこに契約関係が成立していたかどうかが問題となるが、ほとんどの場合、それは単なる期待とか思い込みに過ぎない。したがって、それは犯罪とはならない。
現在巷を騒がせている「結婚詐欺」なども、実は結婚自体が詐欺行為ではなく、結婚をめぐって詐欺行為がなされる場合がほとんどであろう(これについては項を改めてじっくり考えたい)。
では「本(の著者)に騙される」ということはあるのだろうか?
我々は何かを契約したかのように、本を読むのであろうか?
たとえば、フィクションつまり物語りは、上手に騙されるために読む。
上手に騙されなかった場合にこそ、「騙された、カネ返せ」という呪詛が発せられるのである。
そこには、「上手に騙される」という契約内容(期待)があったと言える。
物語は、アリストテレスがミーメーシス(模倣)で創作活動を考えたギリシャの昔から、実は「騙し」「カタリ」であったりするのである。
という訳で、今回は「キツソウの逆流」という小説の一節らしきものをでっち上げて、二重三重に皆様を騙してみました。
まだまだ修行がたりませぬ。
しかし、『重力と恩寵』はフィクションではない。
そのような本は「騙し」を期待して読むのではない。
では、騙されずに読むことは可能なのか――分らないのに信じて読んでよろしいのか?
なんとなく「信じて」よろしいのか?
津村さんは、ヴェーユの写真をネットで見つけ、「いいコートだな」と「間抜けな」感想を得て、『重力と恩寵』を書店で求め、ほとんど理解できないけれども、ヴェーユを信じて読み続けている、と書いておられた。
よく考えてみれば、人生の根本となる読書体験は、案外こういうものかもしれない。
なんとなく、なにげなく読みはじめた本が、人生の根本を言い当てているような気がして、分からないなりに、何度も何度も読み返す。
顔をしかめながら、何度も何度も読む。
しかし、大阪の合理的でおせっかいなおばちゃんから見れば、これは危険な行為に見える。
「あんた、騙されてるん、違う?」
話はここまで来ていたのであった。
* * *
京阪電車を千林で降りて、長い商店街を歩く。サキコのいつもの帰り道だ。肉屋のコロッケや居酒屋の焼鳥の匂いが、サキコの空腹を意識させる。通りまで商品をはみ出しておいている薬局の前を通りかかったとき、運悪く薬局のシミズさんと目があった。
「そやけどサッちゃん、あんた騙されてんのとちがう?」
シミズさんは唐突に「そやけど」で話しかけてくる。いきなり本題に入るのである。
サキコの頭の中を「騙されている」という言葉が駆け巡る。しかし、サキコには「騙されている」という現状認識などはない。
怪訝な表情でシミズさんを見つめてしまう。待ってましたとばかり、シミズさんはまくしたてる。
「あんたなぁ、なんや、立派な賞もろて、賞金もろて、新聞や雑誌に出っとたやろ。そやのに、地味な格好は変わらん。どこぞの悪い男に貢いでいるンちがうン。のりピーやら矢田亜希子やら沢尻エリカやら、見てみぃなぁ。なんや訳の分からんに男にくっついて、ボロボロになっとるがな。おばちゃん、あんたのこと、心配で、心配で…。男は家にお金入れてなんぼやでぇ」
シミズさんの持論である「男は家にお金をお入れて、ナンボ」を言いきると、サキコの反応などかまわず、お客に新しい紙オムツの説明をしている。
ホントに、どうして彼女たちは、あんなヒラヒラした男とくっついたのだろう、とついシミズさんの思考に乗っている自分に気がついてサキコはぎょっとした。
さっきまで何を考えていたのか、思い出そうとしても思い出せないのであった。しかし、彼女たちは「騙されている」のとは少し違うと思う。シミズさん、それは違う――向きになっている自分が少し腹立たしかった。
(「キツソウの逆流」より)
* * *
「騙す」「騙される」ということを一般的に考察することは難しい。
「騙される」とは、二人の人間のあいだに契約関係があって、それが果たされないことといえそうだ。
「男に(女に)騙される」というとき、そこに契約関係が成立していたかどうかが問題となるが、ほとんどの場合、それは単なる期待とか思い込みに過ぎない。したがって、それは犯罪とはならない。
現在巷を騒がせている「結婚詐欺」なども、実は結婚自体が詐欺行為ではなく、結婚をめぐって詐欺行為がなされる場合がほとんどであろう(これについては項を改めてじっくり考えたい)。
では「本(の著者)に騙される」ということはあるのだろうか?
我々は何かを契約したかのように、本を読むのであろうか?
たとえば、フィクションつまり物語りは、上手に騙されるために読む。
上手に騙されなかった場合にこそ、「騙された、カネ返せ」という呪詛が発せられるのである。
そこには、「上手に騙される」という契約内容(期待)があったと言える。
物語は、アリストテレスがミーメーシス(模倣)で創作活動を考えたギリシャの昔から、実は「騙し」「カタリ」であったりするのである。
という訳で、今回は「キツソウの逆流」という小説の一節らしきものをでっち上げて、二重三重に皆様を騙してみました。
まだまだ修行がたりませぬ。
しかし、『重力と恩寵』はフィクションではない。
そのような本は「騙し」を期待して読むのではない。
では、騙されずに読むことは可能なのか――分らないのに信じて読んでよろしいのか?
なんとなく「信じて」よろしいのか?
2009年10月31日
2009年10月30日
秋の新企画「CKPのベストはどっち!?」――M田さん、パリ留学記念「枯葉」の巻
レヴィナスを研究している大学院生のM田さんが、この10月からフランス国立高等研究院に交換留学生として留学した。
メールによれば、パリは彼女をレヴィナスの初期論考集の第一巻発売で祝福してくれたらしい(出発前に、励ましの言葉やメールをいただいた方々によろしくとのことであります)。
彼女が留学前の挨拶に来たとき、
「パリには、黒のタートルネックにベレー帽をかぶり「枯葉」を口ずさみながら『マドマゼール、セーヌ川を散歩しませんか?』という輩がい〜っぱいいるから気をつけるよーに」
と注意をしておいた。
今頃、この教師の言葉の重さを噛み締めていることであろう。
というわけで、この秋の新企画「CKPのベストはどっち!?」は、シャンソンの名曲「枯葉」(Les feuilles mortes)のジャズ・ヴァージョンのベストについて考察を尽くしてみたい。
第二次世界大戦後間もなく、ジェゼフ・コスマが作曲し、ジャック・プレヴェールが作詞して、イブ・モンタンやコラ・ヴォケールの名唱で世界的にヒット。
終わった恋を枯葉に託して唄われるシャンソンである。
ジャズでもフランク・シナトラやビング・クロスビーに唄われたが、やはり英語の歌詞はちょっと・・・
というわけで、ヴォーカル抜きのジャズの「枯葉」のベストはどっち!?であります。
私の場合、なんと言ってもビル・エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』(エヴァンスが銀行員のように7・3に髪をぴっちり分けて、セルフレームのメガネをかけているポートレイトのアルバム)所収のヴァージョンである。
ビル・エヴァンスのピアノとスコット・ラファロのベースが、まるで風に舞う二枚の落ち葉のように軽やかに絡みあっている。
エヴァンスとラファロの叙情的だけれども乾いたプレイが気持ちよい。
この演奏の1年半後、ラファロが交通事故で死んでしまう。
それを知って聴いていると、この演奏自体が、今は枯葉となって死んでしまったけれども、楽しかった若葉のころの恋を懐かしく思い出す、そんな演奏にも聞こえてしまう。
で、「枯葉」のジャズ・ベスト・ヴァージョンは、ビル・エヴァンスに決定!だったはずなのだが、久しぶりに、おそらく30年ぶりにキャノンボール・アダレイ『サムシング・エルス』の最初に収められた「枯葉を聴いて、む〜ん。
とりわけマイルス・デイヴィスのトランペット・ソロを聴いて、「た、たまりませんなー」と思ってしまった。
マイルスがミュート・トラッペトで深い霧のそこから吹き上げてくるような音階は、終わってしまった恋、つまり枯れてしまった恋の孤独を、なんとも美しく静かに歌うのである。
なんだかね、お尻のほうから、ゾワゾワーっとするのである。
こういうジャズのスタイルというのは若い頃はぜんぜん分からなかった。
今でもそうだが、ジャズは或る曲のメロディが提示され、その後そのコード進行にそって各ミュージシャンがアイデアに満ちたアドリブをぶりぶり吹きまくるのがカッコいいと思っていた。
ところが、マイルスは或る時期からクールで耽美的ともいえるような演奏をするようになって、わたしとしてはあまり関心なかったのです。
コードに沿ってアドリブしまくるというのではなく、或る音階をどこまでも一つ一つの音を慈しむように吹くモード・ジャズと言われるスタイルをとるのである。
モード・ジャズの古典といわれる「カインド・オブ・ブルー」が1959年3月。
今年が50周年ということで、記念盤が出ていたので、いつまでも食わず嫌いではいかんな、と思って聴いてみて、なんとなくマーラーの中・後期のアダージョ楽章を聴く感じで聴いたら、マイルスのやりたいことがなんとなく分かってきた。
音が、音の重力にそって広がっていくのである。
その1年前の実質的にはマイルスのリーダー・アルバムである『サムシング・エルス』にもその感じが十分聞き取ることができる。
だから(?)、「た、たまらんなー」という感想になるのであります。
また、ビル・エヴァンスもその『カインド・オブ・ブルー』で重要な役割を演じていて、そのアルバムの9ヶ月後、つまり1959年12月に録音された『ポートレイト・イン・ジャズ』のベースをメロディ楽器としてピアノと絡ませるというアイデアは『カインド・オブ・ブルー』をくぐってはじめて出てきたものであろう。
と、いきなりジャズ史のお勉強してしまいました。
要するに、「枯葉」の場合、エヴァンス・ヴァージョンもマイルス・ヴァージョンも、どっちもベストということであります。
この二つは、ちょうどバッハにおけるグールドの演奏、「火焔太鼓」における志ん生ヴァージョンのようなもので、これを超えるのが目標になるような演奏で、この二つを超える「枯葉」を、わたしは聴いたことがない(あんまり、最近のジャズは聴いてませんが)。
ま、この二つがあればいいんですけどね。
しかし、いまどき、パリで「枯葉」なんか流れているのだろうか?
ナツメロ喫茶みたいなところとか、日本人向けの居酒屋みたいなところだけしか流れていないのではないだろうか?
シャンソン自体が演歌みたいなもので、もう見向きもされてないのではないか、と思ってしまいます。
M田さんに、余裕ができたら、そのあたりも調査していただくとうれしい(何の役にも立たないが)。
あ、やっぱり、そんなところには近付かないよーに。
メールによれば、パリは彼女をレヴィナスの初期論考集の第一巻発売で祝福してくれたらしい(出発前に、励ましの言葉やメールをいただいた方々によろしくとのことであります)。
彼女が留学前の挨拶に来たとき、
「パリには、黒のタートルネックにベレー帽をかぶり「枯葉」を口ずさみながら『マドマゼール、セーヌ川を散歩しませんか?』という輩がい〜っぱいいるから気をつけるよーに」
と注意をしておいた。
今頃、この教師の言葉の重さを噛み締めていることであろう。
というわけで、この秋の新企画「CKPのベストはどっち!?」は、シャンソンの名曲「枯葉」(Les feuilles mortes)のジャズ・ヴァージョンのベストについて考察を尽くしてみたい。
第二次世界大戦後間もなく、ジェゼフ・コスマが作曲し、ジャック・プレヴェールが作詞して、イブ・モンタンやコラ・ヴォケールの名唱で世界的にヒット。
終わった恋を枯葉に託して唄われるシャンソンである。
ジャズでもフランク・シナトラやビング・クロスビーに唄われたが、やはり英語の歌詞はちょっと・・・
というわけで、ヴォーカル抜きのジャズの「枯葉」のベストはどっち!?であります。
私の場合、なんと言ってもビル・エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』(エヴァンスが銀行員のように7・3に髪をぴっちり分けて、セルフレームのメガネをかけているポートレイトのアルバム)所収のヴァージョンである。
ビル・エヴァンスのピアノとスコット・ラファロのベースが、まるで風に舞う二枚の落ち葉のように軽やかに絡みあっている。
エヴァンスとラファロの叙情的だけれども乾いたプレイが気持ちよい。
この演奏の1年半後、ラファロが交通事故で死んでしまう。
それを知って聴いていると、この演奏自体が、今は枯葉となって死んでしまったけれども、楽しかった若葉のころの恋を懐かしく思い出す、そんな演奏にも聞こえてしまう。
で、「枯葉」のジャズ・ベスト・ヴァージョンは、ビル・エヴァンスに決定!だったはずなのだが、久しぶりに、おそらく30年ぶりにキャノンボール・アダレイ『サムシング・エルス』の最初に収められた「枯葉を聴いて、む〜ん。
とりわけマイルス・デイヴィスのトランペット・ソロを聴いて、「た、たまりませんなー」と思ってしまった。
マイルスがミュート・トラッペトで深い霧のそこから吹き上げてくるような音階は、終わってしまった恋、つまり枯れてしまった恋の孤独を、なんとも美しく静かに歌うのである。
なんだかね、お尻のほうから、ゾワゾワーっとするのである。
こういうジャズのスタイルというのは若い頃はぜんぜん分からなかった。
今でもそうだが、ジャズは或る曲のメロディが提示され、その後そのコード進行にそって各ミュージシャンがアイデアに満ちたアドリブをぶりぶり吹きまくるのがカッコいいと思っていた。
ところが、マイルスは或る時期からクールで耽美的ともいえるような演奏をするようになって、わたしとしてはあまり関心なかったのです。
コードに沿ってアドリブしまくるというのではなく、或る音階をどこまでも一つ一つの音を慈しむように吹くモード・ジャズと言われるスタイルをとるのである。
モード・ジャズの古典といわれる「カインド・オブ・ブルー」が1959年3月。
今年が50周年ということで、記念盤が出ていたので、いつまでも食わず嫌いではいかんな、と思って聴いてみて、なんとなくマーラーの中・後期のアダージョ楽章を聴く感じで聴いたら、マイルスのやりたいことがなんとなく分かってきた。
音が、音の重力にそって広がっていくのである。
その1年前の実質的にはマイルスのリーダー・アルバムである『サムシング・エルス』にもその感じが十分聞き取ることができる。
だから(?)、「た、たまらんなー」という感想になるのであります。
また、ビル・エヴァンスもその『カインド・オブ・ブルー』で重要な役割を演じていて、そのアルバムの9ヶ月後、つまり1959年12月に録音された『ポートレイト・イン・ジャズ』のベースをメロディ楽器としてピアノと絡ませるというアイデアは『カインド・オブ・ブルー』をくぐってはじめて出てきたものであろう。
と、いきなりジャズ史のお勉強してしまいました。
要するに、「枯葉」の場合、エヴァンス・ヴァージョンもマイルス・ヴァージョンも、どっちもベストということであります。
この二つは、ちょうどバッハにおけるグールドの演奏、「火焔太鼓」における志ん生ヴァージョンのようなもので、これを超えるのが目標になるような演奏で、この二つを超える「枯葉」を、わたしは聴いたことがない(あんまり、最近のジャズは聴いてませんが)。
ま、この二つがあればいいんですけどね。
しかし、いまどき、パリで「枯葉」なんか流れているのだろうか?
ナツメロ喫茶みたいなところとか、日本人向けの居酒屋みたいなところだけしか流れていないのではないだろうか?
シャンソン自体が演歌みたいなもので、もう見向きもされてないのではないか、と思ってしまいます。
M田さんに、余裕ができたら、そのあたりも調査していただくとうれしい(何の役にも立たないが)。
あ、やっぱり、そんなところには近付かないよーに。
2009年10月27日
ローマのヒッチコック――なぜ『ローマの休日』にヒッチコックが出てくるのか
『ローマの休日』のラスト・シーン。
オードリー・ヘップバーン演ずる王女が記者会見に臨むシーン。
王女自ら記者たちに挨拶をするために、玉座を降りて一人一人と握手する。
その新聞記者の最初の人物が、
「シカゴ・デイリー・ニューズのヒッチコックです」
と名乗る。
1953年の映画である。ヒッチコック全盛時代である。
なぜ、ここにヒッチコックの名前が出てくるのか?
今日、一回生哲学科の授業でこの映画のワンシーンを訳すということをやるとき、その状況を理解するためにほぼこの映画の全体を観せてしまった。
すると、このラストシーンが、真実を述べるために、ほかの人をだますというシーンであることに気がついた。
当事者たちは、言葉の真の意味を知っているが、ほかの人は騙されといる。
あるいは、他人をだます言葉が真実を語る。
これは、ヒッチコックのサスペンス映画の定石である。
そして、この『ローマの休日』全体が、観客は知っているが当事者たちは知らない、という状況を当事者たちが少しずつ観客と真実を共有するように進んでいく、ヒッチコック的展開であることが見えてきた。
ゆえに、ワイラー監督は、ヒッチコックの名前を目立つようにこの映画のラストシーンに出したのではないか――と愚考したのである。
突然のヒッチコックで失礼した。
オードリー・ヘップバーン演ずる王女が記者会見に臨むシーン。
王女自ら記者たちに挨拶をするために、玉座を降りて一人一人と握手する。
その新聞記者の最初の人物が、
「シカゴ・デイリー・ニューズのヒッチコックです」
と名乗る。
1953年の映画である。ヒッチコック全盛時代である。
なぜ、ここにヒッチコックの名前が出てくるのか?
今日、一回生哲学科の授業でこの映画のワンシーンを訳すということをやるとき、その状況を理解するためにほぼこの映画の全体を観せてしまった。
すると、このラストシーンが、真実を述べるために、ほかの人をだますというシーンであることに気がついた。
当事者たちは、言葉の真の意味を知っているが、ほかの人は騙されといる。
あるいは、他人をだます言葉が真実を語る。
これは、ヒッチコックのサスペンス映画の定石である。
そして、この『ローマの休日』全体が、観客は知っているが当事者たちは知らない、という状況を当事者たちが少しずつ観客と真実を共有するように進んでいく、ヒッチコック的展開であることが見えてきた。
ゆえに、ワイラー監督は、ヒッチコックの名前を目立つようにこの映画のラストシーンに出したのではないか――と愚考したのである。
突然のヒッチコックで失礼した。
2009年10月25日
仏具磨き――誰が磨いている?
真宗寺院の最大の年中行事「報恩講」を目前にひかえ、掃除三昧の週末である。
昨日は、近くの檀家のおばちゃんたちと仏具磨き。
真鍮の花瓶や蝋燭立てを、研磨剤入りのワックスでピカピカに磨く。
いつもはおしゃべりのおばちゃんたちも、黙々と一心に磨く。
たしか、寺山修司に仏壇磨きの短歌があったと思うが、仏具を一心に磨いていると、その短歌にあったような、なんだか妖しい気持ちになる。
自分を磨くような気持ちになって気持ちはよいのだが、じゃ、その自分を磨いているのは誰なんだ?という気持ちが妖しいのだろうか?
そもそも仏具は、「いろもかたちもない」阿弥陀佛の世界を荘厳(しょうごん)するものである。
「いろもかたちもない」存在するとは別の仕方の世界を、仏具で飾ることで、現出させるのである。
阿弥陀の世界という実体があって、それを飾るのではない。
飾ることで、阿弥陀の世界に「いろとかたち」を与えるのである。
この世に、出現させるのである。
自分を磨いて、その世界の飾りになる――そのとき、その自分を磨くのは誰なのか?
生け花も本来はそのような仏の世界の荘厳=飾りである。
自分を活けるように花を活けるのだが、その花の隙間から「いろもかたちもない」真如の世界が、現出する。
そのとき、花を活ける欲望はどこから来るのか?
ポリーニの弾くバッハだって(最近はこればっかし)、ピアノの音で飾ることで、そこに真如の世界を現出させるのであって、その逆ではない。
では、誰がポリーニをバッハに向かわせたのか?
などと、考えながら、ごしごしごしごしごしごし、仏具を磨いたのであった。
どれもこれも仏具は、それぞれの顔を映してぴかぴかになった。
そして、恒例の「あぶらげ飯に大根おろし」をみんなで食べて、報恩講に備えるのでした。
昨日は、近くの檀家のおばちゃんたちと仏具磨き。
真鍮の花瓶や蝋燭立てを、研磨剤入りのワックスでピカピカに磨く。
いつもはおしゃべりのおばちゃんたちも、黙々と一心に磨く。
たしか、寺山修司に仏壇磨きの短歌があったと思うが、仏具を一心に磨いていると、その短歌にあったような、なんだか妖しい気持ちになる。
自分を磨くような気持ちになって気持ちはよいのだが、じゃ、その自分を磨いているのは誰なんだ?という気持ちが妖しいのだろうか?
そもそも仏具は、「いろもかたちもない」阿弥陀佛の世界を荘厳(しょうごん)するものである。
「いろもかたちもない」存在するとは別の仕方の世界を、仏具で飾ることで、現出させるのである。
阿弥陀の世界という実体があって、それを飾るのではない。
飾ることで、阿弥陀の世界に「いろとかたち」を与えるのである。
この世に、出現させるのである。
自分を磨いて、その世界の飾りになる――そのとき、その自分を磨くのは誰なのか?
生け花も本来はそのような仏の世界の荘厳=飾りである。
自分を活けるように花を活けるのだが、その花の隙間から「いろもかたちもない」真如の世界が、現出する。
そのとき、花を活ける欲望はどこから来るのか?
ポリーニの弾くバッハだって(最近はこればっかし)、ピアノの音で飾ることで、そこに真如の世界を現出させるのであって、その逆ではない。
では、誰がポリーニをバッハに向かわせたのか?
などと、考えながら、ごしごしごしごしごしごし、仏具を磨いたのであった。
どれもこれも仏具は、それぞれの顔を映してぴかぴかになった。
そして、恒例の「あぶらげ飯に大根おろし」をみんなで食べて、報恩講に備えるのでした。
2009年10月23日
2009年度文芸奨励賞のお知らせ
今年も文芸奨励賞の対象となる作品の募集がはじまっています。
「未来のわたしへ」というテーマで、50字以内の自由表現です。
毎年、哲学科の学生が入賞者の半数を占める賞です。
哲学科の学生諸君には、自らの考えを表現する場として、
格好の機会でしょう。
四の五のと自己完結するのもよいが、
表現するのもまたよし。
応募期間は10月23日まで。
詳細は、ここを参照してください。
「未来のわたしへ」というテーマで、50字以内の自由表現です。
毎年、哲学科の学生が入賞者の半数を占める賞です。
哲学科の学生諸君には、自らの考えを表現する場として、
格好の機会でしょう。
四の五のと自己完結するのもよいが、
表現するのもまたよし。
応募期間は10月23日まで。
詳細は、ここを参照してください。
2009年10月22日
デカルトはえらい――デカルトの教育論
一回生の哲学演習のテキストは今年もデカルトの『方法序説』。
西洋哲学の古典中の古典。
それにシンプルで短い。
しかし、毎年読んで飽きないのは、シンプルなのになんだかよく分からないからである。
そして、ときおり「デカルトって、やっぱりえらいなあ」と感動するからである。
今朝は第一部の第5段落を読んで、感動した。
「このようにわたしの目的は、自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうと努力したかを見せるだけなのである。教えを授けることに携わる者は、教える相手よりも自分の知性が勝ると見るのが当然だ。どんな小さな点においても誤るところがあれば、その点で非難されることになる。けれども、この書は一つの話として、あるいは、ひとつの寓話といってもよいが、そういうものとしてだけお見せするのであり、そこには真似てよい手本とともに、従わないほうがよい例も数多くみられるだろう。そのようにお見せしてわたしが期待するのは、この書がだれにも無害で、しかも人によっては有益であり、またすべての人がわたしのこの率直さをよしとしてくれることである。(谷川多佳子訳、岩波文庫版、11ページ)」
何を言い訳がましくゴチャゴチャと書いてるんだろう――と思って読んでいた。
しかし、その前の段落の「一枚の絵に描くように自分の生涯を再現できれば、わたしに取ってこのうえもない喜び」であり、そのような絵を見ての「世間の評判から人びとの意見を知るこては自己教育の新しい手段」という言い方と合せて考えると、なるほどな――デカルトってよーっく考えているなーと感動したのである。
つまり、「わたしはこのように必死で考えてきました。皆さん、それをウノミにして、何も考えない、なんてことはやらないでね。もちろん、考えるも考えないのも、皆さんの自由ですけど」
というようなことを言っているのである。
哲学書を読んで、「そうか、書いてあるとおりだ」と答えを知ってしまったような気になったら、その哲学書はろくでもないものである。
哲学書を読んで、訳わかんなくて頭をフル回転させて考えるようになったら、それが哲学の本となる。
親鸞が『歎異抄』の第二条で、「親鸞においてはこの通りで、あとはそれぞれ考えてくださいね(面々の御はからい)」というのと同じである。
――と書いてきて、去年もこういうことで「デカルトってえらいなあ」と感動しなかったか、と不安になってきた。
ま、感動したことを忘れていると、何度でも感動出来てなかなかお得であります。
西洋哲学の古典中の古典。
それにシンプルで短い。
しかし、毎年読んで飽きないのは、シンプルなのになんだかよく分からないからである。
そして、ときおり「デカルトって、やっぱりえらいなあ」と感動するからである。
今朝は第一部の第5段落を読んで、感動した。
「このようにわたしの目的は、自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうと努力したかを見せるだけなのである。教えを授けることに携わる者は、教える相手よりも自分の知性が勝ると見るのが当然だ。どんな小さな点においても誤るところがあれば、その点で非難されることになる。けれども、この書は一つの話として、あるいは、ひとつの寓話といってもよいが、そういうものとしてだけお見せするのであり、そこには真似てよい手本とともに、従わないほうがよい例も数多くみられるだろう。そのようにお見せしてわたしが期待するのは、この書がだれにも無害で、しかも人によっては有益であり、またすべての人がわたしのこの率直さをよしとしてくれることである。(谷川多佳子訳、岩波文庫版、11ページ)」
何を言い訳がましくゴチャゴチャと書いてるんだろう――と思って読んでいた。
しかし、その前の段落の「一枚の絵に描くように自分の生涯を再現できれば、わたしに取ってこのうえもない喜び」であり、そのような絵を見ての「世間の評判から人びとの意見を知るこては自己教育の新しい手段」という言い方と合せて考えると、なるほどな――デカルトってよーっく考えているなーと感動したのである。
つまり、「わたしはこのように必死で考えてきました。皆さん、それをウノミにして、何も考えない、なんてことはやらないでね。もちろん、考えるも考えないのも、皆さんの自由ですけど」
というようなことを言っているのである。
哲学書を読んで、「そうか、書いてあるとおりだ」と答えを知ってしまったような気になったら、その哲学書はろくでもないものである。
哲学書を読んで、訳わかんなくて頭をフル回転させて考えるようになったら、それが哲学の本となる。
親鸞が『歎異抄』の第二条で、「親鸞においてはこの通りで、あとはそれぞれ考えてくださいね(面々の御はからい)」というのと同じである。
――と書いてきて、去年もこういうことで「デカルトってえらいなあ」と感動しなかったか、と不安になってきた。
ま、感動したことを忘れていると、何度でも感動出来てなかなかお得であります。
2009年10月19日
水餃子湯気おさまりてもなおうまし――無茶
先日、四条である方から水餃子をご馳走になった。
冷めてもうまい餃子であった。
そのあと、イノダ本店でコーヒーをご一緒する。
よく考えたら、30年ぶりのイノダ本店であった。
20年ぶりではないかと考えるのだが、やはりどう勘定しても30年ぶりであった。
もう秋か30年ぶりかイノダ本店
こういう下手な句を作ると、よくできた俳句の凄さがよくわかる。
その凄さを味わうために、こうして下手な俳句を披露しているようなものだ。
同じ湯気系の食べ物の俳句の絶唱は、久保田万太郎の次の句であろう。
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
ホント凄い句ですね。
同じ記事のうちに並べて申し訳ない。
なんでこんな句ができるのかと年譜を調べると、万太郎は14歳のとき、「たけくらべ」を全部暗誦できたそうな。
そういう修行をして、あんな句ができるのである。
鮟鱇もわが身の業も煮ゆるなり
これも食べ物、しかも湯気系。
凄みの句である。
万太郎先生は、湯気を見るとひねりたくなるのか?
いずれにせよ、凄いとしかいいようがない。
読者諸賢におかれては、わたしの駄句を見て、これよりましなものならできる、と勇気を得ていただければ、幸甚です。
冷めてもうまい餃子であった。
そのあと、イノダ本店でコーヒーをご一緒する。
よく考えたら、30年ぶりのイノダ本店であった。
20年ぶりではないかと考えるのだが、やはりどう勘定しても30年ぶりであった。
もう秋か30年ぶりかイノダ本店
こういう下手な句を作ると、よくできた俳句の凄さがよくわかる。
その凄さを味わうために、こうして下手な俳句を披露しているようなものだ。
同じ湯気系の食べ物の俳句の絶唱は、久保田万太郎の次の句であろう。
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
ホント凄い句ですね。
同じ記事のうちに並べて申し訳ない。
なんでこんな句ができるのかと年譜を調べると、万太郎は14歳のとき、「たけくらべ」を全部暗誦できたそうな。
そういう修行をして、あんな句ができるのである。
鮟鱇もわが身の業も煮ゆるなり
これも食べ物、しかも湯気系。
凄みの句である。
万太郎先生は、湯気を見るとひねりたくなるのか?
いずれにせよ、凄いとしかいいようがない。
読者諸賢におかれては、わたしの駄句を見て、これよりましなものならできる、と勇気を得ていただければ、幸甚です。
2009年10月16日
唄うポリーニ――バッハ:平均律クラヴィーア曲 集第1巻
今日というかこの時間では昨日になってしまったが、大学からの帰りレコード屋によって、ピアノの棚を見る。
アンダドラーシュ・シフのバッハ:パルティータ全曲集を買おうかなと思っていたのである。
5000円、高いなあ――と思ってとなりを見ると、ポリーニの平均律の輸入盤が並んでいる。
ぎょっとして、思わず買ってしまった。
3,300円也(2枚組み。シフの5,000円に比べれば安いと思ってしまったのでした)。
1942年生まれ、60年にショパンコンクール優勝、そして10年間の沈黙。あとは、圧倒的なテクニックと修行僧のような精神性で、天下無双のピアニストとして活躍。
そのマウリッツィオ・ポリーニのバッハ初録音。
誰だって「ぎょ」っとします。
で、帰って、「不毛地帯」の後ろ半分を見てから、恐る恐る聴きました。
めちゃめちゃ立派で、深刻な演奏だったらどうしよう、とびびりながら(この前のモーツァルトの協奏曲はちょっと立派すぎたと、罰当たりな感想なんです、わたしの場合)。
最初のプレリュードから、豊かでしかも軽やかなピアノの音が響く。
グールド以来のほかのピアニストが嵌ってしまったチェンバロ・コンプレックスが完全に吹き飛んでいる(ということはグールド・コンプレクスも吹き飛んでいる)。
全体的にはスピード感のある演奏。
しかし、遅めのフーガはたっぷりとゆっくり弾く。しかし、深刻ではない。
それに、耳を澄ますと、ポリーニの唄う声が聞こえる(たとえば、ハ長調のフーガの冒頭、かすかに聞こえる)。
グールドのレコードみたいにポリーニが歌っているのである。
なんか、もう、うれしくなってしまいました。
バッハもグールドも草葉の陰でよろこんでいるでしょう。
いいなあ、とちょっと興奮して、ついこんな夜中にエントリーしてしまいました。
ストーンズといい、ポリーニといい、1940年代前半生まれはなかなかいい歳のとり方をしてるなあ、とひどく感激。
と同時に、60年から70年の間の沈黙の時期、ポリーニはストーンズやビートルズのロックの席捲をどんな気持ちで聴いていたのか、がちょっと気になります。
アンダドラーシュ・シフのバッハ:パルティータ全曲集を買おうかなと思っていたのである。
5000円、高いなあ――と思ってとなりを見ると、ポリーニの平均律の輸入盤が並んでいる。
ぎょっとして、思わず買ってしまった。
3,300円也(2枚組み。シフの5,000円に比べれば安いと思ってしまったのでした)。
1942年生まれ、60年にショパンコンクール優勝、そして10年間の沈黙。あとは、圧倒的なテクニックと修行僧のような精神性で、天下無双のピアニストとして活躍。
そのマウリッツィオ・ポリーニのバッハ初録音。
誰だって「ぎょ」っとします。
で、帰って、「不毛地帯」の後ろ半分を見てから、恐る恐る聴きました。
めちゃめちゃ立派で、深刻な演奏だったらどうしよう、とびびりながら(この前のモーツァルトの協奏曲はちょっと立派すぎたと、罰当たりな感想なんです、わたしの場合)。
最初のプレリュードから、豊かでしかも軽やかなピアノの音が響く。
グールド以来のほかのピアニストが嵌ってしまったチェンバロ・コンプレックスが完全に吹き飛んでいる(ということはグールド・コンプレクスも吹き飛んでいる)。
全体的にはスピード感のある演奏。
しかし、遅めのフーガはたっぷりとゆっくり弾く。しかし、深刻ではない。
それに、耳を澄ますと、ポリーニの唄う声が聞こえる(たとえば、ハ長調のフーガの冒頭、かすかに聞こえる)。
グールドのレコードみたいにポリーニが歌っているのである。
なんか、もう、うれしくなってしまいました。
バッハもグールドも草葉の陰でよろこんでいるでしょう。
いいなあ、とちょっと興奮して、ついこんな夜中にエントリーしてしまいました。
ストーンズといい、ポリーニといい、1940年代前半生まれはなかなかいい歳のとり方をしてるなあ、とひどく感激。
と同時に、60年から70年の間の沈黙の時期、ポリーニはストーンズやビートルズのロックの席捲をどんな気持ちで聴いていたのか、がちょっと気になります。
2009年10月13日
「しらず」の功徳――未来は霧の中
この連休は「一人暮らしのおばあちゃん」シリーズであった。
土曜日の午前中は、山村に一人暮らしするばあちゃんを訪問。
一人には寺からの粗品を届けるだけ。
耳が遠いから呼んでも出てこない。
「はいるよー」と言いながら、家の中へづかづかと入る。
寒い朝だったので、ばあちゃんは布団の中でテレビを観ていた。
ほい、と品物を渡して、またね、と別れる。
そこから、山道を1キロぐらい登って、村中で一人になってしまったばあちゃんのところで「報恩講」のお勤め。
「娘が来て台所を掃除していったのはいいが、モノの場所が変わってご飯も炊けん」などの愚痴をたっぷりお聴きする。
夕方、街中に住む一人暮らしのばあちゃんが亡くなったと電話。
即、枕経に出向く。
翌日、お通夜。
月曜日に、ひっそりとしたお葬式。94歳、夫を亡くしたあと、芸者さんをしながら生きてきたばあちゃんであった。
月曜の夜は、寺の本堂で、毎月恒例の「お講」。
あるばあちゃんが「新聞を見ると、けなるい(うらやましい)」と話掛けて来る。
死亡欄を見て、「この人はわたしの歳で死んでいる」と確認して、うらやましがっているのである。
「ほーやの(そうですね)」とお聞きする。
しかし「こればっかりは分らんさけの」とも付け加える。
そのとき、昼間、お骨をお迎えしたときに拝読した蓮如上人の「白骨の御文」の一節を思い出す。
「われや先、ひとや先、今日ともしらず、明日とも知らず、おくれ、先立つひとは、もとのしずく、すえのつゆよりも、しげしといえり」
私が先立つのか、他人が先立つのか、今日とも明日とも知ることができないまま、木のもとにおちる雨のしずく、枝の先の露が落ちるよりも激しい頻度で、人は次から次へと亡くなっていく、といわれる。
死んでいくのが「今日とも知れず、明日とも知れず」というのは、ホント、ありがたきことであるなあ、としみじみ思ったのでありました。
何でもカンでも、分ればいい、知ればいい、というものではないですな。
こういうことって、歳をとらねばわかりませんなあ、と思ったのであります。
土曜日の午前中は、山村に一人暮らしするばあちゃんを訪問。
一人には寺からの粗品を届けるだけ。
耳が遠いから呼んでも出てこない。
「はいるよー」と言いながら、家の中へづかづかと入る。
寒い朝だったので、ばあちゃんは布団の中でテレビを観ていた。
ほい、と品物を渡して、またね、と別れる。
そこから、山道を1キロぐらい登って、村中で一人になってしまったばあちゃんのところで「報恩講」のお勤め。
「娘が来て台所を掃除していったのはいいが、モノの場所が変わってご飯も炊けん」などの愚痴をたっぷりお聴きする。
夕方、街中に住む一人暮らしのばあちゃんが亡くなったと電話。
即、枕経に出向く。
翌日、お通夜。
月曜日に、ひっそりとしたお葬式。94歳、夫を亡くしたあと、芸者さんをしながら生きてきたばあちゃんであった。
月曜の夜は、寺の本堂で、毎月恒例の「お講」。
あるばあちゃんが「新聞を見ると、けなるい(うらやましい)」と話掛けて来る。
死亡欄を見て、「この人はわたしの歳で死んでいる」と確認して、うらやましがっているのである。
「ほーやの(そうですね)」とお聞きする。
しかし「こればっかりは分らんさけの」とも付け加える。
そのとき、昼間、お骨をお迎えしたときに拝読した蓮如上人の「白骨の御文」の一節を思い出す。
「われや先、ひとや先、今日ともしらず、明日とも知らず、おくれ、先立つひとは、もとのしずく、すえのつゆよりも、しげしといえり」
私が先立つのか、他人が先立つのか、今日とも明日とも知ることができないまま、木のもとにおちる雨のしずく、枝の先の露が落ちるよりも激しい頻度で、人は次から次へと亡くなっていく、といわれる。
死んでいくのが「今日とも知れず、明日とも知れず」というのは、ホント、ありがたきことであるなあ、としみじみ思ったのでありました。
何でもカンでも、分ればいい、知ればいい、というものではないですな。
こういうことって、歳をとらねばわかりませんなあ、と思ったのであります。



